うみねこのなく頃に 全文解説

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EP5: End of the golden witch

オープニング

戦人の回想
【ベアト】「この馬鹿がッ!! 決まっておろうがッ!! 殺したらそなたが歪めるだろうその表情が楽しいからの他に何の理由が必要なのかッ!! くっひゃはははははははは!!」
【ベアト】「ほらほら、目を瞑らずにちゃんと見ろよォ。ほらほら、ほらほら! 魔法だよォ家具だよォ、そなたがどんなに妾や魔法の存在を否定しようとも、ほらほら、ほらほらほらほらァ!! ぎゃっはっはっはははァ!!」
【ベアト】「悪いなァ、戦人ァ。結構面白かったぜェ。しかしお師匠様の言う通りにしてみたんだが、本当に結構、いいとこまでイケたなぁ! 何でも、ツンツンと残虐を尽くした後に程よくヘタれてデレて見せると、好感度ってヤツが大幅アップするんだろー? くっきゃはっはっはっはっはァ!!」
黄金郷
 その寂しげな音色は、吹き抜ける荒涼とした風の音。薔薇の茂みに輝く花びらの色は、黄金。
 その黄金の薔薇園に舞い散る花びらのように、にぎやかに舞っていた黄金の蝶たちの群は、どこにも見ることが出来ない…。
 黄金郷の主は、黄金の魔女、ベアトリーチェ。彼女を例える言葉は、残虐非道。傍若無人。そして天真爛漫。
 笑えば笑うほどに品を失う彼女のあの笑い声を、…もう聞くことは出来ない。
 黄金の魔女ベアトリーチェは、黄金の薔薇園に負けない美しき装飾のデッキチェアに、人形のように座っている。
 ……くつろいでいるわけではない。
 その瞳は虚ろ。問い掛けども応えることはなく。さりとて眠ることを許されたわけでもなく。ベアトリーチェは、人形のように座っている……。
 その髪を解き、ワルギリアは櫛で丁寧に手入れをしていた。もし、髪型について、ああだこうだと彼女が文句を口にしてくれたなら、それは紛れもなく、いつものベアトであっただろう。
 ……しかし、彼女は何も応えず、何も反応しない。だからワルギリアはまるで、大きな人形の黄金の髪を梳いているようにしか見えない…。
 その傍らにはテーブル。
 卓上にはチェス盤と、入り混じり混戦する白と黒の駒たちが。しかしその駒はチェスのそれとはどこか趣きが違う。…チェスとよく似た別のゲームかもしれない。
 そして向かいには、……椅子に深々と腰掛け、次の一手を熟考する青年の姿が。
 …いや、次の一手ではないのかもしれない。時折、盤面の駒の配置を変え、局面を変えては再思考を繰り返す。過去の譜面を再現し、その指し手の思考を探っているのかもしれない。
 かつて。右代宮家の当主、金蔵は、チェスの譜面を知ることを、過去の名人たちの思考を探る旅と例えたことがある。
 右代宮戦人は、旅をしている。——この譜面を生み出し、この指し手を示した黄金の魔女の思考を探る旅に。
 戦人は一手進めたはずの黒い駒を、元の場所に戻して深く溜息を漏らす。
 戦人の駒は白だ。しかしそのチェス盤は、戦人側が黒の陣地となっていた。彼はベアト側のつもりで、譜面を再現しているのだ…。
【戦人】「……お前の指し手は、やればやるほどに、理解できねぇぜ。」
 戦人とて、…その問い掛けにベアトが応えるとは思っていない。いや、……それでもひょっとしたら応えてくれるかもしれないと思って、…独り言を装い、口にした。
 ベアトは、……その瞳に、何も映さない。そしてその口が、何を語ることもない。
 EP5からは一応解答編の扱いとなる。物語の出だしは、上機嫌だった頃のベアトの思い出。セリフはEP2とEP3より。
【ベアト】「…………………………………。」
 黄金の魔女は、……自らを殺してくれと懇願してから、…生きることを放棄した、屍なのだから。
 眠っているわけではない。……ゲームを降りられない彼女に眠りは許されない。
 だからきっと、耳には届いているはずなのだ。しかし、……彼女の心に言葉は、届いていないだろう。
 今や黄金の魔女は、戦人の指し手を嘲笑うこともなければ、褒めることも貶すこともない。ベアトリーチェは、……生きた人形に、…もはや過ぎない。
 それでも時折、虚ろではあっても、眼差しを向けてくれることはあった。時に何かの仕草らしきものを見せたり、唇を動かして見せたりもした。
 しかし、それによって戦人と何かの意思を疎通できることは、決してなかった……。
【戦人】「どうやったら、この局面でこの指し手になるわけだ? ……わけがわからねぇんだよ。お前の指し手はよ。」
【ベアト】「……………………………。」
【ワルギリア】「……ベアト。戦人くんが話し掛けていますよ…。」
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「…何とか言えよ。くすくすとか、げらげらとか。……いつもの黄色い笑いでいいから。」
 ……信じられるだろうか…? もうベアトから、あの黄色い笑い声を聞くことは、……ないのだ。
 しかし、応えることは出来なくても、きっと声は届いてる。……そう信じて、戦人は声を掛ける。だから、もう一度、同じことを口にする…。
【戦人】「どうやったら、この局面でこの指し手になるわけだ? わけがわからねぇぜ。お前の指し手はよ。」
【ワルギリア】「……………。……この子の考えることは、わけがわかりませんか。」
 ワルギリアが、弟子に代わって返事する。
 彼女は、極力、ベアトに代わって応えないようにしてきた。なぜなら、ベアトが何かの返事をするかもしれない、その機会を、自分が奪わないためだ。
 ……だから戦人は、ベアトが応えてくれるまで、……いつまでも沈黙に耐えねばならない。
 ワルギリアはもう、…そんな戦人を見る辛さに耐えかねたのだ…。そして戦人も、ワルギリアと会話することを望む。それらがベアトの心に届くと信じて……。
 人事不省のベアト。前回のラストで戦意を失いかけていたのは本当だったことがわかる。理由は、戦人が約束を覚えていないことが明らかになってしまったため。
【戦人】「あぁ。さっぱりだな。……ベアトの立場になって、こうして駒を動かせば動かすほどに、わからなくなる。」
 碑文に沿った連続殺人。それを勝利目標に、魔女側の立場から譜面を再現するのだが、……どうしてもベアトと同じ指し手にならない。
 明らかに勝利目標と相反する、理解できない指し手が、過去の譜面にいくつも散見できるのだ…。
【戦人】「……さっぱりわからねぇ。こいつの思考を探る旅路は、あまりに険し過ぎるぜ。」
【ベアト】「でも、あなたは投げ出さないのですね。」
【戦人】「あぁ。………約束した。」
妾を、殺して。……死なせて……。
【戦人】「俺はこいつを、安らかに死なせてやると約束した。……そしてそれは、俺にしか出来ない。」
 …ベアトの右の足首には、重く冷たい、鋼鉄の足枷が括られている。それは何かに縛り付けているわけではないから、彼女を拘束するものにはなっていない。
 しかしそれは、拘束を意味するもの。勝つか負けるかなくして、ゲームを降りることは出来ないという、拘束を、視覚化したものなのだ…。
 そして、その足枷は恐らく、彼女を苦しめているだろう。その無慈悲なまでに冷たい鋼鉄の枷は、彼女をまどろみの中の白昼で繰り返し何度も何度も、苛んでいる。
【ベアト】「………………………ふ……、……ぁ…。」
 だから、彼女の虚ろな表情に安堵が浮かぶことはない。時折、うなされるかのように瞼を震わせ、…あるいは辛い吐息を漏らす。
 俺が勝利しない限り、……ベアトは、安らかに眠ることが許されない呪いから、永遠に解放されないのだ…。
【ベアト】「…良いのですか。第5のゲームはもう、始まっているようですよ。」
【戦人】「……………。……興味ねえ。」
 ベアト以外と対局するゲームに、何の意味もあるものか。それならばこうして。過去の譜面を再現しながら、ベアトの思考を探る旅の方が、よほど有意義だ……。
魔女の喫煙室
 過去のゲームで戦人は、たびたび「チェス盤をひっくり返して考えたら、犯人がこんな行動をするはずがない」というようなことを言ってきた。
 例えばEP1で、園芸倉庫などに死体を隠したら使用人が疑われるに決まっているのだから、使用人が犯人ということはありえない、というような推理のこと。
【ラムダ】「次のゲームマスターは私がやるわ。異存ある? ないわよねぇ?」
【ベルン】「……異存だらけよ。ベアトは戦いを放棄して人事不省。ベアトの不戦敗でゲームオーバーでしょ…?」
【ラムダ】「確かに、ベアトは色々とあったんで、今はちょっぴりノックアウト気味。でも戦う気力を失ったわけじゃない。だからつまり、私は介助役ってわけ。わかるぅ?」
 ベアトはデッキチェアで、まるで眠っているかのように、横になっている。
 しかし、眠っているわけでもなく、……そして、起きているわけでもない。勝利を諦め、戦人に自らへの引導を頼み、全てを委ねただけの、生きた人形…。
 当然、いつまで待てども、次なる第5のゲームが用意されることはない。そんな中、ラムダデルタが、ベアトの後を引き継ぎ、ゲームマスターになり、次なるゲームを用意すると宣言したのだ。
【戦人】「ふざけるな。これは俺とベアトのゲームだぞ。お前ら、どこの誰か知らねぇが、勝手に話を進めるんじゃねぇ。」
【ラムダ】「あんたに意見は求めてないわー。どうすんの、ベルン。受けるの?受けないの?」
【ベルン】「……………………。……いいわ。あんたが引継ぎなさい。」
【戦人】「何だと、ふざけるなッ。お前ら、何者か知らねぇが、俺とベアトを無視して勝手に話を進めるんじゃねぇ!」
【ラムダ】「落ち着きなさいよ。確かに、プレイヤーが変われば指し手も変わる。あんたにとっては戸惑うことも多いかもしれないけど、それでも大きなヒントになりうるでしょう?」
【戦人】「知らねぇよ!! 勝手なこと言って仕切ってんじゃねぇ!!」
【ベルン】「………ベアトのゲームを4つも繰り返して、何もわからないんでしょ? なら、プレイヤーが変わるのは大きなヒントになると思うけれど。」
【戦人】「大きなお世話だ! これはベアトが用意し俺を対戦相手に指定した、俺たちのゲームだッ。どこから湧いてきたのかも知れない、お前らに掻き回されるのは御免だ!」
【ベルン】「………なら、ベアトを起こして、次の準備をさせて。出来る…?」
【戦人】「ベ、…ベアトはしばらく起きねぇよ。それに新しいゲームなんて必要ねぇ。あいつがこれまでに出題してきた4つのゲームの譜面だけで充分だ!」
【戦人】「仮に第5のゲームがあるとしても、それはベアトが出題し、俺に挑むものだけで充分だ。お前らには何の関係もない!」
 後から現れ、勝手に話を進めようとする、ラムダデルタとベルンカステルと名乗る2人の魔女に、戦人は苛つきを隠せずにいた…。
 なんでも、ベアトよりさらに高位の魔女たちだそうで、ベアトの師匠のワルギリアであっても、到底及ばないほどに位が高いらしい。
 戦人は、これまでにも何度か、彼女らの姿を見てきた気はしていた。しかし、こうして名前を知り、直接会話を交わすのはこれが初めてだった。
【ラムダ】「ベアトを起こせず、あんたに次のゲームを準備も出来ない。だから私が次のゲームを用意するわけ!」
【ラムダ】「私たちはね、いつ正気を取り戻すかもわからないベアトにいつまでも付き合ってられるほど、気が長くないの。ね、ベルン?」
【ベルン】「……………退屈は御免なの。苛々するほどに。」
【戦人】「お前が退屈がろうが、俺たちは知ったことじゃねぇっ。」
【ラムダ】「まぁまぁ。このパーフェクトなラムダデルタさまに任せなさい? 私がゲームマスターを引き継ぐ。ダイジョウブよ、あまり“絶対完璧”にはプレイしないわよ。ベアトっぽく、わけのわかんないフェイクや尻尾、ボーナスヒントをいっぱい用意してあげる。ベアトの世界をより理解するための、大きなヒントにしてあげるわよぅ?」
 声なく感情を爆発させ、…俺はテーブルを激しく叩く。
 2人の魔女はまるで怯まない。……1人はにやにやと。1人は何事もないかのように淡白に。ただ、2人そろって無言で俺を見ている。…まるで詰るように。
【ラムダ】「何? 不満? あんたは私による第5のゲームを降りるっての? それって不戦敗〜?」
【ベルン】「………戦人は降りないわよ。もちろん第5のゲームにも参加するわ。」
【ラムダ】「勝手に決めるんじゃねぇ!! お前らに俺は付き合わない。知ったことじゃない!」
【ラムダ】「ふーん…。……ならやっぱり、不戦敗ってことよねぇ…? このゲームは魔女側の勝ち。ニンゲンは屈服ってことでお開きでいいかしらぁ…?」
【ベルン】「………降りるなら不戦敗でゲーム終了だけど、いいの? ………たった一人残された妹が、無限の世界の全てで辿る、不幸な境遇を確定させたいのなら、それも選択よ。」
 ベルンカステルが口にした縁寿の名に、………戦人の形相が瞬時に変わる。
【戦人】「て、……てめえ、縁寿のことを、気安く口にするんじゃねぇ……。」
【ベルン】「………あなたにこの私、奇跡の魔女ベルンカステルが味方しているからこそ。…縁寿にはひょっとしたら家族が帰ってくるかもしれない“奇跡”の余地が残されてるのよ。あなたが自らそれを捨てて、縁寿の無限の未来全てを不幸なものに確定するのもまた、私には一興だけれども。」
 彼女が何を言っているのか、薄っすらと理解している。俺は、ベアトのゲームに勝利しない限り、このおかしな世界に取り込まれたままなのだ。
 そして、その勝利を放棄したなら、……俺や親たちが縁寿のところへ帰ることは、絶対にない。縁寿のためにも、…俺は魔女たちに弄ばれていることを承知で、俺は戦い続けなくてはならない…。
【戦人】「ぐ、…く、………くそ……。」
【ベルン】「………なぁに? その不満そうな顔。自分の妹をグズグズの挽き肉にされた怒り、もう忘れちゃったの……? プチプチぶちぶち、無数の焼けたペンチで引き千切って細切れにしていくあの光景。今度はちゃんと、真正面で見ないとダメ……?」
 ベルンカステルは、右手の手の平を上に向ける。…するとそこに青白い光が集まり、……青く光る何かの結晶が現れる。
 ……その鋭利な表面には景色が映っているのだが、…それは自分たちが今いるこの景色ではない。
 その結晶を、……カケラを、じっと食い入るように見つめたなら、そこに何が映っているのか、知ることが出来ただろう。
 じっと見つめたなら、縁寿が………最愛の兄に12年の歳月を経て、全てを捧げてようやく辿り着き、……生きながらにして全身を引き千切られて死にゆく、その断末魔の光景が、きっと。
【戦人】「き、……貴…様…………ッ、」
 思わず、その胸倉に掴みかかるが、彼女の姿をしていたものに触れた途端、それは波間に消える泡のように掻き消えてしまう。
 そして、まるで、最初からそこにいたかのようにさも当然に、ベルンカステルは離れた壁際に寄り掛かっていた。
【ベルン】「………あなたがゲームを降りるなら。これはカケラでなく、確定した現実になる。その未来を紡ぐのは私じゃないわ。あなた自身よ。……あなたが決めなさい? 最愛の妹の未来を、どうしたいのかを。」
 戦人は怒りに両拳を震わせるが、……どうせ振り下ろしたところで、ベルンカステルを捉えることなど出来ない。望まぬ相手には、撫でることさえ許さない、猫か幻のような魔女なのだから。
 それに、…彼女の言うことは真実なのだ。縁寿のためにも、俺には戦いを降りることなど出来ない。この不愉快なる魔女たちにゲーム盤を乗っ取られようとも。
【ラムダ】「うっふふふふ。さぁすがベルン〜。脅し方もエグいわねぇ。…そういうことよ戦人ぁ。あんたにはゲームを降りることなんて許されてないの。あんたもベアトも、私たちの退屈を紛らわせるゲーム盤の駒でしかない。…あんたのそのわけのわかんない怒りや苛つきさえも、私たちには退屈を紛らわす最高のお菓子。」
【ラムダ】「まー、その程度の怒りじゃ駄菓子程度だけどねー。」
【ベルン】「………30円で2枚入ってる、カレー味のポテト煎餅程度ね。」
【ベルン・ラムダ】「「くすくすくすくす、あっはははははははは…!!」」
【戦人】「ま、魔女ども……め……。」
【ベルン】「………くすくす。縁寿のためにも、戦いなさい? そして、ベアトのためにも、でしょ…?」
 ベルンカステルは諭すように、…あるいは甘やかすように。……そしてくど過ぎる甘さが時に頭痛さえ誘うように、戦人を苦しめて微笑む。
 この茶会のホストであるベアトが不在の今。……もはや客人の魔女たちは、何の遠慮もないのだ。
【ラムダ】「…どーすんの、右代宮戦人ぁ? 運命に屈しちゃうぅ…?」
【戦人】「……………………。」
【ラムダ】「降りちゃいなさいよ。魔女の駒にして遊ばれるなんて、もう御免なんでしょ? うっふふふふ、ベルンの駒は辛いわよ。きっとあんたも、縁寿みたいに使い捨てにされるわよ。くっふふふふふふふ!」
【ベルン】「あなたに降りる選択肢は与えてない。……妹の未来のために戦い続けるの。私は味方よ。その未来に辿り着けるよう、あなたが勝利するまでサポートするわ。私が退屈するまで、永遠に。……くすくすくす。」
 この挑発と甘言に、……乗せられては駄目だ……。自分が怒りに弱いことを知っていて、2人の魔女はそこを刺激してきているのだ…。
 …戦人はそれに耐え、……ようやく握り締めていた両拳を開く。
【戦人】「………第5のゲームとやらが始めたいなら、…勝手にやればいい。好きにしろ。」
【ラムダ】「えぇ、好きにするわよ。……あれれ、どこ行くのよ〜。」
 戦人は第5のゲームを認めたにもかかわらず、背を向けたので、ラムダデルタはちょっぴり驚く。
【戦人】「お前がベアトの代役を務めるってんなら。……そこの、ベルンカステルとかいう魔女が俺の代役を務めるのも勝手だろ。」
【ベルン】「…………道理ね。そうじゃないと不戦敗になってしまう。」
【ラムダ】「何よそれぇ! 私が作る渾身のエピソード5を、あんた無視するっての?! 失礼しちゃう失礼しちゃう!」
【ベルン】「……戦人はしばらく休憩するそうよ。それまでの間、私がプレイヤーの代役を務める。それでどう…? 戦人…?」
【戦人】「………そうしやがれ。」
【ラムダ】「…………………。」
【ベルン】「……なぁに、ラムダ。マヌケな戦人じゃなくて、私がプレイヤーだと遊んでくれないの…?」
【ラムダ】「うっふふふふ!! そんなわけないわぁ♪ ベルンと一緒に遊べて嬉しいわよ〜! さぁさ、遊びましょ遊びましょ! ラムダデルタさまの、超ハイパーでキュートに可愛いエピソード5を一緒に遊びましょうよ〜!」
【ベルン】「………一応、ベアトの作った世界なのよ。世界観ブチ壊しにしてないでしょうね…?」
【ラムダ】「大丈夫だってば。私、そういうのの空気は読める方なのよー。ちゃんとベアトっぽい世界観で、もっと面白い物語に仕上げて見せたわ。」
【ラムダ】「戦人も休憩終わったら、早く戻ってくるのよ? 見逃すと勿体無いわよ。ベアトの秘密に迫れるようなボーナスヒントを、たっぷり用意してるんだから〜♪」
【ラムダ】「と、見せ掛けてミスリード満載で、まっすますに煙に巻く気なんだけどね〜。ちょっと、コラぁ戦人ぁ! 魔女の話聞いてんのー?!」
 戦人は応えず、暗闇に姿を消す。魔女たちは肩を竦めて、けらけらと笑った後、ベアトから奪ったゲーム盤を、さっそく遊び始めるのだった……。
黄金郷
【戦人】「あの魔女どもに、ベアトのゲームは理解できるのか。」
【ワルギリア】「…同じゲーム盤を使う以上、この子に出来ないことは出来ません。……しかし、この子がやらないことはやれます。」
【戦人】「…………………。…やらないこととは何だ。」
【ワルギリア】「チェスの道具はチェスで遊ぶために存在します。それを使ってトランプをすることは“出来ない”。しかし、チェスの駒を相手に投げ付けてぶつけたり、チェス盤に落書きしてみたり。そういう行為をすることも不可能ではありません。しかしそれは、チェスに対する冒涜だから、誰も“やらない”。」
【ベアト】「…………………………。」
 それはもう、……断じてチェスではない。ベアトが、ほんのわずかだけ、悲しみに瞳を曇らせたように見えた。
【戦人】「………ふざけやがって。………これは、俺とベアトのゲームだ。…他の誰にも、冒涜はさせない。」
 その時、黄金の蝶たちが群れて、紅茶の道具を持ったロノウェが姿を現す。
【ロノウェ】「紅茶のお代わりはいかがですか?」
【戦人】「………もらえるか。」
【ロノウェ】「かしこまりました。……いかがですか。お嬢様の思考を探る旅は。」
【戦人】「さっぱりだが、楽しんでるぜ。」
【ロノウェ】「しかし、……よろしいのですか? こちらで寛がれていても。」
【戦人】「……あの魔女どもが勝手に進めてるゲームのことか。」
【ロノウェ】「えぇ。先ほど、紅茶をお届けにうかがった時には、もう第一の晩の殺人が起こり、もうじきその次の殺人も起こりそうな気配でした。」
 俺とベアトがゲームをしている時は、……相手が中座した時にはゲームを停止したものだ。……しかし、あの魔女どもは、俺がいなくてもゲームを停止したりはしない…。
【戦人】「……………ロノウェは、ヤツらのゲームを見たのか。」
【ロノウェ】「一部ではございますが。」
【戦人】「どうだった。」
 ロノウェは、ポットを優雅な仕草で高々と掲げながら紅茶を注ぐ。それを終えてから、ようやく一言。短く感想を教えてくれた。
 ラムダはベアトの後見人なので、ゲームの裏側を全て知っている。したがってゲームマスターを務めることも可能。
 ベアトが完全に戦意を失った場合、ゲーム盤は消え去る運命であり、ラムダはそれを阻止しようとしている。
【ロノウェ】「愛が、ありませんな。」
【戦人】「……愛って何だ。」
【ロノウェ】「これは失礼。女性風に申し上げると、です。……男性風に申し上げるならば、……義理が通らぬと申しましょうか。」
 俺はその言葉が意味するところを、理解する。そしてワルギリアに目を合わせると、彼女は小さく首を横に振って俯いた…。
【ロノウェ】「………上辺は、大変良くお嬢様のゲームに似せていると思います。しかし、根本が大きく異なっています。」
【戦人】「それはベアトのゲームのルールに反することなのか。」
【ロノウェ】「いいえ、反しません。ラムダデルタさまはお嬢様のゲームのルールを、実によく理解なされております。……しかし。」
【ワルギリア】「……………………。」
 戦人は立ち上がる。それ以上をロノウェに言わせる必要はなかった。
【ワルギリア】「戦人くん……。」
【戦人】「……ロノウェ、すまね。せっかく淹れてもらったけど、紅茶はいらねぇぜ。」
【ロノウェ】「やはり、参られますか。」
【戦人】「あぁ。……俺たちのゲームに、部外者はいらない。」
 …もともと、あんな連中はいなかったんだ。俺がぐだぐだとしていたから、だんだんおかしな魔女たちが介入してくるようになって、……俺とベアトのゲームを乗っ取ってしまったのだ。
【戦人】「取り返さねぇとな。……ベアトのゲーム盤は、今は俺が預かってるはずなんだ。…その俺が、ここでぼんやりしているわけにはいかない。」
【ワルギリア】「……ありがとう。その言葉を、この子に聞かせてやりたかった。」
【ロノウェ】「きっと聞こえていますよ。……お嬢様は、それにお返事することが出来ないだけです。」
 濁った瞳を薄く開け、生きた人形のように静かに横たわるベアト…。自身が築き上げたゲーム盤が、わけのわからない連中に乗っ取られ、めちゃくちゃにされようとしている…。
 俺が対戦相手に指名されたのなら。このゲームは、俺のためにベアトが設けたということ。俺が、……取り返さなくては。
【戦人】「……待ってろ。俺が取り返してくる。」
【ベアト】「………………………………。」
 もちろん、ベアトは何も応えない。……そうだな。応えられないなら、…俺が代わって守らなければ。
【戦人】「行ってくるぜ。……ワルギリア、ロノウェ。…黄金の眠り姫の面倒を頼むぜ。」
【ロノウェ】「はい。お任せを。」
【ワルギリア】「……行ってらっしゃい、戦人くん。そしてどうか。……この子のいないゲームにて、この子の何かを見つけてあげて下さい。もしそれを見つけることが出来たなら、……例えこの子が不在であっても、あなたはこの子と、戦ってくれたことになる。」
【戦人】「………そうだよな。…あぁ。……全然駄目だぜ。俺は何をやってるんだ。」
 行こう。…そして取り返そう。
【戦人】「魔女ども、待たせたなッ!! 俺の休憩は終わりだぜ!!」
 漆黒の天に向かってそう叫ぶと、世界がまるで薄いガラスで出来ているかのように、全てが砕け散った。
魔女の喫煙室
 そして、……そこは最初からそうであったかのように、………あの、ベアトと何度も戦いを繰り広げ、…今や2人の魔女に乗っ取られた喫煙室に変わる。
【ラムダ】「なぁに、あんた。今頃戻ってきたのぉ? 超遅すぎ! もうゲームは二日目どころか大詰めも大詰めよ〜?!」
【ベルン】「………戦人がいつまでも来ないから、私が勝手に進めちゃったわ。」
 もともと、俺のことなんか待ってもなかったくせに、よく言いやがる…。
【ラムダ】「ベルンはあんたより、ずーっと頭が冴えてて、痛快だったわよ。ねー?!」
【戦人】「うるせぇ。プレイヤーは俺だ。代役の魔女どもは引っ込んでろ。」
【ベルン】「………別に、今から参加しても構わないけど、もう出番ないわよ多分。」
【ラムダ】「確かに。だってもう、クライマックスもクライマックス。これで多分、ベルンが詰めてゲームセットだもの。」
【戦人】「何だと………?!」
【ベルン】「…………いいんじゃない? 最後の詰めくらい見物しても。」
【ラムダ】「そうね。おいでなさい、右代宮戦人。もうほとんどおしまいだけど、私の作ったキュートでエレガントなゲーム!
 エピソード5、End of the golden witch!
客間
 この島には今、この客間にいる人間しか存在しない。そして、1人を除いて、全員が殺人を犯していないことが示された。そして、この中に、犯人がいる。
【留弗夫】「……おいおい。…となると、…決定的じゃねぇか…。」
【霧江】「魔女が犯人で、魔法で殺人を犯したわけでない限り、ね…。」
【絵羽】「…………あんたなのッ?! あんたが譲治を、主人を殺したの?! どうしてよッ!! どうしてぇえええええぇええッ!!」
【夏妃】「わ、…私は殺していませんッ…! わ、私は、な、何も…!!」
【戦人】「…………………………。」
 狼狽した夏妃伯母さんは、とても流暢とは言えない口調で、……冷酷に言えば、無様に、自らの嫌疑を否定する…。
 しかし、……もう、外堀は全て、埋まっているのだ。彼女は立ち上がり、…長い髪をなびかせながら、夏妃伯母さんを指差して、もう一度言った。
【ヱリカ】「……あなたが犯人です。右代宮夏妃さん。」
 全ゲームの中で、EP5のみ、紗音や嘉音の恋愛描写が一切存在しない。おそらくラムダは恋愛の設定自体を消していて、そのため事件の動機から異なっている。
 また、EP5は、戦人が犯人に協力しているという筋書き。ベアトのゲームは本来戦人に解かせるための出題のはず、という意味でも「根本が大きく異なる」。

奇跡の魔法

金蔵の書斎
【夏妃】「夏妃です、開けて下さい…!!」
 荒々しくノックを繰り返しながら夏妃が叫ぶ。
 すぐに、ゴトリゴトリと重い音がして、金蔵の書斎の扉の鍵が開く音がした。
 扉を開くと、ぶわっと強く甘い、毒の臭いが溢れ出して来る。それに顔をしかめるのは、当主様に失礼といつも思いつつも、条件反射的にそうしてしまうことに、夏妃はいつも自己嫌悪していた…。
 書斎の中で蔵臼が迎える。夏妃はその胸に飛び込んだ。
【夏妃】「……お、お父様は…、……お父様は………。」
【蔵臼】「落ち着きたまえ。……今、南條先生が診ている…。」
 おぼつかない足取りの夏妃は、蔵臼に支えられながら書斎の奥へ向かう。
 そこには右代宮家当主に相応しい貫禄あるベッドがあり、南條と源次、熊沢の姿もあった…。
【夏妃】「南條先生…。お、…お父様は……。」
 南條は深いため息を吐き出してから、ベッドの傍らを空けた。
 ベッドには、横になって眠る金蔵の姿があった……。
【南條】「………大往生だ。…金蔵さんも心残りはなかっただろう。」
【夏妃】「ぅ、…ぅわあああぁああああぁあぁぁぁぁ…。お父様…、お父様ぁあぁぁぁぁぁ…!!」
 …夏妃は、二度と目覚めぬ眠りに就いた金蔵の胸に突っ伏し、号泣した。
【熊沢】「お、……奥様、…どうかしっかり…。」
【夏妃】「お父様、お父様……!! こんな、…突然なんて……。ううぅうううぅぅううぅぅぅ!!」
【源次】「……………………。」
 もうひとりの父として慕った金蔵の死に、夏妃の涙は止まらない。熊沢はその背中をさすりながら、夏妃を慰めるのだった……。
 蔵臼は、亡き父が愛用した椅子にどっかりと腰を下ろしている。
 そこに座ることによって、亡き父の思い出に浸っているのかもしれない。あるいは、ついに理解できなかった晩年の狂気の一端を、そこに座ることで理解できると思ったのだろうか…。
 南條もまた、かつて金蔵がその席に座り、チェスの一手を熟考していた時のように。背を向けながら、カーテンの隙間より、外を見下ろしているのだった…。
【蔵臼】「…同じ死ぬなら、せめて寝込んで一年後に死亡とか。もう少し、然るべき準備の猶予期間を設けてから死んで欲しかったがね。」
【南條】「それは逆だ。……最期の瞬間までお元気だったことを、喜ぶべきです。」
【蔵臼】「建前上はそうなるがね…。」
 それは南條もわかっている。
 戦後の財界に、彗星の如く現れ、超新星の如き輝きを見せた、右代宮金蔵が死んだのだ。
 その葬儀は大規模なものとなるだろう。そして同時にそれは、蔵臼の当主継承式にもなる。
 喪主として万事を取り計らい、葬式外交を完全にこなして、右代宮家が依然、政財界に大きな影響力を持つことをアピールしなくてはならない。金蔵が右代宮家の当主に突然抜擢され、右往左往していた頃のことを覚えている南條は、蔵臼のその姿に金蔵の当時を懐かしむ。
 だからこそ、蔵臼の苦悩にも理解が及び、同情できるのだった…。
 夏妃の泣き声が、ようやく静かなものになる。それを見届け、女同士の熊沢に夏妃を任し、源次は戻ってきた。そして、如何致しますかと問い掛けるように、小さく頭を下げた。
【南條】「……手続き等は私と源次さんでやろう。蔵臼さんは、まずは親戚の方々に連絡した方がいいでしょうな。」
【蔵臼】「………………………。」
 蔵臼は目を覆ったまま、応えない…。いつか来る日とは思っていても、突然に訪れた今日に、やはり蔵臼もショックを隠せないのか。
【源次】「……私と南條先生にお任せを。旦那様は、まずは奥様とご相談いただくのが良いかと思います。」
 それが聞こえたのか、あるいは偶然か。それに応えるように、夏妃がやって来る。泣き腫らして目許は真っ赤だったが、自分たちに課せられた大きな責任を、蔵臼以上に理解しているようだった。
【夏妃】「これからはあなたが、栄光ある右代宮家の当主です。お父様の後を立派に継いだことを、内外に示しましょう。……この夏妃、あなたの妻として、棺を並べる日までお仕えする覚悟です。」
【蔵臼】「……………………。」
 ショックから立ち直れない夫を励まそうと、夏妃は力強い言葉を掛ける。蔵臼はようやく顔を覆った手を下ろすと、…何とも言えない曖昧な笑みを浮かべて天井を見上げ、深い深いため息を吐き出した…。
【夏妃】「……どうかしっかり。お父様の残したものを食い荒らそうと目論む輩が大勢いるのですよ。私たちはお父様の名誉と財産を守るために、戦わなければなりません。それが右代宮家当主の最初の仕事ですよ。」
【蔵臼】「…わかってる。わかっているとも。」
【夏妃】「南條先生と源次は、お役所や葬儀業者への手配をお願いします。特に源次。お父様の葬儀に相応しいものとなるよう、特に手配を頼みますよ。」
【源次】「……かしこまりました。」
【夏妃】「それから南條先生。お父様は病院でお亡くなりになったわけではないので、……その…。」
【南條】「うむ。場合によっては、解剖が入るかもしれませんな……。」
【夏妃】「何とかなりませんか…。亡くなったとはいえ、お父様の大切なお体です。傷を付けるなど、耐えられることではありません…。」
【南條】「気持ちはわかる。…だが、そういうところをきっちりすることも大切だ。それに、その、……こう言っては何だが。難しい親族の方々が多いんじゃないかね…?」
 ……遺産を狙うハゲタカどもは、何に難癖を付けてくるかわかったものじゃない。死因に不審な点があるなどと騒ぎ、それを争点にトラブルを吹っ掛けてくるかもしれない。
 今は金蔵の亡骸への敬意だけでなく、新しき当主である蔵臼の足元を固めることも念頭に置かねばならないのだ…。
【夏妃】「……わかりました。必要最小限にお願いします。間違っても、お父様の威厳が損なわれるようなお姿にしないように。」
【南條】「それは大丈夫だ。安心しなさい。……とにかく、金蔵さんのことはわしらに任せて、夏妃さんは蔵臼さんの側にいてあげなさい。…これからが大変なんだから。」
【夏妃】「わかっています。……あなたも、どうかしっかり。」
【蔵臼】「………………………。」
 蔵臼は、呆けた表情で、まだぼんやりと天井を見上げている…。ショックと重責はわかる。夏妃も、夫の胸中を最大限、理解した。
【夏妃】「……親族への連絡は私がします。今だけは休まれて下さい。」
【蔵臼】「………………。」
 蔵臼は応えない。…ほんの少しだけ頼りなく思ったが、だからこそ、今は自分が支えなくては。むしろ、夫のその様子に夏妃は奮い立ち、毅然とした表情となった。
【夏妃】「これから忙しくなります。今できることを始めましょう。………夫は、きっとお父様と二人きりで話したいこともあると思います。私たちは一度、ここを退出しましょう。」
【熊沢】「……そうでございますね…。その時間はきっと、今しか取れないでしょうから。」
 喪主は激務だ。涙を流す暇などない。もし蔵臼に、亡き父への涙を流す時間が与えられるとしたら、それは今だけなのだ。
 熊沢の言葉に、一同も納得する。天井をぼんやり見上げたままの蔵臼は、それでもまだ何も応えない。夏妃は、さぁ行きましょうと使用人たちを促す。
【夏妃】「私は朱志香にも話してきます。……今やあの子が次期当主です。それに相応しい自覚を持つようによく言い聞かせなくては。」
【蔵臼】「待て。」
 ぞろぞろと書斎を後にしようとする彼らに、蔵臼がようやく言葉を放つ。
 夏妃たちは足を止めた。
【夏妃】「はい。」
【蔵臼】「……待て。」
【夏妃】「………はい?」
 夫が望んだ通り、足を止めたはず。なのに待てという言葉をもう一度繰り返した。少し弱いその言葉に夏妃は、きっと側に居て欲しくて呼び止めたのだろうと理解する。
【夏妃】「お前たちは下へ。私は夫といます。何かあったらここに電話するように。」
【源次】「……かしこまりました。」
【蔵臼】「だから待てと言っているッ!!」
 突然張り上げた蔵臼のその声に、一同はびくっとして振り返る…。自分の何が夫の逆鱗に触れたのか理解できず、夏妃は駆け寄った。
【夏妃】「どうしました、あなた…。私は何か失礼なことを口にしてしまいましたか…? だったらお許しを。」
【蔵臼】「いや違う、そうじゃないそうじゃない…。少し待て、時間をくれ。」
【夏妃】「えぇ、わかっています。心を整理するためにも必要です。…私たちはその時間をあなたにあげようと、ここから静かに出て行くだけですよ…?」
【蔵臼】「だからそれを待てというのだ……。……いいか、誰もその場から動くな。一歩たりともだ…。……疲れたなら椅子にでもソファーにでも好きに座ればいい。だから何もしゃべらずに静かに黙って、何もせずにいろッ!」
 ……その滅茶苦茶な言葉に、在りし日の金蔵の片鱗を感じる。まるで金蔵が憑依したかのようなその言葉に、夏妃はわずかの驚きを隠せない。
 夏妃は、とりあえず待つように使用人たちに伝える。少し離れたソファーで待つように指示し、夫に身を寄せ、小声で話しかけた…。
【夏妃】「……あなたがお命じになれば、夏妃はいくらでも待ちます。留まります。ですからどうか、お気を鎮められて下さい…。」
【蔵臼】「…違う、……そうではないのだそうではないのだ…。」
 やはり血なのか、本当に憑依なのか。何かに混乱するような蔵臼の話し方は、本当に金蔵によく似ていた…。それを見て夏妃は、やはり蔵臼は金蔵の息子なのであり、他の誰よりも最も相応しい、真の次期当主だったのだと確信する。
【蔵臼】「………夏妃。こっちへ。」
 蔵臼は立ち上がり、ソファーで待つ使用人たちから、わずかでも遠ざかるように、窓際へ行く。何か秘密の相談があるに違いないと直感する。
【夏妃】「…はい、あなた。……何事ですか…?」
【蔵臼】「…………親父に死なれては、…まずいのだ。」
【夏妃】「しかし、もうお亡くなりになりました。そういうわけには参りません。」
【蔵臼】「そうじゃない。…今は、まずいんだ…。」
【夏妃】「……どういうことですか。」
【蔵臼】「親父の財産を担保にしている。相続問題になれば隠し果せないっ。」
【夏妃】「は、…はぁ…? た、担保ですか。如何ほど…?」
【蔵臼】「…メロディーランドの時、近藤くんを応援したことがあっただろう?」
【夏妃】「あの方とは縁を切れと申し上げたじゃありませんかッ。私には断ったと言ったはず…! どうして?!」
【蔵臼】「男の義理というものがあるッ! 断れなかった!」
 蔵臼は、義理を大事にしたいという美徳を掲げていた。…しかしそれは、断りきれない話を渋々承諾した際の言い訳にもっとも使われることを、夏妃は知っていた。
【夏妃】「お、お金に余裕があるならいざ知れず…! この島のリゾート計画でかなりの借金をされたのではありませんでしたか?!」
【蔵臼】「あぁ、したさ! 方々で恩人に世話になったのだ! それらを返済する為にも座しているわけにはいかない! 返済するためにはカネがいる! カネを生むためにはカネがいる! カネがなければ始まらない! この島の計画だって、企画会社がおかしなことにならなければ順調だったのだ!」
【蔵臼】「都の役人とも連携は取れていた。東京都の新しい観光スポットになると知事の太鼓判ももらえていたッ! 私の根回しは完璧だったのだ!! たまたま巡り合わせとタイミングが悪かった! ちょっとした運のすれ違い。事故みたいなものだった!!」
【夏妃】「あれは事故なんかではありませんッ! 詐欺です! あなたは騙されたのです!! 始めから彼らは、この島のリゾート計画など描けていなかったのです!!」
【蔵臼】「そんなことはないぞッ!! 土方くんのビジョンは先見性に溢れていた! 世界と未来に目を向けた広大な視野は、私が夢だと信じていたものなど、猫の額ほどの広さしかないことを教えてくれた!! 夢が広がる! 世界に未来に! 夏妃も一緒に聞いていただろう?!」
【夏妃】「えぇ、聞いていました…! そしてお帰りになられた後に申し上げたはずです!! あの方は胡散臭い、語るのは未来ばかりで地に足がついていないッ、これ以上、お付き合いしてはならないとッ!!」
【蔵臼】「土方くんは立派な好青年だ!! 彼の生き様からは学ぶことも多いぞ! 彼は若いが尊敬できる! 彼のことを侮辱することは許さんぞッ?!」
【夏妃】「あなたは同じことを月旅行の時にも仰いました!! 先見性がある、未来がある夢があると連呼され、その挙句はいかがでしたか?! 荒唐無稽な話だったと、あなた自らがお認めになったではありませんか!! 私はあの、NASAの高官とか名乗るおかしな男が現われた頃から、これは絶対におかしいと確信しておりましたッ!」
【蔵臼】「あれは、あの外人が国際的な詐欺師だったに過ぎない! あの件については、私も曽根崎氏も被害者だ。彼の先見性は今をもって間違っていない! 将来必ず、世界の大富豪が宇宙旅行をたしなむ時代が訪れる。そしてその最初の事業は民間一社によって独占されるだろう。着眼点は間違っていない! それを利用して世界中の投資家を騙している国際的な詐欺集団がいてッ、」
【夏妃】「曽根崎という男もその一味だったと申し上げているのですッ!! あなたはどこまでお人好しなのですか、どうしていつも胡散臭い話を、疑いもせずに乗ってしまうのですか!!」
【蔵臼】「訂正しろ! 曽根崎氏は優秀な未来ある男だ! 胡散臭くなどないッ!! 彼の語る夢は未来を先取りしているからこそ、それが見えぬ者には妄想にしか見えんだけだ! 女のお前には未来など見えん!!」
【夏妃】「えぇ、女の私には未来など見えませんッ!! でも現在なら見えます! 私の目の前で、狡猾な二枚舌の詐欺師たちに丸め込まれ、騙されてなお妄信している哀れな夫の姿なら見ることが出来ます!!」
【蔵臼】「えぇい黙れッ!! お前にはカネも事業も経済も何もわからんッ!! 夫の仕事に口は出すな!! 妻は家事だけをしてればいいッ! お前は黙っていろッ!!!」
【夏妃】「………………ッ、………。」
 二の句が出ず、蔵臼が望む通り、夏妃は沈黙する。怒りや悲しみの感情は、とうに超えていた。それらを超えた先にある感情は、…淡白なまでの哀れみだった。
 幼い頃から、ずっと金蔵を畏怖してきた蔵臼は、その生き様に潜在的に憧れてきた。…それを超えて初めて一人前と認められると、無意識の内に自己にそれを課してきた。
 しかし、金蔵は右代宮家の過去の歴史の中で一度も生まれたことのない狂気の天才なのだ。それは天に愛されたがゆえの才能であって、……決して遺伝することも、増してや学び受け継げるものでもないのだ。
 夏妃は二人きりで話をする為に、使用人たちに、金蔵の死を決して口外しないようにと念を押し、場を一度解散した。
夏妃の部屋
 そして、自分の寝室に招き、……現在の経済状況について、全てを話させた。それらはこれまで、女には関係ないと、夏妃には知らされていないことだった。
 そして夏妃もまた、それに立ち入るのは妻の領分ではないと、あえて触れないようにしてきた。しかし、それは妻という立場から家を守るという役目を、放棄していたことにもなるのかもしれない。
 夏妃はその罪深さを、まざまざと見せ付けられていた…。
 自己弁護もきっと疲れるものなのだろう。蔵臼は頭痛を覚えたのか、自らの顔を覆って黙り込む…。
 夏妃は電熱ポットのお湯が沸くサインに気付き、紅茶のお代わりを淹れると言って立ち上がった。
 そして紅茶のカップに触れて初めて気付く。カップとソーサーが小刻みに立てる音によって、自分の指が震えていることに…。
 蔵臼は、様々な事業の軍資金や、その失敗の補填の為に莫大な借金を重ねていた。もちろん、屋敷や不動産なども担保に入れていた。しかし、真っ当な方法でそれを行なおうとすると、登記簿に抵当権が残ることになる。
 つまり、蔵臼が勝手に金蔵の財産を担保にして借金をしていることが記録として残るのだ。金蔵にも絵羽たちにも、それを悟られるわけにはいかない。
 その為、蔵臼は最悪の方法でそれら財産を担保にしていた。
【蔵臼】「………権利書と委任状を預けた…。」
【夏妃】「それは…、どういう意味ですか……。」
 恐らく蔵臼の言うそれは、財産を実質的に相手に預けたというのと同じ意味だろう。
 担保ならば、まだ法律に基づいたやり取りも可能だ。相手は少なくとも銀行で、温情は一切ないだろうが、社会的なルールの範囲内で話を進めることが出来る。
 ……しかし、権利書と委任状を預けるのは、その段階を遥かに超える。
 つまり、蔵臼たちが今、こうして住んでいる屋敷でさえ。権利書を持つ人物が、蔵臼との取り決めを一方的に無視して、今すぐこの瞬間に第三者に転売したとしても、何も咎めることが出来ない。借金の担保どころか、家を売ってお金を借りているも同然の状態なのだ…。
【夏妃】「…つまり、…右代宮家の生殺与奪は、金貸したちの手に委ねられていたわけですね。彼らがほんの僅かの気紛れを起こして、突然、この家を売り払ったら。……私たちは今すぐにも荷物をまとめ、出て行かなくてはならないということですね…?」
【蔵臼】「理屈上はそうだ。だが、取引の相手はいずれも社会的信用のある人物ばかりだ。サラ金じゃないぞ。経済人同士の信用取引だ。」
【蔵臼】「私も相手を信用している。相手だって、私に金を貸すことで私が大きな事業を成功させ、投資した額が大きくなって返ってくることを信用している。委任状を預けたのは、私の誠意と事業の絶対の成功を疑わないからだ。
【蔵臼】「ここで渋ったらどうなる? 自分の事業に、自分で自信が持てないことになるだろう?!」
【夏妃】「……………………。」
 それらの事業が成功していれば、今頃借金はありませんね。…そう言おうとし、言葉をぐっと飲み込んだ。
【夏妃】「……お父様は亡くなりました。すると、どうなりますか。あなたの借金が白日の下となり、他の兄弟たちに咎められることになるわけですか。」
【蔵臼】「…………それだけでは済まない。……多分、刑事訴訟にも及ぶだろう…。」
【夏妃】「け、刑事訴訟……。ど、どうしてですか……。」
【蔵臼】「………君は知らない方がいい。……とにかく、…絶対にこのことを誰にも知られてはならんのだ……。」
【夏妃】「……………………。」
 蔵臼は苦々しく俯き、何度も首を横に振った……。
 刑事訴訟ということは、…何かの法に触れたということだ。多額の金を捻出するために、形振り構わなかったということだろう。
 ……蔵臼は本気で、数々の事業が成功し、必ず大きな実りがあると信じていた。だから、多少、法に触れることになろうとも、すぐにそれを返済して、なかったことに出来ると信じていた。……だからこそ、触法に対する抵抗感が少なかったのかもしれない。
 そして、金蔵の死という最悪の現実を迎え、それが隠し切れなくなろうとしている……。
【夏妃】「……私たちは、どうなるのですか。」
【蔵臼】「し、心配することはない…。君は信じてくれんが、景気は今、確実に上向いているんだ。私が都心で投資した不動産価値はみるみる上昇している。今、それらを統合して巨大ビジネスタワーを建設する計画が進んでいる。これは私のこれまでの投資の中でもっとも確実で、もっとも大きな成功をしているものだ。」
【蔵臼】「……ただ、それは実を付けるのにまだ時間を掛ける。絶対に確実だが、今すぐというわけではないのだ…。」
【夏妃】「……その事業の成功は、借金を返済するに足りるものですか?」
【蔵臼】「もちろんだとも。これまでの借金を全て帳消しに出来る…!! だから信じてくれ。もう少しだけ時間が欲しいんだっ!」
【夏妃】「しかしお父様はもうお亡くなりになってしまいましたッ! もうその時間はないのですよ?!」
【蔵臼】「わかっている、わかっているとも…!! だから、…どこかからカネを調達して今すぐに借金を返さなくてはならない! とにかくカネが必要なんだ…。カネが、大量にッ、今すぐ!! おおおおぁあああぁああぁぁぁぁ…!!」
 蔵臼は雄叫びをあげて頭を抱えながら、苦しそうにのた打ち回る。
 それを見る夏妃の胸中にはいくつもの感情が渦巻いた。夫を気の毒に思い、同時に愚かにも思う矛盾した気持ち。……そして、夫の暴走をここまで許した自分の無責任さに対する、憤りと無念の入り混じった感情だった。
 致命的な事態であることは、今日を迎えなくても明白だったはずだ。なのに漫然と今日を迎え、今日になってのた打ち回っている。
 ……自分の夫はここまで愚かで、……哀れだったのだ。呆れるのは容易い。……しかし、自分は妻なのだ。
 夫を愚かと嘲るのは妻の責任放棄だ。…愚かならば、それを自分が支え、補わなくてはならない…。
 しかし、どうすればいいかなんて、思いつくはずもない…。そんなに簡単に大量のお金を用意する方法があったなら、それに蔵臼が手をつけていないわけはないのだから……。
 潔く全てを諦めましょうと言うのも容易い。だが、それこそ妻の責任放棄も同然だ。
 自分は右代宮夏妃。……右代宮家の新しい当主、蔵臼を生涯支えることを誓って妻となった女。何とか夫の金策捻出に協力しなくてはならない。
 ……理屈ではわかっている。でも、心の底の黒い沼から湧き出す、何とも形容出来ない、落胆の感情が抑えられないのだ……。
【蔵臼】「そうだ、お、親父の隠し黄金ッ…! 10tの黄金なら200億の価値がある! あれさえあれば…、そうさ、あれさえ見つかれば万事は解決する…!」
【蔵臼】「夏妃、あれだ、魔女の碑文だ! あれを解こう、一緒に解こうッ! 黄金さえ見つかれば万事解決なんだッ!! そうさ、この島のどこかに隠されてるはずなんだッ!! あれさえあればッ、あれさえあればッ!!」
【夏妃】「い、痛い…、あなた、……や、やめて下さい……。」
 最高の妙案を見つけたとでも言わんばかりに興奮した蔵臼が、夏妃の二の腕をぎりぎりと握り締める。
 夏妃は呆然とせずにはいられなかった。隠し黄金などという、眉唾な話を引き合いに出したからだけで面食らっているのではない。
 普段、蔵臼は隠し黄金など存在しない、親父がカネを借りるために生み出した幻想に過ぎないとあれだけ扱き下ろしてきたはずなのだ。だからこそ、夏妃は二重に面食らうのだった…。
【蔵臼】「そうだ、朱志香にも協力してもらおう。子どもの感性でなら解けることもあるかもしれない! 今は一家の一大事なんだ。みんなで協力し合わなくてはならない!! そうだ、あんなの親父が作った気紛れななぞなぞなんだ…!! 解けるはずさ、解けないはずがないんだ…! それしかないんだ!!」
【蔵臼】「あぁ、夏妃、本当に良かった、まだ手は残っていたんだよ、こんなに身近に!! この島に黄金はある!! それさえあれば万事解決なんだ! わは、わはははははははははははは!! 夏妃、朱志香を呼ぶんだ、今すぐここに! 家族の危機は家族で乗り越えよう!! さぁ早く!! 黄金はこの島にある、すぐ身近にあるんだ!! ……ぅわあ!!」
 興奮して握り締める腕の痛みに耐えかね、夏妃は蔵臼を振り払う。蔵臼はベッドの縁に足をぶつけ、みっともなく床の上に転げた…。
【夏妃】「い、いい加減にして下さい!! そしてどうか冷静になられて下さい…!! 右代宮家の一大事に、……そんな夢みたいなことを言い出して…、どうするというのですか…!!」
【蔵臼】「な、………夏妃………。」
【夏妃】「あなたもよく頭を冷やされて、現実的な金策をお考えになって下さい…!! 私も頭を冷やしてきます……!」
【蔵臼】「…待ってくれ……、夏妃……。」
 転げた拍子に正気に戻ったのだろうか。蔵臼は夏妃を呼び止めるが、彼女が足を止めることはない。勢い良く扉を閉め、夏妃は飛び出して行った……。
 夏妃は廊下を駆ける。
 誰にもこんな顔を見せたくないのに、源次に出会い頭にぶつかってしまう……。
【源次】「……大変失礼しました。奥様、お怪我はございませんか…?」
【夏妃】「わ、私は大丈夫です。放っておきなさい…!!」
【源次】「………かしこまりました。」
【夏妃】「あ、……源次。…お父様の書斎はどうなっていますか。」
【源次】「……そのままにしております。南條先生は客間におられますが。」
【夏妃】「そうですか…。……書斎の鍵は持っていますか?」
【源次】「はい。ございます。」
【夏妃】「お貸しなさい。しばらく、…私とお父様の二人きりにするように。もし主人に私のことを聞かれても、知らないと言うのですよ。」
【源次】「……かしこまりました。」
 源次が差し出した書斎の鍵を引ったくり、夏妃は階段を駆け上がる。
金蔵の書斎
 そして書斎に飛び込んで、……今度こそ、声をあげて、…泣いた。
【夏妃】「………お父様……。愚かな私たちをどうかお許し下さい…!! 私と主人は、……お父様の築き上げてきたものを、受け継ぐことが出来ません…! 罪深く…、愚かな私たちを……どうか、…………どうかお許し下さい…。そして、…もしお許しいただけるならば、………どうか愚かな私たちをお導き下さい……。」
 ベッドにて眠る金蔵にすがり付き、夏妃はなおも泣いた。金蔵がむっくりと起き上がり、その頭を撫でてくれるのではないかと何度も想像した。
 いや、お父様は甘やかしてくれるような方ではない…。むしろ、やかましいと怒鳴りつけられるかもしれない。
 ……しかし、その何れの想像も当たることはない。金蔵の永眠は、紛れもない真実なのだから。しかしそれでも、夏妃は眠る金蔵に許しと助けを請う…。
 まだ亡くなってから数時間と経っていないのだ。その魂は、まだここにいて、自分の話を聞いてくれているのではないか。……夏妃はそう信じ、なおも金蔵に許しと助けを請うのだった……。
【金蔵】「やかましいぞ。私は沈黙を尊ぶといつも言っている。」
【夏妃】「………えっ、」
 その声に夏妃は飛び上がって驚く。
 そしてその声の方を向くと、………そこには、書斎机に座り、老眼鏡を畳む金蔵の姿があった…。
【金蔵】「また蔵臼と喧嘩をしたのか。……嫁を労わらぬとは、蔵臼め、私の悪いところばかりを受け継ぎよる。」
【夏妃】「お、………お父様……。」
【金蔵】「……何というみすぼらしい顔か。顔を洗え。仮にも、右代宮家次期当主の妻ではないか。そんな情けない面を使用人に見せてはならぬぞ。」
【夏妃】「は、……はい、お父様…。…失礼しました……。」
 ……夏妃は、理解している。これは、在りし日の金蔵の記憶と、今こそ話を聞いて欲しいと願う夏妃の願望が生み出した、…幻。
 いや、そんなのではない…。……今だけ、金蔵の魂が姿を現してくれたのだと信じた。それを疑ったら、その途端に消え去ってしまうに、違いないから…。
【金蔵】「当主の座が継承されたと同時にさっそく、厄介事が起きたようだな…。」
【夏妃】「は、…はい、お父様……。夫を支えることが出来ませんでした…。……本当に、…申し訳ありません……。」
【金蔵】「ふっ。つくづく、右代宮家は呪われている。私が当主を継承した時も、それはひどいものだった。お前たちの苦難など、まだまだ可愛いものだ。」
 金蔵の当主継承は唐突だった。当時の金蔵は、右代宮家の本家から遠い、分家筋の一青年に過ぎなかった。本家には名誉も伝統もあったかもしれないが、金蔵にとってはまったく無関係でどうでもいいことだった。
 それが、関東大震災で本家の主だった者が全滅し、事業も壊滅した。その上、当時の右代宮家は親族間で複雑な対立関係があり、それぞれの長老たちが、沈み行く船の中で意地を張り合っている状態だった。
 そのため、右代宮家再建のためのリーダーを選出することさえ出来なかったのだ。そんな彼らの妥協点として、対立する長老たちとしがらみのまったくない金蔵が当主に突然、指名されたのである。
 だから、長老たちは金蔵に本気で右代宮家の再建を託したわけもない。金蔵は彼らに、両手両足を綱引きにされるだけの操り人形だったのである……。
【夏妃】「………はい。…お父様の苦難の日々は、よく存じております。」
【金蔵】「そして戦争が始まった。当時の私はもう生きていくことに疲れ果てていた。戦場で死ねればと願ったが、前線には送られなかった。……しかし、日に日に戦況が悪化し、本土決戦の時が近付いてきていた。私は不謹慎にも、その日が早くやって来ることを願っていた…。」
 その、近付いてくる死神の足音を日々聞きながら、…金蔵はこの世との未練を少しずつ、絶っていったと言われる。
 そして、生への未練を完全に絶ち、達観の境地に達したある日のこと……。神秘の体験をしたという。
 ……金蔵は出会ったというのだ。黄金の魔女、ベアトリーチェに……。
【金蔵】「私は魔女と契約を交わし、黄金と狂気の力を与えられた。……その日を境に、古き私は死に、狂気の魔力を得た新しき私が誕生したのだ。」
【夏妃】「…存じております。そして、戦後。お父様は天才的辣腕にて右代宮家を復興させるのです。」
 当時の金蔵を知る故人の長老たちは、戦場で頭をぶつけ、人格が変わって帰ってきたのではないかと囁き合っていたという…。それほどまでに、戦後の金蔵は頭角を現した。
 金蔵が魔女に出会ったという話が、本当であれ嘘であれ、戦争という異常な体験が彼に死を覚悟させ、達観の境地に至らせたのは間違いない。その結果の神秘体験を、魔女に出会ったと称したなら、それは頭ごなしに否定できるものではなかったに違いない…。
【夏妃】「……そうですね。…お父様は戦争からお帰りになり、魔女ベアトリーチェを従え、真の意味での右代宮家当主となられたのです…。」
【金蔵】「そうだ。ベアトリーチェに出会う以前の私は、当主と呼ばれるだけの人形に過ぎん。……私は黄金の魔女を従えて初めて、当主たりえたのだ。」
【夏妃】「……お父様……。その、…黄金の魔女は、新しき当主である夫、蔵臼には力を貸して下さらないのでしょうか…。」
【金蔵】「貸すであろうな。真に当主を継承したならば。」
【夏妃】「し、真に継承するとは、どういう意味ですか……。」
【金蔵】「真の意味で、右代宮家の当主としての責任と誇りを持てるかどうかということだ。…夏妃、お前ならばわかっているはず。当主とは血で継承されるものではない。魂と信念によって継承されるのだ。……蔵臼が我が長男であっても、それがなくては真の当主とは呼べない!」
【夏妃】「そして、それが心に宿されていたなら、その人間は例え蔵臼でなくとも、立派な新しき当主である。黄金の魔女ベアトリーチェは、その真の当主に力を貸すであろう。………そうであるな、ベアトリーチェ!!」
 金蔵が魔女の名を呼ぶと、……室内より一斉に黄金の蝶の群が湧き上がる。
 その幻想的な光景は、この世のものとは思えぬ美しさ。例えるならば、黄金の薔薇庭園にて舞い散る黄金の花びらの吹雪の中に身を晒すかのよう。
 その光景に呆然としている目の前で、黄金の蝶たちは群れて人の形を作る…。
 そして、……肖像画の魔女が姿を現す…。
【ベアト】「如何にも。妾こそが、右代宮家顧問錬金術師、黄金の魔女ベアトリーチェである。……妾は奔放にして自由! 誰の命令も聞かぬ。」
【金蔵】「それを、世界でたった一人。私だけが支配した。……だからこそ、右代宮家の当主たりえるのだ。」
【ベアト】「ふっ。その傲慢さこそが右代宮家当主の資格だと言うか。」
【金蔵】「傲慢とは即ち、自信であり勇気である。そしてそれに見合う力を得ようとする、飽くなき向上心の現われである。…だからこそ、私はお前を支配した。」
【ベアト】「………傲慢を語る男が、それを実現していく様を見るのは心地よいものだ。不言実行は強運なる者の言い訳に過ぎぬ。…真の王者は持たぬ物さえも語る。そしてその傲慢を確かに実現して見せるのだ。……妾を支配できる者には、その王者の傲慢が必要だ。」
【金蔵】「わかるか、夏妃よ。真の王者は、あらゆる苦難を恐れぬ。必ず乗り越えられると公言する。その算段がなくともだ。だから弱者は希望を持つ。集い、崇め、協力を誓う。そこに力が生まれ、有言は実行されるのだ。それを心に刻め。」
【夏妃】「は、………はい、お父様……。」
 夏妃は理解する。金蔵はこの神秘体験を通じて、…この苦難を乗り越える心構えを指南してくれているのだ。…自らが死んだ後であっても。
 何か熱いものが込み上げて来るのを感じ、金蔵にもらった値千金の言葉を何度も頭の中で反復した。
 ……真の王者は、…即ち、真の右代宮家の当主は、苦難を恐れてはならない。どのような苦難も乗り越えられると信じなくてはならない…。それを自ら信じることなくして、乗り越えられる道理もなし…。
 ………どうすればいいでしょう、お父様と。…この部屋に泣き言を言いに来た自分が、急にみすぼらしく感じる…。
【夏妃】「私は、……愚かでした…。」
【金蔵】「…………………。」
【夏妃】「…右代宮家の一大事に、泣き言を言う暇などあるわけもありません。そして、お父様から右代宮家を引き継いだ以上、私たちは何があってもその名誉を守り抜きます。」
【ベアト】「ほぅ。……どうやって蔵臼の借金を返済するか、その青写真も描けぬのにか。」
 ベアトリーチェは、嫌らしく笑いながら、……いや、違う。夏妃に、真の王者としての心構えがあるかどうかを、試す。
 だから夏妃はもう戸惑わない。はっきりと、その目を見据えて答える。
【夏妃】「はい。今はどうすればいいのか、その方法をまだ見つけることは出来ません。しかし、私の夫は新しき右代宮家の当主であり、私はそれを支える妻です。ですから、夫に代わり、私が宣言します。」
【ベアト】「聞こう。」
【夏妃】「右代宮蔵臼と夏妃は、必ずやこの苦難を乗り越え、右代宮家の名誉を守って見せます。お父様にご心配をお掛けすることはありません。」
【金蔵】「……蔵臼の借金の規模と、惨憺たる状況については知っておるな?」
【夏妃】「はい。この屋敷さえも、明日には立ち退けと命じられても拒めぬという最悪の状況です。遺産分配となれば、親族たちに刑事告発さえされるかもしれません。」
【夏妃】「しかし、心配には及びません。そうなる前に借金を全て返済し、名誉を取り戻します。」
 直立不動の姿勢で、そして毅然とした態度で、夏妃はそれをはっきりと、右代宮金蔵とベアトリーチェの立会いの下、宣言する。
 しばらくの間。夏妃の決意を量るかのように、金蔵たちは沈黙した。そして金蔵は、ふっと薄く笑ってから背を向ける…。
【金蔵】「……惜しい。……なぜにこやつが、我が息子ではなかったのか。」
【ベアト】「その資質を持つ女を息子がめとったことさえ、これもまたそなたの強運よ。」
【金蔵】「…………………。ベアトリーチェ。私の最後の命令だ。」
【ベアト】「当主でないそなたの命令を、もはや聞く義理はないぞ。」
【金蔵】「ほぅ。ならば、新しき右代宮家当主の命令に従え。」
【ベアト】「そなたはすでに当主でなく、蔵臼は未だ当主ではない。妾は誰に仕えよというのか。」
【金蔵】「お前にそれを委ねる。右代宮家の当主を受け継ぐ資格があるかどうか、そして片翼の鷲の紋章を背負うに相応しいかどうか。……お前が確かめるのだ。」
【ベアト】「断るぞ。当主でなき男の命令など聞けぬわ。」
【金蔵】「いいや違うぞ。これは遺言である。当主が遺したお前への最後の命令である。」
【ベアト】「……くっくっく。ならば従わぬわけにはいかぬか。妾もつくづく付き合いが良い。」
【金蔵】「違うな。」
【ベアト】「ほぅ?」
【金蔵】「興味を持ったからであろうが。」
【ベアト】「つくづく、そなたには隠し事が出来んな。」
【金蔵】「夏妃。」
【夏妃】「はい、お父様…。」
【金蔵】「乗り越えてみよ、この苦難を。」
【夏妃】「…は、………はいっ。」
 その返事は、夏妃にとってはただの返事に過ぎないが、金蔵とベアトリーチェにとっては、もっと重要な意味を持つようだった。
 ベアトリーチェは深く頷くと、優雅なドレスに負けない優雅な仕草で、夏妃の前で深々とお辞儀をした…。
【ベアト】「右代宮家顧問錬金術師、黄金の魔女ベアトリーチェ、ここに。右代宮家の苦難を再び乗り越えるため、そなたの力となろうぞ…。」
【夏妃】「……ありがとう。あなたの力が必要です。私たちは、必ずこの苦難を乗り越えます。」
【ベアト】「そのために助力は惜しまぬが、先に断らねばならぬ。かつて金蔵の窮地を救ったように、そなたに再び莫大な黄金を与えれば、この度の苦難は解決することはわかっている。しかし、それは出来ぬのだ。」
【夏妃】「………そうですか。」
【金蔵】「すまんな、夏妃。ベアトリーチェの黄金は、私一代限りという契約なのだ。そして、それを受け継ぐためには、魔女の碑文を解かねばならぬのが取り決め。」
【ベアト】「黄金は碑文にて封じられている。だから、それを解けぬ限り、そなたに黄金の魔法は与えられぬ。」
【夏妃】「………わかりました。ならば他の方法で、この窮地を脱する方法を模索しましょう。……主人は時間を掛けるとは言っていますが、必ず借金は返済できると言っています。その為の時間を得ることが出来れば、この苦難は乗り越えられます。」
【金蔵】「良いぞ、夏妃。続けよ。」
【ベアト】「しかし、金蔵はもう死んでいるぞ。医者と使用人は葬儀の準備。そなたは親族たちにその連絡だ。そなたは自ら、その金策の猶予時間を終わらせる宣言をすることになる。くっくくくく、自ら刃を下ろす断頭台も愉快なものよ…。」
【夏妃】「…………………ぁ、」
 夏妃は、はっとして天井を見上げる。そこに何かがあったわけではない。……しかし、夏妃は何かを見つけていた。
【金蔵】「降りたか、……魔力が。」
【ベアト】「夏妃。……決まったか? 妾に望む奇跡の魔法が。」
 ……書斎には再び、金蔵の死に立ち会った人間が全員集められていた。
 未だに頭を抱えて焦燥している蔵臼。相変わらず無表情な源次。
 そして、どうしたものかと途方に暮れた表情の南條と熊沢。
 しかしそんな彼らとは対照的に、夏妃の表情は毅然としていた。
【夏妃】「あなたにもう一度お尋ねします。金策は、間違いないのですね?」
【蔵臼】「……あ、……あぁ。1年、…いや、せめて半年あれば、必ず実る計画なんだ! しかし、今すぐにはどうしても無理なのだ……。」
【夏妃】「ならば、それを待ちましょう。」
【蔵臼】「し、しかし、お前も言ったぞ。……親父はもう、死んでしまった……。」
【夏妃】「お父様はお亡くなりになどなっていませんよ。まだこうして、ご健在であられます。」
 夏妃のその言葉に、一同は、はっとして顔を上げる。その意味するところが、即座に理解できたからだ…。
 しかし、蔵臼だけは咄嗟に意味を理解できず、それを問い返す。
【蔵臼】「それは……、どういう意味だね……。親父はもう、…現にそこに……。」
【夏妃】「繰り返します。お父様は未だにご健在であられます。ご自身の研究がお忙しいので、これまで以上に書斎を出ることは出来ません。ですから私たちは、お父様が研究に専念できるように、外務を全て執り行い、お父様に不要なお仕事が及ばないようにしなくてはなりません。」
【夏妃】「つまりそれは、これまでと何ら変わらないということ。………理解できていますね、源次?」
【源次】「………………はい。…片翼の鷲の家具は、これからもお館様にお仕え致します。」
【夏妃】「熊沢。そして南條先生。私の話は理解できましたね?」
【熊沢】「……え、…あの、……その…、」
【南條】「そ、……それでいいのかね、夏妃さん……。」
【夏妃】「お父様は確かに今日、お亡くなりになったかもしれません。しかし、今この場にいる私たち全員が信じることで、お父様を蘇らせる魔法を、使うことが出来ます。」
【熊沢】「む、無理ですよ、奥様…。そんな、いくらなんでも…!」
【南條】「解剖すれば死亡時期を特定される。不審がられることは避けられん…!」
【夏妃】「お父様はお亡くなりにならないのですから、解剖などされる謂れはありませんよ。」
 もちろん、永遠に生きていることになどするつもりもない。金蔵に与える仮の命は、あくまでも蔵臼が借金の返済を終えるまでの期間だけだ。それを終えたら、金蔵の魂には、今度こそ安らかに眠ってもらう。南條は、遺体を解剖されれば死亡時期が特定されると繰り返すが、夏妃は問題ないと繰り返し言った。
【夏妃】「お父様は死亡届によってお亡くなりになるのではありません。」
【蔵臼】「そ、………そうか。……失踪届か…!!」
 蔵臼がパンと手を叩いてから、握り拳を振りかざして立ち上がる。
【夏妃】「そうです。借金が無事に返済でき、お父様にお休みいただける準備が整ったなら、その時にお父様の失踪を宣言します。」
 六軒島の広大な未開の森は、この失踪に極めて好都合だった。金蔵はある日、森へ散歩に出掛け、そのまま帰って来ない。……探したが見つからず、止むを得ず、失踪を宣言…。
【蔵臼】「失踪なら、死体がなくても死亡届を出せる。つまり、死亡時期を隠せるということだ! どうだ、南條先生?! これなら、何の問題もない!」
【南條】「た、……確かに、そういうことにはなりますが……。」
【熊沢】「…それで良いのですか、奥様っ…。た、確かに私たちが黙っていれば、お館様がお亡くなりになられたのは秘密に出来るかもしれません…! ですが、どこでどう間違って誰かに知られないとも…!!」
【夏妃】「熊沢。声が大きいです。……お父様はあちらでお休み中なのですよ? 起こしてしまわれるつもりですか?」
 死体ではない。…金蔵は、眠っているのだ。夏妃がそう言ったとしても、何の違和感もないくらいに、……金蔵は静かにベッドで横になっている。
【ベアト】「さぁさ、思い出してご覧なさい。そなたがどんな姿をしていたのか。そなたがどんな日々を謳歌していたのか!」
 黄金の蝶の嵐が再び吹き荒れ、金蔵の冷たい体を覆っていく…。
 そして細かな砂金となって蝶たちが弾けて消えると、………おとぎ話で昔から何度も語られてきたように、……金蔵がゆっくりと目を覚まし、起き上がる…。
【夏妃】「………お、……お父様……!!」
【金蔵】「……夏妃。先に我が名誉のために断っておくぞ? 私は生への執着から、そなたにこれを唆したのではない。」
【ベアト】「嘘吐きめ。多少は予見していたであろうが。どうだ、金蔵。体の方は。」
【金蔵】「悪くはないが、どこか夢の中のような感じだ。重みがないな。」
【ベアト】「この世に留まることを許されぬ存在が、未だ留まっているのだ。多少の不自由は諦めよ。」
【夏妃】「…お体は本当に大丈夫なのですか?! 本当に、…大丈夫なのですか…?!」
【金蔵】「うむ。むしろ、心地よいくらいだ。……これが死後の世界の感覚ならば、幽霊気取りも捨てたものではないぞ。」
【ベアト】「これにてどうか、夏妃。金蔵は蘇った。ゆえに葬儀は不要。そなたの苦難はこれにて解決だ!」
【夏妃】「……ベ、ベアトリーチェ…。」
 戸惑いながらもお礼を言おうとする夏妃に、ベアトリーチェは立てた人差し指を振りながら言う。
【ベアト】「感謝の言葉はいらぬぞ。支配者は傲慢であれば良い。妾は頼みは聞かぬが、命令には従うのでな。」
【夏妃】「それでも言います。……ありがとう。これで、……主人のために時間が稼げます…。……後は私たちの仕事です。」
【ベアト】「しかし夏妃、心せよ。確かに金蔵は蘇ったが、それは永遠ではない。我が魔力が続く限りである。……反魔法の毒素により、魔法は破られてしまうかもしれぬことを心せよ。魔法の理を正しく理解し、その維持に努めよ。妾はそなたに奇跡を見せるが、それを掴み、留めるのはそなたの役目だ。」
【夏妃】「無論です。あなたにもらったこの奇跡を、私たちは決して疎かにしません。」
【ベアト】「それで良い。…なるほどな、主と畳は新しい方がいいというのは本当らしい。くっくくくく! 気に入った。妾はそなたに仕えようぞ。右代宮夏妃! 我こそは右代宮家顧問錬金術師、黄金の魔女ベアトリーチェ…!! いつでも我が名を呼ぶがいい。さすれば現われ、妾はそなたに奇跡を授けるであろう。」
【夏妃】「ありがとう。私は右代宮夏妃。あなたを使役し、右代宮家の名誉を守ります…!!」
 1984年11月、紗音が黄金を発見した夜に金蔵も死亡したことになっている。その描写を信じるなら、これは翌朝の出来事ということになる。

正式なミステリー

一年前の親族会議・薔薇庭園
 今年の薔薇庭園も実に見事だった。薔薇たちは競い合うかのように咲き乱れている。その薔薇庭園に、金蔵と嘉音、そして夏妃の姿があった…。
【金蔵】「今年も良い花をつけたな。お前の手入れの賜物か。」
【嘉音】「………ありがとうございます。今年は気候が良かったもので。」
【夏妃】「普段にも増して、庭園が美しく保たれていますね。見事です。」
【嘉音】「ありがとうございます…。」
【金蔵】「今日という日でさえなかったなら…。薔薇を愛でながら、紅茶を楽しむことも出来ただろうに。」
 金蔵は肩を竦める。今日は親族会議だからだ。
 ……他の息子兄弟の事業がうまく行っているという話は聞こえてこない。それどころか、またしても金蔵の余命の話に及び、その遺産についての暗闘を繰り広げるつもりだろう。
【金蔵】「……不愉快なヤツらだ。時に、蔵臼の方はどうなのか。例の、借金返済の計画は無事に進んでいるのか。」
【夏妃】「確かに、現実性のある計画のようです。………ただ、計画の規模がだいぶ大きいようで、なかなか思い通りに結実しないようです。」
【金蔵】「可能ならば、今日の親族会議を迎える前に、何とかしたかったものだな。」
【夏妃】「……はい。申し訳ございません。」
【ベアト】「良いのか、金蔵。そんなところをのんびり散歩しておって。」
 どうやって、そこに上がったやら。……いや、魔女にそれを悩んでも無意味だ。東屋の屋根の上に、ベアトリーチェはのんびり腰掛け、まるで日向ぼっこを楽しむかのようだった。
【ベアト】「反魔法の毒素の塊である、親族どもが押し掛けてくるのだぞ。鉢合わせになったら、そなたの魂など、一瞬で蒸発してしまうぞ。」
【金蔵】「ふっ。すでに死んだ身だ。蒸発もまた、小気味が良いというもの。」
【夏妃】「……そういうわけには参りません。どうか右代宮家のために、もうしばらくお力をお貸し下さい。」
【ベアト】「夏妃。親族どもの乗った船がこちらへ向かったようだぞ。そろそろ散歩は終わりにした方が良かろうな。」
【夏妃】「……そうですか。ありがとう。…お父様は書斎へお戻り下さい。」
【金蔵】「やれやれ…。この絶好の日和なのにな、残念だ。」
【ベアト】「愚痴るな金蔵。今のそなたは、妾に生かされているだけの幽霊であろうが。そなたに毒素で消し飛ばれては、妾も夏妃も困るのでな。大人しく書斎へ閉じ篭り、布団でも被っておれ。くっくくくくく!」
【金蔵】「ふっ。……死してなお薔薇を愛でる機会を与えられただけでも、幸運とする他ないな。わかった。書斎へ戻ろう。」
【金蔵】「だが紅茶はもらいたい。嘉音、源次に紅茶を届けるように伝えよ。今日はマルコポーロでももらおう。」
【嘉音】「……かしこまりました。」
【金蔵】「では解散しよう。夏妃。……私抜きで見事、親族会議をこなして見せよ。」
【夏妃】「もちろんです、お父様。彼らの前で名乗ることは出来ませんが、主人はすでに右代宮家当主。私もその妻として恥ずかしくないよう、微力を尽くします。」
【金蔵】「……朝から胃痛を起こしている蔵臼に比べ、夏妃はなんと落ち着いたことか。……我が息子が情けない。」
【夏妃】「主人にも主人の才能があります。その及ばぬところを支えてこそ、私は妻なのです。」
【金蔵】「うむ。しっかりやれ。私は、茶番の邪魔にならぬよう、大人しく閉じ篭っているとしよう。」
【夏妃】「嘉音。お父様を書斎までお連れしなさい。それから源次に紅茶の手配を。」
【金蔵】「肩を借りるほどもうろくしておらぬわ。よっこらせっ……。」
 肩を貸そうとする嘉音を断り、金蔵は腰掛けていた花壇から立ち上がる。引退した当主は、全てを夏妃に任せ、穏やかな足取りで書斎へ戻るのだった……。
【ベアト】「……様になっているぞ。金蔵の亡き妻にも似た貫禄があるな。」
【夏妃】「万一、お父様が反魔法の毒素にやられたら、……魔法は瞬時に解けてしまうのですか。」
【ベアト】「うむ。瞬く間だ。……妾は姿を消せば良いが、すでに亡者の金蔵は、姿を失えばたちまちのうちに太陽の風に吹き飛ばされ塵と消える。用心せよ。」
【夏妃】「えぇ。わかっています。」
【ベアト】「………そなたには、魔女の才能があるかも知れぬな。反魔法の毒素を溜めに溜めて歳を重ねたが、それでもなお、そなたは魔法を理解した。……妾との出会いが幼少の頃であったなら、そなたは今頃、偉大なる魔女だったかも知れぬ。」
【夏妃】「私は右代宮蔵臼の妻で、当主夫人です。名誉を守るためならば、魔女にも鬼にもなりましょう。……あなたの魔法の力には、深く感謝します。右代宮家の名誉は、あなたの力なくして守れませんでした。」
【ベアト】「その話は機会を改めよう。その際はぜひ、女同士二人きりでのんびり紅茶を楽しみたいものだな。」
【夏妃】「スリランカに行った友人が、薔薇の香りの素敵な紅茶を送ってくれました。」
【ベアト】「ほぅ、ディンブラかっ。悪くない。ならば茶請けはパティスが良いぞ。……この度の親族会議が無事に誤魔化し通せたなら、妾への褒美としてそれをぜひに振舞え。約束であるぞ。」
【夏妃】「わかりました。約束しましょう。では、後ほど。」
【ベアト】「うむ、後ほどな。」
 魔女は、そよいだ風にその体を崩し、黄金の花びらとなって舞い散って消える。
 夏妃はそれを見送り、踵を返して屋敷へ向かう。そして薔薇庭園には誰もいなくなった……。
【ラムダ】「さってとっ。ここでブレイクタイムね。ここまでの展開だけど、何か文句あるー?」
【ベルン】「………何もないわよ。おしっこしたいなら、さっさと行ってくれば…?」
【ラムダ】「ひっどい言い草ね。金蔵はもう死んでるのよ? それがこうして歩き回って言葉を交わしてるじゃない。それって、魔法ってことにしちゃってもいいのかしらぁ?!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「まぁ、ベルンにはこんな手、今さら通用しないわよね。……しかし、あなたはどうかしら、戦人ぁ? これっておかしいでしょう? 金蔵を蘇らせた魔法の存在を認めざるを得ないんじゃなァい? くっひっひゃっはっはァアあ!」
【戦人】「……もしそれがベアトの真似のつもりならば、不愉快だから即刻やめろ。」
【ラムダ】「くすくす! やっぱわかるゥ?! それでほらほら、戦人はどう答えてみせるわけ? こうして金蔵が闊歩していることを〜。いつものゲームみたいに頭を抱えて、コンナノワケワカンネェヨ〜って泣き言聞かせてよ。そして全然ダメダゼ!ってお約束の口癖で、お得意のトンデモでぜひ反論を聞かせてよ。」
【ラムダ】「死んだはずの人間が歩きまわれるわけないものね? 集団妄想を見せる未知のウィルス、六軒島症候群の仕業とかァ。六軒島だけに住む謎の蝶の鱗粉に幻覚作用が〜とかァ〜! 謎の秘密組織『山狗』が作った集団妄想を見せる未知の薬物プルプルピコプヨの仕業とかァ!! 素敵なトンデモ、いっぱい聞かせてよォ、きゃーはははははははははあはははははははははッ!!」
【戦人】「………うるさい、黙れ。こんなのは問題にもならない。」
 祖父さまはこの時点で死んでいる。存在するわけもない。
【戦人】「それを存在するかのように振舞っているのは、何とか祖父さまの死を隠して親族会議を誤魔化し切ろうとする夏妃伯母さんの嘘だからだ。」
【ラムダ】「へー。夏妃の嘘! 嘘をつくと死者が蘇るの? それって夏妃の魔法じゃないのォ?」
【戦人】「この世界はブラウン管を覗く前の世界。……開く前の猫箱の世界だ。夏妃伯母さんが、祖父さまと一緒に散歩したと語り、誰にもそれが嘘であることを確認できない限り、“夏妃伯母さんが祖父さまと薔薇庭園を散歩した”ことは、夏妃伯母さんの事実として提示できる。だから、祖父さまが現われることが出来る。」
 ぱち、ぱち、ぱちり…。あまりに敬意を感じられぬその拍手は、ベルンカステルのものだった。
【ベルン】「……ブラヴォー。…………あなた、ベアトがいないと冷静なのね。」
【戦人】「うるさい。お前も黙れ。」
【ラムダ】「お待ちなさいよ戦人。あんたのご高説によるなら、夏妃しかいない場所には金蔵が現われることは確かに可能かもしれない。夏妃しかいない世界で夏妃が金蔵を観測したと主張したなら、誰にも否定は出来ないものね?」
【ラムダ】「でも、あの場には嘉音が居合わせて、彼も金蔵を見てるのよ? それをどう説明する気なのよ。」
【戦人】「…まったく問題ないな。嘉音くんは右代宮家に雇われてる使用人だ。……夏妃伯母さんに、祖父さまの死を隠すために口裏を合わせるように命令されてるはずさ。……だから、夏妃伯母さんと同じように、存在しないはずの祖父さまを見ることが出来る。」
【ベルン】「…………生憎ね、ラムダ。もう戦人は、その程度の子供騙しには引っ掛からないのよ。」
【ラムダ】「そーみたいねー。……ま、こんなのゲーム前の前座よ。料理の前のアペリティフ。」
【ベルン】「………飲み屋のお通し。寿司屋の緑茶。」
【戦人】「うるせぇ。青字で言い直さなきゃ先に進めねぇのか。」
【ラムダ】「そうねー。一応、もらえる?」
【戦人】「…………。……祖父さまがすでに死んでいるにもかかわらず、何事もなかったかのように闊歩しているのは、祖父さまが生きていると思わせたい連中が生み出している幻想だからだ。同じ思惑を持つ人間たちは、その幻想を共有できる。そして、あたかも祖父さまが存在し、ついさっきまで一緒だったかのように語る。だから、さも当然のように闊歩しているんだ。
【戦人】よって、夏妃伯母さんに与していない人間の前に、祖父さまの幻想が現われることは出来ない。だからこそ、書斎に閉じ篭って、出てこないという設定が必要になるんだ。
 これまでのゲームで、祖父さまはいつも書斎に閉じ篭っていた。俺たちは一度だってまともに会えた試しはない。
 しかし、あたかも書斎に閉じ篭っていてヘソを曲げているかのように語り、ついさっきまで祖父さまと会っていたと主張する人間たちがいて、俺たちをそれを鵜呑みにし、祖父さまは書斎の中にいると信じた。だから祖父さまの幻想が書斎の中に存在できる
 そうさ、これまでのゲームで祖父さまに会えた人間は、蔵臼伯父さんと夏妃伯母さん、そしてその使用人たちだけじゃないか。彼ら全員が口裏を合わせることで、祖父さまの幻想はこの島に、あたかも生きているように存在できるんだ。
【戦人】「……ご丁寧にも、お前のゲームの冒頭で、祖父さまの死を隠すために夏妃伯母さんが南條先生たちを言い包めるシーンまで見せてくれたじゃねぇか。……今さら、こんな子供騙しには引っ掛からねぇぜ。」
【ラムダ】「………やるじゃない。未知の薬物プルプルピコプヨとか、期待してたのに。」
【ベルン】「そんな妄言、口にするわけもないでしょう……? だって、その存在を仮定することは、ファンタジーに屈したのとまったく同じだもの。……ウィルスだろうと薬物だろうと病気だろうと、未知の要素である限り、ノックス第4条に違反する。」
【戦人】「……第4条って、何の話だ?」
【ベルン】「ノックス第4条。未知の薬物、及び、難解な科学装置の使用を禁ず。………殺人に、これを用いてはならないという規則よ。」
【戦人】「何だそりゃ…。未知の薬物X、未知の科学装置Xは、魔女と戦う上での一番の武器だろうが…。」
【ベルン】「………それ。全部、正式なミステリーでは違反だから。未知のウィルス、未知の薬物、…未知の病気、未知の×××を仮定なんて、立派なファンタジーなわけ。ご愁傷様。それがあなたの推理だったなら、あなた、ゲームオーバーよ。くすくすくすくす。」
【戦人】「………こ、いつ…。何を言ってやがんだ……。」
【ベルン】「あなたはベアトと真正面から戦ってきたつもりでいる。でもね、本当は違うのよ。真正面じゃない。ズレた角度で戦い合ってたの。」
【ベルン】「あなたがしてた推理ごっこは、ファンタジー対ミステリーじゃない。ファンタジー対アンチファンタジーでしかないのよ。」
【戦人】「……何を言ってやがるのか、さっぱりわからねぇぜ。…だが一つだけわかることがある。……俺のこれまでの戦い方に、ケチをつけたいらしいってことだ。」
【ベルン】「………私たちは魔女幻想というファンタジーを殺すために戦ってるのよ。それはつまり、この物語を正式なミステリーで解釈するということ。つまり、ミステリーの禁忌に触れる全ての要素は始めから無視してかかれということよ。」
【戦人】「む、…無視だと………?」
【ベルン】「例えば、これまでのゲームで何度も密室殺人があったでしょう?」
【戦人】「……あ、…あぁ。」
 あなたはベアトと、その度に犯行現場で、隠し扉が存在しないかどうか、ずいぶんと熱心に確認していたわね?
 まるでそれ自体が戦いであるかのように、赤き真実を織り交ぜてガキンガキンと派手に。
 あれ、私に言わせると時間の無駄。
 だって、ノックス第3条で明記されてるんだもの。“秘密の通路の存在を禁ず。ミステリーではね、秘密の通路はあっちゃいけないの
 つまり、正式なミステリーとして解釈しようとする場合、隠し扉があるのかどうかなんて論争、始めからしたら負けなのよ…? だって、ないんだから。存在するかもしれないと疑う時点で、もうゲームオーバー。
 つまり、犯行現場に隠し扉が存在しないことが証明されてないから推理できないなんて、甘ったれたあなたは、ミステリー失格。その時点でゲームオーバー。
 ミステリーで解釈する戦いをしてるつもりだったんでしょ…? ならミステリーのお約束にちゃんと従わなきゃ。…くすくすくすくすくすくすくすくすくひひひひひひひひひひひひゃっはっははははははははははははははははは…!!
【ベルン】「コホン。………そういうことよ。全ての犯行現場には隠し扉が存在してはならないの。だからその存在を確かめる行為は全て、時間の無駄ってわけ。」
【戦人】「…お前が言ってるのはあれだろ? どこかで聞いたな。推理小説の条件十ヶ条みたいなヤツだったか。」
【ラムダ】「えぇ、そうよ。稀代の魔女狩り大司教、ノックスが振りかざす、魔女を穿つ十本の楔よ。それこそが魔女幻想というファンタジーと、真正面から戦い打ち破るための正しい武器。……さすがベルンね。厄介な武器を持ち込むこと。ファンタジーの大敵だわ。」
【戦人】「……………………。犯行現場を調べもせずに、隠し扉の存在を始めから否定できるなんて…。俺にはそれこそファンタジーだぜ…。」
【ベルン】「魔女側を受け持つラムダはファンタジー。それと戦う私はミステリー。あなたは? ただファンタジーを否定してかわし続けるのがやっとのアンチファンタジー。何から何まで反対だけど、対案は一つも出せない。あなた、どっかの国の政治家みたいね。くすくすくすくす。」
【戦人】「うるせぇぞ。お前たちとわけのわからねぇ話をするためにここに戻ってきたんじゃねぇ。さっさと話を続けろ…!!」
【ラムダ】「……静かになさいよ。あんたの後ろの眠り姫が辛そうよ?」
 振り返ると、そこにはぼんやりと椅子に腰掛けた、生きた屍のベアトがいた…。しかし、全身に珠のような汗を浮かべ、少し呼吸も荒い気がする。……まる高熱で苦しんでいるように見えた。
【戦人】「ベアト……。どうしたんだ、…大丈夫か…。」
【ラムダ】「大丈夫か、って。あんた、おかしなことを言うのね。……その子を殺すために、あんたは戦ってるんでしょうが。」
【戦人】「……………………。」
【ラムダ】「あんたに合わせて、第5のゲームを回想しているけれど。ゲームは今、ベルンがかなり追い込んでいて、魔女幻想を打ち破ろうとしているの。…その存在が否定されかかってるんだもの。苦しむのは当然だわ。」
【ベルン】「………あなただって今。金蔵が存在するわけがないと魔女幻想を打ち破ったわ。……あなたの攻撃がベアトに通った証拠よ。彼女のその苦悶は。」
【戦人】「………………………。」
 ……俺はハンカチで、ベアトの額の汗をせめて拭う。
 確かに俺は、ベアトを死なせてやると約束した。しかしそれは、……安らかに、だ。苦しめて殺すわけじゃない。
 ……眠るベアトに、このような苦しみを与えて殺すことが、俺の目的ではない……。俺の複雑な胸中を見透かしているつもりなのか、……二人の魔女はニヤニヤと笑っているのだった…。
船着場
【留弗夫】「姉貴が遺産遺産って騒ぐから、親父に聞かれちまったんじゃねぇかよっ。」
【絵羽】「私のせいじゃないわよ、どうしようもないでしょ?! たまたま廊下にいて聞かれてたなんて、事故でしょ事故…!」
【秀吉】「よさんか二人とも……。今回は運が悪かったと思って諦めるんや。男の機嫌なんて、放っとけばコロッと直るもんやで。」
【霧江】「気分を害したお父さんが、おかしな遺書を残さないでくれるといいわね。」
 親族たちは、深く溜息をつき、沈黙する…。
【楼座】「こら! 真里亞もはしゃがないの! 縁寿ちゃんが転んだらどうするの?!」
【源次】「………お待たせしました。船の準備が整いました。」
【秀吉】「ほな、行くで。今はぐちぐち言っても始まらんで。」
【郷田】「またのご来島を、心よりお待ち申し上げております。」
薔薇庭園
 薔薇庭園のベンチに、すっかり疲れ切った様子で夏妃が座り込んでいた。しかし、嘉音と熊沢が戻って来たことに気付くとすぐに背筋を正し、当主夫人の貫禄を取り戻す。
【夏妃】「……船は出ましたか?」
【嘉音】「はい。たった今、出航なされました。」
【夏妃】「そうでしたか。見送りご苦労でした。……主人はどうしてますか?」
【嘉音】「先ほど、お部屋にお戻りになりました。お休みになられるとのことです。」
 金蔵の死を看破されないかと、蔵臼は前日から不安で押し潰されそうになっていた。親族会議が終わり、一気に疲れが出たのだろう。
 ……しかし、そんな胸中をおくびにも出さず、あれだけ普段どおりに振舞えるのだから、蔵臼の度胸も大したものだ。
【夏妃】「………どうでしたか。彼らはお父様のことを不審がってはおりませんでしたか…?」
【熊沢】「いいえぇ。お館様に、遺産分配の話を立ち聞きされたと、絵羽さまなどは、それは大騒ぎでしたとも。ねぇ? あの慌てっぷり、傑作でしたねぇ?」
【嘉音】「はい。大層、取り乱しておいででした。」
【夏妃】「しかし、熊沢もなかなかの演技力ですね。あの廊下での慌てっぷりは、本当にそこにお父様がいらっしゃったかのようでしたよ。」
【嘉音】「………熊沢さんは、そういうのが大変お上手ですから。」
【熊沢】「あぁら、やだやだ、褒め過ぎですよぅ。ほっほっほっほ。」
【夏妃】「くす。熊沢の病欠の電話は、簡単に信じないよう、よく源次に言っておかなくてはなりませんね。」
【熊沢】「それは手厳しゅうございますよぅ、奥様。おっほっほっほっほ…。」
【夏妃】「本当にご苦労でした。お前たちと源次と紗音には、約束どおり、過去一ヶ月分の休暇の買い上げと、新たに5日の有給を与えます。秘密の手当てですよ。取得に際しては源次と相談し、他の使用人たちに気取られないように。」
【熊沢】「え〜え、心得ておりますとも。ねー?」
【嘉音】「………熊沢さん。声が大きいです。」
【熊沢】「おお、いけないいけない、…ほっほっほ。」
【夏妃】「そうですね。この話はこれまでとします。各自、通常のお勤めに戻るように。そうそう、郷田に、特別にお茶の用意をさせました。いただくように。」
 自分は紅茶を薔薇庭園で飲む、しばらくそっとしておいて欲しい。夏妃はそう伝える。
 そしてベンチまで運ばせた紅茶は、…ベアトと約束した、スリランカの紅茶のディンブラと、パティスだった…。
 そしてそれを挟んで座り、珍しそうにしげしげと見る、当主夫人と顧問魔女の姿があった。
【夏妃】「……これがパティスですか…。私はてっきり、焼き菓子のようなものだとばかり…。」
 口にした夏妃は、まさかカレー風味の辛いものだとは思わず、咽こんでいるようだった。
 それは日本風に表現すると、揚げ餃子にカレー味の潰したジャガイモを詰めたようなもの。これはこれで、惣菜パンとしてなら、子どもに人気が出るだろう。しかし、紅茶のお茶請けは甘いお菓子という先入観を持っていた夏妃には、衝撃的なようだった。
【ベアト】「知らんのか。ディンブラと言えばこれだぞ。紅茶ならクッキー。あぁ、チョコでも良いな。日本茶なら羊羹だが、塩昆布でも良い。中国茶なら小籠包。妾は月餅も好きだ。」
【夏妃】「……驚きました。ずいぶんと文化に詳しいのですね。」
【ベアト】「まー、伊達に千年は生きておらぬ。世界の銘茶は一通り試した。お茶の世界旅行と言ったところか。」
【夏妃】「確かに、それは立派な世界旅行ですね。このような紅茶の楽しみ方もあると、今日初めて知りましたので。これは貴重な体験です。」
【ベアト】「妾は六軒島より出られぬ身。これくらいしか、旅をすることは出来ぬでな。そなたはどうか。富豪の妻らしく、世界を優雅に旅して来たのであろうが。」
【夏妃】「…………朱志香が生まれる前は、主人は色々な国に私を連れて行ってくれました。嫁ぐまでは、一度も海外旅行をしたことがなかったので、どれも新鮮な体験でしたよ。」
【ベアト】「……ふっ。そなたも、窮屈な家に生まれたらしいな?」
【夏妃】「……………………。…厳格でしたが、素晴らしい教育を施してくれましたよ。それを窮屈と呼んでは、お父様とお母様に失礼です。」
【ベアト】「雄弁に窮屈であると語っておるわ。くっくっく。」
 蔵臼は、そんな夏妃を憐れんでくれたのかもしれない。あるいは、窮屈な右代宮家から少しでも隔離して羽を休めてやりたいと願ったのかもしれない。……あるいは、ただ単に、嫁を自分のよく知った国々に連れ回して知識を自慢したかっただけなのか。
【夏妃】「主人は、お父様と違ってアジアの国が好きで。香港、台湾、韓国にタイ。マレーシアも行きましたっけ。」
【ベアト】「くっくくくく。蔵臼め、金蔵の西洋かぶれに反抗したつもりか。しかしアジアも良いぞ。日本人は丸ごと西洋かぶれだからな。外国と言えば西洋しか想像せん。西があれば東もあろうに。」
【夏妃】「私も、西洋の知識はそこそこにありましたが、東洋の知識はあまりなかったもので…。旅先で色々と主人にからかわれましたっけ。」
 疲れる旅行ばかりでした、と愚痴る夏妃の心を、こっそりとベアトは読心する。
夏妃の回想
【蔵臼】「いいか。これはビンロウという。ここでは庶民的な嗜好品だ。」
 それは小さな丸い、瓜っぽい実を割って、胡瓜を挟んだような形状をしていた。一見すると、ピクルスのような味がするに違いないという印象を受ける。
【夏妃】「な、なるほど。これをかじれば良いのですか…?」
 夫が手に持つそれをかじろうとすると、蔵臼がそれをスイっと遠ざける。…まるで、エサに釣られた魚のような気持ちで恥ずかしい。
【蔵臼】「まぁ待て。ビンロウには食べ方がある。確かにかじるのは正しい。かじる。モグモグと噛む。しかし食べてはならない。」
【夏妃】「えぇ? かじって噛むのに、食べてはならないのですか?」
【蔵臼】「うむ。かじって噛む。食べてはならん。そして汁も飲んではならん。胃を傷めるからな。」
【夏妃】「わ、わかりません…。どうしてそんなものを食べなければならないのです??」
【蔵臼】「ガムのようなものと思え。噛んで味を楽しむ。噛んだ屑と汁は、こうして紙コップに吐き出す。」
【夏妃】「……あ、あなた、お口の中が真っ赤ですよ…! 拭いて拭いて。……ひー!」
 蔵臼の口元を拭ったお気に入りのハンカチにも、真っ赤な跡が付く。食べても飲んでも毒で、しかも口の中がこんなにも真っ赤になって、その上、一度口にしたものを吐き出さなければならないなんて、みっともない! ……夏妃はそう思い、勧める蔵臼に固辞し続けた。
【夏妃】「いやですいやです、結構です結構です…!」
【蔵臼】「こういうのは異文化体験だぞ。ここでしか出来ない体験をしなければ旅行の意味がない。」
 蔵臼は唇が真っ赤に染まるのも気にせず、もぐもぐとやって見せる。
 より正確には、EP2では楼座が、そしてEP4ではもっと大勢の人間が金蔵に会っている。しかしそれも、口裏を合わせる人間が臨時で増えただけのこと。
【蔵臼】「こいつは親父殿も好きでね。昔は取り寄せたのか、屋敷のテラスでも、モグモグやっていたものだ。夏妃が来てからは止めたようだがね。」
【蔵臼】「ほら、君が私よりも尊敬する親父殿も愛用していたんだぞ。ほらほら遠慮なく試したまえ。」
【夏妃】「いやいや止めて止めて〜あなた〜〜!」
 ……旅行中の蔵臼は子どもみたいに無邪気だった。普段、夏妃が金蔵へ捧げている尊敬を、隠すことなく嫉妬して見せる。そんな夫の一面が見れただけでも、異国にまで足を運んだ価値はあった…。
 蔵臼はなおも、かじれかじれとしつこく勧めたが、夏妃も負けじと逃げ回り、最後にはしつこいです!っと怒鳴りつけたのだった。
 バスの中で、蔵臼はずっとむくれていた。こんな程度で機嫌を損ねるなんて、子どもっぽい人。そう思って呆れた。そしたら、バス内の現地人ガイドが先程のビンロウを手にしていて、それの説明をしていた。
 この辺りでは古来から煙草のような扱いで愛されてきた嗜好品であること。夏妃がそうであるように、最近は若者に嫌われていて廃れつつあること。
 ……そして、この辺りでは縁起物とされ、夫婦の象徴と呼ばれていること。夫の顔を見る。……ぷいと明後日の方を向くが、ちょっと頬を赤くしているように見えた…。
薔薇庭園
【ベアト】「んで。夫の肩に身を委ねて、手なんか握っちゃったりしたわけかー! なぁんだ、そなたら夫婦、結構純愛ではないかー! 燃え上がっちゃったであろ〜? その晩とかァン♪ きーっひっひっひっひっひ!!」
 真っ赤になって俯く夏妃は、照れ隠しのつもりなのか、パティスを丸ごと口に飲み込み、フグのような顔でもぐもぐとやっている。やはり茶菓はこれに勝るものなしっ。ベアトはそう言いながら満面の笑みで何度も頷くのだった…。
【夏妃】「もっとも、それも新婚の頃の話です。今は六軒島を出ることも出来ぬ身。籠の鳥ですよ。」
【ベアト】「それを言うなら妾も同じよ。死ねども死ねども六軒島よりは逃げられぬ。籠の鳥は妾も同じだ。」
【夏妃】「あなたのことは知りませんし、詮索もしません。……しかし、軽んじれぬ境遇であったことは察します。」
【ベアト】「牢名主を気取るつもりもないわ。同じ籠の鳥同士、せいぜい仲良くしようぞ。妾はそなたを気に入ったぞ。」
【夏妃】「そうですか? ありがとう。」
【ベアト】「この度の親族会議における使用人たちへの指示や采配は見事であった。金蔵が何時にどこにいて、何をして何を残したか。それらを、見事に共有させ、矛盾なく組み上げた。それらの緻密な計画書は高度な魔法陣のそれと同じ美しさがあったぞ。」
 夏妃は、金蔵が実在し、気ままに生活していることを装うため、金蔵の一日のスケジュールを緻密に書き上げ、それを使用人たちに徹底させたのだ。何時にどこで誰に会い、何を残したか。何時にどこで何をして、何を変えたか。
 その結果、親族たちはついに一度も金蔵の姿を見ていないにもかかわらず、その存在をまったく疑わなかったのだった。
 絵羽たちは、廊下を偶然通り掛った金蔵に、遺産の話を聞かれて憤慨されたと、本気で信じていた。全て、見事なまでに緻密な、夏妃の計画書どおり。そして、見事なまでに緻密な、使用人たちとの連携だった……。
【夏妃】「万一にも知られるわけにはいかぬ秘密ですので。念入りに策を練りましたから。」
【ベアト】「その緻密さと意思が絶対の成功を呼ぶ。……どうやらそなたは、魔女としてはラムダデルタ卿の一派らしいな。それを魔法と自覚したならば、いつでも魔女見習いを名乗れるレベルだ。」
【夏妃】「それを魔法と呼ぶなら、熊沢辺りは差し詰め、仮病の魔女ですね。忙しい日に限って、腰痛で休むと連絡があります。毎年、親族会議の日にはいつもです。」
【ベアト】「あー、熊沢は違う違う。もっともっと高位の魔女であるぞ。正体知ったら驚くぞー! くーっくっくっく!」
 懐かしき故郷のヒント。台湾では煙草のようにポピュラーな嗜好品とのこと。
 そんな二人の、のんびりとした語らいを眺めながら、紅茶の湯気をくゆらせる別の二人の姿もあった。もっとも、そこは黄金の薔薇の咲く、夏妃たちには見えざる世界だったが。
【戦人】「……ロノウェが気を利かせて、同じ、ディンブラとかいう紅茶を淹れてくれたぜ。」
【ベアト】「……………………………ん…。」
 わずかにベアトが呟いた気がする。初めて、何かの意思を疎通できた気がした。
 きっと紅茶に興味を持って、飲みたくなったに違いない…。戦人はそう思い、ベアトのカップを取り、彼女の手を取ってカップを握らせる…。
【ベアト】「……………ん、……………。」
 ベアトは瞳を悲しそうに震わせながら、指を振るわせる。
 まるで、自分の指さえ思い通りに動かせず、……かつて大好きだった紅茶を、自分の意思で楽しむことさえ出来ないことを悲しんでいる…。そう見えた…。だから戦人は、ベアトの手に添えて、そっと紅茶のカップを持ち、彼女の口元へ運ぶ……。
黄金郷
 ……するとベアトは、…ほんの一口だったけれど、…それを啜った。
 かつて、赤き宝刀と青き楔で殺し合いをした日々のことが、もはや遠い過去のよう。今のベアトとは、殺し合いどころか、……意思を通わせることさえ難しい。こうして、……紅茶を一口、飲ませることさえ……。
【戦人】「……どうだ。薔薇の匂いが素敵な紅茶だよな。口に合うか…?」
【ベアト】「…………………………。」
 もちろんベアトは、………応えない。
【戦人】「……どうしちまったんだ、お前は…。……これも、…また作戦なんだろ? 落ち込んでるフリをして、後で、ばーっと驚かそうって作戦なんだろ?」
【ベアト】「………………………。」
【戦人】「……それが狙いなら、もう二度と同じ手には乗らねぇからいい加減にしろ。……お前がそんなザマじゃ、こっちも調子が狂うんだよ。」
【ベアト】「………………………。」
【戦人】「なぁ。…そろそろ、引っ掛かったなバァカって、馬鹿笑いしてくれよ。どんなネタも、あまり引っ張りすぎると笑えなくなるぞ。二番煎じなら特にな。」
【ベアト】「………………………。」
【戦人】「笑ってくれ。あそこで夏妃伯母さんとお茶を飲みながら、けらけらと笑ってるみたいに。」
【ベアト】「………………………。」
【戦人】「……………。」
【ベアト】「………………………………………………………………………………………………………………………………………………。」
【戦人】「…………せめて、にやぁと笑うくらいは出来ねぇのかよ…。」
【ベルン】「二度とないわ。その子が笑うことは、もう、二度と。」
 突然聞こえたその言葉は、……あまりに酷薄だった。
【戦人】「どうして二度となんて言える?! ベアトの笑う権利を勝手に奪うな。」
【ベルン】「……あら、赤で言った方がいい…?」
 俺は激しく首を横に振る。ベルンカステルは、何を考えてるのかまったく読み取れない表情で、ベアトの顔を見ながら言う。……それは、まったく理解できない一言だった。
【ベルン】「おめでとう。」
【戦人】「………何がだ。」
【ベルン】「ベアトがそのザマなのは、あなたが勝ったからこその結果だからよ。」
【戦人】「………何を言ってやがる……?」
【ベルン】「あなたはかつてのゲームで言ったわ。これは互いを苛む永遠の拷問だとね。そうよ。ベアトにとっても拷問だった。そして、その拷問ゲームに、あなたは勝ったのよ。……だからベアトの魂は殺され、人形同然の屍に成り果てた。」
【戦人】「俺がベアトをこうしたと、……言うのかよ。」
【ベルン】「勝敗は、どちらか一方の勝とうとする意思が挫けた時に決まる。……あなたとベアトの戦いという意味においては、すでに前回、決着がついていたのよ。まぁ、あなたにとっては、与り知れぬ内に、だろうけれども。」
【戦人】「………なら、俺の勝利なのにどうしてゲームが終わらない。…どうしてこのゲームがまだ続いている。」
【ベルン】「その子の足首についてる足枷。……ラムダが施したルールなのよ。」
 ベアトリーチェは、屈しようと挫折しようと、あるいは投了しようとも、ゲームを降りることが出来ない。……そういうルール。あるいは、呪い。
【ベルン】「かつて、あなたが屈しそうになった時、私はあなたをサポートしたわ。あなたには知覚できないだろうけど、あなたにとって有利な展開とヒントが与えられるように、私はあなたに助力した。だから今、あなたはここにこうしていられるのよ。…………覚えてる? 私に助けられたこと。」
 ベルンカステルが、じっと俺を見つめる…。……確かに俺に自覚はないが、……ひょっとすると確かに、…俺は彼女に、助けられているかもしれない。
【ベルン】「同じように、ラムダはベアトをサポートしてるわ。そして今度はベアトが屈しようとしている。だから今度はラムダが、屈しないようにサポートしたわ。それが足枷。投了を許さないことによって、ベアトをゲーム上、救ったわ。」
【戦人】「……何をどう救ったってんだ。」
【ベルン】「本来、ゲームは2つの終わり方があった。どちらかが負けを認めて投了するか、どちらかがチェックメイトでゲームに勝つか。ベアトはその前者に抵触しかけた。だからラムダはそれを潰し、敗北をぎりぎりのところで回避したの。ゲーム上は立派なサポートだわ。」
 となれば、残されたゲームを終える方法は、……俺が勝つことしかない。少なくともそれまでの間、ラムダデルタとかいう魔女には、形勢を再び逆転するための時間稼ぎが出来るだろう。しかしそれは、……ベアトにとっての苦痛を、さらに長引かせるものだ…。
 俺たちは、互いにそれを望んでいない。俺もベアトも、それぞれの勝利を掲げ、全力で戦った。お互いが全力を尽くしたからこそ、ゲームは幾度かに及んだのだ。
 だから、俺たちはあの時。真正面から、持てる全ての力をもって対峙した。そして、………ベアトは敗北を認めたのだ。俺にこのゲームを終わらせてほしいと、全てを託した。
 だから、ベルンカステルの言うことは正しい。ヤツはベアトが生きた屍となったのは俺のせいだと言った。……それは正しいのだ。しかし、それは俺たちが互いに望んだこと。
【戦人】「俺たちの勝負は、もう決着している。……なのにゲームは終わらない。だから、ベアトは俺に託したんだ。早く勝って、このゲームを終わらせろってな。」
【ベルン】「………………。」
 決着がついた以上、このゲームが続くことは、ベアトにとって終わらぬ拷問、……悪夢でしかない。完全なチェックメイトを与え、本当の意味でゲームを終わらせ、……ベアトに、安らかな眠りを与えなければならない…。
 そのためにも、俺は戦い続ける。しかし、ゲームを進める以上、ベアトへの永遠の拷問は続く。安らかに眠らせるために、真綿で首を絞めているような、……そんな気持ちにさせられる…。
【戦人】「………もう俺には、真実なんてどうでもいい気がしてきた。…ベアトの気が済んだなら、もうゲームなんてどうでもいいだろ。ベアトは投了した。俺は魔女幻想の真実など捨て置いて、家族と家に帰る。……それでいいじゃねぇか。」
 ラムダデルタが施した足枷の呪いさえなければ、もう終わっている戦いなのだ。……だからこそ、憎い。ゲームを終わらせるために、なおもベアトを苦しめ続けなければならない、このゲームが、……憎い。
【ベルン】「……なぁに? 真実に近付いたら、ベアトが苦しそうな表情を見せるようになったんで、急に手心を加えたくなったの…? なら、好きなだけ手加減するといい。あるいは、ベアトに勝ちを譲ればいい。そして、妹に孤独で悲惨な未来を無限に強い続ければいい。」
【戦人】「そういうわけじゃねぇ……。………………。」
 ……そうさ…。俺は縁寿のためにも、帰らなくちゃならない。ベアトにおかしな同情をしてる場合じゃないって、わかっているのに。
【ベルン】「なら、きっちり殺しなさい。その魔女を。」
【ベアト】「………………………………。」
 ベアトがここにいるにもかかわらず、まったく言葉を選びもせず、ベルンカステルはそう言ってのける…。
【ベルン】「あなたの目的は、この女を、殺すことよ。……あなたは前回のゲームで、ベアトに乞われて口にしたわ。お前を殺す、ってね。」
【戦人】「……あぁ、そうかもな。だがそれは、お前にとやかく言われることじゃねぇな。」
【ベルン】「知ってる? 爪を剥ぐ時はね、一気に剥いでくれた方がマシなのよ。……あなたみたいに、やさしく、おっかなびっくりと、ぐりぐりモタモタと剥がれる方がよっぽど痛い。あなたのしてることの方が、よっぽど拷問だと思うけど?」
【戦人】「…………………。」
【ベルン】「慈悲があるなら一気に殺しなさい。それが殺すということよ。」
【戦人】「余計なお世話だ。俺がこいつにどう引導を渡すかは、俺が決めることだ。お前も、あのラムダデルタという魔女も関係ない。俺が、殺す。他の誰にも、それは許さない。」
【ベルン】「…………その意思に変わりがないならいいわ。私はあなたに賭けてるのだから。いい? 決して忘れないことよ。このゲームに決着をつけない限り、あなたが解放されることは決してない。あなたにだって、このゲームを放棄することは許されないのだから。」
【戦人】「……わかってらぁ。」
【ベルン】「ラムダの狙いはわかってる。ベアトと同じように、あなたにも戦意喪失させて、二人とも生き人形にして、この世界を永遠に安定させることよ。……そんなの嫌でしょ? 私も困るわ。」
【戦人】「お前の都合など知ったことか。だが、俺はゲームを捨てない。ベアトとの戦いの責任を、放棄しない。」
【ベルン】「目的が同じで嬉しいわ。そしてそれは、躊躇なくその子を殺せるということよね?」
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「…………そうだ。」
【ベアト】「……………………………。」
 その言葉に、彼女が安堵したのか、傷ついたのか、知る術はない。…しかしちくりと胸が痛んだということは、……俺はきっと、ベアトが傷ついたと、信じている。
 物言わぬベアトの感情を知る術はない。……俺が、彼女は傷ついたと思ったなら、…それは傷ついたと言えるのだろうか。そして、俺が傷つけたと思わなかったら、俺は誰も傷つけずにいられるのだろうか。
 ………………………。
薔薇庭園
【ベルン】「……で。あそこで夏妃とお茶を飲んでるベアトだけど。大丈夫よね…?」
【戦人】「あぁ……。…大丈夫だ。」
【ベルン】「金蔵の時と同じよ。ベアトリーチェなんて存在しない。あれは、魔女の力を借りて危機を乗り越える妙案を思いついたと信じる夏妃が生み出した偽りの魔女幻想。二人が並んでお茶を飲んでるように見えるのは、ゲームマスターであり、物語の語り手であるラムダデルタがそう解釈しているからなだけよ。」
【戦人】「夏妃に対し、一片の愛も持たずに凝視できたなら、そんな幻想が見えたりはしない。………だから私の目には、夏妃がひとりぼっちで、もくもくと紅茶を飲んでるようにしか見えないわ。」
 愛がなければ、視えない。愛がないから、視えない。
【ベルン】「あれは夏妃が見せている妄想。……あそこにベアトリーチェなど、存在しない。」
【ベアト】「………………………ぅ………。」
 ベアトが小さく呟く。……辛い感情を感じさせる小さな声だった。ベルンカステルの真実というトゲが、彼女の胸に刺さったのだ。
【戦人】「……あぁ、そうだろうな。お前の推理は正しいと思うぜ。だが、それをベアトの前で口にするな。」
【ベルン】「どこで口にしたって同じよ。ここはベアトの世界なんだから。」
【戦人】「……あと、こいつを擁護するわけじゃねぇが。夏妃伯母さんが、本当に未知の人物X、ベアトリーチェと名乗る人物とこうしてお茶を飲んでる可能性だってあるんだぜ。この光景は一年前のものだろうが。この日の島の人数が赤き真実で示されてるわけじゃない。」
【ベルン】「……………そうね。この日の六軒島の人数については、ラムダも赤では語ってないわ。」
【戦人】「なら。夏妃伯母さんが、本当にベアトリーチェと名乗る女とお茶を飲んだと主張することも出来るんだぜ。俺にお前の説を否定できないように、お前だって俺の説を否定できないんだ。だから、そこにいるベアトが幻想だと断じることも出来ないぜ。」
【ベルン】「…………あぁ、猫箱理論? それ、ベアトには通用したかもしれないけど、私には通じないわよ。」
【戦人】「どうして。」
【ベルン】だって、夏妃はそこで、ひとりぼっちで紅茶を飲んでるんだもの。
 激しくガラスの割れる音がして、……夏妃の新婚時代をからかい、上機嫌に笑っていたベアトの姿が掻き消える。
 ……寂しい風が吹き、……ベンチにいるのは、疲れた表情で紅茶をすする、……ひとりぼっちの夏妃伯母さんが残されるだけだった………。
【ベアト】「……………ん、ぐ、……………………。」
 ベアトが、……呻く。それははっきりと、苦悶のものだとわかった。魔女幻想がまた一つ破られ、……ベアトを死へと誘う。……ベアトを安らかに眠らせる戦いとは、つまりはこういうことなのだ…。
 さっき、ベルンカステルは俺の戦いのことを、爪を剥ぐ拷問に例えた。剥がねばならぬ爪ならば、……その痛みを最小限にしてやるのが、俺がベアトに送る最後の慈悲のはず。
 それはつまり、……最小限であっても、痛みを与えぬわけには行かないという意味だ。この苦悶の表情を、……俺は受け入れなければならない……。
 そして同時に、…赤き真実とは何と無慈悲なものなのかと思い知った。
 ……今、この薔薇庭園には、夏妃伯母さん以外に誰もいない。つまり、観測者は夏妃伯母さんしかいないのだ。だから、そのたった一人の観測者が、ベアトと二人でお茶を飲んだと語ったなら、……それは誰にも否定できないはずなのだ。
 ……誰にも否定できないこととは即ち、…真実のことではないのか。夏妃伯母さんは、ベアトと二人で、薔薇を愛でながらお茶を飲んでいる。…その微笑ましいひと時を、無慈悲に踏み躙る資格が、誰にあるというのか……。
【戦人】「………赤き真実は、まるで刃物だ。」
【ベルン】「…………………。」
【戦人】「魔女と戦う上で、時に推理を斬られ、時に反撃の武器となる、刃物だ。」
【ベルン】「……知ってるわよ。それが何?」
【戦人】「濫りに使うな。」
【ベルン】「…………………。」
【戦人】「刃物は、使うべき時に使えば道具だが、……悪意を持って使えば凶器でしかない。」
 確かに、夏妃伯母さんは本当は、魔女とお茶を飲んではいなかった。しかし、それを赤き真実で語ることは、俺たちのゲームと関係ないはずだ。
 俺たちのゲームは1986年10月の物語。互いが赤と青の刃物をぎらつかせて傷つけあうのは、事件の二日間だけで充分なんだ。
黄金郷
【戦人】「これは魔女幻想じゃない。……夏妃伯母さんのプライバシーだ。それを暴く権利なんて、誰にもあるものか。」
【ベルン】「……………………。……この場に魔女が実在して、夏妃とお茶を飲んだと認めて欲しいの? あなた、魔女を否定するんじゃなかったの?」
【戦人】「……1986年10月4日から5日の二日間のゲームについてはな。だが、そのゲーム盤の外についてまで、俺は魔女の存在を問うつもりはねぇぜ。」
【ベルン】「そもそも、悪魔の証明により、魔女の否定は不可能だ。そして、このゲームのルールに従い、赤でそれを語るのもステイルメイトで禁じ手だ。赤き真実でさえ、魔女の存在を否定はできねぇんだぜ。」
【戦人】「…………確かに。……まさかあなたに、魔女の存在を語られるとはね。…………さすがラムダ。戦人を、人間犯人説と、魔女がいてもいいという気持ちの、うまいこと中間に引っ張り出して来たわ。」
【ベルン】「ニンゲンの心を操るのに本当に長けている。……私ももっとあなたを応援しないとまずいわね。」
【戦人】「お前らなど知ったことじゃない。消えろ。これは俺とベアトのゲームだ。お前たちに渡しはしない。」
【ベルン】「……………嫌よ。」
【戦人】「何ぃ……?」
【ベルン】「だって。私もこのゲーム、楽しんでるんだもの。………くすくすくすくすくすくす。ふっふふふふふふふふふふふふふ……。」
 いやらしい笑い声だけを残し、ベルンカステルは姿を消す。
薔薇庭園
【ベアト】「…………………………………。」
 後には、ひとりぼっちで紅茶をすする夏妃と、……紅茶のカップに手を添えたまま、ぼんやりとその液面を見ているベアトと、……俺だけが残される。
【戦人】「……ベルンカステルにラムダデルタか。………ワルギリアはお前の友人と言ってたが。…お前、友人は選ぶべきだったな。いや、むしろ性悪なお前にはお似合いなのか…?」
【ベアト】「…………………………。」
【戦人】「……………………。」
 ベアトは、応えない。
 戦人はベアトの手を取ると、再びカップを持たせ、口元に運んでやる。……ベアトは小さく喉を鳴らし、もう一口だけを飲んでくれた……。
 そして夏妃はひとりぼっちのティータイムを終える。……他に観測者のない、夏妃だけの真実を汚されて。夏妃の世界ではきっと、……茶化しが過ぎるベアトに呆れながらも、和やかなお茶会が終わり、解散となったはずなのだ。
 しかし、暴かれた夏妃の真実は、…ひとりぼっち。
 とぼとぼと立ち去る夏妃。……ベンチには、一人分のカップしか、残されていなかった……。
 この辺りから徐々に、魔女側に感情移入させるための仕掛けが始まる。

密室結界

朱志香の部屋
 朱志香は自分の部屋に駆け戻ってくると、転送した電話を取る。
【朱志香】「あーもしもし?! お待たせー! 戦人ぁ〜! 6年も音沙汰無しとはどういうつもりだ! ひっさしぶりだなぁああ! ん、そうなのか? 知るかよそんなの! うぜーぜ! あっははははははは! じゃあ、今年の親族会議はちゃんと来るわけだろ? 6年ぶりだなぁ!」
客間
 客間には、高級スーツ姿の実業家が5人も訪れていて、蔵臼と夏妃に事業の進捗報告をしていた。
 テーブルの上には、ビルの図面や計画、収支などの資料が広げられ、紅茶のカップさえも邪魔だと言いたげだった。
 表向きは蔵臼への進捗報告となっているが、……実際は、蔵臼が夏妃に聞かせるために、彼らをわざわざ六軒島へ招いたのだった。夏妃に、事業がどういう状況にあるのか、蔵臼以外の人間から説明する必要が生じたためである。
 ……つまり、金蔵不在の親族会議が、再び近付きつつあったにもかかわらず、未だに事業はカネを生み出せずにいたのだ。
 蔵臼は、来客たちにしばしくつろぐように伝えると、廊下に夏妃を連れ出し、状況を再び要約して説明した…。
【蔵臼】「……つまり、我々の想像をはるかに超えて、事業は素晴らしくうまく行っていると彼らは言っているのだ。ここで私と知事との私的なコネクションが大きく利いてきた! もはや絶対に釣り落とすことはない。それどころか、例の委任状だけでなく、これまでの損失さえも一気に取り戻すことが可能なくらいの大きな話になりつつあるのだ!」
 蔵臼は熱っぽく語る。……むしろその仕草が胡散臭さを掻き立てるのだが、今回に限り、実際に順調であることを夏妃も認めざるを得なかった。
 確かに蔵臼が豪語した事業は、この一年でさらに規模が大きくなり、当初の見込みを大幅に上回る利益を約束しつつあった。勝ち馬には放って置いても出資者が集まり、資金が見る見る集まる。カネがカネを呼ぶとはまさにこのことだろう。
 恐らく、蔵臼のこれまでの人生で、もっとも成功した、……いや、成功する事業となるだろう。
 夏妃が危惧するのはその一点だった。確かに確実な話で、蔵臼が言うように、もはや釣り落とすことはない。しかし、………掛かった魚が大きくなり過ぎたのだ。
【蔵臼】「必ず釣り上げられる魚だ。何も焦る必要はないのだよ。親父が生きていたなら、ぜひ見せて誇りたいほどの大成功なのだ…!」
【夏妃】「えぇ、それはわかっています。ですが、あなたは昨年、私に約束したはずです。必ず、1年で何とか出来ると…!」
 蔵臼は苦い顔をする。大成果を保証する肥えた魚を、確かに彼らは釣ってはいる。しかし、引き上げるには、それに相応しい時間が必要になるのだ……。
 夏妃は何とか今年の親族会議までにカネを作れないのかと蔵臼を問い詰めるが、蔵臼は、あともう1年だけ待って欲しいと繰り返す…。
 蔵臼としては、この空前の成功を切っ掛けに、未来の新しい挑戦への踏み台にしたいという目論見がある。そのため、おかしな金策で奔走していることで、妙な不信感を持たれたくないという気持ちがあるのだ…。
 確かに、運気というのは小さなケチで転ぶこともある。慌てる乞食は何とやら……。蔵臼はこれまで、じっくり待てば必ず利益が上げられた事業を、いくつも焦って清算し、自ら勝ち馬を降りるような真似をしてきた。
 夏妃もそれはわかっている。夫にもっとも足りないものが胆力なのだとわかっている。だからこそ、もう1年だけ慎重に行きたいと言う蔵臼のそれを、否定することが出来なかった……。
金蔵の書斎
【金蔵】「……はっはははははは。順調で良かったではないか。ということはどうやら、私はもうしばらくここで幽霊を続けねばならぬようだな。」
【ベアト】「まんざらでもなかろうが。そなたの命など、この世を去れば、すぐに悪魔どもに食い尽くされる運命よ。」
【夏妃】「……申し訳ありません、お父様。…また、今年も、…お父様にはお休みいただけないかもしれません。」
【金蔵】「良い。気にするな夏妃。右代宮家当主はすでに私ではない。書斎の幽霊は大人しく、現在の当主の命令に従うべきだ。……蔵臼の資料は読ませてもらったが、なかなかに悪くない。」
【夏妃】「お父様からご覧になってもですか。」
【ベアト】「……ふむ。妾から見てもなかなかのものよ。誰もが勝利を確信し、相当の魔力が集中している。その結果、さらに勝利が厚くなり、ますますに人と魔力を集め、黄金を生み出そうとしている。錬金術の王道を見事に体現しているぞ。」
【金蔵】「ほぅ。黄金の魔女の太鼓判まで付くなら、これは心強い。喜べ、夏妃。この蔵臼の事業は、必ずや右代宮家の危機を救うだろう。」
【夏妃】「あ、…ありがとうございます。……そして、そのためにまた……。」
【ベアト】「ふむ。もう一度、親族会議を乗り越えねばならんな。」
【夏妃】「えぇ。昨年はうまくやり過ごせたつもりですが、不審に思う親族も現われるでしょう。………今年は正念場になると思います。」
【金蔵】「去年の親族会議の時、ひょっとしたらもう一度同じことになるかも知れぬと予見したそなたは正しかったな。」
【ベアト】「……最悪のケースを想定するのは、魔女ならずとも世渡りの基本だ。……それで、今年はどうする?」
【夏妃】「去年同様、会議当日はお父様の秘密を知る使用人を集中的に配置します。……お父様の不在を気取る親族もすでにいるかもしれません。不用意な演出は、むしろ馬脚を現す危険性もあります。」
【金蔵】「ふむ。過ぎたるは及ばざるが如しとも言う。……なれば、どうする?」
【夏妃】「今年は昨年とは逆に、最後まで書斎をお出にならないという筋書きで行こうと思います。」
【金蔵】「それが良かろうな。篭城は単純にして最後の切り札だ。」
【ベアト】「どれほど屋敷が毒素に満ちようとも、この部屋を密室結界に閉ざす限り、金蔵の存在を否定することは出来ぬ。それは妾も保証する。……だが、篭城すれば囲まれるは必至。」
【夏妃】「承知しています。……それでも何卒、もう一度だけ、お父様とベアトリーチェの力をお貸し下さい…。」
【金蔵】「私は新しき当主の命令には逆らえぬ。そして、幽霊もまた、生者の命令には逆らえぬしな。この部屋から出るなと言うのであれば、それに従おう。」
【夏妃】「ありがとうございます……。」
【ベアト】「妾は嫌だぞ。力を貸せと願われても、願い如きでは聞いてやれぬ。」
【夏妃】「えぇ。あなたは顧問錬金術師。ですから、貸せと願いません。貸しなさいと命じます。……あなたの魔法だけが頼りです。その力で、もう一度だけ、お父様の幻想を。」
【ベアト】「ならば良し。心得たぞ。そなたの貫禄、なかなかに心地良し。」
 そんな夏妃たち3人のやり取りを、戦人は書斎の暗がりから見ている……。
【戦人】「……なるほどな。そして今年の親族会議を迎えるわけだ。……祖父さまは不機嫌だからと書斎に閉じ篭り、誰の前にも姿を現さない。」
【ベアト】「……………………………。」
 夏妃は、何とか今年も乗り越えて、右代宮家の名誉を最後まで守ってみせると豪語し、金蔵は頼もしいとそれを讃える。ベアトもまた、夏妃の貫禄を、蔵臼よりも当主に相応しいと讃えている。
 ………しかし、………この書斎に今いる、本当の人数は……。それを思った時、……いや、思っただけで、ベアトが胸を押さえて呻く。
黄金郷
【戦人】「……安心しろ。ここはゲーム盤の、まだ外だ。だから俺は、そこにいるお前や祖父さまを否定はしない。」
【ベアト】「……………………………。」
 胸の奥の痛みを抑えるベアトの手に、俺は自分の手を重ねる……。
 俺はすでに、ベルンカステルに対して言っている。魔女幻想を否定するのは、1986年の親族会議の二日間だけで充分なのだ。
【戦人】お前は前回、全ゲームの開始時に祖父さまが死んでることを赤で宣言した。しかし、ゲーム開始以前の祖父さまの生死については言及していない。……つまり、今この場に、祖父さまが存在していても、何の矛盾もないってわけだ。
 彼女に触れる俺の手が、ほのかに青く光を放ち、……彼女の胸の奥に染み透っていく。その光は、ベアトの胸の奥の棘を、……やさしく包み込む…。
【戦人】「……そして、この場にいるベアトリーチェの存在だって、否定することは出来ない。ゲーム盤の外、即ち1986年10月4日以前の島の人数については赤で宣言されていないんだ。だから、ここにベアトリーチェが存在しても、何もおかしいことはない。
【ベアト】「…………………………ぅ。」
 ベアトの表情がわずかに和らぐ。俺の青い光が、……ゆっくりと魔女幻想を否定する赤い棘を、溶かしていく…。
【ベアト】「……………………。」
 ベアトは相変わらずの悲しげな表情だったが、顔を上げる。そしてじっと俺の目を見る。
 無言であっても、痛みがなくなったことを、その目で教えてくれた。その目に浮かぶのは、痛みを取り除いてくれたことへの感謝の気持ちと、………魔女の存在の余地をわずかに残してくれたことへの、感謝と、驚き…?
 俺はその無垢な瞳が正視できなくて、目を思わず背けてしまう。
【戦人】「……誤解すんなよ。魔女の存在を認めたり、あるいは屈したつもりもねぇ。俺はお前とのゲームに勝つ為に、その部分だけに徹してストイックに戦いたいだけだぜ。ゲーム盤の外でまで、嫌がらせをするほど趣味は悪くねぇからな。」
【ベアト】「…………………………。」
【戦人】「……………。」
 ベアトは俯く。…俺も顔を背けたままだ。でも、俺たちはしばらくの間、無言で手を重ねたままでいるのだった……。
 ………この悲しそうな瞳の女が、あの傲慢なベアトと同一人物だなんて、……今となっては誰が信じられるだろう。
 だから、……もう一度、問う。それは口にしたとしても、彼女への問いではない。自らへの、問い。
【戦人】「……お前は、……一体、何を考えていたんだ。」
【ベアト】「…………………………。」
【戦人】「そうさ。俺はラムダデルタのゲームを通じてでも、……お前を探さなくちゃならない。お前が何を考え、何をしようとしていたのかをな。」
 もうじき、このゲームも1986年10月4日を迎える。……いよいよ第5のゲームが始まるのだ。そして、今度こそ辿ろう。その旅路を。
【戦人】「……殺人がとか、トリックがとか、……そういう上辺だけじゃない。…お前が、…黄金の魔女、ベアトリーチェが、何を考え、何の為にそうしたのか。何を望んでいたのか。…………それを、辿る。」
 そうさ。俺はその旅路を辿るための方法を、もう知っている。そして最初から、それを掲げている。
【戦人】「……今こそ、チェス盤を引っ繰り返そう。この物語を、俺側からじゃなく、……お前側からの目線で、物語を紐解く。」
【ベアト】「…………………………。」
【戦人】「そして今度こそ、……お前を理解しよう。そしてお前の心臓に辿り着く。……痛みなんか、感じさせない。安心しろ。……あの魔女どもの玩具になど、もうこれ以上、させないからな。」
【ベアト】「…………………ん…。」
 ベアトは再び俺を見上げ、……小さく頷く。
 ……そうなんだ。ゲームマスターの席は、確かにラムダデルタが奪ったかもしれない。
 しかし、……俺が、ベアトと戦う姿勢で挑み続ける限り、……誰がゲームを操ろうと、俺とベアトの戦いは続けられるのだ。……俺たちのゲームは、もうすぐ、幕を開ける……。
使用人室
【源次】「今年の親族会議でも、お館様の秘密を隠さねばならん。」
【紗音】「は、はい。……心得ております。」
【嘉音】「…………同じ手がもう一度通じるか疑問だな。」
【源次】「奥様も同じご懸念を持たれている。その為、今年は書斎から一切、お出にならない方向で行くことになった。」
【紗音】「つまり、ずっと書斎に篭られていることにする、というわけですか…?」
【源次】「……うむ。そして書斎に入ることが許されているのは、我ら3人、片翼の翼を許された使用人だけだ。」
【嘉音】「………ということは、僕たち3人で、お館様の嘘を突き通さなくちゃならないわけか…。」
【源次】「そうだ。……親族の方々は、お館様の具合や機嫌などを問い詰めてくるだろう。澱みなく答え、不審に思われることがなきよう、注意するように。」
【紗音】「……は、はい。心得ました。」
【嘉音】「姉さんはすぐドジるからな。むしろ、当日は風邪か何か理由をつけて、欠席した方がいいんじゃない?」
【紗音】「そ、そんなひどい……。」
 嘉音は馬鹿にして言っているだけではない。……金蔵の死を隠すという責任重大な日の負担から、紗音を解放してやりたいだけなのだ。
【嘉音】「源次さま。紗音がシフトに入る必要はないのでは。僕たちだけで充分やれます。」
【源次】「それは出来ん。奥様から、我ら3人は必ずシフトに入るようにとの厳命だ。」
【紗音】「はい……。やり遂げる覚悟です。」
【嘉音】「ドジらないでよ。」
【紗音】「ドジりませんっ。」
 紗音がむくれると、嘉音は肩を竦める。それを源次が、緊張感が足りないと諌める。
【源次】「……紗音。嘉音。……すでにお仕えするお館様はお亡くなりになっている。しかし、本当の意味でお亡くなりになるまで、我らの奉仕は続く。……あの書斎は無人ではない。今なお、お館様がおられ、日々の研究に勤しまれているのだ。それを深く心得よ。」
【紗音・嘉音】「「はい、源次さま。」」
レストラン
【絵羽】「お父様が、すでに亡くなっている…?! そんな馬鹿な…!」
【秀吉】「まぁまぁ…。例えの話や。武田信玄は、その死を3年の間、秘密にするよう遺言したっちゅう、有名な故事があるやろ。知らんか?」
【絵羽】「……そんな話もあったかしら。日本史はよくわかんないわ。」
【秀吉】「当時、武田は織田や徳川との戦の真っ最中だった。そこで信玄が死んだなんて話になったら、戦況に悪影響が出るやろ。そやから、自分の死を3年隠すように遺言したんや。……秀吉かてそうやで? 主君、織田信長の死を敵方に知られんように、徹底的に情報規制を行い、素早く毛利と和解して、中国大返しを行い明智を討ったんやないか。」
【秀吉】「一方の柴田勝家はそこで失敗したんや。敵の上杉に信長の死を知られ、思わぬ反撃を受けて足止めを食らい、その後の秀吉との後継者争いで大きく遅れを取ることになったんや。」
 戦国武将に強い憧れを持つ秀吉は、ここぞとばかりにウンチクを語り出す。絵羽は辟易としながら、話を戻させる。
【秀吉】「……早い話が、…わしは去年の親族会議から、ずっと違和感を持っとったんや。」
【絵羽】「あれは、私や留弗夫が遺産の話をしてたのを、廊下のお父様に聞かれてしまってそれで、」
【秀吉】「そこや。……夏妃さんや使用人たちは、どこそこにお父さんがいた、不機嫌そうだったと口を揃えたが、わしら親族は、誰一人、お父さんを見てないんやで?」
【絵羽】「もしあなたの想像が本当なら……。……どういうこと?! 兄さんが遺産の独り占めを狙ってるということ?!」
【秀吉】「もちろん、死んだことを隠すなんてかなり危険なことや。果たして、遺産を独り占めするためだけに、それだけのことを蔵臼さんがやってのけるのか、わしも確信は持てん。だが、可能性はある。」
【絵羽】「……た、…確かに、兄さんは昔から強欲よ。兄弟全員でと受け取ったものを着服するなんてよくあることだったわ…。」
【秀吉】「蔵臼さんは、わしら兄弟の中では一番裕福なはずや。…そんな蔵臼さんが、お父さんの死を隠すなんて危険を冒してまで、遺産の独り占めを目論むとは、…わしにはちょいと信じられんのだがな。だが、そう疑いたくなるくらい、去年の親族会議はおかしかったんやで。」
【絵羽】「……………………………。」
 金蔵が不機嫌と知って、わざわざ顔を拝みに行くのがどれだけ命知らずなことか、絵羽たちは骨身に沁みてよく理解している。
 だからこそ、去年の親族会議で金蔵が機嫌を猛烈に悪くしたと聞いて以降、金蔵と積極的にコンタクトを取ろうとはしなかった。だから、今日の今日まで、一度も姿を現さなかった金蔵を不審に思いはしなかった……。
【絵羽】「……確かに、疑ってみる価値はあるわね…。でも、本当に兄さんがお父様の死を隠すなんて大それたことをするかしら…。……傲慢なくせに、おかしなところで小心な人よ。そんな一世一代の大博打を、本当にするかしら……。」
【秀吉】「いずれにせよ、今年の会議では、きっちりお父さんのご尊顔を拝謁した方がええやろな。」
街の夜景
【留弗夫】「……非常に良くない噂さ。どうやら兄貴の事業は、俺たちの想像を超えて手酷く失敗してるらしい。相当の損失を抱えてて、表向きを取り繕うだけで精一杯らしい。」
【霧江】「つまり、蔵臼さんからお金を借りるのはとても難しいことというわけね。」
【留弗夫】「あぁ。泣けてくらぁ。」
【霧江】「…………蔵臼さんにとって、経済的に困窮していることは、ある種の弱みにはならないの?」
【留弗夫】「弱み? ………そりゃ、投資家は肥えてるから投資家なんだぜ。実は金欠だなんてことになったら、誰も見向きもしねぇ。」
【霧江】「信用第一の世界なのね。………………。」
 霧江は薄く笑う。留弗夫はその笑みに、はっとする…。裕福な蔵臼から借金をすれば、当面を凌げるという算段が、実は蔵臼もそれほど余裕がないことがわかり、ご破算になったと思っていた……。
【霧江】「……蔵臼さんの信用は、蔵臼さんのこれからのお仕事に必要だろうけれど。私たちのこれからには必要ないわ。」
【留弗夫】「兄貴をゆするってのか。」
【霧江】「私だったら嫌よ。血の繋がった兄弟を貶めるなんて。くすくすくすくす。」
 冷たく笑う、霧江のその表情に、留弗夫はぞくりとするものを感じる…。
 霧江は時折、情愛というものを全て切り捨てて、極めて冷酷に思考を巡らすことが出来る。そういうものを感じる時、留弗夫はつくづく、彼女を敵には回したくないと思い知るのだ……。
【霧江】「他に金策があるなら、お兄さんを脅迫なんてしたくないものだわ。」
【留弗夫】「……あったら悩んだりしねぇ。」
【霧江】「選択の余地のない問題で悩むのは、人生の無駄だと思わない?」
【留弗夫】「……………………………。」
 留弗夫は言いよどみ、腕を組んで俯く。幼少期に振るわれた暴力が元で、留弗夫は未だに蔵臼に対してある種の恐怖感を持つ。
 ……その蔵臼を、脅す。それは、留弗夫の幼少期からのトラウマとの戦いさえ意味した。だからそんな夫の背中を押すかのように、霧江は心強く、……あるいは冷たく、笑う。
【霧江】「つくづく、信用で仕事をしたくないものだわ。信用ほど、積み上げるのに苦労して、失う時が一瞬なんて、割の合わない投資はない。」
【留弗夫】「そ、…そうだな。…世の中、百の信用より一枚の新札だ。」
【霧江】「蔵臼さんが大きな損失を出していると言っても、私たちの急場を凌ぐためのお金くらいは充分用意できるはず。もちろん、蔵臼さんのこれまでの信用を換金してお金を作ってもらうことになるけれど。」
【留弗夫】「………こいつは、……ヤバイ話になるな…。」
【霧江】「充分な備えが必要よ。私たちには時間も失敗も許されてない。そうだったわね?」
【霧江】「私の京都の友人たちに、そういうのを洗うのが上手な人たちがいるわ。あまり世話になりたくない連中なんだけど、……一度会ってもらってもいい? 領収書は切れないけど、きっと、投資に見合うだけのものを調べ上げてくれるわ。」
楼座の家
【楼座】「えぇ。真里亞も元気よ。………そちらは大きなお世話よ。ありがとう。………え? さぁ、スケジュールを見てみないとわからないけど…。」
 楼座の電話の相手は留弗夫だった。兄や姉から電話をもらうことは滅多になかったので、余程のことかと楼座は身を硬くしていた。
【留弗夫】「実はな。次の親族会議について、ちょいと兄貴抜きで意見を調整したいんだ。」
【楼座】「………絵羽姉さんと留弗夫兄さんと私の3人で? ……頭痛の増えそうな話ね。」
【留弗夫】「電話じゃ詳しくは話せない。だが、お前にとって聞く価値のある話のはずだ。」
【楼座】「それはいい話?」
【留弗夫】「もちろん。姉貴は乗り気だぜ。」
【楼座】「姉さんが……?」
【留弗夫】「楼座には賛同して欲しいだけだ。カネを出せとか、そういう話じゃない。俺たち3人が全員結束してることが、まず大事なんだ。わかるな?」
 楼座は溜息を漏らす。留弗夫や絵羽が蔵臼と喧嘩をする時、よくこんな口調で巻き込まれてきたからだ……。
【楼座】「先に教えて。その話は、私も得をする話よね?」
【留弗夫】「あぁ。俺たち3人で2億ずつせしめる。うまく行けば、それ以上も引っ張れるかもしれない。お前の借金、それでチャラだろ?」
【楼座】「…………………。それはいつまでにせしめられるの?」
【留弗夫】「もちろん、年度内だ。俺も助かる。姉貴も助かる。そして楼座も助かるってわけだ。三方丸く収まる。」
【楼座】「姉さんが話に乗るくらいには、勝算があるのね?」
【留弗夫】「話を聞く気になったか? ちょいと急だが、次の日曜日の19時に、銀座のお前のお気に入りの喫茶店で会おう。俺と姉貴の予定がそこでしか合わねぇ。問題ないか。」
【楼座】「2億捻出できる話なら、聞かないわけにはいかないわ。……では次の日曜日の午後7時に、レオポルドで。」
【留弗夫】「真里亞ちゃんによろしくな。連れて来てもいいんだぜ。」
【楼座】「あの子の前でお金の話は止めて!」
 受話器をガチャリと、少し乱暴に置く。
 どうやら、蔵臼の弱みを、絵羽か留弗夫のどちらかが握ったらしい。次の親族会議でそれを脅迫して、カネを支払わせようというのだろう。ろくでもない話であるのは、聞く前から百も承知だ。
 だがそれでも、……莫大な借金を返済できる、千載一遇のチャンスだった。楼座はハンドバッグから手帳を取り出し、留弗夫たちとの打ち合わせ日を記入しようとする。……そして顔をしかめ、額を強く叩いた。
 そこには、「真里亞とDZL」と、……娘との予定が記されていたからだ。
 この時点で紗音が金蔵の死を暴露し、狂言殺人の計画に関わっている。目的は、金蔵の死を隠していたことを自白せざるを得ない状況に、夏妃を追い込むこと。
 真里亞は自室で、さくたろうたちとはしゃいでいる。次の日曜日に、出来たばかりの遊園地、デルゼニーランドに連れて行ってもらえることになっているからだ……。
 時計を見ると、もう夜の9時を過ぎていた。それは、消灯のルールの違反だ。
 楼座は顔を覆いながら、しばらくの間、悩みこんだ後、……すくっと立ち上がり、踵を踏み鳴らしながら真里亞の部屋へ向かっていく。
 きっと、部屋も散らかしているだろう。……それは今夜に限り、好都合だった。
 上機嫌な笑い声が漏れ聞こえる真里亞の部屋の扉の前に立ち、楼座は一度、苦悩で顔を歪めて俯く。そしてもう一度、顔を上げた時には、眉間にしわを寄せた、醜悪な憤怒の表情になっていた…。
夏妃の部屋
 空模様はあまりよくない。週間予報では、熱帯低気圧が大きな台風に成長する可能性が高いと伝えていた。
 不愉快な予感が大抵当たるのなら。……恐らく、今年の親族会議は、最悪の天気の中で行なわれることになるだろう。
 いや、いっそ、船が欠航するほどの台風が、六軒島を永遠に閉ざしてくれないものか。そうすれば、金蔵の死をいつまでも隠し果せることが出来るのだが……。
【夏妃】「台風が、……彼らを永遠に遠ざけてくれればいいのに。」
 大きく溜息を漏らす夏妃。……溜息をつくだけでも、頭痛に障る…。親族会議の日程が近付くにつれ、頭痛は酷さを増すばかりだった。
 その時、電話が鳴った。夏妃はテレビを消し、受話器を取る…。
【夏妃】「……はい。」
【源次】「お休みのところ、申し訳ございません。源次でございます。」
【夏妃】「何事ですか…?」
【源次】「奥様に外線からお電話でございます。……ですが、名前をお名乗りになられません。」
【夏妃】「名乗らない…?」
【源次】「はい。先方は話せばわかるとは申しておりますが…。如何しますか。悪戯かもしれません。」
【夏妃】「どんな相手です?」
【源次】「恐らく、若い男性ではないかと。お心当たりはございませんか…?」
【夏妃】「若い、……男性?」
 夏妃には、まったく心当たりがなかった。そもそも彼女の知人に、名乗らないような失礼な人間はひとりもいない。その上、若い、…男性……?
 妻たるもの、夫以外の、それも若い男性と、疑われるような接点があるべきではない。そう思うと、急に汚らわしい電話のように思えてきた。しかし同時に、それでもなお、何を自分に伝えようとしているのかという興味も持った。
 ……ひょっとして、蔵臼の事業にかかわる何かでトラブルでもあったのではないだろうか。それを、蔵臼本人ではなく、あえて妻に伝えなければならない特別な事情が……?
【夏妃】「………………………。」
 どのような内容であれ、聞いて蔵臼に伝えるのが妻の役目だ。……おかしな脅迫だったなら毅然と断り、そういう電話があった旨を蔵臼に報告すればいい。腹立たしい電話なら、名乗らない電話は二度と取り次がないよう、源次に厳命すればいいだけの話だ。
 夏妃はそう考え、やはり切りますかと言う源次に、繋ぐように伝え、一度、受話器を置く。しばらくすると、再び電話が鳴り響いた……。
【夏妃】「…………もしもし。」
 これは内線ではない。源次が転送した外線電話だ。だからもう、直接、謎の男と電話は繋がっているはず。
 だが、問い掛けに相手は応えない。……不愉快な気持ちになり、夏妃は不機嫌そうにもう一度言った。
【夏妃】「もしもし? 誰ですか? 名を名乗りなさい…!」
「………………………。」
 吐息らしきものが聞こえた。思わず、固唾を飲み込んでしまう。
 さらにもうしばらくの沈黙の後、ようやく男は電話に応えた……。
 さくたろうは本来ならすでに殺されているはずだが、ベアトのゲームと設定が異なると考えれば説明は可能。
「………久しぶりだな。」
 それが、男の第一声だった。
「……どれくらいぶりになるんだ。……一体、何年ぶりかな。」
【夏妃】「何の話です。あなたは誰ですか…!」
 その声は、確かに青年くらいの男の声に聞こえた。しかし、電話の向こうの声だけで相手の正体を見破るのは難しい…。
 青年くらいの男に感じられるが、案外、中学生くらいの男子かもしれないし、まだまだ声に張りを持つ壮年男性かもしれない。いやいや、男だと決め付けることさえ、早計かもしれない。しかし、確実に言えることは……、こんな馴れ馴れしい口調で話す人物に心当たりはないということだった…。
「……俺が誰かを名乗るのは簡単さ。……だが、それでは俺が、あまりに悲しい。」
【夏妃】「何を言っているのか、わかりかねますっ。あなたは誰ですか。そして私に何の用ですか! それが言えないなら、興味はありません! 切りますよ…!」
「俺の望みは、……あんたに思い出してもらうことだ。」
【夏妃】「何を思い出せというのですか。あなたなど知りませんし、思い出すような心当たりもありませんっ!」
「………そんなこと言うなよ。俺はあんたの子どもじゃないか。」
【夏妃】「何ですって……?! あ、あなたは何を言っているんです?!」
「そんな悲しいことを言うなよ。…カアサン。」
 その不気味な言葉は、夏妃の心の奥底に、容赦なく腕を突き込み、掻き回す…。こんな不気味なことを言われたことなど、夏妃の人生において、これまでにただ一度もあった試しはない。
 夏妃は困惑しながら、心臓の鼓動が爆発しそうなほどに大きくなるのを感じる。
【夏妃】「あ、……ぁ、あなたに母と呼ばれる覚えはありません! 何のつもりか知りませんが、もう切りますよ…!!」
「……俺は復讐するために帰ってきたんだ。……あんたの、19年前の罪に。」
 夏妃の頭が、閃光で満たされる……。そして窓の外で唸っている風の音の向こうに、確かにあの日の潮騒を聞いていた……。
「………あんた、本当はもう思い出してるんだろ……?」
【夏妃】「な、…何の話かわからないと言っています!! も、…も、もう二度と掛けないで下さい!」
「19年前にあんたがした仕打ちを、……俺は忘れない。……だからあんたを呪うために、あえてそれでも、いや、だからこそ、俺はあんたをカアサンと呼ぶよ。………もうすぐ、親族会議じゃないか。……俺もカアサンの子どもだからね。会議の日に帰るよ。…19年ぶりにね。……あんたに復讐するために。」
 ガチャンッ!!
 肩で荒い息をしながら、夏妃は受話器を叩き付けて電話を切る…。そして乱暴に電話を叩き、受話器を外した。もう一度、電話を掛け直してくることがないように…。
 聞こえるのは潮騒の音……。
 唸る風の向こうに聞こえる声はきっと、……あぁ、耳を塞いでも耳を塞いでも、……。……頭痛が……………。
 夏妃は蒼白になりながら、…凍えるように震え続けていた……。
【ベルン】「…………ラムダ、いる?」
【ラムダ】「えぇ、いるわよ。ベルンが望めばどこにでもっ。」
【ベルン】「……じゃあ、台所の床下収納に入ってて。ぬかみその壷の中でもいいわ。」
【ラムダ】「あぁん、私を味噌に漬けてかじってくれるの? でもそれなら、蜂蜜に漬けてほしいものだわ〜。お返しに、ベルンは砂糖水で煮込んであげる。」
【ベルン】「……せめて砂糖醤油とみりんにして。」
【ラムダ】「それで何? 復唱要求でも気取っちゃう?」
【ベルン】「………そうよ。この夏妃の電話のやり取りは事実?」
 ラムダデルタは、にやぁ〜と、値踏みするかのように嫌らしく笑う。求められた復唱要求を焦らしてからかっているつもりなのだろう。
【ベルン】「………復唱拒否?」
【ラムダ】「さぁてねぇ…。拒否か応じるか、どうしようかなぁ…。それを決めるのはゲームマスターの私の自由だし、その判断をいつするかさえ自由。」
【ベルン】「………青字宣言でない限り、あんたに応える義務はないしね。」
【ラムダ】「そーゆうこと! くすくすくす。今はせーぜー、夏妃の19年前に一体どんな秘密が?! とワクワクテカテカしていなさい? くすくすくすくす。」
 この不審な電話のやり取りは、無論、1986年10月4日以前のもの。まだゲームは始まる以前の出来事だ。だから、その真贋を問う必要は、本来ない。
【ベルン】「………ゲームマスターのあんたがわざわざ見せた以上、何かの布石だと思っとくわ。……騙しかもしれないけれど、一応、あんたのこの指し手は記憶に留めておく。」
【ラムダ】「うっふふふふふふふふふふふふふふふ………。このカードを伏せたまま場に出すゥ、ってヤツね〜。あ痛ッ、な、何?!」
【ベルン】「…………ダイレクトアタック。」
 急にゴツンと頭を叩かれたラムダデルタは、目を白黒させている。
 だが、その意味不明のやり取りが面白かったのか、すぐにくすくす笑いに戻る。
【ベルン】「……これで、あんたのゲーム盤の準備は充分?」
【ラムダ】「えぇ、そーよ。それじゃいよいよゲームを進めるわよ。1986年10月4日にね…!」
【ベルン】「………何度目の1986年10月4日かしらね。……無限の魔女か。…ベアトリーチェ。…やはり恐ろしい子だわ。」
【ラムダ】「ベルン側は何か行動ある?」
【ベルン】「………ないわよ。あんたが復唱要求に応えないなら、それで終わり。」
【ラムダ】「ターンエンドね? アンタップ、アップキープ、ドロー!! さぁ来たれッ!! 1986年10月4日ッ!!!」
 電話の相手は戦人。留弗夫たちの計画に協力させられている。

古戸ヱリカ
10月4日(土)11時00分

薔薇庭園
【戦人】「やっぱりこの薔薇庭園は圧巻だぜ。6年前より、さらにすごくなってやがる。こんなのが庭なんて、うらやましいぜ!」
【朱志香】「んなことはねーぜ。私にとっちゃ、船着場まで遠くて邪魔なだけなんだけどな。」
【譲治】「はっはっは。それは贅沢な悩みだねぇ。」
【真里亞】「うー! 毎朝、薔薇と挨拶してから登校、素敵素敵! こんなにいっぱいの薔薇、みんなと挨拶してたら、遅刻しちゃうね…!」
【朱志香】「縁寿は残念だな。お腹、壊しやすいんだって?」
【戦人】「らしいな。腸が弱いんだろうよ。しょっちゅう、下痢してるぜ。」
【真里亞】「うー。レディーにそーゆうの言うのいけない……。」
【戦人】「いっひひひひ、それはすまねぇ。そうだよな、女の子のお尻からはマシュマロが出るんだもんな〜。縁寿は体調が悪くて、マシュマロが水飴になっちまったわけだ。」
【朱志香】「それはさすがに、」
【譲治】「下品が過ぎるね。」
 譲治と朱志香が、戦人の左右の下腹部に、それぞれ、膝と拳を叩き込む。めりり、ぐしゃどさ。……ぐしゃどさは、膝をつく音と倒れる音だろう。
 戦人も、本来は18歳なりの分別のある男だ。しかし、6年ぶりの再会に、精神年齢が当時のものに戻ってしまっているようだった。そして譲治や朱志香たちもまた、6年前の自分たちに戻っていることを、次第に気がつくのだった…。
 そんな微笑ましそうな? やり取りを夏妃は廊下の開け放たれた窓から眺めていた。
【源次】「………奥様。旦那様がお探しです。」
【夏妃】「もう少ししたら行きます。……まだお昼にもなっていないのに、…疲れました。」
 ついさっきも、絵羽たちとバチバチ火花を散らしたところだ。さっそく、金蔵を出せ出せと突っ掛かってくる…。やはり去年の親族会議は、彼らを完全に騙しきれてはいなかったのだ……。
【夏妃】「………お父様は、……問題ありませんね…?」
【源次】「はい。……お任せを。紗音と嘉音も、今日の段取りを充分に心得ております。」
【夏妃】「……熊沢は嘘をつくのが上手なようですから心配しませんが、…南條先生が少し心配です。……隠し事が苦手そうでおられますから。」
【源次】「………お任せを。可能な限り、私が南條先生のお近くで補佐するつもりです。」
【夏妃】「あなたがいてくれるなら頼もしいですね。………本当に助かります。…源次の力なくして、成し得ないことです。」
【源次】「……恐縮でございます。」
【ベアト】「安心せよ。書斎の密室結界は完璧だ。結界を破らぬ限り、誰にも金蔵の秘密を暴くことなど出来ん。」
【夏妃】「………えぇ、わかっています。しかし、あなたも先ほどの客間でのやり取りを聞いていたでしょう?」
【ベアト】「……うむ。やはり去年の時点で相当の不審感を持たれていたのであろうな。凄まじき毒素を溜め込み、振りまいておるわ。」
【夏妃】「……やはり今年が、正念場になりそうですね。」
【ベアト】「今年を何とか乗り越えることは出来ようが、……仏の顔も何とやらだ。さすがに来年は無理と心得た方が良かろうな。」
【ロノウェ】「………これほどまでに反魔法の毒素が満ちては、来年の親族会議でも、ゴールドスミス卿の魔法を維持するのは難しいでしょう。」
【夏妃】「だ、……誰ですか、あなたはっ。」
【ベアト】「あぁ、驚かずとも良い。妾の家具頭を勤める男だ。」
【ロノウェ】「初めまして、夏妃奥様。ロノウェと申します。どうぞお見知りおきを……。」
【ベアト】「頼れる男だ。この男にも、密室結界を守ってもらう。」
【夏妃】「……そうですか。右代宮夏妃です。あなたにも協力をお願いします。」
【ロノウェ】「はい、奥様。……魔法世界からお手伝いをさせていただきます。どうかお任せを。」
【ガァプ】「…………ついでだから、私も紹介してもらおうかしら。ハァイ、リーチェ。ご無沙汰……。」
【ベアト】「ガァプか!! そなたまで来てくれるとは心強い!」
【ガァプ】「……遊びに来ただけのつもりだったんだけどね。……手がいるようだったら、声を掛けて。初めまして、マダム。……挨拶するのは初めてだけど、私はいつだって、誰の側にでもいるわ。」
【ロノウェ】「ぷっくっく。こちらのガァプはなかなかの悪戯者…。先日、奥様が自室にてお召しになろうとして、床に落とし見つけられなかった頭痛薬。ガァプの仕業でございますよ。」
【ベアト】「確かに置いたはずなのに見つけられない小物があったら、こやつの悪戯を疑うが良いぞ。……妾も昔、ずいぶんとからかわれたものだ!」
【夏妃】「そ、…そうですか。……いずれにせよ、ここは右代宮の屋敷です。当家にいる間は、当家に従っていただきます。よろしいですね。」
【ロノウェ】「もちろんです。心得ております。……魔法世界での源次と思い、どうぞいつでもご用命下さい。」
【ガァプ】「………私にも客人の心得はあるつもりよ。…家主の顔は潰さないわ。」
【ベアト】「ロノウェもガァプも頼れるぞ。しかし、魔法の世界とニンゲンの世界は表裏一体。」
【夏妃】「わかってます。……もちろん、私もニンゲンの世界から努力します。力を合わせて、お父様の秘密を守りましょう。」
【ベアト】「うむ。」
魔女の喫茶室
【戦人】「……いつもの展開だな。どうせ翌日にならなきゃ話は進まねぇ。」
【ラムダ】「んー? まー、そうね〜。10月4日は、私にとっての準備ターンみたいなものだし。戦人に何もする気がないのなら、10月5日までのんびりしててくれていいのよぅ? 6人死んだら呼んであげる。くすくすくすくす……!」
 ……もちろんそれは、最高に癪に障る言い方だった。事件が起こらなければ、戦いは始まらない。
 しかし、事件を待つということは、第一の晩の殺人を見過ごすということ。つまり、6人が殺されることを甘んじろというのに同じだ……。
【ベルン】「…………知ってる? チェスの先手と後手では、先手の勝率が2倍とも言われてるのよ。」
【ラムダ】「戦術の進歩でだいぶ変わるけどね。後手はドローを狙えれば上々とか言われてるんだっけ?」
【戦人】「……先手必勝くらい、俺も知ってるぜ。………なら、どうしろってんだ。」
【ラムダ】「ぷーくすくすくすくす! そんなだから、アンタは無能なのよ。」
【ベルン】「……本当に。……いい、戦人? 10月4日にだって、解くことが出来る謎は存在するわ。……何が解けるか、わかる?」
【戦人】「まさか……。…………いや、しかし…。」
【ラムダ】「うっふふふふふふ! ……まぁ見てなさい、無能の戦人!」
【ベルン】「くすくすくすくす…。」
 魔女どもが何の話をしているのか、うっすらと見当はつく。……俺もこれまでに何度か挑んできたが、未だに答えらしいものは出せずにいる。それどころか、その謎の存在意義さえ、理解出来ていない。
 …………そうさ。…存在意義だ。なぜ、…ベアトは、……こんな謎を用意したんだ……? 過去のゲームの中でも、俺たちはそれを議論したことはある。しかしこれまで、謎が解けないことには検討する意味もないと、それを考えることを拒否してきた。
 ……今回の俺は、見方を変えるべきだ。
 謎の真相とか、解き方とか。そういう上辺ではなく。……なぜ、その謎が設けられ、提示されているのか。その意味の方を、考えるべきなのだ。
 その謎の出題者こそは、……ベアトリーチェ。解けぬ謎であっても、それを提示するベアトの心を探ることは出来るはずだ。
 ………さぁ、今度こそチェス盤を引っ繰り返せ…。魔女どもは、俺を無能無能と嘲笑っている。
 笑わせておけ。……俺の敵は、あいつらなんかじゃない。……勝負を続けるぜ。ベアト……。
客間
【秀吉】「……お。とうとう、降り始めたようやな。」
【留弗夫】「やれやれ…。土砂降りは心の中だけにしたかったもんだぜ。」
 客間の窓が、雨粒に濡れ始めたことに秀吉たちが気付く。
【霧江】「これで、親族会議が終わるまで、私たちには逃げ場なしってわけね。」
【絵羽】「……それは兄さんたちだって同じよ。……逃がさないわ、絶対に…。こっちのカードは悪くないのよ。兄さんは虚勢を張ってるだけだわ。……絶対に屈服させて見せる…。」
【秀吉】「取引っちゅうんはな。相手を負かすもんとちゃうで。……落とし所を用意しておいて、相手に花を持たせて、自らに座らせるもんなんや。」
【霧江】「……秀吉さんの言うとおりだわ。さっきの話も、ちょっと追い詰め過ぎよ。絵羽姉さん。」
【絵羽】「に、兄さんにはあれくらいでちょうどいいわよ。」
【留弗夫】「何だ、楼座は寝ちまったのか。」
【秀吉】「朝が早かったとぼやいとったなぁ。ま、昼寝もええんとちゃうか。」
【留弗夫】「下手すりゃ今夜は徹夜だ。今から仮眠も賢いかもな。」
 ソファーで眠ってしまった楼座を気遣い、兄弟たちは静かに客間を出て行く。
 楼座は気付かず、眠っている。自分の薔薇が見つからないと駄々をこねた真里亞に、ずっとそこにいなさいと言ったまま、雨が降り出したことに気付かず、眠っている……。
薔薇庭園
 まるで、それまで堪えていた雨が、一気に降り出したかのような降り方だった。
 もちろん、真里亞とて、雨が降り出し全身を濡らしていることはわかっている。しかし、だからこそむしろ、意地になってしまう。
 自分が目印を付けた、少し元気のない可哀想な薔薇が見つけられなくて、……雨如きでそれを探すのを中断させられることが許せない。だから真里亞は、冷たい雨粒に叩かれれば叩かれるほどに意地になって、薔薇の花壇をぐるぐると回るのだった…。
 そんな、………真里亞の背後から、……………ひたり、ひたり、と。…足音が近付いてくる。
 そして水溜りを踏み、小さく、ぱしゃりという音を立て、それはようやく真里亞の耳に届いた。しかし、その音に気を取られることさえ苛立たしくて、真里亞は聞こえていても無視する。
「…………こんにちは。」
【真里亞】「……っ。」
 真里亞はきょとんとして振り返る。
 ……なぜなら、その声に、まったく心当たりがなかったからだ。この、もはや閉ざされた六軒島で、……その声は、六軒島で知る誰のものでもなかった…。
廊下
【源次】「旦那様、奥様。……探しました。大変でございます。」
 今後のことをこっそりと話し合う蔵臼と夏妃は、ひと気のない3階の廊下で話をしていた。源次は、ずっと二人を探し回っていたのだ。
【蔵臼】「どうしたのかね。シーツを雨に濡らした程度では、そこまで慌てることでもないと思うがね。」
【夏妃】「何事です? 何か粗相でも?」
【源次】「……海難事故で漂流されたと申す方が先ほど、お屋敷にいらっしゃられました。」
 蔵臼と夏妃は、思わず目を丸くして顔を見合ってしまう。無関係の人間をこの島に迎えるのは、初めての経験だったからだ。
【蔵臼】「漂流……? それは本当かね。気の毒に。……来客として丁重に扱いたまえ。今はどうしているのかね?」
【源次】「南條先生が診察しております。……まだ診察中ですが、私の見た限り、お疲れの様子ではありますが、怪我などをされているようには見えませんでした。」
【蔵臼】「それは良かった。私と夏妃は、今、大切な話をしている。終わったら、すぐに見舞いに行こう。その漂流者には、ぜひくつろいで欲しいと伝えたまえ。」
【源次】「かしこまりました……。」
 深く礼をし、立ち去る源次を、夏妃が呼び止める。源次が足を止めると、夏妃が小走りで駆け寄ってきた…。
【夏妃】「………源次。…その漂流者は、………男、ですか。」
【源次】「いいえ。……お嬢様くらいの、若い女性でございます。」
【夏妃】「…女性…? ………そうですか。結構です。下がりなさい。」
客間
 屋敷の客間は慌しくなっていた。大人たちが集まり、突然の来客の容態を心配している…。
【留弗夫】「まぁ、自力で薔薇庭園まで歩いてこれたなら、命に別状はねぇだろうよ。」
【秀吉】「……転ばぬ先の杖やなぁ。ライフジャケットのお陰やろ。あれがなかったら、溺れ死んどったかもわからんで。」
【絵羽】「どんな子だったの? 譲治や朱志香ちゃんより、上? 下?」
【真里亞】「朱志香お姉ちゃんよりは下だった。ライフイジャケットと水着だった。へとへとみたいだった…!」
【楼座】「漂着したのが船着場の辺りだったなら、本当に不幸中の幸いね。もし、島の反対側だったら、大変だったわ…。」
【霧江】「……しかし、気の毒ね。この天気じゃきっと、船も来られない。明日一杯まで、彼女もこの島に釘付けかしら。」
 その時、がちゃりと扉が開き、全員が一斉にそちらを見る。
【郷田】「皆様、お茶はいかがですか。」
 郷田と、配膳台車を押す嘉音だった。配膳台車にはお茶の道具が積まれている。こういう時にサービスするとポイントが稼げることを、彼はよく理解しているのだ。
 新しい情報に飢えている親族たちは、郷田を、わっと囲む…。郷田は、嘉音に配膳を命じると、親族たちの注目を一身に浴びた。
【留弗夫】「郷田さん、どうなんだい、その子は。元気そうなのか…?」
【郷田】「さ、…さぁ、わかりません。ですが、心配ご無用…! 南條先生が付きっ切りで診ておりますし、熊沢も紗音も一緒です。どうぞ、ご安心下さい。まずは紅茶でおくつろぎになってはいかがですか…? さぁ、嘉音さん。早く早く、配って配って。」
【嘉音】「…………………ぶつぶつ…。」
 嘉音は、このお茶が郷田のポイント稼ぎだと知ってるので、ちょっぴりむくれ気味で、カップを並べている。
【真里亞】「うー。真里亞も手伝う。」
【嘉音】「……だ、大丈夫です。真里亞さまはそのままでお待ちを。」
【真里亞】「うー! 真里亞も配膳、やーるー!」
【絵羽】「南條先生にはお会いしてないの? 何か言ってなかった?」
【郷田】「えー、先ほど、お会いしましたところ、それほどの外傷はないそうで…。私もちらりとお見掛けしたところでは……。」
 と、いい感じで全員の注目を浴び、得意気に話しているところに、南條が戻ってくる。
 当然、話題の中心は瞬時に南條に移った。……しょんぼりする郷田に、そっぽを向く嘉音。
【絵羽】「南條先生…! どうなんですか、容態は…! 大丈夫そうなの?」
【南條】「皆さん、ご安心を…。大丈夫です。怪我は何もありませんでした。だいぶ疲労しているようですが、今夜、特に熱を出さなければ、何事もないでしょう。」
【楼座】「なら良かったわ。……お医者さまは居ても、病院はないものね。」
 少女の容態に問題がないと聞かされ、一同はほっと安堵する…。南條はより詳しく診断結果を話し、若いから大丈夫と締めくくると、そう呼ばれなくなって久しい一同は、ウンウンと納得する。
【真里亞】「……うー。やっぱり船は怖い。落ちるー落ちるー。戦人の言う通りだった…。」
【霧江】「真里亞ちゃん、それ、戦人くんには内緒ね。」
【郷田】「あぁっ、奥様! 旦那様!」
 いじけてカップを配膳していた郷田が、やたらと大声で叫ぶ。せめてそれくらいでも、みんなの気を引きたかったに違いない。
【蔵臼】「……客人の具合はどうだね?」
【郷田】「はい! 別状はないとのことでございます。」
【夏妃】「そうですか、それは良かった。今はどちらに…?」
【南條】「熊沢さんと紗音さんが、お風呂に案内したはずだ。それから服を見立てると言ってましたな。」
【蔵臼】「なら、すぐに来るだろう。……諸君。親族会議の日ではあるが、不幸な事故で訪れることとなった来客だ。招いた客人ではないが、どうか歓迎してやってほしい。」
【秀吉】「異議などあるわけもない。賛成や。」
【留弗夫】「同じくだ。女の子にはやさしくしろって、お袋も言ってたぜ?」
【霧江】「あなたはそれを人生のモットーにし過ぎよ。」
【絵羽】「……譲治たちも呼んだ方がいいわね。全員で挨拶しましょ。」
【楼座】「そんな…。かえって恐縮させちゃうんじゃない…?」
 絵羽は立ち上がり、ゲストハウスに電話を掛ける。
 その時、ドンドンとノックがあり、源次の声が聞こえた。
【源次】「……源次でございます。お客様がお越しになられました…。」
 その言葉に、一同はシンと静まり返り、座っていた者も立ち上がって背筋を伸ばす。
 源次が先頭で、扉をゆっくりと開き、………そして脇へ退き、深くお辞儀をして、来客を促す。
 客人は紗音と熊沢を従え、……客間で待ち構える大勢の親族たちを見ても、まったく気圧される様子がない。
 その一点のみでも充分に、…少女には右代宮家に迎えられるに相応しい、客人の貫禄を示していた…。
【源次】「……古戸さま、ご紹介申し上げます。右代宮家当主代行、右代宮蔵臼にございます。」
【蔵臼】「ようこそ、六軒島へ。事故でいらしたとは言え、あなたは当家の客人だ。歓迎しますよ。どうぞ、当家をしばしの間、ご自宅と思い、存分にくつろがれて下さい。」
【ヱリカ】「…………ありがとうございます。…自己紹介申し上げます。……古戸ヱリカ(ふるどえりか)と申します。この度は、右代宮家の皆様をお騒がせしてしまい、誠に申し訳ございません。……招かれざる客人であるにもかかわらずの歓迎、心より感謝いたします。」
 ……ほう、と誰からともなく溜息が漏れる。少女に貸し与えられたのは恐らく、朱志香の昔の余所行きの服だろうが、……その服に負けぬ貫禄が、自己紹介の落ち着きからも感じられた…。
 少女の名は、古戸ヱリカ。戦人や朱志香よりはわずかに年下に見えるが、高校生とは到底思えない落ち着きと仕草は、良家の令嬢を思わせた…。
【戦人】「ちょっと待て。……こいつは何者だ。」
【ベルン】「…………無能のあんたが主役駒じゃ、ゲームがさっぱり進まないもの。だから、私自身を、駒として出させてもらった…。」
【ラムダ】「ま、ちょっとしたエキストラねー。いくらクローズドサークルだからって、いつも同じ面々ばかりじゃ飽きるでしょ?」
【戦人】「ふざけるな。ベアトのゲーム盤には存在しない駒だ。俺もベアトも認めない…!」
【ラムダ】「ベアトのゲーム盤でしょう? ベアトが拒否するってンなら考えてあげるわー。ベアトの意見は〜?」
【ベアト】「………………………………。」
 ベアトに返事をすることは出来ない。……ラムダデルタはにやりと勝ち誇ったように笑う。
【ラムダ】「……ルールにイチャモン付けて、ゲームを降りてみる? あんたら推理者の得意技じゃない♪ 自分の意に沿わない要素が一粒でもあったら、それを理由に癇癪起こして思考停止を起こすのは〜。」
【戦人】「………く…。」
【ベルン】「………安心なさい。この駒については、探偵宣言を出すわ。」
【戦人】「探偵宣言……?」
【ベルン】古戸ヱリカは探偵であることを宣言するわ。
【ベルン】探偵は、犯人ではなく。その証明には如何なる証拠も必要としない。……早い話が、この子を一切疑う必要はないということよ。これなら、ニンゲンの駒として登場しても、いつもと変わらずに推理できるでしょう…?」
【ラムダ】「……ノックス第7条ね。“探偵が犯人であることを禁ず”。原文には例外条項もあるんだけど、今回は“探偵は犯人でない”と赤で宣言してるから、例外は考えなくていいわ。言葉遊びは嫌いだから、私も赤で言ってあげる。古戸ヱリカは犯人ではない。
【戦人】「復唱要求。……“古戸ヱリカは、これまでのベアトのゲームに影響を与えない”。」
【ラムダ】「いいわ、応じる。古戸ヱリカは、これまでのベアトのゲームに影響を与えない。あくまでも、今回初登場のエキストラよ。これまでの世界には存在しないし、影響も与えないわ。
【戦人】「なら、今の時点での在島者の人数はどうなるんだ。」
【ラムダ】「もちろん、これまでの人数にプラス1してもらうわ。でも安心して。古戸ヱリカが1人増えただけ。それ以外の在島者の人数は、これまでのゲームとまったく同じ。
 その時、廊下を慌しく、ばたばた走ってくる音が聞こえる。
 絵羽に呼ばれて、ゲストハウスからやって来た、戦人と譲治と朱志香だ。すぐに、見知らぬ客人と目が合い、目を丸くする。
【戦人】「……ぅお…。……ど、どちら様………?」
【真里亞】「うー。お客様。落ちるー落ちるーで来たの。」
【戦人】「へ? 落ちる落ちる…??」
【譲治】「…源次さん。こちらの方は…?」
【源次】「お客様の、古戸ヱリカさまでございます。……古戸さま。こちらは、当家令嬢の朱志香さま、ならびに従兄弟の譲治さま、戦人さまでございます。」
【朱志香】「え、あ、……よ、よろしく。右代宮朱志香です…。」
【ヱリカ】「…………初めまして。古戸ヱリカです。…よろしくお願いいたします……。」
 戦人たちは、さっぱり事情がわからず、面食らいながらもそれぞれに自己紹介をするのだった…。
【ベルン】「……好都合じゃない。これで人数がはっきりするわ。ゲストハウスの戦人たちが合流し、今、客間には金蔵以外の全ての駒が、ニンゲンが揃った。」
【ラムダ】「そーなるわね。つまり、今、この客間にいる人数が、在島者全ての人数、ってことになるわね。
【戦人】「18人いるはずの島が、…祖父さまが実は死んでて17人になった。……そこにベルンカステルの駒が1人追加され……。」
 再び、この島の人間は18人に、戻った……。
 “俺”はぐるりと客間の人間を見回す。
 客人の古戸ヱリカ。そして、その後には熊沢さんと紗音ちゃん。その傍らには源次さん。
 蔵臼伯父さんと夏妃伯母さんが客人を歓迎する。
 郷田さんが、さっそくアピールを開始し、嘉音くんは相変わらず淡白そうな表情で愛想がない。
 そして、親父に霧江さん。絵羽伯母さんに秀吉伯父さん。楼座叔母さんに真里亞。それに、南條先生。
 そして俺の左右には、譲治の兄貴と、朱志香…。これが、全員。現在の本当の島の人数……。
【譲治】「何しろ、僕たちは全員、右代宮だからね。気兼ねなく下の名前で呼んでほしいね。僕は譲治。」
【戦人】「俺は戦人だ。よろしくな!」
【ヱリカ】「……ありがとうございます、譲治さん、戦人さん。……私のことも、ヱリカと呼んでもらえると嬉しいです。」
【朱志香】「よろしく、ヱリカさん…!」
 客人として迎えられたヱリカは、ゲストハウス2階の、いとこ部屋の隣の部屋がベッドルームとして貸し与えられることになった。
 親族たちの前では、彼女には貫禄ある堅苦しそうな雰囲気があった。しかし、譲治や朱志香と話すうちに、次第に表情を柔らかくするようになる……。——こうして、「探偵」、古戸ヱリカは、ゲーム盤に配置された……。
廊下
【夏妃】「朱志香の昔の服、あんなに似合うなんて思いませんでした。」
【源次】「……熊沢が、勝手にお嬢様の昔の服を使用してしまいました。お許し下さい。」
 ヱリカの着ていた服は、朱志香の昔の余所行きの服だった。大人顔負けの貫禄を持つ客人も、体格はまだ中学生くらいだ。朱志香の昔の服のサイズがぴったりだった。
【夏妃】「いいえ。お客様に相応しい身なりでしたよ。もし彼女が気に入るようでしたら、お近付きの印に、プレゼントしても良いでしょう。」
【源次】「……かしこまりました。ありがとうございます。」
【夏妃】「警察やご家族には連絡しましたか?」
【源次】「はい。先方も大層ご心配なされていたようでした。」
【夏妃】「…………ところで。……客人は本当に、事故、…でしょうね?」
【源次】「……ご本人は、帰港中のボートから転落したと仰っております。」
【夏妃】「裏付けはありますか?」
【源次】「海保に問い合わせて確認しました。プレジャーボートの後部から転落したそうで、他の乗員たちは気付かなかったようです。実際の転落地点はわかりませんが、おそらくはここの近海でしょう…。」
【夏妃】「………この悪天候に船遊びなど、愚かなことです。しかし、……近海で溺れて、この島に漂着することは考えられるのですか?」
【源次】「ありえないことではありません。この辺りの島には大抵、漂流民が流れ着いた伝承がございます。」
【夏妃】「………………………。」
【源次】「……恐らく、事故は真実ではないかと。……この台風です。島のどこであろうとも、船での接岸は不可能です。」
 源次はすでに察している。夏妃は恐らく、親族会議というもっともナーバスな期間に突如現われた謎の来客を、何者かの陰謀の手先ではないかと疑っているに違いない。
 だから、事故が真実で、古戸ヱリカが本名かどうか、不審なところはないかどうか、先に調べていたのだ……。
【夏妃】「……わかりました。主人も、丁重にもてなすようにと指示しています。粗相のないようになさい。……ですが、………わかっていますね?」
【源次】「はい。……親族会議には一切近付けません。夕食後は、ゲストハウスへお引取り願います。」
【夏妃】「客人をお父様に挨拶させろ、というような流れにもならないよう、よく注意するのですよ。」
【源次】「もちろんです。心得ております。」
【ベアト】「………ほう。…古戸ヱリカとな。この六軒島に来客とは珍しい。楽しませてくれそうではないか。」
【ロノウェ】「ベルンカステル卿の駒でしょう。……ニンゲンのルールに従うとはいえ、プレイヤーは魔女です。侮ることは出来ませんよ。」
【ベアト】「ふ、問題ない。仮にベルンカステル卿本人であろうとも、ニンゲンである以上、妾たちの敵ではない。……何しろ、ガァプもいる。ニンゲンはガァプに絶対に勝てぬ!」
【ガァプ】「…………ありがと。でも、買い被り過ぎはよくないわ。……魔女の定義は、魔法が使えることだけを意味したりはしない。」
【ロノウェ】「ですな。……ジョーカーであり、台風の目である。それが魔女というもの…。」
【ベアト】「ふっ。この六軒島で魔女と名乗ってよいのはこの妾。黄金の魔女にして無限の魔女、ベアトリーチェのみである! ベルンカステル卿め、縁寿の次なる駒がどの程度のものか。じっくりと観覧させてもらおうぞ…!」
 戦人が犯人側の協力者であるため、戦人視点の幻想描写が普通に使用可能。紗音と嘉音が同時に存在している。

奇跡の魔女
10月4日(土)19時00分

食堂
 ヱリカの席は、序列で言うと一番の末席。つまり、下手の正面席。上手の正面席である金蔵の席は不在であるため、引っ繰り返して見たならまるで、ヱリカがこの晩餐の主催のようにさえ見えた…。
【郷田】「それでは皆様。本日の晩餐を始めさせていただきたいと思います。」
 郷田が挨拶すると、半ば恒例となった拍手から晩餐はスタートする。
 いよいよ、指揮者トシロー・ゴーダによる、ディナーオーケストラの開幕だ。このような豪華な晩餐の席は、蔵臼一家を除けば、決して一般的なものではない。しかし、彼らは慣れているから当たり前のように振舞える。
 ……驚くべきは、またしてもヱリカだった。彼女はこのような晩餐であっても、何も驚かず、周りに合わせて落ち着きある振る舞いを見せている。……迷い込んだ子犬のような怯えは、微塵も感じられなかった。
【夏妃】「………不思議な子ですね。右代宮家の、一年間でもっとも豪華な晩餐を前に、何も取り乱さないとは。」
【霧江】「最近の子は肝が据わってるわ。…嫌いじゃないわ、そういうの。」
【南條】「古戸さんは、こういう食事にはなれているのですか…? 大した落ち着きようだ。」
【秀吉】「ホンマやなぁ。ずいぶん手馴れたもんや。わしなんか、未だに次はどのフォークを使えばいいんか混乱するんやで。あー…、こっちやったか、それともこっちやったか…。わはははははっ!」
 ヱリカは、ずらりと並べられた食器類に面食らう様子もなく、優雅にオードブルを食べている。そんな彼女に、秀吉は両手にフォークを握り締めながら滑稽に話し掛ける。
 もちろん、仮にも外食チェーンの社長を務める秀吉がテーブルマナーを身に付けていないはずもない。しかし、さぞやこの晩餐にヱリカが緊張しているだろうと思い、わざとおどけた口調で話しかけているのだ。
【ヱリカ】「…………外側から順に使うだけですし。……面倒だったら、お箸を頼めばいいんです。……日本人ならお箸です。」
【ヱリカ】「お箸はいいですよっ。これ一膳あれば、どんな料理でも対処デキマス!」
 お箸の話になった途端に、目をキラキラさせだす。……さっきまでの貫禄とは程遠い、初めて見せた歳相応な笑顔だった。
【霧江】「くすくす。カレーライスはさすがにスプーンでしょ?」
【ヱリカ】「ドンブリに盛ればいいんですっ。牛丼をスプーンで食べる人いますか? いませんよねっ。日本人なら断じて絶対徹頭徹尾、お箸ですっ! というわけで郷田さん。すみませんがお箸をお願いします。私が日本人として恥ずかしくない食べ方をご覧に入れて見せましょう!」
【ヱリカ】「……ところで、次のお料理は何ですか?」
【郷田】「それが困ったことに、次はスープでございまして。」
 ヱリカは肩を竦める真似をしながら、一同にウィンクしてみせる。
「「「わっははははははははははははははははは…!!」」」
 もちろん、馬鹿な子だと思って笑った者はいない。フルコースで、オードブルの次に来るのはスープだと彼女はもちろん、わかっている。
 そして、少し完璧に振舞い過ぎ、緊張感を持たれてしまっていることも、また逆に、自分が緊張しているだろうと思って、秀吉が気を利かせて話し掛けてきたことまで、彼女はわかっていた。だからこそ、少し子どもっぽく振舞っておどけて見せて、和やかな晩餐を客人の立場から演出して見せたのだ……。
 霧江だけに限らず、すぐにそれを一同も見抜く。招かれざる客だったとしても、やはり彼女は右代宮家の晩餐に着席するに相応しい人間のようだった。
【絵羽】「頭のいい子ね。……本当にこの子、偶然の来客なの? 実は今日の親族会議にこっそり呼んだ、兄さんの隠し子じゃないの〜?」
【蔵臼】「賢く、場を和ますセンスもあるようだ。マナーも見事じゃないか。あんな子が娘だったら、悪くはないね。」
【留弗夫】「ひっひっひっひ。それはひでぇぜ。朱志香ちゃんの立つ瀬がなくならぁ。」
【楼座】「くす。ひどいわ、留弗夫兄さん。」
【譲治】「どうしたんだい、朱志香ちゃん。頭痛かい?」
【朱志香】「ううぅ…。私の評価がズンズン下がってる気がするぜ……。」
【戦人】「こりゃ、本家の令嬢として負けられねぇだろ。お前も、日頃、夏妃伯母さんに仕込まれてるテーブルマナーと貫禄で対抗してみろよ。」
【真里亞】「見たい見たい! テーブルマナー見たい! うー!」
【譲治】「ほら、はしゃぐのはマナー違反だよ。ささ、朱志香ちゃん。お手本を見せてあげて。」
【朱志香】「……お、おう、もちろんだぜ…。」
 朱志香は、背中に棒でも突っ込んだんじゃないかというくらい、ビシッと背筋を伸ばす。
 ……良い姿勢ではあるのだが、なぜか優雅じゃない。…なんつーか、三角定規みたいな感じの姿勢だ。
 直立不動で、真正面に顔を固定したまま、口に物を運ぼうとするのだから、……うまく行かず、実にみっともない。それにふと気付く、隣の席の親父。
【留弗夫】「ん? どうしたんだ、朱志香ちゃん。腹でも痛ぇのか??」
 真っ赤になる朱志香。……あぁ、悪ィ、俺は無理だ。
 げらげら笑い転げる俺たち。真っ赤になって抗議する朱志香。はしたないと叱る夏妃伯母さん。ま、俺たちがどう取り繕うと、俺たちは俺たち。それ以上のフリは出来やしなかった。
 でも、その笑いのお陰で俺たちもリラックスできたのは確かだ。客人が緊張していないか気遣うあまり、一番緊張していたのは自分たちだったのだ。長い食卓の真ん中に座る俺たちの騒ぎは両端に広がり、やがていつも以上に、和やかな晩餐となるのだった…。
 美味しいチーズとコーヒーで、和やかな食事は締めくくられた。郷田は満場の喝采を受けて、その腕前を一同に讃えられるのだった……。
 食後の団欒のひと時を経て、俺たちはゲストハウスへ戻ることになった。
 普段なら、晩餐の空気は大抵気まずく、その気まずさの延長のような感じで、大人たちはそのまま親族会議に入ることが多い。しかし、珍しく今年の晩餐は和やかだったせいもあってか、大人たちも含め、一度散会することになった。
 晩飯を食って、風呂に入ってテレビ見てくつろいだら、まさかこの雨の中、また屋敷に集まりなおして、ギスギスした親族会議を再開…、というのはちょっと考えたくない話だ。
 絵羽伯母さんは、すぐにも親族会議を開催しようと息巻いてるようだが、あまり同調者は多くないようだ。多分、今夜はこれでお開きになるだろう。
 ゲストハウスの当番だということで、郷田さんと熊沢さんがゲストハウスまで案内してくれることになった。
 郷田さんも大変だな。あのすごい晩餐を作って後片付けをして、さらにゲストハウスで深夜勤だなんて。熊沢さんは、さすがに老人なので、もう休むことになっているという。ゲストハウスの控え室が割り当てられてるそうだ。
【郷田】「皆様をゲストハウスまでご案内させていただきます。ヱリカさまのお部屋もご用意できております。」
【ヱリカ】「…………ありがとうございます。」
【譲治】「体調はどうです? 具合が悪かったりはしませんか?」
【戦人】「…そうだよな。すっかり忘れてたけど、ヱリカちゃんは溺れてて流れ着いたんだよな。今日は無理しねぇで、早く寝た方がいいだろうな。」
【ヱリカ】「………全然平気です。……それよりも、緊張と興奮で、むしろ寝付けないくらいです。」
【真里亞】「うーうー!! じゃあ遊ぼう、みんなで遊ぼう! トランプしよう!」
 真里亞が、きゃっきゃとじゃれ付く。幼さ独特の遠慮なさが実に真里亞らしい。……しかし、今は体を気遣うべきだよな。
【朱志香】「真里亞、トランプは私たちと一緒に遊ぼう。ヱリカお姉ちゃんは疲れてるんだってさ。」
【ヱリカ】「……トランプも好きですよ。一息つきましたら、ぜひご一緒させてください。」
【真里亞】「うーうーうー!! やったー!!」
【ヱリカ】「………………あれは、どちら様ですか?」
 玄関ロビーを抜ける時、ヱリカがふと足を止める……。その目線の先を知り、……俺たちも全員が足を止めた。
【熊沢】「……あぁ、あちらは、黄金の魔女、ベアトリーチェさまでございますよ。」
【ヱリカ】「…………黄金の、……魔女。」
【留弗夫】「何やってんだ、ガキども。さっさとゲストハウスへ引き上げるぞ。」
 親父と霧江さん、絵羽伯母さんに秀吉伯父さん、楼座叔母さんもやって来る。ゲストハウスご一行様はこれで全員集合だ。しかしヱリカは、魔女の肖像画に瞳を奪われ、しばらくの間、じっと眺めているのだった……。
ゲストハウス・ロビー
【留弗夫】「……あぁ。親父は200億相当の黄金を隠し持っていて、その隠し場所を、あの碑文に記したって言われてる。」
 ゲストハウスに戻った親族たちは、各々の部屋に散会するのはまだ早かったのか、1階に集まり、おしゃべりを続けていた。話題は、……ヱリカが興味を持った、魔女の碑文である。
【ヱリカ】「………魅力的な謎ですね。………誰にでも見られるところに堂々と張り出し、私たちの知恵に挑戦する。………そういう挑戦、大好きです。」
【戦人】「ひゅう。ヱリカちゃんは案外、ノリがいいな。謎解きとか好きなのか?」
【ヱリカ】「……面白そうじゃないですか。そういう挑戦。…………多分、金蔵さんは、あの碑文によって、跡継ぎを選ぼうというつもりに違いありませんね。」
 その一言に、大人たちは動きを止め、……ゆっくりとヱリカに振り返る…。
【絵羽】「どうして、………そう思うの…?」
 絵羽伯母さんが、猫なで声でそう聞く。……碑文の謎を解いた者が家督を継承するのではないか、……という話は、時折、彼らの間でも囁かれるが、……それは希望的憶測に過ぎず、そうだとはどこにも明記されていない。
 なのに、碑文を一読しただけの部外者である彼女が、……唐突にそうだと言い切ったのだ。何をもって、そうだと言い切ったのか。
 いや、………そうではない。“碑文を解いたら、次の当主になれる”。それを、希望的憶測ではなく、……確実なものとしたいのだ。だから、ヱリカにどうしてそう言い切れるのかと、詰め寄るのだ。
【ヱリカ】「………大富豪が、謎を解いた者に富を譲るというのは、割とよくあるシチュエーションです。……そして、ご当主の金蔵さんは、その碑文を新聞に載せたのではなく、お屋敷の中に掲示しました。つまり、このお屋敷の人間を対象にした謎だ、ということです。」
【戦人】「そうだよな…。………この屋敷の中である以上、この屋敷に出入り出来ない者には解きようがない。…つまり、この屋敷の人間に、祖父さまは挑戦してきたってわけだ。」
【ヱリカ】「………グッド。よい思考です。あの碑文が、屋敷内にあったという一事からでも、その程度のことを読み取ることが可能です。」
 最初、古戸ヱリカという少女は、口数が少ないような印象を持っていたが、……それはどうやら勘違いらしい。知的ゲームに挑戦すると意気込む彼女は、想像よりはるかに饒舌だった。
【秀吉】「な、なるほどな……。屋敷の中に碑文があるんは、屋敷の人間に読ませるためってのは、確かに道理や……。」
【楼座】「でも、家督を譲る相手までも選ぶというのは、……言い切れるものなの?」
【ヱリカ】「………この謎を解いて得られる宝が、ほんのささやかなものでしかないなら、私もそこまでは思いません。」
【霧江】「そうよね。隠された黄金の価値は200億。……それはまさに右代宮家の財産そのものだわ。」
【ヱリカ】「…………それを受け継ぐということは、右代宮家を引き継ぐことと、限りなく同じ意味です。…つまり、碑文に込めた黄金の隠し場所という謎は、右代宮家の実質的な後継者選びに他ならないということです。」
 ……碑文を解けば次期当主に選ばれる、という憶測は、一部の親族たちの間でもずいぶん前からされていた。しかし、そう明記されていない以上、都合の良い想像でしかない。……そう思い、グレーのまま考えることを放置してきた部分だった。
 その曖昧な部分を、ヱリカははっきりと断言してみせる。親族の誰かが言ったなら、やはり都合の良い想像としか思われないだろう。しかし、古戸ヱリカというまったくの部外者がそう断じることで、その言葉には一層の信憑性が帯びるのだ……。
 しばらくの間、一同は黙り込み、その言葉の意味することを、じっと噛み締めていた…。
【ヱリカ】「………ただ碑文がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。……如何でしょうか、皆様方。」
【朱志香】「……よ、横槍で申し訳ねぇけどさ。一応はウチの父さんが次期当主なわけだぜ? 隠し黄金を誰が見つける云々はともかくよ、見つけたら当主ってのは、そういうことにはならねぇんじゃねぇかよ?」
 碑文が宝探し扱いの内は、朱志香にとっても面白い話ではある。しかし、父親の立場を揺るがすような話に及ぶと、渋い顔をせざるを得ない…。
【ヱリカ】「……私の推理から演繹する限り、金蔵さんは次期当主の蔵臼さんに、円滑な当主継承を望んでいないと考えられます。」
【朱志香】「ど、どうしてだよッ!!」
【ヱリカ】「………莫大な財産を持つ右代宮家の当主なら、政治的な意味で様々な影響力を持つことになるでしょう。……ならば本来、その継承は厳格であり、一切の紛れが入るべきではありません。」
【絵羽】「そ、…そうね。……うちの人の好きな戦国武将の話でもよくあるわ。跡継ぎ候補が複数いたりすると、大抵、お家騒動の火種になる…。」
【秀吉】「…そやな……。だからトラブルを未然に防ぐために、しっかりと後継者を指名しておくのが大切なんや。時には、競合する後継者を粛清することさえあるんやで。」
 秀吉が憧れる戦国武将、豊臣秀吉も、養子の秀次を切腹させているが、これは、秀次より後に生まれた実子、秀頼を真の後継者とするためだったのではないかと囁かれている。
 ……つまり、後継者指名とは、後継者は誰もが認める唯一無二の一人であると全体に知らしめ、それ以外の人物が対立候補となる要素全てを排除することも意味する。
【ヱリカ】「………グッド。まさにその通りです。あのような碑文の存在は、蔵臼さんの次期当主の肩書きを危ぶませる意味しかありません。つまり、金蔵さんが蔵臼さんに当主を円満に継承させたいと願うなら、あのような危険なものをわざわざ人目に晒す理由がないわけです。」
【霧江】「そうね。………チェス盤を引っ繰り返せば、確かにそう言える。当主は継承するけれども、200億の黄金は譲らない、解けた誰かに譲る…、というのはおかしな話だわ。」
 当主の肩書きは譲るが、200億の黄金は碑文を解いた人間に譲る。……これでは、真に当主を継承しているとは到底言えない。
【ヱリカ】「………そういうことです。以上の推理により、金蔵さんが蔵臼さんを、本当に後継者だと認めていたか、怪しむことが出来るわけです。……ただ碑文がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。」
【ヱリカ】「……如何でしょうか、朱志香さん?」
【朱志香】「な、…何だよそれッ!! 何が推理だ! デタラメだ!! こじつけだ!!」
 朱志香が感情を露わにしてヱリカを睨みつける。…対するヱリカは、真実ですが何か? とでも言うような顔で実に涼しくしている。
 ………なるほど。このヱリカという少女が、右代宮家に相応しいのはどうやら、テーブルマナーだけじゃないらしい。…相応しくなくてもいいところまで、……実に右代宮家らしいようだ…。
【戦人】「まぁまぁ…、お、落ち着けよ朱志香…。……ヱリカもそれくらいにしろって。」
【秀吉】「まぁ、その、後継者云々の話は置いといてもやな。いずれにせよ、お父さんからの、ビッグクエスチョンやというのは間違いないやろな。……わっははは! 200億やで! 真里亞ちゃん、もし見つけたら何に使う〜? わっはははははは!」
【真里亞】「……うー。黄金郷は黄金だけじゃないー。もっと神聖な場所なのー。」
 秀吉伯父さんは、なおもげらげらと無理に笑い転げ、無理やり空気を変えようとする。回りもそれに同調するが、朱志香の機嫌が直ることはなかった。
【譲治】「は、はははは。ヱリカちゃんも、碑文の謎に挑戦してみたくなったのかい?」
【ヱリカ】「…………はい。灰色の脳細胞が疼きまくりです。ですので、謎解きを、さっそく始めたいと思います。」
 譲治の兄貴が、うまいこと話題の方向を変える。ヱリカは、食堂でみんなを笑わせた時と同じ、嬉々とした瞳を見せ、食い付いてくれた。
【絵羽】「くすくすくす。気に入ったわ。………せっかくヱリカちゃんが面白がってくれてるんだし。また去年みたいに、みんなで謎解きをしてみましょうよ。」
【楼座】「私、コーヒー淹れるわ。欲しい人は手を挙げて。真里亞は駄目よ! 眠れなくなっちゃうでしょ…!」
【真里亞】「うーうー!! 真里亞もブラック飲むー飲むー!!」
【戦人】「………………………………。」
【ヱリカ】「……わくわくしません? こういう謎。………私は大好きです。」
 ヱリカは、そう言って微笑む…。朱志香を不機嫌にさせ、空気を悪くしたことを自覚しているはずなのに、……けろりとして、そう微笑む…。
【ベルン】「……別に10月5日の事件を待たなくても、解ける謎はあるってわけ。」
【戦人】「……………………。……そりゃ、俺も何度か挑んださ。だが、」
【ベルン】「………でも、さっぱりわからなかったから、投げ出して考えるのを止めた。…でしょ?」
 悔しいが、言い返せる言葉はない。
 何しろ、……さっぱりわけのわからない碑文だ。懐かしき故郷とやらもさっぱりだし、鮎の川も鍵もさっぱりわからない…。
 待てばもう少しヒントがあるかもしれないと、……そのヒントをずっと待ち、…そのまま思考を停止させている……。
【ベルン】「………あなたなりの答えは、準備出来てる? ………私が今から、解いちゃうから。」
【戦人】「な、何ぃ……。」
【ラムダ】「ベルンはね、ここで碑文の謎を解いちゃったのよ。……さすが、奇跡の魔女ね。“解ける謎であるならば、難易度に関係なく必ず解ける”。……今度は解くのに何年掛けたの?」
【ベルン】「………失敬ね。カケラを、ほんの数百個ほど、漁っただけじゃない。」
【ラムダ】「うっふふふふふふふふ……。やっぱり恐ろしいわ、あんたは。」
【戦人】「それは、赤で答えをいきなり語るとか、そういうインチキじゃねぇんだろうな…。」
【ベルン】「………安心なさい。あなたと同じ、プレイヤーとしてのルールに則ってよ。……じゃあ、始めようかしら。………ここじゃ狭いわ。海の上で話しましょう?」
【ラムダ】「OK。…酔わないでね、戦人。」
【戦人】「海って、何の話だ…? ……………ッ、?!」
カケラの海
 世界が真っ暗になったと思った途端、……不思議な浮遊感に襲われる。それは、突然、足元がなくなって、底のない落とし穴に落とされたような感じに、きっと似ていた…。
 見れば、……俺と二人の魔女は、……真っ暗な宇宙に放り出されていた。全方向が果て無き闇で覆われ、無数の輝く何かが満たされた無限の広さを感じさせる空間。
 ……人によってはそれを宇宙でなく、光り輝くたくさんの何かのカケラが漂う深海と例えるかもしれない。
【戦人】「う、……わ、わ……………、」
【ベルン】「…………酔うなと言ったのに。」
【ラムダ】「重力の概念が欲しいなら、自分で生み出しなさい? ……ほら、落ち着いて私たちを見て。……ほら、私たちは平気そうにしてるでしょ? ……足元に大地があって、重力に支配されていると信じなさい。……そうすれば、安定できるから。」
 た、確かに、二人の魔女は、足元に透明なガラスがあるように、普通に立っている。俺だけが、まるで高速で落下するエレベーターの中の無重力状態みたいに、ふわふわと浮いているのだ。
 ……二人が平然としている様子を見ている内に、怯える必要はないのだと心が落ち着き始める。そして、ラムダデルタが言ったように、ここには足場がある、落ち着け落ち着けと、歯を食い縛りながら自分に言い聞かせる……。
【戦人】「お、……………おお…。」
【ラムダ】「お上手、お上手。……あんたの名前は?」
【戦人】「右代宮戦人。……他の誰に見えるよ。」
【ラムダ】「OK。自分の意思、感情、姿や形を決して喪失しては駄目よ。ここは海なんだからね? 意味を喪失すれば、永遠の深遠に落ちて海の藻屑よ。気をつけなさい。」
 ラムダデルタが何を言ってるかわからないが、とにかく、落ち着こう。落ち着けば落ち着くほどに体は安定するようだ。
 次第に、どこまでも落下するような、気持ち悪い浮遊感は少しずつなくなる。……まだ、深いプールの底で直立しようともがくような不快感はあるが、さっきよりははるかにマシだった。
【ベルン】「………では、始めるわ。………碑文の謎を解くためのカケラを紡ぐ……。」
 ベルンカステルが、両手を左右に開く。すると、まるでプラネタリウムのように、………全宇宙のカケラが、尾を引いて回り始めた…。
 プラネタリウムという表現は、本当に正しかったかもしれない。……なぜなら、複数のカケラが金色の線で結ばれた、まるで星座のようなものが、次々に高速で俺たちの周りを飛び抜けていくからだ。それはまるで、俺たち3人がものすごい速度で、宇宙を駆け抜けているかのようだった…。
 そして、いくつかの強く輝くカケラが、光の尾を引きながら、……ベルンカステルを中心に渦を巻くように取り込まれていく。
 それはまるで、彼女が太陽で自らの太陽系を生み出すようにさえ見えた。その、ベルンカステルを中心にした太陽系は、俺たちを飲み込むほどに大きな半径となる。
 そして時折、その衛星であるカケラが俺のすぐ近くを駆け抜けた。
 そのカケラが、俺のすぐ近くを駆け抜けると、……何かの記憶が蘇るような気持ちになる。だから直感する。……多分、このカケラというものは、記憶の結晶のようなものなのだ。
【ラムダ】「記憶じゃないわ。世界のカケラよ。……まぁ、あんたには記憶のように感じられるだろうけどね。」
【ベルン】「…………では、始めるわ。…まずは、このカケラから。」
 太陽系の衛星のひとつが、中心のベルンカステルに、すぅっと吸い寄せられる軌道を描く。
 ぐるぐると渦を描きながら近付き、ベルンカステルが差し出した手の平の上に、すっと載った…。するとそれは眩しく輝き、世界を真っ白に塗り潰す……。
【絵羽】「…“懐かしき故郷”は、私たちの想像をきっと裏切らないわ。……お父様が唯一懐かしむ過去は少年時代だけだもの。」
【戦人】「………覚えてるぜ。…これは第3のゲームで、絵羽伯母さんが碑文の謎を解く直前にしていた、自分の中の魔女とやらとの考察だ。」
【ベルン】「…………そうよ。そして、この考察から彼女は正解を紡ぎ出した。つまり、正解へ至る、重要なヒントを示すカケラということ。………つまり、この推理は間違っていないということなのよ。」
【戦人】「つまり、……懐かしき故郷とやらは、何かの比喩でも何でもなく、そのまま、祖父さまが少年時代を過ごした故郷と読み取っていい、ということなのか。」
【ベルン】「………そういうこと。そして少なくとも、それは小田原ではないわ。」
【絵羽】「………生まれは確かに小田原だけど、お父様が懐かしむ故郷は、多分、小田原のことじゃないわ。それについては、多分、兄弟たちは全員、同じ場所で認識してるわね。」
【楼座】「…そうね。多分、小田原じゃないわね。聞いた話では、とても楽しい少年時代だったそうよ。」
【戦人】「そうだな……。……絵羽伯母さんたち兄弟は、小田原であることを否定していた。……いや、それどころか、みんなは祖父さまの故郷がどこか、察しているようだった。」
【ベルン】「……そう。そして意地悪なことに、それが何処なのかは、どのカケラでも語っていない。」
【ラムダ】「そりゃそーでしょ。それを教えてあげちゃったら、ヒントが過ぎちゃうわ。………難易度の高い謎でなきゃ、意味がないんだから。……あらいけない。これもヒントになっちゃうわね。くすくす……。」
【戦人】「……………………。……一体、祖父さまの故郷というのはどこだったんだ。…それがわからなくちゃ、始まらない…。」
【ベルン】「始まらないから、思考を停止したわけ? ……住み得た場所である以上、それは有限の範囲内だわ。………まぁ、ここが一番、辛いところなんだけれど。」
【戦人】「………お前は確か、“解ける謎である限り、絶対に解ける”魔女だったな。……つまりお前は、…その有限の範囲内、…つまり地球上の全てから、祖父さまの住んでそうな土地を全て想定して考えたのか。」
【ベルン】「…………そうしてもいいけれど、それじゃあ、時間がいくらあっても足りないわ。だから、さらにヒントを加味して、答えを絞る必要があった。」
【エヴァ】「……自分で言ったじゃない。水の流れる川かどうか、わからないって。……鮎という言葉がそんなにもややこしいなら忘れてしまえば…?
 川で考えるの。川で。“家系図”という連想は悪くないわ。その要領で川から連想するものを、他にも考えてみて……。」
【ベルン】「………故郷を貫く鮎の川。しかし、その川は、本当の意味での川ではない。……絵羽は、川から連想できる他のものを考えたわ。」
【戦人】「そうだな……。しかし、川じゃないなら、鮎って何なんだ…。…………………。」
【ベルン】「………考えなさい。故郷を貫く川。……でも、水の流れる川じゃないわ。川のようにも例えられるモノ………。」
【戦人】「………………………。」
【ベルン】「………懐かしき、故郷を貫く鮎の川。……絵羽は、故郷がどこかわかってたから、鮎というヒントを切り捨てて考えたけど。……故郷を知らない私たちにはヒントになり得るかもしれないわ。」
【楼座】「………鮎の川に悩みすぎたわ。鮎なんて大した意味、ないじゃない。」
【絵羽】「そんなことないわよ。立派なヒントだったじゃない。まぁ確かに、鮎である必要はなかったかもね。」
【戦人】「…………鮎って何なんだ…。……川が、言葉通りの川でない以上、鮎だってもちろん、泳ぐ魚を意味したりはしないはずだ。」
【ラムダ】「そうね。その上、楼座に至っては、鮎に大した意味はないとまで言い捨ててるわ。」
【ベルン】「………その一方で絵羽は、鮎である必要はないが、立派なヒントだったとも言っている。………つまり、鮎は何かを想起させる鍵だということ。その何かが他の単語であっても想起できるなら、絵羽の言う“鮎である必要はないが”という言葉に繋がってくる…。」
【戦人】「………………………………。」
 絵羽伯母さんは、これらの想像からある仮説を立て、……書庫に行き、何かの書物を調べ、“それが正しいことを検証した”。
 つまり、絵羽伯母さんは、故郷を貫く鮎の川の正体に、ある仮定を立てた。そして、それが正しいかどうか、……ある書物を開いて確かめた。
 つまり、その仮説は、何かの書物によって検証できるものなんだ…。そして、鮎の川の正体さえわかってしまえば、後はとんとん拍子で謎が解けていった……。
【ベルン】「………良い思考よ。……碑文は、“川を下れば、やがて里あり”と続く。絵羽はその時点では、そこから始まる三行の謎を解けてはいなかった。」
【絵羽】「……里って何? 里ってどういう意味?! この“川”を下ると里なんてあるの……?! …………ぁ、………ぁあぁぁぁ……!!」
 全然意味のわからなかったピースが、……目の前で勝手に、……ぱちり、ぱちりと組み合わさっていく……。
 開いた口を閉じることも思い出せない。…喉がからからに渇いていく…。これ、……本当にこれが答えでいいの? ほ、本当に? 本当になのッ…?!
【戦人】「…つまり…。“故郷を貫く鮎の川”がわかれば、……自動的に“川を下れば里あり”、云々がわかって、……黄金郷の鍵が手に入るってわけだ。」
【ベルン】「…………そういうことよ。絵羽も、その書物を読んで確かめるまでは、川を下った里のことはわからなかったみたいだし。」
【戦人】「くそ…。……その書物って何なんだ…!」
【絵羽】「…でも、これは全然6文字じゃないわ。……これが答えに間違いないって断言できるけど、これは全然6文字に満たない…!」
 また思考停止? なら、それを6文字で読める方法を考えなさい。思いつかないなら調べなさい。……きっと答えはある。それを疑っては駄目。それが信じられないなら、とっとと泣き寝入りでもして、ヘソでも噛んで死んじゃえば…?
【絵羽】「…………1、、、、、…。……うぅ、…ろ、……6文字…。……み、……見つけた。…これが、………黄金郷への、か、……鍵………ッ!!」
【ベルン】「…………そして、絵羽は黄金郷への鍵を見つけたわ。」
【戦人】「あぁ。そして、その鍵というのは、……6文字の何か、言葉か数字か文字列なんだ!」
【ベルン】「………そういうこと。鍵の正体が6つの文字だとわかれば、第一の晩の意味がだいぶ分かってくる。」
【戦人】「だ、…第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ…。……鍵の選びし、六人…。………6文字……!」
 つまり、第一の晩に、鍵の選びし6文字を生贄に捧げよ、……という意味だ…!
【霧江】「この鍵が、ある特定の6人を指し示す。………いえ、ある特定の6つを指し示す、というべきね。……もしこれが、文字通りに生贄を捧げろという意味でないならば。……例えば、アナグラムかもしれないわ。」
【蔵臼】「アナグラム? 文字遊びのことかね…?」
 そうさ、霧江さんはあの時からそう推理している…!
【霧江】「…第二の晩に、“残されし者は”とある。……ということは、少なくともその“何か”は有限の文字数なのよ。そこから6文字を抜いて残った文字で話を進めろと読み解けるわ。」
【戦人】「つまり、第一の晩に、6文字以上の文字列から、鍵である6文字を“殺し”、残った文字でどうにかしろという意味なんだ…!」
【ベルン】「…………そういうこと。ただ、当時の霧江も言ってる。ならば、何から6文字を殺せばいいのか。……その、殺す大元の文字列が、わからない。」
 第一の晩に、鍵である6文字を殺せ。…………………第一の晩に。
【戦人】「……つまり、…第一の晩という時点でもう、何かの文字列が存在するということなのか? しかし、“第一の晩”じゃ、4文字しかない。他の読み方か? 祖父さま風に英語で読むなら、……第一の晩って何だ…? 1st−nightか…? ………………。」
ゲストハウス・ロビー
【ヱリカ】「………グッド。戦人さんのその考え、なかなかです。……鍵の選びし六人の生贄を、6文字の文字列と読み解く。柔軟な発想だと思います。鍵が、鍵の形状をしたものとは限りませんから。」
【霧江】「アナグラムの可能性は、私も考えてたの。」
【留弗夫】「……そういや、以前、そんなことを言ってたな。しかし、だとしたら、何から6文字を抜くんだ?」
【絵羽】「そうね。……6文字も抜く以上、それ以上の文字数だわ。第一の晩を、6文字以上にどう読み解けばいいのかしら…。」
【楼座】「お父様のセンスなら、…やっぱり英語なのかしら…。」
【ヱリカ】「………行き詰るようなら、先に第二の晩に進み、ヒントを探してみましょう。……残されし者は寄り添う二人を引き裂け。……残されし者は、“6文字を抜いた後に残った文字”だと考えて良いでしょう。」
【譲治】「となると、……寄り添う2文字とは、どういう意味になるんだろうね…?」
【戦人】「………そうか。……わかったぜ、つまりはこういうことだ…!」
 例えば、123456789という、9文字の文字列があるとする。そこで、仮に生贄に捧げる6文字が、1、3、6、7、8、9だったとする。こうなると、123456789は前述の6文字を消して、×2×45××××、となる。
【留弗夫】「2と4と5が残るな。……それでどうなるってんだ?」
【楼座】「……あ、……4と5、寄り添ってる…。」
【秀吉】「そ、そうかわかったで!! つまり寄り添いし二人っちゅうんは…、」
 ×2×45××××。
【戦人】「そうさ。2と4は間が開いているが、4と5は隣り合っている。寄り添いし二人だ…!」
【ヱリカ】「………グッド。お見事です、戦人さん。引き裂くという意味が、4と5も潰せという意味なのか、4と5の間を開けと言っているのかはわかりかねますが、その着眼は良いと思います。」
【留弗夫】「なら、第三の晩の、残されし者は誉れ高き我が名を讃えよってのは何だと思う?」
【ヱリカ】「………文字遊びである可能性が高い以上、それもまた、言葉遊びの可能性があります。……“残された文字は、誉れ高き我が名を、讃えよ”。」
【譲治】「んんん……。難しいね…。……どういう意味だろう。」
【ヱリカ】「………どなたか、わかる方は? ………私は、多分わかっちゃいました。」
【絵羽】「え? 何よ、教えなさいよ…!」
【戦人】「……これもアナグラム、…か?」
【ヱリカ】「………またしてもグッド。…戦人さんはなかなか発想が柔軟です。」
【譲治】「アナグラムって、文字遊びって意味だよね? ……ということは……。」
【霧江】「つまり、残った文字を入れ替えると、何かの単語が出来るという意味じゃないかしら。」
【戦人】「だな。……とすると、………………。……ちょいと勇み足な仮説だが、…俺は、第一の晩に間引く、大元の文字数は、11文字じゃないかと想定する。」
【ヱリカ】「…………またしてもお見事。私も同じ見解でした。」
【秀吉】「ど、どうしてや? どうして11文字なんて言えるんや?!」
【ヱリカ】「………“生贄を1人殺す”というのは、“文字を1文字潰す”ことを意味すると思われます。第二の晩の引き裂けを、とりあえず、2文字の間を開けという意味で解釈した場合なら、11文字。この引き裂けが2文字を潰せという意味なら、13文字になると想定されます。」
【ヱリカ】「……なぜなら、その後の第四の晩から第八の晩にかけて、5回殺せという記述が出るからです。そしてその次の第九の晩で、誰も生き残れないと書かれています。」
【戦人】「魔女が蘇る、って部分をとりあえず無視するなら、これは、第一の晩に6文字潰し、寄り添った文字を割いて、さらに5文字潰したら……、ぴったり文字がなくなるという意味ではないかと考えたんだ。」
 つまり、6+5で、11文字。第二の晩の寄り添いし2人を引き裂けが、2人を殺せという意味なら、6+2+5で、13文字。第一の晩を意味する単語が、11文字か、13文字の可能性……。
【ヱリカ】「………実にお見事です。私とまさに同じ推理。……戦人さんもどうやら、私と同じ、灰色の脳細胞に恵まれているようですね。」
【戦人】「へ、よせやい。適当だぜ、適当。」
カケラの海
【戦人】「…………おいおい、何だよこれ。……駒の俺は、ずいぶんと頭がキレるじゃねぇか。お陰で俺の推理する出番がねぇぜ。」
【ベルン】「あぁ、ごめんなさい。……戦人はこの時、不在だったから、私の方で勝手に駒を操らせてもらったわ。………切れ者っぽくていいでしょう…?」
【ラムダ】「くすくすくすくすくす…! あんたはベルンにプレイヤーをしてもらった方が賢そうに見えるわ。……プレイヤーは降りて、駒に専念した方がよくない?」
 俺は10月5日の、だいぶ殺人が起こってからの段階でゲームに途中参加した。だから、そこまでの“俺”という駒は、プレイヤーのベルンカステルがコントロールしてる。
 なので、ベルンカステルの推理を、“俺”の口を通して披露することも可能、ってわけだ…。……今の俺にとって、現在見ているこのゲームは、すでに終わっている部分のリプレイに過ぎない。
 しかし、今はそれでもいいだろう。……せっかく、ベルンカステルさまが、碑文の謎解きをして下さるんだ。…今はじっくりと拝見しよう。
 ………そして、……その意味を探るんだ。さっきラムダデルタは、ぽろりと言った。
【ラムダ】「そりゃそーでしょ。それを教えてあげちゃったら、ヒントが過ぎちゃうわ。………難易度の高い謎でなきゃ、意味がないんだから。……あらいけない。これもヒントになっちゃうわね。くすくす……。」
 ……祖父さまが、後継者を選ぶために碑文を出題した、という推理は、確かに悪くはない。ヱリカこと、ベルンカステルの推理は、極めて妥当なものだ。
 しかしそれは、祖父さまが出題者なら、だ。
 碑文が掲示された当時は生きていただろうが、言うに及ばず、……1986年の時点では、祖父さまはすでに死亡している。
 そして、これまでのゲームで何度も、ベアトリーチェは手紙で、碑文を解く以外に生き残る道はない、というような脅迫を繰り返し、謎解きに挑戦しろと強要してくる。
 つまりそれは、……碑文の謎解きに挑め、というベアトリーチェの意思、……希望だ。あまりに難解で、少なくとも脅迫状が届くまでは、多くの場合、親族たちは真面目に推理したりはしない。だからベアトリーチェが、挑めと発破を掛けるわけだ。
 ……………………………。
 ………どうしてベアトリーチェは、祖父さまの遺志を継いでるんだ……?
 一番最初のゲームで出た推理のように、……ベアトリーチェはやはり、祖父さまの腹心で、その死後も言い付けを守り、祖父さまに代わって碑文の謎で後継者を選び出そうとしているのだろうか…? 確かにそれは、手紙の中でベアトリーチェが自己紹介するように、まさに顧問錬金術師という名の、腹心の部下そのものだ…。
 祖父さま亡き後、10tの黄金を管理し、錬金術師を名乗るベアトリーチェ。
 ……その黄金を着服することもなく、碑文の謎に託し、後継者に相応しい人間が現われ、解いてくれるのを待つ……。その人間が、定めた時間内に現われないなら、……ゲームオーバー?
 確かに、第3のゲームで謎を解いた絵羽伯母さんは、最終的には唯一の生存者となり、自動的に右代宮家の最後の当主となって、全てを継承した。
 これまでのところ、謎を解いた絵羽伯母さん以外に、10月5日から生還した例は存在しない……。常に誰一人生かして帰さないベアトリーチェが、唯一生還を許したケースなのだ……。
 ……………………………。ベアトリーチェの原点は、……祖父さまへの忠誠心なのだろうか………。碑文が解けなければ皆殺しにしろ、というような恐ろしい命令を、主亡き後にも忠実に実行するほどの、忠誠心……。
 ……………………。……考えるのを止めてはいけない。…思考を、……止めるな……。上辺の謎ではなく、……その意味を考えるんだ。……………………………。
 なぜベアトリーチェは、俺たちに碑文を解けと出題するんだ……? なぜベアトリーチェは、あんな難解な碑文を俺たちに出題するんだ……?
 ……ベアトリーチェにとって、解けるはずもない碑文に挑戦させ、………万一、誰かがそれを解くという“奇跡”を起こしたなら……、………それが彼女にとって、どんな意味を持つというのだろう………。
 ベアトにとっての、奇跡の価値が、……わからない。
ゲストハウス・ロビー
【戦人】「いずれにせよ、……第一の晩がわからねぇ限り、これ以上はお手上げだな。」
 色々な角度から検討したが、結局、そこで行き詰ったまま、それ以上の進展はなかった。
【真里亞】「くぁ、…ふわぁあああぁぁぁあぁぁ……。」
 真里亞が、特大のあくびをする。
 それにつられ、他の何人かもあくびをする。…頭を使ったので、みんな少し眠くなってしまったのだ。不愉快そうに、ずっと沈黙していた朱志香は、さっさと立ち上がる。
【朱志香】「……私は、真里亞と一緒に上へ行ってるぜ。テレビでも見てる。」
【譲治】「そうだね…。僕も上がるよ。そうだ、みんなで上でトランプでもしようか。」
 譲治がそう提案すると、真里亞はさっきの大あくびも忘れ、トランプやるやるーと元気に騒ぎ出す。
 時計を見れば、もうじき夜の10時だ。そろそろ、お風呂に入ったりして、寝支度を始めても良い時間だった。大人たちも、多少の旅疲れはある。続きはまた今度にしようということになり、ばらばらと解散することになった…。
【譲治】「ヱリカちゃんも一緒にどう? トランプ。」
【ヱリカ】「………お気持ちだけで結構です。客人の分も弁えず、ちょっと仕切り過ぎました。今夜は大人しく休もうと思います。………自分が遭難者であることを、すっかり忘れていましたから。」
【留弗夫】「まったくだぜ。とても溺れてたとは思えない元気さだ。」
【絵羽】「くす。若さねぇ。でも楽しかったわ。あなたのお陰で推理が一層進んだ気がする。もし私が黄金を見つけたら、百万円くらい分けてあげるわ。」
【秀吉】「わっはははは! せめて気前良く1億くらいドーン!とは言えんのか。うはははは!」
【ヱリカ】「結構です。私に興味があるのは謎解きだけですので。……それではこれで失礼します。……お休みなさい。」
【戦人】「おう、お休み。」
【楼座】「あら、戦人くんは上に行かないの?」
【戦人】「……俺は、ちょっと面白くなっちまったんで。もう少しここで考えをまとめてみます。第一の晩を示す文字列さえわかれば、きっと一気に道は開けると思うんすけどねぇ…。」
 みんなはぞろぞろと二階に上がっていく。楼座叔母さんだけは残って、みんなが飲んだコーヒーカップを片付けていた。
 霧江さんたちも手伝うと申し出てくれたが、楼座叔母さんが大丈夫と断ったため、彼女ひとりで洗っている。美味しいコーヒーをご馳走になったので、自分も手伝うことにする。
 ……義理で手伝うわけじゃない。俺はまだ誰かと、碑文の推理を続けたかったのだ。
【戦人】「………第一の晩、第一の晩。……うーん。楼座叔母さんは何か思いつく文字列とか言葉、あるっすか?」
【楼座】「さぁ…。私には全然。………でも、第一の晩じゃなくて、第十の晩は、ちょっと気になったかしら。」
【戦人】「第十の晩…? 何ですか。」
【楼座】「うん。………黄金郷って単語、何度も出てくるでしょ?」
【戦人】「出てきますね。」
【楼座】「なぜか、……第十の晩だけ、旅は終わり、黄金のキョウ、いえ、サトね。黄金の郷へ至るだろうって書かれているの。…どうしてここだけ、“黄金の郷”と書かれているのか、気になってね。」
【戦人】「…………本当だ。…確かに。他はみんな黄金郷って書かれてるのに……。」
 みんな黄金郷なのに、第十の晩だけ、わざわざ“の”が入って、“黄金の郷”になっている……。何か、特別な意味でもあるんだろうか………。………………………。
【楼座】「しかし、……戦人くんと、あのヱリカちゃんって子はすごいわね。発想が本当に柔らかい。…私なんかはもうオバサンだから、頭が全然回転しないのよ。今日の、鍵の選びし六人は、6文字を間引けという意味だ、という推理は見事だったわ。」
【楼座】「そう聞かされちゃったら、もうそうにしか思えないけれど、それまでは、全然そうだと思わなかったものねぇ…。自分の頭の硬さが嫌になるわ。」
【戦人】「そんなことないっすよ。楼座叔母さんだって頭、充分柔らかいっすよ。その“黄金の郷”って発見は、何かの鍵になるかもしれないじゃないっすか。」
【楼座】「とんでもない。カチカチよ。……私なんて、ついこの間までは、第一の晩というのは黄金郷までの道中の、十分の一の場所だとか思ってたんだから。」
【戦人】「……何すか、それ。面白そうだから聞かせてくれませんか。」
【楼座】「くす。……だって、第一の晩の前の行に、“黄金郷へ旅立つべし”って書いてあるでしょう? そして十日をかけて旅をするわけだから、これはその、旅の途中のお話なんだろうと思ったの。」
【戦人】「……旅…。………確かに。………………。」
【楼座】「それで、旅を始めて、最初の一晩目のキャンプで、6人を生贄に捧げて。……ならその場所ってどこだろう。スタート地点から何キロ目…? 何てね…。内緒よ? 叔母さん、バカだから、黄金の郷のこと、ずっと黄金のキョウって読んじゃってて。
 ……ほら、キョウって言うと、京都みたいでしょ? だから、お父様の故郷から京都までの旅路の、最初の十分の一の地点に、何か秘密が隠されてるんじゃないかって思って…。」
【戦人】「いや、めちゃくちゃ斬新っすよ、その発想。………十日をかけての旅の、最初の一番目の場所…。……そこの地名が鍵かも……。」
【楼座】「それを知るには、スタート地点とゴール地点がわからないとね。……スタート地点はわかってるの。お父様が懐かしむ故郷はわかってる。お父様は少年時代を、とても遠方で過ごされたのよね。」
【楼座】「……でも、問題はゴールの黄金郷ね。一体、どこのことなのかしら。……それがわからなきゃ、私の説もさっぱり。長いこと、ここで行き詰ってたんだけど、今日の戦人くんたちの推理を聞いてて、やっぱり私の恥ずかしい勘違いだったんだわって思い知ったわ。」
【戦人】「………いや、それはそれで、…きっと面白い発想だと思います。……………………。スタートとゴール、十日間の旅。…その、最初の一晩目の到達点……。」
【楼座】「案外、戦人くんなら、ぽろっと解けちゃったりしてね。……もし、叔母さんのヒントで解けたなら、1割の半分でもいいから、分けっこしてね。約束よ♪」
 叔母のはずなのに、思わずドキッとしてしまうような笑顔でウィンクをくれる。
 俺はコーヒーカップの洗い物を手伝いながら、……無言で、碑文の謎をずっと検討し続けるのだった………。
 ……楼座伯母さんの手伝いを終え、お手洗いに行こうと廊下に出ると、途中の部屋の鍵を開けているヱリカの姿があった。
【戦人】「……あんたの部屋は、2階じゃなかったか? てっきり、上に上がって、もう部屋で休んでるのかと思ってたぜ。」
【ヱリカ】「…………ちょっと探し物をしてまして。……ここにならあるのではないかと思いまして。」
【戦人】「探し物……?」
 鍵が開き、ヱリカは扉を開ける。むわっと溢れ出す、埃の臭い…。
書庫
 そこは書庫だった。図書室と呼ぶには、あまりに本棚と本棚の間が狭い。本を読むための部屋ではなく、本をしまい込むための部屋であるのは間違いなかった。
【戦人】「……探し物ってのは、本なのか?」
【ヱリカ】「本と言いますか、……まぁ、資料です。どうしてもしたい調べ物がありまして。」
【戦人】「……………碑文の謎に関する探し物、か…? まだ諦めてなかったとは殊勝なこったな。200億の黄金は魅力か?」
 諦めてないのは俺も同じだ。どうやら、お互い、諦めは悪いらしい……。
【ヱリカ】「まさか。……私にとって興味があるのは謎解きだけ。黄金を求めるのは推理が正しかったことの証明が欲しいからだけです。仮に見つけても、ネコババなんてしませんのでご安心を。」
 ……好きなのは謎解きで、黄金にはまったく興味がないと、さらりと言い捨てる。どこか変わり者だとは思ってたが、どうやらその第一印象は間違っていなかったらしい。
 ヱリカは本棚の間をゆっくり回りながら、目当ての本を探し始める…。
【戦人】「碑文の謎解きなら、俺もまだ挑戦中だぜ。………そうそう、さっき楼座叔母さんに、第一の晩のヒントになるかもしれない、面白い話を聞いたぜ。」
【ヱリカ】「…………うかがいます。」
 ヱリカは本探しを中断せず、顔も向けないで聞いてくる。
【戦人】「第一の晩に、の前の行に、鍵を手にせし者は、以下に従い云々ってのがあったろ。」
【ヱリカ】「………鍵を手にせし者は、以下に従いて黄金郷へ旅立つべし。」
【戦人】「ひゅう…。もう暗記したのかよ。流石だな…。」
【ヱリカ】「それがどうかしたんですか?」
【戦人】「……あぁ。黄金郷へ旅立つべし、だろ? 楼座叔母さんは、第十の晩、即ち、十日を掛けて、懐かしき故郷から黄金郷へ向けて、旅に出る……、ということを連想したらしい。」
【ヱリカ】「実はそれは、私も気付いてました。十日掛かる旅路の、一日目に辿り着く場所。……そこから、生贄を捧げる。」
【戦人】「あ、…あぁ、楼座叔母さんもまさにそれを想像した。面白い推理だと俺も思う。……十日の旅の初日に辿り着く場所。その土地、もしくは地名が鍵になるんじゃねぇかってな…。」
【ヱリカ】「………地名が鍵になるのではないかという推測は、私もしています。だから、資料が見たいんです。推測を、確信に変えるために。」
【戦人】「あんた、………探し物は何なんだ。」
 そこでヱリカはぴたりと手を止め、……ゆっくりと、それを引き出す…。そして、埃を吹き払いながら、ようやく俺を見て言った。
【ヱリカ】「地図帳です。」
 ヱリカも同じこと。碑文はベルンがあらかじめ解いていて、それをヱリカの口を通して披露した。

辿り着きし者
10月4日(土)22時00分

金蔵の書斎
【夏妃】「……何とか、一日目を凌ぎましたね。」
 書斎には、夏妃の姿があった。独り言のように呟くと、黄金の蝶たちが現われて人の形を作る…。
【ベアト】「楽観は出来んぞ。……このままぼんやりと過ごし、明日を凌げるとは思えぬ。」
【夏妃】「……やはり、お父様が不機嫌で出てこない、…というだけでは、誤魔化し切れませんか。」
【ベアト】「うむ…。去年の時点で、相当の不審を持たれていたようだ。それにより膨れ上がった毒素は、今やとぐろを巻くかのように、この書斎を取り囲み締め上げている…。」
【ロノウェ】「去年から疑われていた、だけではないでしょうな。」
【ワルギリア】「………そうですね。それだけでは説明がつかないくらいに、毒素は濃密に練り上げられています。……恐らく、金蔵さまの死を去年の時点から疑い、今年の会議にて暴こうという強い意志があったに違いありません。」
【夏妃】「去年の時点から、……騙しきれていなかったということですか。」
【ロノウェ】「…残念ながら、そうお考えになる方が、今はよろしいかと。明日も台風は留まり、迎えの船は明後日になります。つまり、あと最低でも36時間を持ち堪えねばならないということです…。」
【ベアト】「………夏妃の目には見えぬであろうが、この部屋を閉ざす密室結界は極めて強固なものだった。それが、今夜だけでぼろぼろに擦り切れ、嵐を待つ枯れ葉のような有様だ。」
【ワルギリア】「いいえ、まさに嵐の真っ只中にありますよ。………夏妃さま。私は、密室結界を別のものに変えることを提案いたします。」
【夏妃】「別のもの、というのはどういう意味ですか…? つまり、作戦を変えるという意味ですか…?」
【ロノウェ】「左様でございます。……私とワルギリアさまで、去年のものに近い結界を再構築します。」
【ベアト】「つまり、去年のように、金蔵を極力、書斎の外に出し、毒素の陰から陰へと綱渡りをさせるということだ。危険ではあるが、妾もそれを提案したい。」
【夏妃】「何ですって…。今さら、作戦を変えるというのですか…?!」
【ワルギリア】「篭城では切り抜けられぬとわかった以上、城を捨てることも考えねばなりません…。」
【ロノウェ】「……この書斎はもはや、敵兵に囲まれ城壁さえも破られかけた城に同じ。座せば死を意味するならば、玉砕を求めて最後の出陣をするのも手でしょうな。……降伏できぬ戦いでしょうから。」
【夏妃】「お父様の秘密は、最後の最後まで絶対に死守します! それを気取られれば、言い繕う余地など何もない! 主人の横領は白日の下に晒され、右代宮家の名誉は失墜します! 断固として、それだけは防がねばなりません…!」
【ベアト】「……落ち着け、わかっておるわ。…蔵臼の錬金術は、じきに大成を迎える。今年を乗り切れば何とかなるのだ。だからうろたえるでない。」
【夏妃】「しかし、去年と同じ手では無理だとして、取った作戦がこの篭城なのですよ? 一度は無理と切り捨てた作戦を再び選ぶのは愚の骨頂ではありませんか…?! 一体、今さら、どういう筋書きを作るというのですか…!」
【ワルギリア】「それは私とロノウェで用意します。お任せを、幻想を生み出すのは魔女たちの役目。……夏妃さまは、そのご許可を下さるだけで結構でございます。」
【ベアト】「………お師匠様もロノウェも、こういう時は実に頼れるぞ…! 片翼の鷲の使用人どもも、家具としては優秀だ。お師匠様たちが魔法を再構築すれば、それを守るために働くだろう。…今からでも決して遅くはない。金蔵を書斎から出し、その幻想を歩き回らせよう…!」
【夏妃】「その作戦を長く検討し、それでも有効なものが見出せなかったから篭城を選んだことを忘れましたか?! 急場にうろたえ、軽々しく当初の作戦を投げ出すなど、愚かしいことです!」
【ワルギリア】「しかし夏妃さま…! 篭城ではもはや凌ぎ切れぬことは、毒素の真っ只中でそれを感じ取っておられた夏妃さまが一番ご存知のはずです…!」
【夏妃】「………私は、篭城の方針は変えずに、何とか他の作戦を考えられないかと提案します。……とにかく、この部屋を密室に保ちさえすれば、誰もお父様の存在を否定は出来ないのです。開けることの出来ぬ猫箱の中身を断定することなど、何人にも出来ないのですから……!」
【ベアト】「…確かに、そうではあるが……。ニンゲンどもは不条理であるぞ。密閉した猫箱とて、ケーキの箱に群がる黒蟻のように、箱を食い破って中に入ることもありえる。…………ベルンカステル卿の駒も気になるしな。」
【ロノウェ】「………ヱリカさまが晩餐の話題をさらって下さったのは幸いでした。お陰で、今夜の親族会議をお開きに出来る雰囲気を生み出してくれたのですから。……普段のように、即座に親族会議となっていたら、今夜にも結界は破られていたかもしれません。」
【ワルギリア】「しかしそのせいで、より濃密に毒素は練り上げられました。……明日まで練り上げられた毒素は、密室結界を容易く冒すでしょう。篭城を続けるにせよ、やめるにせよ、どちらにせよ新しい作戦と結界を用意しなくては明日は乗り越えられません。」
【ベアト】「……密室結界を破るための、何かの策があるのかもしれぬな、ベルンカステル卿には………。あのヱリカという駒め、…侮れぬぞ。」
【ロノウェ】「…………それを言えば、例の19年前の復讐とかいう謎の男も、ベルンカステル卿の駒かもしれません。……18の駒で均衡が取れていた盤面に、望まぬ駒が2つも追加された。…イレギュラーが多過ぎます、今年は。」
【ベアト】「ベルンカステル卿は東洋趣味がおありだったな。……日本のチェス、将棋では、ゲーム中に駒を追加することも出来るというではないか。」
【ワルギリア】「えぇ、可能ですよ。……敵のキングの目の前に、駒置き場より取り出したクイーンを置くことさえ、将棋では許された、切り札たる一手です。」
【夏妃】「……あの、19年前を語る男は、……どうしているのでしょう。…この島のどこかに、すでに潜んでいるというのでしょうか…。」
【夏妃】「………あの、ヱリカという少女が、漂着と称して現われることが出来たのです。……あの男も、この台風にもかかわらず、島のどこかに上陸し、息を潜めているのかもしれない……。」
【夏妃】「……そして親族たちをもはや騙し切ることは難しく……。………………………。……どうしてッ!! どうしてこうもイレギュラーが重なるのですか!! この悪夢と偶然の奇跡を、どう説明すればいいというのですか!!」
 夏妃は荒々しく机を叩くと頭を抱え、もはや堪えきれぬほどの頭痛に表情を歪める…。
【ベアト】「………ベルンカステル卿は奇跡を司る。…あの御仁の前に、イレギュラーと奇跡は驚くにも値せぬぞ。」
【ロノウェ】「将棋は、確かにキングの真正面に敵の駒が突如現われることを認めたゲームです。ですが、だからこそ、そこに隙間を作らぬ完璧な陣形を作り、キングを守る芸術的な城を構築します。」
【夏妃】「ならばやはり篭城は正しいではありませんかッ!!」
【ロノウェ】「篭り切れる篭城ならばいざ知れず、今はそれを期待できる段階にありません。」
【ベアト】「壁を背負わぬキングを詰めるのは難しく、四方を空けたキングを詰めるのはさらに困難だろう。……ネズミで考えよ。籠に閉じ込めたネズミを掴むことは出来よう。しかし、野に逃げ出したネズミを掴むことなど、雲を掴むに等しい話よ。」
【ワルギリア】「夏妃さま。……どうか検討することのご許可を。……金蔵さまが書斎をお出になり、気紛れに屋敷内を闊歩しながら、親族の方々の目を逃れる。……それが自然である筋書きを、明朝までに考えます。」
【夏妃】「…………危険では……。……それくらいなら、お父様がこの部屋で機嫌を損ねられていることを演じ続けた方が……。」
【ワルギリア】「明日にも、親族の方々はこの書斎の前に詰め掛けるでしょう。そこの、扉一枚向こう側に詰め掛けるのです。そこで夏妃さまは、金蔵さまと怒鳴りあいをしているかのようなふりを、一体何時間続けられるというのですか? 不可能です…!」
【夏妃】「その不可能を何とか、36時間逃げ切らねばならないのです!! やれと言うならやりますッ!! 私は右代宮夏妃! 右代宮家当主の妻です!! それをやれと言うなら、……私は何日でもここで、お父様と怒鳴り合いをしているところを演じましょう…!! うううぅううううううッ!!」
 ……夏妃とて、それが出来るわけもないことはわかっている。しかしもう、金蔵の幻想を闊歩させる作戦に勝算を見出すことが出来ずにいた……。
 机を何度も叩きながら、激情に涙を零し、時に頭痛に呻き、時に何かのせいにして喚き散らす。その席に座る者をそうさせる呪いでもあるのかと、思わずにはいられないように……。
【ロノウェ】「………これは、奥様が逃げる詰め将棋ですな。……詰め将棋ですから、相手のキングはない。決められた手数を逃げ切る以外に、奥様に勝つ手はないのです。」
【夏妃】「その手数が、……あと一日半もあるなんて、……多過ぎます…。」
【ベアト】「考えることを止めるでない、降参するでない…! 愚痴は妾が聞こうぞ、だから根を上げるでないぞ…! そなたの、絶対にこの苦難を乗り越えようという絶対の意思が、絶対の結果を紡ぎ出す…! それこそが絶対の魔女の力。」
【ベアト】「その魔力を失ってはならぬ。……必ず乗り越えられると信じよ…! きっと妙案は浮かぶ。だからそれを考えることを投げ出してはならぬ…!」
【夏妃】「……そうですね…。わかっています…。私が乗り越えねば、他の誰にも乗り越えられぬ困難なのです……。」
【ベアト】「そうとも。それを乗り越えて見せよとそなたは金蔵に託されたのではないか。……金蔵はそなたなら託せると認めたのだ…!」
【夏妃】「………お父様…。…お父様…、うううぅううぅぅぅ!!」
【ベアト】「お師匠様とロノウェが手は考える。もちろん妾も考える! だが、主であるそなたの許可なくばそれも許されぬ…! だからせめてそなたは、戦う意思を捨てるな…! 諦めるな…!!」
【夏妃】「わかってます…、わかってます!! でも、…もう、……疲れ切ってしまって、…頭痛が耐えられなくて…。……どうして私は、…こんなにも冷え切った書斎で、……たった一人で泣いているの?! どうして…、どうして主人は今、ここに居てくれないのッ?!」
 晩餐を終えた後、蔵臼は眩暈を訴え、早めに床に就いていた。もちろん、明日の長丁場に備えて充分な休みを取るためのものだが、今の夏妃には、面倒を自分に全て押し付けてさっさと眠ってしまったようにも感じられるだろう。
 しかし、それを愚痴ることは妻として失格なのだ。……夫が休んでいる間にも、家のことを第一に考え、働くのが良妻の役目ではないのか……。
 夏妃は夫を呪ったことさえ悔やみ、…誰を呪えばいいかもわからぬまま、嗚咽を漏らし続けるのだった……。
 こんな時、……せめて金蔵がやさしい言葉を掛けてやればいいのに。ベアトはその姿を探すが、先ほどから書斎に金蔵の姿はなかった…。夏妃も、あるいはそれに気付いているのだろうか…。
 一人で戦い、裏から支えることこそ良妻の役目と自負しつつも、……それが必要であると、誰かに認められねば、涙を止めることも出来ないほどに、………今は弱々しい。ならばせめて自分が言葉を…、と慰めの言葉をあれこれ思案するベアトの肩を、そっとワルギリアが叩く。
 ……慰めの言葉は、然るべき人間の口から出なければ、むしろ傷つけることさえあるのだ。だからワルギリアは、今は何も声を掛けないのが一番良いと無言で諭すのだった…。
【ガァプ】「……………あー、お取り込み中にごめんなさい。…部外者だけど発言、いいかしら。」
【ワルギリア】「ガァプ。……今は慎みなさい。」
【夏妃】「いえ、この場にいる限り、部外者も客人もありません。……発言を許します。」
【ガァプ】「………ありがとう。……さっきロノウェは言ったわ。これは夏妃が逃げる詰め将棋だとね。………詰め将棋はどうして負けるの? キングがチェックメイトされるからでしょう?」
【ベアト】「言われるまでもないわ。そして敵にはキングがない。だから夏妃は、自分のキングを逃がし続けるしかない。」
【ロノウェ】「………なるほど。……その手ですか。もうその時が来ましたか。」
【夏妃】「どういうことです。……何か手があるというのですか。」
【ガァプ】「…………夏妃はゴールドスミスの死を隠す一番最初に提案してるわ。……それを使う時が来たということよ…。」
【ワルギリア】「失踪、ですか……?! その一手を親族会議の今、指すというのですか?! 危険過ぎます!」
 諸問題を無事に解決出来たら、金蔵を眠らせなければならない。その眠らせる方法が、……失踪だった。金蔵はある日、森に出掛け、そのまま帰らない。いくら探しても見つからないので、失踪ということに……。
【ガァプ】「………さっきリーチェも言ったわ。野に逃れたネズミを捕まえることは出来ない。そして、森に消えたゴールドスミスを捕らえることもね。」
【ワルギリア】「それで言い逃れられると?! この、もっとも疑われた今に、その一手を差すなど、まさに自殺にも等しい一手です!!」
【ロノウェ】「疑われるでしょう。まさに疑惑と呼ばれるに等しい一手でしょう。………しかし、この書斎に彼らが踏み込もうともぬけの殻。……金蔵さまを捕らえることは永遠に不可能で、その死は、これほどまでに疑わしいにもかかわらず、立証することが出来ない…。」
【ガァプ】「36時間どころか、永遠に金蔵の秘密を守ることが出来るんじゃない……? …もちろん、それに相応しいリスクを背負うことになるけれど。」
【ベアト】「……その一手を指せば、確かにこの場を乗り切ることは出来ようが、……失う名誉も計り知れぬぞ。」
【ガァプ】「それでも。…………確実にこの場を乗り切れる一手よ。もちろん、疑惑を大きく背負うわ。でも死なない。」
【夏妃】「た、……確かにそれは、……そうですが……。」
【ガァプ】「………関東大震災で、右代宮家は本当だったら滅んでいるはずだったのよ。それを狂気の天才、ゴールドスミスが再建して、あなたが守りたくなるくらいに立派に再建して見せたわ。……なら、今度はそれを、あなたたち新しき当主夫妻がやってみせるべきなのよ。」
【ロノウェ】「……ほぅ…。………そういう煽り方をなさいますか。」
【ガァプ】「煽りじゃないわ。当主夫人としての覚悟を、私は聞いているだけよ……。……泥をすすってでも右代宮家を守る覚悟が、あなたにはあるんでしょう……?」
【夏妃】「あ、……あります…。」
【ガァプ】「今が、その時よ。………泥をすすって生き延びられるなら、いくらでも飲み干しなさい。あなたは苦界を這いずって生き延び、やがては必ず栄光を取り戻す。………この序列第33位のガァプが、それを約束してあげるわ。」
【ベアト】「…………ガァプ…。」
【ガァプ】「………私がこのタイミングでここへ遊びに来たのは、きっとそれを望む偶然の神々のお導きでしょうよ…。……守ってあげる。右代宮夏妃。対価は不要よ。あんたに仕えてるリーチェから、すでにたっぷり前払いされてるわ。」
 ガァプはいい加減そうに見えて、実はとても義理堅い。困っている人を見ると放っておけない性分なのだ。
【ベアト】「前払い? はて、妾がいつ…? 記憶にないぞ…。」
【ガァプ】「くすくすくす…。………あなたがどこにしまったか思い出せない、マジックアイテムの数々。ずいぶんとチョロまかせてもらってるもの。」
【ベアト】「んなッ!! 見つからないのは、やはりそなたの仕業だったか…!! 返せー!! 幻の銀水晶とムーンスティック返せー! まだくっ付けて遊んでないのにー!」
【ガァプ】「…………私から授けられる魔法と作戦はそんなところよ。ゴールドスミスを、誰にも見つけられない世界へ、私は隠すことが出来る。………この魔法が必要になったらいつでも言って。その直前まで、夏妃は他の、もっと無難な作戦を思案すればいい。」
【ロノウェ】「確かに。……選択肢を残すことは心のゆとりを残すこと。…心にゆとりなくして、妙案も生まれぬものです。」
【ワルギリア】「夏妃さま。夜は短くありません。……ガァプの手は最後の切り札とし、今は策を練りましょう。そのご許可をどうか。……そして、必ず成し遂げられるという、信頼と魔力と絶対の信念を、我らにお与え下さい。」
【ガァプ】「あんたが信じれば、私がそれを叶えるわ。あんたが疑えば、それも私が叶える。……未来を、あなたが作りなさい。」
【夏妃】「…………………………。」
 金蔵の、失踪。それをこの、親族会議の真っ只中で。それはまさに、最後の手段だった。
 夏妃は、その最後の切り札を胸に隠し、……ぎりぎりまで他の作戦を模索することにする。
 長い長い夜は、まだ始まったばかりなのだから……。……そして、夜が長いことは、ベルンカステルと、その駒たちにとっても、同じことなのだ………。
屋外のどこか
【戦人】「……足を抉りて、……殺せ。……これで、完成だ…。」
【ヱリカ】「なるほど、……やはり抉るとは、そういう意味だったんですね。またしても、私の推理は正解でした。」
 最後の手応えは、これまでのと比べて明らかに異質で、何かの仕掛けを作動させたに違いないと感じさせた。しかし、ぱっと見る限り、何かの入り口が開いたりという劇的な変化はない。それを探すために、もうひと手間を掛けなくてはならないようだった…。
【戦人】「すげぇよ、お前は。………これで本当に黄金が見つかったら、俺とお前で山分けだな。」
【ヱリカ】「知的興奮を楽しめただけで充分です。…………私が好きなのは謎解きだけ。報酬は、それが正しかったことの証明だけで充分です。」
 黄金を拝めればそれで充分だと言ってのける。そしてしゃがみ込み、鍵の仕掛けをしげしげと観察していた。……掛け値なしにこいつは、……本当に謎解きが好きらしい。
 こいつにとっての宝探しは、隠したモノを暴く過程に浪漫があるのであって、お宝をゲットして億万長者!っていう結果には、まったく関心がないわけだ……。
【ヱリカ】「………なるほど。よくもこんな仕掛けを…。…“あなたたち”の不運は、私をこの島に迎えたことでしたね。…………ただ碑文がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。……如何でしょうか、皆様方?」
 暴かれた仕掛けに、そう語りながら、にやにやと微笑み掛けている。その笑みには、勝ち誇るような、というよりは、ほんのちょっぴり見下すようないやらしさが含まれていた。彼女は今、謎を解くことによって、出題者に打ち勝ち、見下すことが出来たという悦に浸っているのだろう……。
【ヱリカ】「………これで黄金が見つかれば、次期当主は、蔵臼さんでなく、あなたですね。」
【戦人】「へっ。……どうだろうな。」
【ヱリカ】「……蔵臼さんって、ちょっと傲慢な方じゃないですか。偉そう、って言いますか。その蔵臼さんが、一夜明けたら、甥に黄金も次期当主の座も掻っ攫われていたなんて、……何だか愉快ですね。」
【戦人】「………………………。」
 ヱリカはしゃがんで背を向けたまま、かちゃかちゃと仕掛けいじりをしながら言う…。
【ヱリカ】「………朱志香さん、でしたっけ。私に意見した女の子。」
【戦人】「ん、……あぁ。」
【ヱリカ】「………あの子、自分の父親が次期当主だと、威張ってましたね。……彼女は今夜が明け、戦人さんが全ての黄金を受け継ぎ、自分の父親がもはや次期当主でなくなったことを知ったら、どんな表情を見せるんでしょうね……?」
【戦人】「………別に俺は、200億を独り占めする気は毛頭ねぇぜ。……ま、せいぜい1割ももらえりゃお腹いっぱいさ。あとは親族で仲良く分けりゃいい。次期当主なんて、もっと興味がねぇぜ。蔵臼伯父さんに、喜んで押し付けさせてもらうぜ。」
【ヱリカ】「………果たして、そう簡単な話で済むでしょうか…? くすくすくすくす。それを推理することよりは、……今は、朱志香さんが明日、どんな表情をしながら、どんな負け惜しみを口にするかの方が、推理の対象としては楽しい気がします。」
【戦人】「…………お前、性格悪いな。」
【ヱリカ】「おや。…………謎解きが好きという時点で、推理出来ませんでした…? ………私、人が隠すことを暴くのが好きな、知的強姦者なんですよ? ……碑文の謎解きもそうです。」
【戦人】「………祖父さまが満を持して隠した黄金を、暴いてやりたかったんだろ。」
【ヱリカ】「えぇ。最初はそうでしたが、…………途中から目的が変わりました。」
【戦人】「途中? ……何に。」
【ヱリカ】「朱志香さんです。………私の推理に口を挟み、高潔かつ高尚な時間を汚しました。………だから、あの朱志香という子に思い知らせたくて、碑文の謎を解くことに目的を変えたんです。」
【戦人】「…………………お前、…本気で言ってんのか。」
【ヱリカ】「くす。………くすくすくすくすくすくす。…私は、どんな相手でも屈服させます。それが私の唯一の愉悦です。……まだ推理、必要ですか?」
【ヱリカ】「………右代宮朱志香は、私をムカつかせた。だから私は、身の程を思い知らせてやりたくて、碑文を解くことにした。………そこから導かれる、今の私の感情。…推理可能ですか?」
 ……今度こそ、俺は本気で背を向ける。俺は、……謎解きごっこが面白くなって、……こいつに乗せられて、大変なことをしてしまったのではないだろうか…。
 そうだな。……推理は可能だった。
 謎を解けば、次期当主は誰かを巡って親族たちは大騒ぎをするだろう。発見した俺が次期当主だと親父たちは騒ぐだろうし、それでは面白くない親族たちは反対するだろう。
 いくらヱリカが断じようとも、碑文の謎を解いた者を次期当主とするという記述は、どこにもないのだ。だからこそ、認める認めないで激しい争いをすることになる……。
 ヱリカの言うように、この後のことを推理してやるならば。……蔵臼伯父さんと、それ以外の親族が、醜くぶつかり合うことになるだろう。
 朱志香は謎を解いた俺を、……感嘆するだろうか、罵るだろうか。……今はそんなことを、……考えたくない…。
 ……ヱリカはまだぶつぶつと呟いている。…どうやら、それを、……もう推理し始めているらしい…。俺は不愉快な気持ちになりながら、……闇夜をぼんやりと眺めるのだった…。
【戦人】「………………っ。」
 その時、俺は、………向こうにぼんやりと灯る外灯に、…人影が浮かび上がっているのに気付く。
 見間違いかと思った。あんなところに、傘も差さずに雨に打たれるままでずっと立っているなんて、考えられないから。
 しかし、……その人影は、ずっとそこに立ち尽くし、………ひょっとして、……いや、……。
 …………俺を、…見ていた。そして、……それは、…………。
【金蔵】「………………………………。」
【戦人】「………………………じ、」
 ……祖父さま、…………………。
 その時、俺は、……理解する。祖父さまは多分、……俺たちの謎解きを、ずっと見ていたのだ。……そして、碑文の謎を見事、……解き切ったことを、……見届けたのだ……。
【金蔵】「………………。…………………ふっ……。」
 祖父さまは、………確かに薄く、…笑った。
 気難しそうな、おっかなそうな表情しか浮かべたことのない祖父さまが、……初めて俺の顔を見て、……笑った。
 ……小癪なとでも言うように。あるいは、よもや貴様がとでも言うように。
 しかし、……これもまた、祖父さまの碑文が選んだ、…結果なのだ。だからその結果に、……きっと祖父さまは納得したのだろう。
 最後にもう一度、…にやりと笑って見せた。もちろん、言葉はない。その笑みは、無言で一言、……天晴れである、と言っているように見えた……。
 ……俺は、どう応えていいかわからない。背を向けてしゃがんでいるヱリカがぶつぶつ言うのを無視しながら、呆然としているしか出来ない。
 ……すると祖父さまは、マントの中から腕を伸ばし、何かを指差す。
 そちらの方向を見ると、……そこには………。その指し示したものこそが、……おそらく。……黄金郷への道標。
 ……行け。そう一言、きっと祖父さまは言ったに違いない。俺は、……わかったと頷く。それを見て祖父さまも、よしと頷き返す。
 そしてマントを翻し、……漆黒の闇に、溶けるように消えた……。最後の表情は、……今度こそ本当に満足そうな、……笑顔だった。
【ヱリカ】「聞いてます? 戦人さん? 私の推理。」
【戦人】「…………見つけたぜ。あれが、黄金郷への道標だ。」
【ヱリカ】「……え? あ、……さっきと向きが変わってる。……なるほど。あちらへ進め、という意味ですか。……よい観察力ですね。」
【戦人】「祖父さまに、教えてもらった。」
【ヱリカ】「え? 金蔵さん…? どこに?」
【戦人】「行くぜ。………見せてもらおうじゃねぇか。…黄金郷ってやつを。」
 俺たちは歩き出す。黄金郷の入り口は、すぐそこだった………。
【金蔵】「………我が碑文が、ついに解かれたか。……そして、…戦人がか。………ふっ、…はっははははははははははははは…!! 愉快、この上なしッ。」
 思えば、自分もまた、誰も予想しなかった当主であった。その自分から当主を引き継ぐのが、これまた、誰も予想しない人間であることは、実に面白い。
【金蔵】「これにて、我が生涯に一切の未練はなし!! ベアトリーチェ、そなたの許へ行くぞ。我が碑文が選びし奇跡を手土産にな…!」
 よりによって戦人がな。……あの、……戦人が……!!
【金蔵】「わっはっはっはっはっはっは…!! うっはっはっはっはっはっはっはっはっは!! 我が生涯の最後の最後に、我は真の奇跡を見たりッ!!」
【金蔵】「ベアトリーチェぇえええぇええッ! この賭けは私の勝利だぁああああああわああっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはぁああッ!!!」
地下貴賓室
【戦人】「は、はっはっはははは…!! ヒャッホゥ!! はっはっはっはあああああ!!!」
【ヱリカ】「………耐食性以外には、金に換金物としての利便性を見出すことは出来ませんね。これを現金化するには、ずいぶんの手間を掛けそうです。」
 無骨な地下トンネルの果てにあった、不似合いなほどに美しい貴賓室には、………200億円の価値を一切疑わせぬ、莫大な黄金の山が積まれていた…。
 ヱリカは冷静だったが、戦人は興奮を抑えきれずにいる。山成す黄金を目の当たりにして、どちらが正しい反応だったのかは、それを直接目にした者にしか判断は付くまい……。
 平均的なサラリーマンの生涯賃金は2億円だと言われたこの時代に。……200億円の黄金。この黄金の山の、わずか百分の一で、……人間ひとりが、生涯、働かずに生きていけるのだ。
 勤労って何? 働かざる者、食うべからずで、そして人生そのものなのでは……? だとしたら、2億円というお金は、ヒト一人の人生を、完結させることさえ出来るもの。
 それが、200億円! ……100人分の、いや、100回分の人生の生涯の勤労を、完結させてしまう…!
 もちろん、働きたければ働けばいい。その結果、得られるお金は、全て遊びに使っていいのだ。何しろ、生きるためのお金は、もう生涯分、いや、未来永劫分、足りているのだから…!!
 いやいや、独り占めはいけない。100人に分配したらいい。そして、100人もの人間が、生涯、働かなくてもいい世界って、……それはどんな世界なんだ…? ………あぁ、……紛れもねぇぜ……。
【戦人】「ここが、………黄金郷なんだ……。」
【ラムダ】「というわけで。ベルン戦人は見事に黄金を見つけましたとさ。めでたしめでたし。うっふふふふふふふふ!! 肝となる部分は少し伏せさせてもらったけど、そのくらいの意地悪はしてもいいわよねぇ?」
【戦人】「……あぁ、そこは好きにしな。碑文の謎が、どういうナゾナゾでどういう答えだったのかという、ミクロな見地に興味はねぇ。大事なのは、その結果、黄金が10t発見されたという事実の方だ。」
 第3のゲームの時にも、絵羽伯母さんが黄金を発見している。楼座叔母さんもそれを目撃している。しかし、二人は黄金の発見を、一切口外していない。
 つまり、黄金発見の事実は、二人の中だけにしまわれた、猫箱の中の真実だった可能性もあるわけだ。つまり、黄金は実在せず、幻想の可能性さえあった…!
【戦人】「しかし、……“俺”がとうとう見つけちまったわけだ…。猫箱が、…開かれちまった…!」
【ラムダ】「復唱ごっこは時間の無駄だから、先にサービスしてあげる。この黄金の山は本物よ。ここに積まれたインゴットは全て本物の純金! レプリカとかニセモノとか、そんな騙しは一切無し!!
【戦人】「……よしわかった。この黄金は認めるぜ。……だが、認められないものがまだある!」
【ベルン】「………そうよね。会っちゃったものね。…金蔵に。」
【ラムダ】「くすくすくす! 金蔵は幻想のはずなのに、あなた、さっき出会っちゃったわよねぇ? くすくすくす、やっぱりこれは魔法なんじゃないのかしらぁ?!」
【戦人】「ほざけ。……“俺”は一言も祖父さまと言葉を交わしちゃいねぇ。…祖父さまと言葉を交わしたような気持ちになっただけだ。いい加減にしろ、同じ手はもう通用しない!」
【ラムダ】「ならほら、どうぞ、青き真実!」
 ヱリカの性格が悪いのは、魔女側に感情移入させる仕掛けの一環。事件の謎を解く側が悪者であるかのような描写のされ方だが、もちろん、読者が謎を解こうとするのは何の問題もない。
【戦人】恐らく俺は、碑文の謎を解き興奮状態にあった。それで、何かを祖父さまと見間違えたんだ。
【戦人】例えばそれは、暗がりの木立に引っ掛かった何かのシートかカバーで、それが漆黒のマントを羽織った祖父さまに見えたのかもしれない! その結果、俺は祖父さまと何かのやり取りをしたように誤解したんだ。
【ベルン】「………青き真実、有効ね。ま、私もまったく同じことを青で語ったわけだけど。」
【戦人】「それで? 通ったのか? 赤き真実で反論は…!」
【ラムダ】「ないわー。今のところはね? くすくすくすくすくすくすくすくす!!」
 黄金の山の前で奇声をあげていた“俺”は、ようやく冷静さを取り戻しつつあった。
 ……見つけてしまった以上、なかったことには出来ない。この発見を秘密にすることもわずかに考えた。……しかしヱリカは、この事実を発表することで、自身の推理の正しさを証明しようとしている。
 確かにこいつは、自称するとおり、知的強姦者だ。こいつにとって大事なのは、謎解きゲームであって、その謎を解いた後のことについては、何の責任を取るつもりもない。
 ……謎は、まるで錠前だ。錠前は閉ざすためにある。そして閉ざすからには、その意味があるのだ。だからこそ、それを暴くことにも意味がなければならないはず。
 しかしこいつは、……その暴く行為そのものが目的になっていて、…その後のことについては、まったく無責任なのだ。
 ……六軒島が迎えた真の嵐は、……台風ではなく、彼女なのかも知れない。
 彼女はこの発見を、秘密にはしない。自分の成果を誇るためにも、絶対に発表する。そして、……本当の嵐をこの島に呼び込むのだ。
 もう、なかったことには出来ない……。…ならせめて、……この事実を公正に発表するしかない。そしてどうなるのか、俺にはまったく想像できない。
 ヱリカはにやにやと笑いながら、ぶつぶつと呟いている。……これから親族たちが起こす騒ぎを、推理しているに違いない。彼女にとって。……200億円の黄金より、……それを想像することの方が、よっぽど甘美なのだ……。
【ヱリカ】「……ただ碑文がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。……如何でしょうか、皆様方?」
 ラストで戦人が自ら指摘するが、EP4にて「全ての人物は右代宮金蔵を見間違わない」という赤が出ているため、金蔵の見間違い説は無効。これは逆に、戦人視点の描写が信用できないことの証拠となる。

黄金狂乱劇
10月4日(土)22時47分

金蔵の書斎
 ドンドンドンドン!!!
 突然の激しく扉を打ち鳴らす音に、夏妃は意識を取り戻す。書斎で、明日をどう乗り越えるか思案している間に、つい、うつらうつらしてしまったのだろう。
 しかし、何事…? このような時間に。
 それよりも、ノックというのがおかしかった。仮に何か連絡があるなら、内線電話を使えばいいだけの話だ。自分はここにいると伝えてあるのに。
 何かおかしな事態が起こりつつあることを気取り、夏妃はもう一度頭を振って、眠気を完全に振り払った。
【絵羽】「お父様、お父様…!! 絵羽です。至急、重要なお話があります!」
 それは絵羽の声だった。
 ……どういうこと? 彼女らがゲストハウスへ行った後、屋敷は厳重に戸締りをさせたはず。それなのに、どうして絵羽がこんなところへ…?!
 夏妃は扉に駆け寄ると、小さくノックを返し、扉越しに小声で告げた。
【夏妃】「………何事ですか、騒々しいッ。」
【絵羽】「夏妃姉さん…?! 何で、こんな時間にあんたがお父様の書斎にいるのよッ!」
【夏妃】「……静かになさいと申し上げています! 当主様が何よりも沈黙と静寂を好まれることをお忘れですか…!」
【絵羽】「今はそんなこと言ってる場合じゃないのよ!! 御託はいいから、とっととここを開けなさいッ!! お父様を出して!!」
【夏妃】「当主様は先ほどお休みになられたばかりですッ! 何の御用か存じませんが、明日、私が伺います!」
【絵羽】「あんたなんかに用はないわよッ!! いいからさっさとここを開けなさいッ!!」
 時に、数々の知略や想定は、もっとも愚直で単純で感情的な一手に翻弄されることがある。このままでは、まずい…。
 もしここを開ければ、絵羽は自分を突き飛ばして書斎の中に雪崩れ込んでくるだろう。もはや、ここを開けることさえままならない…!
 その時、突然、電話が鳴った。
 だ、大丈夫。書斎の鍵は、ここに2つともある。誰にもこの扉を開けることは出来ない…! 夏妃は、恐る恐る扉から離れ、受話器を取る…。
【夏妃】「も、…もしもし!! 夏妃です!」
【蔵臼】「私だ…。まずいことになった。急いで、客間に下りて来てほしい。」
 蔵臼からだった。その声色は、緊迫している。……一体何が起こったのか…?!
【蔵臼】「戦人くんと、あのヱリカという客人が、………魔女の碑文を解いて、黄金を発見したらしいのだ。」
【夏妃】「え、……………………。…そ、…それは、本当に?!」
【蔵臼】「留弗夫たちが押し掛けてきている。これから戦人くんが、全員立会いの下に黄金の場所に案内すると言っている…。」
【夏妃】「今、書斎の扉の前で絵羽さんが開けろと騒いでいます…! 今、開けたら、書斎の中に押し入って来るかもしれません…!!」
【蔵臼】「…わ、わかった。私もそこに行く。絵羽には構うな。何もせずそこにいるんだ…! 扉の前から絵羽を追い払ったら合図するから、すぐに出て来たまえ。いいな…!」
 それからすぐに蔵臼が、源次を伴って階段を上がってきた。絵羽と、そこを開けろ、ならん、落ち着きたまえと押し問答を始める。その最中、小さくノックの合図がある。
 ……うまいこと、蔵臼が絵羽を扉の前から押しのけ、気を引いたのだ。
 その隙に、夏妃はするりと書斎を出て、素早く扉を閉める…。
 絵羽がそれに気付き、しまったと顔を歪めるが、もう重いオートロックの音が鳴り響き、扉を封印してしまった後だった。
【絵羽】「碑文の黄金が見つかったのよ!! お父様にご報告するのが筋でしょうが…!! それとも何? お父様にはそれを伝えられない都合でもあるのぉ?!」
【蔵臼】「親父殿からは、床に就いたら何があっても起こすなと厳命されていてね。それを守るのは、当主代行の務めだよ。そうだろう、源次さん?」
【源次】「…………はい。お館様のお休みは、何があろうとも乱すことは許されません。」
【絵羽】「それも時と場合によるでしょうが…!! だって、碑文が解けたのよ?! お父様には真っ先に知る権利があるわ!」
【夏妃】「もちろん明日、当主様には全てを、私たちから報告します。それが当主代行である私たちの役目ですから。」
【絵羽】「そんなの知らないわよ!! いいから、この扉を開けなさいよ!! お父様に会わせなさい!! お父様、お父様ッ、聞こえていますか? 絵羽です!! ここを開けて下さい!!」
【絵羽】「痛たたたた、離してよ…!! い、痛い…!!」
【蔵臼】「私たちが話を聞くと言っている……! やかましく扉を叩くな……!!」
【絵羽】「痛い、痛たたたたたたた…!! 離してよ、離しなさいよ!!」
【源次】「蔵臼さま、絵羽さまっ。お館様がお休み中と申し上げております。これ以上は、お控え下さい…!」
 源次がぴしゃりと言うと、二人はようやく取っ組み合いを解く。彼らが幼少の頃から金蔵の代弁者であった源次の威厳は、今なお、蔵臼にも絵羽にも通用するようだった…。
 とりあえず、絵羽は矛先を収める。黄金の発見をこの目で確認してからでも遅くはない。絵羽とて、まだ自らの目で拝んではいないのだ。
 何とか夏妃たちは急場を凌ぐ。……しかし、夏妃たちの努力を嘲笑おうとする悪魔たちの一手は、もう始まっているのだ…。
【ベアト】「戦人が、………碑文の謎を解いたというのか……!」
【金蔵】「うむ。……ヱリカなる娘にだいぶ助けられたとはいえ、辿り着いたのは戦人だった。ヱリカは黄金郷の権利を放棄すると宣言している。……よって、戦人が、黄金郷に辿り着きし者だ。」
【ロノウェ】「………運命とは、実に面白いものです。戦人さまが、…辿り着くとは。」
【ワルギリア】「どうするのです、ベアト。……碑文の謎を解く者が現われたなら、儀式は取り止める約束ですよ。」
【金蔵】「うむ。…そういう取り決めであったな。」
【ベアト】「………そういう取り決めだ。うむ。」
【ロノウェ】「戦人さまはどうやら、黄金郷の主となられるおつもりがないようだ。……我らの主となる者は、もはや現われぬようですな。」
【ワルギリア】「それもまた運命です。ゴールドスミス卿とのご縁でニンゲンの世界に顕現して数十年。……とても楽しい時間でしたよ。」
【ガァプ】「………やぁだ、リーア、ババ臭ァい。……で、どうするわけ? リーチェとゴールドスミスのルールなら、戦人が碑文を解き、主となることを選ばない以上、私たちはこれでお役御免じゃないの?」
【金蔵】「そうであるな。……私に未練は何もない。いつでもコキュートスへ蹴落とされる覚悟は出来ておるぞ。」
【ベアト】「待て。そうは行かぬ。……そなたの心残りはないかもしれぬが、妾はまだ夏妃に仕えておるぞ。戦人が碑文を解いたからお役御免では、あまりに義理を欠くというもの。……魔女は契約違反を許さぬが、不義理もまた許されぬ。」
【ロノウェ】「……でしょうな。親族会議を終えるまでは、きっちりとお仕えするべきでしょう。」
【ワルギリア】「となると、ゴールドスミス卿も、もうしばらくはお役御免とはなりませんね。……無事に親族会議を乗り越え、せめて夏妃さまにお別れの挨拶と、……もし出来るなら、これまでの努力を労われるべきかと。」
【金蔵】「……………ふむ。……あれも、よく愚息を支えてきたものよ。」
【ベアト】「貴様など、片羽をもがれた堕天使ではないか。揃わぬ翼なら、置き土産に捨てて行けぃ。」
【金蔵】「……ふむ。……それも良かろう。夏妃ならば、我が翼を背負うに相応しいかも知れぬ。…しかし、………ここからが正念場となるぞ。……褒美は用意した。無事にこの試練を乗り越えてみよ……、夏妃…。」
地下貴賓室
 黄金の山に、誰もが絶句した。その存在を、どれほど固く信じていたとしても、……この実物の黄金を見て、驚かぬ者はいない…。
【夏妃】「…………こんな、場所があるなんて………。」
【蔵臼】「信じられん……。……親父め………。」
 誰もがその黄金の絶句する。
 最初に堰を破り、狂喜したのは秀吉だった。上擦った笑い声を上げながら、黄金の壁にしがみ付く。そしてその冷たく硬い感触を頬いっぱいで感じ取った。
【秀吉】「う、うわはははははははははははは…!! こ、こりゃすごいで! ホンマモンやで!!」
【留弗夫】「……はッ、……はっははははははは!! 親父め、こんな黄金を、こんなふざけたところに溜め込みやがって!!」
【絵羽】「これだけあれば、……もう、…何も怖くない…。どんな試練だって、……乗り越えられる……! 楼座ぁ……!!」
【楼座】「姉さん……、姉さん……。これで、私たちは幸せになれるよね……?」
 絵羽と楼座は、どちらからともなく歩み寄り、肩を抱き合いながら泣き崩れる…。
 狂喜と呆然、感嘆と溜め息。様々な感情が入り混じる黄金の山の前に歩み出て、……これがショーなら司会者が振舞うように、ヱリカが言った。
【ヱリカ】「………この世がカネなら、この黄金は幸せの結晶です。……おめでとうございます、皆さん。この発見が、皆さんの人生をより豊かなものにすることを、心よりお祈りいたしております。」
【霧江】「脱帽だわ……。……この島に来て、丸一日さえ過ごしてないあなたが碑文を解いてしまうなんて。」
【ヱリカ】「………一日で解けないなら、何日を掛けようとも解けません。灰色の脳細胞は、閃きを与えるのに、瞬きする以上の時間を必要としませんので。……そして、私一人ではこの謎を解くことは出来ませんでした。戦人さんの功績も、どうか讃えて上げて下さい、皆さん。」
【戦人】「……………………………。」
【ヱリカ】「……私は、この発見を放棄します。推理が正しかったことが証明されただけで、もう満足していますので。よって、黄金発見の功績の全てを、戦人さんに譲りたいと思います。」
【ヱリカ】「……私はここにおりますが、以後はいないものとして、どうぞお話をお続け下さい。戦人さんは、いとこの皆さんに気付かれぬように、大人の皆さんだけを呼び出しました。それが意味するところはただひとつ。……皆さんに、本当の親族会議を開いていただきたいからに他なりません。」
【戦人】「……ヱリカ。勝手に仕切るんじゃねぇ。」
【ヱリカ】「これは失礼しました。…………それでは議事の進行役を譲ります。では、誰に?」
 ヱリカが肩を竦めながら、一同を見回す。……しばらくの沈黙の末、絵羽が最初の口火を切った。
【絵羽】「昼間の取り決め、……全員、忘れてないでしょうね?」
【留弗夫】「あぁ。4人で25億ずつを山分けだ。そして、次期当主にはさらに100億。」
【夏妃】「………お、お待ちなさい! 黄金の発見が次期当主を決めるなどと、誰が決めたのですか?!」
【秀吉】「おぉっと、そうは行かんで、夏妃さん…!! これまで、ずうっとそれを前提に話を進めてきたはずやで?! 今さらそれは、白々しいとちゃうんか?!」
【楼座】「…そうだわ。……使用人の誰かが碑文を解いてしまって、次期当主を名乗るかもしれないって、怯えてたのは夏妃姉さんじゃない…。」
【蔵臼】「どこにもそうだという明記はないがね?!」
【絵羽】「卑劣漢ッ!!! 私たち全員はそういう認識だったでしょうがッ!!」
【留弗夫】「そうだぜ、兄貴ッ! 今さら手の平を返そうってのか?!」
【霧江】「明文化されてなくても、それは間違いなく私たちの共通認識だったはず。話にもならないと仰るのはどうなのかしら。」
【夏妃】「当主様の碑文を勝手に解釈されるのは困ります!! 黄金を見つけたら、その者が次期当主になると、どこに記されているというのです?! 当主様の碑文は当主様が決めたもの。皆さんに決め付ける権利などありませんッ!!」
【蔵臼】「………夏妃、落ち着きなさい。」
【夏妃】「これが落ち着けるというのですか?! 確かに碑文を解いた功績は素晴らしいと思います! 戦人くんにも何かの見返りがあっても良いとは思います。しかし、それが半分というのは明らかに逸脱していますし、それ以上に、発見者だから次期当主という論法はなおまかり通りません…!!」
【楼座】「ひ、卑怯だわ、夏妃姉さん…! 今日の昼間にしてた話と全然違う…!」
【留弗夫】「同感だぜ! 明文化されてなくても、碑文を解いたヤツが次期当主になるってのは、俺たちの不文律で最前提だったはずだ…! それをこの土壇場でごちゃごちゃ言い出すのはフェアじゃねぇぜ? あぁ、フェアじゃねぇ!!」
【夏妃】「とにかくッ!! この黄金はお父様の黄金です!! お父様の許可なく、勝手に分配を決めていいものではありません!!」
【秀吉】「そらない!! そら卑怯やで夏妃さん! わしら、その話を延々と昼間にしたんやで?! 昼間の話は全部チャラや、言うんか?! そらぁあんまりやでぇ!!」
【絵羽】「多数決で決めればいいのよぅ!! 黄金を発見した戦人くんが次期当主! 私も夫も異議はないわ!! 留弗夫たちは? 楼座は?!」
【留弗夫】「異議なんかねぇぜ、戦人、よくやった!!」
【楼座】「私も異議はないわ。戦人くんは碑文に選ばれた、正当な跡継ぎよ。不満ならお父様に直接聞けばいいんだわ…!」
【霧江】「そうね。夏妃姉さんの言ったとおり、碑文の謎を出題したのはお父様。そしてこの黄金の本来の持ち主もお父様だわ。だったら、お父様に話を聞くべきじゃないのかしら? 戦人くんという発見者はどう扱われるのか。それについて決めていいのは、お父様だけのはずだわ…!」
【夏妃】「そ、…それは……!!」
【蔵臼】「……だから落ち着けと言ったのだ。………。」
【絵羽】「楼座と霧江さんの言うとおりだわ。お父様に聞きましょうよ、お父様に!! もはやね、兄さんたちの出番じゃないのよ!!」
【秀吉】「そやそや!! お父さんを連れて来んかいッ!! あんたらじゃ話にならへん! ホンマの親族会議を始めようやないか!! 眠いから明日にしろっちゅう問題に見えまっかッ?! これ、舐めとったら偉い問題になりまっせ…! おう、聞いとるんかぃ!! お前らじゃ話にならんゆうとるんや!! とっととお父さん、連れて来んかいぃいいッ!!!」
【ヱリカ】「……………親族会議って、いつもこういうのなんですか?」
【戦人】「……俺が知るか。」
【ヱリカ】「腹の中では、いつもこうなのでしょうね。………うふふふふ。どうも、この場は金蔵さんじゃないと収められなくなるみたい。……子どもの喧嘩に、余命あとわずかと宣告されてる今になっても、まだ呼び出されるなんて。……どういう気持ちかしらね、金蔵さん。……くすくす。それを想像、…いえ、推理するのも乙なものです。」
 親たちは、戦人たちのことなど忘れ、延々と怒鳴り合いを続けている…。戦人にとって、……その光景は薄々想像がついていながらも、初めて目にするものだった。
 6年前から勘付いていたし、この時期が近付くと暗くなる両親の表情からも、何となく想像はついていた…。
 しかし、目の当たりにする親族たちの罵り合いは、……想像を超えてあまりに、……醜いものだった…。だから、いとこたちに内緒で大人たちをここへ連れ出して、本当に良かったと思った……。
 いつ終わるとも知れぬ醜い罵り合いは、互いが疲れてきたのか、一度休止を迎える。黄金郷での親族会議は、場を屋敷に移すこととなった…。確かに貴賓室のように煌びやかではあるが、空調はなく、少し寒い。長話をするには向かなかったためだ。
 目を離している間に、黄金を誰かが持ち去るのでは、とも考えたが、10tもの黄金を、人間の手でわずかの時間にどうにか出来るわけがない。
 むしろ、黄金の山という異常な光景が、彼らから冷静な判断を奪っているのではないかとさえ思えた。だから彼らは、冷静さを取り戻し、より冷酷に会議を続けるためにも、屋敷に戻ることに同意した……。
玄関前
【ヱリカ】「……それでは、私は今夜はこれで失礼します。……これ以上はお邪魔でしょうから。」
【留弗夫】「おう、悪ぃな。気を遣わせちまったか?」
【楼座】「あなたへのお礼は、明日、改めてさせて頂戴ね。恥ずかしいところを見せてごめんなさい。」
【絵羽】「あなたは辞退すると言ったけど、私たちはあなたへの感謝の気持ちを込めて、第一発見者の一人に相応しい分け前を用意させていただくわ。ねぇ、兄さん?」
【蔵臼】「……うむ。君ほどの人だ。我々の事情は察してくれると思うがね。」
 200億の黄金は、表に出したくないものだ。部外者のヱリカが、その存在を口外することは好ましくない。もちろん、ヱリカもその辺りの事情はすでに、“推理”できている。充分わかっていますのでという、いやらしい笑みを浮かべるのだった…。
【ヱリカ】「……私のことはお気になされなくて結構です。もちろん口外する気もありません。……したところで、証拠を示せぬ限り、誰も信じないでしょうし。」
【ヱリカ】「………今夜は良いものを見せてもらいました。眼福でしたので、私はこれでもう充分です。」
【絵羽】「ふふっ、そうね。10tの黄金なんて、なかなか見られるものじゃないもんねぇ。」
 ……黄金を見られて眼福? そんなはずない。ヱリカの性悪が、何を見て喜んでいるのか察しがつく。さっさと行っちまえと思ったが、俺もこの場はもう遠慮させてもらいたい…。
 ヱリカと一緒にゲストハウスへ戻ろうとする。だが、霧江さんに肩を掴まれた。
【霧江】「戦人くんは駄目よ。あなたも一緒に来てちょうだい。」
【秀吉】「そやそや。君は今や、立派な次期当主なんやで! お父さんにお目通りして、早くそれを認めてもらわんとな…!」
【夏妃】「それを決めていいのは、当主様だけです!! 勝手なことを決めないように!」
【留弗夫】「……戦人。面倒だろうが、もうしばらく付き合ってもらうぜ。お前は何も言うな。黙って俯いてりゃいい。わかったな?」
【戦人】「…………好きにしやがれ。」
 次期当主なんて興味ないと口にするのは簡単だった。……しかしそれはきっと、さらに油を注ぐ結果になるだろう。
 口止めを命じられるまでもなく、俺は貝のように黙っているべきに違いない…。ならいっそのこと、ゲストハウスに帰らせてくれりゃいいのにな…。
 俺は、親父にがっちりと肩を組まれ、暑苦しいから離せよと文句を言う。だが、聞き入れてはくれなかった…。
魔女の喫茶室
【戦人】「………碑文、解けたな。お前のお望み通りに。」
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「お前がゲームマスターの時には、いつも手紙が来るもんな。……碑文を解いてみろ。解けなきゃ皆殺しだ、みたいな。」
【ベアト】「……………………………。」
 ………どうしてこいつは、碑文の謎を俺たちに解かせたかったのだろう。
 解いて辿り着いた先には黄金の山があった。俺たちは万々歳だ。
 そしてベアトは? ……黄金を俺たちに見つけられて、……何かを得するのか? あるいは損をするのか…?
【戦人】「…チェス盤思考に則る限り、……人は自らが損になる一手は打たない。だからお前は、俺たちが碑文を解くことで、何か得をするはずなんだ…。」
【ワルギリア】「いいえ。碑文を誰かが解くことで、この子が何かを得ることはありません。
【戦人】「…………いいのか。こいつに断らずに、勝手に赤き真実を使っちまっても。」
【ワルギリア】「……この子もそれを、望むでしょうから。」
 いつの間にかそこにいたワルギリアは、俺の疑問にあっさりと、赤き真実で答えを与える…。
【戦人】「俺は過去に、ベアトが碑文を俺たちに解かせようとするのは、黄金の隠し場所を見つけさせて、横取りするためだと推理したことがある。………それも違うのか。」
【ワルギリア】「はい。……第一、もともと黄金郷の黄金はこの子のもの。見つけさせる必要も、横取りする必要も、何もありません。
 当然だ。……ベアトは、黄金のベアトリーチェ。黄金郷の主で、右代宮家顧問錬金術師じゃないか。…それは極めて道理だ。
 しかし、だからこそ一層わからない。……碑文の謎を誰かが暴いたとて、ベアトには何も得るものがない。いや、それどころか、自分の黄金を奪われてしまうかもしれない。
【戦人】「なら、ますますにわからない。………碑文殺人はわかる。右代宮家に対する復讐とか、あるいは魔女としての力を復活させるための儀式とか。…こいつなりの理由や目的があって、やってるんだろうからな。」
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「だが、“碑文の謎を解け”というのにはどんな意味があるんだ。俺たちが解いても解かなくても、こいつに得るものは何もない。……つまり、ベアトにとって、碑文の謎が解ける解けないという問題は、無価値なものなんだ。」
【ワルギリア】「……そうですね。碑文の謎が解けても解けなくても、この子にとって得るものは何もありません。
【戦人】「解けても解けなくても、何の意味もない。……それはつまり、碑文の謎自体が、ベアトにとって無価値だということになるんじゃないのか…?」
【ワルギリア】「………………。……そうですね。碑文の謎は、この子にとって何の意味もない。ならばそれを、無価値であると極論しても、言い返せないかもしれませんね…。」
【ベアト】「……………………………。」
 ベアト……。……お前は俺たちに、どうして碑文の謎解きなどを課したんだ…?
 お前という魔女を天秤に見立てた時、片方の皿には碑文殺人が。そしてもう片方の皿には碑文の謎が乗っかる。なぜなら、碑文の謎を解いたら、こいつは碑文殺人をやめると言ってる。
 ……つまり、碑文殺人と碑文の謎の価値は、ベアトにとって同じもの。天秤の両端ということになる。
 ベアトにとって碑文の謎は、親族を皆殺しにするのと同じ程度の意味がある、ってことなんだ……。しかしワルギリアは赤き真実で答えていた。碑文が解かれようと解かれなかろうと、ベアトが何かを得ることはない。
 何も得ることのない、ベアトにとって無意味、無価値な…、碑文の謎。なら、天秤のもう一方にあり、それと価値を等しくする碑文殺人は、………どういう価値なんだ…。
 ……考えろ、思考を止めるな……。碑文殺人と、碑文の謎が解けることには、同等の価値がある。ベアトの毎回の目的である碑文殺人を、こいつが自発的に中止する唯一の方法である限り、その価値は同等なのだ。
 X=Y。そして、碑文の謎が解けても、あるいは解けなくても、ベアトに得るものはない。Y=0。じゃあ、この時、……Xは……?
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「……おいおい。……それじゃ、碑文殺人もまた、無意味、無価値ってことになっちまうぞ。」
【戦人】「……こいつは、ご丁寧に予告状を出し、碑文に沿うように順番に、バレないように次々殺していくという、めちゃくちゃ面倒な手間を払ってまで、毎度あのおかしな連続殺人を起こしてるんだぜ。その意味が、なくなっちまうじゃねぇか…。」
 チェス盤を引っ繰り返し、何度もベアトの指し手を探った。その一番最初の躓きが、いつもここだった。碑文殺人の、その意味。
 なぜ、魔女の碑文を再現するように連続殺人を犯さなければならないのか。
 右代宮家を復讐のために皆殺しにする、というなら、晩餐の料理に毒でも盛るか、寝静まった深夜にひとりずつ殺して回る方が、よっぽど簡単で安全、確実だ。
 しかしベアトは、最初の晩に予告状めいた手紙を送りつけ、第一の晩に6人、第二の晩に2人、第四の晩以降に5人と、大きく分けて三度の連続殺人を行なう。
 俺たちも馬鹿じゃない。最初の殺人が起こった時点で、篭城を開始し次なる殺人を抑止する。また、内部犯行を早くから疑い、相互のアリバイを検証し始める。
 犠牲者が増えれば増えるほど、自動的に容疑者の数は減り、ベアトが連続殺人を完遂できる成功率は、ゼロに近付いていく…。
 碑文殺人の全てが、……連続殺人を遂行する上で自ら首を絞めるような、……無駄な装飾、……虚飾に満ちている。
【戦人】「………こいつは、自分で自分の目的の難易度を、上げている。」
【ワルギリア】「そうなりますね。……おかしな子ですね。」
【戦人】「知ってるか? ミステリー小説では、こういう碑文殺人のことを“見立て殺人”という。……この見立て殺人が行なわれる理由を、俺は3つに大別できると思ってる。」
【ワルギリア】「……うかがいましょう。」
【戦人】「1つは、碑文に沿うことで、証拠やアリバイを誤魔化し、犯人に利するためだ。……死んだふりをして、自らを犠牲者に混ぜる古典もこれだし、碑文に沿わずに殺人を犯し、その発生順序を誤解させることによって、アリバイを作るのもこれだ。」
【ワルギリア】「なるほど。碑文に沿って儀式的に殺していると見せかけて、……実は自分に利するように誘導しているわけですね。面白いと思います。」
【戦人】「………だが、俺たちのゲームでは、死者が赤でトドメを刺されちまう。…ゲーム盤の世界では誤魔化せても、ここから俯瞰する俺たちは誤魔化せない。……だから、このもっとも王道となる目的は、違うってことになる。」
【ワルギリア】「となると、見立て殺人を行う、あと2つの理由は?」
【戦人】「1つは偶然。……意図せずして行なった連続殺人が、たまたま碑文をなぞる形になり、目撃者たちが勝手に見立て殺人だと誤解するケース。人間はどのような事象にも因果性を求めてしまう。……きっとそうに違いないと思ったら、そう見えてしまう生き物だ。」
【ワルギリア】「……なるほど。それも面白いですね。…ですが、どうでしょう。この子のゲームでは、第一の晩の殺人以前に、常に事件が予告されている。そして、明白に碑文殺人を遂行していることを示す手紙や状況証拠が、次々に見つかるはずです。」
【戦人】「あぁ、そうだな。………偶然なんかじゃない。ベアトは、始めから碑文殺人を見せ付ける目的で遂行している。俺たちが誤解してるんじゃない。これは明白な“見立て殺人”なんだ。だから、この理由でもない。」
【ワルギリア】「となると、……最後の1つの理由になりますね。」
【戦人】「最後の1つは、………見せ付けること。つまり恐怖だ。…碑文に沿うということは、殺人が連続するという明白な予告だ。生存者たちは、続くに違いない殺人に、ずっと怯えさせられることになる。」
【ベアト】「………………………………。」
【ワルギリア】「つまりこの子は、……死の恐怖を味わわせるために、碑文殺人を?」
【戦人】「と、思うと、…割と収まりがいい。……グロい遺体損壊も、悪趣味な装飾も全て、俺たちを怖がらせるための演出……。」
【ワルギリア】「誰を、怖がらせるためなのですか……?」
【戦人】「え? ……だから、それは俺たちを。…………………………。」
 ワルギリアの何気ない一言に、……俺の思考が再び霧にかすむ…。俺たちを怖がらすため、…と、抽象的な言い方で逃れていいのか……?
 右代宮家の人間はこれだけ大勢いる。当主やその跡継ぎの肩書きを持つ祖父さまや蔵臼伯父さんたち。財界に影響力を持つ親類たち。
 ……その一方で、せいぜい年に一度しか訪れない、未成年のいとこたちや、たまたまその日にシフトが当たってしまった不幸な使用人たちなどがいる。
 ……俺たち全員を恨んでいるとしても、……その恨みの強さには、明白な違いがあるはず。つまり、俺たちの中の、特に誰に復讐を、恐怖を与えたいのか、はっきりしててもいいはずなのだ。
 子どものデザートの話に例えると……。ショートケーキのイチゴってのは、最後のお楽しみじゃないのか? 最初に食べちゃいけないとは言わないが、なるべく後に取っておくのが心理ってもんだ。
【戦人】「………じゃあ、…もっとも恨んでいる人物を、最後まで残したがるってことになるよな。……あー、俺の好きな小説の好きなキャラが言ってたぜ。“そいつの親しい者から先に殺していって、悲しみを味わわせてから、最後に本人を殺す”ってのが、一番恐ろしい殺し方なんだ、みたいなことを。」
【ワルギリア】「おやおや、恐ろしい小説もあったものですね。くわばらくわばら……。」
【戦人】「……じゃあ、最後まで生き残るヤツが、もっともベアトに恨まれてるって論法になるぜ。……しかし、毎回毎回、殺される人間も順序もめちゃくちゃじゃねぇか。……最終的には死ぬにせよ、最後の晩まで毎回生き残るヤツなんて、…………………。………………………。」
【ベアト】「………………………………。」
 ……俺しか、いねぇぞ。
【ワルギリア】「………先に赤で申し上げておきましょう。戦人くんは犯人ではありませんよ。戦人くんは誰も殺してはいません。これは全てのゲームにおいて言えることです。
【戦人】「ならなおのこと、………俺ってことになる。…こいつが碑文殺人を起こす唯一の理由は、…俺に見せ付けるためってことになる。」
 ベアトは毎回、誰から今度は殺そうかと、殺人順序をルーレットで決めるとうそぶく。
 しかし、そのベアトが、いつも俺だけは殺さない。……最後には殺すにせよ、一番最後まで残す。気まぐれなはずの全てのゲームにおいて、それだけは不変にして普遍……。
【戦人】「こいつは、………俺に、復讐を? 俺に恐怖を味わわせるために、碑文殺人を行なっているというのか…?」
【ワルギリア】「それは違います。……恐怖を味わわせるのが目的ではありません。誰かに復讐するためのものでもありません。
【戦人】「なら! やはり、碑文殺人には意味なんてないことになる。碑文の謎も無意味、対となる碑文殺人も無意味。X=Y=0! だが、その無意味をこいつは、明白に俺に対して見せ付けている!」
【戦人】「無意味なことと同価値の何を、俺に求めているんだ?! ……わからねぇ!! 考えれば考えるほどに、こいつが何を考えてるのか、俺にはわからねぇ!」
【ベアト】「………………………………。」
 無意味、無価値な連続殺人を犯す、気紛れな魔女、ベアトリーチェ。
 その魔女が連続殺人を中止する条件とする碑文の謎も、無意味、無価値。そして、その無意味、無価値を、……俺に突き付ける。
 ……お前は、……俺に何を求めているんだ…? ……あるいは、何を与えているんだ……?
 俺がベアトに復讐されているに違いないという想像は、すでにワルギリアによって赤で否定されている。XにもYにも。碑文殺人にも碑文の謎にも、ベアトには何も意味がない。
 X=Y=0。しかし、それを俺に突き付ける以上、……意味が、……きっとある。
 “碑文の謎が解けなければ、碑文殺人を実行する”という天秤を、俺たちに、提示する。つまり、碑文殺人も碑文の謎も、個々では確かに意味がない。しかし、天秤の両端に乗せて俺たちに、………いや、俺に突き付けることで、初めて意味が現れる。
 ……つまり、正しくはこうだ。X=0。Y=0。X+Y>0。
 両端に、重みを持たぬ無意味が乗せられた天秤。しかし、それ自体が重みを伴い、意味を、成す。
【戦人】「……まるで、……遊びだな。子どものジャンケンみたいだ。」
 ジャンケンはもっとも身近な、勝敗を決めるランダム発生器だ。何かの権利を賭けて、勝負することも多いが、……子どもなどは、特に何も賭けず、ただの遊びとしてジャンケンをすることも多い。
 何か賭けない限り、勝っても負けても、嬉しい悔しい以上の何も生まれはしない。つまり、勝つことも負けることも、天秤の両端は無価値。しかし、そのどちらに傾くかという、その行為そのものが、子どもたちがジャンケンで遊ぶ目的となっている。
 だから子どもは、ジャンケンを巡ってのコミュニケーションを楽しんでいるのであり、……勝敗に純粋な価値を求めているわけではない。勝敗に、固執してはいないのだ……。
【戦人】「それじゃベアトにとって碑文殺人は、……成功してもしなくてもいいもの、ってことになっちまう。……まるで、その過程そのものを楽しんでいるかのようにさえ、思える。」
【ワルギリア】「……………………。」
【戦人】「……以前の俺なら、…無意味な殺人を繰り返す非道な魔女だと決め付け、こいつを罵っただろうさ。……だが、今の俺にはそうとは思えない。」
【ワルギリア】「………ありがとう。だから、赤をもう一つ与えましょう。…ベアトは、快楽目的で殺人を行なっていることはありません。
 快楽目的でもなく、恐怖を味わわせるためでもない。碑文殺人に得るものはなく、完遂できようが、失敗しなようが、構わない。それはまるで、気まぐれな子どもの遊びのよう……。
【戦人】「違う。……意味があるんだ。こいつには。」
【ワルギリア】「………意味とは、…何ですか…?」
【戦人】「わからない。天秤の両端は無価値でも、……こいつにとってこの天秤は、しっかりと重みあるものなんだ。」
 ……無意味なもんか。絶対に意味はある。こいつは前回のゲームで俺に、6年前の罪を思い出せと迫った。……あれも無意味だったというのか?
 違う。絶対にそんなことはない。
 あの時のベアトの真剣な眼差しを、俺はよく覚えてる。残念ながら俺に、その心当たりはなかった。……するとこいつはひどく落胆した。
 そうなんだ。こいつはあの時、俺が来なければ事件は起こらなかったとまで言い切ったはずだ。
【戦人】「意味は、あるんだ。………こいつにとっては、意味が。そしてそれを、俺に求めてる。」
【ベアト】「……………………………………。」
 俺は、へらっと笑いながらとベアトの頭を軽く小突き、……そして撫でる。
 犯行動機のヒント。碑文の謎が解けても解けなくても、ベアトが得るものは何もない。しかし、碑文が解かれる確率が低いということ自体が意味を持っている。
【戦人】「……ラブレターには、次からは“好きです”と短く書くことを勧めるぜ。…あまり回りくどくて難解だと、意味が伝わらねぇぞ。」
【ワルギリア】「………くす。」
【戦人】「こいつが何を考えてるのか、……相変わらずさっぱりさ。……だが。俺は考えることを、止めないぜ。…まだまだ、チェス盤を引っ繰り返す。……お前の思考を辿る旅を、……俺は絶対に挫けないからな。」
 冗談のつもりで、核心を突いたことを言ってしまう戦人。ベアトの出題はまさに、戦人に向けた壮大なラブレターである。

本当の親族会議
10月4日(土)23時49分

食堂
 ……戦人は、ぼんやりと窓の外を見ているだけだった。親族たちの罵り合いは、いつ果てるともなく続いている……。
 最初、親族たちは書斎へ押し掛けた。しかし、いくらノックしても、書斎の主が応えてくれることはなかった。絵羽たちは、源次が持つもう1つの鍵で扉を開けるべきだと主張した。
 だが、夏妃は咄嗟の機転で、最近の金蔵は特に機嫌が悪く、源次に持たせていた鍵も取り上げてしまい、今は2本とも、鍵を金蔵自らが持っている、だから扉を開くことが出来ないと言い訳する。
 明日の朝、必ず金蔵に会わせるからと約束し、ようやく食堂に戻ってきたのだ。だがもちろん、食堂に戻ってきたからも、罵り合いは収まらない。
 絵羽たちは大量の現金がすぐ欲しく、何とか蔵臼を脅迫して、それを支払わせようとしている。……戦人が碑文を解いたことにより、蔵臼の次期当主の座を脅かしているのも、大きな追い風のようだった。
 一方の蔵臼と夏妃は、そもそも、碑文の謎を解いた人物に、黄金の所有権が渡るという記述はどこにもないと、話の根底から反論。あれは隠された黄金ではなく、金蔵が貯蔵したものに過ぎず、今なお、金蔵の所有物であって、その分配は金蔵の死後の遺産分配まで待つのが筋であると主張した。
 こう主張すれば、絵羽たちは再び、ならお父様を出せ出せという論法になる。
 ……最初からわかりきっていることだろう。この兄弟喧嘩は、金蔵にしか収められないのだ…。すぐに現金が欲しい絵羽たちと、金欠を隠しているが、それでも急ぎの現金を必要としない蔵臼の対決の構図が、鮮明に表れている。
 戦人はそのやり取りをぼんやりと聞きながら、……普段は金持ちぶってるくせに、みんな案外、借金塗れなんだなと心の中で呆れるのだった…。
【蔵臼】「それもさっき聞いた話ではないかね。もういい、休止しよう。お互い、一度した話を延々と繰り返しているだけだ。」
 時計を見上げると、もうじき24時になるというところだった。確かに、それはちょうどいい、休憩のタイミングに違いない。わずかだけ、場の空気が緩んだ…。
【秀吉】「同感や。お互い、一服するのも悪くないで。…ほな、以後は議事を取りながらにせんか。言った言わないはもうゴメンや。」
【絵羽】「まったくだわ。舌の根も乾かないうちに、そんなことは言ってないなんて、平気で言い出す兄さんとの会議に、議事録は必須だものねぇ。」
【霧江】「文字じゃ、書くのも手間だし、インチキだっていくらでも出来るわ。」
【留弗夫】「そうだな。……兄貴、こいつは動くのか?」
【蔵臼】「オーディオセットかね。…なるほど。それならば議事を手書きせずに済むし、捏造も出来んね。互いにとって公平だ。」
【夏妃】「勝手にいじらないように…! 当主様の大切な音楽テープですよ!」
 その貫禄あるオーディオセットは、この威厳ある食堂にとても相応しい重厚さを持っていた。機嫌のいい日曜日の朝食には、それで名曲のテープやレコードを流すこともある。しかし今は、この議事の記録係として、もっとも中立で公平な存在だった…。
 留弗夫は適当にカセットラックを漁り、生テープを探す。そして、高尚な音楽テープを見つけては、キザったらしいとケチをつけるのだった。
【源次】「失礼します。……お呼びでしょうか。」
【楼座】「休憩することになったの。申し訳ないんだけど、何か飲み物を用意してもらえないかしら。ビスケットみたいなものがあってもいいかもね。」
【源次】「かしこまりました。すぐにご用意いたします……。」
【楼座】「あと、……ごめんなさい。風邪薬あるかしら。さっきから熱っぽくて。」
【蔵臼】「なら無理はよくないな。休みたまえ。」
【絵羽】「楼座がいいと思うなら、好きに休めばぁ? 私ならこの大事な会議中に風邪くらいじゃ休まないけどね。」
【蔵臼】「そうかね? 私は遠慮なく休ませてもらうよ。夏妃、私たちも少し休まないかね。」
【夏妃】「…………はい、あなた。」
 夏妃は、作戦会議があるに違いないと敏感に察し、立ち上がる。……そうでないにしても、わずかの時間でも、ここの空気を吸わずに済むなら、理由は何でもよかった。蔵臼と夏妃は食堂を出て、……場の空気は、本当の意味で弛緩するのだった。
【戦人】「…………ふぅ。」
【霧江】「戦人くんもお疲れ様。……サイアクの気分でしょ。大人の階段だと思って諦めて。」
【戦人】「俺は、いつまでここでぼさーっとしてりゃいいんすかね。」
【霧江】「……さぁ。戦人くんは私たちのお神輿だからね。……眠い?」
【戦人】「古典の授業程度には。」
【霧江】「今夜はどうせお父さんは現れないでしょう。蔵臼兄さんたちが戻ってきたら、戦人くんはもう戻っていいかと提案してみるわ。」
【戦人】「……よろしく頼んます。」
 コンコン。軽いノックと、かちゃかちゃと陶器がぶつかりあう軽やかな音が聞こえる。
【紗音】「失礼します……。」
【嘉音】「お茶をお持ちいたしました。」
 紗音と嘉音の二人が配膳台車と共に訪れる。紅茶の良い香りが、一層、彼らの緊張を解きほぐしてくれるのだった。
【留弗夫】「……よう。話は聞いてるか?」
【紗音】「何のお話でしょうか……?」
【嘉音】「…………僕たちは、何も。」
【絵羽】「よしなさい、留弗夫。教える必要は何もないわ。」
【嘉音】「……僕たちは、家具ですから。親族会議のお話には、関心ありません。」
【絵羽】「そうね。それが賢い返事だわ。」
【楼座】「……深夜勤なの? 大変ね。」
【紗音】「そういうお役目ですので。……ご用命いただけて嬉しいです。」
【秀吉】「そうかもしれんな。することもなく、ぼんやり起きてる方がしんどいもんや。わしも下積み時代に、倉庫番とかやったことあるんやけどな。ただ起きてるだけでも、これがとにかく辛いんや…! 戦争直後はな、物資泥棒とかぞろぞろおってな。警察も頼れん時代で、とにかく物騒でなぁ…!」
 秀吉の、裸一貫から、米軍の横流し物資で財を築き上げたのは、彼の誇らしい武勇伝だ。この話が始まると、とにかく秀吉は饒舌になる。それを知る親族たちは、ちょうどいい生贄が来てくれたと、胸を撫で下ろすのだった。
【秀吉】「バレたら一大事や! アメさんは怖いでぇ! 牛肉食っとるからパワーも桁違いや。捕まったら最後、銃殺刑かデスバイハンギングや! わかるか? デスバイハンギング! あー、それでな、わしは思うたんや。肉や!肉や! 日本人はもっと肉を食わなあかん! そしてわしは胃袋を掴む商売を始めなあかんという天啓を受けたんや!」
【紗音】「は、…はぁ…。それは、た、大変なお仕事ですね……。」
【絵羽】「よしなさいよ、あなた。戦後生まれにいくら話しても、当時の苦労なんか伝わらないわよ。」
【秀吉】「ん、またわしの悪い癖が出てしもうたな…! すまんすまん! わはははははは!」
【楼座】「あなたたちもお茶をしていきなさいよ。たまには、自分たちがどういう紅茶を淹れてるか、その舌で学ぶのもいい勉強になると思うわ。」
【嘉音】「………いえ、結構です。お気遣いなく…。」
【戦人】「少し付き合ってくれよ。大人ばかりで俺も窒息しそうなんだ。」
【留弗夫】「そら、次期当主の戦人さまのご命令だぞ! そこに座って、俺たちとしばらくお茶しろぃ。それで、最近の出来事とか趣味とか、見てるテレビとか若者の今の流行りとか、そういう話をしやがれぃ。俺たちの勉強になるからな。」
【霧江】「くす。名案ね。ほら、二人とも座って。そして、話題に飢えた私たちの生贄になってちょうだい。」
【秀吉】「わっはははははは。そやなぁ。若い子と話をしよう思うたら、キャバクラでもいかんとこの歳では難しいわ。」
【絵羽】「……いつまでぼさっと突っ立ってんのよ。留弗夫が座れと命令したわ。座りなさいよ。……私も許可してあげるわ。」
 絵羽の許可が出て、紗音と嘉音は顔を見合わせた後、ようやく、おずおずとその命令に従う。しばらくの間、二人は質問攻めに遭い、親族たちのいい玩具にされるのだった……。
 その時、コンコン…、……と控えめなノックが聞こえた。
 使用人たちは誰だって、そんな風にノックするのだから、誰も違和感は覚えはしない。しかし紗音と嘉音は、きょとんとした顔をして振り返る。
 ……今日の使用人は、自分たちと源次と、熊沢と郷田。
 郷田はゲストハウスの深夜勤。熊沢はゲストハウスの控え室で就寝している。自分たちはここにいて、……あとは源次しかいないのだが、…源次がこんなノックの仕方をしないことを、彼らはよく知っていた……。
【留弗夫】「……誰だ? 開いてるぜ。勝手に入れよ。」
 留弗夫も、そのノックに心当たりがなかった。誰だ?という彼の言葉で、誰もがそんなノックをする人物に心当たりがないことに気付く……。
 するともう一度だけ、コンコン、と同じノックが繰り返された。……ひょっとして、両手が塞がってるから、開けてくれ、…とでも言うのか…?
 少しおかしな空気が流れる中、ホールから、大時計の音が聞こえてくる。それは、10月4日の終わりと、10月5日の始まりを教えるものだった……。
廊下
 時間は、わずかに遡る。
 その頃、蔵臼と夏妃の夫婦は、食堂から離れた2階の、ひと気のない廊下にいた……。
【蔵臼】「………もう、それしか手はないのかね。」
【夏妃】「はい…。……明日一日、同じ手はもはや通用しないでしょう。…これ以上を渋れば、絵羽さんたちは、お父様を監禁しているなどと主張して、警察に訴える可能性さえあります。もう、……これが限界です。」
【蔵臼】「……………………………。」
【夏妃】「……戦人くんが黄金を発見するのが、……まったく想定外でした。あれさえなければ、何とかうまくやりくりできる筋書きを考えていたのですが……。」
【蔵臼】「……ふ。私が賭けるといつもこうだな。…いつも想定外のことが起き、絶対確実だった話が、おかしくなる。」
【夏妃】「…………明日の朝、お父様の部屋が空っぽである、ということにします。源次と口裏を合わせ、早朝に森へ出掛けて行くのを見た、と言わせましょう。」
【蔵臼】「その失踪を、絵羽たちが素直に受け入れるとは思えん…。」
【夏妃】「百も承知です。しかし、もうそれしか手がありません…!」
【蔵臼】「そのようなことをすれば、……絵羽たちは疑わしいと騒ぎ立てるだろう。絵羽たちはカネをせしめるためなら、形振りなど構うまい。…それこそ、おかしな雑誌とつるんで、私の信用にダメージを与えてくるかもしれない。」
【夏妃】「ダメージで済むではありませんか…! 万一にも、お父様の秘密を知られたら、それどころでは済みません…!!」
【蔵臼】「明日一日を、ぎりぎりまで粘ってからでも遅くはない。もしも明日を無事に乗り切ることが出来れば、私たちは何も失うものはないのだ。焦って、失踪という切り札を切る必要はない…!」
【夏妃】「彼らが、お父様を監禁していると騒ぎ立て、そこに失踪していたと返すのですか? その方がはるかに疑いを招きます…!!」
【蔵臼】「……………………むむ……。」
【夏妃】「……もう、…お父様に、お休みいただきましょう…。これ以上は、……無理です……。」
【蔵臼】「落ち着きたまえ。絵羽たちの毒気を浴び過ぎて冷静を失っただけだ。……あの書斎に入る鍵は2本しかない! そしてその2本はここに、君が持っている。だから誰も入ることなど出来ん。あの扉は特別製だ。彼らが倉庫からどんな工具を持ってこようとも、びくともせんよ。」
【夏妃】「そういう物理的な問題ではありません…!」
【蔵臼】「だから焦るな、落ち着けっ。何なら、君は熱を出したことにして寝込んでいてくれればいい。その間に、私が全て乗り切って見せる。」
【夏妃】「……あなただけに任せられません…! 私も最後まで戦います…!」
 夏妃が激情に涙を堪えきれなくなった時、……そっと蔵臼がその肩を抱いた。……夫の包容に温かみを感じたのは、どれくらいぶりだろう……。
【蔵臼】「頭痛が、………酷いのだろう? 君がそういうしわを眉間に浮かべる時は、いつもそうだ。」
【夏妃】「…………あなた……。」
 夫に、自分の気持ちを察することなど出来ないと思ってきた。なのに、……こんな時に限って、………。
【蔵臼】「……失踪という切り札は、最後の最後まで待とう。伝家の宝刀と同じだよ。抜かない内が華だ。大事なのは、いつでも抜けるという心構えではないかね…?」
【夏妃】「それは、……わかっています…。」
【蔵臼】「その切り札を、私に預けてくれんかね。………もちろん、最後の瞬間の責任は、全て私が取る。……君と朱志香は巻き込まん。」
【夏妃】「それは、…どういう意味ですか…!」
【蔵臼】「右代宮家が滅ぶ時、その瓦礫に潰されるのは私だけで充分だ。………台風が過ぎたら、離婚届を準備しよう。それに捺印し、君に預けておく。……内緒で、君の名義にしてある財産がある。さらにそれに慰謝料を加えれば、君と朱志香は不自由なく暮らせるはずだ。」
【夏妃】「嫌です!! 私の墓碑に刻むべき名は、右代宮夏妃です…! どうか最後の瞬間までご一緒に…! たとえあなたが、右代宮家最後の当主であろうとも、……夏妃を最後までどうか、……当主夫人で、……あなたの妻でいさせて下さい……。」
 ……蔵臼は、財界のフィクサーとしての、信用と財力だけで存在している。それが両方とも揺らげば、後には何も残らない。金蔵失踪の切り札を切れば、二本しかない屋台骨の片方を失うことになる。
 ……首を斬られる代わりに右腕を差し出すようなもの。首に比べればマシだろうが、失血多量で死ぬかもしれないし、万一、生き残れたとしても、生涯癒せぬ、大きな痛手を背負うことになる……。
 蔵臼は、死すら覚悟しているのだ……。それを夏妃は理解し、……蔵臼の胸に顔を埋め、…泣いた…。
【源次】「…………お取り込み中、失礼いたします。」
 突然の源次の声に、夏妃は、ぱっと飛び退き、慌てて涙を拭った。そんな夏妃を蔵臼は背中に庇う。
【蔵臼】「源次さんか。驚かせないでくれたまえ。……何か用かね?」
【源次】「………はい。申し訳ございませんが、奥様にご報告が。」
【夏妃】「私に、……ですか……? あなた……。」
【蔵臼】「構わんよ。」
 蔵臼は夏妃の側を離れ、少し離れた窓のところへ行くと、風雨に荒れる薔薇庭園を眺める……。夏妃も源次を伴い、少しだけ離れた。
【夏妃】「……何事ですか。」
【源次】「………はい。実は、また奥様にお電話が。」
 その時、突然、不気味な音が聞こえて驚く。それはホールの大時計が、24時を知らせる音だった…。
【夏妃】「まさか、…………また、……あの男なのですか…?」
【源次】「………はい。……如何致しましょう。」
【夏妃】「よ、……用件は何だと言っていますか。」
【源次】「………お答えいただけません。奥様と直接お話したいとの一点張りでございます。」
【夏妃】「…………………………。」
 また、……19年前の復讐を名乗る男から、…電話が。
 19年前。……それは、朱志香や戦人が生まれる、ちょうど1年前だ。夏妃にとって、19年前と18年前の境は、あまりに大きい。
 ……長い間、右代宮家の跡継ぎをもうけるという妻の役目を成し遂げられず、冷遇され続けてきた。それが、ようやく朱志香を出産し、右代宮家次期当主の妻を、胸を張って名乗れるようになったのだ。
 ……だから、彼女にとって、右代宮夏妃は18年前より始まるのである。
 ……だから、それ以前の19年前は、……呪わしい記憶でしかない。
 その、……呪わしき時代の最後の年が、………電話の向こうから、復讐を囁いてくる……。………また、……潮騒の音が聞こえる……。………………………………。
【源次】「………如何なさいますか。」
【夏妃】「私の、……部屋に転送しなさい。……主人には、内密に。」
【源次】「……畏まりました。」
 源次は最初から、蔵臼に知られたくない電話だろうことを察している。だから夏妃に、こっそりと報告したのだ……。夏妃は電話の転送を命じると、今日はこれで休むと蔵臼に伝え、足早に立ち去る……。
夏妃の部屋
 自室に戻り、鍵を掛ける。
 …それは特別なことではない。……右代宮家では廊下は公道と同じ。自室に入ったら鍵をするのは特別なことではないのだ…。そう、言い聞かせる。
 すると、それを見届けたかのように、電話が鳴り響いた。…源次が電話を転送してくれたのだろう。
 深く深呼吸をし、覚悟を決めてから、…………受話器を取った。
【夏妃】「…………もしもし………。」
「…………………………。」
 また、……だんまりの沈黙から。こちらを焦らし、不快にさせようという魂胆が見え透いて、苛立つ…。
【夏妃】「どうして黙っているのですか…! 切ります…!」
「…はっはっはっはっはっは…。……切るなよ、カアサン。もう少し声を聞いていたいんだからさ……。」
 またあの、……不快な声……。
【夏妃】「私を愚弄する気ですか…! 用件をお言いなさい…!」
「カアサンと、遊びたい。」
【夏妃】「…は、……はぁ? 何を言っているんですか、あなたは! 私はあなたとなど、遊びたくありません…!!」
「……親族会議で疲れたんだろ? 持病の頭痛がだいぶ辛いんじゃないかい…?」
【夏妃】「よ、余計なお世話です…!」
 頭痛を悩みにしていることを知られているだけで、悪寒が走る…。
「頭痛になるのは、頭が凝ってるからさ。そのままベッドに入ったって、いい夢は見られないよ。」
【夏妃】「だから余計なお世話だと言っています!! 切りますよ!!」
 夏妃は、電話を切ると強気に叫ぶが、実際には出来ない…。なぜなら、こうして自分に電話を掛けてくるだけ、まだマシだからだ。……もし、乱暴に電話を切ったなら、…自分以外の人間に、電話を掛けてくるかもしれないのだから…。
「頭の凝りを解すために、ちょっとだけ遊ぼうよ。何、時間は取らせないよ。」
【夏妃】「あ、…あなたと遊ぶ気などありません……!」
「……カアサンの名前は、夏妃。名前に季節を持ってるね。いい名前だ。………でも、夏妃だからって、夏が好きとは限らない。…カアサンが本当に好きな季節は、何だい……?」
【夏妃】「それをあなたに教えると思いますか。」
「教えてくれないなら、……俺が切るよ。………いいのかい?」
【夏妃】「…く、………………。」
 それは明らかな脅迫だった。……電話をもし切らせるようなことがあったなら、その後、何が起こっても知らないという意味も同然……。夏妃は、名も知らぬ男の脅迫に屈する屈辱に耐えながら、男の求める答えを口にした……。
【夏妃】「………あ、………秋です。」
「どうして……?」
【夏妃】「す、過ごしやすい季節だからです…! 他に特に理由はありませんっ。これで満足ですか?!」
「あぁ、満足だ。……やっぱりカアサンの好きな季節は、俺と同じだったよ。……俺も秋が好きなんだ。………くっくくくくくくくくくくくくく…。」
【夏妃】「……嘘吐き! 出まかせを言うんじゃありません…!」
 この男は、私が何の季節を好きだと言おうと、そう言うに違いないのだ。
 ……何が目的なの?! 私をこんな不愉快な気持ちにさせて、何が楽しいというの…?!
「嘘吐きなんてひどいな。……出まかせなんかじゃない。俺はカアサンが秋が好きだって、確信してたよ。………証拠を見せてもいい。」
【夏妃】「証拠………?」
「あぁ。……カアサンの部屋に、時計はあるかい…?」
【夏妃】「…時計……? え、……えぇ、ありますが、それが何か……?」
 夏妃の部屋には、凝った細工の美しいアンティーク時計がある。……蔵臼がずいぶん昔の誕生日に買ってくれたものだ。
【夏妃】「………今は、0時7分ですね。もう眠いので、茶番を早く終わらせなさい…!」
「その時計、持ち上げてみてよ。」
【夏妃】「ど、どうしてです。」
「………いちいちうるせぇな。俺の言うことにお前は歯向かうんじゃないよ。黙って言われたとおりにすればいいんだ。」
 突然、男の声色が低く、脅すように変わる。それは明らかに不快感を示すもの。この男は、一見、落ち着いた話し方をしているが、その胸中はまったく違うのだ。もし、これ以上、ほんのわずかでも男を怒らせたなら、すぐにもその本性を現すに違いない…。
「……そんなに電話を切られたいかよ? こうしてあんたに電話をしてる内が華なんだぜ……。…あんたが19年前にしたこと、俺はいつだって、あんたの旦那や娘に話すことが出来るんだ…。」
【夏妃】「あ、あなたが何の話をしているか知りませんが、夫や娘を巻き込まないで下さい…! こうして私が電話を聞いていますから…!」
「なら、言われたとおりにしやがれってんだ……。」
 二度と口答えするな、とでも言うように、男は再び低い声で脅す…。
 私は、頭が頭痛と心臓の音、……そして潮騒の音でいっぱいになる…。……もはや、逆らうことなど出来ない。
 ………男が命じたとおりに、私はアンティーク時計を、持ち上げる…。
【夏妃】「……………………………?」
 そこには、一枚のトランプのようなものが。…………?
 時計の保証書か何かかしら…………。そう思い、手に取り、裏返す…………。
「眠気、………覚めたかい?」
【夏妃】「ひ、あ、……あぁああぁぁぁ……。ど、どど、どうして、……こ、……こんな…ッ?!?!」
「あんたの頭痛が、少しは引いたなら嬉しいんだけどな。……嬉しいって言ってよ、カアサン。」
【夏妃】「どうやってこれを?! どうして?! どうやってッ?!」
「嬉しいですって言ってほしいな、この人殺しめ。よくも潔癖な奥様面が出来るもんだぜ、反吐が出る。その反吐を、あんたの夫や娘にもぶちまけられたいかい? 嫌だろ? 黙ってて欲しいだろ? あぁ、黙っててやるよ、ほら、嬉しいだろ? 嬉しいだろッ?!」
【夏妃】「う、………ぅぅ、嬉しいです…嬉しいです…ッ!! だから、…やめて…。夫と娘に構わないで…! 何が要求ですか。お金ですか? いくらですかッ?!」
「カネなんか欲しくないよ。……俺の傷は、カネをいくら積んだって癒せないんだ。だが薬ならある。……そうだな。それは軟膏みたいなもんだ。……ねっとり、どろどろして糸を引く。…………それはあんたへの、…俺の恨み、……怨嗟だよ。…そいつを塗ってでしか、痛みが抑えられないんだよ…。」
 夏妃はこれまでの人生で、このような呪いの言葉を掛けられたことなどない。だから、それを聞かされている自分は、何か悪い夢でも見ているではないかと、何度も疑った。だが、……これは断じて夢ではない…。
【夏妃】「……あ、…あなたはまさか、……この島にいるのですか…。」
「あぁ。約束しただろ? 親族会議には出る、って。」
【夏妃】「不可能です…! この台風では来られるわけもありませんッ…!!」
「台風になる前から来てれば問題はないよ。……それに、台風の最中であっても、ヱリカとかいう来客が来たはずだ。」
 全身を凍った血液が駆け巡る……。古戸ヱリカは偶然が招いた来客のはず…。その名を知るには、相当身近にいなくてはならない……。
【夏妃】「あ、……あなたは……ど、……どこに………。」
「……あんたの紹介がない内は、誰の前にも現れないさ。安心しな。………おっと、俺を探しても無駄だよ。あんたの屋敷は広い。電話だってそこいら中にあるしな。あんただって、俺に会いたくないだろ? ……それとも、俺を見つけ出して、みんなに紹介してくれるのか…? 朱志香にも紹介してくれよ。……1つ上の兄です、ってな。くっくくくくくくくくくくく!!」
【夏妃】「や、やめて……、朱志香に構わないで……。」
「怖がらせ過ぎたかな。今夜はこれで勘弁してやるよ。……だが、忘れるな。あんたは俺に逆らえないんだ。わかってるな、……カアサン。」
【夏妃】「……は、………はい……。」
「今夜はこれで電話を切るが、……明日の朝まで、命令がある。」
【夏妃】「な、……何ですかッ………。」
「あんたは今夜もう、その部屋を出てはならないし、どこにも電話を掛けてはならない。電話が掛かってきても取ることも許さねぇぜ。そして今すぐ灯りを消し、布団を被って寝ろ。そしていつもの時間に起床しろ。…………くっくくくく。健康的な生活でいいなぁ。カアサンの体を労わるなんて、本当に俺は親孝行者だよ……。」
【夏妃】「わ、……わかりました。今すぐ寝ます。部屋も出ません、電話も出ません…! だから、……夫と娘には……!」
「カアサンが俺の命令を守る限り、あんたの秘密は守ってやるよ。……命令を破るなよ。……俺はもう、お前のすぐ近くにいる。部屋の灯りが消えるかどうか、そして電話をしているかどうかさえ、俺には手を取るようにわかるんだ。…俺さえ望むなら、あんたの寝顔にキスすることだって出来るんだからな。」
【夏妃】「守ります! 約束は守りますッ!! だから止めて、もう止めてッ! 止めてぇええええええぇええええ!!」
 ……夏妃は時計の下から見つけたカードを、絶叫とともに握り潰してしまう。それは、タロットカードのような絵柄が書かれていて、……漢字で一文字、“秋”と書かれていた………。
食堂
 再び、時間は遡る。
 時間は、今まさにホールの大時計が24時を告げている真っ最中だ。食堂の親族たちは、二度繰り返されたノックの主が何者なのか、……扉をじっと凝視した。
 留弗夫が、入れよと声を掛ける。……だが返事はない。
 彼らは、ノックの直後に鳴ったホールの大時計が、24時を告げる長い音色が終わるまで、身動きひとつ出来ずにいるのだった……。
【戦人】「……手が塞がってて、開けられないんじゃないのか……?」
【留弗夫】「かもな。……だが、名乗らねぇってのは薄気味悪いな。」
【嘉音】「……開けますか。」
【絵羽】「開けなさい。」
 嘉音は頷き返すと、ゆっくり扉を開く……。
【楼座】「ん、……それは…?!」
【留弗夫】「……これは、……親父の封筒?」
 扉を開けてすぐの、廊下の床に、……その封筒は置かれていた。
【嘉音】「廊下には誰もいません。これを置いて、立ち去ったのでしょうか…。」
 大人たちも廊下に飛び出すが、ノックをしたらしき人影は、気配すらもなかった……。
 小一時間ほど前、紗音と嘉音の二人がお茶の準備のためにやって来た。その時、そこに何も落ちていなかったことを、一同が確認している。何者かが来て、ノックし、片翼の鷲の紋章の記された封筒を置いて行ったのだ…。
【紗音】「ま、……まさか、お館様でしょうか……?!」
【楼座】「……考えられない話じゃないわ。……この屋敷で、誰と呼ばれて返事をしないのは、お父様くらいだもの。」
【絵羽】「ありえないわ。なら、どうしてお父様は堂々と入ってこないの?」
【秀吉】「……そやな。お父さんだったら、ノックなどせず、いきなり入ってくるやろな…。今、この屋敷は、戸締りがされとるんやろ…? なら、ここに手紙を置くことが出来るんは、蔵臼さんか夏妃さん、そして源次さんの誰かしか考えられんで。」
 屋敷はこの時点では完全に戸締りされていた。よって、ゲストハウスのいとこたちと、南條、郷田、熊沢、そしてヱリカはここに来られない。
 そして、蔵臼、夏妃、源次の3人以外の全てがここにいた以上、廊下に手紙を置けたのは、蔵臼たち3人の誰かということになる。となれば、蔵臼たちが、金蔵のメッセージを装って手紙を置いていった可能性が高い…。
【絵羽】「なるほどね…。お父様の名を騙って、戦人くんを次期当主に認めないっ、みたいなことが書いてあるのよ。馬鹿馬鹿しい。兄さんめ、よくもこんな子供騙しを…!」
【戦人】「別に俺は、次期当主なんて興味ねぇぜ…。」
【留弗夫】「諦めろ。それがお前の運命なんだよ。……とにかく、中身を読んでみようじゃねぇか。」
 留弗夫はその手紙を食堂のテーブルの上に置くと、タネも仕掛けもございませんと、まるで手品師のように表と裏を全員に確認させる。
【霧江】「……この封筒は、間違いなくお父様の封筒なの?」
【楼座】「え、…えぇ、間違いないわ。お父様が親書に好んで使う封筒よ…。どう、紗音ちゃん?」
【紗音】「は、はい……。……私の目にも、……お館様が使われる封筒に見えます…。」
【絵羽】「だからって、お父様が書いたってことにはならないわよ。兄さんなら、お父様の書斎の引き出しからひょいと手に入れることなんて、造作もない話だわ…!」
【嘉音】「蔵臼さまとて、容易に書斎には入れません…。封筒を盗み出すなど、難しいことかと……。」
【留弗夫】「開けてみようぜ。それから考えても遅くないはずだ。……何か入ってるな。何だろうな。」
 留弗夫は、少し乱暴に封筒を破く。すると中から折り畳んだ手紙と、……きらりと光る物が転がり落ちる。
 ……指輪だった。
【絵羽】「え? …………ちょっと、…その指輪……!」
 すぐに気付き、絵羽がそれを引っ手繰る…。
【絵羽】「こ、……これ、……お父様の指輪よ…?! と、当主の指輪だわ?!」
【秀吉】「……な、…なんやて…!! ホンマか?!」
【霧江】「間違いなく、お父様の指輪なの…? レプリカということは…?」
【絵羽】「いいえ、これは本物よ! 私は、いつかこの指輪を自分の指に通してやるとずっと夢見てきたのよ。お父様が指にしてたとて、私は誰よりもこの指輪のことをよく知ってるわ。……これはお父様の指輪よ、間違いなく! どうしてここに?!」
【楼座】「じゃあ、やっぱりこの手紙はお父様が…?!」
【留弗夫】「……へ、へっへへへへ。こりゃ、差出人は親父じゃねぇぞ。…もっと面白ぇ。」
【戦人】「じゃあ、……誰からの手紙だってんだ。」
【留弗夫】「右代宮家顧問錬金術師! ………黄金の魔女、ベアトリーチェさまからだぜ……?!」
 留弗夫は、手紙の、そう書かれた部分を全員に見せる。確かに、そこにはそう書かれていた……。
【楼座】「ベ、……ベアトリーチェから……?!」
【霧江】「何て書いてあるの……?」
【留弗夫】「読むぞ。………コングラッチュレイションズ…。戦人さまが碑文の謎を見事に解かれ、黄金郷に辿り着きましたことを認めます。………黄金は全て、戦人さまのものです。そして、右代宮家の新しき当主も戦人さまです。……その証として、…………金蔵さまよりお預かりしている…、当主の指輪をお送りします…。……どうぞ戦人さま、指輪をされて、新しい黄金の主となり、どうか右代宮家をお導き下さい。……新しき当主のご活躍を、心よりお祈りいたしております…………。」
【留弗夫】「……は、……はは! 何てこった…! 親父が書斎から出て来ねぇもんだから、森の魔女ベアトリーチェが直接、戦人を認めてくれたわけだ…! ははは、はっはははははははは!」
【絵羽】「……戦人くん。この指輪はあなたが持つのよ。……これは、当主が身に付けるべき、特別な指輪。………ベアトリーチェが何者か知らないけれど、彼女は一部始終を見届け、あなたが真の跡継ぎだと認めてこの指輪を送ったのよ。」
【戦人】「い、……いいんすか…。こんな重要な指輪を……。」
【留弗夫】「あぁ、いいんだ。誇らしげに指にはめるといい。……いいか、兄貴や夏妃さんが外せと言っても、絶対に外すんじゃねぇぞ…!」
 戦人は親戚たち一同に、薄気味悪い笑みで、その指輪に指を通すよう勧められる…。断ると色々と荒れそうだったので、戦人は渋々と、それを左手の中指にすることにする……。重く、ごつごつした指輪だった……。
 そこへ、蔵臼が戻ってくる。……すぐに源次も戻ってきた。
【蔵臼】「申し訳ないね。妻は具合が悪そうだったので、先に休ませてもらった。…………何かあったのかね? 何だか諸君がひどく慌しいようだ。」
【源次】「………………戦人さま、……それは………。」
 指に通したばかりの戦人のそれに、源次はすぐに敏感に気付く…。
【秀吉】「さすが源次さんや、お目が高い! ……これが誰の指輪か、わかるようやな。」
【蔵臼】「何…? 何の話だね……?」
 蔵臼の怪訝そうな顔からは、とても彼が手紙を置いた本人と思えない……。そして、その表情はすぐに、驚愕のものに変わることになる。
【絵羽】「うっふっふっふ!! そうよ、右代宮家当主の指輪よ!!」
 親族会議は新たな議題を迎え……、再び嵐を迎えるのだった………。
玄関前
 相変わらずの大雨は変わらない。……この天気が、明日も丸一日ずっと続くというのだから、気分も落ち込むというものだった。
 ……おっと、もう、時間的には明日じゃなくて今日か…。だが、今はそんなことはどうでもいい。………眠い…。
 俺は寝ぼけ眼で、傘を開く。大粒の激しい雨が、容赦なく傘を打ち鳴らした……。
 親族会議は、午前1時頃に一応は終了が宣言されたが、まだぐだぐだと場外乱闘が続いている。
 その時に、するりと抜け出せた楼座叔母さんが本当に羨ましい。真里亞が夜更かししてるかもしれない、見てくると言って、うまいこと抜け出したのだ。俺は、親父に絡まれて引き際を逃し、……午前3時……、この時間まで付き合わされてしまった…。
 あれだけの長い時間を掛けて、彼らは何を決めたんだろう…? 何も決まりはしない。
 ……ただ延々と、言った言わないと、小学生並みの争いが繰り返されていただけだ。……連中だってきっと、もう眠いのだ。だから延々、ぐだぐだと下らない問答が繰り返されてるに違いない。
 親たちに対する呆れや怒りは、もう何も感じない。眠さに勝る鎮静剤は、きっと、存在しないに違いないな…。……俺は親たちを残し、今度こそゲストハウスへ戻るのだった。
ゲストハウス・ロビー
 ゲストハウスに戻ると、1階のラウンジが明るい。それどころか、談笑さえ聞こえてくる……。こんな時間まで、まだ起きてる連中がいるらしい。
 何と、こんな深夜にもかかわらず、郷田さんと南條先生はまだ起きていて談笑していた。
 カウンターにはお皿やコップが並び、さながら、郷田さんがバーテンダーを勤める飲み屋のようだ。俺が戻ってきたのに気付くと、ようやく今が何時かを自覚したようだった。
 お酒を注ぎ足してくる郷田さんに、南條先生は大仰な仕草でそれを断っている。
【南條】「もう結構、もう結構です。……この時間では夜更かしのし過ぎだ。」
【郷田】「もうこんな時間とは…。南條先生があまりにお話がお上手なもので、ついつい。」
【南條】「それを言ったら、あんたの酒の肴のお陰だ。また、別の機会に一杯やりましょう。」
【郷田】「えぇ、喜んで! 戦人さま、お帰りなさいませ。まだ、旦那様方の会議は続いておりますか?」
【戦人】「……あの調子で、ぐだぐだと明け方までやるんだろーぜ。知ったことじゃねぇぜ…。」
 大あくびをしながら、投げやりに言ってやる。
【ヱリカ】「………皆さん、案外、体力がおありですね。びっくりです。」
【戦人】「何だ、……お前までいたのか…。」
【ヱリカ】「……何となく流れで、こちらでささやかな夜会が始まったもので。混ぜてもらっていました。………例のことは、話してませんのでご安心を。」
【戦人】「………………………。」
 ヱリカの姿はソファーにあった。靴まで脱いで、すっかり我が家のようにくつろぎきっている。
【郷田】「ヱリカさまも、本当に色々なお話をご存知で。とても楽しく聞かせていただきました。」
【南條】「あんたは本当に博識だ。若いのに大したもんだよ…。」
【ヱリカ】「………どういたしまして。古戸ヱリカは、この程度には博識ですので。」
 ヱリカは、スカートの裾を摘み上げるみたいなポーズをして見せる。もっとも、ソファーに足を投げ出してくつろぎきってるので、優雅さは微塵もないが。
【戦人】「……楼座叔母さんは?」
【郷田】「午前の1時頃にお戻りになりましたが、すぐに上がられ、お休みになられました。」
 それが正しいだろうな…。あんな会議にずっと付き合ってたのだ。俺だって、今すぐベッドに倒れ込みたい気持ちなのだから。
 ……駄目だ。今すぐ、ここで倒れ込みたいくらいに眠い…。
【南條】「………さぁ、私たちもこれくらいにしましょう。郷田さんも、明日の朝食の準備で、朝が早いのでしょう?」
【郷田】「朝食の仕込みはすでに済んでおります。どうぞ明日の朝食も、大いにご期待いただければ幸いです。」
 郷田さんにとって、親族会議は自分の料理の腕の独壇場だ。気力が充実して、眠くさえもならないのだろう。ヱリカは、それを若々しいと笑いながら立ち上がる。その起立が、解散の合図となった。
【郷田】「お片付けは私の方でしておきます。どうぞ皆様はお休みを。」
 片付けを郷田さんに任せ、俺もトイレに行ってから2階に上がる。
【南條】「それでは皆さん、お休みなさい。老骨には、ちと夜更かしが過ぎましたな。」
【ヱリカ】「………お休みなさい、南條先生。お休みなさい、戦人さん。」
【戦人】「おう。………お休み…。」
 そして2階の廊下で、俺たちは解散する。
 南條先生は南條先生の部屋へ。ヱリカはヱリカの部屋へ。そして俺は、いとこ部屋へ帰る。
 いとこ部屋からは、はしゃぐような声は聞こえない。……ひょっとして、もう眠ってしまったか? 無理もない、この時間だ。まだ遊んでたら、さすがに夜更かしが過ぎる…。
 そろりと扉を開くと、案の定、もう真っ暗で豆電球になっていた。みんなベッドの中でとっくに眠っている。
 さぞやみんな、楽しく遊んではしゃいだんだろうな。……そして、青春を語り合って、夜更かしを楽しんだだろうよ。……俺も黄金さえ見つけなければ、それに混じって、楽しく過ごせていたのに…。
 もう、眠くて、……眠くて。着替えることも歯を磨くことも忘れ、俺はベッドにのっそりと潜り込み、………そのまま眠りの沼に沈んでいく………。
 あぁ、……何て今日はめちゃくちゃな一日だったんだ……。クソ親父たちは、今もまだ親族会議を続けてやがるのだろうか……。……よく眠くならないもんだぜ…………。
 そう言えば、クソ親父め……、……別れ際に何か言ってなかったっけ……。
“明日、家族で、重要な話がしたい。お前にかかわることだ。”
 ……どうせ次期当主が云々って話だろうよ。…そんな話、聞きたくもねぇ……。
“こいつを話せば、……俺は殺されるだろうな。” いつだって殺してやるぜ、クソ親父め……。
 それから、……何だって言ったんだっけな……。
“お前の、生まれについての話だ” 俺の、…………生まれ……?
 ……やんごとなき右代宮の血筋が云々って話だろ……。
 興味ねぇよ……。………眠らせて……くれ………。
 狂言殺人の首謀者組は、予定になかったヱリカの来訪にどう対処するべきか相談。その結果、ヱリカも騙して夏妃を追い詰める役を任せる方針に決定。
 まずゲストハウスのいとこ部屋に電話をかけ、ヱリカへのドッキリと称して計画を説明。その後、食堂に戻ってきた蔵臼を、実際にどこかに監禁する。

19年前の復讐

夏妃の部屋
 ……波の砕ける音。潮がうねる音。潮風が騒ぐ音。頭痛に苛まれる時、いつも私の頭を満たすものはそれ……。
 跡継ぎを宿せない私は、右代宮家において、あまりに辛い立場にありました…。懐妊できる薬があると聞いては試し、香があると聞いては試し、……様々な試みは、いずれも結実することはありませんでした。
 18年前に朱志香を授かるまで……、私は妻と名乗ることさえ、はばかられたのです。
【ベアト】「……子を成すのは、二人の努力と天の気まぐれ。そなたばかりが責められたのでは、割が合わぬな。」
【夏妃】「何が原因で懐妊出来なかったのかは、今となってはわかりません。名医のもとにも通いました。屈辱的な検査も受けました。……しかしいつも、理由はわからないと言われるだけでした…。」
【ベアト】「結婚から短くない時間を経て、未だ子を宿せない。……なるほどな。次期当主を密かに狙う絵羽が、首をもたげぬわけもない…。」
 絵羽はお父様に、私は次期当主の妻として失格だと唆しました。夫の事業の度重なる失敗もあり、お父様が大きく失望している時期でもありました。
 一方、絵羽の夫、秀吉の事業は順調に成長しており、夫の事業とは雲泥の差。……お父様に唯一明るいニュースを届けられる存在でした。
 だから、絵羽の言葉に耳を貸し、……あるいは鵜呑みにしたとしても、お父様には何の罪もないかもしれません。全ては、子を宿せなかった、私のせいなのですから…。
【ベアト】「そなたに罪などない。この国の赤ん坊はコウノトリが運んでくるのであろうが。裁かれるなら、それはコウノトリになるのが道理というものよ。」
【夏妃】「……………ありがとう。しかし、…いくら当時はまだご健康とはいえ、すでにご高齢の当主様が、早く孫の顔を見たいと思われていたことは、想像に難くありません…。」
【ベアト】「知るか。孫が欲しくば、うなるほど持っているカネで好きにすれば良かろうに。……カネで生み出せぬものはないと豪語した金蔵だ。孫が欲しくば、自慢のカネで何とかすれば良いものを…!」
【夏妃】「………………えぇ、……そうです。……当主様は、……子を宿せぬ私を見限られ、……その通りになされたのです。」
 ……当主様は、莫大な富を持つ者の義務として、たくさんの福祉に寄付をしておりました。中でも、旧交があるのか、「福音の家」と呼ばれる孤児院に、特に大きな寄付をしておりました。
【ベアト】「あぁ、福音の家か。……よくあそこから、家具どもがやって来ていたな。」
【夏妃】「当主様は、社会活動と職業訓練の一環として、福音の家の子たちの中から成績優秀な子を使用人として受け入れていました。……当家にいる紗音や嘉音、瑠音や眞音、礼音などの“音”の名を持つ使用人は全て、そこからやって来た子たちでした。」
【ベアト】「……色々な連中がいたなぁ。多くはほんの数年で辞めるがな。」
【夏妃】「当家の給金は数年も働けば、充分、社会で生活していけるだけ貯まるでしょうし。……右代宮家での使用人経験は、履歴書に通用する立派な肩書きになります。それを得て、社会へ羽ばたってくれれば、当主様もきっと本望だったでしょう。」
【ベアト】「…………なるほど。……養子か………。」
【夏妃】「…………………………。」
金蔵の書斎
【夏妃】「お、お父様……。今、……何と仰いましたか……。」
【金蔵】「この赤子を、我が孫として迎えよ。」
【熊沢】「おー……、よしよしよし。よしよしよし…。」
 熊沢があやす赤ん坊は、書斎の空気がよほど合わなかったらしい。…ずっとずっと、嫌がるように泣き続けていた……。
【夏妃】「も、…申し訳ありません、お父様…。……私には、何を仰っているのか……、」
【金蔵】「この赤子を、我が孫として迎えよ。そして蔵臼の後を継ぐ者として育てるのだ。」
【夏妃】「……それはつまり、……私と夫の子として…、育てよと仰るのですか……。」
【金蔵】「そうだ。お前に子が宿せぬことはもはや明白。……お前の体には、女としての欠陥があるに違いない。」
【熊沢】「おー…、よしよしよしよし、おーよしよしよしよし……。」
 熊沢は、私たちのやり取りなど何も聞こえないかのように、赤ん坊をしつこくあやし続ける。だからこそますますに、その泣き声は大きくなっていくのだ……。
【ベアト】「…………暴言だな。女の責任だけで子が産めるなら、この世に男など必要ないわ。」
【夏妃】「あの日の悔しさを、忘れたことはありません……。……私とて、子が欲しくなかったわけがない……。……でも、いくら祈ろうとも、身篭れないのです……。私の体に原因があるのではないかと、いくつもの名医を訪ね歩きました。しかしそれでも、いくら努力しても、……身篭れなかったのです……。」
【ベアト】「その挙句が、……この仕打ちではな。…………察するぞ。」
 その赤ん坊は、福音の家が引き取ったばかりの子でした。これほどに幼くして、すでに親の寵愛を受けられぬその子に、もちろん同情をしないわけではありません。
 しかし、………私には何よりも悲しく、悔しかったのです。
 私のお腹を痛めた子ならいざ知れず、……どうして、……私の血は愚か、夫の血の一滴さえも混じらぬ赤ん坊を、……この手で抱かねばならぬのか……。
【夏妃】「お父様を恨んではいません。……もし恨めるのなら、……ただただ、自分の体が恨めしかった…! 憎かったんです! 子を宿せぬ我が身がひたすらに、……憎かった……!! だから私は祈りました。天使と悪魔の両方に!! そして、その両方が叶いました…!」
【ベアト】「……天使には何と祈ったか。」
【夏妃】「私の体に奇跡を…! 私の体に欠陥があるというならそれを受け入れましょう。ならばそれを克服して、どうか夫の子を授かることの出来る奇跡を私に…!」
【ガァプ】「……その願いは、叶ったわ。……あなたはその次の年に、見事に朱志香を生むことになる。」
【ベアト】「そして、……悪魔には何と祈ったか。」
【夏妃】「悔しい……、悔しい……。この身が恨めしい…! そして、それを見せ付けるかのような、……この赤ん坊が憎かったんです…!!」
【ロノウェ】「………何を、願われたのですか。」
【夏妃】「私は初めて、悪魔に祈りました、願いました…!! この赤ん坊が、消えてなくなってしまえばいいのにってッ!!」
 ……その願いも、もちろん悪魔は叶えてくれました。
 あの日、年配の使用人に赤ん坊を預け、私は薔薇庭園でこれからを思案していました。
 いいえ、それは嘘。……何も考えたくなかったのです。
 赤ん坊の泣き声がうるさいので、聞こえないところへ連れて行きなさいと、私は使用人に命じました。……聞こえないところとは、どこか遠くへという意味。
 えぇ、私は願いました。……いっそ、二度と帰って来ないくらいに遠くへ行ってしまえばいいのにって…!!
【ロノウェ】「なるほど……。……行きずりの悪魔が、夏妃さまのその願いを、聞いてしまったのですな。」
【ベアト】「して、……どうなったのか。」
【夏妃】「それは、悪魔が願いを叶えてくれたとしか思えない、奇妙な事故でした…。」
 薔薇庭園から船着場への林道は、確かに心地良く散歩にも向くだろう。
 ……気分で、時には道を出て木立の中を歩くのも気持ちいいに違いない。でも、………赤ん坊を抱いての散歩にしては、あまりに踏み入り過ぎたのではないだろうか…?
【夏妃】「その先は断崖でした。高さは、……多分、10mくらいはあったと思います。下は岩場。…そこには柵もあったのです! その使用人はわざわざそんなところまで赤ん坊を抱いたまま、歩いていき、そして柵に寄りかかったとでも言うのでしょうか…? まるで、悪魔に手招きされて誘われたとしか思えない!!」
【ガァプ】「…………誘われちゃったのねぇ。……あなたの願いを聞いた悪魔が、その使用人を招いちゃったんだわ……。」
【ロノウェ】「それでは、……その使用人と赤ん坊は…。」
【夏妃】「死にました…!! 崖から転落して、下の岩場に…! いえ、私が願ったから死んだ! だからこれは、」
【ベアト】「そなたのせいではない! その先を考える必要はないぞ。」
【夏妃】「でも、私が願ったから……!!」
【ベアト】「いいや違う! 願えども、叶えるか否かは神と悪魔と魔女の気まぐれ! そなたに罪はない。ニンゲンに罪はない。妾が殺したことにしても良い。いや、妾が殺した! 嘆くそなたを不憫に思い、妾が赤子を連れた使用人を崖へ誘い、その下に導いたのだ!」
【ロノウェ】「不幸な事故があっただけではありませんか。事故で納得が行かなくば、我らの仕業に。そのための悪魔でございますよ。」
【ガァプ】「………そうだわ。私たちはそのためにいるのだもの。……あなたが殺したわけもない。私たちが殺したのよ。だからあなたには何の罪もない。……だからどうか、自身を責めないで、夏妃。」
【夏妃】「そうでしょうか……。本当に私に罪はないのでしょうか……!」
【ベアト】「あぁ、ないぞ。ふっははははは!! 19年前の復讐を名乗る若人め。呪うなら妾を呪うが良いわ。しかし、呪うは魔女の専売特許よ…! 夏妃に売りしその喧嘩、妾が買おうではないか!!」
 妾は右代宮家顧問錬金術師、黄金のベアトリーチェ! 仕えし主に売りし喧嘩は妾が買おうぞ! 19年前の復讐とな? 千年の魔女の前にその程度の年月、瞬きにも足りぬと知れ!!
 くっはははははははっははははは!! 19年前に、そなたの死を願った夏妃が憎いか?! 思い出させてやろうぞ、そなたを崖下へ誘ったのは誰かをな…!!
 ……壮年の女性使用人が、泣きじゃくる赤ん坊をあやしながら、木立の中の小道を歩いている…。
 夏妃に泣き声がうるさいと言われ、少しでも薔薇庭園から遠ざかろうとしていた。……どうして、わざわざそちらへ向かったのか、彼女にはまったく無自覚だった。
 しかし、泣きじゃくる赤ん坊が、……ふと泣き止んだ。
 その瞳には、何かが映っていたが、使用人にそれはわからない。しかし、何かに興味を持って泣き止んでくれたのだろうと思い、……赤ん坊の眼差しが示す方へ向かって行った…。
 その瞳には、……木立の中へと消えていく、黄金の蝶の群が。そして、………その木立の向こうに、…使用人は女の姿を見る。
 ………誰? 見覚えのない、いるはずのない人影。赤ん坊は泣き止み、そちらをじっと見ている。…そして、彼女の足も、そちらへ自然と向かっていく…。
【ベアト】「こちらへ来い。女。………その、呪われた赤子を抱いてな。」
「………………………あ……。」
 女は逆らえない。
 ……完全に、ベアトの黄金に輝く瞳に、飲み込まれてしまっている…。まるで、夢の世界を歩くかのような、ふわふわとした感じ。……いつの間にか周りの景色が変わっていたが、……彼女は気にも留めない。留められない…。
 ここは六軒島のはずなのに、……いつの間にか、見たこともないお屋敷の庭になっている。
 右代宮家自慢の薔薇庭園にも勝る、見たこともない……、黄金の薔薇の庭園。
 そこに東屋があり、……優雅なドレスを着た貴婦人たちが手招きをしている………。…執事らしき男がいて、美しい仕草で注ぐ紅茶が、とても良い香りで誘っている。まるで、その茶会に加われとでも言うように……。
 逆らえない。………この黄金の薔薇庭園の主に、………この赤ん坊を捧げなければ……。
【ベアト】「許せ、女。魔女に魅入られた不運を呪え。……そして、この世で決して愛でること叶わぬ、黄金の薔薇に囲まれながら、眠れ。………ガァプ。」
【ガァプ】「………はい、了解。」
 ガァプがバチンと指を鳴らすと、……女の足元に漆黒の穴が開き、……赤ん坊ともども飲み込んだ。そして、その次の瞬間の光景を、女と赤ん坊は目に焼き付けるだろう。
 二人は空に漂い、……眼下に広がる、黄金の薔薇庭園を見下ろしている。足元の大地さえなく、一切の何物も遮ることない、視界の限りを埋め尽くす黄金の薔薇庭園。
 生の記憶の最後に焼き付けることが出来る光景がそれならば、その死はあまりに慈悲深いものだ……。
 そして、黄金の海に、女と赤ん坊を飲み込んだ。
 どさり、という音はあまりに淡白で、二人の命を奪う音にしては、あまりに静かだった。……しかし、魔女たちの茶会の余興としては、そのくらいの方がちょうどいい。
 女と赤ん坊の二人を中心に、……ゆっくりと薔薇庭園が闇に飲み込まれていく…。
 風の音が少しずつ強くなる。
 …テレビのノイズ? 何の雑音…?
 ……それは、潮騒。
 黄金の薔薇の茂みに遥かな高みより墜落して死んだ二人は、……次第に潮騒に包まれ、崖下の磯の風景に包まれていく…。
【ベアト】「妾が保証するぞ。そなたには何の罪もない!! 19年前の復讐とやらは、この妾が買おうぞ!! わっはははははははははははッ!!」
【夏妃】「…ひ、……ひぃいいいいいい………。」
 崖下の二人を見つけ、……私は青ざめました。
 そして、お屋敷へ駆け戻り、……大騒ぎになりました。大至急、船で病院に運びましたが、……あの高さで、即死を免れただけでも、奇跡。
 使用人も、……そして赤ん坊も、……死にました。私はお父様から赤子を預けられ、三日も経ない内に、……殺してしまったのです…!
 主人は出張中でした。当時、まだお屋敷にお住まいだった楼座さんも、ご友人と旅行中でした。……六軒島には、私とお父様しかいなかった!! そして私とお父様以外、誰もよく知らぬ間に、……どこからともなく赤ん坊が現れ、そして消えていった…!!
 あれはそう、夢なのよ、…悪夢ッ!! お父様は私を責めるに違いないと思っていました。…しかし、何か様子がおかしかった…!
【金蔵】「ふ、……ふっふふふふふふふ、ふっはっはっははははははははははっはっはは!! 読めていたぞ、読めていたぞ、この顛末はな! どこまで足掻くのか。どこまで我が物にならぬというのか!! わっはっはははははははははははは!! 空の檻に興味はない! 打ち捨てい!!」
 事故死を知ったお父様は、これ以上愉快なことはないとでも言うように、いつまでもいつまでも、聞いているこっちが薄気味悪くなってしまうくらいに、…ずっとずっと笑っていた。心の何かのたがが、外れてしまったのかもしれない……。
 その日からだ。お父様がそれまで以上に、オカルトの世界だけに篭り切るようになるのは……。
 帰ってきた夫は、お父様のそれまで以上の変わり様に驚きました。でも、……いずれはそうなることだったと受け入れていた。
 もちろん、夫は赤ん坊のことも聞いていたわ。でも、お父様の気まぐれに違いないだろう、早く忘れなさいと言ってくれた。
 だから私は忘れたわ!
 あれは不幸な事故。いえ、事故とかそういうのじゃなくて! そもそも、あの赤ん坊なんて最初から存在しなかったんだと、全てを忘れた…!!
 だって、三日あったかどうかもわからない、歪んだ悪夢! そうよ、あれは全て悪夢なんだもの…!!
 思い出したくもない!! 崖と、壊れた柵と、潮騒の音、そして……赤ん坊の泣き声が、………!!!
【ガァプ】「その赤ん坊が、………19年前の赤ん坊だと?」
【ベアト】「下らぬ! 妾が殺した! すでにこの世にはおらぬわ!」
【ロノウェ】「……しかし、赤き真実なきがニンゲンの世界。ニンゲンの世界に信用できることなどありません。」
【ガァプ】「…………そうね。ベアトは確かに殺したわ。でも、ニンゲンの世界では生きていることになっているのかもしれない。……本当に生きているのかどうかは、ともかくね?」
【夏妃】「実は、………生きていたと言うのですか?! あの高さから、あの岩場に転落して……?!」
【ベアト】「わからぬ。だが落ち着け。……そやつがどうそなたを憎もうとも、真実は事故だ。そなたを恨もうなど、お門違いもいいところよ…!」
【夏妃】「でも、でも…! たとえ指一本触れていないとしても、……私は心の中で…!!」
【ベアト】「落ち着けっ。……19年前の男が何を恨もうと叫ぼうと、そなたを追求できる罪などあるわけもない。だから落ち着け。19年前の男は、妾の来客として迎えてやろうぞ。くっくくくくくくく!」
【ベアト】「碑文の謎を解かれ、お役は御免かと思っていた矢先だ。妾の最後の客として、もてなしてやらねばな!! くっひっひゃっひゃっひゃ!!」
【ロノウェ】「面白くなってまいりましたな。……ゴールドスミス卿の秘密を守るのに加え、19人目の来客、さらに19年前の男とは。」
【ガァプ】「………そうね、金蔵が生きてると主張する私たちにとって、ヱリカは19人目ね。その19人目の駒に19年前の男? 面白いじゃない。わくわくするわ。」
【ベアト】「相手にとって不足なし!! 妾の茶会の来客が1人では物足りないと思っていたところよ!! 来るが良い、愚か者どもめ!! くっはっはははははははははははは!!」
 古戸ヱリカは、ベルンカステル卿の駒。なら、19年前の男は、誰の駒……?
電話
 受話器の向こうから、わずかに漏れ聞こえる声は、…夏妃の声。
【夏妃】「わ、……わかりました。今すぐ寝ます。部屋も出ません、電話も出ません…! だから、……夫と娘には……!」
 聞く者の心を揺さぶらずにはいられない、懇願するように叫ぶその声も、………受話器越しでは冷酷に聞くことが出来る…。
「カアサンが俺の約束を守る限り、あんたの秘密は守ってやるよ。……約束を破るなよ。………俺はもう、お前のすぐ近くにいる。部屋の灯りが消えるかどうか、そして電話をしているかどうかさえ、俺には手を取るようにわかるんだ。…俺さえ望むなら、あんたの寝顔にキスすることだって出来るんだからな。」
【夏妃】「守ります! 約束は守りますッ!! だから止めて、もう止めてッ! 止めてぇええええええぇええええ!!」
 乱暴に受話器を置く。……電話の切り方ひとつで、後味をいくらでも悪く出来ることを、“彼”はよく心得ている…。
魔女の喫煙室
【ラムダ】「じゃあね、お休み、カアサン。…………ハイ、一丁上がり。これで夏妃は今夜は部屋から出てこないわ。」
【ベルン】「………器用ね。あんた、声を変えられるの?」
【ラムダ】「くすくす! 声くらい、誰だって変えられるわよぅ。パパにおねだりの時は甘い声♪ ガッコ休む時は風邪っぽい声。実は嫌いな友達に断る時は、申し訳なさそーな声! オ望ミナラ♪、どんな声でも〜、tsukaiwakete☆、見ッせるケドぉ〜?!」
【ベルン】「………あんた、魔女やめたら声優になるといいわ。」
【ラムダ】「うっふふふふふ! これでお互い、駒の準備はOKかしら? …………“古戸ヱリカ”。なかなか素敵な駒じゃない。縁寿なんかよりはるかにベルンに相応しい駒だわぁ。」
【ヱリカ】「…………お褒めに預かりまして光栄です、ラムダデルタ卿。」
【ラムダ】「こちらこそよろしくよ。……うぅん、素敵だわ。本当に可愛い。魔女幻想に屈服させて、その顔を屈辱に歪めてやりたいわぁ。」
【ベルン】「……だそうよ。……私に恥をかかせないでよね? 縁寿よりはるかに使える駒だってことを、見せて頂戴。」
【ヱリカ】「えぇ、お任せを。ベルンカステル卿、我が主。……私はあのような、根暗で低脳で可愛げの欠片もない駒とは違います。」
【ラムダ】「くすくすくすくす! 本当よね。縁寿なんて、屑肉になって戦人を焚きつける以外、なーんの役にも立たなかったわ! 家族愛とか兄妹愛とか、私たちはぜーんぜん興味ないの! 私たちが見たいゲームは、もっとエグくてドロドロしてて! グロテスクでポップでキュートな殺人事件だもの!!」
【ベルン】「………夏妃がキングで、ベアトがクイーンってとこかしら。くすくす。夏妃を庇って群がる魔女と家具たちは、チェスの駒というよりは、」
【ラムダ】「ボーリングのピンって感じィ?! きゃっははははははははははは!! 夏妃にベアト。金蔵にガラクタ家具の幻想たち! 私たちを楽しませてみせなさいよね?!」
【ラムダ】「特にベアト! 私たち、もーあんたには飽きてるのッ! あんたの魔女伝説殺人ごっこはもーおしまい! あんたの出番もおしまいってわけ!! このゲーム盤はもう、私とベルンがいただいたわ。あんたなんて、私たちの駒に落ちぶれて、永遠に遊ばれてるのがお似合いよぅ!!」
【ベルン】「くすくすくすくすくすくすくすくす。夏妃もベアトも、薄汚い真実というハラワタを薄皮一枚で包んだだけのズダ袋だわ。……それをズタズタに引き裂いて、中身を引きずり出すことこそ、私の、いいえ、私たちの数少ない娯楽なの。」
【ラムダ】「えぇ、楽しく遊べるわよ。ねぇ、見てる? ベアトリーチェ? あんたのゲーム盤はこんなにも楽しく遊べるのよ? 私が見せてあげるわ。本当に楽しい、第5のゲームをね!!」
【ベルン】「………私たちばっかり気持ちよく喋っちゃ可哀想だわ。ベアトにも喋らせてあげたら?」
【ラムダ】「だそうよ。特別に発言を許すわ。今回のゲームの抱負でも言っちゃったらー?!」
【姉ベアト】「…………………………………。」
【ラムダ】「あっははは! 何もないってぇ! そうよねぇそうよねぇ! あんた、戦人に屈しちゃった負け犬だもんねぇ! 私に任せなさい? 魔女側優勢に一気に流れを変えてあげるから! ただ、あんたという駒は、サクリファスさせてもらっちゃうけどねぇ?!」
【ヱリカ】「碑文も第一の晩以前にあっさり解かれ、黄金の番人ベアトリーチェも形無しですね。……くすくすくすくす!!」
【ベルン】「……夏妃の幻想として、駒に残れて良かったじゃない。……まぁ、もうあんたの扱いは駒じゃなくて、ピンなんだけどね?」
【ラムダ】「黄金の魔女、ベアトリーチェなんて、もう出番はないのよ! あんたとその家具たちは、私のゲームではほんのチョイ役、やられ役!! 気持ちよくすっ飛ばされて、私とベルンの玩具にされなさいよ!!」
【ベルン】「………嫌なら、やめてって一言いってみて? そしたら、やめてあげるから。」
【ベアト】「…………………………………。」
【ラムダ】「嫌じゃないってぇ! くすくすくす!! あんた、ピン確定ねー!!」
【ベルン・ラムダ】「あっははは、あっはははははは「きゃっはははっはっはっはっはくっひゃっはっはっはァ!!!」」
 もう、黄金の魔女なんて必要ない。必要なのは、二人の魔女たちが一時を楽しく遊べる、生贄の人形だけ。
 死ね死ね消えろ。汚らしい過去と罪をブチまけて、お涙頂戴の後悔と懺悔を吐露しながら、崖から飛び降りでもして、死んでしまえッ!! もう、黄金の魔女に出番はない……!! あっはっはははははははっはっはっははははははははははは…!!
【ベアト】「…………………………………。」
【戦人】「……………ベアト…。」
 それは、……酷いゲームになるでしょう。
 上辺は、確かにいつもの物語によく似てはいます。しかしそこには、……この物語の、本当の主人公への敬意がない。
 この物語は、…黄金の魔女、ベアトリーチェが、右代宮戦人を招いての物語のはず。しかし、ホストは失われ、もはや客人もない。……招いた者も、招かれた者も、もはやない、最悪の物語。
 ようこそ、第5のゲーム、 End of the golden witch へ。邪まなる魔女たちに乗っ取られた、主賓なき宴へ……。
【ラムダ】「………いい、戦人? いよいよ二日目を始めるわよ? うっふっふっふ! 私はベアトみたいに、トロい展開は嫌いなんだから!」
【戦人】「好きにしやがれ。……お前が何を掻き回そうと、俺は必ずこのゲームの真相に辿り着いてやる。」
【ヱリカ】「くす。………そうでなくては困ります。妹さんのためにも、しっかり戦わなくちゃ。」
【戦人】「…………………………。」
【ヱリカ】「ご安心を。……ラムダデルタ卿は、ベアトリーチェの間抜けと違い、遥かに恐ろしい相手ですが、私がしっかりサポートするので、問題ありません。……私と一緒に、今度こそ魔女幻想を暴いてやろうではありませんか。」
【戦人】「………お前なんか知らねぇ。ベアトのゲームにいなかった存在など、俺は認めもしないし、必要ともしない。」
【ヱリカ】「強がり言ってる場合ですか? ………まぁ、お互いせいぜい頑張りましょう? 一緒に、魔女幻想とやらを引き裂いてやりましょう。くすくすくす!」
 ヱリカは、握手を求めるような真似事をする。
 …俺は、無視などという消極的な真似でなく、その手を弾くという、より積極的な行為で明白な返事をしてやる。
【ベルン】「………くすくす。握手は嫌いだそうよ。縁寿と同じなのね。」
【ヱリカ】「ご安心を。私は縁寿より遥かに役立つ駒ですので。……戦人さんの闘志を回復する以外、何も出来なかった挽き肉とはわけが違います。」
【戦人】「………………………。」
【ラムダ】「くすくす…! 頼もしそうな仲間に恵まれて嬉しいわねぇ! かつてはワルギリアにロノウェ。縁寿まで来てくれたわ。そしてとうとうベルンにヱリカまで! あんたを応援してくれる駒たちはこんなにもたくさん! それでも未だに真相の尻尾すら掴めない無能っぷりって、どんな気持ち?どんな気持ち?!」
【戦人】「…………関係ねぇな。これは、俺とベアトの戦いだ。その他の誰であろうと、…関係ねぇ。」
【ラムダ】「あぁ、そうなの? やっとひとり立ちィ?! いっつも誰かに助けられ、情けを掛けられてばかりのあんたが、どこまでひとりで出来るやら! 楽しませてもらうわぁ!」
【戦人】「……取り戻すぜ。………これは俺たちのゲームだ。……お前たちは、お呼びじゃねぇ!!」
【ベルン】「くす。えぇ、そうよね。………これはあなたたちのゲームだわ。なら、取り戻して御覧なさいよ。……手加減だらけだった、ベアトのゲームさえ勝てなかったあんたが、誰の助けもなく、一切の容赦のないラムダのゲームをどこまで戦えるのか!」
【ラムダ】「では、お目覚めなさい!! 右代宮戦人ッ!! ようこそ10月5日の朝へッ!!」
 声で変装等がバレることは考慮しなくて良いというヒント。

惨劇の朝
10月5日(日)07時00分

ゲストハウス・いとこ部屋
 ……誰かの目覚まし時計だろうか。ピピッピピッという、単調な電子音の繰り返しが部屋を満たす……。
 寝た時間が遅く、まだまだ寝足りない戦人は、毛布を頭まで被り、目覚ましを誰かが止めてくれるのを待った。……しかし、いつまで経っても、電子音は鳴り止まない。
 ………なるほど。目覚まし時計に求められる機能は、眠りを覚ます大音量ではなく、寝ている気をなくさせる、イラツキってわけだ。
 おぉい…、目覚まし鳴ってるぜ。止めてくれよ……。寝起きの声ってのは、どうしてこう不機嫌になっちまうんだろうな。……そりゃそうだ。だってまだ眠くて不機嫌なんだから。
 しかし、俺の不機嫌ボイスに誰かが寝返りをうち、もぞもぞと這い出して目覚ましを止めてくれる気配はまったくなかった。
 はぁっと深く溜息を漏らしてから、がばっと起き上がる。
 窓が鎧戸のせいで、ほとんど明かりが入ってこなくて、相変わらず薄暗かった。仮に鎧戸がなかったとしても、相変わらずの天気で、快適な朝に相応しい太陽は、到底拝めなかったに違いないが。
 いとこたちは、相変わらず布団の中で丸くなっていて、鳴り響く電子音など気にもせず、熟睡している。普通、誰か一人が起き出すと、みんなも連鎖的にもぞもぞと起き出すもんなんだけどな…。
 ……俺が勝手に決めていた法則、林間学校連鎖起床の法則が破られ、憮然としながら音源を捜す。
 テーブルの上に置かれた、腕時計から聞こえているものだった。時計のセンスからして、譲治の兄貴のに違いない。とりあえず、側面に付いている小さなボタンを適当に押したら、音は収まった。
 朝7時にセットしていたらしい。………もう、7時か。悪いが、まるで寝た気がしない……。
 テーブルの上にはトランプのカードが、遊んでいたままの状態で残されている。……これは多分、七並べだろうな。
【戦人】「……………………………。」
 くそ、……頭痛で頭がキリキリしやがる。
 昨夜は一体、何だったんだ。……あの黄金の山も、その後の親族の罵り合いも、…全ては悪い夢のようだ…。
【戦人】「…………馬鹿馬鹿しい…。」
 朝食は普段なら8時だ。……そろそろ起きて、身支度を始めても悪い時間ではない。
 いとこたちの前では、大人たちもさすがに罵り合いはしないだろう。……なら、今日はいとこたちとずっと一緒にいよう。きっと俺を、黄金だの次期当主だのというおかしな話から遠ざけてくれるに違いない……。
 いや、最初からそうすりゃ良かったんだ…。
 昨夜は、このままの格好で寝ちまったもんだから、寝汗で気持ちが悪いぜ。……シャワーでも浴びさせてもらおうか。それはみんなも同じのはずだ。
 この歳で、肩を揺すって起こすのも恥ずかしい。テレビでもつければ、みんなも目を覚ますだろう。とりあえず、灯りをつけることにする。……静かに降り続ける風雨の音を聞きながらのこの薄暗さでは、朝の訪れなど感じられるわけもない。
 灯りのスイッチを入れる。そして、薄暗い朝は終わった。
ゲストハウス・いとこ部屋
【絵羽】「………譲治……、………譲治ぃいいいいいい!!!」
【秀吉】「あんまりやないか……。こんな真似が…、どうして許されるんや…!!」
 二度と目覚めぬ譲治の兄貴の亡骸に、絵羽伯母さんと秀吉伯父さんはすがり付いて、……泣いていた。
【南條】「……もうおよしなさい。譲治くんが、こんな姿をお二人に見せたいと思いますか…? 思うわけがない…!」
【留弗夫】「………姉貴。気持ちはわかるが、今は南條先生に任せるんだ…。」
【絵羽】「あんたにはわかんないわよッ!! 譲治が殺されたのよ?! 譲治!! 譲治ぃいいいぃうわあああぁあああああぁあああ!!」
【秀吉】「南條先生の言うとおりや。譲治のこんな無体な姿を、いつまでも見ていたらあかん…。……譲治のためにも! 今は堪えるんや…!」
 親父と秀吉伯父さんが、なおも亡骸にすがり付こうとする、絵羽伯母さんを引き剥がし、壁際で押し問答をしている…。
【絵羽】「嫌よ、嫌ぁあああぁあああ!! 譲治ぃいいいぃ!! 南條先生! 手当てをして!! 血が足りないなら輸血を!! 私と譲治は同じ血液型です!! だからお願い! 南條先生!!」
【南條】「…………………絵羽さん。…お気の毒だが、……今の譲治くんに必要なのは、あなたの血ではないのです…。」
 南條先生は小さく首を横に振ると、その向かいに立っている俺に、こくりと合図をする。俺は、そっと毛布を引き上げ、……譲治の兄貴の遺体を覆った。
 その首は、……ばっくりと開いていた。…多分、口よりも、……大きく、深く裂けていた。そこさえ覆ったなら、綺麗な遺体に見えただろうか…?
 そんなことはない…。……そこより流れ出したおびただしい血は、ベッドを赤く、黒く、おぞましく染め上げ、……例え、毛布で覆ったとしても、その溢れ出した血の跡を隠すことは出来なかった。
 なぜなら、覆った毛布さえも、赤黒く大きな染みを残しており、遺体を覆っても、それでもなお、無残な遺体であることを見せつけようとするからだ……。
 だから俺は、自分のベッドから毛布を剥ぎ、それをさらに覆った。
 ……だが、毛布は2枚しかない。だから、もう一人の遺体を覆ったら、……残りの遺体は覆えない。覆えないヤツを不憫に思い、……こんな時にどうしてだろうな、…不公平を愚痴るなよと心の中で呟いてしまう……。
【留弗夫】「……霧江。みんなに毛布を掛けてやれ。…風邪を引いちまわぁ。」
【霧江】「………………えぇ。」
 俺と霧江さんは、他の遺体も同じように、毛布で頭まで覆っていった…。……彼らがこれ以上、…その無残な傷口を晒して、辱めを受けることがないように……。
 そこのベッドには、……朱志香が眠っている。
 ……朱志香も、譲治の兄貴とまったく同じだ。ベッドの中で、……静かに眠るようなのに、………首が、ばっくりと切り裂かれて、その傷口を無残に開いている……。
 そして、それは真里亞も同じだった。
 ……真里亞だけではない。犠牲者は、さらに一人。同じベッドに添い寝するように横たわっている、……楼座叔母さんもだった。
 譲治の兄貴、朱志香、真里亞、…そして楼座叔母さん。……この部屋には、4人の人間が首をばっくり切り裂かれて殺されている。多分、それは昨夜からなんだ。……俺はそこに、何も知らずに帰ってきて、布団を被って寝ちまっていたんだ………。
 ………みんな、喉を一文字に、掻っ捌かれている。
 俺は、…否応なく、……全員の喉の切り傷を奥深くまで、……見せつけられてしまう…。下手をすると、首の半分くらいも切り開かれているかもしれない。……多分、その傷口を深く開いたなら、傷が骨にまで至っていることを確認できるだろう。
 傷は首の一箇所のみ。……だから、首の傷さえ手で覆い隠せたなら、……眠っていると自らに言い聞かせることも出来るかもしれない。
 しかしそれでも、……この、あまりに深過ぎる傷は、…………あまりに、……無残だ………。
 殺しに、綺麗も汚いもあるわけがない。…どんな殺し方だって等しく無残だ。しかしそれでも、………あまりに、……無残……………。
 そして、この無残な殺人を、さらに悪趣味に彩るものが、…もう一つあった。
 それは、……この壁にでかでかと書かれた、………不気味な魔法陣のようなもの。血を想起させる、真っ赤な塗料で書かれたそれは、まるで、この部屋で何か不気味な儀式が執り行われ、彼ら4人がその生贄に捧げられたかのようにさえ見えるのだ…。
 しかし、俺たちの関心はそのようなものにあるわけもない。……親しかった者たちの死を目の当たりにして、そんな壁の落書きが気になるなんて、……そんな冷たい心を持とうはずもない…。
【ヱリカ】「…………おはようございます、皆さん。………おや、……これは立派な魔法陣で。」
 真実そのものよりも、それを暴く過程に悦楽を感じると豪語し、……自らを知的強姦者とまで言ってのけた少女が、……廊下に姿を現す。
 この凄惨な部屋の、……不気味この上ない魔法陣を見て、感嘆を意味するとしか思えない、……ほぅ、という溜息を漏らすのを、俺は確かに聞いた…。
【戦人】「お前は………、……入ってくるんじゃねぇ……。」
【ヱリカ】「…………さっきから廊下で話を聞かせてもらっています。お亡くなりになられたのは4人ですか? ……心よりお悔やみを申し上げます。」
 ヱリカの顔が、……いや、違う。目だ。
 ……ヱリカの目は、……何とも形容できない、……不謹慎な笑みを浮かべる。こいつは、…面白がっている。……事件の発生を、……面白がっている…。
 まるでそれは、学芸発表会の演劇で、いよいよ自分の出番が近付いてきた子が、舞台袖で浮かべる笑みのようだ…。
【留弗夫】「……すまねぇな、ヱリカちゃん。取り込み中だ。……部屋で待っててくれるか?」
【ヱリカ】「…………そういうわけには参りません。現場検証は、探偵の権利ですので。」
【戦人】「お前に用はないと言ってんだぜ…! 部外者は大人しく引っ込んでろッ!!」
【ヱリカ】「………現場検証を妨害する容疑者が犯人であるミステリーは三流、……というのが私の持論ですが…?」
【戦人】「お前の都合など知るかッ!! 出て行け!! お前なんかお呼びじゃねぇ!!」
【秀吉】「ヱリカちゃん…! ホンマに済まんが部屋に戻っててくれんか! 今は取り込み中なんや!」
【絵羽】「譲治ぃいいいぃいいい、譲治ぃいいいいいいい、うわぁああああああぁあぁああぁぁ!!」
【ヱリカ】「……退いて下さい。現場検証、出来ません。」
【戦人】「もしそれが必要なら俺たちがするし、警察がする! お前に、みんなの亡骸をさらに辱しめる権利なんか、あるわけがねぇええ!!」
【ヱリカ】探偵権限。……探偵は全ての現場を検証する権利を持つ。そこを退きなさい、右代宮戦人。これはニンゲン側に認められた、ゲームの正当な権利よ。
 その、一見、暴言とも思える言葉は、……彼らより遥かに上層の世界よりの、力ある言葉。
 戦人は目に見えぬ何かの力に弾き飛ばされ、尻餅をつく。静かな迫力に絶句し、……誰もそれ以上、ヱリカの入室を拒めない、不思議な空気で窒息させられた…。
【ヱリカ】「………ご安心を。死者の尊厳を冒すことが目的ではありませんので。別に喉の切り口なんておぞましいモノ、覗きたくありませんし。……私が知りたいのはもっと別のことです。」
【ヱリカ】「つまり、この殺人を誰が行なったかです。………南條先生。それから皆さん。……特に第一発見者の戦人さん。………色々とお尋ねしたいことがありますので、ご協力をお願いします。」
【戦人】「だ、……だから何の権限があってだよ…ッ!」
【ベルン】私が、探偵だからよ。
 そのわけのわからない暴言に、戦人は言い返せない。……いや、言い返すことが、許されていなかった。それが、駒の、制約。
 ヱリカは、南條先生を呼び、検死初見を詳しく聞いている。……本来なら、それは部外者である彼女に軽々しく話すことではないはず。…しかし、場の雰囲気はなぜか、ヱリカに隠し事をしてはならないという雰囲気になっていた…。
【ベルン】「………さて、ラムダの第一の晩、楽しませてもらおうかしら。死体は4つ? 2つ足りないわ。……まぁ、6人殺す義務もないわけだけど、そういう遊びだしね。あの子、空気読める子だから、あと2人もどこかで殺してるに違いないわ。」
 壁には、ベアトのゲームと同様の、第一の晩を示す魔法陣。
 くすくす、あの子、偉そうなこと言ってるけど、どこまでベアトの真似が出来るのかしらね。くすくすくす、あっはははははは…! ヘブライ語、下手ね。少し間違ってるわよ。
ゲストハウス・いとこ部屋
【マモン】「……何これ…。どういうこと? どうして魔法陣が?」
 この場にいる人間のうち、狂言の協力者でないのはヱリカだけ。その他全員は、ヱリカを騙すためだけに演技をしている。
【アスモ】「きっとベアトリーチェさまの真似がしたかったのよ。あっは、下っ手くそな魔法陣…!」
【サタン】「真似どころじゃないわよ! ニンゲンの誰かがベアトリーチェさまの仕業に見せかけるために、わざわざ書いたんだわ…! とにかく、ベアトリーチェさまに報告を!」
【マモン】「ゴールドスミスの秘密を守る仕事だけでも、お腹いっぱいなのに、……迷惑な話ね。」
【アスモ】「でも、全然美しくない殺人だわ。……別に密室でもないし、不可能犯罪でもない。こんな無様な殺人、ベアトリーチェさまに全然相応しくないわ。」
【サタン】「……古戸ヱリカか。……予期せぬ事件に予期せぬ女。……そして19年前の予期せぬ男。………碑文は戦人に解かれるし、今回のゲームは、普段とまるで違うわ。…何がどうなってるの…?! 行くわよ!!」
【マモン・アスモ】「「はい、お姉様!!」」
厨房
 厨房では、郷田がさっそく、素晴らしい朝食のために腕を奮っていた。
 朝食のメインはハーブオムレツ。手軽に作れる料理の定番も、郷田の手に掛かれば、眠気も吹き飛ぶご馳走になる。充分に下ごしらえをし、食堂で、みんなの分を目の前で次々に焼いて皿に盛ろうというのだ。
【郷田】「ふんふんふんふん♪ ぱんぱんぱんぱ〜ん♪」
 郷田は鼻歌を歌いながら上機嫌に、準備を進めるのだった。
 そんな郷田を見ていると、それを手伝う紗音もつられて上機嫌になってしまう。サラダを、ちょっと粋な盛り付けにして、郷田にどうかと見せてみる。
【紗音】「こんな感じでどうでしょう。トマトの感じが、ちょっと可愛くなったと思います。」
【郷田】「ん〜〜、実に良いですよ〜! 紗音さんもなかなかわかって参りましたねぇ! ふんふんふんふ〜ん♪」
【紗音】「「ふんふんふんふ〜ん♪」」
 上機嫌な二人は、思わずハイタッチの真似などしてしまう。
 紗音は、ずるい郷田は苦手だが、上機嫌に料理をしている時の郷田は決して嫌いではなかった。いっそ、料理以外の仕事はしない契約になってくれればいいのにとさえ思う。そうすれば、余計な仕事で不機嫌にならずに済むのだから。
【熊沢】「食堂の準備が出来ましたよ。いつでも運べますからねぇ。」
【郷田】「もうじきですので、配膳車の準備をお願いします。ふんふんふーーん!」
 思わず熊沢まで、郷田の上機嫌につられてしまう。厨房はとてもよい匂いとよい雰囲気で、朝から実に清々しかった。
 そこへ、いつも通りに朝から不機嫌そうな嘉音が戻ってくる。嘉音と源次は、カーテンを開けたりなど、諸々の朝の準備が担当になっている。
 ……しかし今日は、嘉音ひとりだったので、いつもよりだいぶ時間が掛かってしまった。
【嘉音】「終わったよ。……源次さまは?」
【紗音】「まだいらっしゃらないの。………珍しいわね。寝坊されるなんて。」
【熊沢】「ほっほほ。あの源次さんでもお寝坊をねぇ。」
【郷田】「親族会議の最中だというのに、緊張感に欠けてますねぇ。嘉音さん。起こしてきてあげてくれませんか?」
【嘉音】「…………はい。」
【熊沢】「寝ぼけ眼の源次さんってどんな顔なのかしら。ほっほっほっほ。私もご一緒しますよぅ。」
 郷田に配膳車の準備を頼まれたはずなのに、熊沢は嘉音にひょこひょこ付いてきて、実に流れよくサボる。嘉音は、むしろ、よく寝坊をするのは郷田の方だろうにと、ぶつぶつ、郷田の陰口を呟きながら、使用人控え室へ向かった。
【熊沢】「嘉音さんは今朝、起こさなかったんですか?」
【嘉音】「……僕は昨夜、使用人室でそのまま寝ちゃったんで、控え室には戻ってないんです。」
 嘉音は昨夜、深夜勤のまま、うとうととしてしまい、使用人室でそのまま、眠ってしまったのだ。
 紗音が気を利かせて毛布を掛けてくれたのだが、それがむしろ温かくて、完全に寝入ってしまった…。だから、使用人控え室のベッドには、昨夜は戻らなかったのだ。そのため、源次に今朝は一度も会っていないのだ。
 扉をノックする。
【嘉音】「……源次さま。嘉音です。おはようございます。」
【熊沢】「…………あらあら。まだお休みかしら。」
【嘉音】「……失礼します。」
 扉を開こうとする時、……嘉音は扉の上部に、おかしなものを見つける。
 ……何だ?……ガムテープ??
 小さなガムテープの切れ端が、扉の上部に、扉の枠と跨ぐように貼られていて、まるで扉を封印するようになっている。そしてガムテープの中央には鋏で切れ目が入れてあり、少しでも扉を開けようとしたなら、千切れるようになっていた。
 そしてガムテープには、細いペンで、誰かのサイン?らしきものが、ぐちゃぐちゃっと書いてある。……ずいぶんと複雑に凝った装飾的な書き方で、もしこれがサインだとしても、誰の名が書かれているのか、見当もつかなかった。
【熊沢】「誰かのいたずらでしょうか……。」
【嘉音】「わからないけど、こんなの今は気にしててもしょうがない。……源次さま。失礼します。」
 ガムテープを千切り、扉を開く。別に、それを千切っても何も起こらないので、二人はすぐにこの妙なガムテープのことを忘れた。
 ……部屋は薄暗い。二段ベッドの下の段に、まだ毛布の膨らみが。源次はまだ眠っているようだった……。
【嘉音】「おはようございます、源次さま。」
【熊沢】「源次さんらしくもない。ほっほっほ。朝でございますよ〜〜。」
【嘉音】「……………ッ、げ、源次さま……!」
【熊沢】「ひッ、……な、何ですかこれは、何ですかこれはッ…?!」
 毛布が赤黒く大きな染みを残している。……使用人の毛布とて、いつも清潔だ。そんな染みなど、あるわけもない。
 嘉音は恐る恐る源次の毛布を剥ぎ、………源次の変わり果てた姿に、……絶句した。
【ベルゼ】「な、何よこれ。首がスッパリ、やられてるぅ!」
【ベルフェ】「………鋭利だ。…相当の刃渡りのものでなければ、ここまでの切り口には出来まい。」
【レヴィア】「ど、どういうことよ。碑文の謎を戦人が解いたんでしょう? どうして殺人が起こるわけ?!」
【ベルフェ】「わからん。……いずれにせよ、厄介なことになるぞ。ベアトリーチェさまと夏妃さまにご報告申し上げた方がいい。」
【レヴィア】「ベルフェは急いでルシ姉に報告を…!!」
【ベルフェ】「心得た…!」
 飛び出した熊沢が、郷田と紗音を呼んでくる。
 ……そして、新しい二人もまた、先の二人と同じように、悲鳴を上げるのだった。
【ベルゼ】「ちょっと郷田ぁ! 朝食の準備をサボっちゃだめぇ!」
【レヴィア】「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!! ……二日目の朝食は、決して静かに取れやしないってわけだわ。……嫌な予感がする。源次だけで済まないかもしれない。……屋敷内を確認するわよ、他にも何か起こっているかもしれない…!」
【ベルゼ】「はい、お姉様ぁ!!」
夏妃の部屋
 突然の電話の音に、夏妃は飛び起きる。起きた、というのは夏妃自身にとっても驚くことだった。
 ……謎の男がいつ踏み入ってくるかもわからない恐怖の中で一晩を過ごし、寝付けないつもりでいたのに、気付けば眠っていたのだから…。
 もちろん、そんな眠りが夏妃にわずかの休息を与えてくれたわけもない。夏妃は、昨夜から決して治まることがなかった、頭の鈍痛に呻きながらも、ベッドから何とか起き上がる…。
【ルシファー】「おはようございます、夏妃さま。」
【夏妃】「………おはよう。……最悪の朝です……。」
【ルシファー】「ご安心を。誰も部屋へ立ち入ろうとはしませんでした。」
【夏妃】「……そう。…不寝番をありがとう…。」
 だからといって、もちろん安らかに眠れたわけもないのだが。………鳴り続ける電話の音が、さらに頭痛を掻き鳴らす…。
【ルシファー】「電話にお出になられた方がよろしいかと。……あと、良くないご報告が妹たちから。」
【夏妃】「……良くない報告は後にしましょう。……先に電話を取ります。」
 夏妃は頭を振るい、眠気を払ってから、受話器を取る。
 ……そして、ルシファーの言う、良くない報告を先に聞けばよかったと後悔する。この最悪な朝に耳にする最初の話は、少しでもマシなものであってほしかったからだ…。
「………おはよう、カアサン。……よく眠れた?」
 その声は、……最悪の朝と、悪夢が未だに続いていることを教えてくれた…。
【夏妃】「や、……約束は守りましたよ。私は、ずっと部屋に篭っていました。もちろん電話もしていません…!」
「でも、この電話には出ちゃったよね……?」
【夏妃】「そ、……それは、……ぅ、」
「あはははははははは。……冗談だよ。この電話は、カアサン想いの僕からのモーニングコールさ。おはよう、カアサン。……くすくすくす…!」
【夏妃】「………人を、どれだけ愚弄すれば……。」
 夏妃は、受話器が軋むほどに握り締める…。
「パーティーの準備のために、カアサンには席を外して欲しかったのさ。……お陰で準備は整ったよ。もちろん、主賓はカアサンさ。」
【夏妃】「……な、何を始めるつもりですか……。」
「それは今日のお楽しみかな。…大丈夫、待たせないよ。もう、始まってる。……そうだ、ちょっと待って。声を聞かせたい人がいる。」
【夏妃】「……え?」
 下手な魔法陣は、いつもと違う人物が書いたということの手掛り。紗音が「太陽の7の魔法陣を壁に書いてほしい」等と指示すれば、真里亞には意味が通じる。
 ラムダがベアトの真似をしているから間違っている、というのはミスリード。
 受話器ががちゃがちゃと揺さぶられる音がする。
 ……誰かに電話を代わるつもりらしいが、がさがさごそごそと音が聞こえ、受話器を代わるのにずいぶん手間取っているように聞こえる…。
 一体、誰に電話を代わるというのか。……この男のこと、…誰に代わろうとも、それが自分にとって、愉快なものになるわけがない…。
【蔵臼】「……ぐふ! これを解け…! 卑怯者め…!!」
【夏妃】「え?! あ、……あなた?! あなたなの?!」
【蔵臼】「うぐぐぐぐぐ、むぉおおおお…!! 解け、解けぇえ!!」
 戦人は、カセットテープにあらかじめ録音されている蔵臼の声を再生する。
 それは間違いなく、夫の声だった。
 しかし、夏妃の声には答えない。……暗闇で拘束でもされているのだろうか。蔵臼は、電話先に夏妃がいることにも気付かず、解け解けと繰り返していた…。
「……あんたの夫はここにいる。目も耳も塞いでるからね、話は出来ないけど、無事なのはわかってもらえたと思う。」
【夏妃】「な、何が目的ですか…!! 夫を解放して!」
「明日には解放するよ。二つ約束を守ってくれればね。」
【夏妃】「何ですか…!」
「一つは、あんたの夫を僕が預かっていることを秘密にすること。……屋敷ではその内、蔵臼の姿が見えないと騒ぎになるだろうけれど、カアサンは何も知らないから、何も口出し出来ない。……わかるね?」
【夏妃】「わ、わかります…! もう一つの条件は?!」
「……ちょっとしたゲームさ。今日の昼の1時になったら、屋敷の1階の、一番手前の客室に入り、クローゼットの中に隠れているんだ。」
【夏妃】「客室……? どうして私がクローゼットの中などに……!」
「ちょっとした隠れん坊だよ。誰にも見つからずに、そこで1時間隠れていることが出来たら、カアサンの勝ち。……もし誰かに見つかったら、カアサンの負け。」
【夏妃】「負けたら、……どうだと言うのですか……!」
「別に何もないよ。……遊びってそういうもんでしょ? この隠れん坊に付き合ってくれたら、明日には夫を解放するよ。」
【夏妃】「そ、……その約束、…本当に守るんでしょうね…。」
「もちろんさ。カアサンこそ守ってよ。……約束を破れば、僕にはすぐにわかる。」
 その時、突然、夏妃の部屋の扉が激しくノックされた。思わず心臓が飛び上がる。
 終盤の幻想法廷にて、ベルンの「右代宮蔵臼は犯人ではない。そしてとっくに殺されてるわ。あんたに電話で声を聞かせた直後にね?」という赤が出る。
 よって、源次あたりにどこかで殺されたと考えても良いが、EP5で事件途中での死亡が確定しているのは蔵臼のみであり、紗音が一族を皆殺しにする動機がいつもより薄いことを考慮すると、当初は殺すつもりではなかった可能性もある。
 その場合、監禁されている中で病気の発作等で死んでしまったとすれば、間接的に殺されたことになるため赤に矛盾しない。
【嘉音】「……奥様、いらっしゃいますか? おはようございます…!」
【郷田】「郷田と嘉音でございます! 奥様、どうかお目覚めを…!」
 扉の向こうから聞こえるのは嘉音と郷田の声だった。…ノックも荒々しいし、声も少し上擦っている。……何かおかしなことが起こって、興奮しているようだった。
「………何? どうしたの?」
【夏妃】「な、何でもありません。使用人が来たようです。もう切りますよ。」
「うん。僕の言いたいことは全部伝えたからね。………じゃ、約束、破らないでよ。」
【夏妃】「……わかりました。あ、あなたこそ、約束を破らないのですよ…!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「違うね。カアサンがそれを決めるんだよ。………僕に約束、破らせないでね。カアサン。」
【夏妃】「……………くっ……。」
【ラムダ】「今日一日、カアサンを見てるからね。くすくすくす、あはははは、をーっほっほっほっほ!」
 ガチャン!
 ラムダデルタは、受話器をアンティークな電話機に叩き付ける。すると電話機は粉々に砕けて黄金の飛沫に変わり、黄金の蝶の群となって消えた。
【ラムダ】「くすくす、踊って頂戴ね、夏妃! 19年前の罪に怯えながらね!! 私のターンも順調よ? さぁベルンもどうぞ!!」
【ベルン】「………どうせ無駄なんだろうけど、警察通報を通じて、内外の通信可否を確認。」
【ラムダ】「外線は使用不能〜! 内線は使えるみたい! 台風で船も使用不能! クローズドサークルの出っ来上がりかしらぁ! おめでと、これでベルンが完全に探偵に昇格ねぇ!」
 警察の介入は時に、探偵の権限の一部を奪う。しかし、クローズドサークルの完成により、警察の存在は永遠に否定された。これにより、探偵駒の権限は完全に保証される。
【ベルン】「はいはいありがと、ご馳走様。それじゃ、さっそくゲーム開始と行こうかしら。」
 ヱリカ、主人公はあんたよ。さぁ、始めなさい…!
客間
【留弗夫】「……げ、源次さんまでかよ?! ご、5人も殺されたのか?!」
【紗音】「は、はいっ。……あんな、……酷い……!」
【南條】「ゲストハウスの4人とまったく同じだった…。……すっぱりと、…ひどく鋭利な刃物で、……首を切られとる…。」
【嘉音】「……ぼ、…僕が深夜勤だったのに、……不審者に気付けないなんて……。」
【戦人】「自分を責めるんじゃねぇ。……もし犯人と鉢合わせだったら、命を落としてたのは自分だったかもしれねぇんだぞ。」
【秀吉】「その上、電話も通じんと来た…! この天気じゃ船も来んやろ。偉いことになったで…!」
【霧江】「……ということは、犯人はまだ私たちの身近にいる可能性が高い、ということだわ。」
【熊沢】「ひ、ひぇえええぇえぇぇえぇ…! では何ですか? 台風が過ぎて船が迎えに来るまで、私たちは人殺しと一緒にいるというわけですか…?!」
【郷田】「…だ、大丈夫ですとも。こうしてみんなで一緒にいれば、犯人だって手出しは…!」
【夏妃】「じぇ、……朱志香もなんて、………そんな………。」
【絵羽】「わ、私たちはみすみす殺されはしないわよ…!! 譲治の仇を討ってやるわ!! 許さない許さない! 誰が犯人だろうと何が理由だろうと、私は譲治の仇を許さない!! 殺してやるわ殺してやるッ!! うわああああぁあああぁぁあぁあぁ…!!」
【ヱリカ】「………はい、皆さん、泣き言は充分ですか? ご静粛に。……蔵臼さんはまだお見えにならないのですか?」
【紗音】「……さっきから電話をお掛けしているのですが、お出にならないのです…。」
【熊沢】「受話器が外れているとか……?」
【紗音】「いえ、呼び出し音はします。聞こえていないはずはないのですが……。」
【夏妃】「……………。」
【戦人】「ど、どういうことだ……? まさか、……蔵臼伯父さんも……?!」
【霧江】「…………やっぱりね。………こんな時に不謹慎だけれども、……ゲストハウスの4人に源次さんで5人。……もう1人いるだろうと、予想はしてたわ。」
【絵羽】「どうしてよ?! どうしてそんなことがわかるのよ?! あんたが犯人なの?! あんたが譲治を殺したのッ?!」
【南條】「や、やめなさい、絵羽さん…! 今はそんなことをしとる場合では…!」
 興奮した絵羽が霧江に掴み掛かる。南條が間に割って入ろうとして、揉み合いになっている……。その様子を見て、ヱリカは小馬鹿にしたように笑いながら肩を竦めた。
【ヱリカ】「でしょうね。ゲストハウスの現場を拝見した時点で、6人の犠牲は読めて当然です。4人しか死体がなかったので、あとの2人は誰だろうと思っていたくらいなので。」
【絵羽】「何でそんなことがわかるのよッ!! あんたが殺したの?! あんたが譲治をぉおおお!!」
【秀吉】「よ、よさんか絵羽ッ! ………ヱリカちゃん、霧江さん…! 何でそんなことがわかるんや?! 適当なことは言わんといてや…!」
【霧江】「…………簡単な連想よ。ゲストハウスの犯行現場に書かれていた落書きは魔法陣。魔法と殺人から連想するものを考えただけ。」
【留弗夫】「碑文、…………か…。」
【戦人】「……そうか…。………第一の晩、………か。」
【熊沢】「え? …え? どういうことですか…?!」
【郷田】「い、いえ、私にもさっぱり…!!」
【嘉音】「………そういうことか…。……魔女め……。」
【紗音】「これはやっぱり、………ベアトリーチェさまの仕業なの……?」
【絵羽】「あんたたち、何を勝手にわかった風なこと言ってるのよ!! 私にはさっぱりわからないわよッ!! 説明なさいよ誰かッ!!」
【秀吉】「だから絵羽…! 少し落ち着くんや…!!」
【夏妃】「…………………………。」
【ヱリカ】「……そういうことです。あの犯行現場の魔法陣を見た時点で、この殺人が、碑文の第一の晩をなぞった見立て殺人であり、犠牲者は6人であることは想像出来ていました。」
【ヱリカ】「……ただ魔法陣がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。……如何でしょうか、皆様方?」
【戦人】「………じゃあ、蔵臼伯父さんも…、殺されてるってのか…?」
【ヱリカ】「そうだとも決め付けられません。……ここに来ないのは蔵臼さんだけではありませんよ? もう一人いらっしゃいます。」
【夏妃】「………………ッ、」
 夏妃の眉間のしわが、一瞬だけ歪む……。やはり、……書斎へ話が及ぶことを避けられない…。
【留弗夫】「まさか、……親父ッ?! おい、誰か書斎には連絡したんだろうな?!」
【郷田】「も、もちろんお電話させていただきましたし、ノックもさせていただきました…。ですがその、お返事はなく…。」
【夏妃】「と、……当主様はご自身の研究に没頭されておいでです…。と、時に電話を嫌い、受話器を外し、ノックを無視することもあります…!」
【郷田】「…し、しかし、呼び出し音はちゃんと……。」
【夏妃】「と、とにかく…! 主人の無事を確かめる方が先です!! 主人の寝室へ行きましょう!!」
 夏妃は慌しく立ち上がると、廊下へ駆け出していく。すぐにその後を、待てよ夏妃姉さん!と叫びながら留弗夫たちが追う。
【ヱリカ】「…………さぁさ、皆さんもご一緒に。三流ミステリーも三流スプラッターも、単独行動を取る人から死にますよ。……あぁ、いわんやこのゲームもまた然り。……ベアトってば三流だわ。くすくすくすくすくす…!」
 あ、でも、三流パニックと三流アクションだけは、単独行動が生き残るのよね? おっかしい。くすくすくすくす!
 電話の相手は郷田でも嘉音でもないことが確定。当然ながら、嘉音と体を共有する誰かでもない。
魔女の喫茶室
【ベアト】「……もはや碑文は解かれたというのに。…誰が望んでこんな真似を……。」
【ロノウェ】「ラムダデルタ卿の駒と思われる、19年前の男、とやらの仕業かもしれません。……おっと、そんなはずもありませんが。」
【ガァプ】「……これまでのゲームで、すでにベアトは赤き真実で、金蔵が消えて、18人以上は存在しない、18人目は存在しないと明言しているわ。そして、今回はそれにヱリカが1人加わって、19人目が存在しないと明言されてる。19年前の男とやらが、島に入り込む余地なんてないわ。」
【ロノウェ】「ならば、19年前の男は既存のニンゲンの中の誰かが騙っているか、……さもなくば。」
【ベアト】「くっくくく! 赤で19人目が許されずとも、そこに19人目を紛れ込ませるなど、妾ならば魔女ならばっ、造作もなくやってのけるがな…! 面白くなって来たぞ、もうしばらく様子を見させてもらうとしよう。」
【ベアト】「それにしても、ラムダデルタ卿にベルンカステル卿め、いよいよに我がゲーム盤にて好き放題を始めよった…!」
【ロノウェ】「………わかっていて、お招きになったのではありませんか?」
【ベアト】「ふっ。……退屈を嫌うは、妾も魔女なれば同じこと。この想定外さえも、魔女なれば想定される喜びである。良かろう、受けて立とうぞ…!」
【ガァプ】「受けて立つのは上等だけど、……まずい流れよ。わかってる?」
【ロノウェ】「…………ですな。様子見を気取る段階とは、やや言い難いかと。」
【ベアト】「わかっておる。このまま行けば、金蔵の存在が再び蒸し返される。……書斎の結界も、長くはもたんな。」
【ガァプ】「それだけじゃないわ。さらに厄介な展開になるわよ。…………いい? 一手、二手、三手。……詰めて、……夏妃。」
 ガァプはベアトの耳元で、何かを囁く。次第にベアトの唇が切れ込み、……ニヤリとつり上る。
【ロノウェ】「……ヱリカが全員を集めたのは、むしろ我らには好都合です。観測者の及ばぬ全ての闇は、我ら悪魔のもの。……今を逃しては打てぬ手かと。」
【ベアト】「夏妃はキング。動けぬ駒なれど、取らせることは許されぬ! ……先手を取ろう。ここで失すると、夏妃が詰められる…! ガァプ、頼めるか?!」
【ガァプ】「もちろん! ……密室トリックもアリバイも、ミステリーなんて私がまとめて風穴を開けてあげるわ。………任せて。私が始末するっ。」
 ガァプは、座った椅子ごと、床に開いた漆黒の穴に飲み込まれて消える。その後に天井に穴が開き、椅子だけを吐き出し、元通りの場所に落っことす…。
【ロノウェ】「……厄介なことになりましたな。」
【ベアト】「ふ、……ふっふふふふふふふ。……なるほどな。ラムダデルタ卿にかかっては、妾すらも駒に過ぎぬというわけか。序盤は、駒の損得より展開を急げという。………くっくくく! 敵わぬなぁ、…あの御仁には! そうはさせぬぞ。夏妃は妾の仕える最後の主! このベアトリーチェと契約する限り、決して取ること叶わぬ駒と知れッ!!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「蔵臼の部屋は空っぽ。ベッドは空っぽだったけど、それまでの5人の殺害現場と同じで、おびただしい血痕が残されていたわ。」
【ベルン】「でも、死体はない。」
【ラムダ】「ないわねぇ。」
【ベルン】「じゃあ死んでない。」
【ラムダ】「ないかもねぇ。うっふふふふふふふふ…!!」
蔵臼の部屋
【絵羽】「……どういうこと?! 兄さんはどこにいるのよ?!」
【留弗夫】「この血塗れのベッドじゃな……。考えたくねぇが、ゲストハウスと同様に、…首を切られて殺されたと考えるのが妥当だろうぜ…。」
【南條】「………でしょうな…。この出血量では、…無事を考えるのは難しい…。」
【熊沢】「し、しかし……。旦那様はどちらに……。」
 ベッド上はおびただしい血で染まっているが、部屋の床にそれらしい痕跡はない。深手を負った蔵臼がどこかへ逃れたにせよ、あるいは殺され、遺体を運び出されたにせよ、……どこへ姿を消したのかは、想像もつかなかった。
【夏妃】「……………………。」
 ……夏妃は、知っている。電話向こうの蔵臼は、元気そうと言うのは酷い話だが、少なくとも瀕死の様子ではなかった。
 つまり、この血痕の跡は、見せ掛けだけなのだ。ひょっとすると、血でさえないのかもしれない…。
 ………しかし、あの男、……何を考えているの? …これは何の真似なの…?!
【秀吉】「何てこった………。……第一の晩に…、6人を生贄に、っちゅうのか……。」
【霧江】「………蔵臼兄さんには、自分の部屋の扉を施錠する習慣はないの? 私たちは今、鍵を開けずに入ったわ。」
【嘉音】「……いえ、旦那様にも施錠の習慣が。」
【郷田】「と、当家では、奥様のお言い付けにより、公共の場所以外は施錠が義務付けられております。」
【戦人】「蔵臼伯父さんの部屋を開けられる鍵は何本あるんだ?」
【紗音】「旦那様がお持ちの1本の他に、マスターキーが…。」
【ヱリカ】「あー、鍵がどうこうなんて、下らない論争です。……源次さんがすでに犠牲になっていることをお忘れですか? 彼のマスターキーは紛失しています。ですから、今やこの屋敷の全ての鍵は意味を成しません。」
【ヱリカ】「………つまらないですね。つまり、この屋敷には密室殺人は、今までもこれからも存在しないということです。……やれやれ。退屈なミステリーになりました。」
 ヱリカは、この殺人が、まるでテレビの向こうの出来事であるかのように、呆れながら笑い捨てる。
 ……理解できない。…どうしてこいつはこんなにも、“居る世界”が異なってるんだ? まるで、自分たちとは別次元の存在みたいだ…。
【夏妃】「……じぇ、…朱志香も、……こんな風に、……ベッドで?」
【留弗夫】「…………………。」
【絵羽】「……えぇ、そうよ。……譲治と同じに、首を……、切られて……。」
【夏妃】「……朱志香…。……朱志香に会わせて…。私、朱志香の顔さえ見てないんです…! ………朱志香、…朱志香ぁああぁ!!」
【秀吉】「ま、待つんや、夏妃さん……!!」
【南條】「まだ犯人が近くに潜んでいるかもしれない! 一人にさせるのは危険だ…。」
 夏妃は部屋を飛び出し、今度はゲストハウスへ駆け出していく。…無理もない。夏妃はまだ、朱志香の死に顔を見てさえいないのだから。
 誰もがそう思っただろう。………もちろん、夏妃も半分はそうだった。
 残りの半分は、……何とか書斎から彼らの興味を遠ざけたい一心だった。
 おかしな事件が起こり、黄金が発見され、戦人を次期当主に推薦する親族たちまで現れている。そんな滅茶苦茶な状況下でも、…………金蔵の秘密は守り抜かなければならない。
 ………あぁ…、…頭が、…もしも苦悩で割れるなら。……どうか今こそ、私の頭を、鳳仙花みたいに弾けさせて。そうすればもう、私は何にも苦しまなくていいのに………。
【ヱリカ】「では皆さん。夏妃さんのためにも、一度ゲストハウスへ戻りましょうか。……死に顔を見たって、何かが進展するわけではありませんが。」
【戦人】「………お前には心ってもんがねぇのか。」
【ヱリカ】「心? 何ですか、それ?」
 娘の死に顔を見たって、生き返るわけでもなければ、その痛みが癒えるわけもない。むしろ号泣するだろうし、正常な思考を可能にするまで、幾ばくかの時間を浪費するだろう。……ヱリカの暴論がまかり通るなら、そういうことになってしまう…。
 ……………………。死に顔を見たって、何かが進展するわけもない……?
魔女の喫煙室
【ラムダ】「進展するのよねぇ、それが! くっくくくくく。ベアトの駒たちが面白い変化をもたらしてくれたわ。くすくすくす!」
ゲストハウス・いとこ部屋
【夏妃】「こ、…これは、……………。」
 夏妃はゲストハウス2階のいとこ部屋に飛び込み、……血に染まったベッドや、まるで犠牲者の血で書いたようにさえ見える不気味な魔法陣に、絶句した…。
【夏妃】「……朱志香はどこ……? 朱志香はどこです…?! 朱志香ぁッ!!」
【郷田】「そこの、……ベッドに………。」
【夏妃】「ベッド? どこに?!」
【絵羽】「え? ……譲治は…? ど、……どこなの……?!」
【留弗夫】「おいおい、……こりゃ、……どういうわけだ……。」
【ヱリカ】「………この部屋はちゃんと施錠して行きましたよね。これで、犯人がマスターキーを持つことが確実となりました。またしても私の推理どおり。」
【戦人】「そんなことはどうでもいい…! どこに行ったんだ…。み、みんなの、譲治の兄貴たちの遺体はどこに行ったんだ…?!」
【ベルン】「…………ふふっ。面白い真似を。」
【ラムダ】「さぁさ、ほらほら、魔法よ〜? ベアトのとこのガァプが、魔法で死体をどこかへ隠しちゃったわ…!」
【ベルン】「……私たちは全員で一緒に行動していた。だから、全員にアリバイがあると?」
【ラムダ】「あなたの推理はこうでしょう? 実は4人は死んでなくて、死んだフリだった。それで、みんながいない間にどこかへ身を潜めた。正解かしらぁ?」
【ベルン】「誰の死亡宣言をも、赤では出す気ないんでしょう?」
【ラムダ】「当然よ。ベアトのクルクルパーと違って、私は濫りに赤をサービスしたりしないわぁ!」
【ベルン】「なら、喜んで青き真実を使わせてもらうわ。この程度のこと、いくらでも抜け道は思いつくもの。」
【ラムダ】「くすくす。はいはい、どうぞ〜! 青き真実ターイム!」
 源次の先導で、ゲストハウスで死んだフリをしている4人を地下貴賓室あたりに潜伏させる。ヱリカと夏妃にさえ見つからなければ良いので難しくはない。
 この5人は死んだことになっているが、実際に殺害されていなくても赤は通る。
【ベルン】「まず考えられる1つ目。実は犠牲者は死んでいなかった。死んだフリをしていて、こっそりどこかに隠れたのよ。何しろあんたは、誰の死亡についても赤き真実で宣言してないものね。
【ラムダ】「あっはは! 例え、傷口ばっくり見せられちゃっても、赤くなきゃそう来るわよねぇ基本よねぇ?! でも駄目よ。赤き真実なんてサービスしないわよぅ! 何しろ、ゲームの最後、10月5日24時にちょいと一ヶ所、否定すればいいんだもんねぇ!」
【ラムダ】「あぁ、魔女側は有利だわぁ! バカ戦人ならこれで終わるところでしょうけど、ベルンは違うわよねぇ?!」
【ベルン】「当然よ。こんなのは誰もが思いつく下らない一手。まだ続けるわよ。2つ目。遺体は蔵臼が運んで隠した。蔵臼は、あんたがさらってどこかに監禁されてるように演出されてるけど、実際はフリーなのかもしれない。蔵臼にアリバイはないわ。蔵臼が彼らの死体を隠したのよ。
【ラムダ】「あぁ、そうよねぇ。赤き真実で蔵臼の監禁を宣言したわけじゃないものねぇ。くすくすくす! 言うもんね、敵を騙すには味方から! 夏妃に、自分が捕らわれてるように嘘を吐いた、っと! うっふふふふふふ!! 他には?!」
【ベルン】「3つ目。そもそも死体が別人。犠牲者そっくりの身代わり死体よ。譲治たちは最初から隠れていて、その後に身代わり死体を片付けた。死体は最初から死んでるから、島の人数にはカウントされない。
【ラムダ】「あっはっはっははははははははッ!! 何それ超イカス!! つまり、あれだけの人間が寄って集って死に顔を見て、全員が全員、身代わり死体を見抜けなかったと?」
【ベルン】「赤き真実をあんたが行使しない以上、全員が全員、遺体の身元確認を誤認した可能性だってあるわ。あんたに、“誰も人物を誤認しない”って復唱要求に応える気があるなら、直ちに引っ込めるけど…?」
【ラムダ】「嫌ですよぉ〜だ♪ そんな挑発には乗らないわよぅ! 赤き真実はね、もったいぶるから効果的なのよ? たくさんの青き真実の中から、たった一つだけを選び、赤で叩き切る! そして、その他全ての青き真実は、それが正しかったのかどうかも明かされないまま、闇に葬られて消える!」
【ラムダ】「その闇こそ、魔女の世界! あんたに与えられる真実なんて、何も存在しないッ! うっふふふふっふっふっふ!!」
 ………ふふ。…この子、バカそうなフリして、なかなかだわ。決して挑発に乗りやしない。魔女の闇ってもんが何か、本当のゲームマスターのベアトより、よっぽど理解してるじゃない。
 そしてどうやら、ガァプもそれをよく理解してるみたい。……この死体消失の一手。ラムダとベアトの双方にとって、なかなか有効だわ。
 とりあえず、私も死体消失について、思いつく仮説を3つほど上げてみた。
 1つの謎に対し、3つの青き楔。だから、3つのうち、1つを否定すればいいわけじゃない。3つの楔を全て抜かない限り、この謎は貫かれてる。それが、魔女狩りの鉄則。
 楔は一本じゃ全然足りない。楔一本で死んでくれるのは吸血鬼程度。魔女に比べりゃ、吸血鬼なんて貧弱なもんよ。……本物の魔女はね、楔で滅多刺しにしなきゃ死なないのよ?
 殺し屋だってそうでしょ? 殺し屋がキレイに一発の弾丸だけで相手を殺すなんて、日本の漫画の中だけよ。本当の殺し屋なら、弾倉が空になるまで全弾ブチ込むわ。…………あんただって、そうするでしょう? 無論、私もよ。
 でもこんなの、この子のことだから、赤一つで一刀両断にしてくるでしょうね。彼らの死亡宣告と蔵臼の無実。この辺をちょいちょいっと赤で語るだけで、私の楔は三本とも抜けてしまう。
 まぁ、それでいいんだけどね。赤き真実が出てきたら、それに合わせて、再び青き楔で滅多刺しにしてやるだけのこと。………くすくすくす。それが、魔女のゲームの進め方。
 くすくす、あぁ楽しい…! 戦人のまどろっこしい戦いに、ずっとイライラしてきたから本当に楽しい…!!
 えぇ、わかってるわ、ラムダ。こんなの、第一の晩の最初の最初。前哨戦でしょ……?
 くすくす……。…そうでなくっちゃ…。………あんたをボロボロに負けさせて、悔し泣きさせて、床を這いつくばらせて掻き毟らせて! その可愛らしい髪の毛を掴んで床に擦りつけながら笑い転げる楽しみが薄れちゃうもの……!!
使用人室
 静まり返った屋敷の、使用人控え室……。毛布で頭まで覆われた、源次の遺体が横たわっている……。
 その狭い部屋の天井に、漆黒の穴が開き、……艶かしい足が生え、…ガァプが舞い降りる。
【ガァプ】「………ごめんね、源次。そこでゆっくり永眠してたいだろうけど、そういうわけにはいかないの。右代宮家の最後の当主、夏妃に死してなお奉公するために、ここから消えてちょうだい。」
 ガァプは毛布を捲り、安らかに眠る源次に、そう語り掛ける…。そして深く刻まれた首の傷をじっと見る…。
【ガァプ】「………見事な切り口じゃない。……まさに一刀で斬ったのね。………こんな真似が出来るヤツが、顕現しているの……? 嫌ね。…これが可能な心当たりのあるヤツに、ろくなヤツがいないわ。」
 言うに及ばず、魔女は己の格に比例して、強力な存在を召喚できる。あの大ラムダデルタ卿が、とっておきの19人目として呼び出したのだ。……楽観的に見積もってさえ、その格は、自分やロノウェと同等…。
 ベッドに漆黒の穴が開き、まるで源次をベッドの中に飲み込んでしまうように消し去る。源次の死体もまた、ゲストハウスの4人と同様に、どこか見知らぬ場所に隠されてしまう…。
 そこはこの世ともあの世ともつかない、誰にも見つけることの出来ない場所……。もう誰も、彼らの遺体を見つけることは出来ない。もう誰も、彼らの死亡を宣言できるものはいない。
 そんな、誰にも乱されることの決してない永遠の静寂に、源次の遺体は運ばれる……。
【ガァプ】「死体がなければ行方不明。……行方不明扱いとは、犯人と疑われ、同時に犠牲者とも疑われる、まさに猫箱の中身そのもの。……開かれることの決してない猫箱の中の暗闇こそ、我ら悪魔と魔女の住処…! 一手遅かったわね、名探偵さん。……ふっふふふ…。」
 ガァプは舌なめずりをすると、ごくりと喉を鳴らす……。
【マモン】「……どうしてガァプさまは死体を隠して回るのかしら?」
【アスモ】「知ぃらない。でもガァプさまって、何かカッコイイよねぇ。何て言うのか……、惚れるわぁ。」
【サタン】「バカ言ってんじゃないわよ、見張りはどうしたの?! ニンゲンたちがゲストハウスから戻ってくるわよ!! ガァプさま…!」
【ガァプ】「えぇ、退散するわよ。………これで、何とか夏妃に逃げ道を作れたはず…。」
 ガァプは足元に開いた漆黒の穴に飛び込む。私も入る!と叫んでマモンが飛び込むと、私も私もと叫んでアスモも、きゃっきゃっとはしゃぎながら飛び込む。
 サタンはどうしようかと迷っている間に、穴が閉じてしまった。
【サタン】「れ、煉獄の七姉妹ともあろう者が、…こ、子供みたい。バカみたい…!」
 真っ赤になって、一人怒りながら、サタンは黄金の蝶になって姿を消すのだった…。
魔女の喫茶室
【ロノウェ】「………ガァプが5人の死体を無事に移動させたようです。」
【ベアト】「ご苦労であった。……しかし、次が厄介であるぞ。」
【ロノウェ】「源次の死体の消失に多少は驚くでしょうが、彼らの次の関心は再び、金蔵の書斎に向くでしょう。」
【ベアト】「……書斎の鍵は2本。…夏妃が全て所持していて幸運であったな。もし源次に1本を預けたままであったなら、それは今頃、ラムダデルタ卿の手に落ちていたであろう。」
【ロノウェ】「どうやらラムダデルタ卿は、金蔵の死を隠すつもりは、さらさらないようですな。……お嬢様が築き上げてきた、堀も塔も城壁も、……全て見捨てて戦われるつもりのようだ。」
【ベアト】「ふ、……ふふふふ。おかしな三角対決になったものよ。我等はそれぞれが敵であり、時に意図せずして連携しておる。……三つ巴が、2対1になったかと思えば、逆に1対2にもなる。……ほらあれだ。中国のバトルロイヤル! 三国志とやらに似てるとは思わんか?」
【ロノウェ】「天下三分の計ですな。お嬢様にしてはずいぶんと高尚な例えですよ、ぷっくっく…!」
【ベアト】「三国志って、三つ国があったではないか。魏と呉と蜀だったか? まるで妾たちであるな。……はて、最後に勝ったのはどの国であったか?」
【ロノウェ】「……最後に統一したのは晋です。お嬢様の仰られる三国は全て滅びました。」
【ベアト】「ほぅ。…………これは知らなかった。てっきり、三国のどれかが勝者になったとばかり。魏が圧倒的に優勢だったのではないか…?」
【ロノウェ】「帝位を腹心に奪われ、国を乗っ取られて滅びました。」
 ……曹操が参謀として招いた名門、司馬氏は、やがて権力闘争で中枢を支配し、最後には国を乗っ取ってしまう。
【ベアト】「………参謀として招き、……乗っ取られるか。………くくくく、……面白いぞ。……ラムダデルタ卿め……! くっくくくくくっくくっくくくくッ!!」
【ルシファー】「失礼いたしますっ。……ニンゲンたちは、使用人控え室にて、源次の死体消失を確認。……ゴールドスミス卿の書斎に移動を開始しましたっ。」
【ガァプ】「リーチェ。……来るわよ。」
【ベアト】「ふっ、……来るがいい。ニンゲンどもに、……絶対と奇跡の魔女どもめ…。」
 これが三つ巴の戦いなら、ニンゲンと魔女と、………妾たちは何だと言うのか…? 守るものがとりあえず、金蔵の幻だというのなら。
【ベアト】「……我等は、………幻、か………。……ふふ、……ふっふっふっふっふ…。」
 誰でも思いつく推理が正解だが、そうではないような言い方をして惑わせてくる、お馴染みのパターン。

魔女を貫く十の楔
10月5日(日)08時04分

金蔵の書斎前
【夏妃】「……お父様…、夏妃です。おはようございます…。」
【絵羽】「そんなので起きるわけないでしょう?! お父様、絵羽です! 起きて下さい! 大変ですッ!!」
 絵羽は夏妃を押しのけ、力任せに何度もノックを繰り返す。
【夏妃】「お、お静かに…!! 騒々しいにも程があります…!」
【絵羽】「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょうッ?!?!」
【ヱリカ】「…………電話にも出ず、ノックしても音沙汰はなしですか。参りましたね。」
【南條】「…き、…機嫌をまた、損ねられているのかもしれませんな…。金蔵さんは時に、ほんのわずかの変化であっても、それに吉凶を感じ、本人以外には与り知れぬ理由で機嫌を損ねたりします…。」
【熊沢】「ほ、……ほほほ…。そうですわねぇ…。こういうのは、何も今日だけに限ったことじゃありませんものねぇ…。」
【戦人】「祖父さまって、…そこまで書斎に閉じ篭ってんのか?」
【紗音】「……はい。……1ヶ月以上も、書斎を出られないことも珍しくはありませんので…。」
【郷田】「……ここだけの話、……勤めている私でさえ、時折、お館様がいらっしゃられることを忘れることがあります…。」
【夏妃】「郷田っ。使用人にあるまじき発言ですよ!!」
【郷田】「しッ、失礼しました奥様…、誠に失礼しました……。」
【秀吉】「とにかく、…連絡が取れんのはまずいんとちゃうか。下手したらお父さん、事件が起こってることさえ知らんのやで?! なぁ?!」
【嘉音】「……さ、さぁ、どうでしょう………。」
 嘉音は、金蔵の存在が疑われ始めている気配を敏感に察し、言葉を濁す…。
【霧江】「……………最後にお父様に会ったのは誰…? ……いつ?」
【夏妃】「わ、…私です。昨夜、……戦人くんが黄金を見つけたと騒ぎになる直前まで、お父様の書斎で、一日の報告をしておりました。」
【ヱリカ】「………昨夜の23時頃ですね。」
【留弗夫】「……止むを得ねぇ。ここを開こう。」
【夏妃】「な、何ですって…?! ここは当主様の大切な書斎であり、研究室です! 許可なく侵すなど、誰にも許されませんよッ?!」
【絵羽】「ここにいる最高序列者は誰? 私よ?! 右代宮家序列第三位のこの私! もし開けてお父様にお叱りを受けるなら、それもまた最高序列者の役割よ。緊急事態に付き、ここを開けるわ。……鍵あるんでしょ? 開けなさい。」
【嘉音】「ご、……ご存知とは思いますが、書斎の扉はマスターキーでは開きません。」
【紗音】「あの、……最近は源次さまからも鍵をお取り上げになられ、2本の鍵は全てお館様がご自身でお持ちになっておられました。……ですのでその……、」
【戦人】「………この扉を開ける2本の鍵が、全て、書斎の内側にあるってわけか。」
【ヱリカ】「密室っ。………グッド。やっと少し面白くなりました。……これで、書斎の中で金蔵さんが、ベッドで首を切られて死んでいたら、なかなか面白いですね。」
【夏妃】「不謹慎が過ぎますよ、ヱリカさんッ!! と、……とにかく、おわかりの通り、この扉は、お父様が持つ鍵でしか開きません。」
【夏妃】「……つまり、外からお父様に接触することは、殺人犯であっても不可能ということです! ですから、当主様が無事であるのは間違いありません…!!」
【絵羽】「だからって、お父様の安否を確かめなくていいって論法にはならないでしょ。あなた、尊敬するお父様の無事を、そんなに確かめたくないのぉ……?」
【夏妃】「………そ、……そういうわけでは…、」
 それまでの興奮した雰囲気が一気に冷め、……おかしな空気になり、全員が夏妃を凝視する。
 ……夏妃が書斎を守るのは、平時であればわかる。尊敬する金蔵の研究を邪魔したくなく、不愉快な親族たちを遠ざけているのだろうと、一定の理解も出来る。
 しかし、……今は非常時なのだ。殺人事件が起こったのだ。そのような状況下でも、なお、金蔵の沈黙を守ろうとする夏妃の固執は、常識的に考えて理解し難いものだった。
【ヱリカ】「………今、この島で起こっている殺人事件は、おそらく、碑文をなぞる見立て殺人になると思われます。……事件は続くものと考えるのが妥当でしょう。」
【ヱリカ】「あの碑文を、見立て殺人だとして見直すなら、さらに事件は続き、合計で13人の命が奪われる計算になります。………13人という犠牲者が、どれほどの人数か、ご存知ですか?」
【留弗夫】「……おいおい。この島に何人いると思ってんだ。……その、ほとんどってことじゃねぇか…。」
【ヱリカ】「ノンノン。違います。………私の知る限り、ミステリー史で、もっとも死者が出る連続殺人は、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の10人です。日本ミステリー界では、多分、島田荘司の『占星術殺人事件』ではないかと。まぁ、こっちは10人未満ですが。」
【ヱリカ】「……知ってましたァ? このまま13人死ぬと、世界ミステリー史で最悪の快挙、最高の名誉、13人連続殺人事件が完成するんですよ? それどころかもし、この島の全員を殺してしまったら。……何と、世界最高の連続殺人ミステリーと、日本最高の連続殺人ミステリーを足したよりも多い、歴史的快挙の連続殺人ミステリーが起こってしまうことになるかもッ?! ……ねぇ、知ってました? 皆様方ァ?」
【ヱリカ】「この事件のハンニン、……全世界全歴史のミステリーを塗り替えかねない、とんでもない挑戦をしてるんですよ? ……もちろんそんなの皆様方は、とっくに気付いてましたよねェ……? 推理好きならクリスティは必読。日本人なら島田荘司は読破してて当然ですから。……皆さん、ホントに読書、足りてますゥ? くすくすくすくす、くっくくくくくくくくく………。」
【戦人】「…………駄目だな。」
【ヱリカ】「へぇ………?」
【戦人】「なら、お前もまだ、読書が足りてねぇぜ。」
【ヱリカ】「何か私、間違いを言いました…?」
 さっきまで一人、上機嫌そうに饒舌だったヱリカの表情は、睨みつけるような不快な表情に即座に変わる…。
【戦人】「日本ミステリー界の話だが。……『占星術殺人事件』より、坂口安吾の『不連続殺人事件』の方が先だぜ。」
【ヱリカ】「…………………っ。…………………に。………人数、同じじゃないですか。」
【戦人】「記録はタイだが、『不連続殺人事件』の連載開始は1947年だ。『占星術殺人事件』は1981年だぜ。……あんたくらい博識なら、『不連続殺人事件』を先に挙げるべきじゃなかったのかい。」
【ヱリカ】「…………ん、…………………く。」
 ヱリカは、憮然とした、…という表現では足りないくらいの形相で戦人を睨み、両腕をぷるぷると震わせながら、言葉を失っていた……。
魔女の喫煙室
【ラムダ】「あっははははははっはっはっは、きゃーっはっはっはっはっはっはッ!! 何これダッサぁイ、超ウケルー!!」
【ラムダ】「まー、仕方ないわよねぇ? 『占星術』は、事件が起こるのが1936年だもんねぇ? それと混同しちゃったのよねぇ? うっひっひひっひひっひゃっはっはァア!!」
 ラムダデルタは、テーブルを両手でバンバンと叩きながら笑い転げる。屈辱に堪えていたベルンカステルも、唐突に噴出すと、同じようにテーブルを笑い転げながら叩き出す。
【ベルン】「ふ。……………くっくくくくくぁっはっはっはははははははッ!! オモシロイオモシロイ!! ぎーっひっひっひひひひひひひひィ!! ………やるじゃない、戦人の駒。ぐぐっひっはっひゃっはっはっはっはっははははははははっはっはああぁああッ!!」
金蔵の書斎前
【ヱリカ】「………尊敬します。……戦人さんって、結構、……読んでますねぇ?」
【戦人】「本? 読まねぇよ、全然な。」
【ヱリカ】「………嘘ばっかり。……かなり、……博識じゃないですか。」
【戦人】「“本を読んでる”なんてご大層なこと、俺にはとても言えやしねぇぜ。……“本を読んでる”ってのはな、年にほんの百冊も読まないようなヤツが、迂闊に口にしていいことじゃねぇんだぜ……?」
【ヱリカ】「こ、……駒の……分際でぇ…ぇ……。」
【秀吉】「あ、……コホン。…と、とにかくやな、そんな大事件に発展させるわけにはいかんで…!!」
【留弗夫】「そうだな。とにかく、今は親父の安否を確認するのが最優先だ。しかしどうする。電話もノックも無視。鍵は内側。これじゃお手上げだ。この分厚い扉をブチ破るのか? ……そいつは難儀な話だぜ。」
【絵羽】「ひょっとするとお父様は、何者かに襲われて大怪我をしていて、誰かの助けを待っているのかもしれない。……この非常時だもの。お父様だってわかって下さるわ。それで叱責があるようなら、私が甘んじて受けようじゃない。」
【夏妃】「…………し、しかし、扉を破るなど、あ、あまりに無礼な……。」
【霧江】「窓は………?」
【ヱリカ】「そ、……そうです。窓です。……3階の窓まで届くハシゴか何かはありませんか? 窓を破れば中に入れるはずです…!」
 ヱリカはようやく気を取り直し、場を仕切るような口調に戻る。
【熊沢】「3階の窓なんて、…き、危険でございますよ……。」
【留弗夫】「やって見なけりゃわからねぇさ。3階まで届くハシゴはねぇのか?」
【嘉音】「園芸倉庫のハシゴには、そこまでの長さはないかと……。」
【郷田】「……あぁっ、なら、ボイラー室のハシゴはどうですか? 以前、雨どいの上に鳥が巣を作った時、それを使った覚えが…! えぇ、あれなら届きますとも、間違いありませんッ。」
 嘉音に心当たりがないものを、自分が思い当たったことがよほど嬉しかったのだろうか。鬼の首を取ったかのように、ほくほくしながら、一同の顔を見回す。夏妃に褒めてもらえるものと期待したようだが、夏妃は、ついっと目を逸らす…。
 もちろん、嘉音だってそのハシゴの存在は知っていた。……しかし、金蔵の秘密を守るために、わざと失念していたフリをしたのだ……。
【紗音】「この天気ですし風も強いです…。いくら何でも危険では……。」
【南條】「同感だ。大怪我をしても、明日までは病院にも行けないのですぞ…?!」
【霧江】「……中庭なら、風の影響が少ないかもしれないわ。とりあえず、様子を見てみる価値はあると思うけど。」
【郷田】「いやしかし、3階までとなるとなかなかにこれが大変…! 鳥の巣の片付けの時も、ほとんどの使用人たちが尻込みしてしまい、それをこの不肖、郷田が大役を買って出て見事に果たしたのです。うっははははははは…!」
【秀吉】「よし、何の問題もないで! 何しろ、届くハシゴに、」
【絵羽】「実績のある人間もいるんだし。」
【郷田】「…………はっははははは、………はい?」
中庭
 中庭は、四方が囲まれているため、雨は激しくとも、風の影響はほとんどなかった。幸いにも、屋根が張り出しているため、雨の影響も多少はマシで済みそうだった。
【留弗夫】「よし。ハシゴを立て掛けてみるか。……気を付けろよ。怪我すんなよ。」
【戦人】「おう…。」
 高所作業用の特別なハシゴを、留弗夫と戦人が二人掛りで運んでくる。
 2つの傘が二人を追う。紗音と嘉音が傘を持ち、彼らを雨から庇っていた。
【留弗夫】「俺たちは濡れても平気だぜ。ひさしの下に戻ってな。……郷田さん! 膝の調子は悪くても、ハシゴくれぇは押さえられるだろ?!」
【郷田】「は、はいはいはいはい…! ヒアルロン酸さえ充分なら、ハシゴもするするなのですが…、いや、本当に申し訳ない…。」
 紗音、嘉音と入れ替わりに、郷田がばたばたと駆けて来る。その様子を見て、霧江はくすくすと笑うのだった。
【戦人】「親父、金槌。」
【留弗夫】「おう。……戦人、お前、アスレチックは好きか?」
【戦人】「アスレチックより、日曜大工を頑張るカッコイイ親父が好きだぜ♪」
【留弗夫】「こいつゥ。………やれやれ、たまにゃ息子の前でいいとこ見せてみるか。戦人、郷田さん。ハシゴ、しっかり押さえててくれよ。あと、ちゃんと上を見てろよ? 俺が手を滑らせて、この金槌を落っことしちまうかもしれねぇからなぁ。」
【戦人】「安心しろよ。キャッチして、親父の頭をカチ割ってやるぜ。」
 窓を割る為の金槌をポケットに入れ、留弗夫は指の骨を鳴らす仕草をしてから、ハシゴを上り始める……。
 作品名をガンガン出した会話が書けるのは同人作品ならでは。コンシューマ版は固有名詞を避けようとするあまり、不自然な会話になってしまっている。
【紗音】「留弗夫さま、……大丈夫でしょうか……。」
【霧江】「大丈夫よ。あの人、アクション映画向きだし。それにスポーツだって得意なんだから。」
【留弗夫】「……得意のスケートが、ハシゴ登りにどう役立つか聞かせて欲しいぜ…。……♪俺はぁ、イナ・バウア〜、常に大ピンチ〜…っとくらぁ。」
【霧江】「なんだかんだ死なないから大丈夫よ。……それより、鎧戸が下りてなくて幸運だったわ。お父様の書斎では夜、鎧戸を下ろす習慣はないの?」
【紗音】「い、いえ。お部屋に入ることが許されている時には、朝と夜に開け閉めを致します。」
【嘉音】「……ただ、ここしばらくは不要とのことでしたので、開けっ放しになっていたと思います。」
【霧江】「なるほど。……………お父様は、お怒りになるわよねぇ? お休み中に、息子が窓を割って入ってきたら。」
【嘉音】「……それは、…おそらく……。」
【霧江】「窓を割らずに済むといいわね。」
【紗音】「……………………。」
 紗音も嘉音も、…金蔵がこの世に存在しないことを知っている。可能な限り妨害するよう、夏妃に命じられているが、……ここに至っては、二人に出来ることは何もない。
 ……3階の窓まで届くハシゴの存在を、知らん振りすることによって、一応は妨害したのだが…。郷田の見栄っ張りのせいで、ハシゴは見つけられてしまった…。
 留弗夫が慎重にハシゴを上っていく。
 ……もうじき、3階の窓に至る。その様子を、……紗音と嘉音は、不安そうに、じっと見守っていた……。
 これから、……どうなるんだろう。自分たちは。奥様は。……お館様は。
 ……もうじき、留弗夫は窓に至る。
金蔵の書斎
【ベアト】「……この部屋の結界も、もはやこれまでか。」
【金蔵】「ははっ。城壁を乗り越えようと、兵がよじ登って来るぞ。まさに落城は目前というところよ。………私に、いつでも消え去る覚悟は出来ておるぞ。」
【ベアト】「そうは行かぬ。泥を啜ってでも生き延びてもらわねばならぬでな。……後のことは考える。今はここを逃れよ。」
【金蔵】「とは言え、どうしたものか。……廊下には未だ絵羽たちが陣取り、窓には留弗夫が迫っている。扉にも窓にも、退路はないぞ。」
【ロノウェ】「ならば、ベッドの下に隠れ潜むも、ありかと。」
【金蔵】「……ふっ。私には、玉座にて待ち受けることさえ許されぬか。」
【ベアト】「そなたの人生ならばそれも潔し。しかし、今のそなたは妾と夏妃に生かされる亡霊よ。亡霊は亡霊らしく、ベッドの下かクローゼットに潜むと相場が決まっておるわ。」
【金蔵】「その程度のことで、ヤツらの目を欺けるのか…? やれやれ。」
【ガァプ】「………大丈夫。私がついてるわ。最後の瞬間には、私があんたを脱出させる。」
【金蔵】「危険だぞ。悪魔とて、反魔法の毒素に焼かれればただでは済むまい。」
【ガァプ】「大丈夫よ。………それに私、そのくらいヤバくないと、ドキドキしないのよ。」
【金蔵】「頼もしいではないか。……わかった。私はベッドの下に隠れよう。」
【ロノウェ】「………お嬢様。留弗夫がもうじき窓に。」
【ベアト】「ガァプ。気が変わった。妾がここを守る。そなたはロノウェと身を隠せ。」
【ロノウェ】「何ですって…。話が違います。ここはガァプに任せ、お嬢様は避難されることになっていたはずです。」
 大抵の気まぐれには慣れているはずのロノウェが、久しぶりに驚く。
 ……ベアトは強力なクイーンであると同時に、危険を冒せぬ大駒でもある。強力ではあっても、無策に前線に駆けるのは、褒められた指し手ではない。
【ガァプ】「何の気まぐれ…? …………………。」
【ベアト】「ただの気まぐれだ。そなたに任せて紅茶を啜ってられるほど、妾は退屈を愛してはおらぬのでな…! さっそく暴れてみたくなっただけだ…!」
【ガァプ】「……………………。……わかったわ。あなたのゲームだもの。あなたの好きにするといいわ。私は消した第一の晩の死体が暴かれることがないよう、しっかり見張っていることにする。」
【ベアト】「済まぬな、そなたの見せ場を奪って。」
【ロノウェ】「………よろしいのですか、お嬢様。」
【ベアト】「妾は目立つのが三度の飯より好きであることは、そなたも知っておろうが。ガァプの出番も食ってしまっただけだ。気にするでない…!」
 ……ロノウェもガァプも沈黙している。二人とも、すでに気付いているのだ。
 古戸ヱリカを駒とする、ベルンカステル卿は、恐ろしい相手だ。……戦いもまた、恐ろしいものになるだろう。友人であるガァプを危険に晒せないのだ……。
 ベアトは強がり、そうではないと言い張るが、ロノウェとガァプには、もうそれはわかっていた。
 だから、ベアトのその決意をもう一度だけ確認し、揺ぎ無いことを知ると、……静かに頷いてそれを認める。
【ガァプ】「わかったわ。……この場はあなたに任す。応援してるわ。………気をつけて。」
【ベアト】「うむ。妾の活躍を、存分に見守るが良かろう…!」
【ロノウェ】「……恐らく、ベルンカステル卿は、金蔵の不在を密室議論から看破してくるでしょう。……密室での戦いは、本来、ガァプの方が得意とします。……クイーンは広い場所で戦ってこその支配者です。……楽な戦いにはなりませんぞ。」
【ベアト】「百も承知よ。妾は今、夏妃に仕えておるのだ。その夏妃の危機を、ガァプに任せて高みの見物では、妾の筋も通らぬわ。」
【ロノウェ】「…………かしこまりました。……ご武運を。」
【ガァプ】「気をつけて…。……完全に密室にされたら、私たちも助けに入れないのよ。」
【ベアト】「ちょいと鼻であしらい、ヤバくなったら、金蔵を引っつかんで逃げ出すだけだ。簡単なものよ。扉に窓に、過去に未来に、いくらでも逃げ出す場所はあるわ。密室になどさせるものか。」
【ガァプ】「……姿はなくとも、すぐ近くで応援してるわ。……がんばって。」
【ベアト】「うむ。」
 ガァプとロノウェは、黄金の蝶の群となって姿を消し、金蔵もベッドの下の暗闇に溶け込む。
 そしてベアトもまた黄金の蝶の群となり、書斎の中に溶け込むのだった…。そして書斎から一切の人影と気配が消え、元より誰もいなかった沈黙を取り戻す…。
 そして、……ぬぅっと、窓のカーテンの向こうに留弗夫の影が現れた。
【留弗夫】「親父…!! いるなら返事をしてくれ! 親父ぃ!」
 怒鳴りながら、窓を叩く。足元は不安定で、ただ窓を叩くだけでも命懸けの気持ちだった。
 しかし、さすがは見栄っ張りの留弗夫。下で大勢が見守っているから無様な真似は出来ないと、高所の恐怖を捻じ伏せ、堂々と窓を叩いていた。
中庭
【戦人】「………祖父さまめ、聞こえてねぇのか…?」
【郷田】「ど、どうでしょう…。金槌を落とさないでくれると嬉しいのですが…。」
【霧江】「何秒経った?」
【嘉音】「……窓を叩いてから、今、30秒経ちました。」
【紗音】「あの、……やっぱり、わ、……割るのですか? その、お館様が…大層お怒りに…。」
【霧江】「その怒りを受けるのは自分の役目と、豪語して下さる方がいるから大丈夫よ。……留弗夫さん! 充分よ。やって…!」
【留弗夫】「おう…! ………親父め、割った後で文句言うんじゃねぇぜ。」
金蔵の書斎
 何度も叩き付け、ようやくガラスに握り拳大の穴が開く。
 足場が悪いせいで、ずいぶんと手間取ってしまった…。金槌の先を器用に使い、脆くなったガラス片を払って穴を広げ、そこから手を突っ込み、鍵を開けた。
 そして、苦闘の末、何とか窓を開き、留弗夫の体が書斎に滑り込む。そして、床にどっかりと転げ、大地のある安心感を全身で味わった。
【留弗夫】「………親父! 留弗夫だ。返事をしてくれ!」
 金蔵の書斎は、屋敷の内側に作られた小さな別荘とさえ呼んでもいい。書斎。書庫。寝所。そして風呂場に水場。複数の部屋で構成されている。……なるほど、これだけあれば、書斎からまったく出ずに過ごすことも難しくない。
 ベッドは空っぽだった。抜け出したような痕跡はあるが、姿はどこにもなかった。
【留弗夫】「……忍者映画だと、よくこうするよな。布団がまだ温かい、遠くには行ってないはずだっ、てな。」
 留弗夫は布団に手を突っ込んでみるが、何の温もりも感じることは出来なかった。温もりがないどころか、……完全に冷え切っている。そして、冷え切っているのは布団だけではない。
 ……部屋の空気や、……気配と言えばいいのか、…そういう、温もりのようなものが冷え切っているように感じられた。留弗夫には、金蔵がこの部屋を抜け出したのは、ずいぶん前のように感じられた…。
【留弗夫】「……しかし、清掃は行き届いてるぜ。生活の痕跡はある。……………………。」
 ベッドの乱れ。椅子のわずかな歪み。ベッドメーキングに誰かが訪れれば、必ず直される痕跡が、いくつか散見される。
【留弗夫】「親父が寝床を抜け出したのは、デタラメに見積もって、数時間以上前ってことなのか?」
 それは、凄惨な殺人事件の時間帯と重なってくる。……やはり、金蔵の姿がないことと事件は、まったくの無関係とは言い切れないようだった。
 とりあえず留弗夫は、窓から身を乗り出し、中庭の霧江たちに、鍵を開けるから3階に戻って来いと告げる。そして、書斎机のボタンを押し、扉のオートロックを解除した。
 ゴトリゴトリと重々しい音がし、すぐに夏妃たちが駆け込んできた…。
【夏妃】「お、……お父様……。おはようございます…。」
【留弗夫】「親父じゃなくて悪ぃな。……開けたのは俺だ。」
【ヱリカ】「………金蔵さんは、いらっしゃいましたか?」
【留弗夫】「いいや。……ベッドを抜け出した跡はあったが、いつ頃抜け出したのかもはっきりしねぇ。」
【絵羽】「最後に会ったのは夏妃姉さんよね…? 昨夜の11時頃。それ以降に、書斎を抜け出して、どこかへ行ってしまったということなのかしら…?」
【夏妃】「そ、……それは……。で、でも、お父様は、気まぐれな方…。唐突に、夢で啓示を受けたと言い出して、深夜に起き出して、お屋敷の中を歩き回るようなこともよくありました。そうですよね、南條先生…?」
【南條】「ん、……た、確かにそういうこともありましたな…。…とにかく、……その、気まぐれな方だ。な、なぁ、熊沢さん…。」
【熊沢】「…ほ、…ほほほ。そうですわねぇ…。何か、おかしな夢でも見て、寝床を抜け出したのかもしれませんねぇ…。よくあることでございますとも、えぇ……。」
【秀吉】「じゃあ、抜け出してどこに行ったっちゅうんや…! お父さん、…ひょっとして事件に巻き込まれた可能性も高いんとちゃうんか?!」
【絵羽】「…………ほらね? お父様の安否を確かめるべきだったでしょう?」
【夏妃】「…ん…………………。」
【絵羽】「この部屋にいないとは限らないわ。ひょっとすると、犯人に縛られて、クローゼットの中に閉じ込められているということもあるかもしれない。」
【ヱリカ】「………ですね。探しましょう。」
【夏妃】「と、……当主様の大切な書斎ですよ…。濫りに物に触れないように…!」
【ヱリカ】「あぁ、そうだ、犯人さんに申し上げて起きます。」
 突然、目の前で言われ、夏妃の心臓が凍りつく。
 ……しかしそれは、たまたま夏妃の正面にいたからそう見えただけで、ヱリカは全員に等しく言ったのだ。……夏妃だけに向かって言ったわけではない………。
 夏妃は背を向け、ひびの浮かんだ表情を悟られまいとする…。
【ヱリカ】「……私、記憶力は写真並ですので。何かの証拠を隠蔽しようとして、現場を改竄すれば、すぐにわかります。……こんなところでボロを出して、私を失望させないで下さい。フーダニットが、犯人のボロや失言で特定できるミステリーなんて、三流だと思いません?」
【夏妃】「…………な、…何を言っているのかわかりかねますが、不謹慎な発言は慎むように。……お父様、いらっしゃいませんか…! お返事をして下さい…!」
 夏妃は、お父様と大きい声を出しながら歩き出し、ヱリカのそれ以上の言葉を続けさせない。
 ノックがある。中庭に下りた霧江たちが戻ってきた。
【霧江】「やっぱりお父様はいない?」
【留弗夫】「どっかに、ふん縛られて閉じ込められてるかもな。それを捜すところだ。」
【戦人】「…………よくこんなところに、いつまでも閉じ篭っていられるもんだぜ。」
【紗音】「………………………。」
【嘉音】「……諦めよう、姉さん。……もう、なるようにしかならない。」
【紗音】「奥様は、……どうなさるつもりかしら……。」
【嘉音】「……自分で吐いてきた嘘のツケさ。」
【熊沢】「………シッ。…運命は神様に委ねましょう。」
【紗音】「は……、…はい……。」
【嘉音】「………………。」
 大勢が、どやどやと金蔵の広大な書斎を見て回る。
 クローゼットの中や浴槽の中。それこそ冷蔵庫の中や書斎机の下まで。……まるで隠れん坊の鬼にでもなったかのように、色々と捜した。
 ……しかし、金蔵の姿は愚か、不審な痕跡の一つさえ発見できなかった…。
【夏妃】「と、当主様がお留守であることは明白でしょうに。……もう充分です。これ以上、当主様の大切な書斎を荒らさないように。」
【熊沢】「そうですよそうですよ…。お館様は、勝手に物を動かされるのを、何より嫌いますからねぇ…。」
【絵羽】「お父様の姿はどこにもないわ。………やっぱり事件に巻き込まれたのかしら…?」
【夏妃】「………そ、そうと決め付けるわけにも行きませんが…。」
 夏妃は再び目を逸らす。
【ベアト】「……大丈夫だ、夏妃。」
【夏妃】「……まさに背水の陣、というところですね…。万一、書斎に踏み込まれた時には、どこかへ散歩にでも行っているのだろうと誤魔化すつもりでいました。……しかし…。」
【金蔵】「ふっ。殺人が起こり、大勢が殺された屋敷内を、のんびり真夜中の散歩と洒落込んでいた、では誰も納得はするまいな。私ならばむしろ本当にやりかねんが。」
【ベアト】「こらこら、金蔵。大人しくベッドの下に隠れておれ。……大丈夫だ、夏妃。落ち着くが良い。………居る者を居るとは断じれようが、居ない者を居ないとは断じれぬ。」
【ベアト】「即ち、ニンゲンの世界は、居ようと居まいと、“い”ることの出来る世界なのだ。……その“い”ることの出来る影こそが我ら魔女の、悪魔の世界。」
【夏妃】「……悪魔の証明、ですね。」
【ベアト】「うむ。………だから安心するが良い。悪魔の力が、そなたを絶対に守るぞ。」
【夏妃】「………お父様と夫の名誉が守れるなら、…私はこの身を悪魔に捧げようとも構いません。」
【ベアト】「良い覚悟だ。……案ずるな。絶対に金蔵は殺させぬ。」
 その時、突然、乾いた音が二度鳴った。
 ヱリカが手を叩き、傾注を求めたのだ。客人の分を超えた行為のはずのそれも、なぜかもはや、それが彼女の当然の権利のように感じられる。……だって、彼女は“探偵”なのだから。
【ヱリカ】「………これでもう充分と思います。この書斎に、右代宮金蔵さんの姿はありません。」
【留弗夫】「あぁ、隠れられる場所は全て探したぜ。親父の姿はない。」
【絵羽】「そして、不審なものも何も見つけられなかったわ。」
【ヱリカ】「えぇ、何も見つけられませんでした。」
 ヱリカが重ねて言う。彼らは何の発見をすることも出来なかった……。
【夏妃】「なら、この部屋にいつまでも長居するべきではありませんっ。これほどの大勢で書斎を物色したなど、当主様が知られたらどれほどお怒りになられることか…! 絵羽さん。あなたは責任を取られる覚悟があると仰いましたね? 生涯、絶縁されるくらいの覚悟はおありなのでしょうね…?!」
【絵羽】「そ、それを決めていいのはお父様ご自身だわ…!! あんたが決めることじゃないわよッ!!」
【ヱリカ】「お静かに。………状況を整理したいと思います。昨夜の23時に、最後にこの部屋で金蔵さんにお会いになられたのは夏妃さんですね? それをどなたか証明できますか?」
【戦人】「……証明…?」
【ヱリカ】「えぇ、そうです。だって、夏妃さんが本当に昨夜の23時にここを訪れたかどうかは、夏妃さんしか自称していません。金蔵さんが、昨夜、確かに夏妃さんがやって来たと証明してくれればいいのですが。その肝心の金蔵さんがおられませんので。」
【霧江】「………アリバイはミステリーの基本ってわけ?」
【ヱリカ】「えぇ、そうです。アリバイは大事です。どうせ推理の役にはほとんど立たないのですが、その辺の重箱を突付かないといけないとお作法で決まってますので。」
【戦人】「へっ。……昨夜の殺人のアリバイ探しなんてやってもないくせに、祖父さまの失踪についてだけはアリバイ探しをするのかよ。…本当に気まぐれなヤツだぜ。」
【ヱリカ】「あ、ご安心を。もちろん、第一の晩の殺人についても、後ほど、みっちりとアリバイについて、全員に確認させていただきますので、乞うご期待を。」
【ヱリカ】「………それで、どなたか、夏妃さんが23時にここを訪れたことを証明は出来ませんか? 出来なければ、夏妃さんが最終目撃者であることから疑わなければなりませんが。」
【夏妃】「……わ、私が信用できないというのですかっ。」
【ヱリカ】「いえいえ、むしろ逆です。あなたには犯人であってほしくないんです。だって、すっごくつまらないじゃないですか。一番怪しい人物が本当に犯人だったなんて、三流ミステリーの極みです。」
【南條】「…夏妃さんが、……怪しい? ま、待ってくれ。どうしてそういう論法になるんだね…?!」
【郷田】「そうですとも…! 奥様が怪しいなど、失言にも程があります…!!」
【夏妃】「静かにッ!! 南條先生、郷田。ありがとう。……ヱリカさん。……それだけの無礼な発言をなさるに足る、根拠はおありなんでしょうね……?」
【ヱリカ】「……えぇ。すっごいシンプルで嫌なんですけどね。テレビドラマレベルの根拠で恐縮ですが、それでも良ければ。」
【戦人】「…………聞かせてもらおうじゃねぇか。」
 戦人が睨みつけると、……ヱリカは一瞬だけ、冷酷な表情を見せる。だが、それは一瞬。緩やかに笑いながら、一同を見回してから話し始めた。
 その様子はまるで、スポットライトを浴びて、舞台中央に出てきた、演劇の主人公のようだった…。
【ヱリカ】「今朝の話です。殺人が起こって大騒ぎになった時のことを、思い出して下さい。……事件のことを金蔵さんに伝えたいけれど、いくら電話しても出てくれない。その時のことです。」
ヱリカの回想
【秀吉】「とにかく、…連絡が取れんのはまずいんとちゃうか。下手したらお父さん、事件が起こってることさえ知らんのやで?! なぁ?!」
 紗音と嘉音が両方いなければ成立しない会話のように見えるが、中庭には夏妃もヱリカもいないので、会話は捏造し放題。その二人にさえ聞かれていなければセーフ。
【嘉音】「……さ、さぁ、どうでしょう………。」
 嘉音は、金蔵の存在が疑われ始めている気配を敏感に察し、言葉を濁す…。
【霧江】「…………最後にお父様に会ったのは誰…? ……いつ?」
【夏妃】「わ、…私です。昨夜、……戦人くんが黄金を見つけたと騒ぎになる直前まで、お父様の書斎で、一日の報告をしておりました。」
【ヱリカ】「………昨夜の23時頃ですね。………………………ふふ。」
 ヱリカは意味深ににやにやと笑う。
金蔵の書斎
【夏妃】「そ、それが何だと言うのですか。馬鹿馬鹿しい。」
【ヱリカ】「多分、霧江さんも、狙って振ったんだと思います。……そうですね?」
【霧江】「………………………。」
【紗音】「ふ、…振ったとは、……どういう意味でしょうか……?」
【霧江】「……ひょっとすると、誰か引っ掛かるかと思って。」
【ヱリカ】「そうですね。ありがとう、霧江さん。実はあの発言は、あなたがなさらなければ、私がするつもりでおりました。」
【嘉音】「……さ、…最後にお館様に会ったのは誰かという質問に、そんなにも意味があるというんですか…。」
【ヱリカ】「はい。状況的に考えて、最後に会ったのは誰? という質問に対し、夏妃さんが、“私です”と即答するのは、とても不自然なんです。」
【郷田】「ど、……どうしてですかッ! 奥様は包み隠さず真実を…!」
【夏妃】「静かにッ!! それがどう不自然だと言うのですか…。」
【ヱリカ】「どうしてあなたは、23時以降、金蔵さんが誰とも会わないと、確信出来るのですか?」
【夏妃】「そ、……それは、…お休みになられたのを見届けたからです。普通に考えれば、その後、朝までお休みになられ、誰とも会われないだろうと考えるのは自然なことです…。」
【ヱリカ】「状況的に考えて、最終目撃者は何かの関与を疑われかねませんでした。……普通の人間なら、夏妃さんと同じ立場だった時は、“最後に会ったのは私です。23時に会いました”、とは言いません。ですね、霧江さん……?」
【霧江】「…………………。……えぇ、そうよ。……普通の人間だったなら、“23時に会ったのは私です。しかし、私が最後に会った人間かどうかはわかりません”。……になるわ。」
【ヱリカ】「グッド。………最終目撃者だと名乗ることは、普通、困難なんです。……自分が目撃した後に、誰も目撃出来ないと確信できる理由をご存知でない限り。」
【ヱリカ】「……三流ミステリーですと、最終目撃者は大抵、犯人で、自分が殺したのだから、その後には誰とも会えるわけがないと、こういう論法で進むわけですが。」
【熊沢】「ほほ、…ほほほほ…。そんなの、ちょっとした言葉の言い違いではありませんか…。そんなに目くじらを立てて取り立てるほど…、」
【南條】「そうだそうだ、そんなのは揚げ足取りだ…。そんな言葉尻だけで、夏妃さんを疑うのは、ちょっと早とちりなんじゃないかね……?」
【郷田】「それに、誰も目撃出来ないと確信できる理由と、あなたは仰いますが、それももちろん、あるではありませんか…! 奥様は、お館様がお休みになるところを見届けられてから退室されたのです! 常識的に考えて、翌朝まで誰とも会わないだろうと考えるのは自然なことです…!」
【ヱリカ】「……いいえ。それが全然自然なことじゃないんです。何しろ、夏妃さん、南條先生、そして熊沢さんの3人が、ついさっき、こう証言されました。これも、どうぞ思い出して下さい。」
ヱリカの回想
【絵羽】「最後に会ったのは夏妃姉さんよね…? 昨夜の11時頃。それ以降に、書斎を抜け出して、どこかへ行ってしまったということなのかしら…?」
【夏妃】「そ、……それは……。で、でも、お父様は、気まぐれな方…。唐突に、夢で啓示を受けたと言い出して、深夜に起き出して、お屋敷の中を歩き回るようなこともよくありました。そうですよね、南條先生…?」
【南條】「ん、……た、確かにそういうこともありましたな…。…とにかく、……その、気まぐれな方だ。な、なぁ、熊沢さん…。」
【熊沢】「…ほ、…ほほほ。そうですわねぇ…。何か、おかしな夢でも見て、寝床を抜け出したのかもしれませんねぇ…。よくあることでございますとも、えぇ……。」
金蔵の書斎
【戦人】「………あぁ。……祖父さまが深夜に突然、寝床を抜け出すこともよくあったと、……証言してるな。」
【ヱリカ】「グッド。戦人さん、なかなかの記憶力です。………つまり、夏妃さんを始めとした、右代宮本家の方々は、金蔵さんが深夜に気まぐれに起き出して、徘徊する可能性がありうることを、よくご存知でした。そして、それはよくあることだと認識されていました。」
【絵羽】「……おかしいじゃない。…お父様がよく夜中に徘徊することがあると知っていながら、朝まで寝床を絶対に抜け出さないなんて、確信できるわけがないわぁ。ねぇ?」
【留弗夫】「確かに、……三流ミステリーだな。よく、ラストの5分で犯人が、いつから自分が犯人だとわかってたのか? と聞くと、探偵が答えそうなシチュエーションだ…。」
【ヱリカ】「ですよね……。だからゲンナリしてます。これで本当に夏妃さんが犯人だったら、お茶の間ミステリー以下ですから。……だから私、夏妃さんの疑いを真っ先に晴らしたいんです。このミステリーが、三流じゃないってことを、一番最初に確かめたくて。」
【夏妃】「…………ぅ、……く……。」
【ベアト】「……焦ることはないぞ、夏妃。探偵気取りお得意の言葉遊びよ。……だから何だと言うのか? この発言だけでそなたをどう追い詰められると言うのか? 地獄の法廷とて、陪審員の悪魔たちは全員、そなたの無罪に投じるわ。だからうろたえず落ち着くのだ…。」
【戦人】「………確かに、そういう風に言われりゃ、夏妃伯母さんが不審そうにも見えるさ。……だが、俺にはただの揚げ足取りにしか聞こえねぇぜ。」
【絵羽】「でも怪しいわぁ。……夏妃姉さんが何かを隠してるかもしれないと、疑うきっかけには充分だと思うけれど…?」
【夏妃】「ま、まったくの言い掛かりです…! それに、卑怯ですよ絵羽さん…!! 私が23時に確かにここにいたことは、他ならぬあなたが証明できるではありませんか…!」
【ヱリカ】「………そうなんですか、絵羽さん?」
【絵羽】「……………………。………あらぁ、そうだったかしら。……うふふ、ごめんなさいねぇ。何しろ、あの時は、黄金が見つかったと気が動転していたから、今の今まで、夏妃姉さんに会ったの、忘れていたわぁ。」
【ヱリカ】「絵羽さんが、夏妃さんが23時の目撃者であることを証明できるのですね?」
【絵羽】「えぇ、残念なことにね。夏妃姉さんの言い分を、一部は認めることが出来るわ。……この部屋から出てきた、ということだけはね。」
【夏妃】「………な、何が言いたいのですか。」
【絵羽】「私が言いたいのはこういうことよ。……いいえ、ずっと前から言いたかったの。…こんな悲惨な殺人事件の真っ最中に、こんなことを言い出すのは本当に場違いだとわかっているけれど、今がちょうどいいタイミングだから言わせてちょうだい。………わかってるわよねぇ? ……夏妃姉さん………?」
 使用人たちは、ごくりと喉を鳴らして窒息する…。やはり、隠し果せては、……いなかったのだ………。
 重苦しい沈黙の中、……切り札をちらつかせるように迫る絵羽と、平静を装う夏妃。空気も時間も、全てが鉛のように重くなり、全てを飲み込み潰した…。
【ヱリカ】「金蔵さんって、いつから、いらっしゃられないんですか……?」
 あっけらかんとしたヱリカの言葉が、それらをまるで、飴細工のように粉々に打ち砕く……。
【留弗夫】「……はっきり言うと、俺たちは今年は愚か、去年の親族会議でさえ、会っちゃいねぇ。」
【秀吉】「そや…。わしらは去年の時点から疑っとった。…息子たちが殺されたこんな時に、こんなことを追求するのは場違いかもしれんとは思っとる。……だが、ひょっとしたら、事件と関係があるかもしれんから、今、追及させてもらうで…。」
【霧江】「夏妃姉さんたちには、お父さんの死を隠す動機がありうるの。……お父さんの財産を横領しているかもしれない嫌疑よ。」
【絵羽】「もしお父様が死ねば、財産分配のために調査が行なわれ、横領は白日の下に晒されるわ。だからあんたは、お父様がすでに亡くなっているのを、隠しているのよッ!!」
【ヱリカ】「………なるほど。ホワイダニットは充分というわけですか。ますますにもって三流です。あぁ、……つまらない。」
【夏妃】「な、……何を言っているのかわかりません…!! 私が当主様の死を隠していると?! そんな暴言…、断じて許せませんッ!!」
【郷田】「そうですとも…!! 奥様だけでなく、日頃から他の使用人たちもお館様のお世話をし、その姿を見ていますとも…!! 源次さんや紗音さんや嘉音くんや…! 南條先生に熊沢さんだってよくお会いしている…!」
【郷田】「……わ、私は信頼がないのか、昨年からずっと姿をお見掛けしていませんが…。」
【夏妃】「黙りなさい郷田ッ!!!」
【郷田】「ひィ!! も、申し訳ございません…!」
【ヱリカ】「夏妃さん以外の目撃者は全て、雇用関係にある使用人だけではありませんか。……カネを握らせて口裏を合わせたなんて、あぁ、本当に三流。下らない下らない。………ガッカリですよ、夏妃さん。だからもう、断じてしまおうと思います。」
【夏妃】「な、………何をですか……!」
【ヱリカ】「右代宮、金蔵さん。」
【金蔵】「………何か。…招かれざる客人よ。」
【ヱリカ】「あなたは、存在していませんね。……遺産問題で、あなたの死を知られたくない人間たちによってその死を隠蔽された、亡霊です。」
【金蔵】「……ふっ。……くっくっくっくっくっくっく。」
【ヱリカ】「亡霊は亡霊らしく、とっとと現世を立ち去るべきです。……初めてお会いしたのに、ご挨拶もまだでしたね、これは申し訳ない。」
【ヱリカ】「……初めましてこんにちは。そしてさようならッ!!!」
 ヱリカの顔面に、紙が一枚挟めるかどうかというわずかの、ぎりぎりに、……ベアトの煙管が寸止めされている。
【ベアト】「そしてこんにちは、だ。……右代宮家顧問錬金術師、黄金のベアトリーチェ。そなたの喧嘩、ここよりは妾が買い取ろうぞ。」
【ヱリカ】「どうも初めまして、このゲームの探偵、古戸ヱリカです。よろしくお見知りおきを。そしてこれから、さようなら。」
【ベアト】「そなたが縁寿の次の、ベルンカステル卿の駒であるか。……あやつとは結局、満足に戦えなくて残念だった。今度こそ手合わせ出来て嬉しいぞ。ベルンカステル卿の駒…!」
【ヱリカ】「…………我が主は全能にして万能。間抜けなるあなたとは比べ物になりません。どうかよろしくお手合わせを。」
【ベアト】「くっくくくくく。冷静よの。……こうして魔女が登場して、これから魔法やファンタジーで戦おうというのにな。………戦人程度なら、こんなのミステリーじゃないって泣き喚いて土下座しているところだぞ。」
【ヱリカ】「あぁ、ミステリーでも、最近はそういう異世界はポピュラーですので。純粋推理空間とかご存知で?」
【ベアト】「綾辻行人のデビューは来年だ。」
【ヱリカ】「魔女のくせに細かいこと気にしますね。」
【ベアト】「はッは!! 魔女と対等のつもりか? 自惚れるな、このニンゲン風情がッ!!」
 ベアトが指を鳴らすと、凄まじい速度で何かが室内を跳ね回る…!!
 それは魔女の杭。青き真実の力を宿した魔女の楔…!
 もちろん、ヱリカ如きニンゲンにその凄まじい速度が、目で追えるわけもない。ヱリカもそれがわかっているから、無様にきょろきょろして目で追おうなどとしない。
【ルシファー】「のろまがッ!! 食らうがいいッ!!」
 凄まじい音がして、ルシファーの青き杭がヱリカの右鎖骨に打ち込まれる。それは背中まで突き抜けている。
 ルシファーが回転しながら跳ね返って、ベアトの前に着地し、高笑いしながら姿を消す。
 ヱリカは吹き飛ばなかった。だが、青き楔に深々と貫かれている。
【ヱリカ】「………これが、青き真実とやらですか。では、ご高説を賜ります。」
【ベアト】23時に夏妃が金蔵に出会った可能性を否定は出来ぬぞ。その後、そなたらが書斎に押し入るまでの6時間以上もの間、金蔵はいくらでもこの書斎を抜け出す余地があった! 以上により、金蔵が存在しないとそなたに断言は出来ぬわ。
 ベアトは魔女の名に相応しい表情でそれを宣告する。対するヱリカは沈黙している。
 ……絶句している? 表情に苦悶はない。ただただ静かに、ベアトの青き真実を静聴している。
 いや、……その見下したような表情では、静聴というより、右の耳から左の耳へと言った方が相応しそうだった。
【ヱリカ】「………グッド。まずは王道です。…………硬いですね、これ。抜けない。」
 自分を貫いている青き楔を、手前側と背中側でいじってみるが、びくともしない。しかし、彼女の余裕ある淡白な表情も、同じくびくともしなかった。
【ベアト】「抜けぬわ! ……青き真実は、赤き真実によってしか打ち破れぬ。……この島にやって来て一日を経たかどうかの客人であるそなたに、理解し得る真実など存在せぬ! そんなそなたに、使える赤など存在しないのだ…! つまりはチェックメイトッ!!」
【ヱリカ】「……なるほど。ここはそういう空間ですか。……なら、魔女と戦うに相応しい駒が必要ということですね。……私は探偵。ニンゲンの犯人を相手にするのを役目としましょう。あなたは魔女。…魔女やら悪魔やらを相手にする役目なら、相応しい駒がいます。」
【ヱリカ】「ご紹介しましょう。………ミス・ドラノール。あなたの出番のようです。」
【ベアト】「ド、………ドラノール…ッ!!!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「あっはははははッ!! やっぱりねッ、いつか絶対に持ってくる駒だと思ってたわ…!! 魔女を狩る十の楔、魔女狩り大司教、ドラノールッ!!」
【ベルン】「悪魔との戦いに、これほど相応しい駒はいないわ。私の分身たるヱリカに、魔女の最大の天敵ドラノール。私は2つのルークで今や、セブンスランクを支配したわ。……見せてもらうわよ、ラムダデルタ。そしてベアトリーチェ。あんたたちの無駄な足掻きをね。……くすくす、あっははははははははあはははははははははッ!!」
金蔵の書斎
 空間が眩しく光り、ヱリカによって導かれた駒が姿を現す…。
 その姿は、邪悪な魔女と対峙するにこの上なく相応しい、聖職者の姿を模したものに見えた……。
【ドラノール】「初めまして。ドラノール・A・ノックスと申しマス。」
 このような、邪悪な火薬の臭いで充満した空間であるにもかかわらず、彼女は清楚に淡白に自己を紹介する。……場違いな雰囲気、魔女や悪魔たちのそれとはまったく異なる気配がむしろ、痛烈な違和感と何かの鋭利さを感じさせた。
【ベアト】「……そなたとは初対面であるが、噂はかねがね聞いておるぞ。ゆえに初対面という気はまったくせぬでな。」
【ドラノール】「こちらこそ、ミス・ベアトリーチェ。アイゼルネ・ユングフラウは、あなたについての詳細な資料を600ページにまとめマシタ。それに常に目を通していますので、私も初対面の気がしマセン。」
【ベアト】「地獄の書記官なら600ページを6文字でまとめてみせるわ。」
【ドラノール】「お伺いしマス。」
【ベアト】「“近寄るな危険”で6文字だ。」
【ドラノール】「それは良きまとめデス。帰還しましたら、あなたの資料を、敬意を表して2文字を加え、8文字でまとめマス。」
【ヱリカ】「Executed。」
【ベアト】「………cuteとは、くっくっく! 世辞が過ぎるぞ客人め…!」
【ドラノール】「それでは続けまショウ。ミス・ベアトリーチェ。主席異端審問官ドラノール、謹んでお相手いたしマス。」
【ベアト】「妾は初手を終えているぞ。そこの古戸ヱリカの青き楔が抜けないならば、とぼとぼと天界に帰って、いつもの退屈なハンコ押しの仕事を再開すると良い!」
【ヱリカ】「……この楔とやら、頼みます。ベアトリーチェさん、この程度でチェックメイトのつもりらしいので。」
 ヱリカは、自分を貫いている青き楔をコンコンと指で叩いて誇示してから、小馬鹿にするように肩を竦めて見せる。
【夏妃】「……ベ、ベアトリーチェ…。」
【ベアト】「大丈夫。少しからかってやるだけだ。…………なぁに、いざとなったら、金蔵の亡霊を引っつかんで、好きに逃げ出す。この部屋からいつだってどこへだって、妾は自由自在よ。」
【ドラノール】「無駄デス。」
【ベアト】「……ほぉ?」
【ドラノール】「私に出会ったら、それが終焉デス。逃がしマセン。誰も、逃げられナイ。」
【絵羽】「確かに、お父様が突然目を覚まして、どこかへ行ってしまった可能性は否定できないわ。………でもね。それはありえないって断言できるのよぅ。うふふ、なぜかわかるぅ?」
【夏妃】「わ、わかるわけもありません…! あなたが、この扉の前で一晩中、当主様が外へ出ないことを見張ってたとでも言うのですか…!」
【絵羽】「えぇ、見張っていたわ。この子がねッ!!」
【ガート】「謹啓。謹んで申し上げる。この扉より出入ること、叶わぬと知るべしと申し上げ奉る。衛士隊、書斎扉の封鎖を命じるものなりや。」
 太陽のように強く無慈悲な輝きとともに、天界の扉が開き、現れしドラノールの部下が宣言する。その言葉は赤き真実を纏いて、魔女の退路を絶つ。
【410】「シエスタ410、ここにぃ!」
【45】「シエスタ45、ここに! 大ベアトリーチェ卿、ご無沙汰しております! 同盟協定1516号及び、天界大法院の要請に基づき出動いたしました。以後のご無礼をお詫びします…!」
【410】「書斎扉を照準封鎖したにぇ。扉に近付かない方がいいと思いますにぇ? くっひひ!」
【ガート】「謹啓、重ねて申し上げる。書斎扉は昨晩、23時から現在まで、一度たりとも開かれなかったこと、重ねて申し上げ奉る。」
【夏妃】「な、……何ですか、その紙切れは。」
【絵羽】「何の変哲もないレシートよ。でもね、このただの紙切れが、あんたの嘘を立証しちゃうのよぅ。」
【秀吉】「絵羽は、昨夜、あんたが書斎から出てきた時、隙を見て、書斎の扉の隙間にレシートを挟んどったんや…! そしてそれは、今、留弗夫くんが扉を開けてくれた時に落ちたんや…!!」
【絵羽】「どういう意味かわかるぅ? つまりね、昨夜の23時から現在まで! お父様がこの扉を開けたということはありえないということ!!」
【戦人】「………な、何だって……。」
【絵羽】「留弗夫。窓の鍵は、閉まっていたのよね?」
【留弗夫】「……あぁ。だからガラスを破ったんだ。」
【霧江】「他の窓も全て、施錠されているわ。構造上、外から閉めることは出来ない…!」
【コーネリア】「謹啓。謹んで申し上げる! 窓は全て施錠されていたと知り奉れ! 衛士隊よ、全ての窓を封鎖し給えっ。」
【ガート】「アイゼルネ・ユングフラウの名において、衛士隊に禁止兵器使用の許可を与えるものなり。」
【00】「了解であります。全隊、禁止兵器、赤色弾頭使用許可。起動コード転送開始!」
【410】「うにゃ? パスが通らないにぇ。」
【45】「410、キャプスロックを解除してもう一度…!」
【00】「シエスタ隊は、書斎扉、並びに全窓を照準封鎖完了。物理、概念、他一切の通過が認められた場合、無警告で射撃することを、大ベアトリーチェ卿に警告するであります…!」
【45】「大天使衛星4基よりデータリンク。誘導方式、評決型概念誘導…!」
【410】「しかも、赤色弾頭と来たにぇ。撃墜不能、回避不能。生存不能。……ベアトリーチェ卿でも木っ端微塵にぇ♪」
 シエスタ隊によって、扉と全ての窓が照準封鎖される。もはや、これらより逃れることは叶わない…!
【ベアト】「………これはこれは。……妾が歓迎するはずが、されているのは妾ではないか。シエスタ姉妹まで引き連れての表敬訪問とは畏れ入る…!」
【コーネリア】「謹啓、退路遮断を完了したこと、謹んで申し上げ奉る! 上司ドラノール、今こそ罪を絶ちて清め給え…!!」
【ドラノール】「ご苦労デシタ。………ミス・ベアトリーチェ。あなたの退路、絶たせていただきマシタ。扉からも出られず、窓からも出られない。だからもう、逃がさナイ。」
【ベアト】「………これしきで、妾を閉じ込めたつもりか? くっくっくっく……。」
 魔女を、天界の異端審問官とその部下たちがぐるりと取り囲む。部下たちは強力な結界を使い、ベアトの退路を絶つ。
 ……悪魔は戦うことを好み、その結果、逃がすこともある。しかし、天使は退路を絶つことを好み、その結果、必ず抹殺する…!
【絵羽】「つまり、この書斎は、夏妃姉さんが昨夜、就寝前のご挨拶とやらから、留弗夫が扉を開けるまでの間、完全に密室だったということよ…!」
【秀吉】「なら、お父さんがここにおらなあかんはずや。しかし、お父さんの姿は影も形もない…!! こら、どうゆうこっちゃというわけや…!!」
【夏妃】「う、…ぐ、………………。」
【ベアト】「落ち着けと何度も言っておる…! 扉と窓を塞いだだけで、このベアトリーチェを閉じ込めたつもりなどと、笑止千万。」
【ベアト】「……金蔵、遊ぶつもりだったが、どうやら客人にその気はないようだ。引き際を誤らぬ内に失礼させてもらおうぞ。」
【金蔵】「うむ。この命、惜しくはないが、夏妃のためにまだ死ねぬでな。」
 ベアトは煙管を振り上げ、それで宙を縦に切り裂く。
 するとそこより、漆黒の門が現れ、ゆっくりと開く。……それは、ガァプの使う漆黒の穴と呼ばれるワープポータルと同じもの。
【ベアト】「妾の資料には、こう書かれていたはずだ。神出鬼没。どこへでも現れ、どこへでも消えるとな…! 妾がある限り、金蔵を捕らえることなど不可能よ…!」
 漆黒の門が開く。その門は、全てより通じ、全てへ通ず。ベアトも金蔵も、誰にも捕らえられない、追うことはおろか、影を踏むことさえ叶わない…!
【夏妃】「こ、…ここは、右代宮家当主の書斎ですよ。そして、お父様が直々に設計に携われた部屋でもあります。……扉を経ずとも、外に出る仕掛けがあったとしても、何の不思議もないとは思いませんか…?」
【郷田】「…そ、そうだ、そうですとも…! お館様が隠し扉を持ってたとしても、何の不思議もありません…!」
【絵羽】「隠し扉ぁ?! へぇ、そんなものがどこにあるのよ…!」
【夏妃】「それがわからないから、秘密の隠し扉なのですよ。……このお屋敷には、お父様しかご存知ない仕掛けや秘密の扉が、いくつもあります。……直接見た者はおりませんが、この屋敷の人間なら、皆、薄々は知っています。そうですね…?」
【紗音】「え、…あ、……はい…!」
【嘉音】「……お館様しかご存知ない、隠し通路があると、確かに昔から囁かれております…。」
【南條】「た、確かに金蔵さんはそういう類の仕掛けは好きそうですな…。」
【熊沢】「ほほほほ……。しかも、秘密の隠し扉でございますからねぇ…。私たち如きが探しても、見つからぬのは無理もないこと。」
【霧江】「………なるほど。悪魔の証明ってわけね。私たちには、この部屋に隠し扉が存在する可能性を否定できないと。」
【絵羽】「そんなのデタラメよ、でっち上げよ…!! お父様の死を隠してる嘘がバレそうだからって、よくもそんなことを…!!」
【秀吉】「そやそや!! この書斎のどこに隠し扉があるんや…!! その存在を証明してみんかい!!」
【ベアト】証明不要ッ!! 悪魔の証明であるぞ、隠し扉の存在は発見不能にして否定不能!! よって、金蔵がこの書斎より、隠し扉で脱出した可能性を、誰も否定することは出来ぬのだッ!!
【ドラノール】この部屋に、隠し扉が存在することを許しマセン。
 餞別代りにと放ったベアトの青き楔を、ドラノールの太刀の一閃が打ち砕き、……漆黒の門までも打ち砕いてしまう…!
 それは、視覚的に物理的に打ち壊しただけではない。この瞬間より、隠し扉を概念化したワープポータルは、今も以後からも破壊されたのだ。
【ベアト】「ど、どうして、書斎の主でなければ、ゲームマスターでもないそなたが、……赤き真実を……ッ?! その上、何か?! 隠し扉の存在を、“許さぬ”とな?!」
【ヱリカ】「それがミステリーだからです。ノックス第3条。秘密の通路の存在を禁ず。ミステリーはね、隠し扉など存在してはいけないのです。悪しからず。」
【ドラノール】「この世に我らの神を除いて、他に一切の神はなく、一切の隠し扉は存在しマセン。存在してはなりマセン、させマセン。我らの神への冒涜デス。」
【ベアト】「……魔女も呆れる傲慢よ…。はッ、呆れを通り越して痛快であるわ…!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「あっはっはっはっははははははは…!! 来たわね、魔女を貫く十の楔…!! 相変わらず、聞いていて惚れ惚れする暴論だわぁ…!」
【ベルン】「愚かね。悪魔の証明なんてあやふやで、これまでは全てを逃れてきたのでしょうけど。ドラノールの前に、もはやその手は通用しないわよ、ベアトリーチェ!」
金蔵の書斎
【ドラノール】「……やはり、あなたも凡百の魔女と変わりないデス。失望シマス。」
【金蔵】「……ベアト。…やはり、すんなり逃してくれる相手ではなさそうだぞ。」
【ヱリカ】「どうか持て成して下さいな、ベアトリーチェさん。……客人に、お茶くらい出してほしいものです。三流で結構ですから!」
【ヱリカ】「さあ、この密室書斎から、どうやって金蔵さんが脱出したのか、青き真実で私に教えてください…!!」
【ベアト】「……良かろう。吠え面かくでないぞッ!!」
【ベアト】金蔵が扉より抜け出した後、レシートの仕掛けに気付き、元の場所に正確に戻した可能性があるぞッ。
【ドラノール】すでに赤で否定済みデス。書斎扉は23時以降、一度たりとも開かれていマセン。
【ベアト】金蔵は稀代の魔術師で発明家かもしれぬぞ?! 体を霧にする薬を発明して、鍵穴から抜け出したのかもしれぬ!!
【ドラノール】そのような薬は存在しマセン。存在してはいけマセン。
【ベアト】あるいは、テレポート装置を発明していたかもしれぬぞ?! その可能性とて、悪魔の証明で否定不能であろうがッ!!
【ドラノール】そのような機械も存在しマセン。存在することも許しマセン。
【ベアト】ほう、この世の全ての薬物をそなたは調べられるのか? 未知の科学装置の存在を否定できるのか?! 出来るわけがない、それが悪魔の証明ッ! そなたにその存在を否定できぬのだッ!
【ドラノール】繰り返しマス。神の名において、そのような薬も機械も存在させマセン。未来永劫、存在することも許しマセン。
【ベアト】「未来とな?! ほうほう、そなたは人類の未来さえも否定してみせるというのかッ?!」
【ヱリカ】「ノックス第4条です。未知の薬物、及び、難解な科学装置の使用を禁ず。」
【ドラノール】「人類の進化と、未来が持ち得る知識と技術は、我が神が決定しマス。そしてその存在の否定を永遠に宣告されマシタ。よって、未来永劫、そのような技術の存在は許しマセン。許されマセン。」
 ベアトとドラノールは、壮絶な赤と青の応酬をしているはず。……しかし、ドラノールには、ダメージは愚か、疲労の気配さえない。
 ベアトは恐ろしい魔女なれど、血が通い、息もする。痛みも感じれば疲労も感じる。
 だが、ドラノールはまるで、……大理石で出来た、球体間接人形。疲労もなく痛みもなく、怯みもしない。
 ベアトの鋭い楔の一撃に眼球を狙われても、瞼を閉じることさえしないのだ。……いや、そもそも彼女は、瞬きをするのかさえ怪しい……。
【夏妃】「ベ、……ベアトリーチェ……、しっかり……。」
【ベアト】「……噂には聞いていたが、最悪の相性だな。……夢も希望も、未来の可能性さえ許さんとは。神々の傲慢、畏れ入るッ。……さすがは、魔女狩り執行人。生涯、酒を酌み交わすことは叶いそうにないぞ。」
 かつて戦人を何度も屈服させた攻撃も、ドラノールにはまったく通用しない。……いや、半ばわかっていたことだが、ここまであっさりと跳ね返すとは…。
【金蔵】「難敵だな…。」
【ベアト】「おやおや、天下のゴールドスミスも老いぼれたか。そなたの口からそのような言葉が出てくるなど、夜空に彗星を2つ迎えるより珍しい…!」
【金蔵】「ふっ。老いぼれどころか、とうに死んでいるでな。」
【ベアト】「はッ。そうであったな。済まんが、もうしばらくそうはさせぬぞ。」
 ベアトは、生まれてから何度も味わったことのない脳内分泌物を楽しむ。……多分、それは辛酸と呼ぶ。
 ベアトは気遣う夏妃の手を静かに払い、もう一度姿勢を正し、自らの健在と、魔女のプライドを示してみせる。
【ドラノール】「それで終わりデスカ。私が出向くまでもナカッタ。失望デス。」
【ベアト】「まだであるぞ。今のはほんの小手調べ。そなたの手の内を探ったに過ぎぬわ。」
【ガート】「いと愚かなりや。身の程を知り給え、黄金の魔女。」
【00】「………ベアトリーチェ卿…。」
 ベアトの表情が再び引き締まる。もはや悪ふざけの様子は微塵もない。……空気が、変わる。
【ベアト】「もはや遊びの時間は終わりだ。行くぞ。ならば、金蔵が書斎の出入りをしなかったことを認めようぞ。そなたの密室を受け入れようではないか。」
【ドラノール】「………ム。」
【ガート】「謹啓。ベアトリーチェは攻撃法を変更したこと、申し上げまする。」
 それまで、徹底的に密室であることを抗ってきたベアトが一転。それを受け入れると宣言する。
 もちろん、降参のわけもない。それがベアトの新しい攻撃。ドラノールもそれに気付き、構えを変える。
【410】「どういうこと? 密室を破ろうとしてるのに、どうしてベアトリーチェ卿は密室を認めるにぇ?」
【45】「……た、多分、この部屋以外の場所で金蔵の存在を主張するつもりです。……大ベアトリーチェ卿のワープポータル再起動を確認!」
【ベアト】夏妃は“金蔵書斎で話をした”と主張しているが、対面で話をしたとまでは言っておらぬ。即ち、金蔵が書斎以外の場所にいたとしても、会話が成立すれば矛盾はないわ!
【ドラノール】「………ッ、」
 魔女の杭が乱反射で霍乱した後、ドラノールの足の甲を貫く。
【アスモ】「トロいわ、あなた。……うっふふふ、足の甲、いっただきィ〜!」
【ベアト】夏妃はこの書斎で、内線電話を使い、別の場所にいる金蔵と会話をしていたのだ! 親族たちを嫌う金蔵が、書斎に立ち入られることを予見して別の場所に避難していたとしても、何の不思議もないわ。おそらく、それは隠し屋敷、九羽鳥庵かもしれぬぞ!
 ベアトの青き真実が宿り、足の甲を貫くアスモデウスの杭を青き楔に変える。
【410】「うまい、筋は通るにぇ…!」
【00】「……青き真実、有効でありますっ。」
 ベアトを中心に、黄金の蝶の旋風が巻き起こる。……一度は打ち砕かれた漆黒の門の魔力が再び満ちる。
 ……ここで何とかドラノールを食い止められれば、今度こそ金蔵を書斎の外へ、九羽鳥庵へワープ出来る…!
 ドラノールはぎこちなく動きながら、足を貫く青き楔を抜こうとするが、ビクともしない。もちろん、その隙をベアトが見逃すはずもないのだ。魔女ならば、当然!
【ベアト】「さらに行くぞ、覚悟せよ。夏妃の言う金蔵が、金蔵本人を指さない可能性がある! 夏妃の言う金蔵とはこの部屋の別称かもしれぬぞ? 金蔵は九羽鳥庵に避難していて連絡不能。夏妃はこの部屋を“お父様”と呼び、この部屋で瞑想することで、金蔵より啓示を受けているつもりになっていたのかもしれぬ!!
【ベルゼ】「動きを止めたわね。もうあんたの負けよッ!」
 ドラノールの首元に、ベルゼブブが青き楔を打ち込む! もちろん、これにも怯まないが、さらに動きを束縛される。
【ドラノール】「……面白い。それで終わりデスカ?」
【ベアト】「前菜にスープで終わってはコースとは呼ばぬ! メインディッシュからデザートまで一気に食らって、腹をブチ撒けて死ねッ!!!」
【ベアト】密室ゆえに脱出不可能というなら、まだこの部屋に隠れている可能性だって否定できぬわ。隠し扉ではないぞ、例えばベッドの下とか天井裏とか! 悪魔さえ知り得ない、それでいて実にさりげない死角に隠れているかもしれぬなぁ?!
【ベアト】あるいは、金蔵より特別に自分の代行を命じられた夏妃は、自らを当主代行であると同時に、もう一人の金蔵だと自覚したかもしれぬ! つまり、夏妃が同時に金蔵でもあるという可能性だ!
【ベアト】まだまだあるぞ!! 金蔵は、昨夜の23時の時点で窓から脱出していたのだ! そして夏妃がそれを見届け、窓に施錠をした!! これでも何の問題もないぞ。いや、むしろ一番美しい青き真実ではないのか? どうだッ?! ドラノール・A・ノックス?! ひゃっはっはっはァあぁああああぁ!! この密室より脱出する方法など、いくらでもあるわッ!!」
【サタン】「我が主に盾突く愚かさを知れッ!」
【ベルフェ】「お前には何の反論の必要もない。」
【マモン】「そのまま敗れて、永遠に眠れ…!」
 ベアトの黄金の竜巻から次々に七姉妹が現れ、青き楔でドラノールを貫いていく。首元、胸元、内臓、大腿に4本の青き楔が打ち込まれる。すでに打ち込んでいる足の甲も含めれば、5本もの杭で滅多刺しだ。
【レヴィア】「あーん、ベアトリーチェさまぁ! 私の出番はー!」
【ベアト】「他にも思いついたら使ってやる。今は静かにしておれ!! くっくくく、どうか、魔女狩り人、ドラノール!! 魔女を次々、串刺しにして火にくべて来たそなたが、逆に魔女に串刺しにされるのは、どのような気持ちか!! ふっひっはっはァっははははははッ!!」
 いずれも暴論なれど、畳み込むような猛攻。ドラノールの表情は、計5本もの楔に貫かれても、それでもまったく変わることはない。しかし、動きを確実に封じていた…。
【410】「ひゅう…。さすが魔女は怖いにぇ…。屁理屈じゃ勝てんにぇ。」
【45】「ノックス十ヶ条にも抵触しません…。有効です…!」
【ドラノール】「………………………。」
【夏妃】「…み、……見事です、ベアトリーチェ…! この書斎が無人で密室だったとしても、それだけでお父様の存在を否定させるわけには行きません…!」
【ベアト】「並の相手なら、これで決まりと思うところだがな。……だが、あやつはドラノール。主席異端審問官! 十戒を破った、自分の父さえ斬り伏せた冷酷女よ…! 金蔵、今の内に!」
【金蔵】「うむ…!」
 ドラノールを釘付けにした今こそ、魔力を回復し、逃れる最後のチャンス。ベアトたちの前に、再びゆっくりと、漆黒の門が開き始める……。先ほどは、宙をなぞっただけであっさり開けた門も、否定の力で充満した今の書斎では、簡単なことではない。
【夏妃】「い、…如何ですか、皆さん?! この書斎のことをどう問おうとも、お父様のご健在を揺るがすことなど出来ないのです…!!」
【ヱリカ】「……おやおや、仰いますね。あなたも、そして私も。この戦いの一部であることを忘れない方がいいですよ? 私に魔女と戦うことは出来ませんが、あなたと戦うことは出来ます。」
 ヱリカはにやりと、本物の悪魔よりもそれらしい微笑を、夏妃に向ける。
【ヱリカ】「……夏妃さん。重ねてお伺いしますが。……あなたは昨夜、確かにこの部屋で、右代宮金蔵さんとお話ししたんですね?」
【夏妃】「え、えぇ。一日の報告とお休みのご挨拶をしておりましたと何度も言っております…!」
【ヱリカ】「おかしなことを聞きますが、あなたの潔白を証明するための大切なことですので、はぐらかさずにお願いします。……あなたの言う、金蔵さんとは、私たちの認識する、右代宮金蔵さんですね? その名を持つ、別の人物、別の存在ということはありませんね?」
【夏妃】「よ、よく仰る意味がわかりません…!」
【絵羽】「……つまりこういうことよぅ。お父様亡き後、この部屋自体を“お父様”と呼んでたりする、なんてことはないの?って聞いてるのよ。あなたは、お父様にお休み前に一日の報告をしていた、なんて言ってたわね? それは、“お父様”という名の書斎で、一人、一日の報告を、壁に向かってしていたという意味じゃないのぅ…?」
【夏妃】「ぶ、無礼なッ!! そんなことはありません…! お父様はお父様です!! 健在でいらっしゃいます! そして確かに昨夜、私はここで報告とお休みの挨拶をさせていただきました…!! 何の誤魔化しも言い逃れもありませんッ!」
【ヱリカ】「なるほど。では、私の言葉が復唱できますか? あなたが何の誤魔化しもまやかしもないと言うなら、私の言葉が復唱できるはずです。」
【夏妃】「い、いいでしょう。何でも復唱します…!」
【ヱリカ】「復唱要求。“右代宮夏妃は、昨夜23時。この部屋で右代宮金蔵と確かに同室して会話しました”。」
【夏妃】「わ、私、“右代宮夏妃は、昨夜23時。この部屋で右代宮金蔵と確かに同室して会話しました”ッ!!」
【ヱリカ】「グッド! では最後にお聞きします。……まさか、夏妃さん。その後に、金蔵さんを窓から放り出して、自ら窓を閉めて施錠した、なんてことはありませんよね? それでも筋が通っちゃいますので。」
【夏妃】「ど、どうして私がお父様を窓から追い出さなくてはならないのですか!! 程がありますッ! 愚弄にも、程がありますッ!!」
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。夏妃の指す“金蔵”とは右代宮金蔵以外の如何なるものも意味しないこと、謹んで申し上げる。」
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げ奉る! 夏妃は書斎にて23時に金蔵と対面したこと主張するものなり!」
【夏妃】「あ、………ああぁあぁぁぁぁあぁッ…!!」
 夏妃が悲鳴をあげても、もう遅い…。挑発に完全に乗せられてしまった…!
 電話で話したことを示す、足の甲の青き楔。書斎自体を金蔵と称したことを示す、首元の青き楔。
 夏妃自身が金蔵と称したことを示す、内臓の青き楔。夏妃が金蔵を窓から逃し、施錠したことを示す、大腿の青き楔。
 それら4つが軽やかな音を立てて砕け散る…! “真実を知る者”夏妃が自ら否定したため、そこに赤き真実が宿ってしまう…! 密室に不在にもかかわらず、金蔵が存在する可能性を、ベアトは5つも示した。その内の4つの前提を、迂闊にも夏妃自らが破壊してしまう…!!
 残る楔はたった1本。即ち、23時に書斎に存在したのに、その後、密室となった書斎に金蔵が存在しないことの矛盾を埋められる青き真実は、この一つで最後。
 ドラノールの胸元を貫く“この部屋のどこかに金蔵が隠れている”仮説だけ。この説ならば、密室の書斎に金蔵が不在であっても、“存在”できる…! この、サタンの楔が砕かれたら、今度こそこの部屋からの脱出は絶望的になる……!
【サタン】「ぐぐ、………く…ッ!! ベ、ベアトリーチェさま…! 早く、今の内にお逃げを…!! ぐ、ぎゃ……、」
 ドラノールは、ゆっくりと胸元に突き刺さったままの、最後の楔を握り締める。……その万力のような力は、サタンに全身の骨を砕かれるような激痛を与えているようだった。
【ドラノール】「残る楔は、……この1本だけデス。この部屋のどこかに、金蔵が隠れている、というものデシタネ?」
【ヱリカ】「その全てを、探偵である私が捜しました。それでも見つからないなら、一体、どこに隠れていると? くすくすくすくすくす!!」
 ドラノールが、胸に最後の楔を突き立てたまま、ゆっくりとベアトに近付いていく…。この楔は抜かれたら、……もう……!
【ドラノール】「お聞きシマス。一体、金蔵がこの書斎のどこに隠れてイルト?」
【ベアト】「ふふ、さぁてな…。ベッドの下かもしれぬぞ?!
【ドラノール】探索済みデス。
【ベアト】バスタブの中かもしれぬッ!!
【ドラノール】探索済みデス。
【ベアト】クローゼットの中! 机の下! カーテンの束の中!!
【ドラノール】探索済みデス。済みデス。済みデス。
【ベアト】本棚の裏、戸棚の裏、絨毯の裏ッ、床裏、天井裏、壁紙の裏、ソファーの中に椅子の中、ベッドの中に布団の中に壁の中ッ、石の中、岩の中、部屋の中ッ!!
【ドラノール】済みデス済みデス済みデス。済み済み済みデスデスデスッ、済み済み済み済み済み済み済み済みデスデスデスデスデスデスデスデスッ、Die The death! Sentence to deathッ! Great equalizer is The Deathッ!!
 如何なる場所も、もはやドラノールには通用しない。ベアトの死に物狂いの最後の猛攻を、ドラノールは真正面から全て受け、それをはるかに上回る否定の力で打ち返すッ!
 打ちのめす! 叩きのめすッ、圧倒的に!! 金蔵を逃す場所は、もはや書斎にはどこにも存在しないッ…!!
 ベアトは風に舞う木の葉のように吹き飛ばされ、車道に転げる空き缶のように、何度も何度も弾き飛ばされる。ベアトが青き真実を、もはやどれほど重ねようとも、ドラノールの赤き真実には打ち勝てないのだ…。
【ヱリカ】「ははははは、あっはっはっはっはっはっは…!! ………情けないもんですね、魔女なんて。……無限の言い逃れで、真実を誤魔化し続けるだけ。ドラノールの言葉を私も借ります。……失望ですよ、ベアトリーチェさん。…くすくすくすくすくすくす!」
【ベアト】「……ぅ………、……………ぐぐ……。」
 床に這いつくばるベアトに、ヱリカは冷酷に、……トドメの言葉を刺す。
【ヱリカ】「「探偵権限。探偵は全ての現場を検証する権利を持つ。そして私は権利を行使しました。よって宣言します。」
【ヱリカ】「「この部屋に金蔵さんはいません。そして部屋の密室も完璧です。以上の2点から断言します。この部屋はずっと無人です。夏妃さんが、金蔵さんに昨晩、ここで会ったと嘘を吐いていたのです! 以上、これでチェックメイトです。ベアトリーチェさん…!」
【ヱリカ】「くすくすくすくす、……あはははは、あっはっはははははははははははははは! 如何です? ただこの部屋が存在するだけで! 古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。如何でしょうか、皆様方ッ?! あっははははっはっはっはァアあ!!」
 そのヱリカの言葉に、最後の青き楔が砕け散り、そして同時に、開きかかっていた漆黒の門も再び砕け散る。今度こそ、完全にワープポータルは破壊された…。もう、金蔵をこの部屋に存在させることも、……逃げることも出来ない…。
 ベアトは辛うじて立ち上がるが、……それがやっとだ。もう戦う力は残されていない。
 至近で否定の赤をまともに、全て食らってしまった。内臓を丸ごと吐き出したくなるような苦痛に耐えるのがやっとだった…。
 最強最悪の魔女の名を欲しいままにしてきたベアトであっても、……魔女狩り人が相手では、手も足も出ない。浜辺の砂にて、どれほどの城を作ろうとも、満ちる潮に勝てることは決してないのだ……。
【ベアト】「………す、すまぬ、金蔵…。……やっぱ、相手が悪い……。」
【金蔵】「ベアトリーチェ、感謝するぞ。……恨み残りし私のために、よくぞここまで戦ってくれた。」
【ベアト】「死期を悟ると走馬灯が見えるってのは本当らしいな。……そなたの若かりし日々の面影を、思い出してしまったぞ。………腹が立つくらい、戦人に似ておったな。」
【金蔵】「私の魂も、そして当主の資格も、今や全て戦人が受け継いでおるわ。もはや何の未練もなし…!」
【ベアト】「…………戦人…………。…済まぬ、…そなたと再び戦おうと誓いながら、…この程度で手仕舞いとは……、……無念だ…。」
【戦人】「……………………………。」
 ベアトは、戦人と目が合った気がした。……目が、合うはずはない。
 この戦人は、駒の戦人。上層の世界にいるベアトを視ることが出来るわけがない。
 しかし、確かに目が合った。合うはずがなくても、………ベアトは合ったと確信した。
 ヱリカと絵羽たちが夏妃に詰め寄り、押し問答を繰り返す間、……戦人だけはその喧騒から離れていた。その表情には、他の人間たちのような熱狂や興奮は一切ない。ただただ鋭利に、冷静に、ひとり状況を整理していた。
 そして、その表情に浮かぶのは、………静かな、不満。怒り。
 夏妃の嘘が暴かれそうになっていることに同情しているのではない。それを、知的強姦と称して、……ただただ夏妃を追い詰めて楽しんでいるだけのヱリカと、その同調者たちが、許せないのだ。
 そして、小さく呟く。
【戦人】「………駄目だな。」
 それを、ベアトたちは確かに聞いた…。
【ベアト】「戦人は、……まさか、…この劣勢を、ひっくり返せるというのか……。」
【金蔵】「……在りし日の私なら、出来ただろうな。……そして、戦人なら出来るであろうぞ。」
【ベアト】「………戦人…。」
【金蔵】「戦人よ…。……私より全てを受け継ぎし男であるならば、……今こそ、その証を示せ…! 黄金の魔女伝説を、こんなところで終わらせるな……!」
【夏妃】「私は昨夜、確かにここでお父様に会いました!! 確かにですッ!! そして、右代宮家の栄光ある歴史と、それを担う責任の重さについて…ッ、」
【ヱリカ】「もう、その嘘は暴かれているんです。夏妃さん。あなたが昨夜、ひとりでこの部屋にいたことはもう、わかってるんです。」
【ヱリカ】「そろそろ諦めて、告白に入ってもらえませんか? 犯人の往生際の悪さとミステリーの出来の悪さは比例するんです。最後くらい、これがちょっとはマシな三流ミステリーだったことを証明して下さい。」
【戦人】「………あぁ駄目だな。全然駄目だぜ。」
 それまで、ずっと一人、静かに黙っていた戦人が口を開く。その言葉は、夏妃を責めるものに、最初は聞こえた。……しかし、ヱリカの瞳を睨みつけながら口にしたものと知り、ヱリカの表情が露骨に不機嫌に歪む。
【ヱリカ】「何が、……駄目なんですか。」
【戦人】「ミステリーが三流なら、その探偵も三流だな。……いいぜ。俺が祖父さまになってやるよ。」
【ベアト】「……ば、……戦人……?!」
【ヱリカ】「「あなたが、……金蔵さんに? まさか、金蔵さんになって、この部屋からの失踪を再現して見せようって言うんですか?」
【ヱリカ】「……まさか、私のチェックメイトを、否定されるというつもりで? ……馬鹿なッ!!!」
【ドラノール】「……この男は、何を言ってるのデスカ。」
【戦人】「新しく来たお嬢さん方。………ここのゲームは初めてか? 悪いが、その程度でチェックメイトって言っちまうようじゃ、全然駄目だぜ。あぁ、本当に駄目だな…ッ!!」
【留弗夫】「ど、どういうことだ。戦人。お前が、親父になるだと……?!」
【戦人】「あぁ。再現してやるぜ。俺が祖父さまになって、この部屋から消え去ってやる。」
【秀吉】「と、扉も窓もアウトやで?! どうやって…!」
【郷田】「隠し扉の場所がわかったんですか?!」
【熊沢】「私にはさっぱり…、えぇ、さっぱり…!!」
 ざわり。………それはざわめきだけを意味しない。…ヱリカの背中に、挑発的な悪寒が上る音。
【ヱリカ】「………気に入りました。そうですね、あなたは当主の指輪を持つ、右代宮家次期当主。金蔵さんの代役を務める資格は充分あるでしょう。………見せてもらおうじゃないですか、あなたの推理ッ!!」
 ヱリカの表情には、すでに挑発的な笑みはない。……むしろ、悪意。壮絶な不快感。最高の悦楽の時間を汚されたことへの、隠すことなき怒りが表情から溢れ出していた。
【ベアト】「……ど、……どうやって、…ここから妾たちを……?」
【金蔵】「ふ、……ふふふふ…。……読めたわ。なるほど、その手が残っておったか。」
【戦人】「今頃気付いたか、クソジジイ。隠し扉だのベッドの下に隠れただの、……情けねぇ話ばかりで泣けてくらぁ。俺たちは、天下御免の右代宮金蔵の話をしてるんだぜ。……もう少し、痛快かつ、豪快な答えは出てこねぇのかってんだ。」
【金蔵】「まったくだな。自らのこととはいえ、私にも思いつけなかったとは情けない。そして、我が血族がこれだけ揃い、私を理解しているのが、6年を経て帰った戦人だけというのも情けない。………戦人、私の代役であるぞ。無様な真似は見せるな!」
【戦人】「おう、ジジイッ!! 右代宮家当主の貫禄ってヤツを、客どもに教えてやるぜッ!!」
【夏妃】「何をなさるおつもりですか…、お父様…!」
【金蔵】「わっははははは!! 夏妃、ベアトリーチェ、見ているがいい! ……右代宮家当主とはどういうものか、教えてやる!」
【ベアト】「…戦人め、何をして見せるつもりやら……。」
【ヱリカ】「何も出来るわけがないです。……この部屋は完全な密室なんですからっ!」
【戦人】「夏妃伯母さん。こっちへ来てくれ。そして、今から話すとおりに動いてくれ。」
 戦人は夏妃を窓際に呼び、一同に背を向けて何かを囁いている…。
【ヱリカ】「……ミス・ドラノール。万が一はありませんよね? この部屋から金蔵と魔女を取り逃がすようなことはありえませんよね?」
【ドラノール】「無論デス。……ガートルード、コーネリア。そして衛士隊。密室の封印は完璧か、今一度確認するのデス。」
【ガート】「謹啓。謹んで申し上げまする。我らの結界は完璧なりや。」
【コーネリア】「謹啓。隠し扉はなく、扉からも窓からも逃れること叶わず! 衛士隊は、戦人が結界を破りし時、躊躇なく矢を放ち給え!」
【00】「シ、シエスタ隊、了解であります。戦人さま、お覚悟を…!」
【45】「この部屋から脱出なんて…、不可能です…!」
【410】「………でも、あいつはやるにぇ。」
【45】「ど、どうやって…?!」
【410】「根拠がなくてもやり遂げると確信できる。それが、右代宮の当主ってモンにぇ…!」
【ロノウェ】「…………ですな。見せてもらいましょうか。」
【ガァプ】「えぇ。…リーチェの対戦相手の貫禄ってヤツをね…!」
【戦人】「では、始めるぜ。」
 一同は頷き、戦人の一挙手一投足を見守る…。
【戦人】「祖父さまである俺は、こうしてベッドで横になり、夏妃伯母さんの、一日の報告とやらに相槌を打っていた。」
 戦人は実際にベッドの上で横になって見せる。
 今さらのようにヱリカが、現場を荒らすなと愚痴るが、誰も耳を貸さない。
【戦人】「そして、俺は返事をしなくなり、眠った。………まぁどうせ、長話に飽きて寝たフリでもしたんだろうぜ。」
【金蔵】「くっくっくっく! 貴様はわかっておるわ…!」
【夏妃】「わ、……私はお父様がお休みになったのを見届け、…黙礼してから、立ち去ります。」
 夏妃はベッドで横になる戦人に頭を下げ、踵を返す…。そして、室内のチェックをするようにうろうろし始める。
【戦人】「……夏妃伯母さんは、祖父さまの就寝を見届けた後、室内のチェックをしてから退室するそうだ。」
【戦人】「もちろん、紗音ちゃんたちに毎日、掃除をさせてるんだが、それでも伯母さんは細かくチェックしているわけだ。……埃が落ちてないかどうか。消耗品は切れてないかどうか。」
【夏妃】「は、はい。大切な当主様の部屋ですから、使用人任せにせず、自らでも細かくチェックしています。これは必ず行なっていることです。」
【紗音】「………そ、そうです。奥様は普段から、とても丁寧にチェックしています。」
【嘉音】「チェックは細かく、水場の消耗品ひとつひとつにまで及びます。」
【戦人】「つまり、よくテレビドラマで見るような、窓辺の埃だけじゃねぇ。………水場の洗剤の残量や、トイレのトイレットペーパーの残数さえ見てる。毎日でなくてもいいだろうに、マメなことさ。」
【夏妃】「そ、それが日課です。一日たりとも、当主様のお部屋のチェックに気の緩みがあってはなりません。」
【ヱリカ】「…………それが、何だって言うんですか。もったいぶるのも大概にして下さい。」
【霧江】「くす。もったいぶるのは探偵の特権でしょう?」
【ヱリカ】「う、ぐ、……た、…探偵は、この、私………。」
【戦人】「こうして書斎にいればわかるだろうが、書斎という名で呼んではいるが、ここはもはや、屋敷の中に存在するセカンドハウスと言ってもいい。」
【戦人】「寝室があり、書斎があり、水場があり、トイレも風呂もある。つまり、一つの部屋じゃない。一つの家と言っていい。」
【ドラノール】「……書斎内の構造説明、感謝デス。しかし、その何処かに隠れるという手は、すでに破られてイマス。」
【戦人】「隠れはしないさ。だが、死角はいくらでもあるはずだ。……例えば、夏妃伯母さんがトイレットペーパーの数を調べにトイレに入ってる間、夏妃伯母さんから書斎のほぼ全ては死角となる。」
【戦人】「……つまり、書斎のほぼ全域から、観測者が消えたわけだ。」
【45】「ッ!! ……か、観測者消失…! 金蔵が失探します…!」
【ガート】「謹啓、書斎内に魔女の闇が充満せしこと、申し上げ奉る。」
【金蔵】「良いぞ。……闇の力が満ちてきた。ふっふふふふふ!」
【ヱリカ】「観測者が、…夏妃がいなくなったから何だと…? ……それでッ?!」
【戦人】「祖父さまは、ようやく小うるさい夏妃伯母さんが姿を消したので、起き上がる。」
【ヱリカ】「どうしてッ?!」
【金蔵】「わっはっはっはっはっは!! このような狂った夜に、狂った天気の夜空を愛でることに勝る酒の肴はないわッ!!」
【戦人】「……夏妃伯母さんがトイレという死角にいる以上、祖父さまには書斎を自由に歩き回ることが可能になる。」
 夏妃に知られずに移動が可能になる。夏妃の知ることと矛盾せずに、移動が可能になる!
【00】「警告ッ、戦人が書斎扉に接近するでありますっ。」
【ガート】「謹啓。書斎扉のロック解除時には騒音が鳴り響くものなりや。夏妃に不審に思われずして、扉より出ること叶わぬと知り給え。」
 戦人が扉へ向かうような仕草を見せたため、即座に、扉を封印するガートルードが警告する。
 確かに、夏妃が死角にいる間に書斎を出ることは不可能ではない。……しかし。
【ヱリカ】「そうよ…、音よ!! オートロックの解除には大きな音がするのを、私たちは知っているわ! 書斎内の死角に夏妃がいたとしても、オートロックを解除する時の、あの大きな音は聞き逃さない。不審に思わないはずがない…!!」
【ガート】「謹啓。夏妃は扉の開く音、在室中に聞くことはなかりけりこと、申し上げ奉る。」
 水場とトイレの位置は扉に近い。それでなくとも、あの仰々しい音を立てるオートロックだ。その音は必ず聞かれるだろう。
 夏妃はすでに、ヱリカたちに昨夜の状況について詳細に話してしまっており、何も不審なことはなかったと明言してしまっている。それを夏妃が聞き逃したとする理屈は、確かに通らない…!
【ガート】「謹啓、重ねて申し上げまする。扉より金蔵が出入ること、叶わぬものなり。
【コーネリア】「謹啓、無駄な足掻きと申し上げ奉る! いと愚かなり…!!」
【戦人】「………確かに破れねぇな。扉の姉ちゃんの赤は。………だが、窓のあんたはどうだ?」
【コーネリア】「………!」
 扉から出たことはありえないと主張するガートルードに背を向け、戦人は、窓の前に立つコーネリアを見据える。
【戦人】「しっかり張れよ、結界とやら。……お前、………ぶっ飛ぶぜ?
 戦人の狙いは、もはや明白だった。………コーネリア。そして、……窓だ。この密室を、……窓から破ろうというのだ。
 まさか自分が標的に選ばれるとは思わず、コーネリアは一瞬だけ気圧されるが、すぐに冷静を取り戻す。
 逃れようとする魔女が足掻き、結界を張る自分を狙ってくるのは稀にあることだ。そしてそれは、いつも断末魔の悪足掻き!
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。戦人の標的は貴女、コーネリア。注意申し上げるものなりや。」
【コーネリア】「いと愚かなり! 神よ、この愚かなる子羊を憐れみ給え…!!」
【戦人】「羊じゃねぇ。……右代宮家当主ってのはな、鷲なんだぜ。片翼でもな。………その程度の窓で、書斎にいつまでも閉じ込めておけると思うんじゃねぇぜ。」
 ……戦人が、低い姿勢から、……静かに、しなやかに、……白い豹のように走る。
【ヱリカ】「…………ま、……まさか、……こいつは………ッ!!」
【コーネリア】「…………ッ!! こ、これは……。…………ぅ。き、謹啓…! 我が赤が破れる道理はなし! そなたの望み、叶うことなしと知り給え…!!」
 コーネリアが両手で拒絶するような仕草で印を切る。すると赤き結界が戦人の前方を閉ざす。
【コーネリア】「無駄と申し上げ奉る、右代宮戦人…! 謹啓、我が窓は内より閉ざされ、また、夏妃が金蔵を逃したることもなし…!!
【戦人】夏妃伯母さんが祖父さまを逃がしたんじゃねぇ。……祖父さまが、夏妃伯母さんに隠れて、自ら抜け出したとしたら?!
【ヱリカ】「ど、どうして窓から自分で出るんですか、金蔵がッ!!!」
【金蔵】「この狂った晩に、雨天へ飛び出すくらいッ、酒の座興程度にしかならぬわ、私にとってはなッ!!!」
【ヱリカ】「でもここ、3階ですよ?! ありえませんッ!!!」
【ベアト】「そなたとて、階段を下りる時、1段くらい飛ばすこともあるであろう? 金蔵なら、3階くらいは…!」
【南條】「やりかねませんな。」
【熊沢】「やりかねませんねぇ。」
【ヱリカ】「そッ、そんな、ばッ馬鹿な……ッ!!!」
 コーネリアの赤き結界に青い亀裂が浮かび、軽やかな音と共に打ち破られる。それはあまりに呆気ない。まるで、戦人に怯えて、自ら破れて道を譲ったかにさえ見えた。
【45】「エ、…エンドレスナイン…!! 魔法抵抗力、エンドレスナイン!!」
【00】「コーネリアさま、防げませんっ、退避を…!」
 結界が破れると同時に、コーネリアの背後の窓が開け放たれる。一瞬だけカーテンが大きくなびいた。
 そこには雨天とは言え、大空と、中庭が広がる…。この密室から飛び出す、鷲に相応しい出口だ!
【ドラノール】「コーネリア、結界を張り直すのデス!!」
【コーネリア】「御意、上司ドラノール! こ、ここを破ること、断じて叶わぬと知り給え…!!」
 コーネリアはすぐに気を取り直し、もう一枚の赤き結界を張る。……しかし、それが最後の一枚だ。
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げ奉るッ…!! なれば金蔵の窓よりの脱出を仮に認めようぞ…! ならば、外より閉められぬ窓の施錠は如何様にしたのかッ?! 窓は内側より施錠されていた!!
【金蔵】「…………駄目だなッ!」
【戦人】「あぁ、全然駄目だ!!」
 金蔵と戦人がニヤリと笑う! そんな薄い赤で、戦人と金蔵の、二人の当主の突進を防げるとでも?
【戦人】祖父さまが窓より飛び出した後、夏妃伯母さんはちょっとした隙間風に気付いただろうさ。そして窓辺に近付き、窓が開きっ放しになっていたことに気付き、慌てて閉めて施錠したんだ…!!
【金蔵】私がまさか窓から抜け出したなど、夏妃は想像も出来なかったろうな!
【戦人】あぁ!! だから、夏妃伯母さんが、祖父さまはベッドで寝ていると思ったのは当然のことなんだッ!!
 もはや答えを得た戦人の前に、赤き結界など、飴細工より脆い。赤き絶対魔法障壁は、絶対の名を恥じずにはいられぬほどに、再びあっさりと破られる!
 信じられるだろうか? その障壁は、かつてロノウェが朱志香に対して張って見せた如何なるシールドよりも頑丈なのだ。それが、これほどに、……あっさりッ!
 猛然と突進し、今や肉薄する戦人に、コーネリアはそれでも退かない。アイゼルネ・ユングフラウの名に相応しい鋼鉄の精神が、彼女を退かせない。
 懐より護符を取り出し、空間に貼り付け、印を切る。そして赤ではなく、青く燃やす。赤き結界に比べはるかに脆弱と言えど、最後の抵抗だった。
【コーネリア】「こ、ここは通さぬ通さぬ!!謹啓謹啓ッ!! されどここは3階…! 窓より如何にして翼なき人間が逃れるというのか……!! ここは通さぬ通さぬッ、それを知り給えぇえええぇぇええぇえぇッ!!」
【金蔵】「グダグダうるさいわッ、そこで見ておれいッ!!!」
【戦人】これがその答えだああああぁあああああぅううぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!
 戦人が、……飛ぶ。
 コーネリアを青き結界ごと打ち破り、弾き飛ばし、……戦人の体が窓より、雨天の大空の闇に、飛ぶ。
 青き結界の破片が飛び散り、その飛沫を従え、空間を美しく彩った。密室は、……打ち破られた……ッ!!
 戦人は、……屋敷を飛び出す。
 そこは、雨天の中庭の中空。……雨粒全てが、丸い小さな宝石となって、空間に撒き散らされている。雨粒の宝石が無数に満たした、……美しき雨天の宝石箱の世界に、戦人は舞う。
 時間の凍った世界の空で、戦人とドラノールは対峙していた。
 窓を打ち破り飛び出した戦人が、まるで白馬より舞い降りた騎士ならば、……待ち受け、中空を舞うドラノールもまた、騎士だった。
 右代宮家の屋敷によって囲まれた中庭の凍った世界の中空で、……正しき右代宮家の新しい当主と、それを試す天の使徒が、交わる……。
【ドラノール】「……見事デス。例え、あなたが中庭に落ち、生きようが死のうが、金蔵に密室が打ち破れたことに変わりはナイ…!! 命を捨てて飛んだあなたこそ殉教者…!! よくぞ、我らの密室結界を打ち破って見せマシタ。天晴れデス、右代宮戦人ッ!!」
【ドラノール】「されど、我こそは主席異端審問官、ドラノール・A・ノックス!! みすみすと逃すことは出来マセン…! 最後に我が太刀に、あなたと交える栄誉を与え給エッ!!」
【戦人】「あぁ、歓迎してやらぁ。……このゲーム、案外甘くないぜ。」
 雨粒の宝石が、……まるで、雪原にゆっくりと綿雪が降り落ちるような世界で。……ドラノールと戦人が、ゆっくりと、………交差する。
 それは、一見、ゆっくり。だけれども、……一閃。
 二人の視線が稲妻のように迸り、交わる。騎士と騎士の対決は、正面よりぶつかり合い、一撃で決すると決まっている……!
 青と、赤が、……交差した……。
【ドラノール】書斎内に、夏妃の死角が存在することが予め示されマシタカ? 示されていないならば、この推理は許されません。ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ…!!
 ドラノールの青き刃と赤き刃の二段居合いが、戦人を捕らえ、………られない。百戦無敗の太刀が、空を切った……。
【戦人】書斎に入った時、その構造について、はっきりと言及してるぜ。……お生憎だぜ、お嬢さん。」
 ドラノールは、初めて表情を見せる。……それは、ふっと笑うものだった。彼女も、構造がすでに言及済みであることはとっくに知っていた。
 だが、一太刀も交えずに逃せない。異端審問官の名にかけて。だから、及ばぬと知りつつでも、戦人と太刀を交えたのだ。
【ドラノール】「えぇ、知っていましたトモ。……あなたのこの答えはノックス第8条に抵触しマセン。」
【戦人】「……恨むなよ。食らいな。」
【ドラノール】「いざ、来タレ。」
 戦人の手には、……赤く光る刃が。その刃が、赤き真実を、刻み込む……。
“金蔵の書斎は、屋敷の内側に作られた小さな別荘とさえ呼んでもいい”“書斎。書庫。寝所。そして風呂場に水場。複数の部屋で構成されている” すでにそれは提示されている。そしてそれは、部屋単位で死角が存在し得ることを暗示できる…。
 その赤き真実の刀が容赦なく、…いや、手加減という不名誉を一切排して、……ドラノールに刻み込まれた。その鋭利な軌跡は、空間を満たす無数の雨粒の宝石を、美しい半球に刻んで見せた……。
【ドラノール】「見事………デス……。」
【戦人】「……………………。」
 時が、爆ぜる。
 二人は、中庭へ。一方は舞い降りて。一方は、宙を転げるように落ちていく。そして、軽やかな音と鈍い音が一度ずつした。
 ……前者は、戦人が中庭に舞い降りた音。後者は、ドラノールが中庭に墜落した音だ。
 戦人はしばらくの間、しゃがみ込んだ後、………ゆっくりと立ち上がった。3階から飛び降り、……まるで柵でも飛び越えた程度に、軽々と舞い降りて見せたなんて……。
【ベアト】「ば、…戦人ぁあああぁあぁぁ………!!」
 書斎の窓よりベアトが、翼を持たぬはずの戦人が無事に降り立てたかと身を乗り出す。
【戦人】「ベアト!! 来いッ、飛べ!!」
【ベアト】「えッ……?!」
【戦人】「その窓が俺たちの出口の扉だッ! ……だから飛べ!! お前は密室に閉じ込められてるような魔女じゃないだろうがッ!!」
 もはや書斎は密室ではない。ここより飛べる、逃げられる…! 今こそ、魔女を捕らえ窒息させて殺そうとする密室は破られたのだ。
【ベアト】「う、……うむ…!! き、金蔵も…!」
【金蔵】「行け。戦人が答えを見せた時点で、わしの魂はすでにこの密室を逃れておるわ。」
 金蔵の姿が、黄金の蝶の群となって消える。密室結界が解け、魔法を否定する力も霧散していた。
 ベアトは窓へ向かって走る。……魔女狩りの密室の出口はそこしかない。
 異端審問官の部下たちと、シエスタ姉妹を一瞥してから、満身創痍の体に鞭打ち、戦人がそうしたように、窓へ向かって走る。その姿はまるで、鐘の音を聞きながら駆けるシンデレラのよう。
【ヱリカ】「に、逃がすもんですか、ベアトリーチェ、魔女幻想ッ!!」
 ヱリカは、駆け抜けるベアトにしがみ付こうと飛び掛るが、煙を突き抜けるようにすり抜け、床に顔面から転げてしまう。……ニンゲンに魔女が捕まえられるはずもない。愛なき彼女に、触ることの出来る道理などない…!
【ヱリカ】「シエスタ隊、魔女を撃ってッ! 撃ち殺してッ!!」
【00】「照準、抵触せず。発砲不可。」
【ガート】「謹啓。戦人の青き真実を防げる結界の準備、当方になしなりや。」
 シエスタ00もガートルードも、信じられないくらいに淡白にそう言い放つ。
【ヱリカ】「だ、誰にも止められないの? 戦人も? 金蔵も? ベアトリーチェも?! こいつらが逃げ出したら、……わ、……私の、密室が推理が…!! この、……探偵、…古戸…ヱリカがぁ、ぅううぅがあああああぁあああああああああッ! ぐぅおおぉおおおおおおおおごおおおおおおぉおおおぉおお!!!」
 ヱリカは頭を掻き毟りながら、絶叫してうずくまる。
【戦人】「天下の黄金の魔女が、ジジイのカビ臭い書斎如きで打ち破られてるんじゃねぇ!! まだ第一の晩だろうがッ! 新参どもに、お前のゲームが甘くないってことを思い知らせてやれッ!!」
 ベアトも、戦人のように、……飛ぶ。そして、雨粒の宝石箱の世界を、戦人の胸に飛び込むように舞い降りた。……戦人は天使の羽を受け止めるように、彼女を両手で受け止めた。
 それは、まるで……、騎士が、塔に捕らわれた姫君を受け止めたかのような、……まるでおとぎ話の中の一場面を再現した、美しき絵画のようだった…。
中庭
【ガァプ】「………ヤッバイ。……惚れたわ。…右代宮家の当主って、こういうヤツらばっかなの?」
【ロノウェ】「右代宮金蔵の破天荒を記せば、……書斎の魔導書の数に負けぬ長い波乱の物語が書けるでしょうな。その次の当主の物語も、記す価値が多いにありそうだ。いえいえ、もう記しておりますとも。それはもう、長い長い物語に。……ぷっくっくっく。」
 屋根の上で、傘を差した悪魔たちがくすりと笑う。そして、中庭の二人を静かに見下ろしていた。
【ベアト】「は、はっはっはははははは…。……お前、……やるなぁ……。」
【戦人】「お前のゲームで、何回鍛えられたと思ってんだよ。」
 戦人の腕に受け止められたベアトは、呆然としながら、……珍しく戦人を讃える。戦人もいつものように、へらっと笑って見せた……。
【ヱリカ】「………こ、……こんなことが………、ありえない、ありえないッ!!。」
 窓より見下ろすヱリカは歯軋りしながら、なおも頭を掻き毟る。
 ベアトを両腕で抱いたまま、戦人はにやりと笑い返してやる。
【戦人】「ヱリカ。」
【ヱリカ】「……な、…何ですか…。」
【戦人】「黄金の魔女の謎は、お前にはくれてやらねぇ。俺が解く。……こいつはな、俺たち二人の謎なんだよ。な、ベアト。」
【ベアト】「う、……うむ…! 妾の謎は、そ、……そ……。」
【戦人】「そ?」
 戦人が悪戯っぽく笑うと、ベアトは柄にもなく、赤面しながら、だけれども、吹っ切れたような表情で高らかに笑いながら言う。
【ベアト】「妾の謎は、…そ、………そなた、…そなただけのものだ…ッ!! 右代宮戦人! 他の誰にも解かせてはやらぬ…!!」
【戦人】「へへっ、こいつめッ、ふざけたこと言いやがって…!!」
 ベアトが柄にもないことを言い出したのが面白かったのか、戦人は思わず噴出してしまう。そしてベアトを腕に抱いたまま、ふざけるようにくるくると、円舞のように回った。舞い散る雨粒の宝石が、試練を打ち破った二人を祝福する……。
金蔵の書斎
【ヱリカ】「………3階の窓から飛び降りて…? ……無事…? 飛び降りて、……密室を脱出……? ふ、ふざけてます、こんなの、……推理じゃない…ッ……めちゃくちゃです!!」
 せめて戦人が大怪我でもしてのたうち回ってくれれば、……ヱリカにもまだ、立つ瀬はあったかもしれない。老体の金蔵が飛び降りて、無事であったわけがないと主張できたかもしれない。……しかし、戦人は平然と中庭にいて、ヱリカを勝者の貫禄で見上げている。
【ヱリカ】「皆さん、も、…もう一度聞きますけど。……こんなの、ありえませんよね? ニンゲンが3階の窓から飛び降りて、平然と降り立つなんて、そんなのあるわけがない…!! そうでしょう、みんな…?! ましてや、老体の金蔵さんが3階から飛び降りて見せるなんてッ!! こんなの推理じゃないッ!!」
 それに同意を得て、何とか仕切り直しを図りたいヱリカだが、……彼らの返事は、先ほどとわずかほども変わらない。
【南條】「いや、金蔵さんならありえますな。」
【留弗夫】「親父ならやりかねねぇ。」
【絵羽】「お父様だものねぇ……。」
【秀吉】「武勇伝の多いお人や。それくらいじゃ驚きもせんで。」
【ヱリカ】「んな、………なッ、…………!! あ、…あんたたち、……頭も正気も、どうかしてんじゃないですかッ?!?!」
【霧江】「いずれによせ、……あなたの密室議論は、完璧ではなかったわね。」
【ヱリカ】「ふ、……ぐぐぐぐぐぐぐぐ…ッ!!」
 使用人だけでなく、親族たちも口を揃える。金蔵なら、3階の窓から飛び降りても何の不思議はないと口を揃える。い、一体、右代宮金蔵というのは、どういう人物なのか…!!
中庭
【ベアト】「まぁ、60点というところか…。若かりし日の金蔵なら、もう少し派手にやってみせるぞ。もう一捻り欲しいところだ。」
【戦人】「ほぅ、どの程度に捻る?」
【ベアト】「そ、そのだな…。その、……わ、妾を抱いたまま飛び降りるくらいは、や、やりかねん!」
【戦人】「わかった。次の機会には、抱いたまま飛び降りてやるぜ。」
【ベアト】「や、……やれるものなら、やってみよ…ッ。」
 ベアトは思わず、上擦った声を出して唾をごくりと飲み込んでしまう。すると、ベアトの体が、突然、黄金の蝶の群になって崩れてしまう。
 大勢が窓際に殺到し、反魔法の毒素を含む視線を浴びせかけたためだ。ベアトの体は彼らには不可視な存在となって宙に溶ける…。だから、彼らの目には、中庭に堂々と戦人が一人、立っているように見えた…。
金蔵の書斎
【留弗夫】「戦人ぁあああぁあぁあ!! 大丈夫かああぁああぁ!!」
【紗音】「ご、ご無事そうです…! 良かった!」
【ドラノール】「……敗北デス…。……では、書斎の彼らのためにも、……私にトドメを。あの書斎の密室で、如何にして金蔵が逃れたのか、その最後の青き真実ヲ。」
 ドラノールの表情に苦痛はない。…そもそも、喜びも苦しみも、彼女の表情には浮かばない。
 しかし、太刀を杖代わりに、辛うじて立ち上がるその姿は、重いダメージを容易に感じさせた。そして、納得の行く敗北であったことを、表情がないにもかかわらず、感じさせるのだ。
 戦人は彼女に向き合う。
【戦人】「行くぜ。」
【ドラノール】「いざ、来タレ。…………………。」
 ドラノールは覚悟を決めるように、静かに目を閉じ、それでも威厳を保つように胸を張る。
【戦人】「これが俺の青き真実だ。」
 青き力が集まる。……戦人はゆっくりとドラノールに近付く。そして、雨の大空に向かって、青き真実を叫ぶ。
 回想に嘉音が出てくるため、ヱリカ視点で嘉音が見えていることが確定。
 また、ヱリカは嘉音のセリフに反応することがある一方で、紗音がいなくても成立する会話をしている。
【戦人】右代宮金蔵は、夏妃伯母さんの目を盗み、窓より書斎を脱出した。夏妃伯母さんはそれに気付かず、窓を施錠したんだ。これで、夏妃伯母さんが23時に祖父さまの就寝を見届け、扉のレシート封印と窓の内側からの施錠を矛盾させずに、祖父さまは書斎を脱出できる。実際に脱出可能であることは、この俺が実証したとおりだ。以上でこの戦いを決着する!!
 青き楔が、青き落雷と共に、中庭に閃き、天を見上げるドラノールの額に轟き落ちる。
【ドラノール】「……………………ッ。」
【戦人】「………ベアトのゲームは甘くねぇぜ。ミステリーのお約束が通じるかどうかも怪しい。太刀筋は悪くねぇが、もう少しお頭を柔らかくすることだぜ。」
 ……柱を思わせるような巨大な青き楔が、……ドラノールの額の上に、……その先端だけをわずかに触れ、………止まっている。貫き、滅ぼさない。……せいぜい、鉛筆で突っつかれた程度の跡を与えただけだ。
 戦人が指を鳴らすと、その青き楔は砕け散り、透明な宝石の群となって、………いや、雨粒となって中庭に降り注いだ。ドラノールは放心して、ぺたりと座り込む…。
 雷鳴の雨の中、右代宮家の次期当主は、書斎より見下ろす親族たちに対し、……それを誇示するかのように両腕を広げてみせるのだった…。
【戦人】「………ようこそ、俺とベアトのゲームへ。歓迎するぜ。古戸ヱリカ……!」
【ヱリカ】「あっはは、……。………あっはっはっはっは、かっはっはっはっはっはっは…!! 気に入ったわ、右代宮戦人…! グッドだわ、実にグッドだわ…!! あっはっはっはははははははははははははははははは…!! 食らい尽くしてやる…! 魔女の謎とやらをね…!! 腸の奥の奥まで生きながらにねッ!! あっはっはっはっはははくっひゃっはっはっはっはっはっはっはッ!!」
 邪悪な笑いを堪えきれないヱリカを、戦人はベアトと共に悠然と見上げる……。
魔女の喫煙室
【ラムダ】「をっほほほほほほ、おーっほっほっはっひゃっはァああぁ!! あぁ、面白い面白い!! ヱリカ、ざまぁないわね、ふっひっはっははははははははははッ!!」
 準メタ世界の戦人と下位世界の戦人は、異なる行動原理で動いている。下位戦人視点では、もともと殺人容疑をかけることで夏妃の方から自白させるという計画だったため、この場ではいったん見逃した。
【ヱリカ】「うぐ……ぐ、…………。ベ、ベルンカステル卿…。……も、申し訳ありませ…ん……。」
【ベルン】「あんたのその顔。……潰して額縁に飾りたいくらいに、最高に笑える顔だわ。くすくすくすくすくすくす、私の分身が、…情けない情けない無様無様、ふっふふふふふふふっひっひひひひひひひひゃっはっはっはははははははははッ!!」
 自分の親同然でもあるベルンカステルの嘲笑を浴びて、……ヱリカは下唇を食い千切りそうになるくらいに、屈辱に耐える…。
【ヱリカ】「……この……恨みは…必ず…、……必ず………。ぐうぅううううぅ……!! 右代宮戦人…。……ベアトリーチェ……。……右代;宮、…………夏妃ぃいいいぃぃぃぃ……、…ぃっひっひひひひひひひ…!!ひっひゃっはっはははははははははっはっはアッ!!」
中庭
【戦人】「この謎は、俺たちの謎だ。……誰にも邪魔はさせねぇぜ…!! ベアトリーチェ!!」
【ベアト】「う、……うむッ!」
 ヱリカ、上位のメタ世界に初登場。

推理と検証
10月5日(日)11時00分

黄金郷
 黄金郷は、静かな雨が、……いつまでも降り続いている。
 その東屋で、……瞳に輝きを失った悲しき魔女と、……戦人が座っている。
 ワルギリアの姿もあった。……ベアトの隣に座り、静かに編み物をしている。
 ラムダデルタのゲームは、第一の晩の山場を終え、小休止となっていた。
 雨に濡れる黄金の薔薇庭園を眺めながら、……戦人は、今とこれからと、これまでを思い返している……。戦人にとって、考えることが戦いなのだ。ゲームが止まろうとも、ベアトが言葉を失おうとも、……戦いは続けられるのだ。
 ……ワルギリアが、ふと編み棒を止める。戦人も気付いた。
 ……訪れる者などないはずのこの薔薇庭園に、人影がやってくるのに気付いたからだ。
【ワルギリア】「………珍しい。ここへ辿り着ける者がいるとは。」
【戦人】「あいつは……………。」
 静かに降り続ける雨の中、……傘を差すこともなく歩くその人影は、………ドラノールだった。
【ドラノール】「……素晴らしい迷路庭園デス。薔薇を楽しむには、とても良い趣向デス。」
【戦人】「お前、………どうしてここに。」
【ドラノール】「お久し振りデス。ミセス・ベアトリーチェ。…いえ、今は、ミセス・ワルギリア、デシタカ。」
【ワルギリア】「久しぶりですね、ドラノール。……さぁ、こちらへ。客人を雨に濡らす持て成しなど、私たちは心得ませんよ。」
【戦人】「………………………。」
【ワルギリア】「大丈夫。彼女は戦いに来たわけではありませんよ。」
【戦人】「……知り合いなのか。」
【ワルギリア】「天界の古い友人の一人です。……ずいぶん懐かしいですね。」
【ドラノール】「懐かしいデス。ミセス・ワルギリアは天界学問にも造詣が深くおらレル。よく解釈を巡って議論を戦わせたものデス。」
【ワルギリア】「ほっほっほ…。あなたとの数々の知的冒険は楽しかったですよ。またいつか、ご一緒したいものですね。」
【ドラノール】「えぇ。またいつか、ご一緒に必ズ。あなたとは、ぜひまた戦いたいデス。」
 戦うという言葉を使うが、物騒な響きは感じられない。チェスの好敵手、という感じに聞こえた。
 ワルギリアはベアトと違い、礼儀正しく、義理を重んじた為、天界や魔界など、様々な異界に大勢の友人を持つらしい。ドラノールも、その内のひとりだとは驚きだ……。
 ついさっきまで、“俺”と太刀を交えていたドラノールは、まるで急な雨に軒を借りるかのように頭を下げ、ワルギリアが勧めた席に、客人のように座った。
【ワルギリア】「……紅茶に希望はありますか?」
【ドラノール】「何デモ。……あなたの淹れた紅茶なら、どれでも絶品デス。」
【ワルギリア】「では、ダージリンを。……戦人くんも、ベアトも、お代わりはいりますか?」
【戦人】「……あぁ。俺もベアトももらうぜ。……な。」
【ベアト】「…………………………………。」
 ベアトは相変わらず答えないが、……静かにカップを置いてやれば、時折、思い出したように啜る。まだそのカップに紅茶は残っているが、もう冷めてしまっていた。だから戦人は、ベアトの分もお代わりを求める…。
【ドラノール】「……お噂には聞いておりマシタ。……残虐で知られた無限の魔女、ベアトリーチェも、こうなっては寂しいものデス。」
【戦人】「こいつはもう、ゲームには参加してねぇよ。……ゲーム盤のこいつを操ってるのは、ラムダデルタだ。」
【ドラノール】「存じておりマス。……ですが、本来のこの世界の主デス。そしてあなたは、その主に招かれた、正当な客人デス。ですからこうして、ご挨拶に参じマシタ。」
 ゲーム盤の上では、俺もベアトもドラノールに会っている。しかしそれは、あの魔女たちの、ゲームの駒としてだ。俺とベアト自身にじゃない。
【ワルギリア】「だからわざわざ、ここまで戦人くんとベアトに挨拶に来てくれたのですか…? …相変わらず、律儀な子ですね。」
【ドラノール】「私の流儀デス。………初めまして、ミスター・戦人。ドラノール・A・ノックスと申しマス。…敵対する役ではありますが、よろしくお願いいたしマス。」
【戦人】「……おう。右代宮戦人だ。よろしく頼むぜ。」
【ドラノール】「初めまして、ミス・ベアトリーチェ。ドラノール・A・ノックスと申しマス。」
【ベアト】「………………………………。」
【戦人】「……ベアト。お前に挨拶してるぜ。……………………。」
【ベアト】「………………………………。」
【戦人】「……………。……歓迎するとさ。」
【ドラノール】「ありがとうございマス。ミス・ベアトリーチェ。」
 魔女と、それを狩るのを生業にする異端審問官が、紅茶の香る茶席で挨拶をする。……不思議な光景だった。
 ワルギリアは、両手の手の平から、黄金の蝶をひらひらと現しては、紅茶のポットや、茶葉の缶に化けさせる。
 ……魔女らしい紅茶の点て方だ。魔女なのだから、それは別段、不思議な光景ではないのだが。……それを異端審問官のドラノールが正視できるかどうか、ちょっと気になった。
【ドラノール】「……ご安心ヲ。私は振舞われる紅茶の点て方に、口を挟むほど無粋ではありマセン。」
【戦人】「魔法で紅茶を淹れているのにか…?」
【ドラノール】「……物陰に紅茶の道具があり、私たちに隠れてミセス・ワルギリアが紅茶を淹れてイル。それを“魔法で淹レタ”と、私たちが解釈・判断し、物語に記シタ。……ノックス第9条でも認められる解釈デス。」
【ワルギリア】「おやおや…。9条の解釈は、大法院でもタブー視されるほどのデリケートな問題のはず……。私的発言とはいえ、主席異端審問官の発言と知られれば、首が飛ぶかもしれませんよ。」
【ドラノール】「私がどのような解釈を記そうトモ。ミセスの紅茶の味を何ら偽ることにはなりマセン。ですから、私はその点て方を気にすることはないのデス。」
【戦人】「…………………ほぉ…。」
 冷酷そうに見えて、……案外、空気の読めるヤツらしかった。……きっと、ドラノールが、魔法で紅茶を点てることを否定すれば、すぐにこの魔法は砕け散るだろう。
 しかし、ここに紅茶の道具が存在し、それを使って普通に紅茶を淹れていたことが示されるなら、結果的に、ワルギリアが紅茶を淹れた事実に変わりはない。
【ドラノール】「結果を闇に閉ざす魔法は邪悪デス。私たちは許さナイ。しかし、過程を包む魔法は邪悪とは限りマセン。私の敵は邪悪であって、魔法そのものではないのデス。」
【戦人】「なるほどな。………紅茶の持て成しが出てくることが重要なんであって、その点て方について、どうこう突っ込まないのが、客の礼儀ってわけか。」
 ……そうだよな。振舞われる紅茶は、感謝していただくのが客の礼儀ってもんだ。台所にまで押し入って、その点て方をぐちぐちと突っ込むのは、エレガントじゃない。
【ワルギリア】「台所は、客人を招く場所ではありません。そして、そこよりの配膳は、持て成しの心で美しく飾られるべきです。……どうぞ。熱いですよ。」
【ドラノール】「ありがとうデス。砂糖とミルクも欲しいデス。」
【ワルギリア】「くす。まだストレートでは飲めませんか?」
【ドラノール】「子供なノデ。甘くないと駄目デス。」
【戦人】「………魔法ってのは、……やさしい、嘘、……なのか。」
【ワルギリア】「“嘘”というと聞こえが悪いですね。日本語で表現する場合は、“修飾”と呼んだ方が、より相応しいでしょう。」
【ドラノール】「子どもに飴を与える時。ポケットの中でぐしゃぐしゃになったのを出して与えるのと、素敵な手品を見せて、そこから飴を出して与えたのでは、与える感情がまったく違うはずデス。」
【戦人】「そりゃ、手品でポンと飴を出された方が、小洒落てていいよな。」
【ドラノール】「違いマス。飴を与えるという結果に対し、より美しく楽しい修飾を与えたことに、意味があるのデス。」
【ワルギリア】「……真里亞ちゃんに飴をあげる時。ポケットから出して与えるのと、普段から良い子にしていたから、妖精さんが持ってきてくれたと言って、こっそりポケットに忍ばせるのはまったく違う、という意味ですよ。」
【ドラノール】「それを、全員のアリバイを調べて、誰がポケットに忍ばせたのか調べ上げて特定するのは、私は無粋なことと思っていマス。飴を受け取り、少女が喜んだという、結果こそが重要デス。そして、少女を喜ばせるために修飾されたことが、意味あることなのデス。」
【戦人】「……意外だな。魔法と名が付けば全否定みたいな感じで登場しやがったのに。」
【ドラノール】「異端審問官としてはそう振舞いマス。職務ですノデ。ですが、職務を離れている時は、そこまで冷酷になりたくありマセン。」
【戦人】「勤務中は私情は持ち込まないってわけか。……出来るヤツだな。」
【ドラノール】「異端審問官として、魔女を狩るのは仕事デス。……しかし、一個人としては魔女を憐れんでいマス。しかし、異端審問官としては、無慈悲に断罪しマス。」
【ドラノール】「……結果において、私が魔女たちを処刑するのに変わりはナイ。……私の憐れみなど、所詮は無駄な修飾に過ぎマセン。あってもなくても、何も変わらナイ。なら、なくてもイイ……。」
【ワルギリア】「………そんなことはありませんよ。結果が同じでも、心が違えば、大きく意味が異なることもあります。」
【ワルギリア】「……あなたの母が焼いたクッキーは、優れたパティシエが作るクッキーより、きっと美味しかったはず。…それは、心が込められていることを知っているからですよ。」
【戦人】「そうだな。………結果が同じに見えても、……真心ってヤツがあるかないかで、意味は全然変わるかもしれねぇぜ…。」
【ドラノール】「そうでショウカ……。………私の心など、あってもなくても、何の意味もナイ。」
 ドラノールは、少しだけ悲しそうに、紅茶のカップに目線を落とす…。
【戦人】「んなことはねぇ。」
【ドラノール】「………………。」
【戦人】「今の話を聞いて、俺はお前の見方を少し変えたぜ。……だから心が無意味なんてことは、絶対にねぇ。」
 ワルギリアは、自分が言うはずだった言葉を、戦人が先に口にしたことに、少しだけ驚く。
 “心”を知ることは、魔法の本質への第一歩だからだ。戦人はいつの間にか、……ベアトの本質、魔女の本質、…そして一番最初の本質となる魔法について、……無意識に、少しずつ理解を始めているのかもしれない。
 魔女になるにせよ、討つにせよ。……魔法を知ることは、全ての第一歩。ワルギリアは、戦人のそんなささやかな変化を、確かに感じ取っていた…。
【ドラノール】「……先ほどの戦いでは、ありがとうございマシタ。最後の最後に、慈悲を与えてくれたこと、感謝いたしマス。」
【戦人】「あの“俺”は俺じゃねぇぜ。……ラムダデルタが操ってたんだ。」
 俺は、第5のゲームには途中から参加している。“この時点”では、まだ参加していない。だから、俺が参加するまでの間、“俺”という駒は恐らく、ベルンカステルか、もしくはラムダデルタによって操られているはずだ。
【戦人】「……あいつら、どういう気まぐれだろうな。妙にカッコ良くしてくれやがって。あれじゃまるで俺が、ベアトを助けに来たナイト様みてぇじゃないか。」
【ワルギリア】「ラムダデルタ卿は、魔女とニンゲンのそれぞれが均衡し、ドローゲームとなることを望んでいます。………ヱリカの登場により、天秤がニンゲン側に大きく傾いたので、ベアトに加担するように物語を操ったのでしょう。」
【ドラノール】「それは知っていマス。しかし、駒は、出来ないことは出来ナイ。そして、本来の性格に相応しい行為を得意とスル。……だから、あれは確かにあなたの、……戦人の成し得たことデス。だから、あなたに感謝するのデス。」
【戦人】「……何もしてねぇのに褒められるってのは、妙な気分だな。……ゲームがもう少し進めば、俺の駒も俺が操るようになるだろうよ。その時にも、やさしく手加減するかはわからねぇぜ。」
【ドラノール】「私も同じデス。次に太刀を交える時は、遅れは取りマセン。」
【戦人】「上等だ。相手してやるぜ。全力で来い。」
【ドラノール】「約束しマス。全力デス。」
 ……ドラノールか。心のない、無感情な殺人人形みたいなヤツだと思ってたんだが、…案外、話せるヤツなのかもしれないな。……無論、ゲーム盤の上で戦う時は、互いに容赦なしだが。
 しばらくの間、俺たちは雨に濡れる薔薇庭園を楽しみながら、静かに紅茶を楽しむのだった。
【ドラノール】「………ひとつ、謝らねばなりマセン。」
 唐突にぽつりと、ドラノールが呟いた。
【戦人】「何がだ。……さっきの戦いのことなら、もうノーサイドだぜ。お互い、全力で戦ったろ。勝ち負けは時の運だぜ。」
【ドラノール】「いいえ、時の運ではありマセン。…それに任せられなかったから、私は謝罪に訪れたのデス。」
【戦人】「……何の話だ…?」
【ワルギリア】「………………。………勝ちを譲った、ということですね?」
 編み物の手を休めずに、ワルギリアは静かに言う。
【ドラノール】「………ハイ。……ミスター・戦人。」
【戦人】「ミスターは痒いぜ。戦人でいい。」
【ドラノール】「戦人。……謝罪しマス。私たちは全力では、ありませんデシタ。」
【ワルギリア】「………わかっていますよ。……“金蔵は全ゲーム開始時に死亡している”。すでにベアトによって語られている真実です。……あの戦いは、戦人くんには、引き分けに持ち込めれば上々。勝ち目は絶対にないはずの戦いでした。」
【戦人】「……そうだな。……一言そう言われちまえば、それで終わっちまう戦いだった。……なぜ、その赤を使わなかった? まさかステイルメイトだからとでも言うのか?」
【ドラノール】ノックス第2条。探偵方法に超自然能力の使用を禁ズ。その赤き真実を、私たちは直接使うことが出来マセン。しかし、“窓が降雨後に開かれたことはない”という赤き真実を、私は窓を守っていたコーネリアに持たせていマシタ。」
【戦人】「ドーン。…そいつでチェックメイトだ。………どうしてあの姉ちゃんは、その切り札を切らなかった…?」
金蔵の書斎
【コーネリア】「…………ッ!! こ、これは……。…………ぅ。き、謹啓…! 我が赤が破れる道理はなし! そなたの望み、叶うことなしと知り給え…!!」
 それまで、冷静に戦いを進めてきた彼女が、……俺が突進した時、急に焦った。
 俺は突然の攻撃に怯んだものと思っていたのだが、……実際は違った。完全に俺を弾き返せる切り札の赤を持っていたのに、………直前で、使えなくなったから、戸惑ったのだ。
黄金郷
【ドラノール】「わかりマセン。突然、あの瞬間に、切り札の使用が禁じられたのデス。それを失った時点で、あなたの勝利は約束されマシタ。」
【ワルギリア】「………ゲームマスター、ラムダデルタ卿の干渉でしょう。」
【戦人】「あいつめ…。………結局、あの戦いは全て、ラムダデルタの手の平での茶番ってわけかよ。“俺たち”は、あいつの筋書き通りに、お芝居をやらされたってわけだ。」
【ドラノール】「不愉快とは思いマス。しかし、全力で来いと仰られた戦人に、それを打ち明けぬわけには行きませんデシタ。……許して下サイ。」
【ワルギリア】「それでもあなたは、切り札を失っても、残されたカードで全力で戦いましたよ。あなたを非難など、誰に出来るでしょう。」
【戦人】「……そうだな。……むしろ、余計なことをしやがってと、ラムダデルタを怒るべきだぜ。」
【ドラノール】“金蔵が存在しない”のは、すでに確定事項のハズ。ラムダデルタ卿もベルンカステル卿も、それをよくご存知のはずデス。なのに、二人とも金蔵が存在する余地を残してゲームを進めてイマス。……まるで二人で結託して、金蔵を否定させないかのようデス。」
【戦人】「つまり、“祖父さま”を、わざと逃がしたと…?」
【ドラノール】「ハイ。何かの意図があるに違いありマセン。」
【ワルギリア】「…………確かに少し、おかしいですね。…ラムダデルタ卿とベルンカステル卿は、魔女が優勢にならない限り、対立する関係にあるはず。……現在の流れでは、二人が結託することは考え難いのですが…。」
【ドラノール】「私には、何か邪悪な目的があるように思えてなりマセン。それをお伝えしたくて、私はここまで参りマシタ。」
【戦人】「……お前、…そんなことのために、わざわざここまで来てくれたのか。」
【ドラノール】「ハイ。……ですので私はもう、用事を終えマシタ。これにて、失礼しようと思いマス。ゲームも、じきに再開するでショウ。ヱリカと、今後のゲームを打ち合わせねばなりませんノデ。」
 ドラノールは、紅茶の最後の一口をぐっと飲み干し、立ち上がる。
【ドラノール】「次は、第二の晩の戦いニテ。そこにて私は再び、無慈悲の太刀を振り上げるでショウ。……ですからどうか戦人モ。私に慈悲など掛けぬヨウニ。」
【戦人】「……わかってるぜ。…手加減なんかしたら、こっちの頭が叩き割られちまうぜ。」
【ドラノール】「ゲーム盤での私は、ベルンカステル卿の駒、古戸ヱリカの手先も同然デス。これからも、敵として何度も立ちはだかるでショウ。……しかし、私の心は本来、中立デス。……いや、……忘れて下サイ。……そんなことは、あなたと私の関係においては、何の意味もナイ。」
【戦人】「あるぜ。……強敵であることは間違いないが、あんたをムカつきはしなくなった。ヱリカのヤツは、最高にムカつくがな。」
【ドラノール】「良かッタ。私も古戸ヱリカにはムカついていマス。」
【戦人】「へっ、はっはははは。」
 ようやく、ドラノールはわずかに表情を和ませる。……最後の最後で、ようやく心が通い合った気がした。
【ドラノール】「古戸ヱリカは、とても邪悪な存在デス。……先ほどの敗北で面目を潰され、復讐心に燃えたぎってイマス。何を企んでいるのか、私にもわかりマセン。ですが、ロクなことのわけがナイ。注意して下サイ。」
【戦人】「……ベルンカステルの駒って時点で、気を許す気はないぜ。」
 ドラノールは、ならば結構と頷くと、東屋のひさしを出て、雨の中に歩み出す。
【ドラノール】「……あのような邪悪の手先を務めることになろうトハ。………どうして私は、この世界に呼ばれたノカ。」
 ドラノールは小さく溜め息を漏らす。
 “駒”は、自分に与えられた役目をこなすことしか出来ない。そしてその役目は、自分を操る者が与える。……彼女はおそらく、“自分”のプレイヤーである、ベルンカステルに逆らえないのだ。
【ワルギリア】「…………呼んだのはベルンカステル卿かもしれない。しかし、この世界に受け入れたのは、ベアトです。……この子が望まなければ、あなたは迷路庭園を抜け、ここへは至れなかったのだから。……ね、…ベアト……?」
【ベアト】「………………………………。」
【ドラノール】「……………………。……ミス・ベアトリーチェ。あなたは私に何を求められるノカ。……邪悪の手先としての私が、あなたの何かに応えられるならば、幸いなのデスガ…。」
 ベアトに語りかけるが、……もちろん、返事をすることはない。
 ドラノールは、紅茶のお礼にもう一度頭を下げてから、……雨の薔薇庭園に姿を消していった……。
【戦人】「この黄金郷には、ベアトが望まない限り、誰も辿り着けないのか。」
【ワルギリア】「えぇ。……ドラノールをここへ呼んだのは、この子なのですよ。」
【ベアト】「………………………………。」
【戦人】「………ベアトが、……あいつをここへ呼び、俺に会わせたのか…。」
 ……しかし俺は、ベアトが望まない人間がここに辿り着いたことがあるのを知っている。
 縁寿だ。…前回のゲームで、縁寿は招かれざる客人でありながら、……ここへ一人、辿り着いて見せた。あれも、……ベアトが望んだこと、……なのか……?
【ワルギリア】「ここに私がいて、あなたがいることも。ベアトがいることも。そしてドラノールが招かれたことも。……全てはこの子が望んだことなのです。……ドラノールとあなたが過した、このささやかな紅茶の時間さえも。」
【ベアト】「………………………………。」
【戦人】「……ベアト。俺はあいつから、………何を知れというんだ……? それがお前の心臓を探し出し、……安らかに眠らせることと、関係があるのか……?」
 ドラノール・A・ノックス。魔女の天敵。異端審問官。……ファンタジーを否定する、ミステリーの尖兵。
 お前の心臓を抉り出し、……息の根を止めるための、……手助けだとでも言うのか………? ………………………………。
金蔵の書斎
【ヱリカ】「立って下さい。片足で。」
【コーネリア】「……………………。」
 コーネリアはゆっくりと立ち上がり、命じられるままに、片足で立つ。両手は後で組んでいる。そう命じられているからだ。
 それを、ドン、っと。ヱリカは後から両手で突き飛ばす。
 コーネリアはばたんと床に、顔面から倒れた。
【ヱリカ】「立って下さい。片足で。」
【コーネリア】「……………………。」
 コーネリアはよろよろと立ち上がる。そして再び、命じられるままに片足で立つ。
 踏み止まるなと命じられている。だから、顔面から何度も転ばされる。
 辛うじて鼻筋だけは守っているが、何度も床に叩き付けられ、顔は真っ赤だった。
 涙を零してはいない。違う、零せない。落涙さえも、禁じられていたからだ……。
【ヱリカ】「立って下さい。片足で。」
【コーネリア】「……………………。」
 どん。ばたん。
【ヱリカ】「立って下さい。片足で。」
 どん。ばたん。どん。ばたん。どん。…………ばたん。その転倒の拷問を、ヱリカは何度も何度も繰り返している。
 こういう時のヱリカは、物を数えるのが大嫌いだった。だから、両手の指で足らなくなったら、飽きるまで繰り返せばいいと決めている。しかし、ヱリカの取り得は飽きないことだったので、その拷問はいつまでも終わらないのだ……。
 ……ヱリカは、なぜコーネリアが窓を守りきれなかったか、…その事情を知らない。だから、敗北の責任は全て彼女のせいだと、……さっきからずっと責めているのだ。
【ガート】「……謹啓、謹んで申し上げまする。コーネリアの咎を許し給え。すでに彼女の咎の禊ぎには充分なりや…。」
【ヱリカ】「あぁ、そうですか? ではここからはあなたが代わって下さい。」
【コーネリア】「ガ、……ガートルードに咎はなきなりや……。」
【ヱリカ】「ガートルード。………立って下さい。片足で。両手は後で組むように。」
【ガート】「…………………。」
 ガートルードは命令に従い、……両手を後で組み、片足で立つ。
【ヱリカ】「堪えて踏み止まっては駄目ですよ。膝を折ることも許しません。涙を零すことも許しませんから。いいですね?」
【ガート】「………御意……。」
【コーネリア】「ガートルード…………。」
 片足で立つガートルードの後ろを、ヱリカはもったいぶるように歩き回る。いつ突き飛ばすか、それさえももったいぶって楽しんでいるのだ……。
 その時、ガートルードとコーネリアの姿が眩しい光で爆ぜて消えた。……いつの間にか帰っていたドラノールが、彼女らを天界に一度、送り返したからだ。
 水を差されたヱリカは、露骨な悪意の表情をドラノールに向ける…。
【ドラノール】「ミス・ヱリカ。我が部下の咎は、上司の私が背負いマス。どうか部下をお許し下サイ。」
【ヱリカ】「…………ノーサンキューです。お仕置きってのは、苦痛を与えるから意味があるんです。……傷ひとつつかない、不感症の人形女など、面白くも何ともありません。」
 ヱリカはおもむろに、ドラノールの後ろ髪を鷲掴みにして、無遠慮に引っ張る。ドラノールの首が、歪に上を向き、ぎりぎりと軋んだ。
【ドラノール】「……傷は付きませんが、傷付きはシマス。」
【ヱリカ】「ふん。あんたに傷付く心なんてあるわけもないです。魔女狩り殺人人形の分際で。………私に口答えする気ですか? 大ベルンカステル卿の使者にして分身のこの私に…!」
【ドラノール】「………イイエ。」
【ヱリカ】「あんたらが使えないから、私がベルンカステル卿にお叱りを受けるんですッ…!! 二度と無様な真似は見せないで下さい…! い・い・で・す・ね…?!」
 なおもぎりぎりと、掴んだ髪を強く引き絞る…。それが苦痛としてドラノールに伝わることはないが、負の感情は充分に伝わっていた。
【ドラノール】「……………失礼しマシタ。お許し下サイ。」
【ヱリカ】「クズが。」
 ブツンと、……弦の切れるような音と共に、ドラノールの髪を数本、引き千切る。そしてそれを、汚らしいものに纏わり付かれたかのように、手を小刻みに振って払う。
【ヱリカ】「ま、いいです。これで終わりにします。………ようやく、私の怒りも収まり、灰色の脳細胞が疼いて来ましたから。……あの使えない二人を呼び戻して、現場の再構築をして下さい。推理ゲームを始めましょう。」
【ドラノール】「わかりマシタ。………ガートルード、コーネリア。」
【ガート・コーネリア】「「御意。」」
 ドラノールの後に二人が再び姿を現し、先ほどまで彼女らを苛んでいたヱリカの推理のために、世界を再構築する…。
【ヱリカ】「……金蔵の失踪なんて、第一の晩のオマケでしかありません。さぁ、第一の晩の検証を始めましょう。……と、その前に。実は私たちは、殺人事件の発生以前から、一つの謎を突きつけられていることをご存知ですか?」
【ドラノール】「ハイ。昨夜の24時の、何者かのノックによって現れた、片翼の鷲の刻まれた手紙、デスネ。」
【ヱリカ】「そうです。一見、物語はその瞬間に、ニンゲンの誰にも不可能であったと語り、未知の魔女が存在しているかのような幻想を作り出しています。……まずはこの魔女幻想を叩き潰すことから始めましょう。手紙が届けられた、昨晩の食堂の状況から確認していきます。」
【ドラノール】「了解デス。ガートルード、コーネリア。昨晩の食堂の親族会議を再構築。」
【ガート・コーネリア】「「御意。」」
 昨晩の親族会議は、いわゆる親族の大人たちと戦人で行なわれた。さらに途中でお茶の配膳に使用人たちも訪れて加わった。
【ヱリカ】「手紙が現れた瞬間の、全員の立ち位置を確認しましょうか。どうなってましたっけ?」
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。親族会議以前に、ヱリカ、譲治、朱志香、真里亞、南條、郷田、熊沢は、屋敷より退出し、ゲストハウスへ移動したものなり。
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げる。残りは、蔵臼、夏妃、源次の3人のみが2階廊下におり、それ以外の全員は食堂におりしこと、申し上げ奉る。
【ドラノール】「屋敷は、親族会議に先んじて、全て施錠されていた為、それ以外の人間は屋敷に入ることが出来マセン。」
【ヱリカ】「おやおや。それでは、屋敷内の誰にも食堂の扉をノックして手紙を置くことは出来ないということになりますね? うっふふふ。」
【ドラノール】「そうなります。その人物こそが手紙を記した魔女、ベアトリーチェであるとの魔女側の主張でショウ。」
【ヱリカ】「馬鹿馬鹿しい。下らないトリックです。………手紙が24時の瞬間に置かれた保証はありません。それ以前にもう置かれていたと考えるのが常識的です。」
【ドラノール】「手紙が発見されるほんの数分前に、紗音と嘉音を給仕に呼んでいマス。二人を迎え入れる際、廊下に手紙などの不審物が一切なかったことを、複数が確認していマス。」
【ヱリカ】客間にいなかった、蔵臼、夏妃、源次の内の誰かが、その直後に隙を見て手紙を置いただけのことでしょう。いえいえ、ゲストハウスに行ったはずの人物でも可能です。」
【ヱリカ】屋敷は施錠され、外部の人間は入れなかったそうですが、ゲストハウスに戻ったふりをして、屋敷内にこっそりと隠れていた人間がいたなら、その人物が手紙を置いたとしても何ら問題はありません。
【ガート】「謹啓。青き真実、有効なりや。」
【ドラノール】「となると、問題は“ノック”デス。手紙と違い、ノックの瞬間に、その場に存在しなくてはなりマセン。」
【ヱリカ】「なるほど、それこそが魔女という名の、いないはずの人物が存在する証拠だと? 実に馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。その程度で、この古戸ヱリカが屈服するとでも? くすくすくすくす、あっははは!」
【ヱリカ】まず、ノックが、確かに食堂の扉を叩いたものなのか疑えます。例えばですが、屋敷の構造上、2階の特定の柱を叩くと、音が柱を伝わり、食堂の人間は、あたかも扉をノックされたかのように誤認してしまうとか。
【ヱリカ】あるいは、偶然、何かの音をノックと聞き間違え、同様に誤認してしまうとか。あるいは、ノック音を録音したテープがこっそり再生されていて、それがちょうどあのタイミングで聞こえるように細工されていたのかもしれない。
【ヱリカ】「いずれにせよ、扉の向こうに誰もいなくても、ノックを聞かせる方法なんて、いくらでも考えられます…! いかがです? 我が主! 我が推理…!!」
魔女の喫煙室
【ベルン】「………だそうだけど、如何?」
【ラムダ】「ベルンの可愛い駒が、精一杯がんばって考えた青き真実みたいだから、気前良く赤き真実をサービスしちゃおっかしらぁ♪」
 まずは手紙から行こうかしら。24時の大時計の鐘の時に鳴ったノック。そして扉を開けたら、そこに置かれていた片翼の鷲の封筒の、手紙。客間にいなかった人間が、こっそりと廊下に置いて行ったのだろうという想像は、実に王道よねぇ?
 蔵臼、夏妃、源次の3人は、その手紙に触れてさえいない!
【ベルン】「……へぇ。じゃあ、紗音、嘉音が給仕に訪れて、扉を閉じる瞬間に、最後に食堂に入った最後尾のニンゲンは誰…? 例えば嘉音とか。最後尾の嘉音が、扉を閉める時に、こっそりぽとりと手紙を落とせば、簡単じゃない。
【ラムダ】食堂の全員の誰も、いいえ、もっとシンプルな言い方をするわ。24時の時点で屋敷内にいた誰一人! あの手紙を廊下に置いた者はいないわ。
【ベルン】「触れた者はいない、という言い方は出来ないわけ?」
【ラムダ】「そりゃそうでしょ。彼らは“拾って触れたわ”。触れてないとまでは言えるわけない。」
【ベルン】「なるほど。じゃあ、こういう解釈だわ。24時の時点で屋敷外に存在した何者かが、予め手紙を廊下以外の場所に置いたのよ。そして、何らかの方法でそれが移動して、最終的に“廊下に置かれた”。
金蔵の書斎
【ヱリカ】仮の想像ですが、例えば、使用人たちが押してきた、お茶の道具を積んだ配膳車の下部の裏側に貼り付けられていたとか。それは時間が経てば剥がれてしまうような、簡単な接着。それはやがて剥がれ落ちて、存在しないはずの“魔女が置いて行った手紙”となる。つまり、時間差で手紙が現れるようにすることで、真の差出人がその時刻にアリバイを作ろうとする、古典的トリックです。
【ガート】「謹啓。青き真実、有効なりや。」
【ヱリカ】「つまり、ちょうど都合よく食堂の扉の前に落ちたのは、犯人にとって、幸運だっただけということ。下手をすれば、そこは厨房か、廊下か、はたまた食堂の中だったかもしれません。」
【ヱリカ】「……おぉ、グッド! 食堂の中ならば、ずいぶんと素敵ですね。全員の監視の中、突然、床に手紙が現れる。“食堂という密室に忽然と、その場の誰も触れていないという赤”を維持したまま!」
【ドラノール】「お見事デス。配膳車の下部に手紙を貼り付ける行為なら、誰が犯人でも可能デス。」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「手紙についてはまずまずね。でも、それと同じ論法がノックについても通用するかしらぁ? じゃあ、もう一度同じやり取りをしようかしら?」
【ベルン】「………えぇ、どうぞ。」
【ラムダ】蔵臼、夏妃、源次の3人は、ノックをしていない!
【ラムダ】これは、扉だけはノックしていないという、限定的な意味じゃないわよ? 音が伝わる柱だろうと録音したカセットテープの再生ボタンだろうと、そのノック音を生み出したことは断じてないという意味! 無論、直接的にも間接的にも、意図的にも偶発的にも、無意識的にもね!
【ベルン】「すでに楔を打ってるけど、繰り返すわ。蔵臼、夏妃、源次たち3人以外の誰かがノック、あるいは、ノックと誤認させる音を発生させたのかもしれない。
金蔵の書斎
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げ奉る。24時の時点で、2階廊下にいた、蔵臼、夏妃、源次の3人と、食堂にいた全員以外の、一切のニンゲンは屋敷内に存在しなかった旨、申し上げ奉る。」
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。蔵臼、夏妃、源次の3人に加え、食堂の全員もまた、ノックしていないこと、申し上げる。このノックとは、ノック音を生み出す、直接的、間接的、意図的、無意識的、偶発的な全てを含めるものなり。
 直接的ノックとは、文字通り、誰かが扉を叩いてノック音をさせたこと。意図的ノックとは、誰かがノックを装い、擬似ノック音を発生させたこと。無意識的ノックとは、誰かが無意識に意図せず、擬似ノック音を発生させたこと。偶発的ノックとは、何かの偶然によって、擬似ノック音が発生してしまったこと。
【ドラノール】つまり、屋敷にいた人物全員が、ノック音の発生源とは成り得ない、という意味デス。……そしてこの“全員”とは、誰も把握していない、観測されていない人物であったとしても含みマス。
 屋敷にいた全員とは、屋敷内にこっそり隠れていた未知の人物Xさえも内包している。よって、何の言葉遊びもなく、“屋敷内の誰にもノックは不能”を意味している。
【ヱリカ】「……なるほど。どう引っ繰り返そうとも、いわゆる、ゲストハウス組にしかノック音の生成は不可能、というわけですね? 例えば、私。この古戸ヱリカが、カセットテープにノック音を録音し、それをどこかにこっそり仕掛け、ちょうど24時頃に再生されるような仕掛けを施したなら? もちろん、24時の時点では屋敷にはいないわけです。 これなら何も問題ないじゃないですか。」
【ドラノール】「問題ないデス。しかし、扉の前に手紙があればこそ、ノックが、その存在を教えるきっかけとなりますが、もし、厨房などに手紙が落下していたら、ノックは手紙の存在を教えるものにはならなかったように思いマス。」
 ヱリカの推理したトリック、配膳車の下部貼り付けによるならば、手紙の落下する場所は運任せだ。うまいこと扉の前に落ちてくれたから、ノックにより、食堂の彼らは手紙の存在に気付けた。
 しかし、手紙の落下場所が運任せだったなら、……例えば、食堂から離れた厨房や、…下手をしたら、まだ落下せずに張り付いたままということさえあったかもしれない。
 そうだったなら、ノックは、気のせい?ということで無視されて終わってしまう。つまり、ノックのみでは、何のメッセージ性も発生しないということだ。それは、手紙と組み合わされることで初めて、何者かが存在したと主張することが出来る。
 ならば、配膳車下部からの運任せな落下では、ノックと組み合わせられない。ノックによって手紙が発見できるよう、“扉の向こうに”、確かに設置しなくてはならない。
 しかし、屋敷内の誰一人、手紙を廊下に置いた者はいないと、赤で宣告されている。
魔女の喫煙室
【ラムダ】「この廊下に置いた、という赤も、もっと細かく言い直すわ。屋敷内の誰一人、手紙を廊下に置いた者はいない。それは直接的、間接的、意図的、偶発的、無意識的、全ての概念でよ。
【ラムダ】「……例えば、配膳車に“停車すると手紙が落ちる”という仕掛けがあったと仮定する。これならば、食堂の扉でノックするために、一度停車するだろうことが事前に予見できるから、うまいこと扉の前に手紙を落とせるように思えるかもしれない。」
【ラムダ】「しかし、これも駄目なのよ? “配膳車を停車させる”ことが、“廊下に手紙を置く”という行為を間接的に示してる。よってこれでは、台車を押していた紗音と嘉音が“間接的に、無意識に”に置いたことになってしまう! だからこれもダメぇ! さらに言うと、時間が経てば剥がれて落ちる仕掛けも、そこまで配膳車を押した人間によって“偶発的に、無意識に”置いたことになってしまう。もちろんこれもダメぇ!!」
【ベルン】「復唱要求。“24時の時点で、屋敷以外に存在するのは、ヱリカ、譲治、朱志香、真里亞、南條、郷田、熊沢のみである”。」
 食堂の人物が、24時の時点でだけ、……例えば、窓から抜け出し“屋敷内に存在しなかった”とか……。そんな言葉遊びで、赤き真実を潜り抜けている可能性も否定できない。
【ラムダ】「……復唱要求ぅううぅ…? 気前良く赤をサービスしてるからって、ちょっと欲張り過ぎじゃなぁい? 私、ベアトみたいに馬鹿じゃないから、相手の求める復唱にぺらぺら答えたりなんかしないわよぅ…?」
【ベルン】「………今度、お風呂で、マシュマロと金平糖のスクラブで全身マッサージしてあげるわ。生皮剥げるくらいにごりごりと。」
【ラムダ】「うっふふふふ、絶対よ約束だからね。ジュルリ! ……じゃあいいわぁ、サービスしちゃう♪ 復唱要求に応えるわ。“24時の時点で、屋敷以外に存在するのは、ヱリカ、譲治、朱志香、真里亞、南條、郷田、熊沢のみである”!」
 つまり、ヱリカ以下8人は、どう足掻いても扉の前は愚か、屋敷内にも存在できない。そして同時に、どう足掻いても、屋敷内にいた人物は、屋敷の外にも存在できない。
金蔵の書斎
【ヱリカ】なら、配膳車ではなく、廊下の天井に手紙を貼り付けてあったのかもしれません。廊下の天井は案外、高いから、堂々と貼り付けてあっても、誰も気付かないかもしれない。これなら、廊下に落ちるのは確定的。そしてそれを、屋敷外の人物が行なったなら、赤も潜れる! グッド! 私…!。」
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。廊下天井に手紙が存在したことはなきなりや。
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げる。配膳車に手紙が触れたことはなきと知り給え。
【ヱリカ】「………し、知らないです、そんなことッ! とにかく、屋敷以外のニンゲンが、何かのトリックであそこに手紙を置いて見せたんですッ!! あの手紙とノックで、ベアトリーチェを存在させようなどという目論みは、この古戸ヱリカには断じて通用しませんッ。」
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。屋敷以外の全員は、親族会議開始後、屋敷内にて何を行なうことも不可能なり。
【ヱリカ】「じゃあ、親族会議以前に、屋敷以外の何者かが何らかの仕掛けを施したのよ。天井と配膳車以外でです!」
【コーネリア】「謹啓、青き真実、無効なりや。」
【ヱリカ】「何でですか…!! それしかないでしょう?! 天井と配膳車以外の何かに、屋敷以外の誰かが何か仕掛けをしたのよ…!!」
【コーネリア】「き、謹啓。その何かを特定、もしくは仮定せぬ限り、青き真実とは認められぬものなり。」
【ガート】「謹啓。手紙についての、ヱリカ卿の青き真実は全て失われたものなり。」
【ヱリカ】「全て失われた、ですって……?! 言い方にもう少し気を遣ってください、使えない家具の皆さん?! その仕掛けを思いつきさえすれば、即座にチェックメイトなんです…!! それを、ス・ベ・テ、失われたぁ?! 青き真実は無効?! この、……探偵、……古戸ヱリカに、……よくもそんな口を………ッ!!」
 ヱリカの形相が歪む。……ヱリカにとって自らを、いや、自らの推理を否定する言葉は、何にも勝る最悪の苦痛と屈辱なのだ。
【ドラノール】「……ミス・ヱリカ。手紙の謎は一度、保留しては如何デス。…ノックの推理、“屋敷以外の何者かが、カセットテープなどで聞かせた”、とする青き楔は未だに有効デス。音が可能なら、手紙もまた、不可能ではないハズ。」
 ガートルードの髪を鷲掴みにしようとしていたヱリカは、ドラノールの言葉に、それを留まる。
 ラムダは当初、書斎の窓もガムテープで封印されているという筋書きを予定していたが、成り行きで変更したと思われる。
【ヱリカ】「そうです、ノックについては私の青き真実、未だ有効なはずです…! 全てを否定されてなんていません…!! 我が主! 手紙の謎は必ずや解いて見せますッ。お時間の猶予をお許し下さい…!! しかし、ノックの謎については、確かにここに! “屋敷以外の人物が、カセットテープなどでノック音を聞かせる仕掛けを施した”とする青き楔で穿ちました…!」
魔女の喫煙室
【ラムダ】「うっふふふふふふふふふふ…! 本当に可愛い子ね、ベルンの駒は。本当に健気だわ。とりあえず、2つの謎のうち、1つは降参だけど、1つは解けたからお許しをって叫んでる。どうする、許してあげる……?」
【ベルン】「……………そうね。私の駒の分際で降参なんて、恥さらし、絶対に許せないところだけれど。……1つは解いて見せたのなら、今回は大目に見てあげようかしら……?」
金蔵の書斎
【ヱリカ】「わ、……我が主……。」
 ベルンカステルの大目に見るという言葉に、ヱリカは安堵を隠さずにはいられない。
魔女の喫煙室
【ラムダ】じゃあ、お仕置きだわ、ヱリカちゃん♪」
 全ての人物は、ノック音を誤認することはない。
【ベルン】「………へぇ? 何それ。」
【ラムダ】ノック音を誤認しない、ということはつまり。ノック音によく似た他の音を、ノック音と勘違いしたりはしない、ということよ。柱を叩くとノックに似た音がする、なんてのもアウト。ノック音をカセットテープに録音したとしても、それはもはや“ノック音を録音したテープの音”であって、ノック音ではない。だからこれもアウト!
【ラムダ】つまり、実際にあの扉を叩いたノック音を、全員は正確に識別し、絶対に聞き間違えないということよ。あの扉を直接叩く以外のあらゆる音を、ノックと誤解することは絶対にありないということ!!
【ヱリカ】「そ、……そんな……。でもそれじゃ、……あの24時の鐘の音の時、扉を叩ける人物が、存在しないことになるじゃありませんか……。ぐぐ、ぐぐぐ……。」
【ラムダ】「そうよ、存在しないわよ? だって、黄金の魔女、ベアトリーチェが叩いたんだものゥ。くっくくくくくくくくくくく…!!」
【ベルン】「………つまり、あの扉を叩く以外、誤魔化しようはないってことね。ならこういうのはどう? 扉をノックしてくれる何かの仕掛けとか。自動のドアノッカーみたいな仕掛けがあって、それによって手を触れずにノックすることが出来たとか。
【ラムダ】ノックは、人が手で扉を叩くものよ? 仕掛けで叩いたなんて認めないわ、うっふっふふふふふふふふふふふ!! 24時の鐘の時にノックが聞こえたわ。その時、食堂の人物全員が確かにそれを聞いたわ。そして、彼らは誰もノック音を誤認しない。蔵臼、夏妃、源次の3人はノックにかかわっていない。それ以外の人物は誰も屋敷内に存在もしない。そしてノックは、直接扉の前に立ち、手で扉を叩く行為を指す。
 ノックではなく、蔵臼の声を再生するためにカセットテープが使用された。ここでの言及により、ノックス第8条「提示されない手掛かりでの解決を禁ず」への抵触を回避している。
【ラムダ】「……ねぇ、ベルン。どう、私の赤は? まだ第一の晩以前なのに、なかなかシンプルで遊び甲斐があるでしょう? 黄金の魔女は、ノックの音とともに静かに降臨。くすくすくす、うっふふふふふふふふふふふ…!」
【ベルン】「…………………………。くすくすくす。あっはっはっはっははははは!! 面白いわ、本当に面白いわ、ラムダ…! こうでなくっちゃ。あぁ、面白い! あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
 二人の魔女は、これ以上楽しいことはないとでも言うように、けらけらといつまでも笑い転げる…。
【ヱリカ】「く、……………。…わ、…我が主…。ご安心を。その程度の赤、我が灰色の脳細胞は、時間さえ与えられれば、必ずや答えを導き出して見せます…!」
【ベルン】「………あんたなんて所詮は駒。いてもいなくても、私がゲームを進めるには支障がないのだから。特に推理が思いつかないなら、大人しく駒置き場にでも戻って埃を被ってて頂戴。使えない駒は、記憶に留めるのも苦痛だわ。」
【ラムダ】「……ベルンは忘れっぽいからねぇ。あんた、もうちょっと頑張らないと、ベルンに忘れられちゃうわよ…? 忘却の駒置き場で、永遠に埃に塗れながら、決して来ぬ出番を待つのって、……とっても辛いと思うけれど…?」
【ヱリカ】「ご、ご安心を、大ラムダデルタ卿、そして我が主…! 必ずや、お気に入りいただくことが出来るよう、二度と失望させぬ活躍を約束いたします…!」
【ベルン】「…………あら、さすがは私の分身ね、頼もしいわ。……なら、本当に頑張ってね、いろいろと。あまり活躍がないと私、あなたのこと、忘れちゃうかもしれないんだから……。」
 二人の魔女はくすくすと笑いながら、再び、手紙とノックの謎のやり取りを続ける。
 そこに、ヱリカの入り込む余地はない。それに甘んじたなら、……居場所は文字通り失われ、……永遠の忘却に葬り去られる。
 ヱリカは、自分を無視する主の背中の屈辱に、醜い笑顔を浮かべながら耐える。そして、何かの手柄が得られないか、両拳を握り締め、ぐるぐると思考した。
 我こそは探偵、我こそは古戸ヱリカ。大ベルンカステル卿の駒にして分身にして使者…!! 必ずや主にご満足を、ご満足を、絶対絶対、く、ぐぐぐぐぐぐぐ、……右代宮戦人め、……よくも、……この私に、恥を…ぉ…………ッ。
 魔女たちに無視され、暗闇で立ち尽くすヱリカの姿はまるで、廊下か何かにひとりぼっちで立たされているかのように見えた…。
食堂
 朝からとんでもない事件が起こり、朝食を忘れていた俺たちは、もはや、朝食とは呼べない時間に、今日最初の食事をもくもくと取っていた…。
 昨夜から仕込んでいたという、郷田さんの素晴らしき朝食も、まったく心を慰めてはくれない。ぽっかりと空いた数人の空席が、痛みを伴う悲しみを、静かに強いるのだった……。
 するとそんなお通夜のような食事の最中に突然、ヱリカが、がばっと立ち上がる。何事かと一同が注目する。まるで、画期的かつ異常な発明を思いついたかのような、清々しさと狂気が紙一重の形相だった。
【留弗夫】「……おい、どうした。大丈夫か…?」
【ヱリカ】「わかりました、わかりましたッ!! 私にわからないとお思いですか? えぇ、わかりますとも、そんな馬鹿なこと、あるわけがない…!」
 脂汗を浮かべた酷い形相で、ヱリカは戦人を睨みつけながら、そう捲くし立てる。
【戦人】「………わかったって。……何がだ……?」
【ヱリカ】「あなたが、3階の書斎から飛び降りられるわけなんか、ないじゃないですか…! 私たちは誰一人、あんたが飛び降り、中庭に着地したところなんて見てないんですから…!!」
【戦人】「…………………。」
【ヱリカ】あなたは中庭からハシゴを掛けて、3階の窓に留弗夫さんが上るのを見ていた時。その外壁の構造をよく観察し、雨どいなどをうまく伝えば、3階の窓から中庭に下りることは不可能じゃないと気付いたんです…! あなたは飛び降りてなんかいない! 雨どいなどを伝い、みっともなく外壁を這い下りたんですッ!! どうです、私の青き真実は!! さぁ、反論は?!」
【戦人】「………反論って?」
【ヱリカ】「反論はない? ならば私の真実は有効ですね?! ほら見たことか! かっこつけて飛び降りたように見えたのは全て幻想! あんたはかっこつけて飛び出し、雨どいにしがみ付いただけなんです…!!
【戦人】「………………。……あの時の論点は、祖父さまが書斎を脱出可能だったかどうか、だぜ…? そして祖父さまは窓から抜け出すことも可能だった。俺はそれを証明しただけだぜ。……飛び降りようが這い下りようが、それは変わらねぇはずだがな。」
【ヱリカ】「はぐらかさないで下さい!! ニンゲン風情が3階から飛び降りれるはずないんです…!! それ見たことかそれ見たことか…!! 如何です、我が主、我が推理…!!」
【戦人】「……お前、疲れてんのか? メシくらい、落ち着いて食えよ。」
 窓から中庭に脱出して見せた時。ヱリカの言う通り、実際に戦人は、雨どいを伝いながら壁を這い下りた。
 途中で手が滑り、結構な高さを飛び降りてしまったが、うまいこと着地でき、腰を打たずには済んだ。
 ……それには目撃者などないが、この食堂の、多分、ヱリカを除く全員が、きっとそうだったろうと理解している。3階の窓から飛び降りたなんて、誰も最初から信じていないのだ。……それを直接、目撃していなくても。
 だから、ヱリカが何を言い出し、何に拘っているのかわかりかね、怪訝な顔と白い目、そしてひそひそとした囁きを聞こえさせる……。
【ヱリカ】「反論できないでしょう?! あなたの飛び降りは否定された! 私の真実が勝ったんです!! 私の青き真実は有効です!」
【ヱリカ】「我が主、それをどうかお認め下さい!! 私は無能ではありません、失望もさせません…! 必ずやこのようにご期待に応えて見せますから、どうかお見捨てにならないで下さい!! 我が主…!!」
 天井よりさらに向こうにいるのかもしれない誰かに向かい、ヱリカは両手を広げてそう叫ぶ。
 そして、………それに応えたかのような、大きな大きな落雷が、すぐ近くに落ちる。ものすごい音だった。地響きさえ感じた。
 その音と同時に、ヱリカは、まるで操り人形の糸が全て千切れたかのように、カクンと脱力し、椅子に座り落ちる。そして、ゆっくりと元通りの風雨の音が部屋を満たすと、……まるで立ち眩みから目覚めたように、ヱリカはうっすらと目を開ける。
 すると、何事もなかったかのように、静かに食事を再開する。先ほどからずっとそうであるかのように、平然と。
 ……今、ヱリカは突然立ち上がって、おかしなことを捲くし立てなかったっけ……? 思わず、自問したくなるくらいに、ヱリカはさも当然のように、静かに食事を続けている。
 その平然とした様子に一同は、……自分たちが疲れてしまっていて、ヱリカが突然叫び出すような幻を見てしまったんだろうと、それぞれが自分を納得させてしまった。
 だから、ほんの数瞬前のヱリカの変貌ぶりは、白昼夢のような扱いとなり、すぐに全員の記憶から薄れていった……。ヱリカは、静かにサラダを突きながら、誰にも聞こえぬ声で呟く。
 ありがとうございます、大ベルンカステル卿……。我こそは古戸ヱリカ。我が主の駒にして分身。……必ずや、あなたのために最高の物語を献上してご覧にいれます。うっふふふふ……。
【ヱリカ】「そうそう、やっぱりナイフとフォークって、食器として原始的ですよね。お箸が一番です。サラダをもっとも食べやすいのはお箸だとは思いませんか? ねぇ、皆さん?」
 手紙もノックもシンプルに嘘。わかってしまえば簡単だが、戦人を含むほぼ全員が共犯という真相は案外盲点かもしれない。

クローゼット
10月5日(日)12時33分

客間
【ヱリカ】「午前3時に戦人さんがゲストハウスに戻られて。その後、30分くらいで皆さんも解散されたんですね?」
【絵羽】「えぇ、そうよ。いい加減、眠くなってきて。一眠りしてから仕切り直そうってことになったのよ。」
 ヱリカは、第一の晩の殺人犯を炙り出すため、関係者全員に細かく聞き込んでは、そのアリバイや証拠が存在しないか、確かめていた。
 それを確認するために、屋敷中に同行させ、必要ならこの雨の中を、何度もゲストハウスに往復するのだった。……そのバイタリティには感服する。
 ……招かざる客人のはずの彼女が、探偵の真似事をすることに、とっくに一同は違和感を覚えなくなっていた…。
【ロノウェ】「……ヱリカも、着実に、基礎を固めているようですな。」
【ベアト】「無駄なことよ。アリバイがあろうとなかろうと、妾たちの存在を否定することなど出来ぬわ。……金蔵は窓より逃れ、今や六軒島の霞よ。決して捕らえることも、否定することも出来ぬ。」
【ガァプ】「差し詰め、チェス盤の裏側にでも逃げ込んだ、とでも言えばいいのかしら。」
【ロノウェ】「その場合は仕舞い込んだ、というのが適当でしょうな。」
【ベアト】「……そう言えば、例の第一の晩の死体。同じく仕舞い込んだのであったな。」
【ガァプ】「えぇ。異界と人間界の狭間の、私の暗黒に仕舞ってあるわ。」
【ベアト】「……あの探偵気取りに見つけられることはあるまいな…?」
【ガァプ】「当然よ。ニンゲンには絶対不可能だわ。………確認する?」
【ベアト】「念のためな。そして妾たちも、今後のベルンカステル卿の狙いを、今一度、読み直す必要があろう。」
【ロノウェ】「敵を知れば、百戦も危うからずですな。」
【ベアト】「真に知れば、百戦も戦わずに勝てるわ。」
【ロノウェ】「ぷっくくくくく。いやいやまったく。」
 ガァプは漆黒の大穴を天に開き、それで、自分たちを丸ごと飲み込ませる。死体を隠した、異界の狭間にベアトたちを誘う……。
 ……そこは、この世の如何なる場所でもなく、同時に、この世の如何なる時間でもない。つまり、文字通り、この世ならざる場所に違いなかった。
 ここでは、ここが何処か、今が何時かを問うことには、何の意味もない。ここへは如何なる場所からも通じるが、ここからは如何なる場所にも通じない。そして、如何なる時間からも連なるが、ここからは如何なる時間にも経過しない。
 つまり、……ここは彼らが語る通り、チェス盤の裏側。いや、ゲーム盤を退いた駒たちの、駒置き場と呼ぶのが一番相応しいだろう……。
 ……そして、漆黒の世界の向こうに、薄っすらとスポットライトのような灯りで照らされている、5人の死体が見えてくる……。
 首元を鋭利にすっぱりと切られた気の毒な5人の死体が、規則正しく寝かされている。瞼は閉じられ、両手も組まれている。ガァプには、死者への礼儀もあるようだった…。
【ワルギリア】「おや。………今回のゲームの第一の晩の犠牲者は5人なのですか? 6人ではなく?」
【ベアト】「おお、お師匠様ではないか。どこへ行っていたやら、心配したのだぞ。ゲームはもう、第一の晩を迎えて、ご覧の通り、最初の犠牲者が出ておるわ。……さぁいよいよだ。わくわくしてきたぞォ…!」
【ワルギリア】「そうですか。………ここのあなたは元気そうですね。何よりです。」
【ベアト】「?? 妾は元気と魅惑のボディ! あと気立ての良さくらいしか取り得がないぞ? わっはっは。」
 ワルギリアはなぜかベアトの元気を褒める。ベアトは、何を急にババ臭いことを言い出すのかときょとんとしながらも、胸を叩いて応えるのだった。
 今回のゲームでのワルギリアは、席を外していることが多い。戦人が碑文を解いて大騒ぎになった頃には、もう席を外していたかもしれない。肝心なところをだいぶ欠席していたようなので、今回のゲームの展開を、あまり把握できていないようだった…。
【ガァプ】「今のところ、出ている死体は5人。……見ての通り、首をスッパリよ。」
 譲治、朱志香、真里亞、楼座、源次。5人はいずれも、鋭利な何かで首をばっくりと切り裂かれている……。その切り口は、本当の口よりも大きく開き、……もはや、口を呼吸のために使う必要さえないと感じさせるものだった。
【ワルギリア】「……なるほど。譲治、朱志香、真里亞、楼座、源次の死体は、誰が見ても、一目で死亡が確認できる、というわけですね。」
【ベアト】「うむ? 赤か? まぁ、お師匠様にケチっても始まらぬ。そうとも、死んだフリなど絶対にありえぬ、誰もが一目で死亡を確認できる死体であるわ。
【ガァプ】「なぜリーアは赤を……?」
【ロノウェ】「さぁて。……しかし、常にお嬢様のことを想われている方です。お嬢様に利する何らかのお考えがあってのことでしょう。」
【ガァプ】「……ふぅん。」
 赤を使わせないために、こうして死体を隠したはずなのに…。しかし、ロノウェの言うとおり、ワルギリアは常にベアトリーチェのことを第一にしている。
 せっかくの消失死体を赤で確定されてしまい、ガァプはわずかに不満そうな表情を見せる。だが、最後には客人の分を弁え、肩を竦めるのだった。
【ワルギリア】「なぜ、ガァプに死体を隠させたのですか?」
【ベアト】「うむ。今回の妾のゲームは、すでに碑文が解かれているため、普段とは変わっておる。今は夏妃に仕え、夏妃を守ることを目的にしているのだ。」
【ワルギリア】「………………………。彼らの死体を隠蔽することが、どう夏妃を守るのです?」
【ガァプ】「……向こうの手は大体読めてるの。多分これは、夏妃を追い詰めるための罠。恐らく、第一の晩のアリバイを突き詰めていくと、夏妃以外の全員にアリバイが現れるのよ。」
【ロノウェ】「夏妃さまは、昨夜は最初に親族会議を抜けられ、その後はお部屋でひとりでお休みでした。……お気の毒なことに、朝までアリバイがまったくありません。」
【ベアト】「金蔵の存在はすでに否定不能とした。……しかし、一つだけそれを打ち破る手が敵に残されている。」
【ワルギリア】「なるほど。………夏妃を追い詰め、金蔵は存在しないと自白させるわけですね。」
【ベアト】「うむ。敵の狙いは恐らく、そんな辺りよ。親族会議を巡る駒たちの動きから、妾たちはいち早く夏妃の孤立を察知し、その罠に気付き、こうして手を打ったのだ。」
【ガァプ】「死体が消える! 全員にアリバイがあり、運搬者は存在しない。魔女の存在を主張しつつ、同時に、死亡説自体にも疑問を投じることで、夏妃をぎりぎり、容疑者から逃すことが出来るわけ。」
【ロノウェ】「つまり、夏妃さまは、第一の晩の犠牲者が、実は死んだフリだったと主張することが可能ということですな。」
【ワルギリア】「いとこ部屋で大勢がその死を、確実に確認しているにもかかわらず、ですか…?」
【ベアト】「確認など、赤き真実に到底及ばぬ…! 彼らがいくら、確かな死亡を見たと主張しようとも、人間界に赤き真実は存在しない! 死体が存在しない以上、夏妃は彼らのその言い分を、見間違い、トリック、もしくは彼らが全員ウソを吐いている等で、いくらでも延々と言い逃れが可能なのだ。」
【ロノウェ】「赤き真実なき人間界においては、パーペチュアルチェックはもっとも有効な一手。」
【ガァプ】「延々と相手を否定しあっての水掛け論、千日手。……美しくないわ。」
【ロノウェ】「ですな。しかし、美しさとは勝利の先に望むもの。勝利を得ぬ者が欲すれば毒にしかなりませんよ。」
【ベアト】「勝てば官軍と言うでな。わはははははは。」
【ガァプ】「私にとっては美しくなくても、航海者の魔女たちはそれを、退屈しないと呼んで好むのかしらね…。」
【ワルギリア】「…………なるほど。今回のゲームの流れを把握しました。…ずいぶんと嫌らしいものになりそうですね。」
【ガァプ】「百も承知よ。……そして私たちはすでに、夏妃がこれから、さらなる罠に誘い込まれるだろうことを知っている。」
【ワルギリア】「罠?」
【ベアト】「うむ。ラムダデルタ卿が生み出す、19年前の男を名乗る何者かが、すでに夏妃を脅迫している。もうじきの午後1時に、とある客室のクローゼットの中に入り、息を潜めよと命じているのだ。……蔵臼を人質に取られ、夏妃は逆らえん。」
【ワルギリア】「………なるほど。執拗ですね。…庇いきれますか?」
【ベアト】「無論よ。何しろ、夏妃は犯人ではないのだからな。いくら犯人扱いしようとも、真実も幻想も我らに味方する。負ける道理などないわ。くっくくくくくっくっくっく!!」
 夏妃は、紅茶のカップを床に叩き付け、満身の怒りを表して抗議した。
【夏妃】「……そ、それはどういう意味ですか…!! わ、私が、……疑わしいというのですかッ!!」
【ヱリカ】「先に抜けられて自室に戻り、朝まで部屋を出なかったというお話は賜りました。しかし、それを証明していただかないと、アリバイにはならないと申し上げてるのです。」
【夏妃】「証明…?! どうやって…!!」
【ヱリカ】「どうやってでも結構です。客観的に、あなたには犯行が不可能だったと証明してもらえれば結構なのです。………他の皆さんは協力して下さっています。夏妃さんも、そう邪険にされず、どうかアリバイとその証拠を示してもらいたいと思いまして。」
【絵羽】「……そうよ。夏妃姉さんには、丸一晩の空白時間があるのよ。……先に休むと言って会議を抜け、ゲストハウスへ行き、譲治たちを襲ったかもしれない…。」
【夏妃】「馬鹿なことを言わないで下さい!! どうして私が譲治くんを、そして何より、自分の娘を殺さなくてはならないというのですかッ!!」
【霧江】「落ち着いて。……私たちは等しく疑われてるわ。悲しいけど、潔白の証明は各々がしなくてはならない。」
【留弗夫】「あぁ。俺たちだって疑いを晴らそうと、必死に昨夜のアリバイ立証に頭を悩ませてるんだぜ?」
【秀吉】「夏妃さんかて、疑われて面白いはずもあらへん。悔しいと思うなら、自分の潔白を証明する何かを探すのが先決とちゃうか…?」
 親族たちは、疑われているのは全員公平だ、というような口調だが、場の雰囲気はそう和やかではない。
 まだ、ヱリカが裏付けを取っている最中だが、アリバイ立証に消極的な夏妃を除き、それ以外の全員に、何らかの形で信頼性の低くないアリバイが存在しているのだ。夏妃ひとりが、疑われること自体が不愉快だとヱリカに非協力的で、少しずつ立場を危うくしている……。
 すでに夏妃にとって客間は居心地のいいものではない。そしてそれを、カップを割る音が決定的にした。
【夏妃】「ば、……馬鹿馬鹿しいことです! どうして娘を失った私が疑われるのですか…!! 私が昨夜ひとりで先に休んだからと、犯人と決めつけようとする悪意ッ! こんな屈辱には、これ以上耐えられません…!!」
【絵羽】「へぇ、耐えられなきゃどうするの? あなたの無実を証明するアリバイを何か示して見せなさいよ。そんなものないくせにッ!! 譲治を返して、この人殺しッ!!」
【秀吉】「よさんか、絵羽…! ……夏妃さん、あんたも少し疲れてるんや。もちろん、それはわしらもや。少し楽にせんか…?」
【留弗夫】「………だな。俺たちは少し気を張り過ぎだ。」
【戦人】「夏妃伯母さん……。どこ行くんだよ…。」
【夏妃】「アリバイ探しも犯人探しも、実に滑稽です…! 台風が過ぎ、警察が来れば、全てが白日の下に晒されるのです。私たちが探偵ごっこをする理由など何もない。違いますか、ヱリカさん。」
【ヱリカ】「一般論的にはそうですね。ですが、私にはそれをする権限がありますので。」
 誰が許可した権限だというのか。それは誰も問わない。上層の世界より、力ある言葉によって与えられた権限なのだから、駒である彼らには、疑問に思うことさえ許されない…。
【夏妃】「私は退出します。警察が来るまで、皆さんの下らない問答にも付き合うつもりはありません。私を疑うなら、どうぞご自由に。それを疑い、晴らすことも、私は警察に委ねますので。」
 ………今さらではあるが、いや、いつものことか。例によって、警察への電話は通じない。夏妃は警察が来ると言っているが、それは正しくないわけだ。
 正確には、明日、迎えの船が来てくれて、その船の無線で警察へ通報できる、が正しい。まぁ、どうせ、……そこまで全員が生き残ることを許しはしないのだが。…くすくす。
【南條】「……夏妃さん、ひとりになるのは危険だ…。ここにみんなで一緒にいた方が……。」
【絵羽】「いいじゃない。それも立派な証明かもよ? これで夏妃姉さんが自室で殺されてたりしたら、それも立派な無実の証明だわ。」
【留弗夫】「よせよ、姉貴。………夏妃さんも俺たちも、少し一服した方がいいだろうよ。明日まで体が持たねぇぜ。」
【霧江】「一服はしても油断はせず、にね…? 明日どころか、今夜も越せないかもしれないわよ。」
【戦人】「…………夏妃伯母さん。部屋へ帰るなら、しっかり施錠して、窓も鎧戸を閉めて、安全にしててくれよ。……俺は誰も疑いたくない。そしてそれ以上に、……もうこれ以上、誰にも犠牲になってほしくない。」
【夏妃】「………ありがとう、戦人くん。………では、私は部屋に戻ります。郷田、後は任せますよ。お客様に、せめてこのような状況ではあっても、ご不自由をお掛けしないように。」
【郷田】「は、はい、奥様……。心得ております……。」
廊下
 全員に見送られながら、夏妃は客間を出る。彼らの眼差しが、“最初に不和を持ち出し、輪を抜ける者”が、次の犠牲者になるというミステリーのお約束を期待したものであることを、知りながら。
 …………夏妃には、……蔵臼を人質に捕られ、逆らうことの出来ない脅迫がある。もうじき、その約束の時間の午後1時だ。
 指定された客室のクローゼットに、1時間隠れていること。その怪しげな命令は、自分を次の犠牲者に選ぶための罠であると疑うには充分だった。
 何とか抗いたいと、様々な思考を巡らせたが、人質を取られ、身近で監視しているらしい犯人の前では、どんな手立ても無意味だった…。
 だからせめて夏妃は、その命令に素直に従うことで、夫の安全と、そして何より、自分はそれに従わされている被害者であることを、主張するしかない…。約束の時間が近付いたので、客間を抜け出す口実を作るために、夏妃はわざと気分を害したフリをし、カップを床に叩き付けたのだった。
 ………とにかく、どんな卑劣な罠であろうとも、……今は逆らえない。私は今や、片翼の鷲を背負う者。……夫、蔵臼が捕らわれの身である以上、私がどのような泥を啜ってでも、それを守らねばならないのだ…。
【夏妃】「…………………………。」
 ……無論、その覚悟は出来ています。私は右代宮夏妃。この服に片翼の鷲を刻むことは許されていなくても、………お父様に、心に刻むことは許されたのですから……。
【夏妃】「…………………………。」
 ……怒って飛び出すという、自然な流れでここまで来られたと思う。ここまでは、……まずは順調だった。
 目の前には、指定された客室のドアノブがある。……しかし、…鍵はどうなっているだろうか。使っていない部屋には鍵を掛けておくよう、普段から使用人たちに命じてある。
 ……もし、施錠されていたらどうしよう…?
 自室へ戻るというフリをして飛び出したのだ。のこのこと戻り、この客室の鍵を開けろと使用人に頼むのは、どう見ても不審なことだ…。出来れば、……この不気味な隠れん坊の真似事は、誰にも気付かれたくない。
 あの19年前の男を名乗る電話は、誰にも見つからなかったら勝ち、見つかったら負け、と言っていた。
 勝っても負けても、夫を解放するとは言っていたが、……人質を取られている身としては、好んで負けたくない…。悔しいが、今はこのゲームに付き合う他ないのだ。
 そっとドアノブを捻ると、……施錠の手応えはない。紗音か熊沢が清掃の後、施錠を忘れたのか? ……あるいは、あの男が、予め鍵を開けておいたというのか……?
 この部屋の中に、……まさか、あの男が待ち受けているとか。そして、……私を、……………………。
 隠れん坊なんて所詮は口実かもしれない。誰にも内緒でここに来た私は、他の人間からは今、自室で休んでいると思われている。この状況で、私がこの部屋で殺されたなら、……早朝の不可解な殺人事件を延長するような、新しい不可解事件を構築してしまうかもしれない。
【夏妃】「………そ、…そうならば、むしろ好都合です。…犯人と直接対決する良い機会ではありませんか…。」
 夏妃には薙刀の経験があるが、あくまでも習い事としてだ。絵羽のように、暴漢の一人くらいいつでも撃退してやると豪語できるようなものではない。今の夏妃には、悪意ある男と一対一で対峙して、打ち勝てる武器も道理もなかった。
【夏妃】「…………………………。」
 意を決し、……ゆっくりと扉を開ける。いつまでも廊下でぼんやりしていて、誰かに姿を見られるようなことがあってはならないのだ…。
客室
 客室内の空気は、……冷え切っていて、誰かが自分を待ち侘びている、という気配はまったくなかった。聞こえるのは、薄気味悪い風雨の音だけ。
 それは最初こそ、彼女を脅かす何者も存在しないことの証だったが、……すぐに、不安な気持ちを、さらに掻き立てるだけのものになるのだった…。
 クローゼットは、客室に入ってすぐの脇にある。中にはハンガーが並べられ、外套を吊るせるようになっていた。何も吊るされていないクローゼット内は、大人であっても充分に隠れるだけの広さがあった…。
 そっとクローゼットを開ける。……無論、中には何もない。この中に1時間、息を潜めていなくてはならない。
 部屋はフローリングだが、クローゼット内には絨毯のようなものが敷かれていた。……座ることくらいは出来そうだった。
 てっきり、この部屋で誰かが待ち受けているか、あるいはクローゼットの中に、怪しげな手紙でもあるのかと思っていた。……最悪の想像として、夫の死体が入れられているのではないかとさえ思った。
 しかし、それらの想像は全て裏切られた。今あるのは、冷たい空気の客室と、ただ無言で中に入れと促す、無機質なクローゼットだけだ……。
【夏妃】「…………この中に、…1時間隠れていろというのですね…。……馬鹿にした話です。」
 夏妃は肩を竦めると振り返り、客室の扉に鍵とチェーンを掛ける。
【夏妃】「これで、この部屋には誰も入れないではありませんか。……つまり、1時間の間、誰にも私を見つけることは出来ない。私の勝ちです。……馬鹿馬鹿しい隠れん坊ですね。」
 確かに、これで謎の男との隠れん坊は完全勝利に違いない。……しかし、あまりに呆気ない勝利に、むしろ不安を覚えてしまう。
 普通に考えたら、これは隠れん坊の反則だ。……仮に勝てたとしても、犯人の機嫌を損ねてしまうのではないか。
 そして、自分は今、自室に戻っていることになっている。なのに、チェーンが掛かっている部屋があったなら、それはありえない密室ということになる。
 ヱリカはアリバイとやらの裏付けのため、屋敷内をぱたぱたと駆け回っていた。
 もし、この部屋のチェーンに気付いたら、大騒ぎをして、切断してでも室内を検めるだろう。……そうなったら、クローゼットに隠れている自分など、すぐに見つけられてしまう。
 どうして隠れていたのか、正直に白状することは容易い。しかし、それを明かすなとあの男に釘を刺されている。……もしも話してしまったら、……夫に危害が加えられるかもしれない…。
 そう考えると、チェーンは、………いや、鍵だって、まずいかもしれない。そう。この部屋は元々、鍵が開いていたのだ。それが突然、閉まっていれば、それが誰かの関心を引いてしまうことも考えられる。
 ……余計なことをしない方がいい…。あの男は、隠れていろとしか言っていない……。
【夏妃】「…………結局、…言いなりになるしか、…ないのですね……。」
 憎々しいが、……逆らえない。
 私はせっかくの施錠を、2つとも外し、……薄暗く、古い木の臭いで充満したクローゼットの中に入り、うまく器用に戸を閉める。
 ……真っ暗。幼い頃に、母親を驚かすためにした隠れん坊の記憶が蘇るが、不安さを打ち消すのどかな回想にはならなかった。
 本当に真っ暗だった。これでは1時間経ったかどうか、時計を確かめることも出来ない。時折、隙間を開けて、その明かりで時計を見る必要があるだろう。
 ……とりあえず、………腰を下ろし、うずくまる。膝を抱こうかと思ったが、それをしようとすると背中が苦痛だった。
 もうとっくに若くない。小学生の頃は、体育の時間の度に体育座りをさせられたというのに、今では、腰一つ下ろすにも、体を騙している自分がいる。
 こうして、ただうずくまって座っているだけの1時間でも、相当の苦痛になるだろう……。
【夏妃】「……………………はぁ…………。」
 こうして、………暗闇で1時間も、ただ風雨だけを耳にしながら、息を潜めていろなんて。
 皮肉にも、夏妃はまったく同じことを朱志香に強いたことがあった。朱志香が幼少の頃、直らぬ悪い癖を叱り、その反省を促すためにだ。暗い中でじっとしていれば、自ずと自省の心が芽生え、自分の過ちを理解してくれるに違いないと思ってさせたことだった。
 ……何だか、……自分が、そうさせられているような気持ちだった。もしそれが、この隠れん坊の本当の目的なのだとしたら……。…………………………………。
【夏妃】「……甘えた考えです。」
 自省を促すのが目的なら、この1時間の間、きっと何も起こらないだろうと期待したい、心の甘えがそう思わせるに違いない…。
 今の自分に必要なのは、不安とあの男の影に怯えることではない。突然、この部屋にやってくるかもしれない何者かが、突然、このクローゼットを開け、……約束どおり、誰にも内緒でここへ来た私に、何かの危害を加えないかどうか。……むしろそれを心配すべきなのだ。
 犯人、……もしくはその協力者は、相当身近にいる。そうでなくては、私のことを監視など出来るわけがない。
 考えたくはないが、使用人の誰かが犯人に買収されている可能性が高い。犯人は私の部屋に、秋などと書いた不気味なカードを潜ませてみせたのだ。
 自室は常に施錠している。鍵がなければあのような細工は不可能だ。使用人たちの目を盗み、鍵を手に入れたに違いないと考えるよりは、使用人の誰かが犯人に手を貸していると考える方が、ずっと現実的だ…。
【夏妃】「しかし、………ど、どうして、………私の好きな季節が秋だと………。………気持ちが悪い………。」
 謎の男に、心の中まで覗かれているようで、全身に鳥肌が立つのを覚える…。私は確かに秋を好むが、それを口に出したことはない。人に聞かれたことだってないはずだ。……夫でさえ、私の好きな季節はと問われれば、答えに困るだろう。
 …………い、いや。一人だけ、一度だけ喋ったことがある………。
 そうだ。……………紗音だ…。
 ずいぶん昔の秋に、その日はたまたま機嫌が良くて、つい、四季の中では秋が一番好きだと話してしまったことがあった。
 ……何と言うこと、じゃあ、犯人、もしくはその協力者の一人は紗音…!
【夏妃】「私が秋を好きだというのは、紗音しか知りえないこと…。……なら、……これは紗音がかかわっているという明白な証拠ではありませんか…! それを、あの秋というカードが証明しています…! ……何と言うこと…。10年にもわたり、当家の世話になりながらッ………。」
 私は怒りに震えながら、わなわなと慄く。
 ……金蔵はかつて、怒りの感情は、恐怖と不安をもっとも早く中和する鎮静剤だと言っていたっけ。
 群衆の中で、もっとも恐怖に怯える人間を見分けるのは容易い。必ず最初に怒り出すからだ。……そう話してくれたことを思い出す。
 だからこそ、その怒りが、今の自分の怯えを如実に示していると知り、私は冷静に戻ろうと努力する…。……しかし、反撃に転じる興味深い手掛かりだった。
 紗音は使用人としては頼りないが、謎の男に使われている共犯者と考えれば、むしろ都合のいい相手だった。
 気の弱い子だ。脅せば、あっさりと黒幕を吐くに違いない。警察に、こっそりこのことを打ち明けよう。犯人逮捕の大きな手掛かりになるに違いない。
【夏妃】「……あのカードで私を驚かし、うまく手綱を取れたつもりだったのでしょうが、……むしろ墓穴を掘ったようですね。」
 一目で死亡が確認できるが、この時点で死んでいるとは保証しておらず、実質的に何も言っていないに等しい。
 ワルギリアの意図は、魔女に有利な赤を出すことで、上位の方のベアトを楽にしてやること。「ここのあなたは元気そうですね」と言っているのがその証拠。
 紗音にしか、秋が好きだと語ったことはない。これは、彼女が犯人の一味の一人だという、動かぬ証拠になる……。
 不安と不気味さに押し潰されると思っていたクローゼットの時間は、むしろ私に反撃の糸口を与えてくれた。こうして暗闇での時間を与えられなければ、私はこのことに気付くことも出来なかっただろう。
 愚かなゲームを気取った犯人に、むしろ感謝したい気分だった。……気分が高揚する。…夫の無事はまだ確保できないが、必ずや取り戻し、犯人を裁きの場へ引き摺り出してやる…。
 私は強く拳を握り、決してこの戦いには負けられないと、さらに意思を強固にするのだった…。
 ガチャガチャ!!
 その時、突然、施錠された扉を無理やり開こうとする音が聞こえて、私の心臓を飛び上がらせた。
【秀吉】「……何や、開いとったんか。」
 その声は秀吉さんのものだった。独り言のような小さな声で、多分、廊下から聞こえた。
 どうやら、施錠されていると思って鍵を開けたつもりが、逆になってしまい、開いている扉を施錠してノブを引いてしまったらしい。もう一度、鍵を回す音がして、今度は軽やかな音と共に扉が開かれた……。
 ……秀吉さんが、……どうしてこの部屋に……?!
 どかどかと、彼らしい足音が入ってきて、扉を後手に閉めて、施錠するような音がする。チェーンロックを掛けているらしい音も続いた。
 ………まさか、…秀吉さんが、……黒幕…?! あるいは、その一味…?!
 私にこの部屋で危害を加えるつもりだろうか…? こちら側からの施錠とはいえ、チェーンロックを外すのに手間取る。……もし秀吉さんが私を逃すつもりがないのなら、私がもたもたとチェーンを外す時間を与えるわけがない…。
 ならば………、……今にもこのクローゼットをがばっと開き、……みすぼらしく座り込んだ私を見下ろし、……一体、どんな恐ろしい言葉を投げかけてくるというのか…。
 見つかりたくない見つかりたくない…。お願いだからクローゼットの前をそのまま通り過ぎて…。どうかそのまま奥へ行って……!
 彼の賑やかな足音を聞き逃すくらいに、頭の中は爆発しそうな鼓動音でいっぱいだった。
 だから、ガタンガタンという音が、部屋の奥の方から聞こえてきた時、彼がクローゼットの前を無事に通り過ぎたものだと知り、深く安堵した。
【秀吉】「……念のためや。どうせ、この天気じゃ、夜と変わらんわ。」
 そう呟きながら、ガタガタと何かをしている。……恐らく、窓の鎧戸を閉めているのだろう。
 何のために? 私が窓からさえも逃げ出せないようにするために…? いや、……そうじゃないだろう。
 そうだ。私が客間を出て行く時、みんなも一服しようみたいな話になっていなかったっけ。
 何しろ、殺人事件があったのだ。それに天気だって悪い。……ゲストハウスへは戻らず、客室で休みを取ろうと言い出しても、不思議はない。ならば、安全の確保のためにしっかり施錠し、鎧戸も閉めるのは正しい対応だ。
 鎧戸を閉め終えると、……どかっと、ベッドに倒れこむような音が聞こえた。……音だけでも、案外、状況が理解できるものだ。
 ………これは、どういうことだろう……? 19年前の男は、……私と秀吉さんを同室させたくて、こんなことを仕組んだのか…?
 いや、……多分、違う。私をここに隠れさせるところまでは計算の内だろうが、……秀吉さんが、この部屋に休憩に訪れたのは、恐らく、計算外に違いない。
 そう考えると、………彼が在室してくれることで、歪な形ではあるが、自分の安全は保証されるのかもしれない。
 ……妻の絵羽さんはともかく、秀吉さんは話せる人だ。絵羽さんがやって来ると、きっとややこしくなるだろう。秀吉さんがひとりでいる今の内に、ここをごそごそと抜け出し、彼にこっそりと全てを打ち明け、助けを求めてもいいのではないだろうか……。
 でも、そうしたら、夫が殺されてしまうかもしれない…。夫が解放されるまでは、不用意なことはすべきではない……。
 ここを出て話すか、このまま息を潜めているか。私は頭痛に呻きながら下唇を噛んで、ここから這い出たい誘惑に耐えた…。
 秀吉さんに相談したって、夫の捕らわれている場所はわからない。私を監視しているに違いない内通者だってきっと身近にいる。
 相談しただけで、万事うまく行くわけがない。……私は紗音が内通者だと睨んでいるが、ならば、郷田たちがそうでないという保証もない
 ……駄目だ駄目だ……、やはり、……ここを出て打ち明けるのは危険すぎる…。
 するとその内、……しゃくり上げるような、おかしな声が聞こえてきた。
 ……何の声……? 耳を澄まし、そのおかしな音に耳を傾けるとやがて、………それが秀吉の嗚咽であるとわかり、私は呆然とした…。
 秀吉は、……一人息子を失ったことを、こうしてたった一人になることで、ようやく涙を零して泣けるようになったのだ…。
 ……取り乱す絵羽を支えなければと、自分だけは気丈を装っていた。しかし、彼にだって泣く権利も資格もある。……そして、こうして誰にも涙を見せずに済む場所を得て、ようやくそれを自分に許したのだ…。
 …………私だって、……娘を失った。
 …遺体を直接この目で見たわけでないから、……未だに死んだという実感は持てない。しかし、遺体を運び去ったのが犯人で、何かおぞましい目的のためにだとしたら、……考えるだけで、胸が張り裂けそうだった…。
 死んだ娘より、今はまだ生きてる夫のことを考え、こうして息を潜めている。……しかし、もしも許されるなら、…自分だって声を張り上げて泣き叫びたかった。
 でも、……今はまだ、それを自分に許せない。……19年前の男に、息を潜めろと命じられたからではない。自分が、…………右代宮家の最後の、当主だからだ……。
 すっかりこの騒ぎで話が霞んでしまったが、……昨夜、戦人くんは隠し黄金を発見し、謎の手紙に同梱されていた当主の指輪まで得ている。
 ………全てが終わった最後の最後に。私は、彼の当主継承を拒めないだろう。
 そして、遺産分配を巡る全てが明らかにされ、……お父様から受けついだ右代宮家の名誉と栄光は、………地に堕ちるのだ。だから、……私は最後の当主なのだ。
 戦人くんは、右代宮家に残る財産を受け継ぎはするだろう。しかし、歴史と名誉は、……私の代で、全て終わるのだ……。だからこそ、……私は最後の当主。泣いてはいけない。………まだ。
 夫を取り返し、……娘の仇を取るまで、私には涙を流すことは許されないのだ……。私はクローゼットで静かに、秀吉さんの嗚咽を聞きながら、じっと俯き続けるのだった……。
【秀吉】「だ、誰やあんた…ッ。」
 え?!
 心臓が止まる。きっと、ベッドに突っ伏していただろう秀吉さんが、がばっと起き上がったらしい音が聞こえた。……き、……気付かれた……?
 好きな季節を知らなくても簡単なトリックで実現可能なため、逆に紗音を擁護したくなってしまうという仕掛け。
【秀吉】「どこから入ったんや……。……な、…何やそれ…。……ま、待たんか…! ちょ、………ぬお、……むッ、」
 彼は明らかに、誰かと取っ組み合いをしていた。
 ……一体、誰と?! いや、誰であるかは問題ではない。恐らくは犯人で、彼の命を今まさに奪おうとしているに違いない…!
 ここを飛び出し、加勢した方がいいのでは…。加勢は出来ずとも、他の人を呼ぶことが出来るのでは……。
 …いや、でも、そんなことをしたら、どうしてここに隠れていたのか、問い詰められることになってしまう…! しかし、もしもこのまま秀吉さんが殺されてしまうようなことがあったら……。
 いや、そんなことを言ってる場合じゃない…。このままではきっと、殺されてしまう…! ここを飛び出そう、今すぐ助けよう…! あぁ、でも、そうしたら、秀吉さんは救えても、……夫の命を見捨てることになるかもしれない。
 秀吉さんの命と夫の命。……それを天秤に掛けることの何と罪深いことか…!!
 その時、扉が開いて、チェーンを引っ張る激しい音がする。誰かが、チェーンロックにもかかわらず扉を開けようとしたのだ。
【絵羽】「あなた、私よ。開けてくれる?」
【秀吉】「……絵羽、……う、ぐぉおおおおお…!!」
【絵羽】「あなた? …何?! どうしたの?! あなた?! ここを開けてッ?!」
【秀吉】「ぅぐ……、…………ぐぐ…………ぐ………。」
【絵羽】「これ開けてッ! 開けてあなたッ!! だ、誰かぁあああああああああ!!」
 力の限りで扉を何度も開け閉めするが、チェーンが引き千切れるわけない。絵羽さんは大声で助けを求めながら、廊下を駆けていく……。
 その時には、もう部屋は静まり返っていて、……さきほどまでの、取っ組み合うような秀吉の賑やかな気配は、一切消え去っていた。
 これは、………どういうこと……?! 今、私は、……秀吉さんを殺した、殺人者と同じ部屋に一緒にいるということ……?! なら、犯人は早くこの部屋から逃げ出せばいいのに、……どうして息を殺しているの…?!
 秀吉さんを襲った犯人が、慌しく逃げ出していくらしい音は、……まるで何も聞こえない。……どんなに耳を凝らしても、室内に何かの気配はない。それどころか、今の出来事が全て、幻だったのではないかと思うほどに、……静寂。
 それはつまり、………まさか犯人が、……息を殺したまま、…このクローゼットの前に立ちはだかり、…私がのこのこと出てくるのを待ち受けているのでは……。
 もはや私は、何に怯えていいのかわからない。いっそこのクローゼットの暗闇に、溶け込むようにして消えてしまえればいいのに…!
 これ以上、この部屋に留まってはいけない。身の危険だけでなく、色々とまずい気がする…。
 でも、どうすれば?! 私には、このクローゼットを出てよいのかさえわからない…!!
 やがて、ばたばたと大勢の駆け足の音が聞こえてくる。私は再び息を殺して、クローゼットの闇に解けて消える……。
廊下
 絵羽は全員を引き連れ、駆け戻ってくる。郷田の手には、番線カッターが握られている。チェーンを切断するためだ。
 客室の扉を開こうとし、未だにチェーンが掛かっているのを確認してから、その隙間に叫ぶ。
【絵羽】「あなた!! 今、ここを開けるわ…!! 早くそれで切断してッ!!」
【郷田】「は、はい…!」
 郷田が、指さえも切断できてしまいそうな、大きな番線カッターを隙間より差し入れ、あっさりと切断してしまう。
【絵羽】「あなたッ!!」
 切断と同時に郷田を突き飛ばし、絵羽が中に飛び込む。
 そしてその後に全員も続くが、………絵羽が呻きながら膝を落とし、それにぶつかる。だから、部屋の様子がよくわからなくても、…その絵羽の呻きで、もはや手遅れであったことを理解した……。
客室
【留弗夫】「……何てこった……。」
【絵羽】「あなた…!! あなたぁあああぁああ!! 南條先生!! 主人を見て…! 早くッ!!」
【南條】「い、今、見ます……。」
【戦人】「嘘だろ……。…秀吉伯父さんが休むって出てって、10分かそこいらだってのに……。」
【霧江】「……お風呂場には誰もいない?」
【郷田】「は、はい…! 誰もおりません!」
【熊沢】「何ということでしょう、…おおおぉぉ……。」
【絵羽】「あなた!! あなたぁああああぁああぁああぁぁぁぁぁ…!!」
【南條】「………残念だが、…手の施しようがない……。」
 南條は辛そうに俯きながら立ち上がる。
 無理もない。それは、医者でなくとも、誰もが一目でそう思うものだったからだ。
 ……秀吉は、……ベッドの上で、うつ伏せに倒れていた。そして背中には深々と、………悪魔的な意匠の施された、刃物のようなものが突き立てられていた。
 絵羽がそれを力任せに引き抜くと、それが刃物ではなく、杭のようなものであることがわかる。そしてその鋭い先端が、15cm近くも突き刺さっていたのだ。
 肺を深々と貫いているだろう。……もし、さらに強く突き立てられていたなら、先端が胸側に貫けてさえいたかもしれない……。
【絵羽】「だから待っててって言ったのに!! どうして一人で先に行っちゃったのよ…!! 馬鹿馬鹿、馬鹿ぁああああぁあああ!! うわあぁあああぁぁぁぁぁあぁぁ!!」
【留弗夫】「……多分、犯人は、俺たちが油断して、ばらけるのを待ってたんだろうな……。」
【戦人】「畜生め……。まだ血が足りねぇってのかよ…!」
【紗音】「やはり、……この屋敷のどこかに隠れていて、……私たちを狙っているのでしょうか……。」
【霧江】「それよりおかしいわ。……この部屋は戸締りが完璧なのよ。」
【嘉音】「…………っ。…た、確かに。鎧戸も全て閉まってますし、扉にはさっきまでチェーンが……。」
【熊沢】「えぇ?! それはおかしいではありませんか…! それじゃ、犯人はどうやって、このお部屋の秀吉さまを襲ったというんですか…!」
【郷田】「扉の隙間から、この杭を投げて刺したとか……!」
【霧江】「その隙間から秀吉さんのベッドは完全に死角よ。銃を使ったって、殺せやしない。………おかしな話になったわ。密室殺人よ。」
【紗音】「み、……密室殺人……。」
【戦人】「……そうと決め付けるのは早いぜ。風呂場の天井を外して天井裏に逃げたとか、あるいは鎧戸が実は外からでも閉められるとかな。」
廊下
【ヱリカ】「鎧戸は。…………外からはびくともしませんでした。今、確認してきました。」
【戦人】「……ヱリカ………。」
 どうりで、静かで気分が清々すると思ってた。いつの間にかヱリカははぐれていたのだ。彼女は今になって到着し、廊下からひょっこりと顔を出す。
 ……彼女は、事件がこの客室で起こったと知ると、全員が部屋へ殺到するのを見て、むしろ逆に、この部屋に外側から回り込んだのだ。そして、窓には鎧戸が閉められ、外からは何も出来ず、また、異常も認められなかったことを、……たった一人で確認してきたのだ。
【ヱリカ】「室内は、案の定、お約束で……?」
【戦人】「……そういう言い方はねぇだろ。」
【ヱリカ】「お悔やみ申し上げます。で? 室内の状況は?」
【戦人】「………………………。」
【霧江】「……扉にはチェーンが掛かっていて、私たちは切断して入ったわ。」
【留弗夫】「そして窓には全て鎧戸。しっかり内側から施錠されてる。」
【ヱリカ】「……奥は何を揉めてるんです?」
 絵羽が南條に何かを捲くし立てている。
 遺体を客間に運びたいと主張しているようだった。それを南條が、警察が来るまで、現場は極力そっとしておくべきだと、なだめようとしている。
【絵羽】「譲治たちの死体はそうしたらどうなったの?! 犯人にどこかへ持っていかれちゃったのよ?! 犯人は、殺すだけじゃ飽き足らず、遺体にまで何か無体なことをするつもりなのかもしれない…!! だから駄目ッ! ここへ主人をひとりぼっちで残していくなんて絶対駄目!!」
 確かに、絵羽の言い分もある。これまでの犠牲者は、無残な致命傷を与えた遺体を見せ付けた後、必ず運び去られているからだ。
【留弗夫】「……ヱリカちゃん。…現場をそのままで保存したいだろうが、今回はちょいと折れてもらうぜ…?」
【ヱリカ】「……………………。……どうぞご勝手に。私にとって興味があるのは、金蔵さんの書斎よりはるかにまともな密室が出現したことだけです。死体には興味ありませんので、どうぞご自由になさって下さい。」
【戦人】「…………………。」
 戦人が露骨な不快感を示した表情を向けるが、……蛙の面に水とはよく言ったものだ。
【ヱリカ】「……搬出していただいて結構ですよ? 死体。 それとも私が邪魔ですか?」
 ヱリカは、扉の前から下がりその場を譲る。……死者を悲しむ気持ちはわずかほどもない。ただ、密室殺人の出現に目を爛々とさせているだけだ。
 とにかく、探偵殿の許可は出た。……絵羽たちは秀吉の遺体をシーツに包み、郷田と留弗夫の二人で担ぎ出す…。
 すぐにシーツは真っ赤に染まった。それが余りに痛々しく、紗音と熊沢はベッドから毛布を剥ぐと、遺体にさらに被せるのだった…。
【戦人】「……おら、退きやがれ。」
【ヱリカ】「えぇ、退いてますよ。」
【留弗夫】「客間へ運ぼう。」
【郷田】「は、はい…!」
【絵羽】「あなた、あなたぁあああぁああぁぁぁぁ、あぅうううぅぅぅ…!!」
【霧江】「……いいこと、みんな? これからは常に団体行動よ。絶対に孤立しては駄目。」
【戦人】「犯人は源次さんを襲った時点でマスターキーを得ているはずだ。施錠がもはや安全を保証しないことは明白だぜ。」
【熊沢】「し、しかし、チェーンまでされていたのに、どうやって……!」
【嘉音】「……不可能だ…。鎧戸もチェーンロックもしっかり掛かっていた。……マスターキーがあったって、あの部屋に押し入るのは不可能だ……!」
【熊沢】「きっとベアトリーチェさまの仕業ですよ……、…おぉぉぉ……。」
【紗音】「……ベ、ベアトリーチェさまのはずありません…。……碑文は解かれ、すでに儀式の意味は失われたはず…。」
【嘉音】「わかるものか…。こんなの、魔女にしか不可能だ…!」
【ヱリカ】「……魔女にしか不可能、…ですか。グッド! いい響きです。」
【霧江】「ヱリカちゃん、話を聞いてる? 私たちはこれから全体行動って決まったわ。私たちはまず、秀吉さんの遺体を客間へ運ぶ。探偵ごっこはそれからにしない?」
【ヱリカ】「……………………。」
 探偵ごっこという言葉に、ヱリカは露骨に表情を歪める。
 そして、みんながぞろぞろと出て行き、空っぽになった客室に一歩だけ踏み入り、………じっと室内を見渡して、その光景を目に焼き付けた。
 ……ヱリカは自分の記憶力を写真並と称している。それが本当ならば、この数秒の時間だけで、彼女には充分なのだ。あとは客間でのんびり、記憶という名の現場写真を眺めながら、紅茶を傾けて、安楽椅子探偵を洒落込めばいい…。
 そして、ふと、脇のクローゼットに目を留める。
 ……外套を掛けるクローゼット。外套がハンガーに吊るせるほどの大きさなら、………人が隠れることだって出来るはず…………。
 ゆっくりと、…………ヱリカは、……クローゼットに手を伸ばす…………。
【ヱリカ】「………っ、」
 乱暴に、ヱリカの肩が後から掴み寄せられる。
【戦人】「……行くぜ、探偵さん。団体行動を乱すなって、修学旅行で習わなかったか。」
【ヱリカ】「私が旅行に行くと、必ず人が死ぬってお約束がありまして。」
【留弗夫】「おらッ、何してやがるガキども! 早く来い…!!」
 留弗夫が急かす。ヱリカは舌打ちし、クローゼットを睨み付けた後、戦人に促されながら客間へ一度戻るのだった…。
客室
 ………ようやく、ヱリカたちの足音が遠退く。
 頬を伝うほどの冷や汗が滴る音を、聞き取られるのではないかと怯えるほどの恐怖の時間は、ようやく、……終わる。
 私はまだ震えの治まらない手で、ゆっくりとクローゼットを開け、廊下に飛び出す。
 大丈夫、誰にも見られてない……。それにしても、鍵を掛けられなくてよかった…。もしも掛けられていたら、こうして部屋を出た後に施錠できなくて、彼らを不審がらせるところだった…。
 とにかくここを立ち去ろう。そして自室に戻り、ついさっきまで寝ていたということにしよう…。
 そうだ、早く戻らなければ…。新しい殺人が起こったのだ。私にも知らせようとするだろう。きっと、秀吉さんの遺体を客間に運び、ひと段落したならすぐに。
 電話なら、寝ていて気付かなかったともいい訳できるが、直接ノックされたらまずい…。部屋に押し掛けて来る前に、早く戻らなければ……。
 一秒を惜しんでうるさく走ればいいのか、足音を殺して密かに歩けばいいのか、さも何も知らないかのように平然と歩けばいいのか、それさえわからない……! 彼らが客間に戻ってくるところに鉢合わせになるのだけはまずい。とにかく、自分の部屋へ、……足早に、誰にも悟られずに……!
玄関ホール
 廊下を抜け、………ロビーへ。ロビーの大階段を上れば、……私の部屋は、もうじき……。
【ヱリカ】「夏妃さん。」
【夏妃】「ひぃぅ…ッ…!!」
 大階段を上ろうとした矢先を、ヱリカに声を掛けられ、夏妃は傍目に見てもわかるほどに飛び上がって驚く。
【ヱリカ】「……ちょうど今から、あなたにも知らせに行こうと思ってたんです。」
【夏妃】「そ、それはありがとうございます。それで、何かありましたか……?」
【ヱリカ】「………今、夏妃さん。階段を上ってました…? 夏妃さんの部屋って、上ですよね……?」
 ヱリカは冷酷に、その違和感を指摘する。……夏妃は運の無さを呪う。
【夏妃】「ね、…寝付けなくて、客間に戻ろうとしていたのですが、……じ、自分の部屋に鍵を掛けたか不安になり、戻ろうとしたのです。……心配性なので、よくあることです。気にしないで下さい…。」
【ヱリカ】「あぁ、よくありますよね、そういうの。記憶力に自信のない人にありがちな癖です。」
 本来なら、ヱリカのそれは明らかに馬鹿にしているので、ムッとした表情を見せてもいい。しかし、今の夏妃にとっては、よくあることだとヱリカが認めてくれたことに、大きく安堵してしまうのだった…。
【夏妃】「ヱリカさんこそ、お一人でどうしたんですか……?」
【ヱリカ】「例の客室を調べようかと思いまして。」
【夏妃】「客室……?」
【ヱリカ】「えぇ。大変なことになったじゃないですか。現場検証は私の権利ですので。」
 ……ヱリカの舐るような目が、夏妃の瞳の奥を覗き込もうとする。
 わかってる。ヱリカはすでにもう、夏妃を不審がっているのだ。
 ……微妙な言葉のニュアンスから、まだ知らされていないはずの、秀吉の事件を知っているというボロを引き出そうと企んでいるに違いない。夏妃は、とぼける風を装いながら、何かあったのですかと聞き直す。
【ヱリカ】「………………………。」
【夏妃】「…………………………。……な、…何か…?」
【ヱリカ】「いえ。何でも。……また、最初の事件の繰り返しですね?」
【夏妃】「どういう意味ですか…。」
【ヱリカ】「また、あなたは自室で。そして今回も、そのアリバイを証明できないわけですよね?」
【夏妃】「……仰っている意味がわかりません。逆を言えば、私が自室にいなかったことを、あなたこそどう証明されるわけですか…?」
【ヱリカ】「おや、そう来ましたか。ならば、それは追々。……鍵は後にして下さい。皆さんに重大な話があります。」
【夏妃】「鍵を確認したら戻ります。先に始めていて下さい。」
【ヱリカ】「……秀吉さんが、殺されました。その件についてです。」
【夏妃】「え、………えぇ…?!」
 鍵の確認を口実に自室へ逃げ込み、……突然の頭痛と言い訳でもして、ずっと寝込んでようと思っていた。しかし、秀吉が殺された、ということを知らされた以上。それを後回しにして、部屋に逃げ込むのは明らかに不審だ。
 ……2階へ階段を上がっているところを見られ、すでに不審に思われている。これ以上、疑われるようなことをすべきでない……。夏妃は諦め、ヱリカに促されるまま、客間に向かった…。
 客間の扉が開くと、絵羽のすすり泣く声があふれ出してくる。そして、沈痛な面持ちの一同が、じろりと夏妃を迎えた。それはまるで、……夏妃を疑っている眼差しのように見えた。
 夏妃は今こそ痛感する。これこそがきっと、あの男の狙いだったのだ。不可解な密室殺人を起こして、……その濡れ衣を被せようという罠だったのだ。
 しかし、逆らえなかった。夫の命には変えられない…!
 そして、確かに自分はクローゼットに隠れていたが、それだけのこと。殺人は断じて犯していない! 徹底的に疑われるかもしれないが、それでも私は犯人ではないのだ。
 そして何よりも、まだ疑われたわけじゃない。……全ては警察に話そう。それまでの辛抱なのだ。
 きっと使用人の誰かが内通者。このような状況であっても、私が夫を人質に取られていることを話せば、それは犯人の耳に入り、夫を殺す口実にされてしまうかもしれない……。
【ヱリカ】「ちょうど、夏妃さんが戻って来てくれました。全員が揃ったところで、私から皆さんに、とても重要な話があります。」
【戦人】「……重要な話……?」
【ヱリカ】「えぇ、重要な話です。……最初の事件からを全て、皆さんの前で整理したいと思います。」
【夏妃】「それなら、他の皆さんとなさって下さい。私は、そういうことは警察に任せるべきと思っています。関心がありません。」
【ヱリカ】「整理した上で、重要なお話があるのです。あなたにも誰にも、断る権利はありません。」
【夏妃】「な、………………。」
 ヱリカが、探偵権限で、集会の開催を宣言する。この宣言に、駒は逆らえない。夏妃は、自分に話が及ばないことを祈りながら、渋々と進められるままにソファーに腰掛ける。
【ヱリカ】「………あ、すみません。その扉、閉めてもらえます?」
【紗音・嘉音】「「は、はい…。」」
 紗音と嘉音が扉を閉める。……戸締りを厳重にすることが、ついさっき決まったので、嘉音はそこに施錠する。この部屋の安全を守るためのその施錠が、夏妃にはまるで、自分を捕らえて逃さない、牢屋の錠前のように感じるのだった……。
 ……夏妃は、まだ気付いていない。秀吉の客室に、現場検証に行くために廊下に出たヱリカが、……その目的を変えていることに。
 つまりその鍵の音は、ヱリカにしてみれば、まさに。
【ヱリカ】「チェックメイト。」
 唐突にヱリカが、そう宣言する。
 秀吉の一人芝居。他と同様、一番簡単な推理が正しいパターン。
魔女の喫煙室
 唐突にベルンカステルが、そう宣言する。
【ラムダ】「あら、早ァい! なぁに、もう犯人わかっちゃったのぉ? まだ事件だって全然進んでないのよ? もう少し殺させて、色々と手掛かりを集めればいいのに〜。」
【ベルン】「………さぁラムダ、全ての駒を集めなさい。ここからが一番面白いんじゃない。思い切り楽しみましょ、お互いにね。」
【ラムダ】「どうかしらね…? お手並み拝見と行くわよ? くすくすくすくす…!!」
魔女の喫茶室
【ベアト】「24時のゲームセットを待たずに、もう仕掛けてきたとはな…! ベルンカステル卿め、気の早い御仁よ…!」
【ロノウェ】「相当の早仕掛けですな。この段階で、もう勝てる算段があるとは…。」
【ガァプ】「……普段なら、魔女の存在を主張するだけで勝てるけど、……今回は夏妃や金蔵や、守るものが多いわ。……面倒な戦いになりそうねぇ。」
【ベアト】「面倒な戦い、大いに望むところよ! 妾の黄金の島で、これ以上の好き勝手はさせぬわ…!! 受けて立とうぞ、ベルンカステル卿! 古戸ヱリカ!」
黄金郷
 ……黄金郷は、いつまでも終わらない雨が、降り続いている。
 戦人の姿はない。もうじき、戦人が第5のゲームに参加した時間になるので、駒のコントロールが戦人に引き継がれる。
 つまり、ベルンカステルが、犯人を特定したというこの終局の段階になって、ようやくゲームへの参加が認められたというわけだ。
 だからついさっき、この東屋を出て行った。
 今、姿があるのは、黙々と編み物を続けるワルギリアと、……カップに口も付けずに、…ただぼんやりと紅茶の香りの中、まどろむような表情を浮かべるベアトだけだ……。
 ワルギリアは編み物の手を休め、……どこまでも続く、広大な黄金の薔薇庭園の彼方を見やる。
【ワルギリア】「……戦人くんは、誰が犯人云々というだけのゲームなら、……もう二度と、屈することのない力を身に付けたと言えるでしょう。」
【ベアト】「…………………………………。」
【ワルギリア】「第4のゲームまでで、あなたは全てのメッセージを、彼に伝えています。………つまり戦人くんは、……いつでも、全ての真実に気付いても良いということです。………しかし、彼には甘えがある。……だから。このままゲームを幾百と続けたとしても。永遠に解けはしない。まるで青い鳥を探すかのように、永遠に彷徨い続けるだけ。」
 そしてそれは、…………ベアトリーチェ。あなたもなのですよ。あなたとて、ゲームを幾百と繰り返したとしても。あなたの望む答えになど、永遠に辿り着けるわけもない。
 ベルンカステルは、確かにゲームを振り回すでしょう。ラムダデルタもまた、傍若無人の限りを尽くして、ゲームを掻き回すに違いない。それは一見、あなたと戦人くんにとって、ゲームを奪われたように見える、屈辱的なことです。
 …………しかし。
 今のあなたたちには、それは必要なことなのです。戦人くんの甘えを断ち。あなたの迷いを、断つ。
【ワルギリア】「だからあなたは。あの二人を呼んだのです。あなたたちの、永遠の拷問を、終わらせるために。」
【ベアト】「…………………………………。」
【ワルギリア】「あの二人はあなたに、勝利か敗北のいずれかを与えるでしょう。しかしそれはいずれであっても、もはや慈悲に満ちたものです。………あなたにももう、それはわかっているはず。」
 ワルギリアは、娘のように可愛がってきたベアトに、……何度も見せなかったに違いない、冷めた目を見せる。それはまるで、叱り付けるのでなく、静かに自省を促す、母のような眼差しだった。
【ワルギリア】「ベアトリーチェ。………あなたはいつまでそうして、……生きるでもなく、死ぬでもなく。………天国に登るでもなく、地獄に堕ちるでもなく。煉獄山の頂上でぼんやりとしているつもりなの……?」
【ベアト】「…………………………………。」
【ワルギリア】「私はワルギリア。彼を煉獄山に案内し、頂上のあなたのところまで連れて来ました。……そしてあなたはベアトリーチェ。彼の手を取って天国へ登るか、彼を抱いて地獄へ堕ちるか、選ばなくてはならない。」
 天国と地獄の狭間の、煉獄という名の葛藤は、地獄よりも辛く苛むことがあるのを知っているだろうか…?
 地獄の門には、望みを一切捨てよと書いてある。……望みを捨てた人間は、苦難を受け入れることで、諦めることもまた出来るのだ。しかし、煉獄の住人には、望みがある。天国に至れるかもしれないという、捨てきれぬ望みがある。
 だから、苛む。希望という名の一本の針に勝る拷問道具は、…地獄にさえ存在しないのだから……。
【ワルギリア】「飛びなさい。煉獄の崖より。……淡く脆くて下らない希望の未練ごと、パンドラの箱を開け放ってしまいなさい。怖いでしょう? 箱を開けるのは。」
 ベアトは無言だったが、………一粒の涙を浮かべながら、小さく頷いた。
【ワルギリア】「箱の中の猫は生きているのか、死んでいるのか。それを確かめる時が、来ました。……死んでいる猫ならば、早く供養して、天へ登ってもらいなさい。生きている猫ならば、早く餌を与えて、全ての愛情を注いであげなさい。生き死にに関係なく。あなたの猫箱は、猫を永遠に冒涜しています。………あなたが開くことを恐れた箱の鍵を、あの二人が持ってきてくれましたよ。」
 ベアトリーチェ。あなたは、死ぬべき時を迎えたのです。
 願わくば。あなたの心臓が、あなたの望んだ人の手によって、……止められることを願っています。
 ベルンはこの時点で真相に至っており、ラムダはその推理を正解と認定。しかしベルンは、戦人へのネタバレ回避のため、夏妃を犯人として追い詰めるシナリオにて続行を提案、ラムダ了承。
 これ以降、幻想法廷でのベルンとラムダは立ち位置が不自然になっているが、このように考えておくと理解しやすい。

幻想大法廷
10月5日(日)24時00分

大聖堂
 ………ゲーム盤の全ての駒が一同に、揃う。ニンゲンも、家具も、魔女も、さらにその上の魔女も、……ゲーム盤の上の全てが、一堂に集う。
 そこは、天井が信じられないほど高い、荘厳な大聖堂のような場所だった。
 白い石造り。黄金の装飾。窓はあっても、入口もなければ出口もない。不思議な不思議な場所だった。
 でも、なぜか、誰もそこがどこかを不思議には思わなかった。……不思議に思う権利を、与えられていなかったからだ。
【ラムダ】「駒ども。全員揃ったかしら?」
【00】「全員揃いましたであります。」
【ラムダ】「ご苦労様。……壮観ね。一体、今ここに何人いるのかしら。」
【ベルン】「…………何人いようとも、18人を超えた存在は、全て幻よ。」
【ベアト】「それを認めさせるのが妾のゲームでな。くっくっくっく!」
 3人の魔女は、一際高い、バルコニーに設けられた特別な玉座に腰掛けていた。中央にゲームマスターのラムダデルタが座り、半円状のバルコニーの左右に、向かい合うようにベルンカステルとベアトリーチェが座っている。
 その眼下にヱリカが駆け出て、スカートの端を摘みながら、うやうやしくお辞儀をする。
【ヱリカ】「大ラムダデルタ卿、我が集会宣言をお聞き届け下さり、感謝いたします。……そして大ベルンカステル卿、我が主。ご期待下さい。必ずや主を苛む退屈の毒を一時であろうとも、忘れさせてご覧にいれます。」
【ベルン】「えぇ、期待しているわ。………それでこそ、私の分身。私の駒よ。」
 ヱリカとベルンカステルは、にやぁと、目を背けたくなるような醜悪な笑顔を交し合う。
【ラムダ】「お聞きなさい、魔女ども、ニンゲンども!! これより魔女集会にて、幻想法廷の開廷を宣言する!!」
 ゲームの支配者が、力ある言葉で宣言する。その言葉は、これほどの広大な空間でありながら、まるで鐘楼の鐘を鳴らすような力強さで響き渡った…。
【ラムダ】「お前たちのこのゲームにおける生と役割はおしまい! 第5のゲームはこれにて閉じられ、24時を迎えての答え合わせとなるわ! ……ではさっそく、と言いたいところだけど、その前にまずは軽く自己紹介から始めようかしら? これだけ大勢いるんだしね。」
【ラムダ】「うっふふふふ! 私はラムダデルタ! 絶対の魔女にして新しきゲームの支配者!」
【ベルン】「………ベルンカステル。奇跡の魔女。……ベアトリーチェの魔女幻想の看破を目的とするわ。」
【ベアト】「無限の魔女、ベアトリーチェである。我が存在の主張と、夏妃、金蔵の保護を目的とする。」
【戦人】「……………………………。」
【00】「……戦人さま。次なる序列はあなたであります。」
【戦人】「………右代宮戦人だ。ベアトの、………いや、魔女どもと戦ってる。……以上だ。」
【00】「ご存知と思いますが、貴殿は今回のゲームは途中よりの参加となっております。魔女集会開催のこの時点では、まだ未参加ということです。おわかりでありますか…?」
【戦人】「わかってるぜ。……しばらくは発言権がないってことだろ。」
【00】「ご理解、感謝であります。」
 戦人は、魔女たちに次ぐ序列を持ちながらも、大聖堂に並ぶ長椅子に、他の親族たちに混じり、その最前列の端に、孤立するように座っていた。
 バルコニーのベアトと目が合う。
【ベアト】「妾の宿敵であると、一言、言えば良いものを。」
【戦人】「………お前だけの敵とは、限らねぇからだよ。」
【ベアト】「ふ…。………取り返すぞ。これは妾たちのゲームだ。」
【戦人】「…………………あぁ。」
 本当は、ベアトの魔女幻想と戦っていると言おうとした。…………元々、俺の敵はベアトただひとりだ。だが、……ヱリカも、そして、ベアトの物語を勝手に弄り回すあの魔女どもも、……今や俺の敵だ。
 俺は誰と、どう戦えばいいのか。発言権がしばらくないのは、むしろ俺には好都合だ。頭を冷やし、冷静にここから全てを俯瞰してやる……。
【ヱリカ】「魔女集会の開催発起人にして探偵、古戸ヱリカです。この第5のゲームの犯人を暴き、この物語に愉快なピリオドを与えてご覧にいれます。」
 改めてヱリカが、頭上の魔女たちと、後のニンゲンたちに挨拶する。
【ラムダ】「私も期待してるわ。さ、残りの駒どもも、適当にざらーっと自己紹介なさい。」
【45】「ニンゲンども! 全員、自己紹介を…!」
 45が自己紹介を促すと、金蔵が立ち上がる。
【金蔵】「……右代宮金蔵だ。書斎の窓より抜け、六軒島の何処かに潜んでおる。」
【蔵臼】「右代宮蔵臼。現在は捕らわれの身で、どこかに監禁されている。」
【絵羽】「右代宮絵羽よ。生きてるわ。」
【留弗夫】「留弗夫だ。……この後もずっと右代宮だからな、名字は端折るぜ。」
【楼座】「右代、……楼座です。第一の晩に殺されました。」
【朱志香】「朱志香。同じく、第一の晩に死亡だぜ。」
【譲治】「譲治です。……同じく、第一の晩に死亡。」
【真里亞】「真里亞。死んじゃったけど、私はこうして喋ってる。ね? 死ぬことなんて、大した問題じゃないでしょ? きひひひひひひひひひひひ…。」
【夏妃】「右代宮夏妃です。……生きております。」
【ヱリカ】「…………うっふふふふふふ。」
【夏妃】「………………く…。」
【秀吉】「秀吉や。ついさっき殺されたばかりや。」
【霧江】「霧江よ。まだ生きてるわ。」
【南條】「南條です……。私も永らえておりますな…。」
【源次】「源次と申します。………第一の晩に、死亡でございます。」
【紗音】「紗音です。……生存してます。」
【嘉音】「嘉音です。同じく、生存。」
【郷田】「ご、郷田です。よろしくお願いします、皆様方……。」
【熊沢】「熊沢でございます…。よろしくお願いします……。」
【410】「続いて、魔女ども! 全員、自己紹介を!」
 ワルギリアたちの姿もある。ベアトたちのそれとは違う、2階客席のように張り出したバルコニーがあり、そこに座って、まるで観劇するかのように見下ろしている…。
【ワルギリア】「………ワルギリアと申します。ベアトリーチェの師匠です。」
【ガァプ】「ガァプよ。死体を消す役担当。」
【ロノウェ】「ロノウェ。紅茶を淹れる役担当ですな。ぷっくっく…。」
【ルシファー】「煉獄の七姉妹を代表してご挨拶申し上げますっ。第二の晩の秀吉殺人を担当しましたっ。」
「「「「「「煉獄の七姉妹ここに!」」」」」」
【00】「続けて、ヱリカ卿の家具どもは自己紹介を。」
【ガート】「ガートルード。異端審問補佐官なり。」
【コーネリア】「コーネリア。異端審問補佐官なり。」
 彼女らの姿も、同じ2階客席にある。ワルギリアたちとは離れて座っていた。
 そして、……二人に挟まれるようにして着席していたドラノールが、ゆっくり立ち上がる。まるで、その位置から、全てを監視するような威圧と貫禄が感じられた。
【ドラノール】「ドラノール・A・ノックスでありマス。………ヱリカ卿の主席補佐を務めマス。」
【戦人】「……………………。」
【ドラノール】「戦人。あなたには期待していマス。私を失望させないで下サイ。」
【戦人】「……お互い、全力でぶつかるだけだ。」
【ヱリカ】「ドラノールの出番は、本来なら必要ありません。しかし、魔女側が醜く言い逃れを弄ぶ時、それを断罪してもらわねばなりません。……書斎での奇跡は、二度と起こりませんから。」
【戦人】「………………………。」
【00】「最後にご挨拶申し上げます。本魔女集会の進行管理を命ぜられた、シエスタ姉妹近衛隊であります。」
【45】「よ、よろしくお願いします…!!」
【410】「にぇにぇ♪」
【00】「以上で全ての駒の自己紹介を終了するであります。一堂に会するは全38名!」
 第5のゲームだけで言えば38名となるが、過去のゲームにもかかわった駒を全て数えれば、それをさらに上回るだろう。チェスに何度も例えたこの不思議なゲームは、すでに駒の数を、チェスよりも遥かに多くしているのだ。
【ラムダ】「いいわ。では始めようかしら。発起人、始めてちょーだい! ……あぁ、悪いけどそこの山羊さん。ジュースのお代わりお願いね。」
【ベルン】「……私にはポップコーンを。」
【ラムダ】「あぁ、そうだったわね。………悪魔の観劇はポップコーンと相場が決まってると、あんたが決めたんだもんね。」
【ベルン】「えぇ、楽しませてもらうわ。………あと、紅茶と辛子味噌をもらえる? ヱリカ、始めなさい。私の退屈は、もう始まってるわよ。」
【ヱリカ】「はい、我が主ッ、お任せを…!! 静粛にッ!! 沈黙を!」
 その声に、シエスタ姉妹兵たちが背筋を伸ばして右膝を上げ、その踵を力強く床に打ち付ける。
 それは低く重い地鳴りとなって、大聖堂のひそひそとしたざわめきを、瞬時に消し去り、さらに彼らの表情と瞳までも虚ろなものに変えてしまう。……まるで、蝋人形が並べられているように、不気味に静まり返る…。
 重苦しい静寂の中、カツカツと踵を鳴らせながら、ヱリカがもっとも注目を浴びる中央へ、歩み出る。
 顎で合図すると、柱の裏より山羊の従者が現れ、………中央正面にひとつ、粗末な椅子を持ってくる。それはきっと、……被告人席なのだ。
【ヱリカ】「古戸ヱリカは告発します。第5のゲームの殺人犯は、」
【ヱリカ】「右代宮夏妃さん。あなたが、犯人です。」
 ヱリカが夏妃を指差し、宣言する……。
 夏妃の蝋人形だけがびくりと反応し、表情を取り戻す。……狼狽の表情だった。
【ラムダ】「シエスタ姉妹。被告人を席へ連れてってちょうだい。」
【00】「了解であります。」
【夏妃】「ちょっと、……何をするのです!! 離しなさいッ!!」
 45と410が夏妃を羽交い絞めにし、中央正面の椅子に連行する。
 夏妃は抵抗するが、シエスタ姉妹は意外にも力が強く、抗えない。親族たちに助けを求めるが、彼らは蝋人形のように沈黙を守ったままだ…。
【ヱリカ】「これより、古戸ヱリカは。なぜ、右代宮夏妃にだけ犯行が可能か、再構築してご覧にいれます。」
【ベルン】「………ベアト。もちろん、受けるでしょう?」
【ベアト】「当然よ。右代宮家顧問錬金術師、黄金のベアトリーチェだ。……古戸ヱリカ。受けて立つぞ。我が主に着せようと企むその濡れ衣。引き裂いてくれるわ…!!」
【夏妃】「ベ、…ベアトリーチェ……!」
【ベアト】「安心せよ、夏妃。そなたは妾の主だ。そして心に片翼の鷲を刻んだ、真の当主よ。身に覚え無き罪に怯えるでない。」
 その言葉に、夏妃ははっとし、……唾を飲み込む。狼狽はようやく消え、背筋を伸ばして見せた。
【夏妃】「…そ、そうですとも…! 私は右代宮夏妃! 右代宮家を冒涜する、あらゆる挑戦を受けて立ちましょう!」
【ベルン】「………くすくす。どうしてこの状況に、そのような虚勢が張れるやら。……あなた、本当にどこのカケラでもいじめられっ子ねぇ。」
【ラムダ】「では、ベルン。主張をどうぞ。」
【ベルン】「ベルンカステルは主張するわ。……このゲームの犯人はニンゲン、右代宮夏妃。」
【ラムダ】「ベアトもどうぞ?」
【ベアト】「ベアトリーチェは主張する! このゲームの犯人はニンゲンにあらず! 妾こそが犯人であるわ!」
 不敵に笑うベルンカステルと、強気に笑うベアトリーチェの双方の眼差しが交差する。
【ラムダ】「お聞きね、魔女ども、ニンゲンども!! 一つの真実に二つの主張が現れたわ! 犯人はニンゲン、右代宮夏妃か。犯人は魔女、ベアトリーチェか!」
【ラムダ】「魔女が勝てば、第5のゲームの真相は闇に消える。ヱリカが勝てば、ゲーム盤より魔女幻想は打ち滅ぼされる。……つまり、ベアトにとってのみ、負けることの許されない勝負だけれど、覚悟は大丈夫?」
【ベアト】「何の覚悟が必要だと言うのか。元より望むところよ…!」
 ……ヱリカが勝利すれば、魔女幻想は打ち破られる。それはつまり、魔女の存在が否定されるということ。ベアトにとっては、命懸けということになる。
 しかし、今回だけが命懸けだということはない。………戦人との戦いだって、常に命懸けなのだ。戦人が勝利し、魔女幻想を打ち破ったなら、これまでのゲームでだって、ベアトは滅ぼされていたのだから。
【戦人】「……汚ぇな。ヱリカのヤツだけ、負けても何も失わない。」
【ワルギリア】「それはどうでしょう。……ベルンカステル卿には、情けの心がありません。……彼女は、自分の望んだ活躍をしなかった駒に、温かい処遇を与えるとは思えません…。」
 冷酷なベルンカステルが、敗北を喫した駒に、何の責めも与えないとは思えない。……命懸けなのはきっと、ヱリカも変わらないのだろう。
 二つの主張がぶつかり、どちらかが淘汰される。どちらかが破滅し、生きてここを後にすることは出来ない……。
 真の意味で何も失わないのは、……あの魔女たちだけなのだ。
【ラムダ】「OK、問題ないわ! さぁ、始めなさいッ!!」
【ヱリカ】「………それでは。私から始めたいと思います。秀吉さん殺しについては、とてもシンプル。夏妃さん以外の方を疑うことは不可能なはずです。私たちは、被害者と夏妃さんを除いて、全員が同じ部屋にいたじゃないですか。」
 確かにそれはシンプルな話だ。……夏妃以外、全員は客間に一緒にいた。そして、単純すぎるが故に、決定的だ……。
【ベルン】「……どう考えても、秀吉を殺したのは夏妃じゃないの。いいえ逆だわ。……どう考えても、夏妃以外に秀吉は殺せないじゃないの。議論も反論の余地も無いわ。」
【夏妃】「で、ですから誤解です…!! 確かに私にはアリバイがないかもしれません。しかし、アリバイがないことは即ち、犯人であるとの証拠にはならないはず…!」
【ベアト】「ふむ、夏妃にだけ、アリバイがないのはわかった。だが待て。殺害現場は密室であったぞ。夏妃に限らず、誰であってもあの部屋での犯行は不可能だったはずだ。魔法で殺人が遂行できる妾を除いてな?」
【ヱリカ】「密室トリックである、ハウダニットについては後で説明します。とりあえず今はフーダニットから。……よって、以上により、秀吉さん殺しは、夏妃さん以外の人物を疑うのは不可能となるわけです。」
【ロノウェ】「………お嬢様。ここをさらに切り込むと危険かと。」
【ガァプ】「同感だわ。夏妃が秀吉の部屋のクローゼットに隠れていたのは事実。……復唱要求で、所在の確認を行なわれると追い詰められるわ。」
【ベアト】「……であろうな。ゲームの支配者はラムダデルタ卿だ。……あやつが面白がれば、事実に関係なく、夏妃が犯人ということで確定されてしまうぞ。」
 台風が去り、警察が訪れて、科学調査などを行なえば、確かに本当の犯人は特定され、夏妃の濡れ衣は晴らせるかもしれない。しかし、この閉ざされた六軒島には、永遠に警察は訪れない。……つまり、本当の真実は明かされない。
 永遠に開かれぬ猫箱の中では、全員が納得した冤罪は、真実と同じ価値を持ち得るのだ。
【ロノウェ】「恐らく、向こうの狙いは、シンプルな秀吉殺しで夏妃さまが犯人であるとの印象を確定させ、その上で、不確定要素の多い第一の晩の再構築に入るつもりでしょう。」
【ガァプ】「ゲームマスターに疑われた状態での進行は最悪よ。主導権を握るべきだわ。」
【ベアト】「うむ。…………ラムダデルタ卿! ご存知のとおり、第5のゲームでも多くの殺人が起き、深夜から早朝までの短からぬ時間を跨いでおる。」
【ベアト】「いきなり秀吉の殺人から始まり、時間が行ったり来たりしてしまうようでは、混乱してしまうというもの。ここは、時系列に従い、順番に進めていくのが良いかと思うが、如何か。」
【ベルン】「異議提出。犯人を告発する過程において、時系列など意味をなさない。」
【ベアト】「異議提出。古戸ヱリカは、時系列を混乱させることによって、印象操作を行なっている。」
【ラムダ】「あー、よくわかんないのは私も御免だわ。ベアトの主張を認めるわよ。ヱリカは、いきなり第二の晩から始めないで、第一の晩から始めなさい。」
【ヱリカ】「……………ち。」
 俺は、ヱリカが舌打ちするのを確かに見る。
 ……理解する。これが、六軒島の物語の作り方なのだ。
 俺は、ワルギリアに導かれて、ベアトリーチェに出会い、……全てが見下ろせる、この山頂まで来て、ようやくこの世界の真実を理解する。
【戦人】「これが、……以前にワルギリアが話してくれたことなんだな。」
【ワルギリア】「………えぇ。そうですよ。ここでは真実など脆い。」
【戦人】「両者が主張する限り、異なる真実が同時に存在できる…。」
 そうさ。まさにここは法廷。両者がそれぞれの真実を主張し合う。かつてワルギリアが例えてくれた、ブラウン管裁判の法廷が、まさにここなのだ……。
【ヱリカ】「では、ラムダデルタ卿のご命令に従い、最初の第一の晩の事件から、話を始めます。ご存知のとおり、10月4日、初日の24時。親族会議の小休止の後、夏妃さんは先に休むと、ひとり退席しました。よって、その時刻から翌朝まで完全にアリバイは消失します。」
【ベアト】「はて、そうかな? 夏妃以外にも、アリバイの怪しい人物など、いくらでもいるはず。それら全員の疑いを晴らさぬ限り、夏妃を犯人呼ばわりさせるわけには行かぬぞ。」
【ラムダ】「確かに。夏妃が怪しいと、そこまで言い張るなら、ヱリカは夏妃以外全員のアリバイを示して見せるべきだわ。ねぇ、ベルン?」
【ベルン】「………えぇ、無論よ。ヱリカはそれを完全に説明し切るわ。」
【ヱリカ】「当然です、我が主…! では、順にご説明していきたいと思います。源次殺しは一度忘れ、ゲストハウスの事件のみに絞って進めます。となれば、ゲストハウスにいた使用人を疑いたいですよね? あの晩は、郷田さんと熊沢さんがゲストハウスにおられました。そうですね、お二方?」
 座席に座る二人に振り返ると、……二人の蝋人形にだけ生気が戻る。
 きっと、発言権がない時には、魂さえも与えられていないのだろう。ならいっそのこと、夏妃の魂だって失われていればいいのに。……被告人席の夏妃には常に魂があり、不安そうに俯き続けていた…。
 郷田は慌しく起立して、ヱリカの質問に答える。
【郷田】「は、はい、そうです。私はあの晩、ひとりでゲストハウスの使用人室におりました…。」
【熊沢】「私はこの老体ですからねぇ。夜は堪えますから、ゲストハウスの控え室に戻って、お先にすぐ、休ませてもらいましたとも…、えぇ、えぇ…!」
【夏妃】「……では、郷田と熊沢もアリバイを失うではありませんか!! ひとりで控え室で休んでいたと自称する熊沢。ひとりで使用人室にいたと自称する郷田。そのどちらにも、いとこ部屋へ行き、殺人を行なう余地があるはずです!!」
【郷田】「めめ、滅相もない…! どうしてそんなことを私たちが…!」
【熊沢】「そうですともそうですとも…! 人殺しなんてそんな、とんでもないことです…!」
【ベアト】「夏妃が全て語っておるわ。控え室でひとり眠った熊沢も、使用人室にひとり篭った郷田も、寝室の夏妃と何も変わらぬ。どちらもアリバイを失うではないか。」
【ヱリカ】「ご安心を。この二人は殺人犯ではないと、私が保証します。まず熊沢さんは、晩餐後、私たちと一緒に屋敷を出てゲストハウスへ行き、そのまま控え室に入り、朝まで眠っていました。郷田さんも同じです。事務作業を終え、その後に私たちとラウンジで談笑して、それを終えてから休みました。両名とも、殺人を行なう余地はありません。」
【ベアト】「ふっ。いよいよ来たな。」
【ベアト】「……それでは妾も腰を上げるとしよう。もはやそなたの出番は終わりだ、ヱリカ。…そなたの頼れる用心棒を呼び出すがいい。」
 ベアトはじろりと、2階客席に座るドラノールを見やる。……しかし彼女は、相変わらずの無感情な瞳を向けるだけだった。
【ベアト】「復唱要求。“郷田と熊沢のアリバイについて、完全な証拠がある”。」
【ベルン】「復唱拒否。………何で敵にヒントを? 応えるわけもない。」
【ベアト】「はっ。お聞きか、ラムダデルタ卿? 証拠はないそうだぞ! 証拠もなく、郷田と熊沢のアリバイを主張しても良いものなのか!」
【ラムダ】「道理だわ。どうなのよ、ベルン、ヱリカ。どうして、郷田と熊沢のアリバイを主張できるわけ?」
【ベアト】「引っ込め、ヱリカ。妾の相手はそこのドラノールよ。貴様如きニンゲンに、魔女の相手は務まらぬわ!」
【ドラノール】「…………………………。」
【ヱリカ】「いいえ。ドラノールの出番は必要ありません。………あなたの言う、ニンゲン如きが魔女を打ち破るからこそ、魔女幻想が否定されるのです。……ならばどうぞ。赤で青でお好きなように。……受けて立ちますよ?」
 ヱリカの挑発に、ベアトは不敵に、だけれども優雅に笑い、ゆっくりと立ち上がる。そしてバルコニーの上と下で、睨み合う……。
【ベアト】郷田にも熊沢にも、それぞれアリバイがない。二人はゲストハウスにおり、いつでもいとこ部屋へ至り、犯行を行なうことが出来た。それが否定できぬ限り、夏妃を犯人呼ばわりすることなど出来ぬぞ。
 ベアトの青き真実が、さっそく食って掛かる。いよいよ戦いの幕が、切って落とされる……。
【ガァプ】「……ニンゲンであるヱリカに使える赤はない。ドラノールを呼ばずに、どう切り替えしてみせると?」
【ロノウェ】「ヱリカに使えずとも、その主のベルンカステル卿は使えます。……油断は出来ませんぞ。」
【ラムダ】「青き真実、有効だわ。……どうするの、ベルン? あんたかドラノールが相手を変わる?」
【ドラノール】「まだ私の出番ではありマセン。そして、ベルンカステル卿の出番でもありマセン。」
【ベルン】「……えぇ、そうよ。この程度じゃ私たちの出番にはならないわ。……古戸ヱリカという、ただのニンゲン風情がベアトを打ち破ってこそ、意味があるのよ。」
【ベルン】「……ニンゲンに打ち破られてこそ、わかるわ。黄金のベアトリーチェなどとのたまう、偽りの魔女が、ニンゲン以下の幻に過ぎなかったとね。」
【ラムダ】「くすくすくす…。それが本当に出来るなら、最ッ高に面白いんだけどね…? いいわ、ヱリカ。受けて立ちなさい…!」
【ヱリカ】「まず、熊沢さんですが、とてもシンプルな話です。熊沢さん、ご起立を。」
【熊沢】「は、………はい…!」
【ヱリカ】「熊沢さんは、昨夜、就寝されてから、朝、事件を知らされるまで、一度でも控え室を出ましたか?」
【熊沢】「いいえぇ! 朝までぐっすりでしたとも、えぇ!!」
【ヱリカ】「私、実は。………昨夜の晩餐の後に絵羽さんと談笑していて、面白い話を聞かせてもらっていたんです。…それを、試させてもらいました。」
【ベアト】「それとは何か…? ……まさか。」
【ヱリカ】「そうです。金蔵を書斎に追い詰め、封じたもの。……扉に物を挟むことで封印できることを、私は知ったのです。」
【戦人】「………何だと…。あいつ、……まさかそれを、熊沢さんの控え室に?!」
【ワルギリア】「ヱリカはゲストハウスにいたのですから、それが出来たとしても何も問題はありません。」
【ヱリカ】「何しろ、莫大な黄金が発見されて、どんな事件が起こってもおかしくない不気味な夜でした。……探偵あるところ事件あり。私は、何かの事件が起こることを予見して、予め、アリバイを失いそうな人物に、これで封印をさせていただいたのです。」
 ヱリカは指に摘んだ、畳んだ小さな茶色い紙を、高々と掲げてみせる。
【ヱリカ】「私はこれを、一緒にゲストハウスに戻った熊沢さんが、休むと言って、控え室に入ったのを見届け、これを使って扉を封印したのです。そして、朝。事件が発覚し大騒ぎになった時、私は真っ先に熊沢さんの控え室を確認し、そして封印が健在であることを確認しました。以上により、私は熊沢さんのアリバイを証明できます!」
【ベルン】「………グッド。素晴らしいアリバイだわ。一分の隙も無い。熊沢はヱリカとともにゲストハウスに戻り、そのまま控え室に入って休み、朝まで部屋を出ることはなかった。つまり熊沢は、ゲストハウスへ戻って以降、朝まで2階に上がっていない。
 ヱリカの示した証拠が、ベルンカステルによって昇華され、赤き真実となる。赤を得た真実はもはや、ベアトをもってしても覆せない…。つまり、この瞬間に、熊沢の完全なアリバイが絶対の保証を受けたことになる。
【ベアト】「ほほう! ならば郷田についてはどうか?!」
【ヱリカ】「郷田さんも、ゲストハウス到着後はすぐに使用人室に篭られました。そして同様にこれで封印させていただきました。そして、楼座さんが午前1時にお戻りになった時は、たまたま廊下に出た私が気付き、使用人室の郷田さんにそれを伝えたのです。」
【ヱリカ】「その時、封印は健在でしたので、ゲストハウスに到着してから午前1時まで、郷田さんは使用人室を出ていません。そしてその後はラウンジで午前3時まで私と一緒にいました。そして午前3時以降は、私は2階にいましたので、郷田さんが2階に上がってこないことを保証できます。」
【ベルン】「………ヱリカの封印が、郷田が午前1時まで使用人室に篭っていたことを証明するわ。そして、午前3時までのアリバイを、一緒にラウンジで過ごしたヱリカが証明するわ。そして、それ以降の朝までに2階へ一切、立ち入ってないことも、ヱリカが証明するわ。」
【ベルン】つまり、郷田はゲストハウスへ戻って以降、朝まで2階に上がっていない。
【ラムダ】「赤き真実、有効だわ。……お見事よ、ヱリカ。あんたのその扉の封印によるアリバイが、ベルンに認められて赤き真実に昇華されたわ。」
【ヱリカ】「ありがとうございます、我が主。……我こそは探偵、ニンゲンでありながら赤き真実を行使することの出来る、ニンゲンを超えし者ッ!」
【ベアト】「ニンゲンを超えただと……。この思い上がりめッ、口走るには千年早いわ!」
【ヱリカ】「おかしな追求があると面倒なので、先にはっきりさせます。というか、むしろこれは最初にするべきでした。前後したことをお詫びします。24時の時点での、ゲストハウスの状況です。」
【ヱリカ】「………黄金が発見され、緊急の親族会議になり、戦人さんと親族たちは屋敷へ。ゲストハウスには、私と、いとこ3人、南條先生、郷田さん、熊沢さんが残りました。」
【ヱリカ】「郷田さん、熊沢さんのアリバイについてはすでにご説明の通り。譲治さん、朱志香さん、真里亞さんの3人は、いとこ部屋でトランプで遊んでいました。実は私、ほんの少しだけ、混ぜていただきましたので、この時刻に生存していたのをはっきり確認しています。」
【ヱリカ】「我が主ッ、以上の復唱を要求します!!」
【ベルン】「えぇ、応じるわ。ゲストハウスには、24時の時点で、譲治、朱志香、真里亞は生存していて、2階のいとこ部屋にいた。南條、郷田、熊沢は1階にいた。
【ベルン】「あと、もうもったいぶることないから、これまでに出ている犠牲者の死亡も確定させとくわね。譲治、朱志香、真里亞、楼座、源次の5人はちゃんと死んでるわよ。あのばっくり行った首で、死んだふりなんて、出来るわけないでしょ?」
【ヱリカ】「復唱を感謝します、我が主…! これをはっきりさせないと、私がアリバイを保証した以前の段階で、すでに殺されていたとか、実は死んでなかったとか、色々言われかねませんので。」
【ベアト】「………く…。」
 ひょっとすると犠牲者たちは死んだふりで…、などという甘えは、当然通用しない。そして、郷田と熊沢のアリバイを飛び越えるには、扉に封印をする前の犯行を想定することで可能のはずだった。
 しかし、それは完全に読まれていた。ヱリカのアリバイ以前の時刻に事件は起こっていないことが、赤で示されてしまう。
【ラムダ】「そうそう。犠牲者の確認されてる最後の生存時刻。それを最初に言って欲しかったわね。……これで、24時以前の話は無視していいことになるわ。」
 ヱリカ視点で紗音と嘉音が同じ部屋にいたということはありえないが、使用人の出入りを意識していなかったため、そのように思い込んでしまったようである。
【ベルン】「………さらに言うと、24時の時点で、屋敷の2階廊下には、夏妃と蔵臼、源次がいたわ。残りは全員、親族会議の食堂よ。もちろん、この時点ではまだ殺人は起こってない。源次も健在よ。
【ラムダ】「それはヱリカが観測したことじゃないけれど。それが確定してないとゲームが進まないものね。いいわ、その赤き真実を認めるわ。」
【ヱリカ】「赤き真実、ありがとうございます、我が主ッ!」
 ゲストハウスにいたヱリカにとっては、当然、ゲストハウスの状況は説明可能だ。しかし、同時刻の屋敷の状況については、そこにいなかったわけだから、説明が困難を極める。
 ……本来ならそこでベアトは、食堂の人間が全員で口裏を合わせ、こっそり誰かが食堂を抜け出し、ゲストハウスで犯行に及んだのではないかと、青き真実で攻撃を加えるはずだった。しかし、ベルンが即座に赤き真実でそれを確定させてしまったため、ベアトの反撃の機会が丸ごと失われてしまう……。
【ベアト】「おのれ…………。」
【ロノウェ】「……厄介ですな。……これほどまでに、不利とは…。」
【ガァプ】「これじゃまるで、かつてのリーチェと戦人の戦いが、逆になったみたいね……。」
【ロノウェ】「……いや、その時よりも、さらに状況は悪いかと。」
 一見すると、二人の戦いはかつての俺たちの戦いと似ている。しかし、致命的に違う場所がある。まずそれは、ベアトがゲームマスターであるか否かだ。
 俺と戦っていた時のベアトはゲームマスターだった。だから全ての真実を知っていた。だからこそ、赤き真実を自在に使えた。
 しかし、今のベアトはゲームマスターではない。ただのゲーム盤の1つの駒だ。
 ……つまり、ベアトも真相がわからない。だから、むしろベアトは、かつての俺の役なのだとさえ言える。
 そして、一見、かつての俺の役を務めるヱリカも、致命的に状況が違う。ヤツには、ベルンカステルという魔女がついている。
 ……こいつは、ゲームマスターでもないくせに、ヱリカの証言を赤き真実に昇華することが出来る。それにより、ヱリカはゲームマスターでも魔女でもないのに、赤き真実を使うことが出来る。
 魔女のはずのベアトに、真相も使える赤もなく。なのに探偵のヱリカに、赤き真実が使える。優位性は完全に逆転しているのだ。……今のベアトは、かつてベアトと戦っていた俺よりも、はるかに不利な状況だと言えるだろう。
 ベアトは、俺がゲームに慣れてからは復唱要求に応じなくなったが、最初の頃はほとんど応じてくれて、かなりのヒントを提供してくれた。だから、互角に戦わせてもらえたのだ。
 しかしベルンカステルは違う。このゲームのルールを完全に理解していて、手加減など一切なしにベアトを追い詰める気でいる。………だから今、思い知る。俺はかつて、……互角な戦いになるように、ベアトに手加減されていた……。
【ベアト】「く、くくくくく……。これはなかなかに面白い戦いだ。…なるほど、妾はかつての戦人の立場で戦っているというわけか。」
【戦人】「………ベアト……。」
【ベアト】「かつてのそなたを無能と蔑んだ妾だ。……この程度、まだまだ堪えぬぞ。くっくっくっく!」
【ガァプ】「郷田と熊沢を疑うことはもう不可能だわ。これ以上、論点にしても勝てない。」
【ベアト】「だな。別のアプローチに切り替えよう。」
【ロノウェ】「順当に行くなら、次は南條でしょう。彼もまた、ゲストハウスにいた人物です。」
【ガァプ】「南條は確か、ラウンジでヱリカと一緒だったわ。……しかし、その前後の時間帯が空白になるはず。」
【ベアト】「そうだな、そこを突くっ。……南條。そなたは確か、ヱリカと郷田と一緒に、ゲストハウス1階のラウンジでくつろいでいたのだったな?」
【南條】「はい……。私はヱリカさんとずっとご一緒でした…。」
【ベアト】「ラウンジで過ごした時間は。」
【南條】「ご、午前1時から、午前3時までです。」
【ヱリカ】「えぇ、そうです。午前1時から午前3時までの間。私と南條先生、郷田さんの3人は、ラウンジでくつろいでいました。……我が主ッ、復唱要求です!」
【ベルン】「応じるわ。午前1時から午前3時まで、ヱリカ、南條、郷田の3人は、ゲストハウス1階のラウンジで過ごした。
 ……ベアトの復唱要求は突っぱねたくせに、ヱリカの復唱要求にはあっさり応じる。赤き真実が、ベアトを追い詰めていく。
 ……ベアトは辛そうに顔を歪めながら、それでも青き真実で切り返す。……いや、実際に辛いのだ。
 夏妃以外の人物のアリバイが立証されるにつれ、魔女幻想もまた否定されていく。存在の否定はベアトに、苦痛として知覚されるのだ…。
【ベアト】ならば、ラウンジで過ごした時間帯の前後はアリバイがないはず! 南條にも犯行は可能であるぞ!
【ラムダ】「そうね。南條がラウンジでヱリカと一緒に、1時から3時までいたことはわかったけど、それ以前とそれ以後はどうなのかしらね? ……どう? ヱリカ?」
【ヱリカ】「はい。まず午前1時以前のアリバイ。これはまったく問題ありません。私が24時までいとこ部屋でトランプで一緒に遊んでおり、それからラウンジに下りて、そこで南條先生とお会いしたからです。」
【南條】「そうでしたな……。24時に、下りて来たヱリカさんとお会いして、少しお話をしていましたら、かなりのミステリー通だとわかりまして。すっかり意気投合してしまい……。」
【ヱリカ】「私、碑文の謎解きで書庫に入った時、海外の名作ミステリーの原書が、多数保管されているのを見ていました。ですので、それらを手に取りながら、ぜひ議論がしたくなりまして。私たちは書庫に移り、ずっとおしゃべりをしていました。ラウンジに場所を移すまでずっとです。」
 ゲストハウスの書庫には、小さな図書館と呼べるほどの本が納められている。その中には、かつて金蔵が興味を持っていたことのある、海外ミステリーの名作も多数、収められていた。
 無論、全て原書は英語だが、ヱリカも南條も英語はまったく問題なかった。その際に、もう一度、使用人室の郷田に、書庫の鍵を借りたのだという。
 ヱリカはそこで、その際に封印は確認し直し、もちろん仕掛け直したと付け加える。くそったれ。都合よく人の出入りは封印しやがるくせに、自分だけは好きに出入りしてやがる。
【ラムダ】「なるほど。つまり、24時から就寝する午前3時までの間、ずっと南條と一緒だったわけね? なら、南條のアリバイは、一番磐石ということになるわ。」
【ヱリカ】「はい、そういうことになります! 我が主、復唱要求です…!」
【ベルン】「応じるわ。24時以降、ヱリカは午前3時までずっと、南條と一緒にいたわ。
 24時にはいとこ部屋で事件は起こっていない。だからこれで、まずラウンジで過ごす前の時間のアリバイが成立する。
【ヱリカ】「その後、私たちは午前1時に、書庫から廊下へ出ます。すると偶然、お戻りになられた楼座さんと鉢合わせになりました。そして私が郷田さんにそれを教えました。……客人を出迎えるのは使用人の役目だろうと思いまして。」
 郷田は、タオルをお持ちしましょうかと尋ねるが、楼座は拒否。
 さっさと2階へ上がっていってしまう。
 ここで、ヱリカ、南條、郷田の3人は集まり、ラウンジで一杯やらないかということになる……。
 ラウンジでの午前3時までのアリバイは、すでに赤で宣言されているから問題ない。
【ヱリカ】「続きまして、午前3時以降。お開きになった後の南條先生のアリバイです。午前3時に戦人さんがお戻りになり、ラウンジは解散。私と南條先生、戦人さんの3人は2階へ上がりました。そして南條先生はお休みに。その際、もちろん、先生のお部屋の扉にも封印をさせていただきました。」
【ヱリカ】「あとは、事件発覚まで同じです。私は戦人さんの悲鳴と同時に部屋を飛び出し、南條先生の部屋の扉に、封印がされていることを確認しました。よって、南條先生のアリバイは、午前1時以前、午前3時以降、共に完璧なのです…!」
【ベルン】「素晴らしいわ、ヱリカ。あなたの封印も赤き真実も完璧よ。南條は、午前3時までヱリカと一緒にいたというアリバイがある。そして午前3時から朝まで自室を出ていない。
 ヱリカは、扉の封印を利用して、次々にベルンカステルより、赤き真実を授かっていく……。
 俺がベアトにしてた復唱要求は、駆け引きみたいなものもあったが、……ヱリカの復唱要求はまるで違う。好きな時に赤が使える切り札のようだ……。
【ヱリカ】「これで、ゲストハウスの容疑者全員のアリバイ証明を終えました。……問題はありませんね?」
【ベアト】「も、……問題はあるぞ…!! それはだな、……その……ッ…。」
 何とか食いつこうとベアトは知恵を絞るが、ヱリカの赤は冷酷無比なまでに完璧。……何も突っ込む余地はない…。ベアトは何とか難癖を付けようと知恵を絞るが、傍目にもそうだとわかるほど、表情は苦し紛れで歪んでいた…。
【ラムダ】「ベアトを却下するわ。私は何も問題を感じない。……極めてポップでキュートでパーフェクトだわ! これで、ゲストハウスの人間全員のアリバイは証明された。」
【戦人】「……待ちな、ヱリカ。俺を抜く気か。右代宮戦人にだって、犯行のチャンスはあるはずだ。……何しろ、犠牲者たちと同じ部屋で一夜を共にしたんだぞ。その俺を差し置いて、議論を先になんか進ませねぇ。……ッ?!。」
 その時、あの曲がりくねる、黄金の蛇のような矢が俺を弾く。打ち抜くのではなく、まるで鞭のように、俺の頬を激しく弾いた。
【00】「戦人さまの発言権はまだ認められておりません。ご注意を。」
【戦人】「……痛てて…。畜生め……。」
【ベアト】「あぁ、わかっておるぞ、戦人。……そして済まぬ、許せ。……ヱリカ! まだ戦人のアリバイを示していないぞ! 戦人は犠牲者たちと枕を並べて眠った男。誰よりも一番に、疑わなければならぬのではないのか?!」
【ラムダ】「ベアトの言う通りだわ。駄目じゃないよねぇ、戦人を飛ばしちゃぁ。」
【ヱリカ】「これは失礼しました。すっかり失念しておりました。」
【ベアト】「そなたは、午前3時に帰ってきた戦人と共に2階へ上がる。そしてそなたも、自室に戻って眠ったはずだ。24時にいとこ部屋を訪れたかもしれぬが、午前3時以降には訪れておらぬはず。」
【ベアト】「……まさか、その後、戦人のベッドに潜り込みに行ったとでも言うのかぁ? くっくくくく! 一晩中、戦人の寝顔を見て、いとこ部屋でのアリバイを確認していたとまで言うなら、認めてやってもいいがなぁ?」
【ヱリカ】「えぇ。一晩中、寝息を聞いていましたが何か?」
【ベアト】「……何だと……?!」
【ヱリカ】「私、古戸ヱリカは、戦人さんが、午前3時にいとこ部屋にお戻りになり、すぐにそのままベッドに潜り込み、すぐに就寝してしまったことを証明できます。そして、起床され、部屋の惨状に気付き、悲鳴をあげるまで、部屋で何も起こらなかったことまでも証明できます。」
【ヱリカ】「ですので、ご安心を。戦人さんは犯人ではありません。殺人現場に、そうとは知らずに入り、朝まで寝てしまった、ただの愉快な第一発見者です。」
【ベアト】「馬鹿な…ッ。お得意の封印でも、それを証明することは不可能なはず…! どうしてそれが、そなたに証明できるというのか!!」
【戦人】「………ふざけるな。あの時、俺は自分だけ部屋に入ったんだぞ。ヱリカだって自分の部屋へ戻ったはずだ。どうしてそんな、さも見ていたかのように断言できるんだ…!」
【ワルギリア】「見たとは言っていません。……ヱリカさんに割り当てられた部屋はどこですか?」
【ラムダ】「ヱリカ、教えてちょうだい。どうしてあなたは、戦人のことがそこまで証明できるの?」
【ベルン】「………くすくすくす。流石よ、それでこそ探偵だわ……。」
【ヱリカ】「私の部屋はいとこ部屋の隣です。薄い壁が一枚あるだけです。」
【ベアト】「ま、……まさか……。……そなたは、壁に耳をつけ、……いとこ部屋の様子をうかがっていたというのか…ッ。」
【ヱリカ】「はい。私の耳は完璧です。戦人さんが入室後、直ちに私は部屋の壁に耳を付け、何か異常が起こらないか、監視していました。」
【ラムダ】「……あんた、戦人が悲鳴をあげる朝まで、何も起こらなかったと証明できると言ったわね…。……まさか、あんた…。」
【ヱリカ】「ハイ。朝まで一睡もせずに、壁に耳を付け、監視をしておりました。」
 ……………誰もが、…絶句する………。壁に耳を付けて、……そのまま朝まで、……ずっとずっと、戦人の部屋の様子をうかがっていたなんて……。
 それはどんな光景だろう……。夜が明けるまで、真っ暗な室内でじっと息を潜めて、いとこ部屋の壁に、じっとへばり付いている……。まるで不気味な毒蜘蛛が、暗闇の部屋の中でじっと壁にへばり付いているかのよう……。
 ベルンカステルだけが、にやにやと勝ち誇ったように薄ら笑う。
【ベルン】「……ゲームの進行上から、当主の指輪を受け継いだ戦人がキーマンになるのは読めていた。……私はてっきり、戦人が第一の晩の犠牲者だと思ってたわよ。」
【ヱリカ】「はい。ですから、我が主のお言い付け通りッ。……朝まで一睡もせずに、壁に耳を付け、異常が起こらないか監視をしておりました…!」
【ベルン】「ヱリカの記憶力は写真並。そして聴力は録音機並。……ヱリカの耳を誤魔化して、譲治たちを殺し、首に傷を刻むなど不可能なことよ。」
【ラムダ】「……探偵権限で認められた能力ねぇ。認めざるを得ない。赤で認定するわ…! 右代宮戦人は、午前3時にいとこ部屋に戻りそのまま就寝した。そして事件発覚まで部屋では一切、不審なことはなかった!
【ベルン】つまり、戦人には殺人も死体を傷つけることも不可能だったということ。
【ベアト】「………ぅ、……ぐ………。」
 二人の赤き真実に、ベアトはとうとう苦悶の表情をのぞかせる…。
 無理もない。二人が口にした赤き真実は、戦人のアリバイだけでなく、あまりに多くのことをさらに保証するからだ。
 まず、誰であろうとも、午前3時以降に殺人は不可能だということ。そして24時に生存が確定しているなら、犯行時刻は自動的に、“24時から3時”の間ということになる。
 これは即ち、午前3時以前にゲストハウスにいなかった人物のアリバイをも、自動的に証明するものになる。
【ガァプ】「………相当、……痛いわね………。」
【ロノウェ】「ヱリカは24時以降はずっとゲストハウスにいます。つまり、屋敷にいた人物のアリバイを証明することが難しいはずだった…。」
【ガァプ】「絵羽たちの動向についてのアリバイ証明は困難を極めたはず。…それが逆に簡単に、彼らが24時から午前3時までの間、ゲストハウスに訪れなかったことを証明するだけで、アリバイが可能になってしまった…。」
【ベアト】「……とにかく、午前3時以前で殺人が可能だと構築するしかあるまい。そしてそれを、屋敷の誰かで実行可能だと証明しなくてはならぬ…!」
 ゲストハウスにいた人間は全てアリバイがあり。24時以前に事件は起こっておらず。3時以降に事件を起こすことは出来ない。つまり、屋敷の人間が、24時から3時までの間に事件を起こす以外に、殺す方法はない……。
 夏妃を庇うためには、夏妃以外の人物に犯行が可能だと立証しなくてはならない。魔女が、ニンゲンの犯罪を証明しなくてはならない皮肉…。
【戦人】「…………しかし、そいつはなかなか難しい話だな。……ヱリカは午前3時まで、ラウンジにいた。そして2階へは、そこを通らずには至れない。つまり、事実上、ゲストハウス2階の管理人のような状態になってるわけだ。」
【ワルギリア】「……月並みですが、ヱリカに知られずに2階へ上がることが出来れば、犯行は誰にでも可能だと証明できるでしょう。」
【戦人】「ニンゲン、その気になりゃ、2階の窓までよじ登ることも出来るかもしれねぇぞ。」
 もちろん、ベアトも同じ方向で切り返すことを想定している。……ならばベルンカステルとても、それを想定している。
【ベアト】「戦人、南條、郷田、熊沢。ゲストハウスの全ての人物に犯行が不可能であることはわかった。……しかし、屋敷のニンゲンはどうか!」
【ヱリカ】「すでにお話しておりますし、我が主が赤き真実でも宣言済みです。私は、ゲストハウス1階のラウンジにいました。そして、2階へ至るには、ラウンジを通らなければなりません。つまり、私の目に触れずに2階へ至ることは不可能だということです。」
【ベアト】「それが不可能ではなかったら? 例えば、ゲストハウスの外壁にハシゴを立てかけ、2階の窓より侵入したとか! ラウンジを通らずに2階へ至る方法は存在するはず! これならば、そなたの目に触れずに犯行現場へ至ることは可能だ…!
 ようやく、ベアトが反撃する。これまで、一方的にヱリカがペースを掴み、一方的に赤で攻撃している。その間、ベアトが反撃した青き真実は、これを含めてもほんの数回だ…。
【ヱリカ】「当然、そう切り返されることは想定済みです。私のラウンジでの見張りが、無意味であったことにされては堪りませんから。そこで、まずは、私の見張りが完璧であったことを証明しなくてはなりません。」
【ヱリカ】「……まず、ゲストハウスの構造上、ラウンジにいた私の目に触れることなく、2階へ至ることは不可能です。死角も遮蔽物も一切なく、どのような、物理的、心理的死角も存在しません。……我が主ッ、復唱要求します!」
【ベルン】ゲストハウス2階へは、ラウンジにいた人物に知られずに至ることは不可能。……もちろんこれは、内部から2階へ至る話だけれど。
【ヱリカ】「グッドです、我が主! ……さて次はベアトリーチェ卿のご高説の外部から至る方法です。これには正直困りました。登れそうな木もありますし、ハシゴを使う手もあるでしょう。雨どいをよじ登って2階に至ることも、不可能とは言い切れません。しかし、これをさせるわけにはいきませんっ。」
【ベアト】「ほぅ、させぬとな…? ではどうしたというのか。まさか、夜通し、ゲストハウスの回りをぐるぐる回って不寝番をしたとでも言うのか? いいや、それは出来ないよなぁ? そなたはラウンジにいたのだから…! ラウンジの窓から見える外は、外周の一部に過ぎない!」
【ヱリカ】「そうです。私は、外壁を2階まで登るあらゆる方法を完全に防ぐことは出来ません。……しかし、2階へ侵入することを防ぐことは出来ました。」
【ベアト】「侵入を、防ぐとな…?!」
【ロノウェ】「……すでに読めている手です。……恐ろしい。ここまで、……執拗とは…!」
【ヱリカ】「ゲストハウスはその構造上、外部から2階へ侵入するには、窓を使う他ありません。」
【ヱリカ】「施錠? どうでもいいことです。ただ、窓が、鎧戸が、一度も開かれなかったことを保証すればいいだけの話だったんです。私は、黄金の隠し場所に立会い、その後、ゲストハウスへ戻ってすぐ、ラウンジを通過せずにゲストハウス2階へ至ることのできる、全ての方法を断絶する工作を開始しました。………えぇ、同じことです。これまでと何も変わらず…!」
【ラムダ】「……あんた。…まさか、ゲストハウスの全ての窓に、……お得意の封印をしたって言い出すの……? あの天気の中、……そのカッコで…?」
【ヱリカ】「一応、漂着時の水着持ってますので。」
【戦人】「………イカれてやがるぜ……。…客人として迎えられた家で、まだ何も起こってないのに、あの雨の中、そんなことをして回るってのか……。」
【ワルギリア】「普通のニンゲンなら、絶対にありえない不審な行為です。……ですが、彼女は魔女の駒ですから。」
 ヱリカは、あの雨の中、ゲストハウスに外部から侵入できない、侵入されていないというアリバイを得るため、……外側から全ての窓に封印をしたのだ。
 自ら壁をよじ登り、……1階も2階も、全ての窓に。いや、侵入口となり得る、全てのものに。
 その異様な行為も、一睡もせずにいとこ部屋に聞き耳を立てていた彼女なら、想像できないことではない……。それもまた、……毒蜘蛛のように見えただろう。嵐のゲストハウス外壁を不気味に這い回る、おぞましい毒蜘蛛に……。
【夏妃】「………あなたという人は…、……我が右代宮家を、……何だと心得ておられるのですか…。客人として向かえた恩も忘れ…!」
【ヱリカ】「探偵にとって、右代宮家は事件の舞台以上にも以下にもなりません。……私にとって、事件発生前に重要なことは、登場人物の名前を覚えることと、地形構造を覚えること。来たる事件に備え、各種アリバイの取得準備、及び工作に専念することです。」
【ヱリカ】「事件発生前に何の準備もしない探偵は、私から見れば三流かと。逗留先で人が死ぬと、私たちは知っているのだから。」
【ベルン】「………そしてヱリカは。事件発覚と同時に、全ての封印が破られていないことを確認したわ。ヱリカが死体発見時に、一番にいとこ部屋に到着しなかった理由はそういうことよ。」
【ベルン】「死体なんて検分しなくても、赤き真実でいくらでも確定が取れる。それより重要なのは、アリバイ構築のための封印の確認だった。」
【ヱリカ】「我が主は完璧です。私は主に命じられたままに、全てを完璧に証明しただけです…!」
【ベルン】「見事よ、ヱリカ。私の分身、私の駒…! どう、ラムダ? これでラウンジでのヱリカの見張りは、アリバイ構築上、絶対の信頼性を持つことが証明されたと思うけど…?」
【ラムダ】「……えぇ、認めるわ。ヱリカ、あなたの封印は完璧よ。私が赤で認めるわ。ゲストハウス2階へは、ラウンジを通過しない限り至ることは出来ず、ラウンジにいたヱリカに知られずに至ることは不可能!
 ベルンがこのような赤を出せるのは、本当はすでに勝負がついていて、今回の設定を全部知っているため。そうでなければラムダが認めるはずはない。
【ヱリカ】「ありがとうございます、ラムダデルタ卿…! 以上により、次のことが確定したわけです、大ベアトリーチェ卿! 以上により、犯行時刻は、生存確認をした24時から、ラウンジで団欒が始まった午前1時までの1時間の間に限定される!
【ベアト】「う、……ぐ……ッ……。」
【ヱリカ】「すでにお話していますが、私は24時にラウンジに下り、そこで南條先生と意気投合し、午前1時まで書庫でミステリー談義に耽っておりました。」
【ヱリカ】「……お恥ずかしながら、すっかり熱中してしまっていたため、その間、廊下を誰かが通り抜けても、私は気付けませんでした。……探偵にあるまじき、痛恨のミスです。」
 完全なアリバイを証明するために、あらゆる工作と封印をして回った彼女が、ミステリー談義に耽り過ぎ、隙を作ってしまったと……? 彼女の余裕ある笑みには、言葉とは裏腹、それを恥じるものは、一切感じられない。
 むしろ、まるで逆。24時からの1時間の間、……夏妃にだけアリバイがないことを知り尽くしての、わざとの、まるで罠としか思えない…。
【ヱリカ】「つまり、逆説的に申し上げるとこういうことです。いとこ部屋に至って犯行を行なえるのは、…24時から午前1時までの間にアリバイを失う人物だけということです!」
 その人物が、夏妃ひとりしかありえないと、彼女の瞳が雄弁に語っている…。
 ……一夜の長い時間の、どこで起こったかもわからないはずの事件だった。それが、ヱリカの構築したアリバイによって、24時からのわずか1時間の間にまで狭められ、限定されてしまう。
 ヱリカが、いとこ部屋を出た24時。これが譲治たちの最後の生存時刻。そして、ラウンジで団欒が始まった午前1時以降は、如何なる方法でも、いとこ部屋に至ることは出来ない。
【ガァプ】「…………ニンゲンのくせに、……なんてヤツ……。」
【ロノウェ】「まずいですな…。一夜が一時間にまで封じられ、……残す容疑者の駒も、この調子ではあとわずかでしょう…。」
【ベアト】「……ベルンカステル卿め、……やるではないか………。」
【ベルン】「私、戦人と違って、馬鹿じゃないの。……こんなゲーム。5度も繰り返せば手の内は充分だわ。……くすくすくすくすくすくすくす!!」
【ヱリカ】「それでは改めまして。残りの容疑者、屋敷の人物のアリバイを検証してまいりましょう。何しろ、24時から午前1時までのたった1時間の話。もはや難しいことではありません。」
【ヱリカ】「まず、24時の時点。この時点で、2階廊下に、夏妃、蔵臼、源次がおり、それ以外の全員が1階食堂におりました。これはすでに、我が主によって、赤き真実で示されています!」
【ベルン】「えぇ、そうよ。24時の時点で、屋敷の2階廊下には、夏妃と蔵臼、源次がいた。残りは全員、1階の食堂。そしてご存知のとおり、謎のノックがあって、片翼の紋章の手紙が現れた。そして、それを巡って、午前1時まで延々と議論が続いたわ。私がそれを赤き真実で語るわ。食堂の全員は、午前1時まで、誰一人食堂を退出していない…!
 犯行可能時間が、24時から1時までと狭められた以上。24時から1時まで屋敷を出なかったことが保証されている親族会議の大人たちは、全てアリバイが保証される。
【ベアト】「……そ、……それをどうやって証明するのかッ?! ヱリカはゲストハウス! 誰かが食堂の扉に、お得意の封印でもして証明したというのか?! 納得の行く証拠も証明もないぞ…!!」
【ベルン】赤き真実はただ真実であり、証拠も証明も、議論の余地も必要ない!! ……あんたが作ったルールよ。くっくくくくくくくすくすくすくすっふふふはははははははははは…!!」
 この暴力的な赤き真実により、アリバイを得たのは食堂の大人たちだけではない。給仕に訪れていた紗音と嘉音も、アリバイだけでなく、食堂さえ出ていないことが保証される。
 つまり、……あと、アリバイが証明されていないのは……、夏妃、蔵臼、源次の、3人…。いや、……あと、2人。蔵臼と源次のアリバイを証明されたら、夏妃以外に犯人はありえないと立証されてしまう…!
【ヱリカ】「では次に源次についてです。彼は犠牲者ですが、いとこ部屋での犯行に及んだ後、自らも殺された可能性も否定できません。」
【ヱリカ】「そして何より、24時に2階廊下にいましたが、その後、夏妃の電話の取次ぎのため、使用人室に戻り、孤立します。」
【ベアト】「ということは、源次にも犯行は可能なはずッ、」
【ベルン】「赤で語るわ。源次は電話の取次ぎを終えた後、そのまま、まっすぐ控え室に戻っている。証拠も証明も、封印もアリバイもなく、ただ冷酷に真実を、ね?」
【ヱリカ】「そして、午前1時。親族会議は再び小休止となり、楼座がゲストハウスへ戻ります。……この時。本当に協力に感謝します、右代宮絵羽さん。ご起立を…!」
【絵羽】「………ヱリカちゃんだけじゃないのよぅ? 私も、きっと、今夜、何かが起こると思っていたわ。」
【ヱリカ】「彼女こそは、私に封印を教えてくれた方。そして私と共に、疑わしい人物のアリバイを確かめる為に、協力して下さいました…!」
【絵羽】「私は、午前1時の小休止の時。源次さんの控え室に行き、ヱリカちゃんと同じ封印をしたの…! つまり、これが破られていなかったなら、午前1時から翌朝まで、この部屋は誰も出入りできなかったことになる…!!」
【ヱリカ】「続けて嘉音さん、熊沢さん。ご起立を。」
 無表情な嘉音と、おどおどした熊沢が起立する。
【ヱリカ】「お二人は朝。起きてくるのが遅い源次さんを起こしに行きましたね? そしてその時、扉に封印がされているのに気付き、それを破いて扉を開きましたね?」
【熊沢】「……は、…はい。……何かの悪戯だろうと思いました。」
【嘉音】「あの時は、そんなことは深く気にしませんでした。」
【ヱリカ】「感想は聞いてません。事実だけを述べるように。封印を破って入室したのですね?」
【嘉音・熊沢】「「は、はい…。」」
【ベルン】「赤き真実で、絵羽と嘉音と熊沢の今の証言が真実であることを保証するわ。絵羽は午前1時に源次の控え室に封印をし、それは、朝の事件発覚時に、嘉音と熊沢に破られた。面倒だから、さらに付け加えるわ。午前1時の小休止で最初に食堂を出たのは、楼座と絵羽よ。絵羽が戻るまで、食堂の人間は全員その場に留まっていた。絵羽は、楼座を見送った後、控え室へ行き、封印を行なった。無論、その際に室内には一切立ち入っていないわ。
【ヱリカ】「これらは全て、関係者からの事情聴取でわかったことです。根拠なき赤き真実ではありません。証言から構築された、正当な推理による真実です。証言だけでなく、指紋の採取、各種科学捜査、可能な限りを尽くしました。」
【ヱリカ】「何しろ、金蔵さんの書斎はあらゆる薬物の宝庫! 赤き真実に限りなく近い、究極の真実である、各種の調査結果を得ています。サイエンスミステリーではないので、その詳細は割愛しますが。」
 ヱリカは聖堂内を闊歩しながら、自身の科学知識を高慢ちきに披露する。
 彼女は金蔵の書斎に存在する、あらゆる薬物に精通し、それらを自在に使った科学捜査によって得られた結果を、ベルンカステルに認めさせて赤き真実としていた。……詳しく説明しないが、赤き真実がなくても説得できるだけの成果を出しているのだ。
 アルミ粉を使用した指紋採取。靴の裏の泥の成分分析や、雨水の付着による各種化学反応。
 ……ヱリカは、他人の家の書斎に勝手に何度も出入りし、家人に無許可で、様々な薬物を好き放題に使っているのだ。
 しかし、誰も咎められない。捜査のための、探偵のあらゆる活動を駒は妨害できない。それが探偵権限。
【ベアト】「…………我が物顔とは、よく言ったものよ…。……次より、探偵を名乗る者は、決して客人として迎えぬよう、出会う者たちに忠告しよう。」
【ヱリカ】「それがよろしいかと思います。探偵に雨宿りを許すなんて、不吉極まりないことなんですから。」
【ベルン】「………以上から。源次の控え室へ至り、犯行を行なうのが可能なのもまた、24時から午前1時までであることが証明されたわ。そしてさらに、ヱリカの調査によって、源次にもいとこ部屋へ至るのが不可能であることが証明されたわ。」
 源次が、夏妃への電話の取次ぎの後、まっすぐ控え室に戻ったことはすでに、赤き真実で語られている。そしてヱリカの科学捜査とやらを根拠にさらに赤き真実を重ね、源次が24時以降、屋敷を出たことはないと宣言した…。
 これにより源次は、いとこ部屋はおろか、ゲストハウスにも至れないことが確定となる……。
【ラムダ】「残るのは、……蔵臼と夏妃だけだわ…! それ以外の、全員のアリバイが証明されちゃったじゃない!!」
【夏妃】「……そ……んな………。……………ッ。」
 夏妃はまるで、酸素に飢える金魚のように、口をぱくぱくさせるしかない。そしてそれは、正しい表現だった。……夏妃の頭は真っ白でぐるぐると回り、それはまさに酸欠に感じられたからだ。
【ベルン】「……右代宮夏妃。……最後にチャンスをあげるわ。全ての犯行は、あなたの夫の仕業だと、自ら告白なさい。」
【夏妃】「ば、……馬鹿なッ!! 私が夫に濡れ衣を着せるような女に見えますかッ!!」
【ベルン】「……ベアト。夏妃は拒否したわ。そしてあなたにも同じチャンスを。……わかっているでしょう? ……それとも、まさか。蔵臼が行方不明であるのをいいことに、悪魔の証明で誤魔化しきれるつもりじゃないわよね……?」
【ベアト】「………ぐ、ぐ…………。」
 ベアトは、もはや勝負が詰みかかっていることを悟る。
 ヱリカのアリバイは、本来ならば、まだまだ青き真実で反論できるものも多い。しかし、それらはことごとく、ベルンカステルやラムダデルタによって赤き真実と認められ、一切の反論を許されなくなってしまっている……。
【戦人】「……まるで、………ヱリカの描いた筋書きを、あの魔女どもが、そうなるように、曲解してるみてぇじゃないか…。」
【ワルギリア】「そうですね。ゲームマスターのラムダデルタ卿が納得したなら、その真実の真贋は問われない。最後に残った真実に基づかれ、続く世界が紡がれる。……その最後の真実が、本当の真実とどれほど掛け離れていようとも。」
【戦人】「蔵臼伯父さんが犯人のわけない。伯父さんは何者かに監禁されてるんだぞ。……い、いや、そうと夏妃伯母さんを電話でうまく騙した可能性も否定できないが……。」
【ワルギリア】「戦人くんは、夏妃と蔵臼を疑っていますか?」
【戦人】「それは…………。」
【ワルギリア】「ヱリカの真実は、卑劣な構築ですが正当です。魔女と結託しているとはいえ、赤き真実で認められています。つまり、嘘だけで構築したニセの真実では、断じてありません。」
【ワルギリア】「……つまり、ヱリカの真実でも、筋が通るのです。夏妃や蔵臼が犯人という真実も、まったくありえなくはありません。それが虚実であろうとも、“筋は通る”。……真実と同じ価値を持った虚実なのです。……その、二つの真実のどちらを信じるか。それは、戦人くん自身が自ら決めることです。」
【戦人】「………いや。……俺は、……………夏妃伯母さんと、…蔵臼伯父さんを信じるぜ。確かに、カネでトラブルがあるのは知ってる。」
【戦人】「だが、それでも、……俺は伯母さんたちが犯人だと信じたくないッ。いや、信じられない…!」
【ワルギリア】「これだけ、赤で着実に追い詰められたこの盤面上で、どうやったら、夏妃を逃がせますか?」
【戦人】「わ、……わからねぇ……。だが、……絶対に屈したくない…! 夏妃伯母さんは卑劣な罠にはめられただけだ。…ヱリカの推理はまさに、それに踊らされたもの…! だから、ヱリカは意図してかせずしてか、本当の犯人の片棒を担いでるんだッ。」
【戦人】「………ヱリカが夏妃伯母さんを犯人だと告発し、……そしてこの場にいる誰もがそうだと信じても、……ならばこそ、俺だけは夏妃伯母さんを信じたい…!」
 全員が決め付けたら、それが真実になるのか? 全員が納得した嘘は、それが真実になるのか? ひとりぼっちの正直者は、嘘吐きたちに罵られながら、断頭台に引き摺り出されなきゃならないのか?
【戦人】「俺は、……嫌だぜッ。……誰も夏妃伯母さんを信じないなら、むしろ俺が信じてやる…!! 本当の真実は、全員が納得したら決まるものじゃない! 徹底的に双方の可能性を検討して、その上で至るもんなんだ…! だからこの法廷は嘘っぱちだ! この法廷は、夏妃伯母さんを犯人だとでっち上げるためにしか存在しない!!」
【ワルギリア】「……ベアトは夏妃を必死に弁護していますよ?」
【戦人】「違う。ベアトがしているのは、抗弁。……言い訳でしかない! この法廷では、相手の主張に抗うだけじゃ戦えないんだ。だからかつての俺は、一方的にベアトにやり込められていたんだ…!」
【戦人】「ヱリカに勝つのに必要なのは、ヤツの推理の粗を探すことじゃない! ヤツとは異なる、別の真実を見つけ出し、それをあのゲームの支配者、ラムダデルタに、……ヱリカの真実より正しいと認めさせることなんだ…!!」
【ワルギリア】「ベルンカステル卿の示した赤き真実に抵触せずに、夏妃が犯人でない真実を紡ぎ出せますか……?」
【戦人】「……わ、……わからない…。だが、……俺が、夏妃伯母さんが犯人だと信じない限り、絶対に別の真実がある!」
 午前1時に楼座が戻ってきて、その楼座が殺されたのだから、犯行時間を24時から1時までとするのはおかしい。
 正確には、犯人は24時から1時までの間に2階に上がり、1時から3時までの間に4人を殺害。その後空室に待機し、ラウンジに人がいなくなった3時過ぎにゲストハウスを出るという流れになる。
【戦人】「仮に、事件の犯人は魔女ということになってもいい。正しくない真実によって、夏妃伯母さんに濡れ衣を着せられるくらいなら…!!」
【ワルギリア】「………夏妃が犯人であると、これほどの赤き真実を突きつけられても、あなたは信じないのですね?」
【戦人】「あぁ……! 物事っては、常に信じるヤツと信じないヤツがいるべきなんだ…! 例えいくら証拠が積み重ねられようとも、誰かが潔白を信じなきゃならない! 世の中には、証拠じゃ示せない真実なんて、いくらでもあるはずなんだ。みんながそうだというから、きっとそうなんだ、なんてことを、俺は二度と受け入れたくない!!」
 月の裏側を見たこともないのに、月の裏には何もないと、どうして断言できる?! それを信じなくちゃいけない道理がどこにある?! 月の裏を実際にこの目で確かめるまで、その裏には、何もない可能性と、うさぎ型宇宙人が文明を築いてる可能性が、どちらも否定できないはずなんだ…!
 真実は、実際に確かめられるまで、決め付けられてはならない。この法廷は、確かめることの出来ない真実を、何かひとつに決め付けようとする、悪意あるものだ。
 俺は月の裏に文明を信じたぜ?! でもそれは、小学校で馬鹿にされて囃し立てられた。だから俺は、月に文明があるなんて信じるのは、恥ずかしいことなんだと思い……、…その“信念”を捨てた。
 俺は母さんが絵本を読んで、月の裏にはうさぎたちが住んでるって教えてくれたから、それをずっとずっと信じてて。……でもみんながそれは違うというから、俺は真実を確かめるのを待たずに、その真実を捨てたんだ!
 俺は、……証拠もないのに、信じる真実を、捨てた……!
 そしてみんなは今、夏妃伯母さんが犯人だと信じようとしている。彼女が犯人であると示す、決定的な証拠が一切ないにもかかわらず…! 証拠はなくても、ヱリカの言うそれがもっともらしく聞こえるから、多分、真実なのだろう……? だから、証拠がなくても夏妃伯母さんの無実を信じる“信念”を捨てるのか?!
【戦人】「誰も信じないなら、……俺が信じる…! 本当の真実は、否定と肯定の二つの目で同時に見た時にしか、浮かび上がらないと、……俺は信じる…!! ヤツらが夏妃伯母さんが犯人だといくら信じさせようとも、俺は犯人じゃないと信じるッ! それを捨てないッ!!」
【ワルギリア】「……………わかりました。ではあなたに、私からひとつだけ、赤き真実を授けましょう。私が、真の意味で戦う意思を持ったあなたに贈る、たった一つの力です。」
【戦人】「力………?」
【ワルギリア】「有限の魔女、ワルギリアの名において。………いえ、先代の魔女、ベアトリーチェとして、あなたに赤き真実を託します。右代宮夏妃は犯人ではない!
【ベルン】「司法取引。……蔵臼が犯人だと認めたなら。ヱリカは夏妃に対する追求を中断。以後は、所在不明の蔵臼が犯人ということで追及を。」
【ラムダ】「どうする、ベアト? このままじゃ夏妃、ヤバいわよ? ……司法取引を受ける? 右代宮家の名誉とやらを放棄するなら、今回はドローにしてあげようっていう、ベルンの、甘〜い配慮よ…?」
 蔵臼は現在、生死不明、行方不明。金蔵同様に、島に霞と消えた“箱の中の猫”も同然だ。
 箱の中の猫は、どう解釈しようとも否定されない、千変万化の猫。無限の解釈の根源。無限の魔女の力の、まさに源泉。
 つまり、ベルンカステルがどれほど蔵臼犯人説を主張しようとも、……それを唯一の真実には出来ないのだ。
 つまり、ぎりぎりのところで、蔵臼犯人説と、魔女説を均衡できる。……ドローゲームに出来るということだ。
 守ると誓った右代宮家の名誉を捨て、それが踏み躙られるカケラを紡ぐことに同意するなら、…再起のチャンスを与えようという、……甘言。
 やせ我慢を選ぶ余地などない。ベアトにとって敗北は死。……このゲームは、圧倒的優位が見込めないなら、積極的にドローを選ぶべきなのだ。
【ベアト】「……む、………ぅ……………。」
【夏妃】「夫を犯人呼ばわりなどさせませんッ!! 夫は右代宮家次期当主!! 右代宮家の栄光を受け継ぐ、唯一の人間です! その人間に、犯罪者の汚名を着せるなど、断じて許しません…!!」
【ベアト】「……よいのか、夏妃……。………蔵臼を疑ることを放棄するなら、……もう、そなたしか、……残らぬぞ。…そなた以外の全員のアリバイの証明、……即ち、ヘンペルのカラス…! 何の証拠もなく、…そなたを犯人だと断定できてしまう…!」
【夏妃】「私しか残らなければ何だと言うのですかッ! 私は右代宮夏妃!! 逃げも隠れもしないッ! 私は潔白です!! そして心に片翼の鷲を刻む、高潔なる当主代行です!!」
【夏妃】「私を罵りたければ罵りなさい! 嘲りたければ嘲りなさい!! 誰にも、虚実で私の名誉を傷つけることなど出来はしないのですッ!!」
 夏妃は頭上の魔女たちに、……威厳ある声で、堂々と訴える。しかし、ベルンカステルにとっては、夏妃がそう応えるだろうことも、脚本通りのことなのかもしれない…。
【ベルン】「……夏妃は取引を拒否。………ベアトは? …わかってるわね? 夏妃が特定された瞬間に、ラムダは判決を下すわよ。その瞬間に、魔女幻想は否定され、あなたは露と消える。……夏妃の下らない意地に、地獄の底まで付き合うつもり…?」
【ベアト】「……………ぅ…………ぬぅ………。」
【ガァプ】「……リーチェ。あんたはよく戦ったわ。……ここが潮時よ。夏妃を説得して、何とかぎりぎりの妥協策を…!」
【ロノウェ】「ラムダデルタ卿もベルンカステル卿も、真の敵はお嬢様ではなく、退屈そのものです。……このゲームをまだ繰り返し遊びたいはず。お嬢様が譲歩するところを見せれば、喜んでそれを受け入れ、次のゲームに仕切り直すはずです。」
【ベアト】「次のゲームに仕切り直され、………このゲームの夏妃は、……このカケラの夏妃はどうなるというのか……。」
【ガァプ】「そんなの気にしてる場合じゃないでしょ?! 夏妃なんて所詮、駒よ! このゲームで取り除かれても、次のゲームではまた登場するわ!」
【ロノウェ】「しかしお嬢様はそういうわけには参りませんぞ…。今回のゲームでベルンカステル卿の手の内はわかったはずです。それを生かし、次回のゲームで勝利を目指す方が現実的です。……ここは、ベルンカステル卿の取引に乗るのが唯一無二の上策かと…!」
【ガァプ】「下らないプライドは捨てなさいッ!! カスパロフもディープブルーも無敗じゃないわ! 最後に勝率で勝者を決めるんでしょ?! 1つの勝負、1つの人生、1つの駒に魔女が執着したら、……死ぬわよッ?!」
【ベアト】「…………済まぬが、………そういうわけには行かなくてな。………誰もが違うと言っても、……自分だけは信じる男の強さと、……それを捨てなければならなかった男の悔しさを、妾は知っている…!」
【ベアト】「妾は夏妃を見捨てぬ! なぜか? 誰もが夏妃を疑うのなら、誰かが夏妃を信じねばならぬからだ! 真実とは、疑う者と信じる者の狭間にこそ見つけ出せるからだ…!!」
【ベアト】「妾は見捨てぬぞ! 誰もが夏妃を犯人と信じるなら、それでも妾は魔女が犯人であると主張する…!! それが主張できぬなら、妾の存在価値などそれまでよ…!!」
【ベアト】「……負けられねぇんだよ。真実ってのはさァ、誰かが否定するもんじゃねェ。……自分が疑って、捨てた時に消え去るんだよォおおぉおおおおおおお!!」
【ラムダ】「それが、ベアトの返事ぃ……?」
【ベアト】「ああッ、当然拒否よッ!! 右代宮蔵臼は犯人にあらず!!」
【ベルン】「………馬鹿が。もう取り返しはつかないわよ…? 愚か者の短気に相応しい報いを受けなさい。奇跡の魔女、ベルンカステルの名において、赤き真実を語るわ。右代宮蔵臼は犯人ではない。そしてとっくに殺されてるわ。あんたに電話で声を聞かせた直後にね?
【夏妃】「そ、………そんな………。…あ、………あなた………、……ぅぅ…ぅぅうわぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………。」
 ベルンカステルの無慈悲なる冷酷の赤き刃は、夏妃を抉る……。
 ……それは、……あまりに無慈悲だ………。生死不明だからこそ、……不安で潰されそうになりながらも、生存を信じることが出来た…。その、……希望も、…期待も、……一片の奇跡も許さず、………叩き潰すなんて…ッ…!!
 夫の身を案じればこそ、罠に投じた我が身だった。彼女は娘と夫を失い、………右代宮家に嫁いで来て得たもの全てを、……失った。
 いや、……それでもまだ、………ひとつだけ、残ってる。
 夫を失ったならば、………今こそ、自分が右代宮家の栄光を守る最後の一人なのだ。まだ、……ここで終わるわけには行かないのだ………。
 これほどの悲しみの中でも、……最後にそれを守ろうとする夏妃の、…最後の力……。
【ベルン】「いいえ、これで終わりよ! 残りの食堂の人間は全員、1時まで食堂を出ていないことは赤き真実で確定してる。つまりもう、夏妃以外全員のアリバイは証明されてる!」
【ラムダ】「……見事だったわ、ヱリカ、ベルンカステル! あなたたちは、右代宮夏妃以外に犯行が不可能であることを証明し切ったわ! 主文から読み上げようかしら。」
【ラムダ】「……被告、右代宮夏妃は、1986年10月4日24時に、先に就寝すると偽り自室へ戻るふりをして、午前1時までの1時間の間に、譲治、朱志香、真里亞、楼座、源次の5人を次々、殺害したわ!」
【ベルン】「主文追加。状況証拠から、蔵臼の殺害も追加を。」
【ラムダ】「えぇ、そうね。蔵臼を殺せるのだって、この状況じゃ夏妃以外に考えられないわー!! 主文を訂正するわ! 午前1時までの1時間の間に、蔵臼、譲治、朱志香、真里亞、楼座、源次の6人を次々、殺害したわ! 殺害可能時間は、いずれも24時からの1時間の間だけ! その1時間の間にアリバイを持たない、犯行の可能な人物は右代宮夏妃だけだった…! 以後、ゲームは被告を真犯人として扱い進行。」
【ラムダ】「また、事件がニンゲンの犯行で完全に証明されたため、無限の魔女、ベアトリーチェ…!! 当幻想法廷はあんたの存在をここに否定することを宣言するわッ!!」
【ラムダ】「抗弁の機会があるけど、夏妃のアリバイを証明できる? もしくは、夏妃以外が犯人の可能性を示せる? それさえ出来れば、夏妃はクロぎりぎりのグレー止まり。あんたの存在否定は、今回は保留されるけど……?」
 夏妃のアリバイがあるなら、とっくに提示している。それを失わせるのが、罠の一番の目的ではないか……。
【ベアト】「アリバイの証明などなくとも、……妾は夏妃の無実を信じるぞ…!! そなたらが、偽りの真実をどう決め付けようとなッ!! 妾こそが真犯人である! 夏妃は無実であるッ!! たとえ証拠がなくともッ!!」
【夏妃】「……真相は、六軒島の夜の主、黄金のベアトリーチェだけが知っています。私は右代宮夏妃! 夫亡き今、私が右代宮家の当主です!! 我が心は如何なる辱めにも挫けることがありません!」
【夏妃】「それはなぜか? お父様が私に、心に片翼の鷲の紋章を刻むことをお許し下さったからです…!! 私の心臓に刻まれた紋章と名誉を、あなたの証拠とアリバイとやらはどう否定できますか? 出来ませんッ!! 私の心に刻まれた、右代宮家の紋章は不滅なのですッ!!」
 ………夏妃とベアトリーチェが、……もはや断頭台に掛けられたようなこの段階において、……意思の強さを吼え猛る…。しかしそれは、ゲームマスター、ラムダデルタには、冷笑を持ってしか受け入れられない。
 ラムダデルタを納得させるだけの真実を、ヱリカは構築した。……そしてそれを否定できる、より説得力ある真実を、誰も構築できない。
 ならば、もっとも説得力ある真実が、全てを飲み込み、……唯一の「真実」に昇格する。それが本当の真実と異なるものであっても。
 真実は、未来に生まれたものが、過去に生まれたものを飲み込むのだ。……たとえ虚実であったとしても。誰もがそれを認めたならば…!
【ベルン】「………よく吼えること。……私は、魔女が火炙りになる時は、命乞いを泣き喚く子が一番好きよ。あんたみたいな虚勢を張るのが、一番興醒めなの。だから、その虚勢を打ち砕く赤き真実を、私からの最後の贈り物としてあげるわ。」
【夏妃】「な、………何ですか…………。」
【ベアト】「……よ、………よせ…、ベルンカステル卿…。……もはや、そなたの望んだ真実で上書きされるであろうが……。……その真実と、夏妃の真実は相容れるはず…。汚さないでやってくれ……、………頼む………ッ……。」
【ベルン】夏妃。金蔵があんたの心に、片翼の鷲を刻むことを、いつ許したっての? あんたの妄想の中の金蔵の言葉でしょうが、それは。……本当の金蔵はね。生涯、ただの一度も! あんたを心の底から信頼したこともないし、あんたに紋章を許そうと思ったことも、ただの一度もないわ!
 その冷酷な宣告に、………金蔵が立ち上がる。
【金蔵】「夏妃ッ!! 耳を貸すでない!! そなたの心に刻まれた紋章は、誰にも汚されぬ!! そなただけのものだッ!! 右代宮家の最後の当主としての誇りを、永劫に忘れるなッ! 夏妃いいいいいいいいいいぃいいいい!!」
【ベルン】「やかましいわ、消えなさいよ。夏妃のゲロカス妄想。」
【金蔵】「ぬぉおおおおおおおおおおおぉおおおおおおお!! 消せぬ、消せぬぞ、我が魂は!! 夏妃が心に紋章を刻み続ける限りなッ!!」
【ベルン】「この嘘吐き幻想が。本当の金蔵はそんなことを言わないわ。消えなさい。夏妃によって美化された、夏妃にとって都合のいい、夏妃の中の妄想の金蔵。
【金蔵】「ぐあああああああああぁあああああああぁあぁあぁあぁッ、な…つひ……ぅぐぉおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおおお…!!!」
 真っ赤な稲妻が迸り、絶叫する金蔵を何度も激しく打ち付けた。
 そして、人形のようにカクンと、……椅子に元通りに座るように、崩れる。もう金蔵の表情に激情はない。本当に、……蝋人形のようになってしまっていた。だからもう二度と、………夏妃に温かい言葉を掛けることはない…。
 ………そう。本当の金蔵は、………終生、夏妃に心を許すことはなかった。本当の金蔵は、……夏妃に片翼の鷲を許そうなどと思ったことは、ただの一度もなかったのだ。
 ……改めて言うまでもなく、……金蔵はすでに、ゲームが始まる前に、没している。このゲームに登場した金蔵は、………夏妃の、………妄想に過ぎない……。
 夏妃を信頼し、……右代宮家の名誉を守るよう託した金蔵は全て、……夏妃の、………幻………。
【ベルン】哀れな女。右代宮金蔵の信頼を、生涯、得られなかった真実を、今こそ正視しなさい。
【夏妃】「ぅ、………ぅっく……、」
【ベアト】「……夏妃………、……泣くな…。……そなたは、…金蔵に右代宮家を……託されたのであろう……?」
 ……託されてない。本当は託されてるどころか、………挨拶さえ、………目を合わせてさえ………。
【夏妃】「……ぅ、………ぅわあああああぁああああああぁぁあああぁぁぁあぁぁ……!! うわああぁあああぁああああああああああぁ!!」
 夏妃の、悲しみと、……それだけではない様々な感情の入り混じった、泣き声が、大聖堂に木霊する……。
 ……もう、夏妃は涙を止められない。彼女を今日まで奮い立たせ、右代宮家の人間として、当主代行の妻として、……そして、最後の当主として耐えてきた最後の一本のか細い何かが、………千切れてしまう……。
 もう、夏妃には、………何も残っていない。
 夏妃にはもはや、……右代宮の姓を名乗ることさえ、……自らに許せないのだ………。
 辛かった日々、苦々しかった日々。
 それでも嫁いだ家のために尽くそうとした日々。
 ……そんな中にもわずかにあった、喜びの日々。
 それらが次々と蘇っては、………消えた。
 美しかった記憶の全ては、……もうベルンカステルの赤き真実で、……打ち砕かれてしまって、………粉々の破片になって散らばり、…ちくちくと両手いっぱいに刺さって、……悲しみの血で真っ赤に濡らす…。
 ………それが、悲しみと真実の、赤。
【ヱリカ】「以上です。……ただ事件がそこに存在するだけで。古戸ヱリカはこの程度の推理が可能です。……如何でしょうか、皆様方…?」
 ラムダデルタが、手を叩く。すると、やや遅れて、ベルンカステルも満足そうに手を叩く。
 蝋人形のように無表情な聴衆たちもそれに習い、覆せぬ判決を、大勢の拍手で迎え入れた………。こうして、………この物語の“真実”は、決定した………。
客間
 この島には今、この客間にいる人間しか存在しない。そして、1人を除いて、全員が殺人を犯していないことが示された。そして、この中に、犯人がいる。
【留弗夫】「……おいおい。…となると、…決定的じゃねぇか…。」
【霧江】「魔女が犯人で、魔法で殺人を犯したわけでない限り、ね…。」
【絵羽】「……あんたなのッ?! あんたが譲治を、主人を殺したの?! どうしてよッ!! どうしてぇえええええぇええッ!!」
【夏妃】「わ、…私は殺していませんッ…! わ、私は、な、何も…!!」
【戦人】「…………………………。」
 狼狽した夏妃伯母さんは、とても流暢とは言えない口調で、……冷酷に言えば、無様に、自らの嫌疑を否定する…。
 しかし、……もう、外堀は全て、埋まっているのだ。彼女は立ち上がり、…長い髪をなびかせながら、夏妃伯母さんを指差して、もう一度言った。
【ヱリカ】「……あなたが犯人です。右代宮夏妃さん。」
 絵羽は涙を零すほどに顔を真っ赤にしながら、……夏妃に歩み寄り、……その胸倉を掴み上げる。
 そして無言で、夏妃のその頬を打つ。
 生まれてこの方、平手で打たれたことなど一度もなかった夏妃は、生まれて初めての、鉄の味の感触に呆然とする。
 絵羽は夏妃と揉み合いになる。すぐに戦人が止めに入るが、絵羽は逆に、戦人の下腹部に鋭い膝蹴りを入れて、うずくまらせてしまう。
【絵羽】「返してよッ、譲治と夫を返してよッ!! どうして殺したのよ?! この人殺しッ、人殺しぃいいいいいぃ!!」
 絵羽は泣き叫びながら、床に転がる夏妃を何度も何度も蹴る。
 戦人がもう一度止めに入ろうとするが、振り払われ、……その後はもう、誰も止めに入ろうとはしなかった。
 絵羽は、息子と夫の名を何度も繰り返しながら、夏妃を蹴る。蹴る。
 そして辺りのものを手当たり次第に掴んでは、投げ付けた。……湯気の立つティーカップをぶつけられ、…紅茶の缶をぶつけられ、全身に茶葉をぶちまけられた。
 蹴られ、髪を引っ張られて引き摺り起こされ、頬が腫れあがるほどに、何度も何度もその頬を打ちのめした。
 誰も、止めようとしない。絵羽に自分も蹴られるからと怯えているのではない。それが、最愛の息子と夫を失った者としての、正当な報復だと思っているからだ。
 正当な、報復。正当な、真実。客間の全員が、夏妃が犯人であることを、……そう主張するヱリカの真実を、受け入れた。
 だからそれは、正当な真実となり、夏妃を正当な犯人に、指名した。彼女を庇う夫も娘もすでに亡く、……彼女に最後の力を与えたはずの金蔵も、もはや幻想の海に泡と消えている……。
 もう誰も、彼女を庇わない。もう誰も、彼女を信じない。だからもう、彼女が真犯人。
 絵羽が肩を上下させて呼吸を荒げる。……まだ怒りは収まらないようだった。
 ヱリカはその肩をぽんと叩き、絵羽を下がらせる。……もちろん、夏妃を暴力から庇うためではない。犯人の烙印を焼き付けた夏妃に、……さらなる恥辱を味わわせるためだ。
【ヱリカ】「夏妃さん。私は3つの謎の2つを解きました。フーダニット。ハウダニット。そして最後の謎、ホワイダニットは、犯人が自ら告白しなくてはならないと決まっています。どうか、ミステリーのルールに従い、告白を。」
 ホワイダニットは、……動機のこと。
【ヱリカ】「これが三流ミステリーなら。……そろそろ夏妃さんが高笑いを始めて、罪を認め、悲しい過去話を始めるタイミングなのですが。……まさか、それまで私がしなくてはなりませんか?」
【夏妃】「……私は犯人じゃありませんッ!! 誰か信じてッ!! 私は何者かに夫を人質に取られ脅迫されて、……罠にはめられただけなんですッ…!!」
 夏妃は、ぐしゃぐしゃになった髪と、涙と打たれた跡で真っ赤になった顔で、……一同にそう訴えかけるが、………誰も目を合わせない。すでに、夏妃が犯人ということで決着しているのだから。
 ラムダデルタが物語の犯人を夏妃だと認め、そう紡いだのだから、駒たちは皆、夏妃の、……“犯人”の言葉に耳を貸したりはしないのだ…。
【ベアト】「夏妃は犯人ではないッ!! 我こそは黄金の魔女、ベアトリーチェ!! そなたらが、夜の闇に怯えた年頃よりはるかに前から君臨する、六軒島の夜の支配者!」
【ベアト】「なぜ妾の罪とせぬか、なぜ夏妃を疑うのかッ!! 妾を認めよッ!! 全ては妾の犯行ぞッ!! ニンゲンが犯人ということなど、断じてあってはならぬわあああぁああぁあああッ!!」
 魔女幻想はすでに打ち砕かれ、……ベアトの声は、誰にも届くわけもない。
 もう判決は出ている。……全ては決した。
【ヱリカ】「聞こえてないわよ、誰にもね。あんたは幻、ただの幻想! お帰りなさい、ただの肖像画に! 金蔵の幻想を、親族が共有することによって生まれた、儚い幻の魔女ッ!! それが、この世界の選んだ真実なのよッ!!」
【ヱリカ】「さぁ、大ラムダデルタ卿!! この魔女を語るおこがましき愚かな幻想を、今こそ葬り去りたまえ…!!」
大聖堂
【ラムダ】「さようなら、ベアトリーチェ。………あなたを魔女にしたのは、私のお友達になれるか、私の退屈を紛らわしてくれるか、そのどちらかを期待したものよ。そしてあなたは期待に応えてくれたわ。後者のね。…うっふふふふふふふふふふふふふふふふ!!」
【ベアト】「……妾は、……魔女であるわ……。ラムダデルタ卿に認められずとも、……魔女であるわ………。」
【ラムダ】「私が後見人にならなかったら、それを信じることも出来なかったくせに…! さぁ、あなたはこれでゲームオーバーよ。あなたを葬る方法は、あなたのゲーム盤のルールに従ってあげる。……あなたのゲームでは、敗者はどうなるんだっけ…?」
【ベルン】「すでにベアトが過去のゲームで一度、はっきりとそれを見せてくれてるわ。生きた肉の塊にして、山羊の晩餐会に放り込んで、喰い嬲られるのよ。」
【ベルン】「相応しい最後だわ、ベアトリーチェ。高慢ちきなあんたの断末魔が聞きたくて、はるばるこんなところまでやって来たのだから…!!」
 無言の、山羊の従者たちが何人も大勢、ぞろぞろと柱の影より集まり、大聖堂を埋め始める。山羊たちは、中央に座る夏妃に関心を示さなかったが、その群で彼女の姿を飲み込んでしまった。
 その光景は、バルコニーのベアトから見たら、……山羊のひしめく大釜にも見えただろう。
【ベアト】「………………く、……くくく、…はっははははははははははッ!! そうであるな、……元より、そういう契約であったな…!」
【ラムダ】「えぇ、そうよ。あなたが私を楽しませることが出来なくなったら。その身を以って、私の退屈を慰めるのが、私たちの契約!」
【ラムダ】「さぁ、その女から魔女の座を奪い、山羊の釜へ放り込みなさいッ!!」
 ベアトの後にもいつの間にか山羊たちがいる。……そして、彼女を乱暴に担ぎ上げる。
【ベルン】「良い悲鳴を聞かせてね。あんたはこの日のために寝かせてきたワインよ。」
【ベアト】「……ならば、それを聞かせぬのが、妾の最後の一矢であるわ…。」
【ベルン】「やッた、言わせたッ! うっひひっはっはァッ!! それを捨て台詞にしてくれる子が聞かせてくれる悲鳴が最上級なのよッ。……堕ちろッ! ベアトリーチェええぇええええええぇえええぇぇ……!!!」
 担ぎ上げる山羊たちは、もはやベアトを自分たちの主人として扱っていない。そして、バルコニーの下にひしめき、……それを投じよと待ち焦がれ、鼻息荒く興奮する山羊の釜に……。
 ベアトの華奢な体が宙に放り出される。ひしめく山羊たちが、一斉に天へ向かって両腕を伸ばす。それはまるで、彼らの苦しみが、彼女の肉を食らうことで、わずかの間だけ忘れられるかのよう。
 宙を舞うベアトは、不敵に笑おうとしていたが、……それはどこかぎこちなく、一層の痛々しさを誘い、それが余計、ベルンカステルを上機嫌にさせた。
 釜に放り込まれたベアトを山羊たちが受け止める。もちろん、慈しんでではない。
 無数の山羊たちの腕が、その肉を、自分だけのものにしようと、引っ張る。引き千切ろうとする。肉でなくてもいい。髪でも、爪でも、靴でも、ドレスの切れ端でさえもいい。
 山羊たちの口こそが、地獄への入口。しかしその入口を通るには、ベアトは大き過ぎる。だから、入口に相応しい大きさに、……細かく噛み砕かなくてはならない…!
 ………ベアトは、不敵そうに笑い声をあげていた。山羊たちの釜の中で。
 しかしその表情は、彼女の意図したものとはあまりに程遠く、………魔女ではなく、……断末魔を叫ぶ、一人のニンゲンとしてのものに違いなかった。
 その時、山羊の海が、割れる。
 ドラノールが飛び込み、太刀の一閃で、その半径の山羊たちを切断する。……まるでバターを切るかのような切れ味だった。
 山羊たちは突然のドラノールの登場に驚き、後退る。その中央には、ぼろぼろにされたベアトリーチェが、……すすり泣きながらうずくまっていた……。
【ラムダ】「何の真似? 異端審問官、ドラノール。」
【ドラノール】「畏れながら申し上げマス。この判決に異議のある者がおりマス。そやつの名は、右代宮戦人デス。」
 山羊たちが一斉にぎょろりと戦人を見る。
【ドラノール】「当法廷の判決に、何が不服デ…? ……再審請求に相応しい、新しい証拠を、真実をお持ちなのデショウネ…?」
【戦人】「……………………く……。」
 わかってる。……俺は今、ドラノールに助け舟を出されている。ここで飛び出さなかったら、もうおしまいなんだ。
 そして俺は、どう戦えばいいのかも、今や完全に理解しているんだ。そして、理解しているからこそ、……まだ俺には戦えないんだ。
 なぜなら、ヱリカの真実に反論するだけでは勝てないからだ。ヱリカの真実を否定するなら、別の真実を提示しなくてはならない。…その真実が、俺にはまだ、まるでわからない……!
【ドラノール】「時に癒せぬものはありマセン。時を費やせど至れぬ真実も、またありマセン。……しかし、全ての法廷は、真実を決定するのに刻限を設けマス。そして、その刻限までに至れぬ真実は、もはや真実とはなり得ないのデス。」
 ……あぁ、…わかってる……!! もはや、場は夏妃伯母さんが犯人だってことで確定してる。もう、本当の真実でさえも、……手遅れかもしれない…!
 絵羽伯母さんの暴力を止める空気さえなく、誰も夏妃伯母さんを庇おうなんて、これっぽっちも思ってない。やがていつか真実を見つければいいなんて、流暢なことを言う段階にすでにない。
 そしてこの世界では、……真実を暴くことが許される時間さえ、…わずか。もう24時で終わりなのだから。
 警察は来ない。真実は明かされない! 今ここで決まる真実で確定する…!
【戦人】「………………………。」
 俺はゆっくりと立ち上がり、……ぼろぼろのベアトを挟んで、……ドラノールと対峙する。
 ………策はない。真相もわからない。……しかし、……今、飛び出さなければもう、戦う機会もない…。
 ヱリカたちの赤は無慈悲なまでに厳重だ。あの赤に抵触せずに、夏妃伯母さんが犯人でない真実なんて、到底紡ぎ出せると思えない……。
【ドラノール】「……何を頼りない顔をしているのデス。情けない男デス。」
【戦人】「ち、………畜生………。」
【ベアト】「……ば、……戦人……。」
【戦人】「お前を殺すのは俺だ。…その約束を俺は守りたい。……なのに、……今の俺には、……何の策もない……。」
【ベアト】「…………よいのだ…。この世に、……真実などない。……それは後から作られ、上書きされるのだ。本当の真実なんて、……どこにもないのだ……。」
【ベルン】「ドラノール、素敵なシナリオだわ。やはり、お姫様の処刑には、ナイトが現れないと面白くない。……そして、その眼前で断頭を見せてやるのに勝るもの無しッ! 古き駒と、用済みのプレイヤーたちをまとめて葬り去りなさい!!」
【ドラノール】「御意デス。大ベルンカステル卿に栄光アレ! 我こそは主席異端審問官、ドラノール・A・ノックス…!! いざ、参らレイ、右代宮戦人!!」
【戦人】「こ、……こうなりゃ破れかぶれだ…。俺の悪あがき、見せてやらぁあああああああぁあッ!!」
 ヱリカの推理を頑強にしているのは、全て、あの封印のせいだ。ラムダデルタはその封印のアリバイを鵜呑みにするからこそ、易々と赤き真実を与える。
 だが、封印は赤き真実じゃない! 紙を挟んだだけの安っぽいものだ。そんなもので、……“絶対”を主張されて堪るか…!
【ラムダ】「始めなさい、戦人ッ!! 愛しのベアトリーチェと一緒に、山羊たちに肉片にされて混ぜこぜになってみるゥ?!」
【ベルン】「あぁ、その挽き肉には、あんたの大切な妹の挽き肉も混ぜてあげるわ。素敵な合挽き肉になるでしょうよ。……皮に包んで蒸して小肉包にして、やっぱり醤油でしょう?!」
【ラムダ】「フライパンで焼いて卵を載せてケチャップが最強よぅ!!」
【ベルン・ラムダ】「「くきゃあっはっははははっひゃっひゃっひゃっはああぁあああぁッ!!」」
【戦人】「ち、畜生ぉおおおおぉおおおぉあああぁああああぁぁぁあぁッ!! ヱリカお得意の封印の信頼性は疑えないのかッ?! 紙を挟むなんていい加減な方法で、絶対のアリバイにはなり得ないはず! 偶然、気付いた人間が、元の位置に挟み直すことだってあったかもしれない…!!
 俺の青き真実の刃が、確かにドラノールの胸を斜めに斬ったはず。…しかしドラノールは表情ひとつ変えず、胸元には傷ひとつ残らない。
【ベルン】「何が飛び出すかと思ったら、馬鹿馬鹿しい…。」
【ヱリカ】「……私からご説明しましょう。私が扉を封印していたのはこれ。……戦人さんはこれ、紙だと思ってたんですか?」
 ヱリカが指に挟んだ、茶色い紙のようなものを再び誇示する。
【ヱリカ】「これ、ガムテープです。それも非常に粘着力のある。……それに鋏を入れ、切れやすくしてあります。」
【ヱリカ】「それにさらに、切れ目、扉と枠部の3ヶ所に、模写不可能な私のサインにて割り印がしてあります。よって、痕跡を残さずに剥がすことも貼り直すことも、一切出来ないわけです…!」
【ドラノール】「抜刀申請“赤鍵”。」
【ベルン】「承認。」
【ドラノール】以上により、封印の完全性は保証されマシタ。ミス・ヱリカの封印は、何者にも破れず、誤魔化すことは出来ないのデス!!
【戦人】ヱリカの封印は認めよう…! だが、絵羽伯母さんがした源次さんの部屋の封印は違うはずだ!!
【ドラノール】絵羽の封印も、ミス・ヱリカの封印と同一のものデス。この封印方法は、ミス・ヱリカと絵羽が晩餐後に共同で考案したものだからデス。
【戦人】ヱリカは科学捜査に用いるとか言って、祖父さまの部屋の薬物を色々と漁ったな?! その薬物の中に、例えば溶剤があったかもしれない!! それを使えば、爪の痕跡を残さずに、綺麗にガムテープを剥がすことも可能かもしれない!!
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。全ての封印は如何なる方法でも、痕跡を残さずに剥がすことは不可能なり。
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げる。全ての封印には不審な一切の痕跡は、無きにけり…!
【ヱリカ】「以上により、封印に何らかの工作が行なわれたことがないことが証明されます。復唱要求!!」
【ベルン】「えぇ、喜んで。ヱリカと絵羽の全ての封印には、剥がすなどの、封印の機能を損なわせる一切の工作はなかった。
【戦人】「……畜生ぉおおぉぉ…、跡が残るようなガムテープを、あちこちにベタベタと貼りやがって……!」
 敵はドラノールだけではない。その部下である、ガートルードとコーネリアも。そしてヱリカとその主であるベルンカステルも。ベアトのゲームを乗っ取ったラムダデルタも! この大聖堂のありとあらゆる者が敵だ。
 畳み掛けるような赤き猛攻に、たちまち俺の貧弱な真実は跳ね返される。……当然だ。俺には主張できる真実がない。この期に及んで未だ、……何も…。
【ドラノール】「封印の議論だけで終わりデスカ? 全力で来る約束デス。」
【戦人】「………………く…ッ……。」
 夏妃伯母さんの無実を示す真実さえわかれば…。ヱリカの赤を縫うことの出来る推理が出来れば……。……畜生ぉおお、何もわからないッ!!
【ベアト】「………勝ち目はあるのか…。」
【戦人】「……家に忘れてきた。取りに戻っていいか。」
【ベアト】「妾はすでに負けた身。……覚悟は出来ている。」
【戦人】「……お前を殺すのが俺の約束だ。だから、俺以外のヤツがお前を殺すことを許しはしない。俺は約束を、絶対に破らない…!!」
【ベアト】「嘘だな。……そなたの約束など、妾はもう二度と信じぬぞ。」
【戦人】「何? 俺がお前に、何の約束をして、何の嘘を吐いた…?」
【ベアト】「…………ふふふ、…くっくくくくくくく。……その、そなたの言葉で、妾は地獄を受け入れられるというもの。……ふっははははは、くっはっははははははははは…!! 殺せ、妾たちを! ベルンカステル、ラムダデルタ…!! ひゃっははははははははははははァ!!」
 ベアトは奇声をあげながら、笑い転げる。……涙で顔をぐしゃぐしゃにした、壊れた笑い声だった。もうベアトに、戦人の言葉は耳に届かない。いつまでも壊れたレコードのように、狂った笑い声を繰り返している……。
【ドラノール】「それで終わりデスカ。情けナイ。やはり失望デス、右代宮戦人…!!」
【ベアト】「ひゃっはははははははははは、ひぃっはっはっはははははははっひゃああぁああああぁ!! 殺してくれ、ドラノール!! 妾をバッサリとその赤き太刀で真っ二つにッ!! ひゃっはっはははははははっはっはっはぁあああぁ!!」
 ぅ、……ぅおおおおぉおおおおおぉおおおおぉぉおおぉおお!!
【戦人】ゲストハウス2階へ、ラウンジを通過せずに至る方法、Xの仮定! ヱリカは窓やらを封じたと主張しているが、侵入可能な全てを封印できたことは証明できていない! ヱリカに発見できなかった侵入口Xを封印できなかった可能性があるッ!
【ドラノール】ノックス第3条。秘密の通路の存在を禁ズ! ミス・ヱリカは探偵として全ての侵入口を封印していマス。探偵に発見できない通路は、秘密の通路デス。よって、ミス・ヱリカに発見できない侵入口は存在しないのデス!!
【戦人】ラウンジのヱリカの見張りが完璧でなかった可能性の提示!! ヱリカは2時間を過ごす間、片時も目を逸らすことなく監視し続けたのか?! わずかの隙を突き、ラウンジを、少なくともヱリカの目にだけ触れずに通過することは可能かもしれないッ!!
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。ラウンジでのヱリカ卿の見張りは完璧なりや。わずかの隙も油断も、1秒の見落としも無きにけり。
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げる。よって、ラウンジでの会合中、2階へ上がりしは、楼座のみなり!
【戦人】その楼座叔母さんは本当に楼座叔母さん本人だったろうか?! 何者かが、楼座叔母さんに変装した可能性!! もしくは彼女が実は大きな旅行鞄などを持っていて、その中に誰かが隠れていた可能性もあるッ!
【ドラノール】ノックス第10条、手掛かりなき他の登場人物への変装を禁ズ! 何者かが楼座に変装することを示唆する伏線は存在しマセン! また、彼女が人間を隠蔽できる荷物を所持していなかったことを、ヱリカは確認していマス!
【戦人】夏妃伯母さんは何者かに脅迫されていたッ!! 招かれざる未知の客人Xが真犯人なんだッ!! どうしてこの島には俺たちしかいないと断言できる?! 真犯人は俺たち以外に存在するんだッ!
【ドラノール】ノックス第1条。犯人は物語当初の登場人物以外を禁ズ!!
【戦人】毒物での遠隔殺人かもしれない!! その、……死ぬと首に切れ込みが出来るような不思議な薬だ…!! それは遅効性で、アリバイがありながらも、
【ドラノール】ノックス第4条。未知の薬物、及び、難解な科学装置の使用を禁ズ!!
【戦人】いとこ部屋や源次さんの控え室に、遠隔殺人の可能な、殺人の仕掛けXが存在する可能性もある…!! それは未だ発見されていない秘密の仕掛けで…、
【ドラノール】ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ!!
【戦人】とにかく、夏妃伯母さん以外に真犯人がいるんだッ!! それを否定するなら、登場人物全員について、赤き真実で犯人でないと復唱してみろッ!!
【ドラノール】ノックス第6条。探偵方法に偶然と第六感の使用を禁ズ!!
【戦人】夏妃伯母さん以外の全員にアリバイだと?! ひとり抜けてるぞ!! ヱリカ自身のアリバイは、誰がどうやって証明するんだッ!!
【ドラノール】ノックス第7条。探偵が犯人であることを禁ズ!!
【戦人】現行犯でない限り、夏妃伯母さんが無実である可能性は常に否定できないはずッ!! ヱリカの未発見の証拠Xによって、無実が証明できる未来の可能性までを否定できるのか?!
【ドラノール】ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ!!
【戦人】こ、この物語は悪意ある虚実に満ちている!! 夏妃伯母さんを陥れようと、物語自体が罠になっている! 公正な真実だけで物語を再構築するべきだッ!!
【ドラノール】ノックス第9条。観測者は自分の判断・解釈を主張することが許さレル!
【戦人】俺が犯人で、例えば24時以降に譲治の兄貴たちが死ぬように遅効性の毒を盛り、その後、午前3時に戻った俺が、音もなく首を切断した可能性ッ!! 聞き耳のヱリカに聞かれないくらいに静かに…!!
【ドラノール】ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ!!
【戦人】みんなは自殺なんだ…!! だから犯人は存在しない!!
【ガート】「謹啓、謹んで申し上げる。犠牲者は全員、他殺なりや。
【戦人】死体をヱリカ自身が検死したわけじゃあるまい?! 探偵以外の人間は、検死を誤る可能性があるはず!!
【コーネリア】「謹啓、謹んで申し上げる。全ての死体は、決して検死を誤らぬものと知り奉れ!」
【戦人】なら身代わり死体ということもあるかもな!! 犠牲者たちとよく似た死体を予め用意してあったんだ…!!
【ガート】登場人物以外の死体は登場しないと知り給え。」
【戦人】な、なら、どうして、死体のない蔵臼伯父さんが死んでると宣言できるんだ!! ノックスの第何条だかに違反するんじゃねぇのかッ!!
【コーネリア】赤き真実は、ただ真実であり、証拠も証明の必要もないと知り奉れ!!」
【戦人】「そ、……そんな、……く、……畜生ぉおおおおおぉぉおぉ……ッ!!」
 その暴論の前に、夏妃伯母さんを犯人扱いしようとする真実を覆す努力は、……何の意味もなさない。
 俺は苦し紛れな青き真実を振りかざしては、ドラノールたちの赤き真実で何度も打ちのめされ、床を這わされる。……立ち上がるのも辛くなる。…それはつまり、……俺が、夏妃伯母さんが犯人という真実に、屈しようとしていることを、体が教えてくれているということなのか…。
 ヱリカたちの赤き真実はますますに完璧だ……。その間隙を、わずかに抜けられるかと期待すると、ドラノールにノックスの赤き太刀で叩き潰される……。
【ベアト】「……ひひひは、ひぃひぃ、……はは、はっはははははは……。」
【戦人】「…………ベアト……。」
【ベアト】「もういいんだよ、戦人ァ…。……これでようやく。妾を、…いや、妾たちを苛む永遠の拷問も終わる。……堕ちよう、…一緒に地の底へ。」
【戦人】「……………………く…。」
 こんなベアトなんて、…見たくない……。
 黄金郷の支配者としての威厳も、……俺の好敵手としての豪快さも、……何もない。ただ、踏み躙られ、全てに絶望した、哀れな女が涙に顔を濡らし、目を背けずにはいられない、無残な微笑みを浮かべているのだ……。
【ドラノール】「あなたの真実はもはや、存在しないのデスカ。」
 いや、………最後に、……ひとつだけある。
【ドラノール】「……それは夏妃が犯人でない、異なる真実なのデスネ?」
 ……違う。夏妃伯母さんが犯人でないことを示せるだけだ。その先の、……ならば、本当の真実はどうなのかは、……まったく示せない……。
【戦人】「……しかしそれでも、……ベアトだけは助かるかもしれねぇ。」
【ベアト】「どうして………?」
【戦人】「……俺は、夏妃伯母さんが断じて犯人ではないと示せる。…だが、異なる本当の真実を示せない。……ヱリカの真実を霧散させれば、事件は闇に戻り、お前の生きる余地もあるだろう。」
【ベルン】「それが出来たならね。………でも、もし新しき真実が示せないなら、あんたはもう、プレイヤーとして無能の用無しよ。このゲーム盤から永遠に消えてもらうわ。」
 ゲームマスターはすでにラムダデルタ、……そして、ヤツもだ。一つのゲームの敗北でなく、本当の意味でこのゲームから、敗者として永遠に追放されるだろう。
 追放された“駒”がどこへ追放されるか、魔女たちが話してきたことから薄っすらと想像がついている。そこは忘却の深遠と呼ばれる、永遠の暗闇で、……生きるという概念も死ぬという概念もない、永遠の忘却の彼方…。
 ……俺は、消えるな。しかし、……ベアトは残る。ベアトが残る限り、夏妃伯母さんがどんなに疑わしくとも、……常に、魔女の仕業である余地、即ち、夏妃伯母さんが犯人でないわずかの余地を残すことが出来る。
 ……その余地さえあれば、……必ず誰かがいつか、真実を暴いてくれる。それが俺でなくてもいい。
 とにかく、……この偽りの真実を、誰かがきっといつか打ち破ってくれる……!
 俺はいつかきっと現れるその誰かのために、……本当の真実を守るために、……我が身を投げ出すべき時が、今であることを理解する……。
【戦人】「……どうやら。……お前を殺すって約束を、…俺はやっぱり破っちまうみてぇだな。」
【ベアト】「嫌だ。妾だけ生き残らせるな。そなたと共に、妾も消える。それが、妾への最後の手向けとなるのだ。……頼む、その願いだけ叶えてくれれば、他には何もいらないから……。」
【ドラノール】「………名残は尽きまシタカ。……やはりあなたには失望デス。右代宮戦人。」
【ヱリカ】「とっとと、引導を渡して下さい。夏妃さんの罪を暴く、私の独壇場が残ってますので。」
【ラムダ】「本当に面白いわ、あんたたちは。ベアトリーチェ。右代宮戦人。」
【ベルン】「……でももう飽きたわ。“私たちのゲーム”に、もう、あんたたちは必要ないわ。…………くすくすくすくすくす、うっふふはっははははははははッ!! おやりなさいッ、ドラノールッ!!」
【ドラノール】「これでおしまいデス。……最後の力がまだあるナラ。せめて最期にそれを振り絞って見せて下サイ…!」
【戦人】「ぅ、………。……ぅうぅおおぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
 小さいけれど、真っ赤に輝く真実。ワルギリアにもらった、最後の切り札…!! これでヱリカ、……お前の推理をゼロに戻す…!!
【ヱリカ】「出来るものならどうぞ?」
 食らいやがれぇえええッ!!!
【戦人】右代宮夏妃は犯人にあらずッ!!!
 赤き真実は、証拠も証明も必要なく、ただ、真実………!! これでドラノールをよろめかす…!! 例えそこまでだとしても、……俺に報いられる、最初で最後の一撃だ…!!
【ドラノール】ノックス第2条。探偵方法に超自然能力の使用を禁ズ。
 ……………え……、俺の、……赤き真実が、……ドラノールの赤き太刀に、弾き飛ばされる……。
【ラムダ】「……この法廷で、魔女以外が赤き真実を語るなら、それに相応しい証明を構築してちょうだい。ヱリカはこれまで、その手順を踏んできたはずよ…?」
 確かにヱリカ自身は、ここで一度も赤を使っていない。……常にその証言は、復唱要求の形で、魔女であるベルンカステルにさせている……。
【ベルン】「あなたのその赤き真実は、あなたが自分で手に入れたものではないわ。……超常存在から授けられた、超自然の真実よ。即ち、推理ではない。デタラメな思いつきと同じ、ということよ……。」
 な、……なら、……同じ赤き真実を、……ワルギリアが口にしてくれれば……。ワルギリアは……どこに………?
【ドラノール】「あなたがその赤き真実を掲げるには、それに相応しい構築が必要デス。…………それが示せるのデスカ……?」
 いや、………無理だ…………。何の根拠も証拠もなく、………夏妃伯母さんが犯人ではないという真実があるだけだ。
【ベアト】「………な……? ……本当の真実なんて、……儚いんだよ。……本当の真実なんて、存在するのか…? そしてそれは、必要なものなのか……? ……なくてもこうして、……物語は進むんだよ……。……戦人ぁ………。」
【ドラノール】「さぁ戦人。……あなたの示した赤を証明するのデス。……それが出来ないなら、お別れデス。」
【戦人】「…………なら、……お別れだ。……すまねぇ、ベアト。」
【ベアト】「……言うな。妾に今日まで付き合ってくれてありがとう。……こんな血まみれの物語であったが、………楽しかったぞ…。」
【ドラノール】それではこれにて、当法廷は閉廷デス。デス。デスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスッ、デスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスッ、デスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデス デスデスデス デスデスデス! Die the death! Sentence to death!! Great equalizer is the  deathッ!!
 これにて第5のゲームを閉廷。探偵、古戸ヱリカが、犯人、右代宮夏妃を告発。
 探偵が示すべき謎は3つ。1つは、フーダニット。誰が犯人か。前述、右代宮夏妃。
 1つは、ハウダニット。如何にして犯行したか。
 右代宮夏妃は、1986年10月4日24時から翌日午前1時までの1時間の間に、ゲストハウス2階のいとこ部屋と屋敷1階の使用人控え室に到達。殺人を実行。犯行の可能な時間はその1時間に限られ、その1時間の間に、夏妃を除く全ての人物がアリバイを持つことが証明された。
 天空より、ドラノールの持つ太刀よりさらに巨大な赤き太刀が、稲妻のように飛来し、戦人の心臓を貫き、立ったままの姿で、磔にしてしまう……。その瞬間、ベアトリーチェは黄金の飛沫になって掻き消え、……その眷属たちも同じく消え去る。
 冷酷なる魔女たちが、冷笑とともに見下ろす大聖堂の中央に、……赤き太刀に貫かれた戦人と、ドラノールが残るだけだった。
【戦人】「ふ………ぐ、………………が………。」
【ドラノール】「……安らかに眠レ、右代宮戦人。残念デス。あなたはもっと出来る人だと思っていマシタ。」
【戦人】「……………ぐ………………、……。」
 戦人は血の泡を零し、……ゆっくりと目を閉じて、…………事切れる……。
 ドラノールはそれを、じっと見守り、……絶命を見届けてから踵を返す。後には、赤き巨大な太刀の墓標に貫かれた、悲しき男の亡骸が、大聖堂の天窓より差す、か弱い明かりに照らされるだけだった………。
客間
 そして、探偵が明かさなければならない、3つ目の謎。最後の謎は、ホワイダニット。どうして犯行に至ったか。その、動機。
 三流ミステリーでは、これは明かさなくてもよい謎とされている。動機など暴かなくても、犯人が勝手に告白するからだ。しかし、古戸ヱリカは一流だから、これまでも完全に暴く。
 夏妃は全員の監視の中、客間に軟禁された。そしてヱリカは全員の支持を受けて、夏妃の部屋を含む、あらゆる場所を丹念かつ執拗に捜査して、夏妃の動機を検証した。
【ヱリカ】「さて、お集まりの皆さん。このような恐ろしい殺人に、何が右代宮夏妃さんを駆り立てたのか。探偵、古戸ヱリカの調査により、その輪郭が浮かびあがって参りました。それを、ここにご報告させていただきたいと思います。」
 一同は沈黙を守って、その先を促す……。ヱリカは、“押収”した夏妃の私物を、どさどさとテーブルの上に広げた…。
【ヱリカ】「まず、これらは夏妃さんの部屋から発見された、過去の日記帳です。近年ではほとんど書かれていませんが、右代宮家に籍を入れたばかりの頃については、詳細な記述があります。」
【ヱリカ】「これらの多くは、鍵付きの日記帳に封じられていましたが、事件の全貌を暴くために、全員の承認を受けた私の権限により、これらの鍵を全て破壊させていただきました。」
【夏妃】「……ひ、……人でなし……。……人の日記を、……読むなんて………。」
【絵羽】「ならあんたは何よ、殺人鬼ッ!! お前如きにプライバシーなんてあるわけないでしょッ!!」
【ヱリカ】「この日記帳から浮かび上がったのは。夏妃さんは、蔵臼さんと特殊な事情でご結婚なされたらしいということです。」
【ヱリカ】「……ここにいらっしゃる皆さんは私よりご存知なのでは? 夏妃さん蔵臼さんご夫婦は、恋愛結婚でも、お見合い結婚でもありません。……言わば、人質のような結婚でした。」
【夏妃】「そ、……そのようなことはありませんッ!!」
【ヱリカ】「この赤い日記帳の24ページに以下の記述があります。………“私は右代宮家に、嫁と言う名で軟禁された人質なのです。でも、私が人質となることで、全てが丸く収まるならば……”。」
【ヱリカ】「夏妃さん。あなたは自分が人質であったことを、ここですでにお認めになっています。……熊沢さんは、夏妃さんがここに来られた当初からお世話をしていますね? 当時のことを話して下さいませんか?」
【熊沢】「………え、……えぇ、そうです。…私にそう零されたこともございました…。……奥様のご結婚についての事情を知るのは、……今は私と南條先生くらいのものでしょうか…。」
【南條】「ですな……。……当時は金蔵さんが縦横無尽に活躍する黄金時代だった…。金蔵さんはあらゆる敵を打ち倒し、経済力を拡大していったのです。……夏妃さんの家も、そんな敵のひとつでした。」
 今が喋る時であるとでも言うように、熊沢と南條は、掘り返すべきでないはずの話を、朗々と語り出す……。
 金蔵が、もっとも獰猛と恐れられていた時代のこと。金蔵はあらゆる財力とコネクションを持っていたが、成金呼ばわりされ、品格ある上流階級から見下されていることにコンプレックスを持っていたという。
 その為、金蔵は、高貴な家から蔵臼の嫁を迎えて、右代宮家の格を上げたいと思っていたらしい…。そして、夏妃の家を経済戦争で打ち負かし、……その手打ちとして、縁談を提案した。
 そして差し出されたのが、……夏妃だった。夏妃は、神職の家で清らかに育てられた、文字通りの姫君だった。
 それを差し出させることは、相手に与える最大の屈辱であると同時に、金蔵にとっては最高のトロフィーだったのだ。だからその縁談は夏妃にとって、最初から屈辱的なものであった……。
【ヱリカ】「この辺りの経緯については、今、熊沢さんと南條先生がお話くださったものと、日記帳に記されている内容が合致します。」
【ヱリカ】「以上から、夏妃さんは、右代宮夏妃を名乗ることとなった当初から、右代宮家に対し、激しい憎悪を持っていたことがおわかりになると思います。……どうですか、夏妃さん? それはお認めになりますか?」
 一同が冷たい眼差しを、一斉に夏妃に向ける…。
【夏妃】「た、……確かに、最初はそう思っていました……。私は愛のない結婚を強要された、花嫁という名の人質だと、…そう思っていました……。」
【夏妃】「ですが、……夫は、……私を人質などと見下しはしませんでした……。…私の事情を理解し、同情と慈しみを与えてくれました……。夫だけは、……私の理解者だったのです…!」
【ヱリカ】「……なるほど。それは一理あります。確かにあなたの日記には、蔵臼さんがあなたの事情を知って、気遣ってくれる描写が、いくつか散見できます。」
【ヱリカ】「しかしあなたはそれを、こちらの日記帳の47ページで、むしろ気持ちが悪いと描写していますね?」
【ヱリカ】「以下、朗読します。“蔵臼の気遣いは、むしろ私を惨めにさせるだけ。そうして私を辱しめているのではないかとさえ思う時があります”。……以上から、夏妃さんが、そんな気遣いを見せていた夫を嫌悪していたことがうかがえます。」
【夏妃】「ま、……待ちなさい…! た、確かに最初はそう思ったこともあります…! まだ日々を不安に過ごす私が、気遣いを素直に受け取れず、邪推してそう記してしまったこともあったかもしれません…! 私はやがてそんな夫の気遣いに気付いて、その気持ちを受け入れるようになるのです…!」
【ヱリカ】「その記述は、日記帳のどこにも登場しませんが?」
【夏妃】「に、……日記にさえ書かない、秘められた気持ちというものもあります…!」
【ヱリカ】「あらゆる証拠品と証言から多角的に構築して、あなたが夫に激しい嫌悪を持っていたことは明らかです。そして逆に、あなたが仰るような、やがて受け入れるようになっていったことを示す証拠は存在しません。」
【夏妃】「………わ、私は夫を愛していました…!!」
【ヱリカ】「その発言を、赤き真実に昇華させる、証拠、証言の構築は出来ませんよね?」
【夏妃】「あ、……愛を語るにも、証拠がいるというのですか…?!」
【ヱリカ】「赤き真実以外は何も信じられません…!! 赤くない発言は何の証拠にもならない、何の信用も出来ない! 赤くない文字は全て、私を欺くための偽りです!! “愛してる”? 白い文字で愛を語られて、誰が信じるんですゥ? 赤くない言葉なんて、何も信用できないッ!! この世で信じられるのは、赤き真実と、それを得るために主に捧げる、供物の証拠品だけですッ!!」
【ヱリカ】「真実を語れぬ、嘘吐きニンゲンどもめッ!! 赤き真実なきニンゲンに、愛も心も真実も語る資格なんてないんです! 知ってました? 男はあなたたち女が思ってるほど馬鹿ではありませんよ? 男は、女の“愛している”なんて、本気で真に受けたりなんかしませェん…!」
【夏妃】「……可哀想な人……。本当に人を愛したことがないのね…。」
【ヱリカ】「探偵に恋愛は不要です。恋愛という単語など、殺人動機を示す以外で使用した覚えがありません。」
【夏妃】「あなたが何と言おうと、私たちは愛し合っていました…!! 私が愚痴ばかりを日記に記していたことは、夫にも謝らなければならないことです…! しかし私は夫に心を捧げていました…!! それは例え、証拠で示せなくても、……それが真実なんです!!」
【ヱリカ】「却下します。往生際が悪いですよ? 証拠と証言から、あなたが右代宮家も夫も、全て憎悪していたことは、もはや明白なのですから。」
【絵羽】「そうよ!! 私は何度も聞いてるわよ、あなたが陰口を言っているのをね…!!」
【夏妃】「あなただって、秀吉さんの陰口を口にされた日もあったではありませんか…!」
【絵羽】「主人を殺したくせにッ!! 何よその口の利き方はッ!! 死になさいよッ、死んで主人に詫びてきなさいよッ!!」
【ヱリカ】「乱暴は止めて下さい、絵羽さん。今は私が犯人を追及して断罪する甘美な時間。あなたのものではありませんよ?」
【ヱリカ】「さて、そんなわけで。彼女は数年を経て、表向きは生活に馴染んだように見えましたが、実際は心の中に、強い憎悪を募らせたままでした。そんな彼女の中に、いつか復讐したいと思う気持ちが芽生えたとしても、何の不思議もありませんでした。」
【夏妃】「か、勝手なことを言わないで…!!」
 ヱリカは次々に夏妃の日記を読み上げては、……夏妃の辛かった日の感情を暴いていく。
 ……それは本来、残すために記したものではない。記すことで、忘れて封印するためのもの。だからこそ夏妃は、辛かった日の気持ちを日記に書き、……鍵を掛けて永遠に封じ込めたのだ。
 しかし、ヱリカはそれを、鍵を掛けて隠蔽した、夏妃の影の、真の気持ちだと断言する。すでに夏妃が殺人犯だと“断定”されている以上、ヱリカの断言には全員が納得した。
 今や、夏妃の動機構築には、赤き真実さえ必要ない。もっともらしい理由さえあれば、誰もが信じた。
 夏妃がいくらそれを否定しようとも、誰もそれを信じない。夏妃が語る、夫を愛した日々の真実が、誰にも受け入れられない。
 そして、夫を憎悪し復讐を誓っていたとする、偽りの真実がそれを塗り潰していく……。真実を綴る神々のペンが、今やヱリカに与えられているのだ。
【絵羽】「だから何ッ?! あんたの事情なんて知ったことじゃないわよ!! 人殺しッ、人殺しぃいいいい!!」
【南條】「お、お止めなさい…! 私には、夏妃さんの気持ちもよくわかるのです…!」
【熊沢】「いつかこういう日も来るのではないかと、思っておりました…。…おいたわしや、おいたわしや……。」
【留弗夫】「親父のわがままな人生に振り回された、気の毒な犠牲者の一人だとは思うぜ。」
【郷田】「私は、奥様のその心の痛みを存じておりました……。そしてその支えになりたいと日々、思っていたのですが……。力及ばず、このようなことに……。」
【嘉音】「……僕には、…愛憎の気持ちなんて、…わからない。」
【霧江】「………あなたにもいつかわかるわ。そしてそれは生きる目的にも、殺す目的にもなりうるの。」
【紗音】「…………………。」
【戦人】「………………………。……ほ、……本当に、夏妃伯母さんが、……犯人なのか…。」
【ヱリカ】「あぁ、それを言われると、実は最後にひとつだけ、夏妃さん以外に犯人の可能性のある人がいらっしゃいまして。」
【戦人】「な、……何? おい、ふざけるなよ…?! 何でそんな大事なことを早く言わないんだッ!!」
【ヱリカ】「夏妃さん。実は、あなた以外にも、犯行の可能な方がひとり、いらっしゃるんです。……あなたがどうしても犯人でないと仰るなら、その方が犯人ということになってしまうんですが。」
【夏妃】「…………え……、」
【戦人】「それは誰だ…?! 誰なんだ…!」
【ヱリカ】「右代宮、金蔵さんです。」
【夏妃】「………あ、………ぅ…。」
【ヱリカ】「金蔵さんは、今日の未明。3階書斎の窓からお出掛けになられたまま、行方知れず。そうでしたね、戦人さん?」
【戦人】「……ん、…………。」
【ヱリカ】「夏妃さんと同じように。金蔵さんにもまったくアリバイがありません。実は今回の事件、金蔵さんにも犯行は可能なんです。」
【ヱリカ】「私はてっきり、最初からいらっしゃらない人物だと決めて掛かっていたので、今の今まですっかり失念していました。それをお詫びいたします。」
 まったく悪びれた様子はない。ヱリカはこの上なく嫌みったらしく、お辞儀をしながら言う…。……ヱリカは、書斎での戦いの敗北を、ずっとずっと根に持っていたのだ…。
【ヱリカ】「夏妃さんは、金蔵さんの信頼を受けて、もっともその身近でお仕えしていた方、でしたよね? なら、夏妃さんが一番よくわかっているのではないでしょうか。……この事件が、実は右代宮金蔵さんによる、当主の犯罪であることを。」
【夏妃】「お、…………お父様を…、………犯人呼ばわりすると……、言うのですか……。」
【ヱリカ】「ご安心を。金蔵さんが犯人ということであっても。ホワイダニットを構築できるだけの証拠と証言を、すでに充分に用意してあります。あなたが、金蔵さんを庇うために、自らを犠牲にしたという筋書きでも、充分に対応可能です。」
【ヱリカ】「後期クイーン以降。探偵の推理さえも筋書きに組み込まれている可能性がありますから。本当に油断ならない時代になったものです。」
【夏妃】「……お父様を犯人呼ばわりするなど、……この私が許しませんッ!!」
【ヱリカ】「夏妃さん。頭を冷静にして、胸に手を当ててよく考えて下さい。……あなたが、実は金蔵さんが犯人でしたと告発してくれれば、この事件は全て解決するんです。あなたの濡れ衣は晴らされ、名誉も回復されるでしょう。」
 それはつまり、金蔵に罪を擦り付けることで、夏妃が救われる……、という誘惑だ。しかし………。
【夏妃】「わ、……私は、……お父様より、右代宮家の名誉を託されたのです…。…その私が、……濡れ衣を晴らすためだけに、お父様の、右代宮家の名誉を自ら汚すと、本気でお思いですか…!!」
 夏妃は当然、自身が犯人でないことを知っている。そして、金蔵が犯人でないことも知っている。そんな夏妃にとって、自らへの濡れ衣も、それを金蔵に押し付けることも、どちらも耐え難く、受け入れられない。
【ヱリカ】「いいんですか? すでにさんざん立証しておりますとおり。あなた以外のアリバイは全て証明されています。あなたが金蔵さんを告発されないならば。……やはり、あなたが犯人だということで、今度こそ本当に。特定され、真実となってしまいますよ……?」
【夏妃】「私を犯人だと決め付けることが、あなたの真実だというのならっ。お好きになさればいいでしょう…! 私が無実であることを……、神様はきっとご存知です…! 必ずやいつか、私の無実を証明してくれます!!」
 自分か金蔵のどちらかが被らねばならぬ濡れ衣なら。……夏妃は、自らが被ることを選ぶ。それが、……彼女なりの、……右代宮家の名誉の、守り方なのかもしれない。
【戦人】「……………夏妃…、…伯母さん………。」
【ヱリカ】「チャンスをあげたのに…。」
 ……………馬鹿な女。その、必ずいつか汚名が晴らされるという未来は、あんたにも誰にも、このゲームの全ての駒に、等しく与えられていないというのに。
 夏妃は、……覚悟を決める。彼らが自分を犯人呼ばわりをするならば、勝手にそうすればいいと、………それを受け入れる。自分が犯人でないという一時の真実を得るために、金蔵の名誉を売り払うことを、毅然と彼女は拒否する……。
 だから。そして。物語は、彼女が犯人として、紡がれることとなる。未来に冤罪が証明された時。その時こそ、この物語は遡って書き換えられるだろう……。
 しかし、その未来は、訪れない。……私は、思う。真実など、儚い。
 死ぬまで良き人であったとしても。死後に心無い誰かが、私が良き人ではなかったと一言、記録書に書き記し、それを人々が共有すれば。……私が生涯、良心を貫いたことさえ、易々と塗り替えられてしまうのだから。
 だから、私は思う。未来永劫、良き人として生きないと……。
【ヱリカ】「……金蔵さんが犯人でないと仰るならば、金蔵さんに犯行が不可能であるという、アリバイが必要です。そうでなくては、真の意味で夏妃さんを犯人だと特定できません。」
 ヱリカはとっくに理解しているはず。金蔵が、遺産問題をうやむやにするための幻想に過ぎないことを。しかし、幻想だと否定するのは、あまりに困難だ。
 唯一方法があるとすれば、金蔵の死を確実にすることだが、……すでに過去のゲームで、赤き真実で周知のとおり、金蔵はずいぶん前に死んでいる。そして今回の第5のゲームでは、遺体も出ていない。そのような状況で、確実な死を宣言することは容易ではない……。
 金蔵の死を確定すれば、……あの書斎の敗北は、帳消しも同然になる。ヱリカにとって、あの敗北の屈辱を削ぐ、唯一の方法なのだ。
 そして、金蔵の死を確定するには、……証拠に次ぐ格のあるモノがいる。それは………、……“犯人の告白”である。夏妃自身に、金蔵がすでにこの世の人ではないことを認めさせるのだ。
 そうすれば、書斎の推理は、ヱリカが正しかったことが認められ、……あの敗北の過去が塗り潰され、ヱリカの勝利として書き直されるのだ……。
大聖堂
 ドラノールの赤き太刀によって、戦人は磔となって討ち果てた。ベアトも存在否定によって消失し、……その眷属たちも消失した。彼らが敗れ去った大聖堂には、……夏妃と、断罪の魔女たちが残るのみ。
【ベルン】「あくまでも。……金蔵は生きてて、島のどこかに残っていると言い張るのね……?」
【夏妃】「そうです…! お父様はご健在でおられます…! 誰が何と言おうと、私はそれを翻しません…!」
【ラムダ】「過去のゲームの赤き真実で、金蔵がすでに死亡していることは確定してるわ。……でも、それじゃ、ベルンの気が収まらないわけでしょ?」
【ベルン】「……えぇ、そうよ。完璧な勝利を私は求めてるの。……だから、赤で金蔵の死が決まってるから、それでチェックメイトなんて面白くないの。……夏妃の口から、リザインと言わせて勝利したいのよ。くすくすくすくすくす!」
【ラムダ】「ならやってごらんなさいよ。お手並みを拝見させてもらうわ。」
【ヱリカ】「我が主ッ、今こそ我らに、完全なる勝利を…!!」
【ベルン】「無論よ。…………夏妃。あなたは、金蔵は間違いなく生きているけれど、その所在はわからない、というのね?」
【夏妃】「えぇ、そうです…! お父様は、窓よりお出になられて、行方知れず…! まったく困った方です……!」
【ベルン】「ラムダ。金蔵の24時から朝までの所在について、確実にするわ。……金蔵は24時から朝まで、ずっと同じ部屋に滞在したわ。
【ラムダ】「……? そりゃそうでしょ、死体なんだから。………………………。…いやごめん。そうよね、そうでしょうね。口を挟まないわ。面白そうだから続けてちょうだい。」
【ベルン】「………これより金蔵という言葉を“生きている金蔵”という意味で使うわ。何しろ、夏妃は生きていると主張するのだから。……続けて赤き真実を語るわ。金蔵は、屋敷以外の場所には存在しない。……そうよね? ヱリカ。」
【ヱリカ】「はッ、はい、我が主…!! 金蔵の姿を捜し、屋敷の外、敷地内をくまなく捜索しました…! しかし金蔵は発見できませんでした…!」
 ヱリカは探偵権限により“全ての手掛かりを発見できる”。
 よって、そのヱリカに、“金蔵が屋外に存在するという手掛かり”を発見できなかったということは、金蔵が屋敷外に存在することはありないと断言するのに等しい。だからそのヱリカの真実を、ベルンカステルが復唱する…。
【ベルン】金蔵は屋敷以外の場所に存在しない。…………ねぇ、夏妃。なら“金蔵が存在するなら”、屋敷内のどこかにいることになるわ。どこに金蔵が隠れているのか、心当たりがあったら教えてくれない……?」
【夏妃】「わ、わかりかねます…! 何しろこの天気です。中庭へ出られた後、お屋敷のどこかへ隠れ、雨を凌がれていたとしても、何も不思議はありません…!」
【ベルン】「ふっ、……くすくすくすくすくすくすくすくす。私はこれからも、同じ質問を数度繰り返すわ。……あなたに名誉ある降伏の機会を数度与える。…やせ我慢が過ぎると、本当の名誉まで失うことになるわよ。」
【夏妃】「………い、如何なる脅しにも、私が屈することはありません…ッ!!」
【ベルン】「くすくすくすくすくすくすくす。あなたは本当にいじめ甲斐のある駒だわ。……では続けるわよ。」
客間
【ヱリカ】「……以上の理由から、金蔵さんが、屋敷以外の場所にいることは考えられません。……そこでまず、書斎のあった、3階を徹底的に捜索しました。」
【留弗夫】「だが、どこにも隠れる場所はなかった。………3階に親父の姿は、影も形もない。」
【ヱリカ】「では、どこにいるんでしょう、夏妃さん?」
【夏妃】「し、知りません…! 3階にいないなら、地下にでも隠れたのではありませんか…?」
【ヱリカ】「えぇ、地下ですね。ボイラー室、地下倉庫など、怪しげな地下も全て捜索させていただきました。」
【絵羽】「えぇ、私も捜したわ…! お父様の姿なんて、どこにもなかった…!」
【ヱリカ】「繰り返します。金蔵さんはどこにいるんですか、夏妃さん?」
【夏妃】「な、なら、1階か2階にでもいたのでしょう…!!」
【ヱリカ】「そうですね、消去法で行くならそうなります。そして1階を徹底的に捜索しました。結果は?」
【霧江】「………いいえ。お父様の姿を見つけることは出来なかったわ。」
【ヱリカ】「繰り返します。金蔵さんはどこにいたんですか、夏妃さん?」
【夏妃】「で、では、2階に隠れていたのでしょう…!! お父様が隠れている場所を、私が知るわけないでしょうッ?!」
【ヱリカ】「本当にそうでしょうか…? 夏妃さんは、金蔵さんがどこに隠れていたのか、本当はご存知なんじゃないですか…?」
【郷田】「お、……奥様が、お館様がどこに隠れていたのか、……ご存知……?!」
【嘉音】「………そんな、…馬鹿な…。」
【紗音】「そんなこと、……あるはずありません……。」
 紗音も嘉音も、金蔵がすでに生きていないことを知っている。だからこそ、ヱリカがどうやって、存在しない人間の幻で夏妃を追い詰めようとしているのか、想像もつかなかった……。
大聖堂
 駒の戦人が夏妃に濡れ衣を着せ、プレイヤーの戦人がそれを否定するという皮肉な構図になっている。
【ベルン】屋敷以外の場所に金蔵はいない。3階に金蔵はいない。地下に金蔵はいない。1階に金蔵はいない。以上から、金蔵が存在し得る余地の検討は、2階だけとなるわ。
【ラムダ】「赤き真実を認めるわ。……夏妃。金蔵は2階のどこかにいるはず。まだ、どこに隠れてるか、教えてくれないのぅ…?」
【夏妃】「な、何度聞かれても、答えられないものは答えられませんッ!」
【ベルン】「ヱリカ。それでは端から順に、2階の全てを捜索して行きなさい。……全ての手掛かりを絶対に見落とさず、如何なる隠し扉も隠し部屋も看破できる探偵権限で…!」
【ヱリカ】「はい、我が主…!! 夏妃さんって、結構アタマ、悪い方ですよね…? まだ話の落とし所、見えないんですか?」
【ベルン】「くすくす。余計なことは言わなくていいわ。さぁ、ヱリカ。全員を引き連れて、捜索を始めなさい…!」
廊下
 ヱリカは探偵権限にて、夏妃を含む全員を引き連れ、2階にあがり、端の部屋からの徹底捜索を宣言した。
 事件とは明らかに無関係と思われる部屋であっても、ヱリカは一切、妥協させない。…そんな捜索を部屋毎に徹底的に行い、一部屋ずつ移動していく……。
【ヱリカ】「まだ、金蔵さんはどこに隠れているか、教えて下さらないのですか?」
【夏妃】「いい加減になさい! 私は知らないと、何度、口にすればいいのですか…?!」
【ヱリカ】「夏妃さん。……このまま調べて行っても、きっと金蔵さんは見つかりませんよねぇ?」
【夏妃】「……?!」
 当然だ。金蔵は存在しない。こんな捜索をどれだけ続けたとしても時間の無駄だ。それを、魔女の駒のヱリカと、真実を知る夏妃は知っている……。
【ヱリカ】「となると、捜索はあの廊下の突き当たりの部屋を最後とします。……つまり、あの部屋を残して、全ての部屋に金蔵さんがいなかったことが証明されると、どうなると思います?」
 3階にも1階にも地下にも存在せず、2階の、突き当たりの部屋を除いた部屋の全てにも存在しない。
 にもかかわらず、屋敷内に存在するというのなら、………突き当たりの部屋以外には存在できないことが、立証されてしまう。つまり、ヘンペルのカラス。
 突き当たりの最後の部屋以外のどこにも、“生きた金蔵”が存在しないことが立証されるため、自動的に、“生きた金蔵”は、その最後の部屋に存在することになる…。……その突き当たりの部屋は……。
大聖堂
【夏妃】「ぅ、…………あ………………。」
【ラムダ】「突き当たりの部屋って、何の部屋だっけ?」
 ラムダデルタは、ポップコーンのおかわりをボリボリしながら聞く。
【ヱリカ】「夏妃の部屋です。ラムダデルタ卿…!!」
【ベルン】「……つまり、金蔵は夏妃の部屋以外に隠れ場所はなかったということになるのよ。……くすくすくすくすくすくす! 赤で言う必要ある?」
【ラムダ】「もちろん…!」
【ベルン】夏妃の部屋を除く全ての場所に、金蔵は存在しない!
廊下
【ヱリカ】「というわけで。残すところは、この部屋だけとなりました。……以上により、この部屋以外に、金蔵さんはいらっしゃらないことになりました。」
【夏妃】「こ、……ここは、私の部屋ではありませんかッ!! 私の部屋のどこにお父様がいると…?!」
 夏妃は激高しながら、自らの部屋の鍵を開き、中を示す。
 ……当然、金蔵の姿があるわけもない。
【夏妃】「どこにお父様の姿があるというのですッ?! ほらッ!!」
【ヱリカ】「………なるほど、いらっしゃられないようですね。私たちが来ることを察知して、また窓からお逃げにでもなったのでしょうか?」
 最後の部屋にも金蔵の姿がないなら、……金蔵はどこにも存在しないことになる。“屋敷の外に生きた金蔵はいない”。“屋敷の中に生きた金蔵はいない”。よって、“以上により生きた金蔵は存在しない”。
 しかしヱリカはそれを論点にしない。自らそれを指し、チェックメイトとしない…。ベルンカステルは、赤き真実で退路を絶って勝利することでなく、夏妃に自ら、屈辱のリザインを口にさせて勝利することを望んでいるからだ……。
【ヱリカ】「私がこれまで捜索してきたのは、金蔵さんの姿だけではありません。金蔵さんが、24時から朝まで隠れていたことを示す痕跡です。そしてそれも存在しませんでした。」
大聖堂
【ラムダ】「……つまり、24時から朝までの間。金蔵はある一室に篭り続けたことになってて。#ffffffそしてそれは、夏妃の部屋ということだわッ!」
【ベルン】「赤き真実によるチェックメイトが、とうとう、金蔵の幻という駒を、夏妃の部屋にまで追い詰めたということよ。」
【ヱリカ】「ねぇ、夏妃さん。つまりあなたは、朝までこの部屋で、金蔵さんとご一緒だったことになるわけです。それでも、あなたは金蔵さんのことをご存知ないと仰られるのですか?」
【ラムダ】「私が赤き真実で認めるわ…!! 24時から朝までの一晩、生きた金蔵は、夏妃の部屋を除く全ての場所に存在しない!! その真実から、夏妃の部屋にしか存在しなかったと議論を進めることを許すわ!」
【ベルン】「司法取引。…………ねぇ、夏妃。……頭の悪いあなたでも、もうそろそろまずいと気付いてきたんじゃない? これが最後のチャンスよ。………金蔵を犯人にしなさい。」
【ベルン】「右代宮家当主を犯罪者とし、自らの保身のために、当主の栄光を自らの手で打ち壊して見せなさい。あなたがその勇気を見せたらあなたを、当主を庇うために濡れ衣を被ろうとした悲劇のヒロインに、筋書きを変えてあげるわ。」
【夏妃】「お父様は無実です! お父様を犯罪者にすることなど、私には断じて出来ませんッ!!」
【ラムダ】「……取引拒否! うっふふふふふふ、いいわ、ベルン。やっちゃいなさい…!」
【ベルン】24時から朝までの一晩。生きた金蔵の存在する余地は、あなたのベッドの中以外に、存在しない。
夏妃の部屋
【夏妃】「………な、……それは、……ど、……どういう意味、……ですか…………。」
【ヱリカ】「この部屋の徹底的な捜索。及び、厳重な科学捜査の結果。この部屋の全域で、24時から朝までの間、金蔵さんが存在しないという結果が出ました。ただし、あなたのベッドだけを除きます。」
 絶句の沈黙が支配する……。夏妃は、大きく開けた口を、閉じることも忘れていた…。
【ヱリカ】「昨夜。黄金発見の前後の頃、推定23時頃。3階窓より脱出した金蔵さんは、あなたの部屋の、ベッドの中に匿われていたということです。……そして、さらに気の毒な捜査結果ですが。あなたも、このベッドで就寝されていたことが判明しています。」
大聖堂
【ベルン】「重ねて復唱するわ。24時から朝までの一晩。生きた金蔵の存在する余地は、夏妃のベッドの中以外に存在しない。そして夏妃も昨晩、同じベッドで就寝したわ。
【ラムダ】「あらぁ、仲良しさんたちね。二人で仲良く、枕を分けっこして眠ったわけね?」
【ベルン】「青き真実。以上から、右代宮夏妃と右代宮金蔵には情交の可能性があったと推測できるわ。男女が同じ枕で一晩過ごして、他に何を推測しろと?
【夏妃】「ぶ、無礼者ッ!!! わ、わわ、私が、……け、敬愛して止まないお父様と……なんて、…ゆ、許せませんッ!!」
【ラムダ】「夏妃。青き真実には赤き真実で反論なさい。もちろん、魔女でないあんたに使える赤はない。だから、私が代わりに赤き真実で語ってあげてもいいわ。私を納得させられる証拠を示せるならね…?!」
夏妃の部屋
【夏妃】「そ、……そんな証拠、あ、あるわけがありませんッ!! 私をどこまで愚弄するというのですかッ、おっ、おのれぇえええええええぇええええぇええぇ!!」
 夏妃はヱリカに取っ組みかかろうとするが、…絵羽に羽交い絞めにされ、それは叶わない。
【ヱリカ】「何という、おぞましいことでしょう。……夏妃さんは、右代宮家に復讐するためにまず。右代宮家の全てを乗っ取ろうと企てたのです。その為、夏妃さんは、体を武器に、金蔵さんを篭絡したのです。」
【夏妃】「そんなことはしませんッ!! 私は自分の体を夫以外に許したことは、ただの一度もありませんッ!!」
【ヱリカ】「否定されたい気持ちもわかりますが。…………あなたが、金蔵さんと密会を重ねていたことは、すでに複数の関係者からの証言で明らかです。」
【ヱリカ】「だって昨晩だって、金蔵さんの書斎で、二人っきりで、“お休みのご挨拶”をされてたんですものねぇ? それどころか、明らかな情交の痕跡の証言も複数、得られています。」
【夏妃】「そんな馬鹿なッ?!?! 誰です?! 誰がそんないい加減なことをッ?! ご、郷田ッ?! 紗音?! 絵羽さんでしょう?! そんないい加減なことを言ったのはあなたでしょう?! 誰?! 誰ぇええぇ?! うわぁああああああああああああぁああぁ!!!」
大聖堂
【ラムダ】「関係者証言を受領したわ。これは致命的ねぇ。くすくすくすくすくす…! もう疑いようがないわ!」
【ベルン】「ねぇ、夏妃。もうあんたの名誉なんて、これっぽっちもないわけだけど。……最悪のカケラを紡がれる前に、最後にもう一度だけチャンスをあげるわ。………金蔵はいませんでしたって、言って御覧なさい?」
【ラムダ】「そうよね、夏妃あんた強情だわ。……もう右代宮家なんて、どうせボロボロじゃない。…そんなにも金蔵がいることにして、遺産問題をうやむやにしたいのぅ?」
【夏妃】「これは、私がお父様に託された、……右代宮家の名誉を守る、最後の試練です…!! 夫の事業は必ず、……必ず結実します!! それによって、借金を返済するまで、右代宮家の家督を引き渡すわけにはいかないのです!!」
【夏妃】「お父様の名誉も、夫の名誉も私が守ります!! それが、……私の使命なんですッ!!!」
【ラムダ】「……死者の名誉を守ろうとは見上げた根性だわ。」
【ベルン】「死者じゃないわ。夏妃の頭の中の、都合のいい、妄想の名誉よ。……本当の金蔵は、その名誉を守れなんて、一度たりとも夏妃に命じたことなんてないんだから。
【夏妃】「うわぁああぁあぁああああああぁあああああああぁああああああぁああああッ!!」
 夏妃は絶叫しながら、床に両膝と両手をつく……。
 もはや彼女には、……ベルンカステルとヱリカが紡ぐ、偽りの真実を拒絶する方法が、何も存在しない……。
 金蔵という言葉は「生きている金蔵」という意味なので、ラストで戦人が提示する「金蔵らしき死体」は見つかっただろう。
【ラムダ】「………ゲームマスター、ラムダデルタの名において! ……本ゲームの勝利者がベルンカステル卿であることを認めるわ。……異議ある者は名乗りをあげよッ!!」
 ……………………………。あるわけなどない。異議を述べられる者たちは全て、葬り去られている……。
【ラムダ】「異議ある者なし! ベルン、あんたの勝ちよ、見事な勝ちっぷりだったわ! 真相のカケラを、あなたが紡ぎなさいッ!!」
【ベルン】「えぇ。それでは私が真相を紡ぐわ。……これが、この悲しく間抜けな物語の真相よ。……本当は泣き笑いしながら罪を認めた夏妃に、自ら語って欲しかったんだけどね? それが、お約束なんでしょ? くすくすくすくすくすくすくす!!」
 ベルンは手紙とノックの謎について有効な青を提出していないし、ラムダもここで「右代宮夏妃は犯人ではない」の赤を出せば、全部ひっくり返して魔女の仕業だと主張することが可能。以上が、この法廷が茶番であるという証拠である。

19年越しの復讐

 望まぬ結婚を強いられた夏妃は、右代宮家に対し恨みを抱き、復讐心を膨らませていきました。(※裁判概要書:3ページより)
 夏妃は、右代宮家がかつて、実家を経済的に屈服させたことへも復讐するため、右代宮家の財産の乗っ取りを画策しました。(※裁判概要書:4ページより)
 右代宮家の財産が、金蔵個人によって事実上、掌握されていることを知った夏妃は、金蔵に取り入るため、肉体関係を結び、これを篭絡しました。(※裁判概要書:7ページより)(※ベルンカステル文書:682ページより)
 夏妃は金蔵に取り入るために、金蔵の妄想の魔女である、ベアトリーチェの姿に扮して情交を重ねていました。金蔵は、その夏妃に、在りし日の愛人の姿を見て、容易に篭絡されたのでした。また、この姿が偶然、使用人に目撃され、一部の魔女伝説の根拠となりました。(※裁判概要書:8ページより)(※提出証拠品:第17号より)(※ベルンカステル文書:802ページより)
 しかし、1986年10月4日深夜に、右代宮戦人が隠し黄金を発見。親族たちが、彼が当主を継承するべきだと騒ぎ出したため、事件を画策。通称、いとこ部屋の子どもたちを殺害し、戦人に罪を被せようとしました。
 なお、源次は、この計画に反対したため、殺害されました。その後、秀吉も殺害されました。以後は無差別で、関係者全員を殺害する強い意志を示すものでした。(※裁判概要書:27ページより)(※補足資料B:61ページより)(※ベルンカステル文書:1103ページより)
 なお、具体的な犯行は以下の通りです。
 1986年10月4日24時。夏妃は犯行を決意。源次に協力を求めるも拒否されたため、これを殺害。続いて、夫の蔵臼を彼の自室で殺害しました。(※裁判概要書:40ページより)(※補足資料S:8ページより)(※ベルンカステル文書:1105ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 その後、ゲストハウス2階、通称いとこ部屋へ向かい、楼座の合流を待ち、譲治、朱志香、真里亞、楼座の4名を殺害。その遺体の首を損壊しました。
 その後、夏妃は1階ラウンジに人がいた為、2階空室に待機。ラウンジの人間たちが解散し、就寝するまで空室に隠れていました。(※裁判概要書:41ページより(※補足資料S:10ページより)(※ベルンカステル文書:1131ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 ラウンジの人間が解散した午前3時過ぎ。夏妃は空室を出て、ゲストハウスを脱出。
 自室に戻り、そこに隠れていた金蔵と合流。朝までを過ごしました。金蔵は早朝に部屋を出て、ゲストハウス周辺に潜伏しました。(※裁判概要書:41ページより)(※補足資料S:29ページより)(※ベルンカステル文書:1200ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 その後、金蔵は隙を見て順次、6名の犠牲者の遺体を運び去り、これを隠蔽しました。残念ながら、隠蔽した遺体は発見されていません。(※裁判概要書:42ページより)(※補足資料S:37ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 戦人を犯人と疑わせる目論見が失敗した夏妃は、計画を、全員殺害に変更しました。(※裁判概要書:58ページより)(※補足資料T:19ページより)(※ベルンカステル文書:1348ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 いずれ関係者が、休憩のために個室を欲しがることを予測した夏妃は、客室の一室のクローゼット内に潜伏。午後1時頃、この部屋に訪れた秀吉を殺害しました。(※裁判概要書:61ページより)(※補足資料T:26ページより)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)
 事件に気付いた関係者が、秀吉の遺体を運び出すまでの間、再び夏妃はクローゼット内に潜伏。なお、その証拠として、クローゼット内に、夏妃の着衣のボタンを発見しました。
 その後、クローゼットを脱出して自室に戻ろうとしました。しかしその途上で、古戸ヱリカに発見されて追及を受け、事件を自白しました。(※裁判概要書:63ページより)(※補足資料T:32ページより)(※証拠品提出:第26号より)(※ベルンカステル文書:1348ページより)(※ラムダデルタ文書:7行目より)(※大法院内務文書:法総書A09第9974号より)(※大法院内務文書:法管一U99第0107号より)(※大法院公示文書:第01724434号より)
 大法院公示第01724434号 幻想裁判第0147−007982号(1986年10月5日24時)により、以下が確定したことを公示する。右代宮夏妃が、犯行を認めたこと。関係書類は本公示行為から13ヶ月間、大法院法務部文書管理課第一係にて、縦覧に供する。
    大法院長官職務代理者 主席異端審問官 ドラノール・A・ノックス
客間
【夏妃】「私がやったことにすればいいんでしょう?! そう言わせたいんでしょう?! わぁああああああああああああぁあああぁあぁぁぁ…!!!」
 もうこれ以上、何を言い逃れをしても無駄と諦めたのか、夏妃伯母さんは、とうとう泣き叫びながらそう言った。
 ……悲しい事件だった。俺は夏妃伯母さんは、気の毒な理由から右代宮家に嫁いできたにせよ、……蔵臼伯父さんや朱志香と、……小さな幸せを手に入れることが出来たのではないかと信じたかった。
 ……しかし夏妃伯母さんは、蔵臼伯父さんも、……そして、愛娘の朱志香さえも、……無情に殺してみせた…。
 祖父さままでが、遺体を隠すという片棒を担いだのは、なおも信じ難い…。しかし、関係者の証言から、ここ数年の祖父さまの精神状態は、とてもまともとは言えなかったことが、次々と明らかにされた。
 過去に亡くした、ベアトリーチェという名の愛人への妄執に取り付かれ、……祖父さまは本気で、夏妃伯母さんをベアトリーチェの生まれ変わりと信じたのかもしれない。
 祖父さまは今頃、どこにいるんだろう。
 ヱリカが推理するように、この碑文の見立て殺人で、本当にベアトリーチェが蘇ると信じて、夏妃伯母さんの口車に乗り。……今頃どこかで、運び去った遺体で、不気味な儀式でもしているというのだろうか……?
【夏妃】「これで…………、……満足ですか………? ……私に、……こう言わせたかったんでしょう……?」
 夏妃伯母さんが嗚咽交じりに、そう口にする。
【夏妃】「……これが、………あなたの復讐なんでしょう……? 19年前の男…ッ!!」
 19年前の男とは、夏妃伯母さんが何度も繰り返す、自分を罠にはめた男、とやらだ。しかし、19年前の男と一方的に言うだけで、19年前に何があったのか、それを決して語ろうとはしなかった…。
【夏妃】「きっと、……この中に、あの男の手先が混じっているはずです。……あの男は、あなたたちの誰かを通じて、今のこの私を嘲笑っているでしょう…。」
【夏妃】「………なら伝えなさい…! これで気は晴れましたか? 19年間、あなたを苛んだ痛みと苦しみは、少しは癒えましたか…?! ………ようやく私はわかりました。…私をここまで追い詰めたのは、……それを、……認めさせたかったからですね……?」
【ヱリカ】「……夏妃さん。私たち以外に、部外者は一切存在しません。居もしない人物が、さも存在するように振舞うなんて、往生際の悪い芝居は止めて下さい。」
 ヱリカは馬鹿にするように笑うが、夏妃伯母さんは、俺たちを見ながら。……いや、俺たちの向こうに、何者かの存在を見ながら、……俯き、震える。
 そして、………自らの罪を、告白した。
【夏妃】「私は、………殺人を犯しました……。」
【ヱリカ】「やっと、直接的な言葉で罪を認めましたね。」
【夏妃】「いいえ。昨日今日の事件のことではありません。………19年前の殺人について、告白します。」
 何の話だと、大人たちが囁き合う。……19年前の殺人事件など、初耳だからだ。
【夏妃】「い、……今から19年前。……私は、………罪を犯しました。………許せなかったのです。……その、………赤ん坊が…!!」
【ヱリカ】「赤ん坊? 今さら何の話ですか。」
【夏妃】「……19年前のあの日。…私は、お父様より、ひとりの赤ん坊を託されました。………いつまでも跡継ぎを身篭ることの出来ない私に、ならば養子を迎えよとお父様が仰り、………孤児院から連れてきたという、ひとりの赤ん坊を……、私に抱かせたのです…。」
【夏妃】「それが私に、……どれほどの女としての屈辱を与えたか、想像がつきますか…?!」
 夏妃伯母さんは、怒りと悲しみ、後悔と、あるいは開き直りの、相反する感情を入り混じらせながら、それを告白した。
 女として、子を宿すことをもはや期待されない屈辱。そして、見知らぬ赤ん坊を抱かせられた、例えようもない嫌悪感。それが深い悲しみと怒りを与え、彼女の心を蝕むのに、いくつも夜を必要としなかったことを……。
 そして私は、……心を、………悪魔に売り渡したのです…。………あれは、赤ん坊を抱かせた使用人と共に、薔薇庭園から船着場の方へ散歩に行った時でした…。
 ……私はひとりになりたかったのですが、……赤ん坊を連れたその使用人の女は、律儀に私の後について回りました。
 ひとりにしてくれとさえ言い出せず、……だから赤ん坊の泣き声から逃れられず……。………その日より19年間、私を苛む、長き頭痛の日々の始まりに呻いていました……。
 ………そして、柵より、崖を臨む。はるか眼下の岩浜に、……この赤ん坊を放り捨てることで、……全てなかったことに出来れば。……そんな悪魔の誘惑を、私は確かに聞きました。
【夏妃】「そして、………それが本当に出来たら、どれほど素晴らしいかと、……その誘惑に、ほんの一瞬、耳を傾けてしまったのです。……その時、」
 赤ん坊を抱いた使用人が、大きな石を踏んで、足を挫き、よろめいた……。そして粗末な柵に寄りかかり、……その時、柵が大きく軋んだ気がした。私は、危ないと言いながら肩を掴もうとしました。
【夏妃】「……いえ、……そんな曖昧な言い方はしません…。懺悔します。告白します。………私はあの時、確かに、……危ないと言いながら、…………その使用人の肩を、両手で、……どんと、……強く押し飛ばしたのです……。」
 粗末な柵は根元から折れ、………使用人と、……その手に抱かれた赤ん坊と一緒に、………眼下の岩浜へ転落していきました……。その瞬間のことは、……鮮明に覚えているのに、…なのになぜか曖昧で、……とても不思議な気持ちだったのを覚えています。
 転落したというより、……まるで、何もない宙に、二人が音も無く飲み込まれて消えたようにさえ感じたのです。だから私は、二人が岩浜に落下した音さえ聞いていません。
 いえ、きっと聞いているのです。でも、消えたと思い込みたかったから、………その聞いた音を、きっと記憶から消し去ってしまったのです…。
【戦人】「………そ、………それから………?」
【夏妃】「私は一瞬、…これが夢だと信じました。……あの高さですから、ちょっと身を乗り出したくらいでは、眼下の二人は見えません。だから、二人が落ちたことさえ、……ほんの数秒前のことさえ、現実のことなのかわからなくて…。」
 きっと私は、ここから赤ん坊が落ちればいいのにと願いすぎて、白昼夢を見てしまったに違いない…。そう自らに思い込ませ、足早に薔薇庭園に戻り、……赤ん坊は使用人に任せ、私はひとり、ここで休んでいたことにしました…。
 ……そして、………お父様に、赤ん坊はどうしたのかと問われ、…………。………任せた使用人の姿が見えないと、………騒ぎになって……………。
 やがて、壊れている柵が見つかって、………その崖下に、二人の死体が発見された…。
 ……明かせぬ筋からの赤ん坊だったらしく、その存在は伏せられ、……使用人が単独で事故を起こして死んだこととなった。そう。私は、……一度に二人もの、罪なき命を奪ったのです………。
 気の毒な使用人については、……遺族に充分なねぎらいをしました。真相を知らない老いた夫は、不幸な事故を嘆きつつも、それに納得してくれました。そして、ほんの数年前、老衰で亡くなり、………私は墓前で真相を告白し、謝罪しました。
【夏妃】「………しかし私は今日まで…。……あの赤ん坊に謝罪したことはありません。……そう、………それがあなたの目的でしょう……?」
【夏妃】「だから、私は今、ここで罪を告白します! ……右代宮夏妃は、………19年前にあなたを、………崖から突き落として、…殺そうとしました……。」
 ……でも、……あなたは死んでいなかったのですね……。………こうして生きていて、……それでも私をカアサンと呼び…。………この島へ帰って来て、………こうして復讐をされたのですね……。
 あなたはこの19年間。……母と呼ぶはずだった私に突き落とされたことを知って、……どれほどの憎悪の人生を送ったのでしょうね…。
【夏妃】「……そしてあなたは、……私があなたを突き落としてから得た、18年間の人生を、……こうして全て、打ち壊しました…。……もう私には、愛した夫も娘もいません。……そして私には名誉もなく、……こうして人殺し呼ばわりされて、………いえ、……本当に人殺しですものね……。」
【夏妃】「えぇ、そうです。……あなたの目論見どおり。……私は今や、人殺しと見なされています…。……………どうですか…? 復讐には、……これで充分ですか……? 夫と娘を殺され、……人殺しの汚名を着せられ、……不貞の汚名まで……。こうして生き恥をかかされる私を見て、…………あなたは満足ですか……?! えぇ、さぞや満足でしょうね…。……私の……家族も、……名誉も、……全て………奪い去ったのですから……。……ううぅ、……ひっく……、ううううぅうううぅうッ!!」
【ヱリカ】「………この期に及んで、まだ濡れ衣だと言い張るんですか? まったく、あなたは本当に往生際の悪い。」
【夏妃】「聞こえていますか?! 19年前の呪われた赤ん坊…!! これで満足ですかッ?! あなたは私から全てを奪いましたッ!! まだ何か足りないというのですか?! ……もう、……私を、………許して…………。」
【戦人】「……駄目だな。」
【夏妃】「ぇ………。」
【ヱリカ】「………戦人さん。何か言いました?」
【戦人】「全然駄目だぜ。」
【夏妃】「…………ば、………戦人……く……ん……?」
【戦人】「………あぁ。……駄目だな。全然駄目だぜ……。」
【夏妃】「ぁ……、………ぁぁぁ………………ッッ!!」

お茶会

大聖堂
【ベルン】「……ヱリカ、ドラノール。」
【ヱリカ】「はい、我が主。」
【ドラノール】「お呼びデスカ。」
【ベルン】「……あなたたちは、引き続きこのカケラに留まり、残る第1から第4のゲーム全てを解明しなさい。もはや、魔女幻想を主張する哀れな仮初魔女は存在しない。……剥き出しの真実を、徹底的に暴いてやりなさい。」
【ヱリカ】「くすくす! お任せを、我が主ッ。この古戸ヱリカに、解けぬ謎はありません。」
【ベルン】「……当然よ。それでこそ、私の駒、私の分身だわ。くすくすくすくすくすくす!」
 ベルンカステルは、最上級の、…そして最低の笑みを浮かべ、それをヱリカと共有する。
 ……ベアトリーチェの魔女幻想は消え去り、これまでのゲームの結果が、塗り替えられる。
 完膚なきまでに破壊され、……剥き出しの真実だけが残った。そのようなか弱い真実など、ヱリカにとっては俎上の鯉に等しい…。
【ヱリカ】「過去の4つのゲームはすべて、夏妃の犯行と、そのイレギュラーで説明可能です。もはや、ベアトリーチェなる魔女の犯行とは、二度と語らせません。直ちに編纂に入り、極上の物語を献上してご覧に入れます。」
【ベルン】「くすくすくす……。ベアトの魔女伝説はひとカケラも残しては駄目よ。使用人たちの間の噂、不可解な出来事をそうであるかのように語る空気、金蔵の幻想と連動した魔女幻想。……全て完全に処分しなさい。」
【ヱリカ】「無論です。直ちに着手いたします。……現在、家具たちの身柄を拘束。依り代の特定を急いでいます。」
 煉獄の七姉妹はすでに拘束されている。ベアトに仕えた賑やかなる姉妹たちは、もはや否定されるべき存在。彼女らが、どのような幻想に基づいて“顕現”したのか。……その全てを暴き、……否定する。
【ドラノール】「アイゼルネ・ユングフラウはすでに調査を開始しておりマス。最新の調査結果では、1960年代にニューヨーク近隣で製造された可能性が濃厚デス。すでに補佐官が現地入りしておりマス。」
【ベルン】「1960年代? 煉獄の七姉妹は、メイドインUSA? ぷっ、くすくすくすくすくす……。ソロモン王に連なる、千年の魔女に仕える家具とか威張っておきながら、とんだ紛い物じゃない。何者なの…?」
【ヱリカ】「報告によれば、……オカルトマニアの富豪たちに、イミテーションを売りつけて高額詐欺を働く集団があるとか。」
【ドラノール】「騙された富豪が、同様に曰くつきを語って転売するタメ、マニア間で偽られ、神格化された可能性があるとのことデス。裏付けと詳細特定を急がせていマス。」
【ヱリカ】「その界隈では、右代宮金蔵はどんなパチモノにも大金を払う、上客だったとか。」
【ベルン】「……くすくすくす。…あっはっはっはっはっは…!! それが煉獄の七姉妹の正体…? おっかしいわ、あっははははははっはっはっはっはッ!! ベアトの魔女幻想らしい、とんだ紛い物だわ。」
【ヱリカ】「七つの大罪を語る分際で、イミテーションの土産物風情だったわけです。……まぁ、私も。初めて見た時から、如何わしい土産物屋で売ってる文鎮に過ぎないとは思ってたわけですが。」
【ベルン】「くすくすくすくす!! 文鎮…! あっはっはははははははははははは!! その真実は、もう七姉妹には突きつけた?」
【ドラノール】「いいえ、まだデス。」
【ヱリカ】「あいつらまだ、自分たちは千年以上前に、偉大なる魔術師によって生み出されたとか、本気で信じてやがります。……早く、完璧な証拠と真実を突き付け、自分たちが原価30$にも満たない文鎮風情であることを思い知らせてやりたいです。」
【ベルン】「その時、どんな顔を見せて絶望するのかしら。……くすくす、楽しみだわ。その際には私を呼びなさい。最高の紅茶と梅干を持って鑑賞に来るわ。」
 ベアトの魔女幻想はすでに看破され、その全てがニンゲンによる妄想の産物と証明されている。
 何を根拠にしたどのような妄想から誕生したのか。それを完全に証明し、突き付けた時。……幻想は霧散して完全に消滅する。これを、……処刑と呼ぶ。
【ドラノール】「……処刑は見世物ではありマセン。原則、非公開デス。」
【ヱリカ】「元老院議員であらせられる、大ベルンカステル卿による、大法院が職務を適正に執行しているかの視察です。異端審問官風情が拒否する気ですか…?」
【ベルン】「えぇ、そうよ。ドラノールたちが職務を正規の手順で遂行するかどうか、私は元老院を代表して視察するだけよ。……くすくすくすくすくすくす。」
【ヱリカ】「ワルギリア、ロノウェ、ガァプたちも現在、拘束へ向けて準備中です。シエスタ姉妹近衛隊が捜索に当たっています。」
【ヱリカ】「………無論、その後に、ベアトリーチェにかかわった3人についても、拘束、処刑します。」
【ベルン】「ドラノール。シエスタ姉妹の正体は?」
【ドラノール】「……高い確率で、犯行に用いた凶器が依り代ではないかと推定されマス。ガートルード上級補佐官が専従チームを結成。全件を調査中デス。」
【ヱリカ】「シエスタ姉妹の処刑も楽しみです…! ひとりずつ? まとめて一度に?」
【ベルン】「茶葉の缶を、中身全部、ポットに入れる馬鹿はいないわ。ひとさじずつ、ゆっくり味わわなくちゃ。」
【ヱリカ】「くすくすくすくす! まったくです。処刑は連日行ないましょう。家具たちに魔女たちに。ひとりずつ、連日の処刑ショーを必ずやお届けします。」
【ベルン】「素敵じゃない。………何しろ、ずいぶんの人数がいるからね。2週間くらいはたっぷり楽しめそうじゃない。……誰から処刑するか、その順序を彼らに決めさせるとか。うっふふふふふふふふふ! 処刑概念についても最高の提案をするように。……古今東西のあらゆる処刑を毎日楽しみたいわ。」
【ドラノール】「……処刑は、大法院規定の方法でと規則がありマス。」
【ヱリカ】「お任せを我が主ッ。必ずや、魅力的な処刑ショーを準備いたします!」
【ベルン】「最低でも、四つ裂き刑くらいにはなさいよ。」
【ヱリカ】「無論です。ヨーロッパ各国からアジア各国まで! 東西のあらゆる王国が採用した、国王への反逆罪にのみ適用される、各国最高の処刑を列挙してご覧に入れます!」
【ベルン】「……私からも処刑方法を提案したいわ。…それに悩むことは、寝苦しい夜の最高の清涼剤だから。……くすくす。アイデアを練って、今度、手紙で送るわ。」
【ヱリカ】「畏まりました、我が主。では、ベルンカステル式はその最後のフィナーレに。……全ての幻想を打ち破り、ベアトの魔法大系を完全に打破した最後の最後にて。……ベアトリーチェの処刑にて、我が主の望まれる最高の処刑を…!」
【ベルン】「ありがとう、ヱリカ。……あなたのお陰で私は、病の辛さを当分の間、忘れることができそうだわ……。くすくすくす、うっふふふふふふはっはははははははははは! あなたは最高だわ。私の駒、私の分身、……そして私の可愛い娘。」
【ヱリカ】「も、……もったいないお言葉です…! 我が主…!!」
【ベルン】「ヱリカ、あなたに栄誉と褒美を与えるわ。……ベアトの最大の象徴である、あの大広間の肖像画。あれを外して叩き割り、その薪にてケーキを焼いて食べなさい。そして、残った額縁に、あなたの肖像画を掲げることを許すわ。」
【ヱリカ】「…あ、……ありがとうございます…! 最高の栄誉です…!」
【ベルン】「………ベアトリーチェの名前と痕跡のすべての抹殺、抹消。それが全て終わるまでの間、あなたにこの、閉じられた六軒島の主となることを命じるわ。」
【ベルン】「……奇跡の魔女、ベルンカステルの名において、その日まであなたに魔女の位を与えることを宣言するわ。……これよりあなたは、真実の魔女、ヱリカを名乗りなさい。」
【ヱリカ】「し、……真実の、魔女……! ……あ、……ありがとうございますッ、我が主…!! この栄誉に恥じぬ一層の働きを誓います…!」
 駒に過ぎぬ身でありながら、………仮とはいえ一時、主と同じ魔女を名乗ることを許される名誉……。ヱリカは、自分の活躍が最高の形で認められた感動に、打ち震えていた……。
【ベルン】「ドラノールは、引き続きヱリカを補佐し、その進捗を私に報告しなさい。」
【ドラノール】「……御意デス。」
【ベルン】「…………ところで、ラムダはどこ?」
【ドラノール】「あちらにおられマス。」
 2階客席より、眼下を指差す。ラムダデルタの姿は、………赤き太刀に貫かれて絶命した戦人の下にあった。
【ラムダ】「………右代宮戦人か…。面白い男だったわ。…そして、もっと面白くなれたかもしれないのに、……残念ね。」
【ベルン】「見事な死に様じゃない。………ヱリカ! この戦人の亡骸は、屋敷の大広間に飾るといいわ。……次に私がこのカケラに訪れる時は、私をその前で迎えなさい。」
【ヱリカ】「畏まりました、我が主っ。愚かなる男の姿を、永遠に主の勝利の記念碑と致します!」
【ラムダ】「くすくす、それは素敵ね。洒落てるわ。漆喰で塗り固めて、美しい純白の石像にするといい。……可愛らしく、デコなんかもしてくれちゃったら最高ね!」
【ヱリカ】「はい、ラムダデルタ卿。ご期待に沿えるよう、努力します…!」
【ラムダ】「おめでと、魔女就任。一時的なものであれ、私はあなたを友人として迎えるわ。」
 ヱリカは感極まり、涙さえ浮かべるのだった。………駒にとって、その活躍を主に認められる以上の喜びは存在しないのだから。
【ベルン】「最後には、ベアトも剥製にしてやりたいわ。そして大広間に高々と飾ってやるの。」
【ラムダ】「銀河鉄道?」
【ベルン】「夜じゃない方。」
【ラムダ】「……私。魔女じゃなかった頃にあれを読んで。…永遠の命を得た人間って、どうしてここまで残忍になれるんだろうって、不思議に思ったことがあるわ。……あの時の私は、正直、共感できなかった。」
【ベルン】「………魔女になって千年を生きてよくわかるわ。……あれの筆者は、本当の意味で、私たちの残酷さをよく理解していたのよ。くすくすくす!」
【ラムダ】「……次はどこへ行く? どうせ旅立ちは、お互い背中を向けて、でしょ?」
【ベルン】「あなたに退屈をしたくないからよ。」
【ラムダ】「ありがとう、ベルン。でも私はきっと、百を数えたらまたあなたを探し始めるわよ。」
【ベルン】「退屈させない子ね。だから好きよ、愛してるわ。…………またどこかで会いましょう。もっとも、百年先か千年先か、未来永劫、再会しないかもわからないけれど。」
【ラムダ】「大丈夫よ。愛し合う二人に、カケラの海は狭いわ。」
【ベルン】「第三の男?」
【ラムダ】「天井桟敷だってば。」
【ベルン】「………あの星空のように輝く無数のカケラを、1つ砕く度に一晩は退屈の毒から解放されるとわかったら。お前だって、星の数を数えてみたくなる。」
【ラムダ】「うまいうまい、ぷーくすくすくすくす…!」
 航海者の魔女たちは、無数に輝く、可能性の未来を渡り歩いては、……それを食い潰して、退屈の病から一時逃れる。
 ベアトリーチェという名のニンゲンが生み出した小さな小さなカケラは、……こうして二人の魔女に食い潰されて、……その輝きを失う。
 ベアトの前でライバル同士を名乗ったはずの二人は、今やそのふりも止め、馴れ合いながら笑い合うのだった。
【ベルン】「ヱリカ。新しき、このカケラの支配者。………あなたが真実を紡ぎ、……この世界の終焉までの物語を描きなさい。…えっと、次は第6のゲームだっけ?」
【ヱリカ】「はい、第6のゲームです。」
【ベルン】「エピソード6は何てタイトルにするか、あなたが決めなさい。もはや、この物語の紡ぎ手でありマスターであるのは、あなたなのだから。」
【ヱリカ】「ありがとうございます。……実は、もう決めてあります。」
【ベルン】「……あら、もうなの? ……なら聞かせてちょうだい。何てタイトルなの?」
【ヱリカ】「はい。エピソード6、…………。うふふふふ、本当は焦らしたいんですが、お教えします。」
【ラムダ】「くすくす! 何よぅ、もったいぶらずに教えなさいよ。新米魔女のくせに、先輩焦らすとかって、ありえないわ〜!」
【ヱリカ】「エピソード6、Checkmate of the golden witch!」
 シエスタ姉妹のナンバーは、ウィンチェスターライフルで使用可能な銃弾の種類に由来している。45は拳銃弾、410は散弾の口径。00は、ダブルオーバックという動物猟用の散弾の号数。
 キャラクター設定はもちろん、真里亞のウサギ人形がモチーフになっている。

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大聖堂
 誰もいない大聖堂に、………天を見上げた姿のまま、赤き太刀に胸を貫かれ、地面に縫い止められた戦人が、……立ち尽くしている。……それは皮肉にも、第4のゲームにて、自らの青き楔でベアトをそうしたのと、同じように見えた……。
 戦人はとうに、絶命している。いや、………ここでは死という概念は、思考の停止しか意味しない。だから戦人は、ある意味、死んではいない。
 ……真実を巡る戦いに敗れ、屈服した彼にもはや、抗う思考の力はない。だから、…死んでいる。
 墓標の代わりに残されたドラノールの巨大な太刀は、……死してなお戦人を、この場に繋ぎ止めているのだ…。
 それは高い高い天窓から漏れる、わずかの光りに照らされていた。静かな足音が、そんな静寂の大聖堂に響き渡る……。
 柱の陰の暗がりから、……ゆっくりと、女が歩み出た。
 ……ベアトリーチェだった。
 その瞳は、……黄金郷でずっとそうだったように、光を宿さず、灰色に濁ったままだった。自らの意思で、紅茶も満足に飲めなかった彼女が、……こうして、ゆっくりではあっても、…そして瞳に生気を宿していなくても、……歩いているのは驚きだった。
 そして、ゆっくりと踏みしめながら、貫かれ絶命した戦人のもとまで、……辿り着いた……。
 ゆっくり、……戦人に、……触れる。……その袖を、…引っ張る。
 しかし、戦人がそれに応えることはない……。
 ……それが眠りでなく、……死であることを知り、………絶望の眼差しの魔女は、……さらに頭をうな垂れる…。そして、……小さく、………呟いた…。
【ベアト】「……………。…………うそ……つき………。」
 ベアトは、……そっと、戦人に触れる………。そして、……戦人の胸に、額を押し当てる。鼓動は……、……すでにない。
 それは屈服したから、だけではない。魔女たちによって、ゲーム盤から追放されたからだ。
 ……だからもう。……戦人が戻ってくることは、……ない…。
 だからもう。………黄金の魔女、ベアトリーチェには。存在する理由が、………なくなった…………。
 ………ありがとう…。……うそつき……。…さよなら……。そして………、…ごめんね。
 そして、……黄金の魔女は、…その役目を、……終えて、…黄金の飛沫と、散った。
 黄金郷には、……しとしとと、…灰色の雨が降り続いている。
 ……かすかに香るのは、良き紅茶の匂い。ぼんやりと紅茶の液面をじっと眺めるベアト。
 編み物を続けるワルギリアに、………語り合う、俺と、……ドラノール。
 ……これは、………回想……。戦人を貫く、ドラノールの剣が与えたに違いない、戦人の記憶の回想……。ドラノールが黄金郷のお茶会に訪れてくれたあの時の、回想………。
【ドラノール】「私も同じデス。次に太刀を交える時は、遅れは取りマセン。」
【戦人】「上等だ。相手してやるぜ。全力で来い。」
【ドラノール】「約束しマス。全力デス。」
 ……ドラノールか。心のない、冷酷な殺人人形みたいなヤツだと思ってたんだが、…案外、話せるヤツなのかもしれないな。
 ……無論、ゲーム盤の上で戦う時は、互いに容赦なしだが。しばらくの間、俺たちは雨に濡れる薔薇庭園を眺めながら、静かに紅茶を楽しむのだった。
【戦人】「……しかし、恐ろしいもんだな。お前の戦い方は。……ノックス十戒だったけか? ミステリーのお約束ってヤツだろ?」
【ドラノール】「ハイ。……我が父が考案した戒律デス。」
【戦人】「隠し扉は存在してはならない。ノックス第3条だっけか? だから探偵は、隠し扉を捜す必要さえないわけだ。……なかなかの暴論だな。」
 ベルンカステルが言ってたな。ノックス第3条で禁じられてる以上、隠し扉を捜すことさえ、時間の無駄に過ぎないと。大富豪が屋敷に、秘密の扉を作るなんて、珍しいことじゃねぇだろうと言い返してやりたい。……しかし、ミステリーでは、そういうルールでまかり通るらしい。
 余談だが、隠し扉が登場し、それをテーマにした素晴らしいミステリー作品は、いくつも存在する。……もちろんそれは、隠し扉が存在するという“前提”において、書かれた作品に限定されるのだが。
 その“前提”がない以上、隠し扉は存在してはならない。だから、“前提”がないなら、隠し扉を捜す必要はない。……というのが、ヤツの言ってた暴論の骨子だと思う。
 現実を暴く探偵と、虚実で誤魔化す幻想が、ごちゃ混ぜにされて、悪魔の証明のような、おかしな論法を生み出している気がする。
 密室殺人を魔女が魔法で行なったとするのが、ファンタジー。それをトリックによる、ニンゲンの犯行だと暴くのが、アンチファンタジー。そのトリックを暴くためにあらゆる可能性を検討するのがミステリー。しかし、手掛かりのない可能性は、検討にも値しないというのも、……ミステリー?
 隠し扉は手掛かりなどあるはずもなく隠されている。だから探偵に発見できずとも、隠し扉は必ず存在していると主張するのは、……アンチミステリー?
 ………これ以上はよそう。この論争は、本来解くべき謎から、あまりに脱線し過ぎる。
 俺の戦いはとても単純だ。魔女が行なったとする犯罪を、ニンゲンに実行可能だったと説明するだけの戦いだ。
 ミステリーだのアンチだの云々の議論は、何の役にも立たない。だから、ノックス十戒などというルールに、俺は特別な関心を持たない…。
【ドラノール】「…………ノックスは、お嫌いデスカ。」
【戦人】「苦手だな。……隠し扉の存在を、調べもせずに全否定可能なんて、何だかおかしいぜ。…悪魔の証明並に胡散臭ぇな。……ファンタジーの対極のはずなのに、なぜか同じ論法になっちまってる気がするぜ。」
【ドラノール】「………………………。」
【戦人】「……ん、言い過ぎた。お前の親父が作ったんだもんな。」
【ドラノール】「お気になさらズニ。……戯れに過ぎないと仰る方も、いらっしゃいますノデ。」
【ワルギリア】「戦人くんには十戒は、かなり傲慢なものに感じられるのでしょう…?」
【戦人】「……正直なところを言えば、な。……隠し扉は存在してはいけないから、調べる必要さえないなんて、そんな探偵がいたら、頭のネジが落ちてないかどうか、一緒に床を探してやるところだぜ…。」
【ドラノール】「では、戦人。……その第3条を、なかったことにしまショウ。そうなったら、密室ミステリーは、どうなるでショウカ…?」
 ……ノックス第3条、隠し扉を禁ずが、なしになったら…?
【戦人】「………つまり、密室トリックのオチに、隠し扉がOKになるってことか。」
【ドラノール】「手掛かりや伏線のある隠し扉ではありマセン。…隠しなのですから無論、探偵にも発見できない隠し扉デス。」
【ワルギリア】「戦人くんはよく、悪魔の証明により、発見できないXの存在を仮定して戦いますね。……つまりはそういうことですよ。」
【戦人】「最悪だな。密室ミステリーが、読み物として破綻しちまう。」
 破綻するというのはつまり、……成立しなくなるということだ。推理しようとも、推理不能な隠し扉がオチかもしれないのだから、始めから謎を解く気がなくなる。
【戦人】「……せめて、隠し扉はありませんと、保証してもらってからじゃないと、推理する気も起きない。…………なるほど。ノックス第3条は必要だな。……それがなけりゃ、密室ミステリーは、読み物にもなりゃしねぇ。」
【ワルギリア】「推理する気も起きないとは、つまりどういうことですか…?」
【戦人】「つまり、読む気もしねぇってことだな。」
【ドラノール】「そういうことデス。……ニンゲンは、推理可能だという保証を得なければ、思考さえ出来ない、か弱い生き物なのデス。」
【ワルギリア】「推理可能。……即ち、頑張れば解けますよという、励ましが必要なのです。」
 それは、……確かにそうかもしれない。
 ……運動だってそうだ。校庭を10周しろと言われりゃ、頑張りようもある。しかし、何週すればいいかもわからずに走らされたら、3周もしないうちに疲れてきて、馬鹿馬鹿しくなるだろう。
 それは思考も推理も同じだ。必ず解けると保証されてる問題と、それが保証されていない問題では、まったく心構えが変わってくるのが人間というものだ……。
【ワルギリア】「推理小説で探偵が、犯人がわかったと宣言するシーンがあるでしょう。……あれはつまり、そこまでの文章で、手掛かりは全て記したから、読者諸君、どうぞ推理をして下さい、という合図なのですよ。」
【戦人】「………へぇ。単なるお約束のセリフかと思ってたが、そんな意味があったんだな。」
【ワルギリア】「意地悪に言うと。探偵がそう宣言しない限り。……どんなにミステリーを愛する推理自慢の読者であっても、推理をする気力は生じないということです。」
【ドラノール】「……過去のゲームにおけるあなたも、そうではありませんでシタカ……?」
【戦人】「………………………………。」
 それを言われると、………確かにそうだったかもしれない。
 ベアトと本格的に戦うようになったのは、第2のゲームからだったか。ベアトが挑んできた密室の謎に、俺は最初、真面目に挑まなかった。何しろ、密室で人が死んでる、窓も扉も内側から閉まってる、くらいしか情報がない。
 ……ノーヒントにも程がある。だから、手掛かりが足りないから推理不能、戦いには応じないと言って論争を拒絶したんだ。
 ……そうしたらベアトは、それを永遠にいつまでも繰り返し、千日手とする気なのかと嘲笑ったんじゃなかったっけ……。ベアトはあの時、こう言った。
“貴様ら無能どもがいつも嘆いてみせる思考停止の理由、“情報不足”! そして、それに対し情報を与えると今度はその情報の真偽を疑う“根拠否定”! 便利よのぅ? 無能を棚上げする実に小気味良い言葉よ。”
 そして、否定不能な確かな情報を与えると言って、ヤツは赤き真実というルールを生み出したんだ。そこまでしてもらい、ようやく、俺とベアトの戦いは幕を開ける……。
【戦人】「……俺はベアトに、……この物語は、挑めば解けるという保証をもらって、……初めて同じ土俵に上がったというわけか……?」
【ドラノール】「ベアトリーチェ。……不思議な方デス。謎こそが魔女の住まう狭間なのに、自ら、その謎を暴くことの出来る赤き真実を、あなたに与え始めたのデスネ。」
 赤き真実とはつまり、俺に推理合戦に応じるよう、ベアトが与えたヒント。……飴玉だ。ヒントが与えられたってことはつまり、解いてみろ、解けるから、……という意味だ。
 ……解けることが保証された謎は、……本当の意味で、“謎”とは呼ばない。
【戦人】「これではまるで、………ベアト自身が、…自分は本当は魔女じゃないって、……自分で認めてるようなものじゃないか…。」
【ワルギリア】「おやおや。確かにそうなりますね。……本当におかしな子です。」
【ベアト】「……………………………。」
 ベアトは、何も答えない。灰色の瞳で、……ぼんやりと紅茶の湯気を眺めているだけだ…。
【ドラノール】「我が父は、思考する力に杖を与えるために、十戒を生み出したのデス。……決して、物事を傲慢に決め付けるためではありマセン。」
【戦人】「……思考する力に、杖……。」
【ドラノール】「そうデス。ノックス第8条、提示されない手掛かりでの解決を禁ズ。……これは、手掛かりなしに当て推量で推理をしてはいけないという意味だけではありマセン。」
【ワルギリア】「逆を返せば、………出題者は、解決のための手掛かりを、必ず提示しなければならないということです。」
【戦人】「……つまり、……十戒に従うなら。……全ての謎には必ずヒントがあり、……よって、必ず解決は可能だと保証されてることになるわけか。」
 なるほど、……それが思考する力に杖を、という意味になるわけだ。解けると信じることが出来れば、謎に対する挑戦意欲も湧く。ヒントがあると信じられるなら、それを捜そうと読み返しにも熱が入るというものだ……。
【戦人】「確かに、……推理しようとする人間にとって、勇気を与える力はあるかもしれないな。」
【ドラノール】「ノックス十戒は、ミステリーの出題者に課す制限と思われがちデスガ、読み手にとっても大切なものなのデス。………十戒を杖とすることで、私たちは、推理する勇気と、必ず隠されているに違いない手掛かりを求めて、何度も物語を読み返す気力を授かるのデス。」
【戦人】「………固くて開かない、ジャム瓶の蓋みたいだな。……母さんがよく言ってたぜ。……開かないと思ってると、いくら頑張っても開かないって。……スポーツにもそういうのあるよな。必ず自分は成し遂げられるという強いイメージがあるのとないのでは、記録に大きく差が出るというし。」
 だとするなら。ノックス十戒は、堅苦しい制限や傲慢ではなく。……推理に挑む者たちへの、必ず解けるから頑張れという、応援だとも受け取れるのだ…。
【戦人】「………面白い解釈だ。……しかし、世の中の推理小説全てが、必ず十戒を守ってるわけでもないと聞いたぜ? ………そういう作品にぶち当たった時、騙されたーってことにはならないのかよ…?」
【ドラノール】「十戒もまた、解釈のひとつに過ギズ、全てのミステリーに適応できるものではありマセン。……父の原理主義者の方々は、十戒を破った作品を異端と呼んで、激しく糾弾される方もいらっしゃるようデスガ…。」
 ミステリー界では、このような議論は尽きない。あの名作推理小説は、(ノックス十戒に則った)フェアなミステリーか、否か。
 そういう議論はもはや、ミステリー界の永遠のテーマだ。実際のところ、ミステリー談義とは、トリックの云々よりも、そちらの方が白熱することが多いという……。
【戦人】「そりゃ糾弾したくもなるだろうな。……十戒に従い、解けると信じて挑んで、実は解けるように出来てませんでしたーってオチだったら、さぞや悔しくて仕方ないだろうぜ。」
 そう。十戒で戦うには、……最初にひとつだけ、保証がほしいのだ。それはつまり、………その推理小説が、十戒を遵守しているという保証だ。
 本格推理を名乗る作品なら、それを安心できる。しかしミステリーには、本格以外のジャンルもたくさんある。………それはつまり、本格以外の推理小説は、推理する価値さえない、ということになるのだろうか……?
【戦人】「……それはそれで、……傲慢な気もするな。」
【ドラノール】「ハイ。私も、父の十戒を、そのような傲慢の武器にされるのは、非常に悲しいことデス。」
【戦人】「…………お前は十戒を武器に、さっきベアトと戦ったわけだが。……それはつまり、このベアトのゲームの世界が、ノックス十戒に則っているという証なのか……?」
【ベアト】「…………………………………。」
 俺のその問いに、……不思議な沈黙が訪れる。ワルギリアもドラノールも、……そして当然、ベアトも、……しばらくの間、沈黙した……。まるで俺の問いが、何かの核心に触れたかのように…。
【ワルギリア】「それは、……私の口からは言えません。」
【戦人】「どうして…?」
【ワルギリア】「これは、この子の作ったゲームです。……あなたと勝敗を決めるための、ゲーム。……この子はそれを、ミステリーとファンタジーの対決のように呼んでいました。」
【ワルギリア】「しかし残念ながら、本格推理とは一言も言っていません。即ち、十戒に則っているという保証はないということです。」
【ドラノール】「……しかし同時に、ミス・ベアトリーチェは、あなたとの勝負のゲームだとも仰っていマス。……それは即ち、あなたにも勝利する余地があるというコト。」
【戦人】「即ち、……………推理は可能だって、そう言いたいのか。」
【ベアト】「…………………………………。」
【ワルギリア】「………この子に言わせれば恐らく、推理は可能となるのでしょう。……しかし、この子と戦人くんが、送り手と受け手の関係であるように、二人は異なる存在です。……ベアトにとって、推理可能なつもりで出題したものが、あなたにとっても推理可能なものなのかは、別の問題です。」
 例えば、日本人なら誰でも知ってる簡単ななぞなぞを出題したとする。……しかし、出された相手が、和英辞典片手の外国人だったなら、それは簡単な問題どころか、解答不能なものになりかねない。
 ……つまり、出題者には簡単な問題でも、回答者にはあまりに難解な、一方的な形での“推理可能な問題”となりうるわけだ…。
 オマケだが、外国のなぞなぞで、“ドラゴンはなぜ、昼間は寝てばかりいるのか”ってのを知ってるか? ちなみに正解は、“騎士と戦うためだから”。英語圏のなぞなぞだから、日本人にはちょいと難しいかもしれない。
【ワルギリア】「だからこそ私は。………この物語が、戦人くんに、絶対に解けるものだと約束することが出来ません。………しかし、これだけは約束できます。…赤き真実で、それを保証します。」
【戦人】「………何だ。」
【ワルギリア】ベアトは、あなたに解いて欲しいと願って、解けるようにこのゲームを、……この物語の謎を生み出しました。それだけは、私が赤き真実で保証します。」
 それは、……推理に挑む者が、誰もが欲する、……保証。
【ドラノール】「その答えが、我が父の十戒に則り、導き出せるものかはわかりマセン。……しかし、戦人が悩み苦シミ、推理の指針を求める時に、もしも思い出したなら。我が十戒も試してみて下サイ。……再び挑む勇気と、ひょっとすると何か新しい発見を与えてくれるかもしれマセン……。」
【戦人】「ありがとうよ。心底、行き詰ったら、お前の戦い方も参考にしてみるぜ。……いいのかよ、敵に塩を送っちまって。」
【ドラノール】「お気になされズニ。手土産も持たずに訪れた茶会デス。茶菓の代わりとなったなら幸いデス。……それに、私と再び相見えたナラ。そんな悠長なことを言っている暇は、恐らくないでしょうカラ。」
 ………ノックス十戒と、……ワルギリアの赤き真実。
ベアトは、俺に解いて欲しいと願って、解けるようにこのゲームの謎を生み出した”。つまり、……ベアトは、俺に解けるつもりでいる、ということ。それは他でもない、……推理が可能だという保証ではないだろうか……?
 ……もちろん、それはベアトにとってという意味で、……俺にとって推理が可能という意味になるとは、もちろん限らないのだが……。
 推理が可能か不可能かさえわからなかったこれまでと比べれば、……そのたった一言は、大きな勇気と力にもなるかもしれない…。少なくとも、推理はどうせ無駄だという、ネガティブな感情を黙らせる力はある…。
【ワルギリア】「……推理できると先に相手に証明させなくては、推理をしない。……まるで、奥手な若者の恋愛のようですね。」
【戦人】「恋愛?」
【ワルギリア】「えぇ。………自分のことを、愛してくれると相手が先に証明しない限り、自分も相手を愛したくない。……でしょう?」
 男も女も、……先に相手に自発的に、愛していますと言ってもらいたい。それが理想だ。……自分が愛したら、相手も同じように愛してくれるという保証が得られるまで、…相手を愛したくない。
 なぜなら、片思いほど辛いものはなく、……それが破綻した心の傷は、長く尾を引く。その痛みに怯えるからこそ、……必ず相手に愛してもらえるという保証が、先にどうしても欲しい…。
【ドラノール】「なるホド、推理小説における、作家と読者の関係を面白く表現していマス。」
 確かに、……推理小説も同じに例えられるかもしれない。
 作家も読者も、……先に自発的に相手に、解きます(解けます)と言わせたい。作家は、出題したら、読者が必ず挑戦してくれるという保証が得られるまで、作品を執筆したくない。
 そして読者も。作品に挑んだら、必ず推理できるという保証が得られるまで、作品を読みたくない。
 力作と思って執筆して、誰にも読まれずに傷つきたくないから。力作と思って推理して、無駄だったと知り傷つきたくないから。
【戦人】「その理論によると、………まさに奥手な、小学生、中学生の恋愛だな。……気があるくせに、打ち明ける勇気もなく、相手の告白を待って、もじもじしたまま何の進展もなく、……ひと夏が終わる。」
【戦人】「いやいや、他の男とくっ付いちまうことだってあるぜ。俺の初恋もそんな感じだったさ、いっひっひ。」
 打ち明けられぬ片思いは、二度と訪れぬ夏を後悔しながら、青春を、終わる。読者の支持が得られるまで執筆しない作家は、永遠に処女作を出さずに、終わる。作家の迎合を待つ読者は、生涯、ミステリーの楽しさを知ることなく、終わる。
【ワルギリア】「……戦人くん。その、卵が先か鶏が先か、という奥手な恋愛は、どの段階にまで進んだら、相思相愛の関係になるのですか……?」
【戦人】「それは、………積み重ねだろうな。…まず友達関係から始めて、コミュニケーションを増やし、……こいつはきっと俺のことが好きで、俺もこいつのことが好きだっ、と……、疑えなくなった段階を、二人が共有できたところでその、……まぁ、多分、自然と恋人関係に進めるんじゃないかと。」
【戦人】「唐突な告白で始まった関係は、割と別れることも多いが、実は互いに告白したことがなく、気付いたらずっと一緒にいたって連中の方が、案外、付き合いは長いってのが、俺の今日までの印象だ。」
【ドラノール】「つまり。互いが相手を信じる、信頼関係が生まれタラ、……ということデスネ。」
【戦人】「………かもな。……意外だぜ。…ミステリーってのは、作家と読者のバトルだと思ってたんだが、……実はそうじゃないのか。」
【ワルギリア】「えぇ。互いが信頼しあった上でしか成立しない、……愛ある関係なのですよ。」
【戦人】「……………………………。」
【ベアト】「……………………………。」
【戦人】「……じゃあ、こいつと俺の関係も。……殺し合いじゃなくて、愛ある関係だって言うのかよ?」
【ワルギリア】「……くす。意地悪をし合う、小学生同士の関係程度にしか見えませんがね…? うふふふ。」
 ワルギリアが、年増っぽく茶化す。
 でもまぁ、……友情も信頼関係も期待しちゃいないが、……ライバル関係という意味では、こいつの存在を認めてもいい。
 ベアトは俺に、自分という魔女の存在を認めさせたくて、全力で正面からぶつかって来る。だから俺もそれに応えて、全力で魔女の存在を否定して、正面からぶつかり合ってる。
【ドラノール】「ミス・ベアトが、正面から全力であなたにぶつかっていルト。どうしてあなたは言い切れるのデスカ?」
【戦人】「見てりゃわかるだろ。」
【ドラノール】「あなたに全力で正面からぶつかっていると、彼女が赤き真実で宣言したわけではありマセン。……なのにあなたはそれを、疑わないわけデスカ? 赤き真実以外は、何も信じないと仰ったあなたがデス。」
【戦人】「………ん、………………………。」
【ワルギリア】「くすくす。……戦人くんの言うところの、コミュニケーションが増え、互いの関係が疑えなくなった段階、というものに違いないですね。」
 ワルギリアとドラノールが、くすくすと笑い合う。
 ……男ひとりに女が複数。話題は恋愛。……おいおい、最悪のおちょくられフォーメーションじゃねぇか。
 俺は何とか話をはぐらかし、雨の黄金郷のお茶会に相応しい雰囲気を取り戻そうと、ぎこちなく高尚な話題を切り出しては、それを看破されてワルギリアに笑われるのだった……。
 …………………………。そんな中でも、ベアトはずっと灰色の瞳で俯き、紅茶の液面を覗き込んでいるだけだった………。
 ……………………。………あぁ、そうだな……。ワルギリアとドラノールに、………俺はこんなにもヒントをもらっていたんだな…。なのに、俺はろくろく考えなかった…。
 もう、何もかも遅いけれど……。………“考えよう”。全てが手遅れになった今だからこそ、無限にある時間の中で、………考えよう。
 ワルギリアが贈ってくれた赤き真実と、ドラノールの貸してくれた十戒を杖に、……もう一度だけ、考えてみよう……。
 ワルギリアは赤き真実で、………少なくともベアトがこの物語を、俺に勝利できる余地を残していたことを保証した。……その赤き真実の保証が、俺にもう一度、……鼓動する力を与える…。
 そして、……ドラノールが貸してくれた、十戒の杖。ドラノール自身も、十戒は全ての謎を解明できるほど万能ではないと、最初に断ってはいる。しかし、謎の解き方、……いや、挑み方のひとつの糸口になる…みたいな感じで言ってた。
 ……試そう。この、ミステリーかファンタジーかも保証されない物語を、……それでもきっと必ず解けると信じて、……解ける物語、……ミステリーだと信じて、……もう一度挑んでみよう……。
 作者と読者の関係。例えば、推理できなかった読者が後から答を知って、確かに推理可能だったと納得できるかどうか。
魔女の喫茶室
 気付くと、……俺はいつの間にか、あの、……ベアトと何度も、テーブルを挟んで激論を交し合った、……あの不思議なお茶室にいた。
 ……もちろん、ベアトの姿はない。俺だけが、ぽつんと、……たったひとり。
 いいさ。それでも俺は、……思考することを、止めない。
 さて。………ノックス十戒ってのは、どんなのだったっけ……? ドラノールが俺をぶちのめしながら、そのほとんどを説明してくれたはずだ。もちろん俺だって、うろ覚えはしている。
 第1条は、……何だったっけ……。
【ガート】「……謹んで申し上げる。ノックス第1条。犯人は物語当初の登場人物以外を禁ず。」
 俺が第1条は何だったと呟いた時。………それに応えるように、……ドラノールの部下が、姿を現す。
 余計な挨拶はせず、俺が知りたいことだけを、簡潔に教えてくれた。
【戦人】「……そうだったな。第1条。……犯人は物語の最初から、登場している人物でなければならない。」
 それはつまり、………第1のゲームの時点から、もう犯人は登場済み、……ということじゃないのか……? 確かにそれは、ミステリーの基本も基本。お約束だ。
 ……お約束…? ……本当に俺は、……それを基本にしてたか……?
 この物語は、ゲームを重ねる度に、どんどんと登場人物が増えていきやがる。そんなのは、クローズドサークルのルールに違反する行為だ。その時点で、もう滅茶苦茶。
 きっと、真犯人や黒幕は、まだ未登場なのだろうから、推理しても無駄、……なんて諦めが、俺の中になかっただろうか……?
 この物語をファンタジーだと読み解くなら、……どんどん新キャラが増えて、しまいには、魔王だの神だの創造主だのが登場しても、何の不思議もないし。真の黒幕が、最後近くのエピソードで登場したとしても、そういうものだと納得してしまう。
 しかし、……ミステリーだと読み解き、その信念を貫くなら。後に追加して登場する人物など、何も気にする必要はない。ノックス第1条が、後から登場する人物が犯人であることなどありえないと、はっきり否定しているからだ。
 …………もちろん、ドラノールやワルギリアも言ってる。この物語が、十戒のルールに則ってるとの保証はなく、犯人が第2のゲーム以降から登場している可能性だって、もちろん否定してはいけない。でも、……これは思考の方法のひとつなんだ。
 俺は今回。悪魔の証明などをさっぱり忘れ、……十戒の力を借りて考察してみることにする。多角的な視点を持たねば、真実には至れないと、もはや自分は知っているのだから。
【戦人】「なら、………何度も繰り返されたこのゲームの犯人は全て、…18人の中の誰かだってことになる。19人目の幻想なんて、……始めから必要ない。」
 ……ノックス第1条は、……その冒頭からいきなり、魔女という未知の人物の存在を否定しているのだ。それが、真の意味で貫けていたなら、……俺は第2のゲームで、あれほど無残に屈服はしなかったかもしれない。
【戦人】「……ノックスの、第2条は?」
【コーネリア】「謹んで申し上げ奉る。ノックス第2条。探偵方法に超自然能力の使用を禁ず。」
 もうひとりのドラノールの部下が、音もなく現れ、俺の問いに答えを与える。
 ……そうだ。探偵は、魔法なんか使っちゃいけない。
【戦人】「そして、……………。……これがフェアな戦いであるならば。……探偵と同様に、……犯人もまた、魔法を使ってはならないということだよな……?」
【ガート】「謹んで申し上げる。……解釈は自由と知り給え。」
【戦人】「だよな。……あぁ。俺の自由に解釈させてもらうぜ。」
 これが、俺とベアトのフェアな戦いのゲームなのだとしたら。……この物語は推理可能である以上、推理不可能な要素は登場しない。
 即ち、魔法など、存在してはならないのだ。それが登場した時点で、ミステリーの破綻を疑うのではなく、……どうしてそれが描写されてしまうのか、目撃者や観測者を疑うべきなのだ。
 そうさ、……それこそが、……第2のゲームの、ベアトの最大の牙だった。
 ミステリーにあってはならない、魔法の描写。それを見せ付けることで、この物語がミステリーではない、即ち、推理不可能であると、まんまと思い込まされて、屈服した……。
 しかし、もしもミステリーであることを、揺ぎ無く信じていたのなら。……それを見たと主張する目撃者を疑うのが、一番当たり前なのだ。
 そして、第1のゲームのラストで、この物語が、メッセージボトルによって後世に語り継がれていることが明記されている。
 ……誰かが事件を、物語に、記した。つまりこの物語は全て、……メッセージボトルを執筆した人物という、観測者によって、私見が含まれた世界ということになる。
 つまり、観測者は神ではない。ニンゲンなのだ。よって、その記述の真の意味での公正は、保証されていない。
 ミステリーでお約束とされている、本文は神の目線でなければならないとする前提が破られていることが、第1のゲームの時点で、……もうはっきりと明記されている。
 だからこそ、目撃者と同時に、観測者もまた、疑うことが可能なのだ。ここまでを疑うことが出来たなら、……いくら推理不能に見える魔法演出が登場したとしても、それを鵜呑みにし、屈服する必要はなかったのだ……。
 しかし、ならば襲われる疑問は、………公正でない観測者が記した物語が、そもそも推理可能なのかということだ。………これに取り憑かれると、全ての推理はここまでで停滞して、終わる。
 だから、……俺は信じなければならなかった。
 ベアトが、………この物語によって、俺と戦おうとしていることを。戦うとは即ち、……俺にも勝つ余地が与えられているということ。それを与えているということは、………推理は可能という、……意味なのではないか。
 ……ここは、……苦しかった。あの残酷な魔女が、自らの敗北を賭して、俺とフェアな勝負をしていると信じなければ、……乗り越えられない。
 ……ワルギリアの言うとおりだぜ、……まるで恋愛だ。ベアトは、俺と全力で、真正面から戦っていると信じられなきゃ、……これ以上の推理には、至れない。
 ………あぁ、…認めるぜ。
 俺たちは“愛し合ってる”と認め合わなきゃ、……これより先には進めないんだ。それを口に出して認め合えない、奥手な俺たちに愛想を尽かし、ワルギリアは、それに代わる赤き真実をくれた。
 それが、“ベアトは、俺に解いて欲しいと願って、解けるようにこのゲームの謎を生み出した”、という、赤き真実。
 ……何だよ、それ。A組の佐藤さん、あんたのことが好きなんだってーって。友達経由で告白してきたみたいなもんじゃないかよ…。
 ………情けねぇな、……俺。推理は、……恋愛だ。愛し合わなきゃ、……推理は、開かれない。
 なら、愛してるってどうして言い合えないんだろうな。解けるもんなら解いてみろとか、お前は無能だ、解けるもんかとか。
 ……あー、そういうのって、ツンドラって言うって、譲治の兄貴が言ってたなぁ。へへっ、今さら、あの残酷魔女が可愛らしく見えてきやがった。
 ……次にどこかで会えたら、お前ってツンドラなんだろーってからかってやりたいぜ。次にどこかで、…………会えたらな…。
 …………………………………。
【戦人】「……他の十戒も、教えてくれ。順不同でいいぜ。……使えそうなヤツを頼む。」
【ガート】「謹んで申し上げる。ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ず。」
【コーネリア】「謹んで申し上げる。ノックス第6条。探偵方法に偶然と第六感の使用を禁ず。」
 提示されない手掛かりで解決してはいけない。そして、偶然などに頼っての解決でもいけない。この物語が、解決できるように作られているならば。これは、逆の意味で読み取れる。
 即ち、……解決できるように、手掛かりを用意しなくてはならない。そして、偶然に頼らずに解決できるようにしなくてはならない。
 ベアトがフェアな、推理可能なゲームを挑んでいると強く信じられるなら。……それを確信することが出来る。つまり、……ベアトはこれまでの物語に、手掛かり、ヒント、メッセージを、すでに残してるってことになる。
 ……十戒から少し離れるが、ヱリカ辺りが言っていた。ミステリーで暴くべき謎は3つあると。
 1つは、フーダニット。誰が犯人か。1つは、ハウダニット。どうやって犯行したか。1つは、ホワイダニット。どうして犯行に及んだか。その3つの謎に関する手掛かりが、……すでに物語には込められてるってことになる。
 ……いや、厳密にはこうだ。
 ベアトはその3つの謎を、俺に解かせたくて、……ヒントを散りばめた。俺がそれをキャッチできるかどうかは、また別の問題だがな…。簡単だと思って出題したものでも、相手によっては難解だと思われるだろう。そうなれば、両者にとっての難易度には食い違いが出て当たり前だ。
 ………だから。ベアトはゲームを重ねながら、俺の様子を見て、良い按配になるよう、ゲームを調整していた。
 第2のゲームで俺が完全に屈服し、難易度が高すぎたことを察したベアトは、内心、焦ったのだ。
 俺が屈服し戦う気力を失えば、……ゲームという対等な関係は維持できなくなる。だから、俺に戦う気力を取り戻させるために、……戦い方の指南や、ヒントを与え、第3のゲーム以降からは、俺にも戦いやすいようなお膳立てがされていった。
 ワルギリアやロノウェは、明らかに俺をサポートするために登場した。
 そして、相変わらずの激しい魔法表現ながらも、ブラウン管裁判の例え話をし、それに抗うことが出来ることを指南してくれた。
 俺はようやく戦い方を理解し、………第4のゲームの最後では恐らく。……ベアトがもっとも望んだだろう、俺との、全力での一騎打ちが出来たはずなのだ。
 ……そしてベアトは、俺の力が今や一人前であることを認め、………自らの心臓を、……………この物語を解明してくれることを、俺に託したんじゃないか…。
 なのに俺は、……ベルンカステルたちに嫌悪して、第5のゲームのほとんどをボイコットするという愚かなことを…。
 ゲームマスターが誰かなんて、関係なかった。俺に必要なのは、ベアトのゲームで、真実を探すことだったんだ。……むしろ、全てを託して退いたベアトに代わり、それを引き継いでくれたあの魔女たちに、……俺はわずかに、感謝すべきなのかもしれない。
 もちろん、あの性悪魔女どもに、そんなつもりはさらさらないだろうが……。
 犯人。犯行。動機。この3つの究極の謎の答えは、ヒントは、………必ずこれまでの物語の中に散りばめられているのだ。それはきっと、か弱く光るもので、……砂浜に落ちているビーズを探すようなものだろう。
 きっとある。……だが、それを強く信じなければ、絶対に見つけられないくらいに、か弱い。
【ガート】「謹啓。謹んで申し上げる。」
【戦人】「………何だ……。」
【ガート】「物語を、……遡り給え。……今の汝には、真実のか弱き光を見逃さぬ眼が、与えられていると知れ。」
【戦人】「…………今こそ、…………物語を……。」
【コーネリア】「推理可能とは、信頼関係の先に、あるものと知り奉れ。」
【戦人】「……あぁ、……知ってるぜ。…………いや、…今、ようやく気付いたかもしれない。」
 それは、物語の中で、………何度も何度も、何度も何度も、……しつこいくらいに繰り返されてきた。
【戦人】「……愛がなければ、……真実は、視えない……。」
 ゆっくりと、お茶室が闇に溶けていく……。
 そして俺は、漆黒の海の中をゆっくりと沈んでいくように、………ベアトと一緒に巡った、長かった物語の狭間を抜けて、………どこまでも落ちていく……。それはまるで、意識を持ったまま、夢現の境界に至ろうとするような、……不思議な体験。
 それまでの数々の物語が、細かい泡、……いや、小さな輝くカケラ? …となって、漆黒の宇宙に、星のように散らばる。その海をどこまでも、……俺はゆっくりと沈んでいく……。
 これまでの物語が、……次々と。………次々と………。
 ウェルギリアスはダンテを、煉獄山に案内し、……山頂に待つ永遠の淑女、ベアトリーチェの下へ、連れて行く。
 だから、………その最深奥はきっと、底ではなく、………煉獄山の、山頂。永遠の淑女は、……そこでダンテを、……ずっと待っている……。
 そして、………俺は、……知る。
 ……俺は真実に、…ついに辿り着く………。………深奥に、…いや、………煉獄山の、山頂に……………。
 ……………馬鹿だろ……………。……お前、………本当に、……馬鹿だろ……。
大聖堂
【戦人】「…う、……ぐぉ、…………痛ぇ…………。」
 死の眠りから醒め、……少しずつ、……痛覚が戻ってくる……。天を見上げたまま、太刀に貫かれていた戦人の顔に、……苦痛という、生きた表情が、少しずつ戻ってくる……。
【戦人】「お前は、………本当に、……馬鹿だ……。………大馬鹿だ………。」
 戦人は、気付く。
 ……ベアトがずっと、………自分にしな垂れかかり、……眠っていた。そして、それを抱き締めた時、………それがベアトでなく、………朽ち果てた、……ベアトの、……残滓であったことを知る。
 だから、……灰のように脆いそれは、……戦人が抱き締めようとしただけで、………まるで、砂浜に作った、砂の城が、……小さな波に、溶けて崩れるように、……崩れて落ちて、その姿を、失った……。
 戦人の足元に、……崩れて潰れた、ベアトのドレスの残骸と、……灰の山。
 いや、……その灰の山の上に、……何か黄金に輝くものが見える。……それは、…………ぼろぼろに千切れた、……一匹の黄金の蝶の、……骸だった……。
 だから、………戦人は、……知る……。俺は、……確かに真実に辿り着いた…。
 ……でも、……ベアトがこの世に留まれる間に、…………至ることが、………出来なかった…………。
【戦人】「……ベアト……、……お前、………本当に、………馬鹿だろ……。」
 俺はようやく、……お前の出題した、このふざけた謎の真相に、……辿り着いたんだぞ……。……お前の、……お望みどおりに……! 挫けずに、……とうとう、……最後まで、辿り着いたのに………。
 なのに、……何でお前が…、………それを待てずに、…………挫けちまったんだよ……? ……お前は、……あんなにも信じてたんだろ……? 俺が絶対に、……真実に至ってくれるって……。
 なら、………どうして…………。どうして、…………それを俺と一緒に信じて、…………待てなかったんだよ…………。永遠の拷問を強いていたのはお前じゃない。
 俺だ…! 俺がお前に過酷な拷問を強いた…!
 そしてお前は最後まで抗い、俺に訴え続け……。………そして俺は、……ようやく今になって…、………辿り着いたってのに…。お前はもう、………待てなくて、………手遅れになっちまったなんて………。
【戦人】「ば………、……………馬鹿野郎ぉおぉぉ………、……どうして、……お前が先に、………挫けちまうんだよぉおぉぉ……。」
 俺が、……悪い……。俺が、強いた拷問なんだ。彼女はむしろ、今日までよく耐えたんだ……。そして何度も何度も、何度も何度も俺に訴え、………そして俺は無能だから、………まるで真実がわからなくて。
【戦人】「馬鹿野郎ぉぉ……、……馬鹿野郎ぉぉぉ………。……お前の謎はさ、……捻り過ぎなんだよ……!! ……どうしてもっと、……簡単に、………言えねぇんだよ……。…馬鹿野郎ぉおおおおおおおぉおおおおッ!! うおおぉおおおおおおおおおぉおおおおおおおッ!!」
 悲痛の叫びが、……悲しみの大聖堂を、………満たす…。
 戦人に、真実を伝えることが出来なかった、悲しい魔女と。魔女の、真実を理解することが出来なかった、悲しい男と。その二人に、……戦人は怒りと悲しみの咆哮を繰り返す……。
 大聖堂に掲げられた時計は、1986年10月5日の24時を示す。全てが、………時間切れ………。
 ふざけるなよ、……そんなに難解な自慢の謎なら、…制限時間なんて設けるんじゃねぇよ……。
【戦人】「………いいや、……わかるぜ……。それほどのわずかな奇跡の中に、………お前は祈ったんだよな……。……お前も、………祖父さまと同じだったんだ。」
 絶対にありえない、砂浜に落としたビーズを見つけるような確率に、………奇跡の力を祈り、賭けたんだ………。
 だから俺は今、その奇跡に、確かに辿り着いたんだ。でも、……ベアトの時間が、……それを待てなかった…………。
 あとわずかでも、……俺が真実に辿り着くのが早かったなら。俺が、真実を視えていたならば……!! 例え時間切れの直前であっても、………俺はお前を、………救えたかもしれない…ッ!!
 しかし、今の俺は、……こうして無様に貫かれていて。……お前の残骸さえ、……抱いてやることが出来ない……!
 ……俺は、この太刀を引き抜こうと、……あるいは手を伸ばし、せめて遺灰だけにでも触れようと足掻くが、……どちらも叶わない。
【戦人】「……くそぉおおぉぉぉぉ……、畜生ぉおおおぉぉぉぉ………ッ!!!」
 …………その時、俺は自分の手の平に、黄金の輝きがあることに気付く。
 それは、…………黄金の蝶の、羽の1枚だった。その、小さな黄金のカケラだけが、………今の俺に触れることが許される、……ベアトの一部なのだ………。
 あらん限りの声で泣き、………俺はそのカケラを握り締め、…その拳を額に当てて、謝罪する。……なぜもっと早く、真実に辿り着けなかったのかと……。
 そしてそれを胸に当て、…………せめて、こんな形であっても、……二度と俺は、……真実を失わないことを、……約束する……。
 胸に手を当てる時、……その胸を貫いている太刀が俺の手首を切り、血を滴らせた。
 その血が、拳の中に染み、………きっと黄金のカケラを、……俺の赤い血で、浸した。それがきっと、……ベアトが伝えたかった真実に辿り着いたことを、彼女に伝える、……唯一の方法だったに違いない……。
 黄金の蝶の羽を、……鮮血の手で握り締め、………胸を貫く赤き太刀に押し当てる……。
 右代宮戦人は、……今こそ、知る。そして理解する。……この物語の、………全てに、……至る……。
 その時、……握り締める拳の隙間から、……黄金の光がわずかに零れた気がした。
 二人の魔女たちは背向け、そしてヱリカは戦人の亡骸を嘲笑っていた。
【ヱリカ】「……本当に無様ですね、戦人さん。あなたの愚かさを、石像にして永遠に……。………………え……?」
 その時、戦人の胸が、……いや、………戦人を貫いている赤き太刀が、胸の奥から、……黄金に輝き出す……。
 その眩い黄金の光は、………赤き太刀の色を、……黄金に染めていく……。
【ベルン】「…………何事……?」
【ヱリカ】「ば、……戦人が……、……これは、……何……?!」
【ドラノール】「………………ッ。」
【戦人】「がはッ…!!」
 戦人が血を吐いて呻く。
 その意識が、蘇る。生きる意志が、戦う意思が、蘇る…。
 戦人を貫いていた赤き太刀は、……もはやそれは正しい例えではない。…もはや、黄金の太刀となっている。
 そして、………ゆっくりと、……ゆっくりと、………戦人の胸より、…自ら、抜けていく……。
 とうとう戦人より自ら引き抜け、宙を舞ってから、……自らの主が誰かを知るように、それは戦人の眼前に突き立つ。
 床を這って呻く戦人は、黄金の太刀を掴み、……辛そうにしながらも、……ゆっくりと自らの足で再び、……立ち上がる。
【ベルン】「……手の込んだ演出ね。…これ、ラムダの隠し玉?」
【ラムダ】「そ、………その輝きって、…………ま、まさか………。」
 ラムダは、その眩い黄金の輝きに、両目を見開いて驚嘆している…。
 戦人の復活が、ラムダの描いた脚本でないことに気付き、ベルンもようやく、わずかに眉を歪ませる…。
【ベルン】「……悪いわね。再審は却下よ。シエスタ姉妹、その復活幻想を削除しなさい。」
【00】「了解であります。45、410、発砲許可。」
【45】「そ、……それが、……照準不能ッ!! IFFエラー、コード999…!」
【410】「………ひゅぅ。」
【00】「…999だと…、馬鹿な…!」
 シエスタ姉妹は戸惑い、ベルンカステルの命令を実行できないでいる…。
【ベルン】「ラムダ。これはどういう茶番よ。……完全に魔女幻想は打ち破られて、法廷は私の勝利に終わったはずよ。」
【ラムダ】「………悪いわね、ベルン。……もう少し付き合ってもらうわ。………そうでしょう、右代宮戦人……?」
【戦人】「……………あぁ。……待たせたな、ヱリカ。……ベルンカステル。……今度は、俺の真実の番だぜ……。」
【ラムダ】「再審請求を受理するわ。……魔女集会の、幻想法廷の閉廷は撤回されるッ!!」
【ベルン】「い、異議提出。すでに裁判は結審し、判決は公示されている…!」
【ラムダ】「異議却下…!! 如何なる判決も、新たな真実の前には霞む!!」
【ベルン】「異議提出!! 戦人はプレイヤーを追放されただけでなく、魔女の地位を持たない…! 上告する資格を持たない…!」
【ラムダ】「異議却下!! もうね、あるのよ、彼には。……絶対の魔女、ラムダデルタの名において認めるわ…。……右代宮戦人…! あなたを、新たな黄金の魔女、……いえ、………無限の魔術師、右代宮戦人と認めるわ…ッ!!!」
【ヱリカ】「……な、…何ですって……。……ば、……戦人が、………魔女の位を……?!」
 念願だった魔女の位を、戦人はあっさりと認められる。
 しかもそれは、仮初のものではない。……ラムダデルタの名による、正式、正当な認定だ。ヱリカは納得できないと顔を真っ赤にする…。
【ベルン】「………ふ、……うっふふっふっはっははははははっはァあ!! 最後の最後まで楽しませてくれるわ、あの子のゲームは…! いいわ、付き合ってあげる…!」
【ベルン】「ヱリカ、受けて立ちなさい…! あなたが私と築き上げた赤き真実は完璧よ…! 夏妃が犯人であるとする真実の構築は完璧だわ…! 絶対に戦人には崩せないッ!」
【ヱリカ】「む、無論です、我が主…!! 何の心配もありません! それよりシエスタ姉妹、我が主は射殺を命じていますよ?! いつになったら命令は実行されるんですかッ!」
【45】「エ、エラーコード999! りょ、領主照準には解除コードが必要です…!」
【410】「………にぇ。…だからあいつは、やると言ったにぇ。」
【ヱリカ】「領主…?! 誰が?! このカケラの支配者は誰?! 私です…!!」
【ベルン】「………領主……。……まさか………、……戦人が………?」
【00】「はい。右代宮戦人は、このカケラの正当な領主と認定されているであります…!」
【ラムダ】「えぇ、そうよ。……まだわからないの? あの黄金の輝きの意味が。………戦人はね、……至ったのよ。……全ての真実の最深奥にねッ!!」
【戦人】「……………………………………。」
【ラムダ】「だから戦人は、今やこの世界の、物語の、ゲームの全てを理解している。……それはつまり、ゲームの支配者の地位を得たということよ。……くすくす、それを信じたくないでしょう、ベルン?!」
【ベルン】「……く、………くすくすくすくすくすくす!! えぇ、信じたくもない…!! いいわ、戦人が本当に全てを理解したのか、試してあげるわ…!! ヱリカ!」
【ラムダ】「残念ね、ヱリカ。………せっかくこのカケラの領主に任命されたところだけれど、それを剥奪するわ。」
【ラムダ】「このカケラの新しい領主は、右代宮戦人よ。……くすくす、悔しい? ねぇねぇ、悔しい?! せっかく領主になれたのに、いきなり剥奪ッてどんな気持ち?!どんな気持ちッ?!」
【ヱリカ】「ぅ、…うわぁあああああああああぁあああぁあああぁぁぁあ!! 戦人ぁああああああああああああああああぁああッ!!! 私の推理を否定できるものなら、してみればいいでしょぉおおおおおおお!! そんなことは不可能ッ、不可不可不可不可不可不可不可不可不可不可不可ッ!! 私の構築した推理に隙はありません!! 夏妃が犯人であることは否定不能ッ!!」
【戦人】「………俺は夏妃伯母さん以外が犯人である推理を構築できる。……確かにお前の真実は否定不能かもしれない。……ならば同時に、お前の真実は、俺の新しい真実も否定できない……!」
 戦人は、魔術師に許された赤き真実で、それを断言する。
【ヱリカ】「な、……夏妃以外が犯人で…?! …は、……はッ!! どうやってッ!! ドラノールッ!! 戦人さんの妄言に付き合ってあげて下さい…!!」
 ……ゆっくりと、……ドラノールが歩み出る。
 その手には、……十戒の赤き太刀。脇差には青き小太刀。戦人の手には、……黄金の太刀が。
 ……両雄は、再び、………いや、今度こそ、……対峙する。
【ドラノール】「……………戦人、待っていマシタ。」
【戦人】「待たせたな。」
【ドラノール】「イイエ。あなたの帰りは、私の予想より早かったデス。」
【ヱリカ】「殺しなさいッ、ドラノール・A・ノックスぅううううッ!!!」
 ドラノールの姿が、瞬時に消える。普段の、ゆっくりとした重みある動作が嘘のように…!
 ……いや、赤き真実の太刀が描いた軌跡が網膜に焼きついている。その軌跡を辿る時間さえ与えず、……もう戦人の懐に…!
【ドラノール】ヱリカ卿の推理により第5のゲームは解決しマシタ。この推理による真実を覆す新事実は存在しマセン…!!
【戦人】他の解釈で異なる真実の提示が可能だ!! 異なる真実の並列により、両者の真贋を問う!!」
 閉ざされたこの世界では、異なる真実が同時に存在できる。そして、異なる真実が存在する限り、どちらの真実も、唯一の真実を主張することは出来ない。つまり、ヱリカの推理を覆せずとも、その信憑性を問い、………打ち勝つことによって、打ち破ることが出来る…!
【ラムダ】「ベルンの推理は完璧よ、簡単には覆せない。……でもね。ベルンの推理と互角の推理を提示できたなら、戦いは評決となる。即ち、いずれかの真実は打ち破られて否定されることがありえるッ!」
【ベルン】「………笑わせる脚本だわ…!! 悪魔の脚本はやはり、こうでなくっちゃ!!」
【ドラノール】「では問いまショウ!! 夏妃以外の誰が犯人という仮説デスカ!!」
 戦人の黄金の太刀は、赤き軌跡も青き軌跡も自在に描く。
【戦人】夏妃伯母さんの告白した、19年前の赤ん坊による復讐で構築可能だ。
【ドラノール】ノックス第1条。犯人は物語当初の登場人物以外を禁ズ! 第5のゲームより登場した人物に犯人は名乗れマセン…!!
【戦人】その19年前の赤ん坊は、最初から俺たちの中にいるとしたら? 例えば、……それが俺だとしたら?!
【ドラノール】ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ! あなたが19年前の赤ん坊であることを示す伏線はあったのデスカ!!」
【戦人】第4のゲームにおける、俺が、母親明日夢の息子でないとする赤き真実。第1のゲーム及び今回のゲームにおける親父の隠し事の気配。特に今回のゲームでは、俺の生まれに何か事情があることをはっきり明示している。
 戦人は、自らが19年前の赤ん坊であったと仮定し、……自ら犯人を名乗り、事件の再構築を宣言する。ドラノールは慎重に太刀を構えながら、互いの間合いを計る…。
 この世界の領主を継承し、無限の魔術師の位まで得た戦人の動きは、ニンゲンのそれの、常識を超えている。もはや間合いなど瑣末なことかもしれない。戦人たちの俊敏すぎる戦いは、もはや距離という概念を超越しつつあるからだ。
【ドラノール】「……まずは見事デス。戦人犯人説、……お聞かせ願いまショウ…!」
【戦人】「あぁ、聞かせてやる。それでも説明がつくことを、……夏妃伯母さんが犯人だと決め付けることは出来ないことを、俺が証明してやる…!」
【ヱリカ】「グッド!! あなたが犯人というなら、いくつもの矛盾が生じます! その矛盾が、あなたのか弱い真実を刈り取るッ! この私、探偵にして真実の魔女ッ、古戸ヱリカがッ!!」
 今度はヱリカが歩み出る。
 ……その手には、死神を想起させる鎌が現れる。自らの推理を脅かす一切を刈り取る、無慈悲なる鎌…!
 準メタ世界から、通常のメタ世界へ場面転換。大聖堂でドラノールに殺されている最中も、プレイヤーの戦人はもちろんここに座っていた。
【ヱリカ】犯行時刻は24時からの1時間しかありえない!! あなたはその1時間の間、ゲストハウス食堂にいます!! よって犯行は不可能です!
【戦人】死亡時刻が24時からの1時間の間と特定はされていない。よって、犯行は24時から午前1時までの間でなくとも可能だ…!
【ヱリカ】「いとこ部屋の殺人に限定します! 午前1時から事件発覚まで、いとこ部屋での犯行は不可能です!! ドラノール、今ですッ!!!」
【ドラノール】ノックス第8条。提示されない手掛かりでの解決を禁ズ。いとこ部屋で実際に犯行が行なわれたなら、手掛かりが提示されなくてはなりマセン。それが、朝まで室内の異常を監視していた探偵であるヱリカ卿に与えられなかった以上、犯行は不可能デス…!!
【戦人】事件発覚とは、俺が悲鳴をあげて全員が集まった段階のことだ。そこまでに殺すことが不可能であっても、それ以降に殺すことが可能だ…!!
 ヱリカとドラノールの二人掛りで交差する赤き真実を、戦人は青き一閃でまとめて弾き飛ばす…!
 ヱリカは目を丸くする。それはとんでもない暴言だからだ。……あの時点で、……まだ殺されていなかった…?! 首を切り裂かれた死体が、ごろごろと寝ていたのにッ?!
【ヱリカ】いとこ部屋の4人の死亡は赤き真実で宣告されている!! 魔女幻想のつもり?! あの時点で死んでいた譲治たちを、魔法概念で蘇らせたつもりッ?!」
【戦人】「なるほど、あの時点で死んでたと信じるお前にとっちゃ、まるで、死者が蘇らされるみたいに見えるだろうな…! ならこれはお前にとって魔法になるだろうぜ。………ならば、お前に一矢報いるのは俺じゃないッ!」
【ヱリカ】「ほざけッ!! 何度でも繰り返します!! いとこ部屋の4人の死亡は赤き真実で宣告されている!! そしてその遺体は大勢が確認していますッ!! そして全ての死体は検死を誤らないとすでに赤き真実で宣言済みです…!! これでも食らいやがれ、死者どもめッ!!!」
【ロノウェ】……その赤き真実が、何時の時点でのものか。お忘れですか、お嬢さん?
 激高の赤き弾幕を、戦人の正面に突如現れたロノウェが、魔法障壁で受け止める。
 ベアトが消失した今、彼ら悪魔にに現世に顕現できる力はないはず…。しかし、……彼はここに“い”て、……ヱリカの攻撃を涼しげにあしらう。
【ヱリカ】「きッ、…貴様は、……ロノウェ!! ど、どうやってここに…?! まぁいいです、好都合です、探す手間が省けました。この場で捕らえて、あんたも存在否定してあげますッ!!」
【戦人】「………譲るぜ。一つの傲慢なる真実で、全てを支配などできないことを教えてやれ。」
【ロノウェ】「イエス、ユア、マジェスティ。………では、…少しお相手しましょうか。どうぞ、お嬢さん?」
【ヱリカ】なら、あの赤き真実の死亡宣告は何時の時点でのものだというのですか?! それがあんたには特定できるって言うんですかッ?! 特定できない以上、事件発覚の時点での死亡宣告であることを否定は出来ませんッ!!
 ゲストハウス食堂は誤植。コンシューマ版では「あなたはその1時間の間、屋敷の食堂にいます!!」と修正されている。
【ロノウェ】この法廷が開廷した時、ラムダデルタ卿は宣言しておりますよ。24時を迎えての答え合わせと! ……死亡宣告は二日目24時、即ち、ゲーム終了時点のものです。そしてそれは、事件発覚後と呼ばれる、二日目朝以降の殺人を否定するものではありません…!
【ヱリカ】「では、あの時点で……犠牲者は生きていたと?! 首がばっくりと裂かれているのに?!」
【ロノウェ】それを、探偵殿はご覧になられましたかな…? 確かに全ての死体は、誰であっても検死を誤ることはないとなっておりますが、……死体でないものを、死体と言っていけないとは言われておりませんもので。
 ヱリカはがむしゃらに鎌を振るうが、ロノウェは優雅な仕草で、それを全て片手のシールドで捌いてしまう。
【ヱリカ】「じゃ、……じゃあ、あの時点では、誰も死んでない?! まさか、首に傷さえない?! だって、…じゃあ、どうして戦人は悲鳴をあげたんですッ?!」
【ガァプ】「足元がお留守だわ、お嬢ちゃん。………全てのゲーム開始時に、右代宮金蔵は死んでいる!
【ヱリカ】「え?! あッ、」
 ヱリカの足元に開いた漆黒の穴が、彼女を飲み込んでしまう。
 彼女には穴の向こうが見えただろう。……それは、この大聖堂の天窓より眼下を見下ろすのと同じ光景だった。
【ガァプ】「リーア!!」
【ワルギリア】「えぇ。」
 大聖堂の宙には、すでにワルギリアの姿が。そして、天より落下するヱリカを、ワルギリアの青く輝く神槍が真下より迎え撃つ!
【ワルギリア】……あなたの推理も顧みるべきではありませんか? 金蔵は存在しません。よって、あなたの推理の、遺体消失が破綻します。
【ドラノール】「道理デス。……金蔵以外の人物が、遺体を消失させねば破綻しマス。」
【ヱリカ】「ぐ、……ぎ、………ぐそぉおおおおおおぉ、この程度で、………ぐぎ…ぎ………!!」
 ワルギリアの青き神槍が、ヱリカを串刺しにして宙に磔にする。ヱリカは憎々しげにもがくが、それは容易に抜けるものではない。
 そして、その彼女を取り囲むように、……何か小さく素早いものが、大聖堂の壁を打ち鳴らして跳ね返りながら包囲する。
 そして一斉に7人が顕現した。
【ルシファー】「我らは煉獄の七姉妹…!! 主の仇、思い知れッ!!」
【ヱリカ】「……こンの、………文鎮風情が………!!」
【アスモ】譲治は死後、遺体は一切、移動されていない!
【ベルゼ】朱志香は死後、遺体は一切、移動されていない!
【マモン】真里亞は死後、遺体は一切、移動されていない!
【ベルフェ】楼座は死後、遺体は一切、移動されていない!
【サタン】源次は死後、遺体は一切、移動されていない!
【レヴィア】蔵臼は死後、遺体は一切、移動されていない!
【ルシファー】よって、遺体発見後に遺体が消失することはありえないッ!! 貴様の推理、遺体は金蔵が運び出したは、破綻する!
 実はずっと生きていて、二日目24時に爆弾で死亡していても通るということ。
 ワルギリアが以前に「誰が見ても、一目で死亡が確認できる」と言っているが、爆弾で粉々になった死体ならば(見つかるかどうかは別として)それは当然。
【ヱリカ】「うッをおおおおおおおおぉおおおお…!!! だから何だってんですかッ、金蔵以外でだって、死体の消失は……説明でき……、……ぅぐ、……ぉおおおおぉぉお!! 私がッ、…この私が推理の修正を……?! ぅううぅぐおぉおおおおおおおぉ!! この私がッ、探偵がッ!! うがあああぁあああああああああああああああッ!!」
 ……ヱリカならば、たとえ金蔵の存在を否定されても、多少、推理の構築を修正するだけで、この磔から逃れることも出来るだろう。しかし、……彼女には、一度構築した推理を修正させられることが、…………この上なく、……屈辱!
【ガァプ】「夏妃を追い詰めるためだけに、策を弄し過ぎたわね。」
【ロノウェ】「推理を遊びすぎましたな。……金蔵の死を赤き真実で語れるのは、今やあなたの主だけではありませんよ。」
【ワルギリア】「これが、魔女の闇を遊んだ報いです。……それを知りなさい、古戸ヱリカ…!」
【ヱリカ】「う、……ぐ、ぐ………ッ!!」
 もちろん、ヱリカとて金蔵の存在は最初から疑っている。しかし、その存在の否定は、あの法廷ではベルンカステルと、同調するラムダデルタの2人以外には不可能だった。そして、その2人が沈黙してくれるなら、金蔵の真実は、如何様にも変幻自在だったのだ。
 なのに戦人が、……魔女に、……魔術師になって、証拠不要で赤が使えるようになるなんてッ!! でも、それを証拠不要で反論できる異端審問官だって、こっちにはいるッ!!
【ヱリカ】「ドッ、ドラノぉおぉおぉおぉルッ!!!!」
【ドラノール】ノックス第2条!! 探偵方法に超自然能力の使用を禁ズ! 金蔵の死を、赤き真実で示すならば、それを構築するニンゲンの真実、証拠の提示を求めマス…!
【戦人】「……許せ、クソジジイ。」
【金蔵】「越え行け、戦人。我が屍…!!」
【戦人】証拠提示。右代宮金蔵と識別可能な遺体を提示する…!!
【ドラノール】その遺体が右代宮金蔵であると証明することは出来マスカ?! どれほど金蔵に酷似した遺体であろうとも、当人であることを証明できない限り、第三者の身代わり死体であるとの主張が可能デス!! それが金蔵の遺体であることをニンゲンの真実で示せマスカ?! 本件のみ、赤き真実のみでの反論を無効としマスッ…!!
【ラムダ】「……へぇ。赤き真実での反論を無効? そんな趣向もあるのね。」
【ベルン】「確かに、第三者の死体が存在しないことは、すでに赤で語られてる。しかし、それを赤で語ることを禁じられたら、……くすくす、戦人のヤツ、お手上げじゃない。うっふふふふふふふふ!」
【戦人】「そうだな……。この閉ざされた六軒島では、この死体が祖父さまのものだと示せる客観的な方法はない。
【ドラノール】それこそは、この遺体が替え玉死体である可能性の示唆です! この身元不明遺体が金蔵の死を証明するものにはなり得ません…!!
【ヱリカ】……チェックメイト…!! 我が推理は揺るぎませんッ!!
 ドラノールは、遺体提示による証明に赤き真実を封じている。……魔女の力を得た戦人とて、反論は不可能……!
【ベルン】「………赤き真実を封じられて、どうやってその死体を金蔵だと証明するの? 無理よ。…不可能だわ…!」
【ラムダ】「………赤と青なら、…ね……?」
【戦人】この死体が右代宮金蔵の死体であると保証する…!!
 あの、…ドラノールが、……戦人の黄金の一閃に、………赤き太刀と青き小太刀の双方で受けきれず、…宙に浮かされて吹き飛ぶ…! 見紛う事なき、……直撃。小さな巨人のような重量感を持って感じられた彼女が、初めて外見相応の華奢さで、吹き飛び、壁に叩きつけられる…!
【ヱリカ】「ド、……ドラノール?! あ、あんた何やって……、」
【ドラノール】「……見事な黄金の真実。………有効デス。」
【ヱリカ】「……お、……黄金の真実ッ……?!」
 赤や青の軌跡を描いてきた黄金の太刀が初めて、その神々しい黄金の輝きを、そのまま軌跡に描いたのだ。
 そして示される真実は、………赤でも青でもない。………黄金の、真実…!!!
【ベルン】「な、何それ…。ラムダ、こんなのはルールにあるの?!」
【ラムダ】「…………………。……えぇ。……黄金の真実、有効よ。黄金の真実は、……この世界の領主、……いえ、……ゲームマスターにしか使えないッ!!」
【ヱリカ】「な、……何ですって…………、」
【ドラノール】「……黄金の真実。赤き真実とは異なる方法によって紡がれる神なる真実。……その力は赤き真実と同等デス。……時に劣るでショウ。しかし、時に勝ル!!」
【ワルギリア】「その輝きこそが、……戦人くんが、本当にベアトを理解した証。」
【戦人】「………示したぜ。この死体が祖父さまであることを。」
【ドラノール】「ハイ。黄金の真実、……受理しマシタ。ヱリカ卿の推理は、修正に応じぬ限り、破綻しマス…!」
【ヱリカ】「そ、……そんな……。ぅ、あああああああぁああああああぁああぁぁああぁッ!!!」
 ヱリカが痛みに絶叫する。……体を貫かれる痛みではない。自らの推理を汚される痛みに…!
【ベルン】「………なるほど。……アクロイドが誰もいなくなったと思ったら。……これはいつの間にか、……………………。………くすくすくす、あっはははははははははははっはっははあははははッ!! とんだ傑作集だわッ!!」
【ラムダ】「戦人、それ以上を語るは野暮に過ぎるわ。あんたの、遺体消失の真実、もはやこれ以上語らずとも、完全に“理解”させてもらったわッ! なるほどね、あんたの考えてる“それ”は、これまでの法廷の全ての赤に矛盾しないッ! 19年前の男の復讐を軸にしたあんたの真実、その全て理解し受理したわッ!! あんたの真実の成立を宣言するッ!!」
【ヱリカ】「そ。そんな…?! どうしてですか、大ラムダデルタ卿!! あいつは、まだ全てを説明しきっていません…!! 秀吉の密室や、夏妃の自室の封印やクローゼットのボタンや、……まだまだ他にも反論の手段が用意してありますッ!」
【ラムダ】「……あんた。……まだ、戦人に反論できる気でいるの…………?」
【ヱリカ】「うぐ、……ぐぐぐぐぐ………ッ!!!!」
 普段、あれだけ知恵が回るはずのヱリカだけが、理解できない。……すでに戦人が、本当の真実に至っていることを、理解できない。
【戦人】以上により、祖父さまの不在は証明され、夏妃伯母さんの、祖父さまを巡る不名誉は返上されるッ!!
【戦人】夏妃伯母さんは純潔にして貞淑だ! 貴様ら好みの下劣な物語は許さないッ!!
【夏妃】「………ば、………戦人くん……!!」
【戦人】さらに。これまでの死者全員の死亡時間に疑義が生じる以上、夏妃伯母さん以外全員のアリバイは白紙に戻る…!!
【戦人】もはや、夏妃伯母さん以外に犯行が不可能であるとの論法は通用しないッ!!
 いつの間にか膝をついていたドラノールが、ゆっくりと立ち上がる……。
 その胸には、黄金の太刀の一閃が、まだ深々と刻まれている。表情に痛みを出さない彼女であっても、そのぎこちない動きが、雄弁にダメージの深さを物語る。
 それが、完全に勝負があったことを物語ると、本人が自覚していても。ドラノールは職務を捨てない…!
【ドラノール】されどあなたは、いとこ部屋にて、誤認不可能な遺体を確認されておりマス…! それが虚偽であったと仰るのデスカ?! …ノックス第7条、探偵が犯人であることを禁ズ!! 探偵は客観視点を義務付けられていマス。あなたの推理はこの義務に違反デス!!」
【戦人】探偵は古戸ヱリカだぜ、今回の俺は探偵じゃない!! そしてノックス第9条、観測者は自分の判断・解釈を主張することが許される…!!
【ドラノール】ノックス第8条、提示されない手掛かりでの解決を禁ズ! これまでのあなたは探偵デシタ! そのあなたが今回は探偵でなく、私見を交える観測者であったことは示されていたのデスカ!! それがない限り、あなたには主観を偽る権利はありマセンッ!!
【戦人】俺は今回のゲームで! 碑文の謎の仕掛けを解いた時。祖父さまを目撃している。……すでに赤で示されている通り、祖父さまは存在しない。その目撃は不可能だ! よって俺の視点に客観性がないことはすでに示されているッ!!
【ドラノール】それは風雨になびくシートか何かを、あなたが誤認しただけの可能性がありマス。ノックス第9条を示す伏線とはなり得まセン…!! 誤認は全ての観測者に許された権利デス!!
【戦人】第4のゲームにてベアトが示した赤き真実!! 全ての人物は右代宮金蔵を見間違わないッ!
 かつての俺の青き真実、“何者かが祖父さまに変装”して、祖父さまが現れたかのように偽装したと主張した際の、ベアトの反論の赤き真実だ。
 つまり、この島では、祖父さまのふりはもちろん、祖父さまに見間違うような一切の現象は、“絶対に通用しないのだ”。
 かつて夏妃伯母さんが工作した、祖父さまが生存しているフリは、常に親族たちの死角に匿い、ついさっきまでここにいた、あるいは今は一人で書斎にいる、等として、巧みに居るフリをして誤魔化したものだ。祖父さまと見間違えるような、何かの工作をしたわけではないから、これとは矛盾しない。もしこれを、使用人の誰かに祖父さまのローブを着せて…、なんてやろうとしたら、瞬時に看破されていただろう……。
 この物語の全ての人物は、“何かを祖父さまに見間違えてしまう”ことは、絶対にないと保証されているわけだ…! にもかかわらず、祖父さまを見たと主張するなら、それは“虚偽”になる。
 観測の虚偽は誰にも認められた権利だが、……ただ一人だけ許されていない人物がいる。それが、“探偵”なんだ…!!
【戦人】風雨になびくシートを見間違え、それを何であったと誤認して語るのも、ノックス第9条の権利だ。……しかしッ! 祖父さまだと誤認することだけは、赤き真実において、本ゲームでは許されていないッ!!
【ドラノール】「……金蔵を見たと主張された時点で、誤認識ではなく、意図的。……即ち、観測の客観性が否定されていることの証、…というわけデスカ……。」
 無意識に“見間違えること”は、ゲーム上、許されていない。しかし、意識的に、見てもいないモノを“見たと騙ること”は出来る…!! そしてそれは、公正な観測を義務付けられた“探偵”には許されない行為……。
【戦人】「暴論を許せ…。これで決着だぜ。」
【ドラノール】「イイエ。良いのデス。」
 …………あなたのような男が世界にいてくれたナラ。どのような傲慢からも、か弱き真実を守ってくれたに違いナイ。もっともらしい一つの真実が、か弱き真実たちを駆逐し、唯一の真実であると語る横暴から、……本当の真実を守ってくれたに違いナイ…!!
 戦人の黄金の太刀が、………天を割るように、巨大な青い弧月を描く。
【ドラノール】「あなたと戦えて良かったデス…!!」
【戦人】よって。今回のゲームにおける俺の観測は、第7条でなく、第9条に基づく…!! 祖父さまを見たと主張したことが、その証だぁああああぁあああッ!!!
 ……大聖堂に響き渡る鋼の音は、………ドラノールの太刀が床を転がる音。それを手放してしまった時点で、それは誇り高きドラノールにとって、投了と同じ意味を持つ。
 戦人の青き軌跡は、ドラノールの脳天を捉えつつも、………紙一重で止められていた………。止めなければ、ドラノールは、肉片も残さずに消滅していただろう。
【ドラノール】「………リザインデス。……あなたの真実の否定を、断念しマス…。」
【戦人】「借りは返した。……お前の親父に敬意を。……十戒は傲慢でも批判でもなかった…!」
【ドラノール】「ち、……父に、……敬意ヲ……………。」
 ドラノールはぺたりと、……床にしゃがみ込み、……完全に戦意を放棄する。
【ヱリカ】「な、……何やってるんですかッ、ドラノール!! 情けない、みっともないッ!! 間抜けなウスノロ殺人人形ッ!! あんたは自分の父の名誉に泥を塗ったわ、恥知らずッ!! それでもミステリーの楔?! 魔法に屈するの?! そんなの、ミステリーの歴史が許さないッ!!」
【戦人】「………お前こそ。……何もミステリーをわかってないな。……ミステリーが、相手を知的に見下すための凶器にしか見えてないなら。……お前に俺は、二度とそれを語らせないッ!!」
【ヱリカ】「……ば、………戦人ぁあああぁぁあぁ…ぁ……!!!」
【戦人】お前に相反する真実を宣言するッ!! 夏妃伯母さんは、19年前の男、即ち俺によって内線電話で脅迫されていたんだッ!
【戦人】その目的は、夏妃伯母さんを殺人犯に仕立て上げること…!! これは初めから、夏妃伯母さんに濡れ衣を着せるための復讐劇だ…!!
【ヱリカ】ちッ、違いますッ、夏妃が仕組んだ、右代宮家への復讐劇です!! あなたの推理は私と真っ向から相反しますッ!!
【戦人】「……お前のその青い槍、まだ抜けないのか?」
【ラムダ】「えぇ。そうね。ヱリカからは、まだ金蔵以外の理由での遺体消失を聞いていないわ。あんたの推理は現在、否定中だけれど?!」
【ヱリカ】「こ、こんな槍など、…………う、……ぐぅううぅ……!! 文鎮どもめ、……邪魔な………!」
 ……深々と貫く青き槍と、7本の赤い杭が彼女の推理を苛む。抜けない、………抜けない………!!
【ベルン】「……………修正と、ヱリカの推理の誤りを認めるわ。」
【ヱリカ】「そ、……そんな……、我が主ッ?!?!」
 苦痛に表情を歪めながら、槍から逃れようともがく姿に、ベルンカステルは呆れ果てたような表情を見せ、そう宣言する。
 それは事実上、敗北を、ベルンカステル自らが認めたものだ。自分の勝利を確信してくれなかった主を、ヱリカは驚愕と絶望の眼差しで見上げる…。
【ベルン】「……あんたのプライドなんて知ったことじゃないわ。いつまでその無様な姿を晒す気なの。……私と同じ青い髪を許された分身が、……いつまでそこで磔になっているつもり……? 私自らがやはり降臨しなきゃ駄目なのかしら……。」
【ベルン】「………やはり駒なんていらないわ。あぁ、面倒臭い面倒臭い七面倒臭い…。駒なんていらないわ、捨ててしまおう、あぁ、残念無念失望絶望期待外れの的外れ…!! ……早くしなさいよ、屑がッ!! お前のそのみっともない推理を修正しろって言ってんでしょうッ?!?!」
【ヱリカ】「ふッ、……あぅ…ッ…、……は、はい、我が主…!! 修正いたします…、我が推理を修正いたしますッ…!! くぅうううううううううううぅううッ……!!」
 ヱリカは屈辱に顔を歪め、ぼろぼろと涙を零しながら、主の命に従い、自らの推理を撤回、修正する……。
 ぶつぶつと小声で、いくつかの推理修正を青き真実で行い、それはラムダデルタに認められ、ようやく青き槍は砕かれて彼女を解放した……。その青き真実は、確かに一応、遺体の消失を説明はするが、……苦し紛れであることが隠せない、推理としてみすぼらしいものだった。
【ヱリカ】「………我が主……。………ぬ、……抜けました………。…我が推理は、………完璧です……。」
【ベルン】「どこが? 無様この上ないわ。………でも許してあげる。あんたのその顔と推理が、とッても情けなくて笑えるからッ。くっすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす!!!」
 主に醜い形相で嘲笑われるヱリカ。床を掻き毟りながら悔し涙を零す。その前に、庇うように手負いのドラノールが歩み出て、ベルンカステルと、そして戦人に言う。
【ドラノール】「……どれほどみすぼらしかろウト。……修正されたヱリカ卿の真実は、有効デス。」
 金蔵以外が遺体を運び出したと主張することは可能だが、「遺体は一切、移動されていない」と言われてしまうとそれでは抜けられない。
 夏妃がゲストハウスで殺したとする前提を変えないのであれば、「ゲストハウスには部屋を誤認させる仕掛けがあった」等のトンデモ説で抜けるしかないだろう。
【戦人】「あぁ、そうだ。俺の真実に関係なく、お前の真実も同時に存在する。……それが、この世界だ。誰にも否定できないから、いくつでも、どんなに相互が矛盾しても、それらの真実は同時に存在できる。ここでは、想像の数だけ真実があっていいんだ。それを、誰も一方的に否定してはならない…!」
【ドラノール】「ハイ、そうデス。……ヱリカ卿の真実は、私が誰にも否定させマセン。」
【ヱリカ】「ド、……ドラノール………。」
【ドラノール】「このドラノールある限リ。その真実をお守りいたしマス。……どんなにみすぼらしくとも、私はその真実を嘲笑いはしマセン。」
【ヱリカ】「ぅ、……うううぅううううううぅぅ!!」
 ……見下していたはずのドラノールの言葉に、ヱリカは床を再び掻き毟って嗚咽を漏らす。
【戦人】「そして。唯一の真実が存在しない限り、全ては闇の底だ。……即ち。俺の推理もヱリカの推理も、否定不能であると同時に唯一の真実でもない。否定できないが、絶対でもない、あやふやなものだ…!!」
【戦人】「確定しない以上、魔女幻想はまだ存在してる。………それを暴くことが許されてるのは、ヱリカでなければ貴様らでもない。……この俺だけだッ。俺以外に、ベアトリーチェの魔女幻想は暴かせないッ!!!」
【ラムダ】「判決を変更…!! 右代宮戦人の示した真実により、ヱリカの真実の唯一性は失われた! しかし、ヱリカの真実は否定不能! よって、二人の真実は並び立つ! 第5のゲームの決着を撤回!」
【ラムダ】「ゲームはイーブンに戻るわ!! そして、ゲームマスターは私から、黄金の魔術師、右代宮戦人に移るッ!!」
【ラムダ】「右代宮戦人、前へッ!! あんたを新しいゲームマスターに任命するわ!! 承諾する? するわよねッ?! しなさいッ、新しい無限の魔女ッ!!!」
【戦人】「ああッ!! 俺が新しいゲームマスターだ!! 第6のゲームは、俺が紡ぐ…!!」
【戦人】「ヱリカ、今度こそ俺と決着をつけようじゃねぇかッ!! 立てッ!!」
【ヱリカ】「……え、……えぇ、……立ちますとも……。……この屈辱…、……晴らす機会を与えたことを、後悔させましょう……ッ!!! 我が主、第6のゲームにて、もう一度戦人と戦う機会をお与え下さいッ!!」
【ベルン】「…………えぇ。もちろんよ、チャンスをあげる。」
【ラムダ】「あら、すごいわね。“あなたがチャンスをあげるなんて”。これって奇跡じゃないの? 奇跡の魔女、ベルンカステルぅ。」
【ベルン】「………ヱリカ。奇跡的にあなたは命拾いしたわ。……第6のゲーム、…戦人のゲーム。………何としても暴きなさい…。忘却の闇に捨てられたくなければねッ!!」
【ヱリカ】「はッ、はい、我が主…!!! ………ド、……ドラノール…っ。」
【ドラノール】「無論デス。次なるゲームにても全力を尽くしマス。」
【ヱリカ】「う、……うふふふふふふふ!! もう客人のふりはしませんッ。……私とドラノールで、あなたのゲームを引き裂いて見せますッ!!」
【戦人】「あぁ。招待してやるぜ、俺の第6のゲームにな…!! 悪いが、タイトルはお前の付けた、チェックメイト・オブ・ザ…、ではなくなるぜ。」
【ヱリカ】「あなたのゲームです。あなたが名付けるといいでしょう! その挑戦、望むところですッ…!! 私は古戸ヱリカ、魔女である以前に、…………探偵ッ!! あなたがこのゲームの新たな支配者であることを認め、……そして宣戦布告しますッ!! 絶対に、……絶対に暴いてやるッ!! 殺してやるッ!! 黄金の魔術師、右代宮戦人ッ!!!」
【戦人】「あぁ、存分に掛かって来い!! 古戸ヱリカぁあああああああああああああああぁああああああああぁああぁぁぁぁあ!!!」
 見ていろベアト。お前のゲームは、……俺が引き継ぐッ!! そして、お前の謎を全て完全に理解したことを、次のゲームで証明してやる…!!
 「想像の数だけ真実があっていい」とは言うものの、このゲームはほぼほぼ一つの解答に収束するように作られているのも事実。ともすれば、より説得力のある推理を受け入れず、怪しげな自説に固執する言い訳に使われてしまうのが難しいところ。