その時、再び電話が鳴り響いた……。真里亞は立ち上がり、受話器を取る。
【真里亞】「うー。もしもし。……うー? うー!!!」
もちろんその電話の音は、ゲストハウスを飛び出そうとしていた戦人の耳にも届いていた。猛烈な勢いで引き返し、いとこ部屋に飛び込んでくる…。
【戦人】「ま、真里亞……! 電話って、……誰からだッ…?!」
戦人は凄まじい形相で、電話をしている真里亞に叫ぶ。
それも当然のこと……。今のこの島で生き残っている人間は、自分と真里亞と、郷田と熊沢。しかし2人は園芸倉庫に閉じ込められているから電話を出来るはずもない。
……となると、………もう1人。金蔵しかいない。
真里亞は電話の相手と楽しそうに談笑しながら、そのままゆっくりと戦人に振り返る。………そして、薄気味悪い顔で、きひひひひひひひと笑う。……まるで、電話の相手と、戦人のことについて談笑しているような、そんな感じだった。
【戦人】「真里亞…、電話の相手は誰だ。……祖父さまか……?!」
戦人はそうとは思えなかった。…なぜなら、真里亞と金蔵が親しげに話をし、……そんな不気味な笑顔で、戦人のことについて談笑するなど、考えられなかったからだ。
真里亞にそんな顔で談笑させるような、………どんな相手が受話器の向こうにいるというのか。
………その時、脳裏に、霧江の言っていた言葉が蘇る。たとえ魔女が現れたとしても、疑う必要はない。……ただ、………その存在を、信じろと……。
【真里亞】「うん。戦人、今、帰ってきたよ。せっかちだよね。きひひひひひひひひひひ……。」
【戦人】「真里亞ッ!! その電話の相手は誰だ?! 誰なんだッ?!?!」
【真里亞】「……代わる? うん。…………ハイ、戦人。」
真里亞は電話の相手の同意を得て、受話器を戦人に差し出した…。
【真里亞】「………………ぅ。」
【戦人】「ハイ。」
真里亞はほら、と、……当たり前のように受話器を差し出す。
その受話器を取ることに、戦人はほんのわずかだけ躊躇を覚える。……なぜなら、………電話の相手の存在を認めることで、…………自分は、認めざるを得なくなってしまうからだ。
………霧江は言った。……その存在を疑う必要は、……もはや、……ない、と。
戦人は受話器を受け取る。すると真里亞はすたすたと部屋を出て行く。
受話器の相手が誰かを確かめることにわずかの恐怖を覚えていた戦人は、電話に出る前に、真里亞に問い掛ける。
【戦人】「お、おい! どこへ行くんだよ…?!」
【真里亞】「真里亞のテストの場所だよ。……右代宮家の当主は戦人か真里亞か、どっちだろうね。きひひひひひひひひひひひひ。」
【戦人】「………い、行くな!! 殺されるぞ!!」
【真里亞】「殺されないよ。儀式はもう、終わってるもの。…それに殺されても、蘇らせてもらえるし。……当主になってもなれなくても、もう私たちは黄金郷に招いてもらえる。じゃあね、お先に。」
【戦人】「待てよ!! 真里亞…ッ!!!」
戦人は去っていく真里亞の背中に手を伸ばすが、……握り締めている受話器のコードが、まるで鎖のように戦人を引き止めるのだった。
……覚悟を決める。…戦人は受話器を耳に当てた……。
【戦人】「……………も、……もしもし……。」
【ベアト】「コングラッチュレーショーーンズッ!! アぁンド、アイムファィ〜ン!! エーンドユぅううううぅッ?! あああぁッひゃっひゃっひゃっひゃああああぁッ!!!」
狂った、ふざけた英語が耳をつんざく。……知らない女の声。……誰……、頭の中が、霜柱でいっぱいになっていく……、…………誰……………。
【ベアト】「誰ぇ…は、ないであろう、右代宮戦人ァぁあぁ…。返事は普通、イエ〜ス、アイムファイン! であろぉ?? 懐かしいなぁ、中学でやっただろ? 二人一組になってやるヤツゥ! うっひゃひゃひゃひゃひゃひゃあああぁ!!!」
【戦人】「イ、…イカれてやがる……。てめえは誰だッ!! 答えやがれッ!!!」
【ベアト】「英語で言えよォ。お前、そういうの得意だったろぉおぉおお?」
【戦人】「……ふ、ふざけんじゃねえよ……。てめえは誰だッ!! クソジジイの手先か?!」
【ベアト】「手先とは酷い言い様ではないか。むしろ虜と言ってやれ。……金蔵こそ妾の虜ォ! だろ〜〜? わっははははははははは…。」
最後の笑い方は戦人に向けたものではない。……まるで、電話のすぐ側に金蔵がいて、ゲラゲラと大笑いしているかのようだった…。
【戦人】「……な、……名を名乗りやがれッ!!! てめえは誰だ! 何者だッ!!!」
【ベアト】「当ててみろよォ、ハワイへご招待するぜぇ? あっひゃっひゃっっひゃああぁッ!! ぃやっとだ。やっとッ!! んんんん、長かったぜええぇええぇ、本ッ当ぉおおぉに今日まで長い日々だった…!! マジで千年は待ったぜ、今日という日をよおおぉおお?? お陰様を持ちましてッ! 私、大復活ッ!! サンキュー金蔵ォ! 特別に、さっきの“待った”、聞いてやってもいいぜ〜!!!」
【金蔵】「……やれやれ、上機嫌にも程があろうが。もう少しは淑女らしく振舞わんか。」
金蔵とベアトリーチェは、応接席のチェスに向かい合い座っていた。テーブルの上には、高級なチーズなどの酒の肴。そして、数本のワインの空瓶が並んでいた。
ベアトリーチェはみっともなくソファに転げ回りながら、ワイングラス片手に、上機嫌に、……あるいは大層酔っ払っていた。
【ベアト】「今日は最ッ高にご機嫌だから、大サービスだ!! おいおい金蔵、シャトー・ペトリュスなんか飾ってんなよォ! 1947年ものかよッ?! 今日開けなくていつ開けるつもりだ! それを浴びせっこして遊ぼうぜぇええぇ! 空き瓶で殴りっこもしよう! うっひゃっひゃっひゃ!!」
【金蔵】「はっはは、それは愉快だ。浮かれ過ぎであるぞ。ハメの外し過ぎだ。」
【ベアト】「金蔵だってぇええぇ! 妾に再会出来て嬉しいだろぉおお? あぁ、シャバだ!現世だ!! 妾の肉体万歳ッ!!」
【戦人】「……お前、……さっきから何を騒いでるんだ………。…お前が、……ベ、…ベアトリーチェだとでも言うのかよ…。」
【ベアト】「イ〜エぇええええぇス、アイアぁああぁムッ!! 金蔵の13人殺しの儀式のお陰で、ようやく妾は復活したぞ…!! 口があるといい、舌があるといいッ! こうしてそなたと話せることの何と楽しいことかッ! そう言えば、お前とはあれだけ何度も何度も憎まれ口を叩き合ってきたのに、こうしてゲーム中に盤上で会話をしたのは初めてだなァ。何やらとても新鮮だッ!!
お、今のポンッって音、聞こえたか?! あいつ、開けたぞ、マジでシャトー・ペトリュスを開けやがった!! 1本いくらするか知ってるか?! 10kgのインゴット丸々と同じくらいするんだぜぇえええぇ?!?! ひぃーっはっはっはっはっは!!」
【戦人】「ふ、ふざけるな…!! 何がベアトリーチェだ…ッ!! 黄金の魔女だと?! いい加減にしろ!! どこに居やがる! そこにクソジジイも一緒にいるのか?! てめえらまとめてぶっ飛ばしてやるッ!! 今どこに居やがるんだ?! 答えやがれッ!!」
【ベアト】「なぁんだ、妾に会いたいのかァ? うっひひひ、モテる女は辛ぇやぁ! でもよ、金蔵がいる時に口説くのはよせよぉ? こいつ、マジで妬くから性質悪いぜー? ………金蔵のいない二人きりの時なら、こっそり内緒で愛してやるからよ…? うひゃーっひゃっひゃっひゃっひゃ あーっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ!!!」
【戦人】「く、狂ってやがるぜ………。」
【戦人】「郷田さん、熊沢さん…! 俺だ、戦人だ…!」
俺は先に園芸倉庫に向かった。
今の俺にはわずかでも味方が必要だ。郷田さんは体格もいいし、戦力として期待できる。熊沢さんは古参の使用人としての知識や土地勘が大きな武器になるだろう。二人ともマスターキーを持っているし、屋敷についても自分より詳しい。……かなり頼もしい味方だった。
シャッターを叩きながら開けてくれと呼び掛け、中の彼らにはどうしようもないのだということを思い出す。彼らに鍵を返してもらい、開けてやらねばならない。
脇に回り、小さな格子窓をノックし、そこを開ける。
【戦人】「郷田さん、熊沢さんのばあちゃん…! 戦人だ…!! おい、起きろって………、……お…い………。」
薄暗い電球に照らし出された倉庫内の光景は、………あまりに、……奇怪……。
【戦人】「……郷田…、さ…ん……。……熊沢……さ、………ん………、」
天井の低い梁に、………太いロープが2本吊るされ、……それぞれに、……郷田さんと熊沢さんが、…………首を、…吊るされているのだ……。
薄暗いし、色々と荷物がごちゃごちゃ置かれている狭間からなので、その様子はそれ以上詳しくはわからない。……しかし、声を掛けてもぴくりとも反応せず、完全に首のロープに全ての体重を預けきっている様子から、生きている気配を感じ取ることは出来なかった……。
【戦人】「そんな……、………嘘……だろ…………。……どうして………。」
シャッターは閉まったままなのだ。……そして鍵はひとつしかなく、郷田さんが預かったはず。なのにどうやって犯人は、……シャッターを開けて、中の二人を殺したんだよ……?
いいや、殺されたとは限らない…。これは自殺なんだとしたら……。……密室のつじつまは合うけど、二人が首を吊って自殺する意味がわからない…!! 俺は力なく、…その場にへたり込む。
これで、この島に生きてる人間は、……俺と真里亞と、……クソジジイだけ。………じゃないや、あのイカれた、ベアトリーチェとか名乗る女もだ…。
真里亞は初めから魔女の味方のような素振り。そしてジジイは魔女を蘇らせた張本人。そして、魔女本人。……何だよ、………もう、この島には、…………俺ひとりしかいないも、……同然じゃないかよ…………。
俺は棒切れを杖代わりに、力なく立ち上がる。……クソ、こんなのじゃ駄目だ…。みんなの仇を、俺が取らないと……。
【戦人】「畜生ぉおおぉぉ……、こんなんじゃ駄目だ…。あぁ、駄目だぜ、全然駄目だ…。畜生おおおおぉぉ………。」
今の内に、泣いておく…。弱々しい気持ちを全て涙と一緒に、搾り出しておくために…。
それから俺は、……背筋を伸ばし、屋敷のある方角の暗闇を見た。
………屋敷の玄関に、魔女が待ち受ける。行って、……ケリをつけてやる。このおかしなおかしな、狂った夜の元凶を、……俺の手で、ぶっ潰してやる…!
土砂降りの雨の中、……俺は傘もなく、濡れるに任せて、薔薇庭園を歩く。
……向こうに東屋が見えた。朱志香の話では、譲治の兄貴も殺されたらしい…。どうせ、今さら人質の命も何もない。……俺は、道を外れ、東屋を目指す。
そして、…………譲治の兄貴の死体が、雨曝しになっているのを見た…。
【戦人】「……………兄貴……。…………畜生…………。」
死体は、東屋の前にあった。せめて東屋の中で死ねたなら、雨曝しにだけはならずに済んだろうに…。
兄貴の額には、まるで銃で撃たれたかのような穴がぽっかりと開いていた。雨が全て洗い流してしまったせいか、顔面が血塗れということはなく、……そのせいで、眠っているようにさえ見える。
…しかし、服は真っ赤に染まり、大量の血が流れた痕跡を未だに残していた…。
眠っていたり、あるいは死んでいるフリをしていたなら、どんなに嬉しいことか…。……しかし、雨が吹き付けるにもかかわらず、兄貴の目は見開いたまま。……そして、……額の穴は、冗談抜きで、……本物だった…。
さっきの園芸倉庫の首吊りは、……ひょっとすると郷田さんたちの悪趣味な冗談かもしれない可能性も、わずかにはあった。しかし、その甘えた可能性は、完全に否定される。
そして、この死体を見て、完全に確信する。かつて郷田さんは言っていた。……敵は、チェスの駒を奪うかのように、命を奪ってくると。
【戦人】「………あぁ、……間違いない。……クソジジイと魔女は、………俺たちの命なんて、本当にその程度にしか思ってないらしい……。」
…あの魔女め、電話でこう言いやがったな…。俺たちのことを、“ゲーム盤の上”で、みたいに……。
【戦人】「…上等だぜ……。……そうかよ、こいつはゲームのつもりかよ……。なら、…お前らがみんなをゲームみたいに殺したように、………俺がお前らをゲームのように殺してもいいわけだよな……? …………首を洗ってやがれ……。……ベアトリーチェ………。」
稲光に屋敷の巨大な影が浮かび上がる。……いよいよ、屋敷、……だ。見えてくるその巨大な姿に、人影はない。俺の歓迎のために、手下どもがぞろりと待ち受けている、ということはないようだった。
………霧江さんの話によると、山羊の頭をした従者、という連中が相当大勢いるらしい。そんな大勢が、ぞろぞろと隠れていて俺をうかがっている、というような気配は、とりあえず今のところ、感じられない…。
何だ……? 玄関の屋根の下に、………何か置かれている。
【戦人】「……何だよ、これは。………箱…か?」
それは女の子なんかがよく、小物を収めていそうな感じの小箱に見えた。……あるいは応接室なんかにある、ご大層なシガーケースの類かもしれない。
何れにせよ、ここにあるべきものには見えない…。それはあからさまに、……俺に開けろと言われているように見えた。しかし、ハイどうぞと開けるのはなぜか癪に障る。……しかし、開けないことには話が進みそうもない。
まさかひょっとして、開けると爆発するような罠でも仕掛けられているのではないか……? そんなことを考えながら、屋根の下に入ることも忘れ、俺は雨に打たれるまま、その小箱を睨み続けていた。
すると、………雷鳴に混じり、何か、……音楽? …のようなものが聞こえてきた。……それは、24時を報せるホールの大時計の音色。
10月4日という、狂った一日がようやく終わりを告げ、……そして10月5日という、もっともっと、最高に狂った一日の始まりを告げる音でもある。
その音が静まり、…………薄気味悪い笑い声が、どこからともなく聞こえてくる……。その声が、天より聞こえた気がして、……俺は空を見上げた。
……するとそこには、………、見たことのない女が。いいや、見たことがないわけじゃない。……今日、一度見ている。そう、屋敷の中での、肖像画で……。
服は違うが、……その顔は、あの肖像画の魔女にそっくり……。あぁ、白々しいぜ、俺はヤツが誰か、もうわかってる…!!
【戦人】「……て、……てめえがベアトリーチェかッ!!!」
【ベアト】「やっほおおぉおい、戦人ぁあああぁあああぁああぁ…!!」
2階のバルコニーから、……傘を差しながら身を乗り出し上機嫌に手を振っているのは、……紛れもなく、……肖像画の魔女、…ベアトリーチェ………!!
親玉は高みの見物で、俺は山羊の手下どもに嬲り殺しって寸法か…?! 俺は槍を構え直し、周囲の物陰や玄関の扉から、どどっと山羊どもが溢れ出して俺を取り囲むのを想像しながら、全方向に身構えた…。
【ベアト】「あっははッ、安心しろよ、ここには私とお前以外の誰もいねぇぜ? 山羊の家具どももいなければ、悪魔の執事もお師匠様も、我が親友の悪魔もいない。
そして、我が肉体の組成を手伝う黄金の蝶たちもいなければ、魔法陣もない、召喚者の立会いもないッ!! ……その意味が、そなたにわかるかなぁ?」
【戦人】「さっぱりだぜ。寝言言ってろ…。」
【ベアト】「そなたとは確かにこの世界でも何度か会えては来たのだ。まるですれ違うかのようにな。……知ってのとおり、このニンゲンどもの世界は、ただ貴様らが存在し、妾を疑うだけで、それは膨大な毒素となる。
まるで、そなたというキングに対して守りを固める堅牢な城壁のようよ! それを私は、何度もゲームを重ね、駒をひとつずつ進め、切り崩し、追い込み、じわじわとそなたの城壁を切り崩して行った。
そしてようやくわずかの隙間を開き、そこから妾はビショップを送り込み、そなたのすぐ近くに近付けるようになった。………しかし知っての通り、ビショップは死角ある駒だ。黒のビショップは、そなたが黒きマスに留まる限り絶大な影響力を発揮するが、そなたがひょいと白きマスに一歩逃れれば、妾はそなたの隣に隣接することは出来ても、接触することは叶わぬのだ。
だから妾は、そなたが白きマスに留まれぬよう、様々な駒を送り込み、そなたの隣の黒きマスを支配する妾の前に弾き出されるようにゲームを進めてきたのだ。
しかァし!! 今やそなたの城壁はぽっかりと穴を空け、妾はビショップではなく、とうとうクイーンを送り込むことが出来たッ!! クイーンがどういう駒か、知っているか?」
【戦人】「飛車+角だろ。……言いてぇことはこうかよ。…今やお前は、黒い魔女幻想のマスだけでなく、白い人間世界のマスにまで自由に侵食できるようになったと…!」
【ベアト】「その通りッ!! そなたは妾の眷属である黄金の蝶たちが存在するマスのことを、魔女幻想と呼び、観測者なき非現実と仮定して否定してきたのだろうォ…? くっくくくく、知っておるぞぉ……!!
だからこそ、妾はこうしてとうとう白きマスへ降臨したッ!! 安心しろよ、黄金の蝶も山羊たちも、悪魔も魔女もあとでいっぱい呼んでやるぜ! そなたが望むなら妾の黄金郷へ招待してやる!! そこで何でも願いを叶えてやろうぞ…!! わっはははははははははは…!!」
【戦人】「……どうやら、この島のチェス盤は、インク壷でもぶっかけちまったみたいだな。」
【ベアト】「なるほど、それも愉快な表現よ…! くっくくくく、すぐにそなたもそのインクに染まるぞ。やがては真っ黒に染まり、必ず黒きキングになる…! そなたは今や、インクの海に溺れる哀れな存在であるなぁ?」
【戦人】「いいや、違う。島がてめえのインク壷で、全て真っ黒に染まっちまったことは認めるが。……白いマスはまだ、残ってるぜ。」
【ベアト】「ほう、どこに…!!」
【戦人】「俺の、足の裏にだぜ。………お前の魔法のインクが島中を覆い尽くそうと、俺が踏みしめる足の裏までは覆えない。…一見、この島が真っ黒に染まろうと、俺は俺だ。白いマスを、こうして踏みしめて立っている!!」
不思議なもんだ…。さっきまではびくびくしていた。……だが、こうして目の前に堂々と現れてくれたお陰で、むしろ恐怖が薄れた。
面白いもんだ。幽霊ってヤツは、気配しかない内の方が恐ろしい。姿が見えて、ぶん殴れる横っ面があるってんなら、何も怖くはねぇ…!!
……しかし、あいつは決して、面白いヤツでもフレンドリーなヤツでもない。……きゃっきゃと笑い転げながら、指をひとつ鳴らすだけで、俺をすぐに殺してしまえるのだ。
指を鳴らすと、魔法が飛んでくるのか、部下が現れて俺を撃ち殺すのか、どちらの解釈でも関係ない。
……とにかく、ファンタジーであろうとミステリーであろうと、俺を指一つ鳴らせば殺せるポジションに、あのクイーンはいる……! …なるほどな、……それこそが、………白と黒の二つのマスに君臨したる、…この島の女王という意味なのか……?!
【ベアト】「さぁて。この雨の中、そなたが風邪を引くまで待つのも面白いが、そろそろ本題に入ろう。………そこに箱があるのがわかろう? そなたへのテストはその中に入っている。」
【戦人】「待ちな。……俺はもう今さら次期当主が誰かなんて下らねえゲームには興味ねえぜ。
俺のゲームは、クソジジイとお前と、……みんなを殺したヤツら全員にそれぞれジャイアンパンチをブチ込むことだ。顔面が陥没するアレな。」
【ベアト】「ほう。妾のこのバルコニーまで、空を飛び上がってくるというのか。それは良いそれは良い、くっくっく! ならばほら、早く来いよォ、ほらほら、パンパン!」
【戦人】「……絶対安全な場所にいやがるからって余裕ぶっこきやがって…。今からそこに行くぞ、首を洗って待ってやがれッ!!」
【ベアト】「あー、ダメダメ。鍵が掛かっているぞォ。もちろん窓も全て鎧戸を下ろしてある。そなたが単騎で切り込めるほど、妾の城はもろくはない!」
試しに玄関の扉を開こうとするが、……なるほど施錠されていた。周りを見ると、確かに窓に鎧戸が閉められている。……普段はあんなもの閉められていないはずだ。
【戦人】「……ち。用意周到なヤツだぜ。……鍵はどこだ?!」
郷田さんと熊沢さんがマスターキーを持っているだろうが、彼らは園芸倉庫という密室内。……今はお手上げだ…!
【戦人】「くそ……。……ヤツも馬鹿じゃねぇってか。」
【ベアト】「そんなに妾のすぐ隣に来たいのかぁ? いいぞ、そなたがテストに見事合格できたら、謁見を許そうではないか。合格ということはそなたこそが次期当主、そして妾の次なる主。……妾の肉体も魂も、どう扱おうとそなたの自由よ。妾は所詮は、右代宮家の家具なのだから! あっはっはっはっはっは!!」
【戦人】「…………どうやら。テストってヤツを、どうしてもやらせたいらしいな。……いいぜ。受けて立ってやらあ。…合格したら、最初のご褒美はてめえに顔面パンチだぜ。」
【ベアト】「それは怖い怖い…。だが暴力に支配されるのも嫌いではないぞぉ? 妾の頭をこう、鷲掴みにして! 苦痛に表情を歪めさせ、鷹がその爪で獲物を引き裂き、掻き毟るように妾を蹂躙してくれよ…!!
あぁ、若き日の金蔵を、もう一度思い出させておくれ…!! 妾にこの千年の生涯でただ一度! 支配され屈服し家具に落ちる悦びを教えてくれたあの日のことを思い出させてくれよぉおおおおおぉ!! うひゃーっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
【戦人】「……酔っ払いめ、埒が明かねぇ。」
馬鹿笑いする魔女を無視し、俺は小箱を拾い上げる。
【ベアト】「そうだ。それを開け。中に手紙がある。それを読むのだ。」
【戦人】「……………………。」
開く。……薄っすらと煙草の匂いが香る。どうやら本当に元はシガーケースらしい。しかし中には煙草も葉巻もない。
代わりに、片翼の鷲の紋章が描かれた洋形封筒が。さらにそれを開くと、……手紙が入っていた。
魔女を見上げる。ニヤニヤと見下ろしていた。……俺が、その内容にどういう反応を示すか、楽しみに待っているという風だ。
……クソ、上等だ。その内容は、こんな感じだった…。
以下に掲げる三つの内。二つを得るために、一つを生贄に捧げよ。一.自分の命 二.__の命 三.それ以外の全員の命 何れも選ばねば、上記の全てを失う。
【戦人】「………何だこりゃ。ずいぶんと物騒なことが書かれてるぞ。それより、二番目が空欄になってて、誰の命かわかりゃしねぇ。」
【ベアト】「うむ。その二番には、その者のもっとも愛する者の名が入る。朱志香のテストには嘉音の名が、譲治のテストには紗音の名が入った。……彼らについては、想い人がはっきりしていたから予め名前を記入してやれもしたが、そなたの想い人を、妾は知らぬ。だから誰の名を書けばいいやらわからず、空欄とさせてもらった。」
【戦人】「そいつぁ丁度いいや。愛してるぜ、ベアトリーチェ。お前の名前をここに突っ込んでやる。だから俺が選ぶ選択肢は二番だ。これでいいか?」
【ベアト】「おいおい、茶化すな茶化すな。なぁ頼むよ戦人。お前の想い人の名を妾に教えてくれよぉ。じゃないとテストにならぬではないか。」
【戦人】「悪ぃな。俺に特定の女はいねぇぜ。仮に居たって、誰がお前なんぞに話すもんか。」
【ベアト】「そういうことでは、このテストはそなたに成立せぬ。ふぅむ、残念残念。そなたの想い人がどのような女か、好みくらいは気になったのだがな! くっくくく!」
【戦人】「………俺が黒髪長髪のロリ貧乳がいいって言ったら、どうするよ。お前とはひとつも一致しねぇぜ?」
【ベアト】「嘘を吐け、このおっぱいソムリエがー! 金髪のボインボインがいいんだろぉ? 妾がまさに理想の体現ではないか、くっくっくっく!」
【戦人】「お前のバストを当てるのが次期当主のテストだってんなら、喜んで挑戦してやるぜ。」
【ベアト】「そうそう。次期当主のテストであったな。そなたと喋るのが楽しくて、ついついさっきから脱線してしまうわ。
………それでは次期当主のテストを始める。そなたに、右代宮家次期当主としての資格があるかどうかを問う。心して答えるが良い。」
さっきまで、酔っ払いのようにふざけていた魔女が、その威厳を取り戻す。……その姿はまさに、あの貫禄ある肖像画から抜け出してきたかのようだった…。
【ベアト】「………我こそは右代宮家顧問錬金術師、黄金の魔女にして無限の魔女、ベアトリーチェ。……右代宮家の家督と我が黄金の全てを継承する資格があるかどうか。それを妾が問う。………そなたの名を名乗るが良い。」
【戦人】「…………右代宮、戦人だ。」
先ほどまでの様子からは想像もつかないその貫禄に、俺は何の迷いもなく、返事をしてしまう。……それくらいに、……その姿はなるほど、……本当の意味で、この島の女王と名乗るに相応しかった。
【ベアト】「よろしい、右代宮戦人よ。………しかしそなたはその右代宮の名をこの6年、捨てたであろう…? それはなぜか…?」
【戦人】「………ん、…………。……クソ親父に愛想が尽きたからさ。」
【ベアト】「知っている。父親の再婚が、そなたの敬愛する母親の死を冒涜したように感じたからであろう…?
なるほど、新しき母はそなたと何の血の繋がりもない。そなたがその母を受け容れられぬ気持ちはわからでもない。……しかし、父親が誰と再婚しようとも、そなたとの血の繋がりは変わらぬのではないか?」
【戦人】「…………何が言いてぇ。」
【ベアト】「父親の再婚に反対するという、父親を独占したいがゆえのそなたの幼稚も、多少の理解はしよう。
しかし、それに反抗するために、右代宮の名を捨てるは、家と血に対する冒涜ではないのか。………そなたは右代宮に生まれ、育まれてきたのではないか。その恩を忘れ、右代宮の名を捨てる資格が、そなたにあったというのか。」
【戦人】「……お前には関係ねぇ。俺と親父の問題だ…!」
【ベアト】「右代宮の名はお前と父親だけのものではない。お前は知らぬ女に父親を奪われることを許せず反抗しただけの幼稚だ。……右代宮家の籍を捨て去ったこの6年間は、そなたが右代宮家に泥を塗りし短からぬ年月。その罪深きを知るがいい。」
【戦人】「………………幼稚で悪かったな…。」
【ベアト】「しかし。祖父母の死を境とは言え、よくぞ右代宮に籍を戻した。よって、その罪を自ら禊ぐ機会をそなたに与えよう。今こそそなたの、6年前の罪を贖う時。
さぁさ、思い出して御覧なさい、自らの罪を。それを思い出し、告白し、懺悔せよ。…………それこそが、妾がそなたに与えるテストである。」
……その時、大きな落雷が轟き、俺の頭を真っ白にした。
【戦人】「…………………………。……懺悔せよって、…何だよ。………謝れって言いたいのかよ。」
【ベアト】「………もうテストは始まっているぞ。そなたの好きに考えるが良い。」
魔女の表情に、難問を突きつけ嘲笑うような様子はない。……真剣に何かを問う、静かな気迫さえ感じられた。戦人は雨に打たれながらも、その眼差しから目を離せずにいる。
……魔女は傘を、捨てる。雨に打たれるのに任せる。
戦人が、その問いに答えるまでの間、雨に打たれているように。……彼女もまた、彼がその答えに至るまでの間、一緒に雨に打たれることを選んだのだ。それを、戦人はなぜか理解する。……しかし、でも、……わからない。
【戦人】「い、……いや、…まぁ。……それを言われりゃ、幼稚だったとは思うぜ…。何のかんの言ったって、親父に育ててもらった恩は、親父が再婚したからってチャラになるもんじゃねぇ。
……親父は、養育費は常に送り続けてくれたそうだし、……学校の行事にも参加したいと言っててくれたそうだ。………それを俺が、絶対に来させるなと祖父ちゃんたちに言ってたから、……来させなかっただけで……。」
【ベアト】「…………………………………。」
【戦人】「……た、確かにそりゃあ、……俺の幼稚な反抗だったと、バッサリ言われりゃそれまでだぜ。………でもよ、…ならよ。……お袋の、……右代宮明日夢の無念は、誰が晴らすんだ…?! お袋はあんなにも献身的に俺たち家族に尽くし、頑張ってくれたんだぜ…?!
なのに親父は霧江さんと浮気もしていた。縁寿を身篭らせてさえいた…! それで出産に合わせて、駆け込むかのように籍を入れたんだ。……それがお袋への裏切りでなくて何なんだよ?! お袋の、無念はッ! 誰が!! 晴らすんだよ?!
……だが、お前の言うとおりでもあるさ。浮気は事実でも、俺を育ててくれた恩は確かにあった。
なら、それを相殺して、俺が家を出て行くというので、充分問題ねぇじゃねえかよ!! そうさ、俺にはお袋の代わりに親父をブン殴る権利が、……いや、義務があったはずなんだぜッ?!
それを俺は許した! 何も言わずに出て行って、初めから俺なんていなかったことにしてやった!! 親父も俺のことなんか忘れて、霧江さんや縁寿と新しい家族を始めた! それで丸く収まってるじゃねえか!!」
でもそれから6年を経た。……時間は怒りを癒した。
霧江さんも、俺の怒りを理解していて、それでもなお交流しようと、心を砕いてくれた。縁寿は何も事情を知らず、俺のことを別居してはいるけど、本当の兄だと信じて慕ってくれた。
……親父はけろっとして、いつでも帰って来いなんて言ってやがる。
【戦人】「だんだん馬鹿らしくなってきたんだよ!! そろそろ俺も頭を冷やしてもいいかなって思ったんだ。だから俺は、親父が謝ったら全部水に流すと言ってやったんだ。祖父ちゃんの葬式の日に! そしたらあいつ、本当に畳に両手をついて詫びやがったよ…!! 信じらんねぇくらいに情けない格好だった…! あの格好つけた親父が、本気で頭を下げやがったんだぜ…?! ……それを見たら、何だかもう、馬鹿らしくなっちまった。
きっと、お袋もそう思っただろうぜ?! お袋は、俺と親父が喧嘩をするといつも笑いながら仲裁してくれて、何だそんな下らないことで喧嘩をしていたの?と笑ってくれた。……俺はお袋が、そう言って笑っているのを感じたんだよ…!!
だから、……許すとまでは言えなかったけど、………もう一度、ゼロから始めてもいいかなって思ったんだよ。それで、6年前に全てを巻き戻すことにした。………それで右代宮家に籍を戻したんだよ…!! 俺も6年間、泣き、怒り、悩みぬいた!
ひょっとするとそれは親父もそうだったろうし、死んだお袋もそうだったかもしれない。あるいは霧江さんや縁寿もそうだったかもしれない。……だからゼロに戻し、右代宮戦人に戻ったんだッ!!! それは俺たち家族の問題であって、……右代宮家とかそんなのは何も関係ねえッ!!
それを罪だと断じる資格はお前にないし、それをお前に懺悔する義務も俺にはないッ! もし、それを本当にすべき相手がいたとしたら、それはお前がもう全員殺したッ!! だから俺は何も謝らない! 懺悔しないッ!!! それが俺の、このテストへの答えだッ!!!」
【ベアト】「……………………………………。……それだけか…?」
【戦人】「何………? ………………。」
俺は、半ばヤツの挑発に完全に乗り、胸の内の、誰にも見せたくなかった部分を、全て吐き出してしまったはずだ。魔女も、それを期待していたはず。……なのに、魔女は淡白な表情をわずかほども変えることはない。
俺の、幼稚で愚かしく、情けない過去を、げらげらへらへらと、嘲笑うに違いないと思っていた。なのにそれどころか、まるで期待外れだとでも言うような、……そんな呆れさえ感じられた。
【戦人】「………それだけも何も、……俺は洗いざらいをブチまけたぜ? 何が不満なんだよ。」
【ベアト】「まだ、罪の清算が足りぬ。」
【戦人】「清算? ……何だよ、親父みたいに、ここに土下座して謝れってのかよ…?!」
【ベアト】「…………違う。お前たち家族の、お前の家での話になど興味はない。ここはどこだ? 六軒島だ。右代宮本家の本宅である。……この場所に相応しい、そなたの思い出すべき罪が、あるのではないか……?」
【戦人】「…………他に、……俺に罪が、あるってのかよ……。」
【ベアト】「……思い出せ、右代宮戦人。………そして、それを思い出せぬことがそなたの罪。だからこそ、許そう。それを思い出せたなら許そう。………それを思い出すことが、そなたへの、贖罪のテストである。」
【戦人】「………思い出せ、……って言われてもよぅ……。」
【ベアト】「…………思い出せ。……だからこそ罪なのだ。」
【戦人】「…悪ぃがベアト。……俺には身に覚えがさっぱりだ。
……何だか6年前の俺が、お前に迷惑を掛けたみたいな雰囲気だが、俺はお前とは今回の親族会議が初対面のはず。確かにお前の伝説は6年前の当時にも存在していたが、俺との面識は当時にはなかったはずだ。」
【ベアト】「……無論である。6年前の六軒島において妾はまだ顕現していない。」
【戦人】「なら、俺に何の罪があるってんだ。……俺に、……お前に対する罪が何かあるってのか…?」
【ベアト】「同じことを二度言わせるな。妾は6年前には顕現しておらぬ。そなたと面識など、あろうはずもない。そなたという世界において、存在しないも同じだ。」
……ベアトの冷めた目は、……何かの罪を追求しているように感じる。俺がした何かの仕打ちを未だに恨んでおり、それを責めているように、一見、感じられるのだ。
しかし、……俺には当然、何の心当たりもないし、それはベアト自身だって言ってる。6年前の俺たちには何の縁もない。俺の6年前に、ベアトリーチェなどという人物は存在しないのだ。
【戦人】「………ヒントくらい出せよ。……その罪とやらは、俺とお前に、……関係がある……?」
【ベアト】「妾は6年前にはそなたと縁がない。妾のことは、いい加減に考えから外せというのだ。……なぜ、妾への罪だと思うのか?」
【戦人】「………お前の、……目さ。」
【ベアト】「目…? …………ほぅ。」
【戦人】「お前の目がさ、……詫びろって、俺に囁いてくるんだよ。……だが、俺はお前なんか6年前に縁はねぇし、それはお前も認めたはずだ。
…………本当なのか? ……本当に俺とお前の問題ではないのか……?」
【ベアト】「………違うというのに。妾とそなたの問題などまったく関係ないわ。」
【戦人】「だがよ、……お前の目が、そうだと言ってるんだよ。…………だから俺にはさっぱりわからねぇ。
………赤で言えるか? お前が思い出せと言っている罪が、俺とお前の間のものではないと宣言できるか?」
【ベアト】「………………………。……よかろう。」
源次は礼拝堂にて真里亞を毒殺。真里亞については安らかな眠りを与えるように命令を受けているため、屋敷へ連れ帰る。玄関に呼ばれている戦人と鉢合わせしないよう、勝手口から食堂へ。