……………気付けば、静寂だった。薄暗い。でも、……広大だった。
……ここは、…………一体…………?
気付けば自分は、狭いソファーのようなものに座っていた。とても窮屈で、同じものが横にずらりと並び、……その列がいくつもいくつも。
それに気付いた時、そこが劇場であることに気が付いた。
【理御】「…………ここは、………一体………。」
いつから自分がここにいるのか、わからない。そしてそれ以上に、ここがどこなのか、わからない。
……ベアトリーチェの葬儀を終えて、みんなで屋敷に戻り……。………そこから、記憶が霞んで、何も思い出せない。
その時、人の気配がして驚く。この広大な劇場の客席には、どうやら自分ひとりではなかったらしい。
……音がしたのは、自分の席の真横。見れば、左に数席を空けた席に、女の子が座っていた。
その顔に、見覚えはない。……誰だろう。歳は、自分と同じくらい。高校生か大学生くらいに見えた。
「……………ん………。」
彼女が呻く。どうやら、今、目を覚ましたらしい…。
彼女を驚かせたくないので、先にこちらから挨拶をしておくことにする…。
【理御】「………こんにちは。」
【縁寿】「…………………ッ!!」
彼女もまた、誰かいるとは思わなかったらしい。私の挨拶に飛び跳ねた。
【縁寿】「……誰、あんた。」
【理御】「私も同じ気持ちです。……どうやら、私たちは、望まずしてここにいるらしい。」
【縁寿】「……………それ、片翼の紋章…?」
【理御】「え? ……この紋章をご存知なんですか。」
彼女は私の襟元に刺繍されている片翼の紋章に、怪訝な目を向ける。敵意とは言わないまでにも、露骨なその目つきは、あまり心地良くはない。
【理御】「先に私が名乗りましょう。……私は右代宮理御と申します。」
【縁寿】「右代宮、……え? 何?」
【理御】「理御です。理科の理に、御するの御でリオンと読みます。……珍しい名前でしょう。」
【縁寿】「……名前の珍しさなら、私も負けないわ。でも、ごめんなさい。私はあんたを知らないわ。」
【理御】「道理でしょうね。私もあなたを知りませんから。」
【縁寿】「そうじゃなくて。あんた誰? 右代宮家にあんたなんかいないわ。」
【理御】「どうして、そう決め付けられるんです? あなたは当家と何か関わりが?」
【縁寿】「私が右代宮家の人間だからよ。」
【理御】「………それは、」
彼女が左の袖を見せると、……そこには片翼の鷲の紋章が刺繍されていた。
【理御】「……お言葉を返すようですが、あなたこそ誰です? 右代宮家で、あなたを見たことがない。」
【縁寿】「……………………………。……細切れにされたり、朗読させられたり。………次は何? 今度はどこの魔女の余興なの、これは。」
何かに悪態をつくような素振りで、彼女はそう吐き捨てる。
【縁寿】「縁寿。……私は右代宮縁寿。留弗夫と霧江の娘よ。」
【理御】「え?! え、……縁寿ちゃん……?! だって、縁寿ちゃんはまだ6つのはず……。」
【縁寿】「…………私が6つだったのは、六軒島で最後の親族会議があったあの年の話よ。……なるほど。あんたが、1986年の人間であることはわかったわ。私は18よ。そして1998年の人間。」
【理御】「つ、つまり、……12年後の未来の、……縁寿ちゃん……?」
【縁寿】「納得してもらえて嬉しいわ。でも申し訳ないことに、私にあなたの心当たりがないの。……あなたは誰? 親は?」
【理御】「父は蔵臼。母は夏妃です。」
【縁寿】「それは朱志香お姉ちゃんだわ。」
【理御】「朱志香は妹です。」
【縁寿】「…………………………。……どういうこと? 朱志香お姉ちゃんは一人っ子じゃなかったの…?」
この頃には、縁寿のおかれた状況が、少しずつわかるようになっていた。……多分、彼女は、私が魔女として目覚めた、理御の存在しない世界の縁寿なのだろう。
【理御】「説明するのは難しいですが、……こう思って下さい。あなたの知る世界とは別の世界では、私も右代宮家の人間なんです。あなたの世界での私は、別の運命により別の人生を歩み、右代宮家の人間として生きてはいないのです。」
【縁寿】「……………あんた、魔女なの……?」
【理御】「残念ながら、普通の人間です。……今の話は、魔女のベルンカステルさんに教えられたことです。」
【縁寿】「………ベルンカステル? あの、青い長髪の、根暗そうな顔した…?」
【理御】「え、……えぇ。多分、そんな容姿だったと思います……。」
【縁寿】「………つまり。私はまた、魔女の茶番に付き合わされてるわけね。……ここは一体?」
【理御】「私もさっき目を覚ましたばかりです。……ここはどこでしょう。」
【縁寿】「劇場に見えるわ。……何かを観劇しろ、ってのかしら。」
【理御】「……今はそういう気分ではありませんね。出口を探しましょう。」
【縁寿】「…………気付いてないの? これ。」
【理御】「え? ………………あ、これは……。」
ジャラリ。今さら気付く。両手首と両足首が、鎖のようなもので繋がれているのだ。席に座っている限り、ある程度の自由はあるが、ここを立ち去る自由は、まったく与えていないようだった。
【理御】「……いつの間に…。………誰がこんなことを……。」
【縁寿】「…………魔女の駒に堕ちたら。永遠にあいつらの玩具よ。……逃げられない。」
縁寿は、ジャラリと鎖を鳴らしながら、足を組みかえる。どう足掻いたところで、鎖は外せないのだ。……慌てても、何も始まらない。大した肝の据わりようだった。
【理御】「魔女の駒とは?」
【縁寿】「……あいつらの奴隷みたいなもんよ。……私は取引したの。……家族に会いたい、あの日から連れ戻したいって。魔女は、その可能性を与える代わりに、私を魔女の駒としたわ。………少なくとも、魔女は約束を守ったわね。お兄ちゃんに会うことだけは、出来たんだし。」
【理御】「………戦人くんのこと……?」
【縁寿】「縁寿だと名乗ることも出来なかったけどね。……そして、そのささやかな時間と引き換えに、私は今もこうして、魔女の玩具箱の中から永遠に抜け出せない。……どうやら、あんたもそのお仲間のようね。……何を契約したの?」
【理御】「私は、何も……。」
【縁寿】「何かを魔女に望んだんじゃないの?」
【理御】「何も。………私という存在が、どれだけ奇跡であるかを、教えてもらいました。それだけです。」
【縁寿】「………何れにせよ、私たちはここから逃れられない。……さぁ、魔女たち! 今度はどんな余興を見せてくれるの?! 朗読の次は観劇? 今度は私が誰かの朗読を見るって言うの?! ならば始めてちょうだい。私はとっくに退屈しているの!」
縁寿は真っ暗な舞台に向かってそう叫ぶ。声は残響し、誰も答えてはくれない……。
……いや、誰かが答えた。それも、劇場中に響き渡るような声で。でもその声はとても芝居がかっていて、まるで、演目の始まりを告げるかのようだった。
「あの日に何があったかって? 教えてなんてあげないわ。ヘソでも噛んで死んじゃえばぁ?!」
【理御】「………この声は…?」
【縁寿】「あのババアよ。絵羽伯母さんの声だわ。」
【理御】「あの日に何があったか、とは?」
【縁寿】「……1986年10月4日から5日の2日間。……六軒島で、最後の親族会議が行なわれた日のことよ。」
【理御】「今日、……ですね。」
1986年10月4日は、今日のことだ。親族会議に先立ち、まずベアトリーチェの葬儀が行なわれていた…。
【縁寿】「驚いたわ。あんたは、1986年の10月4日から来たって言うの? 教えて。一体、この2日間に何があったの…!」
彼女の求める答えは、猫箱の中だ。自分にも、悲しい想いのすれ違いがあっただけだとしか、話せないだろう。しかし、その説明で彼女が納得するわけもない。
するとその時、……眩しい光が一筋、舞台を切り裂いた。
そこには、白い人影が立っていた。………その白いドレス姿は、紛れもなく、クレルだった。
縁寿は当然、面識はない。一体、誰かと訝しがっている。
しかし、私も違和感を覚えた。……彼女はつい先ほどの葬儀で、未練を全て絶って、その魂を現世から送り出されたのではなかったか…?
舞台の中央にぽつんと立ち、鋭い明かりに照らし出される彼女の表情に、生気はなかった。
明かりが次々に増えていく。彼女をますますに激しく照らし出し、見ているこっちも目が眩むほどになる。
世界は目を開けていられないほどの光で埋め尽くされ、風の音のようにも、テレビのノイズのようにも聞こえる大きな音までもが埋め尽くし、……私たちの意識は遠退いた…。
メタ劇場は本編中に何度も出てきたが、理御がこの階層に上がってくるのは初。
また、縁寿の認識はEP6で止まっており、先ほどの答え合わせは観ていない。
【秀吉】「はー……! 今年も見事に咲いたもんや!」
【留弗夫】「これを手入れするのは大変だろうぜ。愛でるだけの俺たちゃ、楽なもんだ。」
【霧江】「くす。同感ね。手入れしてくれる人たちに感謝しなくちゃ。」
【絵羽】「でも、ちょっと品がないのよねぇ。兄さんが変に手を加える前の方が素敵だったわ。」
【楼座】「昔のも昔ので、味わいがあって良かったわよね。」
【真里亞】「うー! 真里亞、薔薇好きー! トゲがなければもっと好きー! うー!」
【戦人】「ひゃー! 懐かしいな、この薔薇庭園! この6年ですっかり忘れてたぜ…!」
【譲治】「もうそんなになるんだね。この薔薇庭園も、そして戦人くんも、本当に見違えたよ。」
【朱志香】「あ、紹介するよ! 使用人の嘉音くん! 戦人とは初対面だよな?」
【嘉音】「……初めまして。」
【戦人】「俺のことは戦人って呼んでくれよな! よろしく頼むぜ!」
【朱志香】「今日は紗音もいるぜ。一緒に遊んだの、覚えてる?」
【戦人】「あー…、紗音ちゃん! すっかり忘れてたぜ、懐かしいなぁ! 元気にしてるかい!」
【譲治】「この6年で、ますます綺麗になったよ。後で挨拶するといいよ。」
【真里亞】「紗音は譲治お兄ちゃんと仲良しなの! うー!」
【朱志香】「真里亞、シー! それは内緒なー!」
【郷田】「それでは皆様、そろそろゲストハウスの方へご案内致します。」
親族たちは、薔薇たちの歓迎をたっぷり楽しんだ後、郷田の先導でゲストハウスへ向かって行った……。
1986年10月4日。六軒島。理御のいない世界。……右代宮家、親族会議の日。
食事を終えたら読むように言われた、と真里亞が言い出して読み上げた、謎の手紙。黄金の魔女ベアトリーチェを自称する、その手紙の主は、親族たちを挑発する。碑文の謎を解いてみせよ。さもなくば、全てを頂戴すると。
それは、いつものゲームと同じ、……ベアトリーチェのゲームの開会宣言文。
遺産相続問題に、未知なる人物が登場? 200億円の黄金の隠し場所は何処に? この手紙の意図は? 一体何の目的で? ベアトリーチェとは一体、何者なのか?
いくつもの疑問と疑心暗鬼が交錯する、………いつのゲームでも変わらぬ、10月4日の晩餐。
【楼座】「譲治くん。申し訳ないけど、みんなと一緒にゲストハウスに戻っててくれるかしら。ごめんね。」
【夏妃】「……紗音。子供たちをゲストハウスへ。私たちはこのまま親族会議に入ります。」
【紗音】「は、はい。畏まりました…。」
【蔵臼】「黄金の魔女、ベアトリーチェか……。味な手紙を寄越してくれるじゃないか…。」
【絵羽】「碑文を解いてみろですって…? ふざけたことを。あの黄金は私たちのものよ。部外者なんかに譲って、堪るものですか…!」
【留弗夫】「……あの黄金さえ見つかりゃ、俺たちは全員ハッピー。誰も損がねぇんだがな。」
【譲治】「行こう、みんな。ここからは大人の話だよ…。」
【戦人】「……やれやれ。ややこしそうな話だぜ。」
【朱志香】「ほら、真里亞…。行くぜ……。」
【真里亞】「ベアトの儀式が始まったね……。きひひひひひひひ……。」
【紗音】「それでは皆様…、ゲストハウスへご案内します……。」
【理御】「………これは……、何でしょう……。」
【縁寿】「過去のゲームの何れかの再演か、……さもなくば、新しいゲームでしょうね。どのゲームであっても、10月4日はほとんど同じ展開だから。」
【理御】「……新しいゲーム? これまでのカケラにない物語ということですか?」
【縁寿】「私たちを、鎖で縛り付けてまで見せたものが、すでに知っているゲームのわけがない。……新しいゲームだと考えるべきでしょうね。ならば、ゲームマスターがいるはず。……それは誰? ………あいつ? ベルンカステル……?」
【理御】「私には、……そうとは思えません。……クレルはもう消え去ったはずなんです。新しい物語を紡ぐ必要性がないはず…。」
【縁寿】「ベアトのゲーム盤なんて、…とっくの昔に性悪魔女どもに乗っ取られてるわ。ベアトでさえ、あいつらのゲームの駒でしかない。」
【理御】「……一体、これは何のつもりで、……誰の仕業なんです。私たちに、何を見せたいんだ……。」
この物語が始まる前。確かに舞台の上には、クレルが姿を現した。
彼女こそは異なる運命の世界の、自分の分身であり、ベアトリーチェのゲームという物語の語り部だ。
しかし、彼女はその全てをウィルに託し、謎の全てを解かれたはず。その彼女にはもはや、新しい謎掛けをする必要などないはずなんだ……。
………では、この物語は、ベルンカステルが私を試している…?
私は、少なくともウィルと一緒に物語の深部に触れ、犯人の心まで理解した。その自分からすれば、たとえ未知なる物語であったとしても、謎は見破れるだろう。
………それが、私の役目なのか……? 縁寿に、物語の真相を教えるのが、自分の役目……?
【理御】「……あなたは、知っているんですか。……この物語の、真相を。」
【縁寿】「いくつかの仮説は考えてるわ。でも、どの説にも最終的な答えは出せない。真相はいつも猫箱の中。断定は出来ない。」
この世界では、縁寿はこの日、欠席している。だから、この日、何があったのかを知らないのは当然だ。でも、自分は少なくとも、犯人が誰で、この日に何を行なおうとしているか知っている……。
【理御】「………やっと。自分の役目がわかった気がします。」
【縁寿】「どういう意味?」
【理御】「どうやら、あなたは観劇者で、私は解説者のようです。」
【縁寿】「何を解説してくれるというの。」
【理御】「私は、………これから起こる事件の犯人を、知っているからです。」
【縁寿】「何ですって………。」
【蔵臼】「普通に考えれば。……何者かが私たちに碑文を解かせ、横取りを狙っているようにしか思えんがね。」
【留弗夫】「同感だ。先に解いたならネコババしちまえばいいだけの話。わざわざ俺らに、解いてみろなんて挑発するかってんだ。」
【絵羽】「使用人の誰かの悪戯だわ。あわよく黄金が見つかったら、ご祝儀にお零れがもらえるかもしれないっていう、さもしい考えに違いないわよ。」
【夏妃】「当家の使用人の中に、そんな人間がいるとは思えません…。」
【楼座】「……あるいは、使用人のふりをして、私たちの中の誰かが差し出した手紙だったりして。」
【絵羽】「それを言ったら、一番怪しいのはあんたでしょうが。真里亞ちゃんに一芝居打たせて、あの手紙を読ませたんじゃないの?」
【楼座】「わ、私はそんなことしないわよ…!」
【秀吉】「よさんか、絵羽。決め付けたらあかんで。今はみんなで結託して相談し合う時やないか。」
【霧江】「そうね。あの怪しげな手紙は、私たちの結束を乱すのが狙いでしょうね。踊らされれば踊らされるほど、ベアトリーチェなる差出人の思う壺だわ。」
【蔵臼】「霧江さんの言う通りだね。あのような手紙など、初めから意に介さないくらいが丁度いいのではないかね?」
【夏妃】「私は最初からそうだと言っています。こんなの、取るに足らない悪戯です!」
【秀吉】「そやな、まったくその通りや。おかしなクレームの一件や二件でビクついてたら、商いはやってられんで!」
【絵羽】「主人の言う通りだわ。こんな子供騙し、真面目に考えるだけ損だわ。本当に遺産騒動に絡みたい何者かなら、手紙なんて遠回しなことをせず、堂々と姿を現せばいいんだし。」
【留弗夫】「だな。俺たち以外に遺産を要求している人間がいると思わせて、お零れを預かりたいってヤツがいるんだろうぜ。」
【楼座】「……遺産問題に口を挟まない代わりに、口止め料を寄越せとか言い出すのかしら。」
【霧江】「それを言い出すなら、もう手紙に書いてるはずだわ。」
【蔵臼】「手紙の内容は、碑文を解いてみろ、さもなくば全てを頂く、なる挑戦状だけだ。」
【秀吉】「犯人は、わしらに碑文の謎を解かせたい! それ以上でも以下でもないっちゅうことやな。」
【留弗夫】「つまりよ。こんな手紙、気にしたら負けってことだぜ。」
【蔵臼】「うむ、同感だ。……まるで、推理小説のようなミステリアスな演出だったので、ついつい私たちも面白がってしまった。……はっはははは。我々も余裕がないね。」
【夏妃】「しかし、誰がこんな手紙を。……腹立たしいことです。」
【絵羽】「使用人じゃないなら、私たちの中の誰かが書いたんでしょうよ。誰とは言わないけれどね?」
【楼座】「よ、よしてよ。本当に私は知らないの…!」
【秀吉】「まぁまぁ。しかし、手紙の言うことも一理あるっちゅうもんや。……わしらは誰も彼もカネが欲しいんや。それも出来たら今すぐや。それに異論がある者はおらんやろ…?」
【留弗夫】「……そりゃそうだ。カネと愛は、いくらあっても困らねぇぜ。」
【蔵臼】「親父殿の遺産は、いつ転がり込んでくるかわからない。……しかし、碑文の黄金は違う。見つかれば直ちに山分けだ。」
【絵羽】「ある意味。お父様の遺産以上に、目の前にあるカネだわ。」
【楼座】「碑文の謎が解ければの話だけれどね……。」
【霧江】「……ここにいる皆さんも、碑文の謎には、それぞれ挑戦されたんでしょう?」
霧江が一堂にそう問い掛けると、全員が無言で頷く。
【霧江】「ここには、出題者であるお父さんの血を引く人間が4人もいながら、それぞれがバラバラに謎に挑戦してる。効率的ではないと思わない?」
【留弗夫】「……だな。俺たちは、それぞれが欲の皮を突っ張らせて、単独に謎解きをしてた。……しかしだ。黄金発見時の分配等については、もう俺たちの中で決着がついている。そして、兄貴が次期当主であることを認める、ってのもな。」
【蔵臼】「それを引き換えに、ずいぶんと吹っ掛けてくれたがね。」
【楼座】「………私たちで協力して謎解きをしたら、あの碑文も解けるかしら…。」
【霧江】「三人寄れば文殊の知恵。それどころか、私たちは七人もいるわ。」
【絵羽】「お父様の遺産問題については、私たちは今日、概ねで合意を得ているわ。……余興のつもりで、碑文に挑んでみるのもいいんじゃないかしら。」
【秀吉】「せやな。一服のつもりで、ちょいとやってみるのもええんとちゃうか。」
【夏妃】「……馬鹿馬鹿しい。隠し黄金などと……。」
【留弗夫】「まぁまぁ。余興だと思ってよ。郷田さんに、冷たいモンでも持ってきてもらおうぜ。一服しながら、たまには兄弟水入らずで、謎解きごっこをしてみようじゃねぇか。」
【蔵臼】「ふむ。どうせ夜は長い。親父殿の寿命について、下らない詮索をするより、よっぽど建設的だと思えるね。」
【楼座】「郷田さんに電話するわ。何か持ってきてもらいましょうよ。」
【絵羽】「お茶とお菓子と。……あと、台湾の地図でも持って来させる?」
薔薇庭園の東屋には、二人の人影があった。……譲治と紗音の逢瀬だった。
【譲治】「この指輪を、受け取って欲しい。」
【紗音】「じょ、……譲治さま……。」
【譲治】「君を生涯、愛することを誓う。……若い今だけじゃない。老いて、お墓に入るまでの全てを愛し、君を幸せにすることを誓うよ。」
【紗音】「……その言葉に、嘘偽りはありませんか。」
【譲治】「あぁ、ないね。僕には、君を愛し、幸せな家庭を作る絶対の覚悟と自信がある。」
【紗音】「その、幸せな家庭とは、どんなものですか。」
【譲治】「うん。それは、とても幸せな家庭だよ。車と庭付きの家。そして飼い犬が一匹。庭には家庭菜園。子供たちが駆け回り、僕たちはバルコニーから微笑ましそうに見下ろすんだ。それが、僕たちの未来の日曜日の、当り前の光景だよ。」
【紗音】「それは、素敵な光景ですね……。」
【戦人】「ええーー!! あの二人、付き合ってるのかよ?!」
【朱志香】「シー! 声が大きいって! 真里亞が起きちゃうだろ…?!」
【戦人】「そ、そうか。そうだったかー…。言われてみれば、何となく、今日もあの二人、いい雰囲気だったしなぁ。……そうだよなぁ、俺たちももう、恋をする年頃だもんなぁ。」
【朱志香】「この6年で、私たちはずいぶん変わったぜ。譲治兄さんも、昔は頼りない感じだったけど、今は違う。」
【戦人】「それは思ったぜ。譲治の兄貴、ずいぶんと貫禄が出てたもんなぁ。」
……しかし、紗音ちゃんと譲治の兄貴ねぇ。ちょっぴり意外だった。6年前は仲良く遊んでいたが、それほど二人に接点があるようには思えなかった。
【戦人】「……なるほどなぁ、6年だもんなぁ。」
【朱志香】「この6年は、誰にとっても大きいぜ。」
【戦人】「だな。……俺もこの6年、色々あって、正直、六軒島のことはほとんど忘れてた。」
【朱志香】「まぁ、私も戦人のこと、ほとんど忘れかけてたけどなー。」
【戦人】「そりゃ酷ぇぜ、いっひっひ〜!」
こうしてお喋りしていると、みるみるお互いは、6年前に戻っていく気がする。すっかり忘れてしまうほど長い、6年間。だけれども、こうしていると少しずつ蘇ってくる、6年間。
………紗音ちゃん、か。6年前には、仲良しグループに混じってて、一緒に色々と遊んだっけ。俺、あの頃、ひょっとしたら紗音ちゃんのこと、……好きだったかもなー。自意識過剰で、恋に恋してたお年頃だ。
キザったらしい、浮ついた言葉で悪ふざけをしていた、甘酸っぱい記憶が蘇る。
【戦人】「……懐かしーぜ。今だったらとても言えねぇような恥ずかしいことを、いっぱい言っちまったような。……かーっ、思い出しただけで赤面しちまうぜ!」
【朱志香】「ひっひっひ。紗音はそそっかしいけど、記憶力はいいからなー。後でこっそり、昔の戦人の恥ずかしい黒歴史を聞いちゃおっと。」
【戦人】「よ、よせやい。6年経ってるぜ、さすがに時効だろ…!」
……そっかー。紗音ちゃん、譲治の兄貴と付き合ってるのかー。…………………………。何だよ、俺。ひょっとして、妬いてる?
今さら気付くけど、……当時の俺と紗音ちゃんのあれってやっぱ、俺の初恋だったんだろうなー。ま、再会するまで、ケロリと忘れてた俺には、妬く資格なんてありゃしねぇな。
【留弗夫】「親父の故郷が、台湾、大正町であることは、誰もが知る事実だ。」
【蔵臼】「親父殿は今も時折、台湾を懐かしんでビンロウを噛んでいるよ。若い日に、煙草の代わりに覚えたらしい。」
【楼座】「……でも、鮎が泳ぐ川なんて、いくらでもあったと思うわ。」
【絵羽】「鮎釣りの有名な渓流などいくらでもある。……鮎なんて、水さえ綺麗ならどこにだって住んでたでしょうよ。お手上げだわ。」
【秀吉】「お父さんが子供の頃に遊んだ、近所の小川かなんかとちゃうか。鮎っちゅうとるが、案外、フナ程度のことかもしれんで。」
【霧江】「……あるいは、何かの比喩かもしれないわ。川が、水の流れる川とは限らないかも。」
【夏妃】「水の流れない川とは…?」
【霧江】「さぁね……。…何のことやら。」
【留弗夫】「霧江が言うのも一理ある。故郷を台湾と決め付けるのも、鮎の川が、水の流れる川と決め付けるのも、何もかも早計ってわけか?」
【秀吉】「そう言われちゃ、お手上げやで。こら、考えれば考えるほどに、難解ななぞなぞや。」
【絵羽】「………そうよ。これはきっと、なぞなぞなのよ。……霧江さんの言う通りだわ。頭を柔らかくして考えるべきなのよ…。」
【楼座】「大正町に近い川って言うと、………淡水河かしら…。」
【絵羽】「あんた、話、聞いてるのぅ?! 水の流れる川とは限らないって話をしてんでしょうが! その川が鮎の川だって保証はあるの?!」
【楼座】「そ、そうよね、……ご、ごめんなさい…。」
【留弗夫】「……まぁ、多分、鮎も泳いでたろうぜ。何しろ、淡水の川だってんだ。淡水魚の鮎が泳いでても不思議はねぇだろうぜ。」
【蔵臼】「鮎は淡水魚。鮎の川で、淡水の川。……それで淡水河かね? はははは。言葉遊びだな。」
【霧江】「面白い説じゃない。……もう少し推理を進めてみましょ。川を下れば里あり。……淡水河の河口には何て町があるの?」
【夏妃】「………淡水と書いてあります。」
【絵羽】「淡水は観光で行ったわ。落ち着いた港町よ。夕焼けが綺麗だったわぁ。」
【留弗夫】「その里にて、二人が口にした岸ってのはあったか?」
【絵羽】「……さぁね。心当たりなんてないわ。」
【楼座】「やっぱり、懐かしき故郷というのは、台湾のことじゃないのよ。やっぱり小田原なのかもしれないわ。」
【蔵臼】「全ての可能性を否定するべきではないとすると、……やはりこれはお手上げだね。私たちには、碑文の一行目からすら、話がまともに進みやしない。」
【絵羽】「静かにしてッ、気が散る! ……絶対に台湾よ。お父様が、台湾以外を懐かしいと形容するわけがない!」
【夏妃】「………それについてだけは、私も同感です。お父様にとって今でも、台湾は心の故郷なのですから。」
【楼座】「一行目ばかりに固執するのも良くないわよね。私は、他の行について検討してみるわ。……第一の晩からを、ちょっと見てみることにする。」
【留弗夫】「……俺もそうするぜ。鮎の川は姉貴に任せて、その先を検討してみよう。」
【霧江】「第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ……。ミステリアスね。」
【絵羽】「わ、……わかったッ。」
絵羽が突然、そう呟く。その呟きに、全員がぎょっとして振り返った。
絵羽は台湾について記されたページを、ものすごい勢いで次々に捲ると、目当てのページを見つけ、裂けるほどに強く開いた。
彼らはずっと、地名の記されたページを開いていた。総合的な情報量から考えて、そのページで検討するのが、もっとも適当と思われたからだ。
しかし、絵羽が開いたページは、情報量的には、とても限定されたページだった。
それは、………鉄道の路線図のページだった。
【絵羽】「……川を下れば、……里、……里。………ッ!! 里だわ、あった!」
【蔵臼】「な、……何の話だね、絵羽。説明したまえ。」
【絵羽】「静かにしてッ!! 岸もある、口もある…! ふ、二人が口にするというのはわからないけど、……でも、里も岸も口もある…!! ここよ、絶対にこれが黄金の鍵の眠る里よ…!!」
【絵羽】「お、落ち着くんや…! どういうことか、わしらにもわかるように説明してや!」
【霧江】「……淡水線? ……なるほど。鮎の川というのは、淡水線という名の、鉄道のことだと?」
【夏妃】「あ、鮎は泳いでいないと思いますが……?」
【絵羽】「見てッ!! 淡水線を下り方向に進んでいくと、旧名がキリガンって駅がある! ほら、漢字をよく見て!!里がある、口がある、岸がある!!」
【秀吉】「ほ、ほんまや…! 里がある、口もある、岸もあるで…!!」
【留弗夫】「………川を下れば、やがて里あり。……確かに、淡水線の駅名の中で、里がつくのはその駅だけだな。」
【蔵臼】「なるほど、その駅名を暗示しているようにも見えるね……。」
【絵羽】「絶対にこれよ、間違いないわ…!! 調べればいいのよ、二人が口にしの意味もきっとわかる…!! ……みッ、見て!! これッ、これッ!」
【霧江】「地名のキリガンの“リ”は、口偏に里だわ。……ということは、キリガンは、口偏が二つ。即ち、二人が口にし……?」
【楼座】「す、……すごいわ、姉さん。これよ、間違いなくこれだわ……。」
【夏妃】「このキリガンという町のどこかに、鍵が隠されているということでしょうか…?」
【霧江】「どうかしら。……ここまでの謎は言葉遊び。だとしたら、眠る鍵もまた、言葉遊びの可能性が高いんじゃないかしら。」
【絵羽】「同感だわ。第一の晩に、鍵は六人の生贄を選ぶのよ? つまり、本当に鍵状の形をした何かとは考え難いということだわ…!」
【留弗夫】「……ひゅう。……面白く、……なってきやがったぜ……。」
【絵羽】「鍵の選びし六人を生贄に捧げよ。……これから連想できる鍵を考えるの! そしてそれで、キリガンという地名を噛み砕くのよ! 私にはわかるわ、これはきっと言葉遊び! 絶対に言葉遊びよ…!! 考えて、みんなッ!!」
【譲治】「面白いものだね。……ひとりなら気の滅入るような雨でも、君と一緒なら、涼しくて気持ちがよく感じるよ。」
【紗音】「……そろそろ戻りましょう。嘉音くんを待たせてますので。」
【譲治】「そうだね。僕も朱志香ちゃんや戦人くんたちをだいぶ待たせちゃってるかな。」
【紗音】「懐かしいですね。お嬢様に譲治さま。戦人さまに私で、4人で遊んでいた頃もあったんですよね。……あの頃も楽しかったですね。」
【譲治】「僕は今の方が楽しいよ。君を独り占めできるからね。」
【紗音】「くす。……譲治さまったら。」
譲治のキザな台詞を笑う。しかし、ほんの少しだけ、譲治の笑いは乾いていた。
【紗音】「……譲治さま?」
【譲治】「ん? ……あぁ、ごめん。………僕はね。未だに、戦人くんにコンプレックスがあるんだよ。」
【紗音】「コンプレックス、……ですか?」
【譲治】「彼は留弗夫叔父さんに似て、快活だし面白いし、何よりも元気だし。僕なんかより、よっぽど魅力的だ。……彼と僕が並ぶと、自分が霞むのがよくわかるんだ。」
【紗音】「そんなことはありません。譲治さまは立派ですし魅力的です。戦人さまに、何も劣るところなどありません。」
【譲治】「………本当に?」
【紗音】「えぇ。本当にです。」
【譲治】「実はね。……今年、戦人くんが戻ってくると聞いて、……僕は最初、嫌な気持ちだったんだよ。」
【紗音】「どうしてですか…?」
【譲治】「………6年前。……君と本当に仲が良かったのは、戦人くんだった。僕は君ともっと仲良くなりたいと思っていたけれど、まったく間に割り込むことなんて出来なかった。……指を咥えて見ている他ないくらい、お似合いの二人に見えたよ。」
【紗音】「そうだったでしょうか…? お似合いの二人どころか……、私が一方的に戦人さまにからかわれてただけで……。」
【譲治】「……最高にお似合いの二人だったよ。間違いなくね。……君たちは付き合ってるに違いないと信じてた。」
【紗音】「そんなことはありませんでしたよ。譲治さまの考え過ぎです…。」
【譲治】「………僕は本当にみっともないね。今日、君に指輪を渡す時、断られるかもしれないと怯えた。」
【紗音】「どうしてですか。……私が譲治さんの指輪を、どうして拒むと?」
【譲治】「戦人くんが、帰ってきたからさ。君は本当は、今でも戦人くんのことが好きで……。……彼が帰ってきた今、僕は用済みなんじゃないかなって、………怯えたんだ。」
【紗音】「…………譲治さん? これをご覧下さい。私の薬指に輝く、この銀色の輝きです。これは何ですか?」
【譲治】「……そうだよね。ごめん。僕は、何を動揺しているんだろうね。……6年ぶりの再会で、さらにカッコよくなった彼に、また嫉妬していたんだろうね。……情けないよ。」
【紗音】「うぅん、いいんです。その気持ちは即ち、……私を誰にも渡したくないという、譲治さんの強い気持ちの表れなんですから。……もし、私の気持ちが戦人さまに移るのではないかと怯えるなら。そんなことを絶対に思わせないくらいに、強く愛して下さい。……私が、あなた以外の男性のことを考える暇なんかないくらいに、愛して下さい。」
【紗音】「私だって、怖いんです。私より魅力的な女性なんて、これからもいくらでも現れるでしょう。あるいは、至らぬ私に愛想を尽かすこともあるかもしれない。生涯、あなたの気持ちを私だけに繋ぎ止めていられるか、怖いんです。」
【譲治】「それを君が怯える必要はないよ。僕は君を生涯、愛し抜くことを誓う。」
【紗音】「私もそれを誓ったのに、戦人さまが帰ってきたら、信じてくれなくなりましたね。」
紗音がくすりと笑うと、譲治もようやく、自分の気弱な言葉が彼女を傷つけていたことに気付く…。
【紗音】「……私は、右代宮譲治さんという素敵な方を射止めました。そして、生涯、私を愛すると誓わせ、それを誓う指輪をこうして贈らせました。その指輪を、こうして薬指に通した上で、正直に告白します。」
【譲治】「うん。」
【紗音】「私は、確かに仰る通り。……6年前、戦人さまのことが、好きでした。多分、譲治さんより、好きだったと思います。」
【紗音】「でも。それは6年前の話です。今の話では、ありません。戦人さまへのその気持ちは、この6年間で整理され、思い出と一緒に過去へ、決別したのです。今の私は、あなたを愛するためだけに存在します。」
紗音はきっぱりと、そう言い切る…。
譲治は一度だけ頼りなく笑う。多分、それは6年前の譲治の浮かべた笑いだ。そして背筋を毅然と伸ばし、無言で紗音を抱く。それは彼にとって、6年前の自分と決別した瞬間だった……。
【秀吉】「はしご、持ってきたで…! ほいさ、ほいさ!」
【楼座】「Quadrillion。……この島で、千兆と刻まれてるのはあれだけよ。」
【絵羽】「京の十分の一で千兆とはね…。眉唾だわ。」
【霧江】「私たちの想像が正しければ、きっと、あのレリーフの文字が仕掛けなんだわ。」
【蔵臼】「確かめればわかる話だ。誰が上がる?」
【留弗夫】「俺が上がろう。押さえててくれ。」
【夏妃】「気を付けて。結構、高いですよ…。」
立てかけたはしごに、留弗夫が上がる。 雨粒を浴びながら、一段一段、上っていく…。
【霧江】「Qの文字を見てみて。どう? 何か仕掛けがありそう?」
【留弗夫】「んっ………。ちょいとガタつくな。……お? ヤベ……。」
【絵羽】「どうしたの?! 何があったの?!」
【留弗夫】「…………へへ…。ビンゴみてぇだぜ。見ろよ、こいつを。」
留弗夫がはしご下に、Qの文字を放る。それは蔵臼の肩にぶつかってから、水溜りに落ちた。
【楼座】「これ、……鍵だわ!」
【秀吉】「どういうこっちゃ?! 留弗夫くん! これまさか、他の文字も抜けるんか?!」
【留弗夫】「……あぁ、そうみてぇだ。どうやら、俺たちのトンデモ推理は外れていなかったらしいな! 次に抜く文字はなんだ?!」
【夏妃】「え、えっと、iです! それからl!」
指示を受けながら、留弗夫は、第一の晩の6文字を間引いていく…。もうそこまで行けば、……謎が解けるまで、もはや何も立ち塞がるものはない。
彼らはその後も試行錯誤を繰り返しながら、……とうとう、最後の仕掛けに至る。
【蔵臼】「頭から抉れというのは、左から順にという意味に違いない。」
【霧江】「留弗夫さん! 左から順に、鍵を回してから抜くの!」
【留弗夫】「おうよ…! これで全文字皆殺しだな。第九の晩に、誰も生き残れないってわけだ。」
【楼座】「どう?! 何か起こった?」
【留弗夫】「何かの手応えはあったが、変化なしだ。どっかで隠し扉でも開いたのかもな。」
【秀吉】「お、おい! あれを見てみい! 動いたで、確かに動いた!!」
【絵羽】「……………?! みんな見て! ライオンの像の向きが変わってるわ…!」
【夏妃】「ど、どういうことでしょう? ライオンの像に何か秘密が…?!」
【蔵臼】「……違うな。これは恐らく、ライオンの向いた方向を見よという意味だろう。見たまえ。あのライオンの見る先を。」
【楼座】「あそこのライオンの向きも変わってるわ…! どういうこと?!」
【絵羽】「馬鹿ね、あれは誘導してるのよ! ライオンの向く方へ行けという意味だわ…!」
絵羽は先を争って駆け出す。それを追い、他の一同もばらばらと駆け出す。
……黄金はもう、すぐそこだった。
【蔵臼】「………驚いたね。こんな、秘密の階段があったとは。」
【絵羽】「納得だわ。お父様が誰も礼拝堂に近付けたがらないはずよ…。」
【楼座】「……この仕掛けは一体、いつからあったのかしら。地下道の感じからして、相当の昔からだわ…。」
【霧江】「恐らく、お屋敷を作った時とほぼ同時でしょうね。……多分、碑文の謎も、何十年も前から用意されていたのよ。」
【留弗夫】「まぁ、あの親父だから。……大抵のことにゃ驚かねぇつもりだったが。」
【夏妃】「一体、この階段、どこまで続くのでしょう……。」
【秀吉】「こら、あの噂は本当かもしれんで。……ほら、森の中のどこかに、愛人を囲ってる隠し屋敷があるっちゅう話や。」
【蔵臼】「なるほど。この地下通路が、そこまで続いている可能性は高いな。」
【楼座】「………あの日の、あのお屋敷にまで繋がってるのかしら……。」
【絵羽】「どうやら、ゴールみたいよ。……無骨な扉があるわ。何か書いてある。」
【留弗夫】「……ひゅう。こりゃあ、ビンゴだな。」
扉には、赤い塗料でこう記されている。第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷に至るだろう……。
【霧江】「開く……?」
【絵羽】「開くわ。……いい? 開けるわよ?」
【蔵臼】「いよいよ、黄金とご対面かね……?」
【秀吉】「そんなウマイ話、……ぜひあってくれと祈るばかりや。」
【楼座】「姉さん、開けましょう。」
【絵羽】「えぇ。開けるわよ。」
重い扉が、……ゆっくりと開く……。そして、黄金の積まれた地下貴賓室が、彼らの前に姿を現した……。
彼らが地下貴賓室の素晴らしき内装に驚嘆したのは一瞬のこと。天蓋ベッドの脇に、山と積まれた黄金が目に入ると同時に、絶句する。そしてその絶句の沈黙は次第に解け、驚愕と狂喜の喧騒となった……。
【蔵臼】「…………素晴らしいッ!! はは、はっははははははは!!」
【楼座】「す、すごいわ、200億円の黄金…!! 本当に、本当にあったんだわッ!!」
【霧江】「何て眩い山なの。目が潰れそうだわ……。」
【秀吉】「うっははははははは!! やったで、やったでッ!! このゲームはわしらの勝ちや!!」
【夏妃】「………み、濫りに触ってはなりませんっ! お父様の黄金ですよ?!」
【絵羽】「あら、そう?! じゃあ、お父様を今すぐ呼んで来てちょうだい! 今すぐここへ!! 茶番はとっくに終わってんのよッ!!」
【留弗夫】「夏妃姉さんよ。もうここからは白々しい話は抜きにしようぜ? ここにあるのは、本物の黄金の山! 俺たちも本音で語り合うべきだぜ?」
【絵羽】「幸いにも私たちは今、とても上機嫌で寛大だわ。大人しく引っ込んでなさい!」
【夏妃】「く、……ッ。」
これほどの莫大な黄金の山は、魔力を持つ。その魔力は、人間のもっとも素直な感情を剥き出しにするのだ。
シャンデリアの明かりが黄金の山に閃き、黄金色の輝きで彼らを照らし出す。その輝きが彼らを操るかのように。彼らはしばらくの間、自分の歳も忘れ、まるで興奮して庭を駆け回る園児のように、吠えたり笑ったり、踊り回ったり転げ回ったりしていた……。
【縁寿】「………何これ。どういうこと?」
【理御】「事件が起こる前に、碑文が、………それも親族兄弟全員によって解かれてしまうなんて…。」
【縁寿】「今までになかった展開ね。」
【理御】「……ベアトリーチェは、碑文の謎を解いたら、事件を起こさないと決めていたはず…。」
【縁寿】「そういうことにはなってるけどね。……ふん。どうだか。」
縁寿は鼻で笑うが、……私は信じる。……クレルはそう決めたのだ。運命のルーレットに全てを預けたからこそ、その出目に従う。
彼女は自らの運命を、自分達で決められなかったからこそ、ルーレットにそれを預けたのだ。だから、従うのだ。彼女のルールに則り。
彼女は約束を、絶対に守る。
【理御】「起こらないはずです。事件は。」
【縁寿】「……断言できるの?」
【理御】「はい。……もう、彼女のルーレットは決まったのです。これで、彼女のゲームは終了です。」
【縁寿】「終了なら、どうなるっての? めでたくみんなで大金持ちになって、無事に親族会議はおしまい? 私の家族は、中身がチョコレートじゃないインゴットをお土産に、私のところへ帰って来てくれるというの? これで全てがハッピーエンドだと? あの魔女どもが、そんな甘い夢を、鎖に繋ぎながら見せてくれるわけ?!」
【理御】「…………………ん…。」
ジャラリと手首の鎖を誇示されると、自信をもって言い返せなくなる。
でも、私は信じたい。もっとも呆気ない形ではあっても、これでもう、クレルのゲームは一つの終わりを迎えたのだ。
……ひょっとして彼女は、事件の起こらない世界を、最後に私たちに見せたいのではないだろうか。
未練なく消え去った彼女は置き土産として、何の事件も起こらない、ある意味、もっとも平和なゲームを、私たちに残していってくれるつもりなのでは。
そう信じたい。……この劇場に自分たちを繋ぎ止める、この重くて冷たい鎖がなかったなら。
【楼座】「だ、誰かいるのッ?!?!」
楼座の鋭い叫びに、馬鹿騒ぎはぴたりと止んだ。
楼座は確かに見たのだ。壁に掛かるカーテンの向こうがゆらりと動き、誰かの人影があることを。
【留弗夫】「……よせやい。気のせいだろ……。」
【絵羽】「誰かいるの?! いるなら出てらっしゃい…!」
絵羽がそう叫んだ時。……カーテンがゆらりと動く。
そしてその向こうから、……黒いドレスを着た魔女が、姿を現わす……。
そのドレスが、肖像画の魔女が着ているものと同じであると、瞬時に全員が理解し、……そしてさらに理解した。彼女こそが、……この部屋の主であるということを。
後に判明することだが、このゲームにはゲームマスターがいない。したがって幻想描写も一切ない。こうして色分けしてみれば一目瞭然。
【ベアト】「………ようこそ、黄金の部屋へ。」
彼女は無表情に淡々と、それを告げた。誰がそれに答えるべきか、一同は顔を見合わせる。最初に口を開いたのは留弗夫だった。
【留弗夫】「……つまり、あんたがベアトリーチェってわけか。」
【ベアト】「如何にも。」
【楼座】「ま、真里亞に手紙を渡したのはあなたなの…?!」
【ベアト】「如何にも。」
【蔵臼】「……これは、親父殿の差し金なのかね?」
【ベアト】「いいえ。これは私の、ゲームです。」
【絵羽】「なら、そのゲームは私たちの勝ちだわ。こうして碑文の謎を解いて黄金を見つけたもの…!」
【秀吉】「あんたの挑戦に、うちらは勝ったんやで…! この黄金、わしらのモンっちゅうことで間違いないんやろな?!」
【ベアト】「如何にも、その通りです。……皆さんは碑文の謎を解き、見事にこうして、隠された黄金を発見しました。このゲームは皆さんの勝ちです。……この黄金はもはや、私のものではなく、皆さんのもの……。」
【蔵臼】「………潔いことだね。」
【絵羽】「ねぇ、あんた。……もし、碑文の謎を私たちが解けなかったら、どうするつもりだったのぅ?」
【留弗夫】「右代宮家の全てを頂戴すると、手紙にはあったぜ。」
【ベアト】「はい。右代宮家の全ての財産と、全ての命。……この島に存在する全てを、私の好きにさせてもらうつもりでした。」
……魔女はベッド脇のテーブルへ歩み寄る。そこで初めて一同は、テーブルの上に何が置かれていたかに気付いた。
それは、4丁ものライフル銃だった。弾が詰められたケースも置かれている……。
魔女はテーブルの上に転がる鉛弾の一つを指で弄りながら、表情ひとつ変えずに告げた。
【ベアト】「もし。皆さんが碑文の謎を解けずに今夜を終えたなら。……私は碑文に従い、13人を殺す殺人事件を起こすつもりでした。」
【楼座】「な、……何ですって……。」
【霧江】「……あの碑文を初めて見た時は思ったわ。……まるで、連続殺人を描いた推理小説に出て来そうだなって。……そうね。あの碑文の通りに13人が次々に殺されたら、……それはとてもミステリアスな事件になったでしょうね…。」
【夏妃】「お、お前一人にそれが出来るわけもありません…! い、いくら銃があっても、13人も殺すなど、いくら何でも…!!」
【ベアト】「……計画は入念に、そして何通りにも用意していました。皆さんが今夜から明日までに取り得る、全ての可能性を想定し、その全てに対応できるミステリーをご用意する予定でした。………今となっては披露は出来ませんが、それはそれは綿密に練られた、愉快な密室殺人の数々を用意していたのです。」
【留弗夫】「ほんの数人なら、銃で寝首を掻くことも出来たろうよ。だが、さすがに13人も殺せるわけがねぇ…! 俺たちはそこまで間抜けじゃねぇぜ?」
肖像画のドレスを着た紗音。もちろん一同は、それをわかっていて話している。
ベアトも、いつものゲーム盤のような芝居がかった喋り方はしていない。
【ベアト】「………そのようですね。少なくとも、第一の晩以前に碑文の謎を解かれるという想定は、もっとも可能性の低いものだと思っていましたから。」
【蔵臼】「君にとっては、私たちがここへ辿り着くのは、どうやら誤算だったようだね。」
【ベアト】「いいえ。………これすらも、私の望んだルーレットの結果の一つ。そして恐らく、皆さんにとって最高の結果を意味するでしょう。誰も死ぬことなく、黄金を手に島を出ることが出来る。……おめでとうございます。ゲームは、皆さんの完全な勝利です。」
誰も謎を解けなければ、銃を手に、連続殺人を犯すつもりだったと。表情一つ変えずに告白する魔女に、一同は固唾を呑む…。
【霧江】「……あなたの告白が真実なら。あなたは私たちを殺そうとしてたことになるわ。」
【ベアト】「はい。そうです。」
【留弗夫】「こいつ……。よくもしゃあしゃあと言えるもんだぜ。」
【蔵臼】「そこまで打ち明けた以上、我々が君を好意的に扱うとは思えないはずだが…?」
【ベアト】「覚悟の上です。………私のことは、煮るなり焼くなり、お好きなように。……皆さんが碑文を解けなければ、そうなっていたのは皆さんなのですから、これは対等なことなのです。」
【秀吉】「……この姉ちゃん、大した肝っ玉やで。」
【ベアト】「命を賭す覚悟があったからこそ、用意したゲームでした。その結果を得られて、私は満足しています。……もはや殺されようとも、それも覚悟の上です。」
もはや命さえも惜しくない。そう言いながらこちらへ歩む魔女に、一同は自然と気圧される…。
【ベアト】「黄金は、皆さんのものです。最初に発見した方に全てを差し上げるつもりでしたが、7人でいらっしゃるとは想定しませんでした。……7人でどうわけるかは、皆さんで決められるといいでしょう。私はそれに関知しません。……それから。」
魔女はなおも歩み寄る。そして一同の人垣を割り、その向こうに置かれている、アンティーク時計のところへ行った。
その時計は、なかなか立派な貫禄を持つ、大きなものだった。それを撫でながら、魔女は言った。
【ベアト】「……この時計の仕掛けも、皆さんにご説明しましょう。皆さんは黄金だけでなく。この島の全てを手に入れられたのですから。」
【蔵臼】「それは、………どういう意味かね。」
【霧江】「…………………。第8の晩までを殺人事件風に読み解いたら、確かに殺されるのは13人だわ。……でも、第9の晩には、はっきりと。……誰も生き残れはしないと記されているわ。」
【留弗夫】「どういうことだ。……こいつはつまり、俺たちを皆殺しにしようって企んでたってことか?」
【絵羽】「………まさか、その時計は……。」
【ベアト】「お察しの通りです。……爆薬と連動しています。」
【霧江】「その仕掛けを用意したのはあなた? ……それとも、右代宮金蔵なの?」
【ベアト】「仕掛けを作ったのは、右代宮金蔵です。この仕掛けこそが、彼の狂気の魔力の源泉……。」
【秀吉】「……な、何を言ってるのか、さっぱりや。」
【留弗夫】「つまり……。……親父は爆弾を用意してて。無一文になったら、いつでも綺麗サッパリ、自分ごと全てを吹き飛ばして死んじまう覚悟があった、ってわけか……?」
【ベアト】「右代宮金蔵はこの島で、黄金の魔女と契約し、黄金を得ました。しかし、得たのは黄金だけではなかったのです。」
【夏妃】「………ど、どういうことですか…?」
【絵羽】「まさかとは、……思うけど……。……………………。」
【蔵臼】「六軒島には、旧日本軍の基地跡がある、という噂話を聞いたことがあるが……。まさか……。」
【ベアト】「ご賢察の通りです。……この島の地下には、戦時中の旧日本軍の地下基地跡が眠っています。そしてそこには、900tの爆薬も眠っているのです。」
【秀吉】「きゅ、……900tやて?! と、とんでもない量や! そない爆発したら、想像もつかん! 屋敷どころかクレーターが開くっちゅうもんやで!!」
【ベアト】「専門家の推定では、直径1km、深さ数十mの大穴が開くとか。」
【蔵臼】「……………跡形も、………残らんな……。」
【ベアト】「この爆弾は、特別な仕掛けで爆発します。……私が今、操作した、これが起動のスイッチです。」
魔女はアンティーク時計の上部のスイッチをいじる。
【ベアト】「……この状態で24時を迎えると、爆発します。」
【夏妃】「も、もうすぐ24時ですが……?」
【霧江】「つまり、残り何時間で爆発する、というのではなく。……24時ぴったりにしか爆発しない時限爆弾というわけね。」
【ベアト】「如何にも。………もうじき、24時を迎えますね。もし、爆発をお望みでしたら、このままにしておきますが。」
【絵羽】「馬鹿言ってんじゃないわよ…!! 解除しなさいッ!」
恐らく、今となっては金蔵以外の、誰にもわからないことだろう。
六軒島の秘密基地は、当初こそ潜水艦基地として作られた。しかし、その計画が頓挫した後は、本土防衛のための極秘計画の基地として再定義されていた。
九十九里浜に殺到する米軍上陸部隊を、陸軍と海軍が挟撃する机上の大作戦。海軍はその一大反抗作戦の切り札として、莫大な量の弾薬、燃料を極秘裏に備蓄していた。六軒島基地は、その極秘の備蓄基地だったのだ。
地下に埋められている爆薬の総量は900t。しかも、米軍に島が見破られ、接収されるかもしれないことを恐れた彼らは、万一の時、その爆薬で島ごと自決できる仕掛けを施した……。
それを熟知する金蔵は、この仕掛けを解除するどころか、毎日24時に起爆するという奇妙な時計に繋いだのだ。
……金蔵が、莫大な黄金をもとに軍資金を作り、それを元手に、乗るか反るかの大博打を何度も繰り返したことは有名だ。その彼にとって、軍資金の黄金と、……島の地下に眠る900tの爆薬は、どのような意味があったのだろう。
現実的に考えれば、むしろ第一の晩以前の方が、碑文が解かれる可能性は高い。
EP1やEP2がそうだったように、殺人事件の渦中にある人間は、碑文の謎解きなどしている余裕はないからである。
今となっては、全ては憶測の域を出ない。恐らく金蔵の狂気の力の、真の源は、……黄金ではなかったのだろう。
大博打に負けて全てを失ったら、いつでもこの世から島ごと消え去れる、仕掛け。彼は全ての人生に、黄金と自らの全てを賭けていたに違いない……。
金蔵は時にこの時計を見て、……あるいは時に、起爆スイッチを入れ、時の刻みに身を任せただろう。
何かの苦難にぶち当たる度にここに篭り、起爆スイッチを入れ……。24時を迎えるまでに妙案が思いつかなければ、全てを吹き飛ばしてやると決めていたのではないか。
黄金の山を眺めながら、死を刻む時計の針の音を聞き、思案を巡らす……。右代宮金蔵の本当の書斎は、屋敷の中にあるあの書斎ではなく、ここなのかもしれない……。
【留弗夫】「……親父らしい仕掛けだぜ。……俺たち子供は、親父が悩み事をする度に、道連れにされてたかもしれないってわけだ…。」
【楼座】「あのお父様なら、……ありえる話ね……。」
【ベアト】「この仕掛けも、もはや皆さんのものです。……大爆発をお望みでしたら、いつでもどうぞ。」
【秀吉】「ア、アホ抜かせ…! 誰が大爆発なんか望むんや…!!」
【霧江】「……半世紀も前の爆弾でしょう? 本当に爆発するの?」
【ベアト】「はい、もちろん。爆薬も信管も健在です。……試しましたから。」
【夏妃】「試した……?」
【留弗夫】「………まさか、……あれか?」
【蔵臼】「そうか、やっとわかったよ。鎮守の社が跡形もなく消え去ったのは、そういうわけか…。」
この夏、鎮守の社が、岩礁ごと、跡形もなく消え去った。波でさらわれたくらいで、ああも跡形なく消えるだろうかと違和感を覚えたことはあったが、それ以上は何も思わなかった。
その違和感に、今、ぴったりとピースがはまる……。
【ベアト】「如何にも。………半世紀を経て、今なお爆薬が健在であるか、あの社で実験させていただきました。結果は、皆さんもご承知の通りです。」
【夏妃】「…………………………………。」
【ベアト】「あの程度の量で、あの岩礁がまるまる消え去るのですから。900tもの爆薬があれば、地図が書き換わるほどの爆発を起こすことは、容易に想像できるでしょう…。」
【蔵臼】「……そんな爆弾を爆発させたら、確かに我々はみんな死ぬだろうね。しかし、君はどうしたね? まさか、私たちと一緒に心中するつもりだったとは思えんが…?」
【ベアト】「この地下貴賓室は、基地跡の地下通路に通じています。それをまっすぐ進めば、島の反対側にある隠し屋敷、九羽鳥庵に出ることが出来ます。距離は約2km。そこまで逃れれば、爆発からも逃れられるでしょう。」
【霧江】「……なるほどね。爆発の直前に、そこから逃れるつもりだったのね。」
【ベアト】「そうすることも可能というだけの話です。……皆さんは信じないでしょうが、私は皆さんの誰も謎を解くことが出来ず、第九の晩を迎えてしまったなら、……全てと共に心中するつもりでおりましたから。」
【留弗夫】「…………こいつ、頭がどうかしてやがる…。」
【絵羽】「イカレてるのよ…。考えるだけ無駄だわ! この女は私たちがもし碑文を解けなければ、あそこの銃で! あるいはそこの爆弾のスイッチで! 私たちを皆殺しにしたのよ?! それだけは疑いようがないわ!!」
【ベアト】「その通りです。……皆さんは、誰一人犠牲者を出さないという、最善の形でこのゲームを終えられたのです。……敬意を表すると同時に、心より感服いたします。私があれだけ長い時間をかけて解いた謎を、7人掛りとはいえ、一晩で。………それは讃えられるべきです。」
【蔵臼】「私も、君の潔さに敬意を表するよ。………君の処遇はこれから考えるが、極力、紳士的なものになるよう配慮するつもりだ。」
【ベアト】「………私のことは、もうお気になされず。私は、皆さんを殺し、自らも死ぬ覚悟をすでにしている亡者なのですから。」
黄金の魔女ベアトリーチェは、碑文の謎を解いて、この部屋に辿り着くことで、蘇った。そして今。……新たな者たちが碑文の謎を解き、この部屋に辿り着くことで、……その役割を終える。
碑文の謎が解かれた時、……ベアトリーチェの魔女幻想は、終わったのだ。彼女の悲壮なその決意は、恐らく、その場にいる誰にも理解は出来ないだろう。
……恐らく、理解できるのは、自分だけ。自分の中にいる自分たちにだけでも、せめてわかってもらえれば、それでいい。
………我は我にして我等なり。無限の結果を紡ぎ出す魔法のルーレットに身を任せた。その結果の答えが、これなのだ。碑文の儀式という名のタロットカードが示したもの。
……もはや、ベアトリーチェは死んでいる。
彼らが殺したのではない。運命に従い、……私が私で、殺したのだ。彼らには、わかるまい………、永遠に。
………………………。
しばらくの間、天井を見上げて沈黙していた魔女は、何かを思い出したような仕草をする。そして、ドレスの袖をまさぐると、そこから何かカードのようなものを取り出した。
【ベアト】「そうそう。忘れていました。………私に死に銭など必要ありませんので。これも皆さんにお渡しします。」
【楼座】「……キャッシュカード?」
【ベアト】「黄金の一部を現金化していました。それが入っている口座です。」
【秀吉】「なるほどな。黄金の魔女の、まさに魔法エネルギーっちゅうわけやな。」
【蔵臼】「いくら入っているんだね?」
【ベアト】「詳しくは忘れました。でも、10億以上は入っています。」
【留弗夫】「10億…! ……そりゃあ確かに魔法だぜ!」
【霧江】「そうね。それだけのお金で、出来ないことはないでしょうからね。」
【ベアト】「そうですね。ニンゲンの反魔法の毒素にもっとも強い唯一の魔法が、この黄金の魔法。……ある意味、このカードはインゴットよりも、強い力を持つかもしれませんね。」
【蔵臼】「まったくだね。インゴットより、現金の方が喜ばれるものだ。」
【ベアト】「どうぞ。………私にはもはや、不要なものですので。」
魔女が差し出すカードを、……誰も受け取れずにいる。
10億も入ったカードを、ひょいと渡すなんてことが、……ありえるわけがない。黄金の山も、島を吹き飛ばす爆弾の仕掛けも、10億のカードも、……全てが彼らの理解の域を超えていた。
だから、……誰も受け取れなかった。
【絵羽】「……気に入らないわ。」
【ベアト】「………何がですか。」
【絵羽】「黄金の山をはい、どうぞ。爆弾も解除します、10億のカードもどうぞ。………話が上手すぎて気持ち悪いのよ。……あんた、何か私たちを騙そうって企んでるんじゃないでしょうね?」
【ベアト】「騙す気もありませんが、信じろとも言いません。……私は全てを差し出し、全てを明かしています。何を信じ、どうしようと、それはもう、新しい黄金の主である皆さんが決めることです。私の言うことを何も信じず、この場を立ち去ることさえ、皆さんの自由です。」
【蔵臼】「絵羽。彼女が嘘を言っているとは思えんね。」
【絵羽】「何でそうだってわかるのよ?! こいつの余裕が気に入らないのよ! まるで、もう全てに勝利したかのようだわ?! ……私、今ふと思ったの!! 爆弾のスイッチとかいうの、オンとオフが逆じゃないの?!」
【楼座】「そ、それ、どういうこと、姉さん…?」
【絵羽】「さっき、その女は、爆弾を解除するといって、そのスイッチをいじったわ! 実はその時、スイッチを入れたんじゃないの?! あんたは私たちに謎を解かれたんで、私たちごと全てを吹き飛ばすために、爆弾のスイッチをオンにしたんじゃないの?!」
【ベアト】「……………………。……そうお思いでしたら、どうぞその時計のスイッチを入れて下さい。あと1分で、24時。……真実は時計が、教えてくれます。」
【絵羽】「な、……何ですって…………。」
【留弗夫】「お、おい、どうすんだよ…。今、爆弾はオンなのか? オフなのか?!」
【蔵臼】「彼女が嘘を言ってるとは思えん…! 今が解除だ。押すべきではない…!」
【絵羽】「でも気に入らないのよ!! 何でこんなに素直なの、こいつ?! 何でこうも、はいどうぞ、はいどうぞってなるの?! こいつは私たちを騙して時間を稼いでるのよ!! 24時になるまで時間を稼いで、私たちを道連れにするつもりだわッ!!」
【ベアト】「………………………………。」
【楼座】「そ、そのスイッチは、どうなってるの? オンかオフか、わかる形状なの…?」
アンティーク時計の上部には、左右にスライドできる金具のスイッチがついていた。スイッチは今、左に入っている。しかし、右にも左にも、特に何の印もなく、どちらがオンかオフか、わからない。
【留弗夫】「おい、白状しろ!! どっちがオフなんだ?!」
【ベアト】「………左が。今がオフです。」
【絵羽】「馬鹿留弗夫!! その女が正直に言うはずがないでしょう?! 逆よ、逆に決まってるわ!! 右がオフなのよ、そうに違いない!!」
【楼座】「も、もう時間がないわ、姉さん…!!」
【蔵臼】「よせ、絵羽!! スイッチをいじるな! 今がオフだ!!」
【夏妃】「絵羽さん、その手を離しなさい!!」
【霧江】「私も同感よ。今がオフだわ。もし私たちを爆弾で殺すつもりなら、彼女は爆弾の話を告白しなかったはずよ。」
【絵羽】「……………ッ!!! ベ、……ベアトリーチェぇえぇえぇぇ…!! 私を騙そうったって……そうは行かないわよ……!!!」
【ベアト】「………………………………。……5。……4、……3。」
【絵羽】「く、ぉ、うぉおおぉおおおおぉおおおぉぉおおぉおぉおおッ!!!」
時計の針は、……24時を超えて刻む。10月4日は終わり、……1986年10月5日が幕を開ける……。
スイッチは左のままだった。……魔女の言葉が、正しいことが証明されたのだ。
【ベアト】「…………これで、信用していただけましたか…?」
【絵羽】「こ、……………このアマッ。」
絵羽は脂汗を浮かべた酷い形相で、魔女の手からキャッシュカードを引っ手繰る。
【絵羽】「……通帳と印鑑は? カードだけじゃ引き出せないわよ!」
【ベアト】「暗証番号で引き出せます。8桁です。」
【絵羽】「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!! 今、書くから…!!」
絵羽と霧江は、それぞれ筆記用具を取り出し、魔女の告げる8桁の数字を書き留める。
【ベアト】「………これで、私から皆さんへ伝えること、そして受け渡すものは全て終わりです。……もう私は、自ら何も喋りません。役目を全て、終えましたので。」
魔女はそう告げると、踵を返し、……ベッドに腰掛ける。もうこっちを見てさえいない。彼女の言うように、もはや自身の全ての役目を終えた、まるで抜け殻のように座っていた……。
しばらくの間、一同はそんな魔女が、また何かを思い出して、何かの話を始めてくれるのではないかと待った。
しかし、彼女はもう、何も話しはしない。自らを亡者と称した魔女は、今やもう、黒いドレスを着た、大きなフランス人形と変わらなくなっていた……。
黄金こそは、現世に顕現する唯一の、魔力の結晶。太古の昔から、それのわずかなカケラ程度で、人は魔力に操られてきた。
それが、見上げるほどに積み上げられていたなら。……この部屋には、どれほどの魔力が充満していたというのだろう。
【絵羽】「馬鹿言わないでよ、山分けよ! 山分けに決まってんでしょ?!」
【蔵臼】「この山の半分がまず私のもので、さらに半分を四等分するという話だったのではないかね?!」
黄金に踊る人間たちの叫び声が、地下室に響き渡る…。彼らは黄金の山の前で、その分け方について紛糾していた。
【絵羽】「兄さんひとりで謎が解けた? 解けなかったでしょう?! 私たち兄弟4人で解いたのよ?! 四等分で当然でしょうが!!」
【夏妃】「卑劣な! 黄金の分配についてはあなたたちが提案したのではないですか!! それを勝手に反故にするなんて…!!」
【留弗夫】「取引できる立場だと思ってんのか? 親父が死んでることを隠してるくせに…!!」
【楼座】「そ、そうよそうよ…!! 私たちをずっと欺いて、お父様の財産を私物化してきたくせに…!」
【霧江】「それをうやむやにする分も、全て含めてチャラにして、仲良く四等分。フェアな話だと思うわ。」
【蔵臼】「ほう、そこまで言うなら四等分にしようじゃないか。今すぐこの山を切り分けて、自由に持って帰るがいい。2.5t分のインゴットが入るポケットでもお持ちならばの話だがね…! それに諸君はどうやら、黄金の山に惑わされて、すっかり冷静な判断を失ってしまっているようだ。」
【秀吉】「そら、どういう意味でっか、蔵臼兄さん。」
【蔵臼】「このインゴットを見たまえ。見ての通り、刻まれているのは親父殿の紋章だけで、正式な刻印ではない。……刻印の打たれていないインゴットを、諸君はどう換金するというのかね?」
【留弗夫】「んッ、………それは……、」
【蔵臼】「ようやく気付いたかね? 確かにこの黄金の山には200億円の価値があるだろう。しかしそれは、換金を経ればの話だ。これだけの大量の、刻印のない正体不明のインゴットを、誰にも知られずに然るべきレートで換金することが、君たちに出来るのかね?!」
換金も、ネックレスや指輪程度なら、どうとでもなるかもしれない。しかし、刻印もなく、表沙汰に出来ない何tものインゴットを、水面下で換金することは、普通の人間には不可能だ。
……しかし、蔵臼には出来る。金蔵の代から付き合いのある政財界の友人たちの中には、充分な資金力を持ち、アンダーグラウンドに精通した人間たちも存在する。黄金の魔女が先ほど差し出したキャッシュカードの10億円も、金蔵と縁のある人物を通じて、秘密裏に現金化されたものなのだ……。
しかし、蔵臼以外の兄弟たちには、そのようなコネクションはない。現金化は、蔵臼に頼らざるを得ないのだ。
【蔵臼】「ようやくわかってきたかね? 親父殿のことを隠していたことは謝ろう。しかし、それを弱味に出来るほど、君たちは優位な立場にはないのだよ。」
【絵羽】「……そ、その程度のことで優位に立ったつもりぃ?!?!」
【蔵臼】「何だね、その銃は。物騒な真似は慎みたまえ。」
絵羽は、手に持つ銃を、へし折らん限りの力でギリギリと捻る。
……魔女が部屋に用意していた4丁の銃は、今は親族たちの手にあった。黄金が彼らの心を惑わすように。銃は彼らの心を凶暴にする魔力があるようだった……。
絵羽と蔵臼はとうとう取っ組み合いを始める。その脇では、さらに夏妃も留弗夫たちと言い争いを始め、荘厳なる地下貴賓室は、轟々たる罵声の合唱で満たされた……。
【縁寿】「………………………………。」
その光景を延々と見せ付けられ、縁寿は顔を辛そうに歪める。自分の両親や親族たちが、口汚く罵り合う光景を見せられては、無理もないことだった。
【理御】「……何てことだ………。」
理御もまた、辛かった。自分がその場にいたなら、彼らを仲裁してなだめたかった。
黄金は逃げない。冷静に時間をゆっくりと掛ければ、解決できる話なのだ。絵羽たちの言い分を聞く限り、年内に大きなお金を必要としていることはわかる。しかし、そのお金は10億円のキャッシュカードで充分に支払える。
火急な支出をそれで満たした上で、ゆっくりと黄金を現金に溶かし、分配すればいいではないか。
確かに、換金は蔵臼にしか出来ないかもしれない。その分、兄弟での立場は有利かもしれない。しかし、この黄金は表沙汰に出来ないものだ。世間の好奇の目を引くだけでなく、いろいろ法律上の問題も出てくる。
裏金は裏金のままにした方がいい。最も彼らが多くの取り分を得ようと思ったら、彼ら全員が、この黄金の存在を口外すべきではないのだ。
即ち、彼らが最大利益を享受するためには、全員で秘密を守るという紳士協定が必要なのだ。確かに換金できる蔵臼の立場はやや有利だ。しかし、他の親族たちには、黄金の存在を公にするという非協力が可能なのだ。
それに、……金蔵の死を隠しているという負い目もある。蔵臼は投資家。資金力だけでなく、ある程度の社会信用も重要な立場だ。彼が居丈高になれるほど、立場はそう有利ではないはずなのだ。
【理御】「……みんな、……あの黄金の山に、冷静さを失ってしまってる。……これは、大人の口論じゃない。……ただの子供の喧嘩だ。」
【縁寿】「こんな光景を私たちに見せて、何が楽しいってのよ……。それとも、これが新しい魔女の遊びってわけ…? 私たちが嫌そうな顔をするのをどこかで眺めてて、にやにやしてるってわけ?!」
【理御】「…………………………………。」
もう自分にも、……一体、何者が何の目的でこんなものを見せるのか、わからない。この新しい物語が、少なくとも慈愛に溢れているようには見えない。
……最初は、クレルの未練が消え去った、美しい、事件の起こらない世界だと思った。しかし、何かが違う。この物語には、明らかに私たちへの悪意が満ちているのだ。それを確信するのだが、……誰が何を見せたいのか、まったくわからない。
唐突に、大きな破裂音が響き渡った。……銃声とは、思わなかった。だって、……普通に人生を過ごしていたなら、そんな音、誰だって聞いたことがないのだから。
ぼたっ、ぼたぼたぼたっ。大粒の雨雫が床を叩く音。
……この地下室に、雨粒は降らない。……それは、夏妃の顔から、……右目から、ぼろぼろと零れ落ちる、血雫の音だった。
銃弾は彼女の右目から、後頭部へ向けて貫いていた……。
【蔵臼】「な、………夏妃………?」
【絵羽】「…あ、…あんたが、……突っ掛かってくるから……。」
絵羽の手から、……するりと落ちた銃は、乱暴な金属音を立てて床に転がる。その音を合図にしたかのように、夏妃はゆっくりと天井を見上げる…。
【蔵臼】「……なッ、………夏妃……。……夏妃ぃいいぃいいッ!!!」
ばたりと夏妃は仰向けに倒れる。後頭部を床に打ち付けた時、赤い飛沫がびしゃりと放射状に広がって、……彼女の死に顔を飾る一輪の花になった…。
【楼座】「夏妃……、……姉さん…………、」
【蔵臼】「な、なぜ撃った?! なぜ撃った、絵羽ッ、絵羽ぁああぁあああああああぁあッ?!?!」
吼え猛る蔵臼が、銃を振り上げながら絵羽に飛び掛かる。
同じ瞬間、蔵臼の前に割って入るように秀吉も飛び込む。二人は取っ組み合いになった。
【蔵臼】「よくも夏妃をッ、夏妃をぉおおおぉおおぉおお、ぐぐぉおおおおぉおおお!!」
【秀吉】「くッ、蔵臼兄さん、違うんや…、違うんや…、これは…事故や……ッ!!」
【蔵臼】「絵羽ぁあああぁ、よくも夏妃を!! 殺してやるッ、殺してやるぅううう!!」
【絵羽】「わ、………私は撃ってないわよ…、撃ってない…。や、……やめろと言うのに彼女が、しつこく突っ掛かってくるから…!!」
妻を目の前で失った蔵臼の表情からは、もはや理性が消えていた。秀吉を振り払い、絵羽に組みかかったなら、喉笛を食い千切らんばかりの鬼気だった。
【蔵臼】「なぜ殺した?! なぜ殺したッ?! 絵羽ぁああぁああぁ!!」
【秀吉】「これは事故やッ、事故なんや…!! 落ち着いてや、蔵臼兄さん…!! ……痛たたたたた、………うぐぐ、ぐぐぐぐぐ……。」
破裂音が再び鳴り響いた。秀吉の顔に、返り血が浴びせられる。
二人は、蔵臼の持つ銃を押し合うような形で取っ組み合っていたのだ。その銃口が、蔵臼の顎の下に入る形になった時、………黄金の部屋で嘲笑う、姿無き死神は、再び同じ鎌を振るった。
蔵臼の口から、……血が、とろりと筋を引く。
【秀吉】「ぅ、……ぅわあぁああ、ひゃあぁああぁああぁ…!!」
秀吉に覆い被さる形で二人は倒れる。情けない悲鳴をあげながら、秀吉は圧し掛かる蔵臼の体より逃れる…。
【絵羽】「あ、……あなた…!!」
【秀吉】「わしは何もしてないッ!! 蔵臼兄さんの指が引き金に掛かっとったんや…! 事故や、事故や…!!」
【絵羽】「そ、そうよ、事故よ……、これは事故よ……!!」
事故事故と繰り返しながら泣き喚き合う二人に、楼座たちは何も声を掛けられない……。
その光景を、魔女も見ていたが、何も口にせず、また何の関心もないようだった。
【秀吉】「わ、……わしらは悪ぅないで…! 事故やで、事故…! 見てたやろ?! な? な?!」
【絵羽】「楼座も見てたでしょ?! 蔵臼兄さんも夏妃姉さんも、感情的になって突っ掛かってくるから…!」
【楼座】「…………さぁね。私にはわからないわ。」
【絵羽】「馬鹿楼座ッ!! あんた見てたでしょ?! そこで見てたんならわかるでしょ?!」
【楼座】「ごめんなさい。偶然、暴発したのか、それを装って殺したのか、私にはわからないの。」
【絵羽】「ろ、楼座、あんた………!!!」
【秀吉】「留弗夫くん…! あんたは見てたやろ?! わかるやろ?! な?!」
【留弗夫】「……………………。……すまねぇが、楼座に同じだ。事故か故意か何て、俺たちにはわからねぇ。」
楼座の眼差しも留弗夫の眼差しも、絵羽たちにはあまりに淡白で冷たく見えた。
【絵羽】「どうするのよ、銃で死んでるのよ…! 事故とか誤魔化せないわよ…!!」
【秀吉】「も、森や! 森に行って、行方不明になったとか言って時間を稼ぐんや…!」
【絵羽】「そんなので誤魔化し切れるわけないでしょ?! 警察が森中を捜索するわよ?! そもそも、あの未開の森にどうして二人が出掛けるのよ?! すぐに不審に思われるわよ! 騙し通せるわけないわッ!!」
【秀吉】「大丈夫や…! ここに死体を隠せば誰にも見つからん! みんなで知らん振りをすれば誤魔化せる!」
【楼座】「無理よ……。警察を誤魔化せるわけないわ。遺産問題で揉める親族会議で、兄さん夫婦が深夜に揃って失踪なんて。……警察が簡単に、行方不明で済ましてくれるわけがないわ。」
【絵羽】「…………………。………い、いい案を思いついたわ…。」
感情が高ぶらせて、頭を掻き毟っていたはずの絵羽が、……唐突に、ぷつんと糸が途切れたかのように、両腕をだらりとさせて言った。
【秀吉】「な、……何か思いついたんか。」
【絵羽】「……事故よ。……事故に見せ掛ければいいのよ。」
【秀吉】「アホ抜かせ…! 事故って何や…?! 二人の死体には、はっきり銃創が残っとるんやで?! 火事に見せ掛けて焼いたって、銃で死んだとバレバレや!!」
【絵羽】「……火事? そんなのじゃ駄目よ。……もっと。もっともっと、大きな事故じゃなきゃ。」
【秀吉】「お、……大きな事故……?」
絵羽はゆっくりと歩き出し、………それを叩きながら、言った。
【絵羽】「爆発事故よ。……死体が跡形も残らない事故が起こればいいのよ。」
24時に自動的に起爆する、あの仕掛け時計のスイッチを弄りながら、……絵羽は、その狂気に満ちた表情で振り返る…。
それはまさに、狂気の閃き。その上部のスイッチを右に入れ、次の24時を待てば、900tの爆薬で屋敷は跡形もなく吹き飛ぶ。
死体など、跡形も残らない。爆発以前に、銃ですでに死んでいたなんて、絶対にわかるわけがない。
【絵羽】「この島に戦争中の爆薬が未だに残ってるというのは紛れもない事実! それが明日の夜、偶然! 何かの拍子に間違って爆発してしまうのよ!! そう、これは事故! 爆発事故ッ!! どう?! 絶対に警察にはわからない!! これなら誤魔化せる!! 二人の死体を誤魔化せる!!」
【秀吉】「は、……ははは、……んな、……馬鹿な……。」
秀吉はわなわなと震えながら、絵羽の狂気の閃きを否定しようと、反論の箇所を必死に思考して探す。
………しかし、見つからない。全てを吹き飛ばし、何もかもを有耶無耶にできる……。蔵臼と夏妃の死を、爆発事故で死んだものと、誤魔化せる……!
【絵羽】「完璧だわ、完璧よッ…!!! 兄さんたちが死んだのだって事故だもの! もう一つ、事故が起こるだけの話だわ!! ね、そうでしょう、あんたたち?! 筋書きは適当に考えるわ!! とにかく私たちはたまたま明日の夜、隠し屋敷にいた! そこで偶然、爆発事故が起こって難を逃れた!! そういう筋書きにすればいいのよ!!」
【楼座】「………な、何をどういう筋書きにするつもりよ。……蔵臼兄さんと夏妃姉さんだけを残して、残り全員が隠し屋敷に行っていて、私たちだけが都合よく難を逃れるって、一体、どういう筋書きよ…!」
【絵羽】「それはこれから考えるって言ってるでしょッ、馬鹿楼座ッ!!! 何でもいいのよ、口裏さえ合わせればどうにでもなるのよ!! 考えるわよ、考えてるわよッ、あんたたちも考えなさいよッ!! 誰か考えてぇええぇえええッ!!!」
【秀吉】「お、落ち着くんや絵羽…。わしも考える、みんなも考えとる! 必ずうまく行くんや、思いつくんや! お前だけに背負わせとるわけやないで、みんなで背負うんやで…!! 大丈夫ッ、大丈夫やッ!! 必ずうまい言い訳が思いつくんや!」
【楼座】「……それはどんな言い訳なの? 蔵臼兄さんと夏妃姉さんの二人だけを屋敷に残して、……私たちと子供たちと、あと使用人のみんなも一緒に仲良く地下道を探検して、みんなで隠し屋敷で夜を過ごすという、どういう言い訳なの? うまい言い訳があるわけもない。……滅茶苦茶だわ!」
【絵羽】「その滅茶苦茶を考えるのが私たちの仕事でしょッ?!?! 何を他人面してんのよ?! あんたたちも考えてよッ、考えなさいよッ!!!」
【楼座】「………姉さん。質問するわ。……島を吹き飛ばしたら、この黄金はどうなるの?」
【絵羽】「んッ、……そ、………それは…………………。」
【楼座】「私たちはやっと200億の黄金を手に入れたのよ。それをみすみす吹き飛ばすつもり…?」
【絵羽】「そんなの運べばいいじゃないッ、運べばッ!! 爆発は明日の24時! まるまる1日あるのよ?! みんなで運べば何とかッ、」
【楼座】「10tあるのよ? ……お米の袋を担ぐのもやっとの私たちが、一体どの程度の量を、たったの一日で、島の反対側まで通じる長い地下道を徒歩で往復して運ぶって言うのよ。それこそ無茶苦茶だわ。」
【絵羽】「こ、これ!! カードがあるじゃない! さっき、あの女から受け取った10億円の入ったカードが!! 黄金は運べるだけ運べばいい! それを別にしても、私たちには10億円が入ったカードがあるわ! 三等分しても分け前は最低3億! 私たちの誰もが、それで充分に金策を凌げるじゃない!!」
【楼座】「嫌よ。」
【絵羽】「な、……何がよ………。」
【楼座】「ここにこうして、200億円の山があるのに。どうして3億ぽっちで納得しなきゃいけないのよ。」
【絵羽】「ろ……、楼座ぁぁ……ッ、」
苦悶に表情を歪める絵羽に対し、……楼座は冷た過ぎるほど淡々とした表情で告げる。
【楼座】「……蔵臼兄さんたちの取り分を除いたとしても。私たちの取り分は1人50億よ。カードの3億を抜いて、残りは47億。……それを姉さんが私に払えるって言うなら、この黄金の山は好きにしてくれていいわ。」
【絵羽】「あんた、何をしゃあしゃあとッ!! 協力する気はないの?!」
【楼座】「姉さん。頭を冷静にして聞いて頂戴。私も姉さんも、最も多くのお金を手に入れられる方法を提案するわ。」
【絵羽】「な、何よ……?!?!」
【楼座】「素直に警察に、取っ組み合いの末、銃が暴発したと言って、自首してほしいの。」
【絵羽】「ば、馬鹿言ってんじゃないわよッ、私は嫌よ、警察なんてッ!!!」
【楼座】「さすがに、事件がここで起こったとは言いたくないわね。警察に黄金が見つかっちゃう。……そうね、薔薇庭園なんてどう? 雨が降ってるから、現場検証の時、矛盾が発見されなくていいかもしれない。」
【楼座】「どういう経緯で、雨の薔薇庭園で銃を持った兄さんたちと取っ組み合いになったかについては、それこそ姉さんに言い訳を考えてもらうわ。……自分たちの罪を隠したいからって、私たちとその取り分まで巻き込まないで。」
【絵羽】「ろ、楼座ぁああぁああああぁあああああぁあああぁッ!!!」
【楼座】「いいじゃない。別に何十年も食らい込むわけじゃない。だって事故なんでしょ? ほんの数年で出て来られるわよ。……罪を償って綺麗になって戻ってきたら、姉さんの分の黄金、50億を好きにすればいい。」
【絵羽】「嫌よ、絶対に嫌よ!! 私たちが捕まったらどうなるのよ?! うちの人の会社はどうなるのよッ?!」
【楼座】「別にいいじゃない、会社なんて。50億もあるんだから、もう働くのも馬鹿馬鹿しいんじゃない?」
楼座は始めから、絵羽の提案する爆発事故に乗るつもりはない。各自の分け前の最大配分を考えれば、爆発事故は何の得にもならないのだ。蔵臼たちの死を隠蔽できる。それ以上の意味は何もないのだ。
楼座から見れば、余計な工作などせず、素直に警察に自首してもらえるのが最善なのだ。ただ現場だけを、ここでなく、別の場所にして欲しいだけ。
ベルンお得意のカケラ紡ぎ的視点で考えた場合、大博打に負けて全てを失った金蔵のカケラは、爆弾によって全て消え去ったと考えることもできる。
六軒島が無事に1986年を迎えるという条件設定のもとでは、金蔵は必ず勝負に勝っているという、確率の魔法である。
しかし、絵羽は警察に捕まりたくなどない。50億の分け前が、3億程度に減るのは悔しいが、彼女が蔵臼からせしめようとしていた当初の金額からすれば、それは充分過ぎるものだ。47億を吹き飛ばすことになっても、この場を誤魔化したいのだ。
自分たちが捕まればどうなる? 絵羽にとって、今日まで積み上げてきた生活と会社、そして信用は、一度失えばお金では買い戻せないものだ。
だから、47億ごと全てを吹き飛ばしてでも、蔵臼たちの死をなかったことにしたい…! しかしそれは、楼座から見れば、まるっきり冷静を欠いた世迷言なのだ。
【絵羽】「ろ、楼座ぁあああぁあぁああああああぁッ!!」
【楼座】「なぁに、姉さん。その銃は。……私も暴発ということで殺すの? 言い訳がますます難しくなるわよ。それどころか、蔵臼兄さんたちのことも、事故とは言い難くなるんじゃないかしら…?」
【楼座】「3人もの死に関わったら、かなりの大事件だわ。………恐らく、求刑は死刑。妥当なところで無期懲役。軽くても10年以上は食らい込みそうね?」
【楼座】「大人しく自首しなさいよ。そうすれば、不幸な事故がたまたま重なったことで済ませられるわ。無論、刑期だって大したことはない。……譲治くんのことは安心して。私たちでちゃんと面倒を見ておくわ。姉さんの取り分の50億はきっちり、手付かずで残しておいてあげるから安心して。」
絵羽はギリギリと歯噛みしながら睨みつける。彼女のよく知る楼座なら、それで震え上がって従順になるはずだった。しかし、……楼座は怯えない。絵羽が一度も見たことがないような表情で、淡々と、……いや、薄い笑みさえ浮かべているのだ。
【楼座】「銃を下ろしなさい、姉さん。頭を冷やせば、私の提案が最善だとわかるはず。……いいじゃない、刑務所。経済行為で考えてみて?」
【楼座】「仮に10年食らうとしても、釈放されれば50億が待ってる。それって、年収5億のお仕事ってことでしょう? そう思えば、お勤めも楽しくなるんじゃない?」
【絵羽】「嘘だわッ!!! あんたはその間に私たちの取り分も取って逃げる気よッ!! あんたの男がそうしたようにねッ!!!」
【楼座】「うッ、うちの人のことは関係ないでしょッ?!?! 私は逃げないわよッ、お金を持ち逃げなんてッ、絶対に、……ぅぉお、……絶対にしないわよぉおおおおぉおおお!!!」
冷酷だった楼座の形相が、憤怒で染まる。猛り狂う二人は銃を向け合い、互いを口汚く罵り合う……。
黄金の部屋の死神が、ゆっくりと這い寄る気配が、嗅覚でわかる。ちりちりとした火薬の臭いが、爆ぜるような死の臭いが充満していくのがわかる……。
ぐぽり。楼座の口から、血の泡がどろりと零れ落ちる。
そして、……まるでマネキンが押されて倒れるかのように、……無機質に倒れた。
【秀吉】「……え、……絵羽……?!」
【絵羽】「わ、……わ、私じゃないわよッ! 私、本当に引き金を引いてないのにッ?!」
【霧江】「…………絵羽姉さんの銃は、さっき夏妃さんを撃った時、弾が空になったでしょう…? 再装填してないんだから、どう引き金を引いても、その銃では人は殺せないわ。安心して。」
霧江はそう言うと、慣れた仕草でレバーハンドルを操作し、硝煙の香る薬莢を排出する…。それは、軽い金属音を立てて床を転がる。その小さな音が、いやに響いて聞こえた…。
【霧江】「楼座さんの見込みは、少し甘いわ。……無刻印の、これだけ大量のインゴットを換金するのなんて、どれだけ大変か、まるでわかってないわ。」
【留弗夫】「………見せ金に使っただけで、右代宮家黄金伝説なんてのが出来ちまうほど、親父の時にだって大きな噂になったんだ。……無理さ、換金なんて。換金できねぇ黄金の山なんて、クソの山と同じだぜ。」
【霧江】「10tもの黄金が水面下で換金されていて、次期当主夫婦が怪死。これで目立つなという方が無理な話だわ。……警察沙汰にしない方がいい。この島を吹き飛ばして証拠隠滅。インゴットに未練があるなら、持てる分だけどうぞご勝手に。10億のキャッシュカードだけで、見返りは充分。……つまり、絵羽姉さんが正しいのよ。」
【絵羽】「う、………嬉しいわ……。……あなたと、意見が一致して……。…け、警察沙汰になれば、何が起こるかわからない。黄金の換金だってそうだわ。きっとボロを出すきっかけになるわよ、私たちにはどうにもならなかった…!!」
【絵羽】「あの女が現金化してくれた10億が、私たちに手に入れられる唯一のお金なのよ! そして10億の山分けだけでも、私たちには充分過ぎるわ…! そして今、楼座が死んで、その分け前はさらに増えたわ…! 私たちは5億ずつを持って、島から出られる…!」
【霧江】「そういうことよ。黄金を換金したいなんて欲さえ捨てれば。……この島で起こった全てを、なかったことに出来る。そういう仕掛けが、ここにはあるわ。」
もはや、銃の暴発による事故死も、射殺も、この島では何の意味もないのだ。全てが等しく、爆発事故で上塗りすることが出来る。明日の24時までの間に、この島で何があっても全て、等しく爆発事故に書き換えられるのだ。
【絵羽】「……それを、……自首しろですって?! 馬鹿楼座…! 3億ぽっちじゃ嫌? 欲の皮を突っ張らせるからよ……。じ、…自業自得だわ……。」
【秀吉】「しかし、霧江さん……、何も撃つことはなかったやろ……。楼座さんかて、話せばわかってくれた話や……。」
【霧江】「撃つ必要はあったのよ。だって、楼座さんだけが、銃を撃ってないんだもの。」
【秀吉】「………そら、どういう意味でっか…。」
【霧江】「あなたたちの足元に落ちている、蔵臼兄さんの銃と、絵羽姉さんの銃。どちらも発砲済みだわ。でも、楼座さんの銃は引き金を引くだけで弾が撃ててしまう。……レバーアクションは慣れないとリロード、難しいのよ。素人じゃなかなか出来ないわ。」
【絵羽】「霧江さん、何の話……?」
【秀吉】「あ、……あんた……ッ!!」
二人はようやく、霧江が何の話をしているのか理解する。“楼座は、まだ撃てる銃を持っていたから、真っ先に撃った”。
あぁ、何と愚かしいことか、なぜ、直感できなかったのか。この島で起こった全てを、なかったことに出来る仕掛けがあると、理解しているはずなのに…。
絵羽と秀吉は慌てて足元の銃を拾い上げる。
それと同時に、霧江の銃が再び火を噴いた。
秀吉が短い悲鳴を上げて、胸を抑えながらうつ伏せに倒れる。
【絵羽】「あなたッ?! あなた…!! ……う、……何これッ、」
絵羽は拾った銃の再装填をしようと、うろ覚えの西部劇の真似事をしてレバーハンドルをいじってみるが、ガチっと何かに引っ掛かってしまって、開いたハンドルがびくともしなくなってしまう。
【霧江】「ね? 結構、難しいでしょ。」
【絵羽】「あ、……あ…んた………ッッ!!!」
霧江の銃は、慣れた手つきで再装填を終えている。その構えはまるで、子供が水鉄砲を構えるように無邪気で、そして遊び慣れたものだった。
無情の銃声と同時に、絵羽という人形を吊っていた糸が全て千切れたかのように。絵羽は床に崩れ落ちる……。
【霧江】「……留弗夫さん。10億のカード。」
【留弗夫】「おう……。」
絵羽がさっき、魔女から受け取った、10億円の入ったキャッシュカード。それだけで、もう充分過ぎる金額なのだ。
200億の黄金の山などがあるから、お金の価値がおかしくなる。人はほんの百万円程度で充分殺し合いが出来るのだ。それが、10億。
【霧江】「楼座さん。あんたのさっきのあれ、名言よ? 3億ぽっち? ……あんた、欲をかき過ぎだわ。」
【留弗夫】「へへ……。違いねぇな。………お、ラッキーだぜ。死体をまさぐらずに済む。」
絵羽の死体に近付いた留弗夫は、その傍らに落ちているカードを見つけ、拾い上げる。
【留弗夫】「この薄っぺらいの1枚で10億か…。……もう会社も馬鹿らしいぜ。畳んじまって、余生はのんびり、南国で過ごすか?」
【霧江】「どうせすぐ飽きるわよ。それに私、トラブルで苦悩したり、それを乗り越えて無邪気に喜んだりしてるあなたが、好きなんだもの。」
【留弗夫】「へへへ…! 言うねぇ…。」
【霧江】「ありがと、黄金の魔女さん。……この10億は、私と留弗夫さんで有効に使わせてもらうわ。」
【ベアト】「……………………………。」
【霧江】「蔵臼兄さんは、あんたを紳士的に扱うと約束したわ。でも、私はそんな約束をしていない。」
……情け容赦なく、引き金を引く。発砲音の残響が収まると、……魔女は口からどろりと血を零し、そのままベッドに倒れた。
再び、手馴れた仕草で排莢する霧江。四度、薬莢が床を叩く軽い金属音が、もはや分け前の全てが留弗夫夫妻によって独占されたことを告げる……。
【霧江】「……本当に頭の回転の鈍いヤツらだわ……。………爆弾の仕掛けを聞いた時、この島から、全ての仲良しごっこが消え去ったことに、気付けなかったなんて。」
【留弗夫】「悪ぃな、兄貴、姉貴、楼座。……まぁ、こいつはたまたまの成り行きだ。勘弁してくれよな。兄貴と姉貴が喧嘩をして、楼座がそれに巻き込まれ。俺がひょいっと漁夫の利をさらう。……昔っからのお約束じゃねぇか、なぁ?」
留弗夫たちは、最初から皆殺しにして独り占めにするつもりがあったわけではない。霧江は、自分が手にした銃が、銃身の長さから装弾数が5発だろうということはすぐに見抜いていた。
………そう。霧江も留弗夫も、この銃には深く精通していた。父親の影響で、西部劇の銃に興味を持っていた留弗夫は、同型の散弾銃を所持していたのだ。そして霧江も同じ銃を扱う資格を持ち、二人で射撃を楽しむほどに、……この銃には精通していた…。
この場にいる人数は、魔女を加えて8人。自分たち以外に6人いる。装弾数は5発。……1発、足りない。皆殺しには銃弾が足りなかったのだ。
【留弗夫】「……兄貴たちが取っ組み合いをして、暴発が起こった時には、正直、驚いたぜ。」
偶然の事故が、……足りない銃弾を、満たした。二度目の銃声ではない。最初の、夏妃の暴発事故の時点で、この虐殺劇は約束されていたのだ…。
累々と屍の転がる、硝煙の香る黄金の部屋で、二人はあまりにいつもと変わらぬ飄々とした笑顔を浮かべ合う…。
【留弗夫】「……どうする。これから。」
留弗夫は楼座の銃を拾い上げる。そして、壁に向けて試し撃ちをし、霧江同様の手馴れた仕草で排莢をして見せた。
霧江はテーブルの上に置かれた銃弾の箱から、弾を無造作に掴み、次々に自分の銃に装填している。
【霧江】「爆弾のスイッチをオンに。そしたらあとは24時間を待つだけよ。」
【留弗夫】「朝になれば、姿が見えないと騒ぎになるぜ。」
【霧江】「騒がせなければいい。」
【留弗夫】「そうなるな。……戦人はどうする?」
【霧江】「あなたの子供よ。私の子供じゃないわ。」
【留弗夫】「そういうこと言うなよ。あんなに懐いてたじゃねぇか。あいつ、お前のこと、尊敬してるんだぜ。」
【霧江】「じゃあ、うまいこと言い包める言い訳を考えてね。私は縁寿のことを考える。あなたは戦人くんのことを考える。公平でしょ?」
【留弗夫】「ん、………あぁ。」
【霧江】「私、自分の子供にはやさしいけれど。……明日夢さんの子供にまでやさしくするの、結構、大変なの。わかってるでしょ?」
【留弗夫】「…………………………。」
霧江の声が、一際、冷たく刺さる。
霧江が戦人に温かく接するのは、無論、大人としての対応だ。留弗夫にとっての子供でもあるから、邪険にしないだけのこと。一皮を向けば、死してなお憎い明日夢の子供なのだ。
縁寿を生み、新しい家族をようやく築けた彼女にとって、………戦人が帰ってきたのは、本当に喜ばしいことだったのだろうか……。
【霧江】「腹を括って。ここまで来たら。……10億を掴むか、死ぬかだけよ。戦人くんが、納得しなかったら、悪いけれど、それまでよ。」
【留弗夫】「………脅すなよ。任せろって。うまいこと丸め込んでやるから。」
【霧江】「せいぜい、しっかりね。……戦人くんが事故で亡くなったと聞いたら、きっと縁寿も悲しむわ。」
【留弗夫】「おう……。…………………。……手始めにどうする。」
【霧江】「朝を待って得になることはないわ。今が最適よ。」
【留弗夫】「……やれやれ。一服する暇もなしかよ。」
【戦人】「……テストぉ? 何をする気だよ。この時間に? 今から?」
戦人が受話器に、素っ頓狂な声を上げる。この時間に? という言葉に、譲治と朱志香も振り返る。
時計は24時を過ぎている。歯を磨いて寝ろと言われるならともかく、テストなどと、何の話やらまるでわからなかった。
【戦人】「わかったよ、代わるぜ。………譲治の兄貴に。うちの親父から。」
【譲治】「……もしもし、代わりました。譲治です。」
【留弗夫】「おう、譲治くんか。こんな時間に済まねぇな。寝てたわけじゃねぇだろ? みんなで色々盛り上がってたんだろ?」
【譲治】「そんなところです。真里亞ちゃんは寝てて、……あ、いや、目が覚めたみたいです。それで何の話ですか? 戦人くんはテストとか言ってましたけど…。」
【留弗夫】「ん、あぁ。親父にも困ったもんさ。さっき唐突に上から降りてきてな。色々あった挙句、どの孫が次の当主に相応しいか、なんて話に急になっちまってよ。」
【譲治】「……次期当主は蔵臼伯父さんなのでは?」
【留弗夫】「俺たち4人はみんな次期当主失格だとよ。……それで、俺たち親をすっ飛ばして、孫から次期当主を選ぶ、なんて話になっちまったわけさ。急な話で、俺たちも大いに荒れてる。向こうで、兄貴たちは喧々諤々やってるぜ。姉貴の金切り声が受話器越しにも聞こえねぇか?」
【譲治】「そ、……そうですか。お祖父さまが仰ることなら仕方がないですね…。それで、僕たちはどうすれば?」
【留弗夫】「朱志香ちゃんから順に、一人ずつ、呼び出しがあるそうだ。……ん、ちょっと待ってくれ。………………………。……あぁ、もしもし。トップバッターは譲治くんと朱志香ちゃんだそうだ。朱志香ちゃんは屋敷の客間へ。譲治くんは礼拝堂の前まで行って欲しいそうだ。」
【譲治】「いきなりのことで、心の準備がまったくありませんが……。テストって何ですか?」
【留弗夫】「親父のヤツめ、おかしなクイズみたいなものを作ったみたいだ。……当主の心構えとは何ぞや、みたいな珍問らしいぜ。」
譲治は、無論、違和感を覚えていた。しかし、気紛れで突拍子もないことを始めることで有名な金蔵のこと。……このおかしなテストも、金蔵の突然の思い付きでと言われれば、そうかもしれないという気にはなった。
……しかしそれでも、一人ずつテストをするなら、順番に一人ずつ呼ばないだろうか? 面接室で待ち、順に呼び出せば済む話。
どうして二人を同時に、別々の場所に呼び出すのか。……段取りが悪く、わずかの違和感を覚えた。
【留弗夫】「しかし、何だって譲治くんは礼拝堂前なんだろうな。……祖父さまが、特に要望してる。よくはわからねぇが、二人きりで話したいことがあるそうだ。」
【譲治】「……お祖父さまが、僕に?」
【留弗夫】「何の話だろうな。譲治くんは孫の中で一番優秀だからな。何か特に話したいことでもあるんじゃねぇか? ……ま、とにかくそういうわけだ。すぐに移動してくれ。礼拝堂の方には俺も行くことになってる。さっさと済ませようぜ。お互い、風邪を引いちまわぁ。」
【譲治】「…………そうですか。わかりました。では、僕は礼拝堂の前へ。朱志香ちゃんは客間へ。………はい。それでは後ほど。」
このような夜更けに金蔵は、テストだの、二人きりで話したいだの、一体、何だと言うのだろう。
しかし、金蔵の余命がそう長くないことも周知の事実だ。彼が一人一人に何かの遺言を伝えたがっているとしても、それは不思議なことではない…。
譲治の中に芽生えたわずかの違和感は、詳しい話は会って直接聞いてみようという思いで掻き消えた。譲治は受話器を置き、今の話を手短に一同に伝えた。
【譲治】「聞いての通りだよ。………お祖父さまが僕たち全員に、何かのテストをしたいと言ってる。」
【真里亞】「うー? テスト…?」
【朱志香】「何年かぶりに書斎から出てきたと思ったら、こんな時間にテストごっこかよ。……ったく、祖父さまめ。何を考えてやがんだ。」
【譲治】「それに関しては、僕たちの親も同感のようだよ。かなり揉めてるみたいだ。」
【戦人】「ま、揉めたところで、祖父さまにゃ勝てないんだろうけどな。」
【譲治】「そういうことだね。……仕方がない。当主様の命令だからね。従おう。……まず最初は、僕と朱志香ちゃんが呼ばれてる。僕は礼拝堂へ。朱志香ちゃんはお屋敷の客間へだそうだ。」
【戦人】「俺と真里亞は?」
【譲治】「追って連絡があると思うよ。ここで待ってて。」
【真里亞】「うー! 真夜中のテスト! 何だろう?! どんなテストだろう?! クイズ? パズル? 真里亞、狼と山羊のパズルなら得意! うー!」
すっかり目が覚めてしまった真里亞は、この真夜中のテストという、思わぬハプニングに、すっかり興奮してしまっているようだ。
【戦人】「じゃあ、俺たちは留守番してるぜ。」
【譲治】「うん。じゃ、行ってくるよ。もう待ってるみたいだし。」
【朱志香】「……次期当主を孫の誰かにねぇ。ま、私にゃ好都合だぜ。誰かに押し付けるチャンス!」
【真里亞】「真里亞、次期当主になるー! なりたいなりたい! うーうーうー!」
【戦人】「あっはっは。真里亞が次期当主ってのも悪くねぇぜ。」
【譲治】「じゃあね。また後で。」
受話器を置き、留弗夫は立ち上がる。
【留弗夫】「さて。……俺は礼拝堂前か。冷えそうだな。……郷田さん。戻ってきたら、熱いコーヒーの用意を頼むぜ。」
留弗夫の傍らには、………郷田が仰向けになって倒れていた。その顔は、クロスワードパズルの本で覆われている。しかし、ページは血で滲み、本を退けずとも、その哀れな最期が容易に想像できた…。
【霧江】「どう? いい脚本だったでしょう?」
【留弗夫】「あぁ。親父に感謝だぜ。親父の気紛れってことにしときゃ、誰も疑いやしねぇ。」
【霧江】「くすくす。じゃあ、手分けして行きましょう。……私は朱志香ちゃんを。あなたは譲治くんを。」
【留弗夫】「おう。……手際良く済ませて、のんびりコーヒーでも啜ろうぜ。」
【霧江】「大丈夫よね? ……今頃になって良心の呵責とか、ないわよね?」
霧江が、一際冷酷に、笑う……。
本来なら、一人ずつ呼び出し、二人掛かりで始末した方が安全だろう。……しかし霧江は敢えて、二人は別々に仕事をすることを選んだ。
留弗夫の覚悟を、量る為だった。手を汚すのが全て自分で、留弗夫はただ見ているだけでは、彼の心に覚悟が宿らない。彼自身に自らの手を汚させることで、彼に本当の覚悟をさせることが出来るのだ。
……霧江は、そういう心の駆け引きを、誰よりも深く理解していた。霧江の冷酷な眼光に、留弗夫は反射的に目を背けてしまうが、すぐに肩を竦める仕草をしながら答える。
【留弗夫】「当り前だろ。………10億のカネが手に入るかどうかの瀬戸際にいるんだ。俺も男だぜ。人生に二度とないチャンスを、棒に振るつもりはねぇさ。」
【霧江】「……それでこそ留弗夫さんよ。……私は、ここ一番のチャンスを逃さない人が好き。そんなあなただから、私は好きになったのよ。」
【留弗夫】「お、おう……。嬉しいぜ。」
【霧江】「留弗夫さん。」
【留弗夫】「何だよ……。」
【霧江】「ずっと、………いてね?」
【留弗夫】「え? 何だって?」
【霧江】「ずっと。……私の好きな留弗夫さんのままで、……いてね?」
【留弗夫】「………当然だろ。俺がいつお前を失望させたよ。……お前はそんな心配より、祝杯を上げる時のシャンパンの銘柄でも迷ってろってんだ。」
【霧江】「そうするわ。…………いい? 戦人くんが大事なら、礼拝堂前で譲治くんをやっちゃ駄目よ? 死体を見つけられたら面倒でしょ。」
【留弗夫】「……あぁ、わかってる。……その辺にうまく誘い出すさ。雨の屋外だ。どうとでもなるさ。」
【霧江】「西部劇の悪役じゃないんだからね? 冥土の土産とか、最期に言い残すことはとか、そんなことやっちゃ駄目よ?」
霧江は銃を構え直し、レバーハンドルに手を掛ける。……郷田を射殺した弾丸の薬莢を、排莢するために。
【絵羽】「………あなた……。………あなたぁあぁあぁ…。ううぅぅうぅぅぅ…ぅ…。」
絵羽は秀吉の亡骸を抱いて泣く。彼女は、撃たれてはいなかった。弾は頭部をぎりぎりかすめ、……外れていたのだ。
死んだふりをしていたのではない。彼女自身、本当に撃たれたと思ったのだ。霧江の銃口が火を噴き、激しい衝撃が頭をかすめた時、貧血のように気が遠退き、彼女は気絶してしまっていたのだ。
そして彼女は、静寂に包まれた黄金の部屋で、目を覚ます。
この辺りはEP3の推理の補強になる。楼座と真里亞を殺してしまった絵羽が、その後どのように考えるかという話。
傍らには愛する夫の屍。蔵臼夫婦の屍に、楼座の屍。死屍が累々と横たわる死の部屋だった……。
秀吉の亡骸に涙を零していた彼女は、…………その涙を絞り尽くし、自分にはまだやるべきことがあることに気付く。
【絵羽】「……譲治が危ないわ………。……譲治、………譲治………!」
彼らは爆弾で全てを吹き飛ばし、この島の全てを爆発事故で葬り去ろうとしている。
……やはり。案の定、仕掛け時計のスイッチは、起爆を意味する右側に入れられていた。
そのスイッチを左に戻そうとして、……絵羽は手を止める。
そう。このスイッチが右にある限り、…………この島の全ては、一夜の幻に消える。そう、これは幻。これから何が起ころうとも、全ては有耶無耶となる、幻の一夜。
【絵羽】「あいつらはきっと、残りのみんなを殺すわ。そうに違いない、絶対に…!」
銃弾の入った箱の置いてあるテーブルを見ると、箱の中の銃弾は、彼らが乱暴に掴み取りをしていった痕跡が残されていた。明々白々と、……それだけの量の銃弾をこれから使用するという意思が、そこに残されている。
……戦わなくてはならない。……せめて、愛息子だけは守るために、戦わなくては……。
撃たれた時、落とした自分の銃は、レバーハンドルが開いたままの状態で固まってしまっている。
どう力を入れても、それ以上、開かないし、また、戻りもしない。……弾詰まりを起こして壊れてしまっているようだった。……霧江が言っていた。慣れていないと、弾を装填するのは難しいと。
【絵羽】「お願い、あなた……。力を貸して……。………譲治を守るために、……力を貸して……。」
秀吉の手には、あの時、拾おうとした蔵臼の銃が。絵羽はそれを取り、……もう一度、夫に祈ってから、力強くレバーハンドルを開いた。
………軽い金属音と共に、……金色の薬莢が、くるくると回りながら飛び、……床にはねる。
恐る恐る、レバーハンドルを戻すと、……今度は何の抵抗もなく、元の位置まで戻すことが出来る。……ジャキリと、金属音。それは、新しい弾丸が装填された音だった……。
【縁寿】「……ふん。そんなことだろうと思ったわ。……私にとって、一番胸糞の悪いゲームを見せて嘲笑ってやろうって魂胆ね…。」
これまで、様々なゲームで、様々な人物たちが、犯人や共犯を疑われてきた。そして今度はそれが、留弗夫夫妻になったというだけの話……。しかし、縁寿にとっては、腹立たしいことこの上ない展開だった。
【理御】「………………………。」
理御とて、辛い気持ちでいっぱいだった。
碑文を解くという、このゲームから犠牲者を一切出さずに済む唯一の奇跡を得たはずなのに、……惨劇が回避できないなんて、何という皮肉だろう。私たちには、事件が起こる前に碑文を解くという奇跡に至ってすら、……この島から仲良くみんなで生還するという未来が許されていないのだろうか…?
奇跡は、絶対に、起きない。……ベルンカステルに見せられたカケラのどこかで聞いたその言葉が、脳裏に蘇る……。
【理御】「ベルンカステルさん……。あなたは私に、この世界の素晴らしさを教えてくれた…。……そんなあなたが、縁寿を傷つけるためだけに、こんな物語を紡ぐとは信じたくない……。」
【理御】「……ゲームマスターがあなたであることはもう、私にもわかっているんです。……教えて下さい。…どうしてあなたは、こんなゲームを私たちに見せるんです…。」
理御の呟くような問いに、誰かが答えるわけもない。
縁寿を嘲笑うためだけに容易されたゲームは、なおも淡々と、……もはや予想を一切裏切らず、最悪の展開を重ねていく……。
【縁寿】「はッ! 好きに最悪のゲームを繰り広げればいい! 猫箱の中の無限の可能性の中の一つだと言いたいんでしょう?! 好きになさいよ、好きに…!! 私はこんなことでは挫けない!! 1986年10月5日の真実を、いつか必ず暴いてやるんだからッ!!」
客間で霧江に迎えられた朱志香は、食堂でテストが行なわれると言われ、その後に付いていく…。
【朱志香】「………誰もいねぇぜ、霧江叔母さん。」
【霧江】「すぐに来るわよ。そこに座ってて。」
【朱志香】「………………………。」
朱志香は勧められた席に、そわそわと落ち着かない様子で座る。霧江の方が、よっぽどに落ち着いていた。
霧江が後ろ手に扉を閉めると、その陰に置いていた銃が姿を現す。それは朱志香には背になっていて気付かない……。
【霧江】「……霧江叔母さんは聞いているんですか? どんなテストか。」
【霧江】「えぇ。すぐに終わるわよ。」
【朱志香】「そうだといいんですけどねー。」
悪態をつきながら振り返る朱志香の顔の鼻先が、冷え切った金属にぶつかる。
【朱志香】「…………え、」
【譲治】「る、留弗夫叔父さん……?! 何を……するんですか……。」
【留弗夫】「へへ。後ろから撃つのは、どうにも性に合わねぇや。」
【譲治】「……あ、……危ないじゃないですかっ。一体、何の真似です…?!」
【留弗夫】「銃口を向けて引き金を引くってのは、他に何の真似があるってんだ?」
留弗夫は素早くリロードすると、悪びれた様子もなく再び引き金を引く。
雨の中に轟く銃声と同時に、譲治は脇腹を押さえて膝を付く…。
【譲治】「う、ぐぐ……、ぐ……ッ…!!」
【留弗夫】「おかしいな。やっぱり、狙いより下にずれるぜ。……この銃、クセが酷ぇな。」
【譲治】「だ、誰か……!! 助けて…ッ、留弗夫叔父さんが……!!」
脇腹を押さえながら、譲治はよたよたと走り出す。助けを求めるその声は、力が入らずか細い。その背後で留弗夫は悠然とした様子で、銃をいじりながら、照準の具合を見ている。
【譲治】「……痛い……、痛い……。……く、………ぐ…ッ、」
脇腹を抉るような激痛が譲治を苛む。立って歩くだけで辛い……。
体を預けるように、木の幹に寄りかかる。傷口を庇うようにうずくまると、……もう立ち上がることは出来なかった。
譲治には何が何だかわからない。でも、おかしいとはずっと思ってた。こんな時間に、こんな場所に一人で呼び出されるなんて、絶対におかしい。
………おかしいなんて、……思えるもんか…。
だって、……親戚の叔父さんが、……親族会議でお祖父さまが呼んでるからって言われたら、……疑えるわけないじゃないか……。
【留弗夫】「……悪ぃな、譲治くん。痛ぇか? これなら、背後から脳天をズドンとやった方が慈悲があったよな。何もわからねぇ内にズドンじゃあまりに無慈悲かと思ったんだが、どうやら逆だったらしい。」
【譲治】「………ど、……どうして……、留弗夫叔父さん……。……あんなに、……やさしかった叔父さんが、……どう……して……………。」
【留弗夫】「このことは忘れろ。明日の夜には、全てなかったことになってるから。」
素早いレバーハンドルの操作が、再び銃弾を装填する。譲治の脇腹を貫いた銃弾の薬莢が、無情にも彼の前に飛んで転がった…。
【留弗夫】「突然の不幸な事故で、みぃんな死んじまうのさ。その瞬間まで、俺たち親族は仲良くやってたのさ。……そうなるんだ。だからこいつは、気にするな。忘れろ。」
留弗夫が何を言っているのか、彼に意味がわかるわけもない。ただ一つわかるのは、自分を殺そうという意思に、一切の躊躇がないことだけだ…。
……譲治の中の、ジョークが大好きで、格好いい大人の理想だった留弗夫の姿が、……目の前の銃を構えている留弗夫の姿と、重ならない。
いや、それはあまりにぴったり過ぎるから、重ならないのだ。まるでこれから、飛びっきり面白いジョークを聞かせてくれるかのように、微笑みながら、……銃を構えているのだ。
……やさしくて、面白い、……留弗夫叔父さんが、………どうして………。それが無性に悲しくて、……涙が溢れる。
【譲治】「ぅ、……ううぅ、……留弗夫叔父さん……。……あなたのこと、……憧れてたのに………。」
【留弗夫】「いつも言ってたろ、譲治くん。……俺みたいな大人になっちゃ駄目だぞって。つまりはそういうことさ。来世では、悪党を見抜く目を、最初に養うんだな。………譲治くんなら出来るさ。何しろ勤勉なんだからな。」
【譲治】「ぅ、……ッく、……ぅおぉおおおおおおおおおおおおおおぉおおぉッ!!」
脇腹の苦痛を捻じ伏せて。……死力の限りを尽くし、譲治は渾身の回し蹴りを繰り出す。
それと同時に、留弗夫の銃が火を噴く。……その銃弾は譲治の胸板を貫く。血を迸らせながら、譲治は捻れるように転ぶ。
真っ赤に血で染まった歯を食いしばりながら、声なく呻く。そのこめかみに、冷え切った銃が乱暴に押し付けられた。
【留弗夫】「あばよ。……来世でも立派な男になれよ。俺みたいな、カネに目が眩む外道にはなるな。」
【譲治】「……留弗夫叔父さんが、……お金で人を殺すなんて、………信じられない………。うぅううぅぅ………。」
【留弗夫】「純真だな。……殺せるんだぜ。カネで人は。」
それ以上の問答を、冷酷なる引き金は打ち切る。
譲治の傷口を庇っていた両腕は、だらりと力なく転がる……。
完全なる死を見届け、留弗夫は大きく脱力しながら、腹の底でずっと溜めていた息を深く吐き出す。
【留弗夫】「へ、……はっはははははははは。………案外、こんなもんなんだな。」
留弗夫は闇夜の雨天を見上げ、顔一杯に雨雫を受けながら、……舌をだらりと垂らした、形容できない形相で笑う。
【留弗夫】「もっと、良心が痛むと思ってたぜ。……終わってみりゃ、案外、こんなもんだ。」
くすくすくす、げらげらげらげら。留弗夫は笑い出す。それはきっと、霧江の目論見通りだったろう。
譲治を殺すのに、少なからずの手間を掛けた。……無慈悲だったとはいえ、留弗夫の中にわずかにあった良心の呵責が、引き金を鈍らせたのだろう。
しかし、こうして自分の手で命を奪うという、生涯において、あるかないかという転機を経て、……留弗夫はようやく覚醒する。…いや、理解する。
【留弗夫】「………馬鹿からカネを搾り取るのと、まったく同じことさ。………いつもの椅子取りゲームじゃねぇか。目の前にカネの山があったら、早い者勝ち。遅いヤツは蹴落とされて地獄行きってわけさ。」
俺のペテンで、がっつり負債漬けにされた気の毒なマヌケが何人もいたじゃねぇか。そいつらの何人かは破産しただろうし、その中の何人かは、首を括ったかもしれねぇ。そして俺は、そんなこと知ったことじゃねぇと嘲笑ってた。
つまりはそういうことだ。俺は今ようやく、きっちり自分の手で最後まで初めて、………息の根を止めたってだけの話じゃねぇか。
【留弗夫】「………ありがとよ、霧江。……いつもお前は、俺の心の甘えを断ち切ってくれるよ。……へっへっへ、…へっはははっはっはっはっは! ひゃっはははははっはっはっはっはっはっはっはっはッ!!!」
留弗夫の邪悪な笑いが響き渡る。
それは、胸がすくくらいに、邪悪な笑い。良心の呵責を残した、偽善な悪が一番、胸糞が悪い。同じ悪事を極めるならば、それに素直な方がどれほど潔く、気持ちが良いものか。
留弗夫の邪悪な笑みと笑いは、その意味において、………あまりに潔く、気持ちが良いものだった……。
……だから。食堂における凄惨な血飛沫劇も、……胸がすくものだったに違いない。
金属音。打撲音。破砕音、粉砕音。……そんなものを混ぜこぜにした音が、何度も何度も、同じテンポで繰り返される。
……その度に、すぐ近くに垂れるテーブルクロスに、真っ赤な飛沫が飛び散った。
【霧江】「朱志香ちゃん、………聞こえてる……?」
霧江は、姪に話し掛ける叔母の微笑みで、そう問い掛ける。しかし、朱志香は応えない。無理もない、当然だ。……だって朱志香の顔面はもう、……鼻は折れ、眼は潰れ、……歯も飛び、……可愛らしかった鼻筋は愚か、顔面であったと認めることさえ難しいくらいの、……血塗れの肉塊に、変わり果てていた……。
霧江はようやく、銃床で朱志香の顔面を殴り続ける仕事を止める。そして朱志香に馬乗りになったまま、銃を傍らに投げ出し、……懐よりコンパクトを取り出して、自分の顔を見る。そしてようやく、……自分の顔をまだら模様に染める鮮血の飛沫に気付く。
【霧江】「酷い有様だわ。服も台無しじゃない。……くくくくくく、くっくっくくくくくくくく!!」
くぐもった笑いを堪えながら、霧江はゆらりと立ち上がる。もう朱志香は動かない。……さっきまでは、多少は痙攣もしていたが、もう、ぴくりとも動かない。
【霧江】「……女の顔を殴ることに関しちゃ。叔母さん、慣れてるのよ。ごめんね。………抵抗しないでくれたら、綺麗な死に顔にしてあげられたのにね。」
霧江は、テーブルクロスを引っ張ってたわませると、それをタオル代わりに、全身の血を拭う。もっとも、血を拭き取るというよりは、塗り伸ばしているようなもので、……彼女を覆う、血生臭さと死の臭いは、まったく拭えずにいた。
テーブルクロスに血を擦り付けることに飽きると、霧江は部屋の隅にある内線電話に歩み寄る。そしてゲストハウスのいとこ部屋への内線をダイヤルする……。
【霧江】「………もしもし。私よ。………今度は戦人くんの番よ。……今度は戦人くんが礼拝堂前に行ってちょうだい。…………えぇ、そう。真里亞ちゃんの指示は受けてないわ。そこで待っててもらって。………くす。えぇ、しっかりね。……戦人くんが次期当主に選ばれるよう、応援してるわ。」
霧江は、拭き残した血飛沫が残ったままの顔を、いつものように微笑ませ、……戦人にそう電話する。受話器を置くと、小さなノックと共に、留弗夫が戻ってきた。
【留弗夫】「………おう、酷ぇ有様だな。」
【霧江】「朱志香ちゃん、思ったより反応のいい子でね。まさかあそこで、払い除けられるとは思わなかったわ。」
【留弗夫】「この死に様じゃ、むしろお気の毒としか言えんねぇ。……夏妃姉さん似のいい女が台無しだぜ。」
【霧江】「そっちは? てこずらなかった?」
【留弗夫】「問題なしだ。ちょろいもんさ。」
留弗夫が澱みなくそう答えるのを聞き、霧江は邪悪な笑みを返す。やはり、彼女の愛した男は、安っぽい感情に流されない、やれば出来る男だった…。
【霧江】「愛してるわ、留弗夫さん。そうでなくっちゃ。」
【留弗夫】「これで日当が10億出るなら、ちょろい仕事じゃねぇか。……親父がよく言ってたぜ。男は人生で一度、人を殺す覚悟を以って望む日が訪れるってな。」
【霧江】「常に、相手を殺してでも生き残る覚悟を持て、よね。……お父様の言葉の中で、一番好きな言葉よ。」
【留弗夫】「お次はどうする? 俺のライフルは血を求めてるぜ。」
【霧江】「次は大仕事よ。戦人くんの説得。」
【留弗夫】「おっと、そうだったな。こいつぁ、面倒だ。引き金引かずに終わりたいもんだ。」
【霧江】「私は気に入ってるのよ。……縁寿との三人家族の生活。……でも、どうしてもそれに戦人くんを加えたいというなら、……頑張ってね。」
【留弗夫】「おう。………ぐうの音も言わせねぇつもりだ。大丈夫、うまく騙すシナリオも用意してるさ。」
【霧江】「頑張ってね。私も、出来ることなら、縁寿の大好きなお兄ちゃんが、爆発事故に巻き込まれないことを願ってるわ。」
【留弗夫】「わかってるさ。じゃあ、俺は礼拝堂に戻るぜ。」
【霧江】「留弗夫さん。」
【留弗夫】「何だ…?」
【霧江】「………戦人くんが納得しなかったら。」
【留弗夫】「………………………。……わかってらぁ。その時はズドンだ。」
【霧江】「戦人くんは、私との再婚に抗議して家を飛び出すくらいに行動力のある子よ? ……中途半端な丸め込み方で、後日に色々と騒がれたら、……彼は私たちの命取りになるのよ。」
【留弗夫】「わかってらぁ。俺を信じろ。」
【霧江】「………もし。戦人くんが不信感を持ってると私が判断したなら。……その時は、私の手で殺すわよ。私の子供じゃないんだから。」
【留弗夫】「……あぁ。わかってる。………だから、霧江。一つだけ、約束してくれ。」
【霧江】「なぁに…?」
【留弗夫】「もし、………戦人をうまく丸め込めて、島から三人で出られたら。」
【霧江】「………出られたら?」
【留弗夫】「…………………………。……戦人のことを二度と、私の子供じゃないみたいなことを言うな。……お前は、……母なんだから。……頼む。」
【霧江】「…………………。……いいわ、約束してあげる。」
銃弾を込めながら、霧江は肩を竦めて答える。
【霧江】「あなたは礼拝堂へ。私は戦人くんが出て行った頃を見計らって、ゲストハウスの連中を全て片付けるわ。」
【留弗夫】「大丈夫か、一人で。」
【霧江】「そっちこそ。」
戦人は傘を広げ、ゲストハウスを出る。自分の呼び出しも、譲治と同じで礼拝堂前だった。
譲治たちが呼び出されてから、30分と経っていない。……テストとやらは、短い時間で終わるようだった。
【戦人】「……クソジジイめ。昼飯にさえ姿を出さなかったくせに、こんな時間にのこのこ現れてテストだとは畏れ入るぜ。……引き篭もり生活で、昼夜が逆転してやがるに違いねぇ。」
戦人は悪態をつきながら、風雨の中をのんびりと歩いていく。すぐにその姿は、薔薇庭園の闇に飲み込まれて見えなくなった……。
………そして。薔薇庭園の闇から、……今度は霧江が姿を現す。
右手には銃。左手には傘。内ポケットには郷田より奪ったマスターキーの束。右のポケットには一握りの銃弾。左のポケットには、厨房で調達したナイフ。殺人者の準備は、周到かつ完璧だった。
荒れ狂う空に再び落雷。雷光が霧江の顔を半分だけ照らし出す。その頬にはまだ、……朱志香の返り血が残っていた……。霧江はひさしの下で傘を畳ながら、誰にともなく、微笑みながら言った。
【霧江】「ただいま、みんな。」
留弗夫の姿は礼拝堂前のひさしの下にあった。銃をひさしの下の物陰に隠し、煙草の煙をくゆらせている…。
【留弗夫】「………あの単細胞を騙すなんて、簡単なもんさ。……うまく行かなきゃ、それだけの話だぜ。」
ちらりと、隠した銃を見る。煙草の煙が、心地良く脳を曇らせていく。
……戦人はもう、子供じゃない。自分の意思で人生を決められる、立派な大人だ。動物なら、大人になったら群を出て、旅に出るのが当り前。図体がデカくなっても、いつまでも養ってやるのは人間くらいのもんだ……。
【留弗夫】「………こんなことなら。お前に土下座なんかするんじゃなかったな。………お前を連れ戻して、……後悔してるぜ……。」
その言葉を、煙と一緒に、……ふぅっと吐き出す。
戦人が来たら、もうそのような未練は口にしない。留弗夫は、大金のために人を殺す悪党を貫く覚悟を、はっきりと決めていた……。
【留弗夫】「……遅ぇな。………まだ来ねぇのか。」
その時、じゃりりと、小石を踏む音を聞く。来たかと顔を上げるが、……音のした方向は、屋敷とはまるで違う方向からだった。
【留弗夫】「………………………!」
【絵羽】「……留弗夫………。…よくも、………よくも、うちの人を……!!」
【留弗夫】「姉貴……、生きてたのか……。」
【絵羽】「残念ね、生きてたわよ、お生憎ねッ! でも、うちの人は駄目だったわ、よくも、…よくも…!!」
怒りと涙でぐしゃぐしゃになった顔で、絵羽は銃を構えながら、ゆっくりと近付いてくる。
目の前で夫を殺されたのだ。躊躇などしないだろう。怒りに震える銃口が、真っ直ぐ自分の胸のど真ん中を狙っていることを、ひしひしと感じながら、留弗夫は後退る。後退るふりをしながら、……物陰に隠した銃に近付く。
【留弗夫】「お、落ち着けよ、姉貴……。その銃を下ろせって…。……俺だって、あんなことを望んだわけじゃない。突然のことで、俺にもどうしようもなかったんだ…!」
【絵羽】「いい加減なことを言わないでッ!!」
絵羽が一喝する通り、それは本当にいい加減な、どうでもいいこと。今にも引き金を引きかねない絵羽の高ぶった感情と銃口を、ほんの少し反らせるなら、留弗夫はとにかく何でもよかった…。……そして、後退る留弗夫の足に、彼の銃がこつりとぶつかる。
【留弗夫】「と、とにかく話をしよう。……もうじき、譲治くんも来るはずだ。……お。…やあ、譲治くん、ここだここだ。」
さも、向こうから譲治がやって来たかのように、留弗夫は手を振る。
絵羽の関心が、そちらの方へ向く……。………馬鹿が…。単純な姉貴なんざ、昔っからちょろいもんだぜ。死ねッ!!!
銃声。……やや遅れて、ぼたぼたぼたっと、……雨粒より重く、ねっとりとしたものが、石畳を打つ。
【留弗夫】「……………ぉ、………………ぐ………、」
【絵羽】「………留弗夫…。あんたの小細工なんて、昔っからお見通しよ…!!」
絵羽の撃った銃弾は、留弗夫の胸のど真ん中を貫く。留弗夫の撃った銃弾は、絵羽の足元に外れていた。
【留弗夫】「……やっぱ、この銃、………狙いが下に、……ズレてるぜ……。」
ばしゃりと水溜りに銃を落とすと、ふらふらと後退って、礼拝堂の壁に寄り掛かる。
【留弗夫】「違ぇな……。………悪党の弾は外れるってのが、………西部劇の、お約束じゃねぇか………。」
絵羽は駆け寄り、水溜りに落ちた銃を蹴り飛ばしてから、留弗夫の胸倉を掴み上げる。
【絵羽】「譲治は?! 譲治はどこ?! 譲治は殺させないわよ…!!」
【留弗夫】「………悪ぃな、姉貴。……もう、やっちまった。」
【絵羽】「嘘よッ!!」
【留弗夫】「……向こうの茂みでやった。……行けよ。すぐわかる……。」
【絵羽】「……………る、……留弗夫……、……あんた…………。」
弟の小細工は昔からお見通しだと言い切った絵羽は、………撃たれ、意識が遠退きかけている弟の最期の言葉に、嘘がないこともまた、わかってしまう。
【絵羽】「よくも……、………よくも譲治をッ、譲治をぉおおおおっぉおおおおおお!!!」
空の薬莢が石畳に跳ねた。怒りの銃口が留弗夫の眉間に押し付けられる。
【留弗夫】「………撃てよ。……それくらいで気は晴れねぇだろうが。」
落雷の光が辺りを真っ白に染め上げる。しかし、礼拝堂の壁は、……真っ赤に染め上げられた。留弗夫の後頭部で、トマトを潰したような真っ赤な飛沫が、壁いっぱいに広がっていた……。
そして、その赤い跡を引き摺りながら、……ずるずると留弗夫はしゃがみ込み、どさりと地面に座ってから、横に倒れた。
【絵羽】「譲治ッ、譲治ぃいいぃ!! 譲治ぃいいいぃい、うわぁああぁあああああああぁあ!!」
絵羽は茂みに向かって駆け出す。……そしてすぐに譲治の亡骸を見つけ、絶叫し、そして号泣した。
……留弗夫の無残な亡骸が、ひさしからぼたぼたと垂れる水滴に晒される。
目は見開いたまま。後頭部には握り拳ほどの大きさに、ぐずぐずの挽き肉状の穴が開き、……その中身を外気に晒していた。
その中身は、ぐずぐずの挽き肉と、脳みそと脳漿の、真っ赤なぐちゃぐちゃゼリー。それをスプーンでぐるぐるに混ぜて振ったような汁が、目と鼻と耳と口と頭の穴から、どろりどろりと零れ出していた……。
【縁寿】「………お父さん……、お父さん………。……ううぅうううぅッ…!!!」
縁寿は頭を抱えて、泣きながら呻く。
自分の父親がカネ目当てに殺人に手を染め、さらにその上、無残な最期を遂げて、その亡骸まで見せ付けるなんて。娘である彼女にとって、これほど耐え難い物語はあるまい。……もう、うんざりだった。何の意味もない。
【理御】「ベルンカステルさん…! いるんでしょう、どこかに! もう、このゲームをやめて下さい…!! 何の意味もない!」
その叫びに答えるように、……数個前の席に、すぅっと黒い人影が現れる。
いや、ずっとそこに座っていたのかもしれない。自分たちには、意識しない限り、その姿が見えなかっただけなのかもしれない。それは紛れもなく、ベルンカステルの後姿だった。
【理御】「ベルンカステルさん……!!」
【ベルン】「……うるさいわよ。静かに観賞できないの?」
退屈そうな瞳で振り返る魔女。……騒ぐ自分たちの方がおかしいと言わんばかりだった。
【理御】「もう止めて下さい…! この世界が、10月4日から5日の間の、閉ざされた猫箱の世界だということは、私たちも理解しています…!」
ゲームは、メッセージと同じなのだ。それはある意味、遠回しな恋文にも似る。伝えたいたった一つのことを、いくつものゲームを重ねて語る。
しかしもう、私たちは理解している。閉ざされた二日間の猫箱からは、無限の物語が湧き出すことを、知っている。そしてさらに、私は犯人も動機も知っている。その上、それはすでに解明され、このゲームには関わってさえいない。
【理御】「猫箱の物語という解を、私たちは二人とも得ているんです…! だから、これ以上、このようなゲームを繰り返す理由はないはずです…!! もしこれがあなたと私たちのゲームだというなら、私たちはすでに答えを得ている…!! ゲームは終了していいはずです!!」
【ラムダ】「うっさいわよ、あんた。静かにしろって、ベルンが言ってんでしょー?」
その隣の席にも人影が現れ、振り返って叱る言葉を口にする。
【ベルン】「………意味ならあるわよ。見てればわかるわ。……くすくすくす。」
【理御】「ゲームマスターは、あなたですか…!」
【ベルン】「……違うわよ。」
【理御】「では、誰が! まさか、………クレルが…?」
【ベルン】「見ていればわかるわ。すぐにね。……くすくすくすくす。」
【ラムダ】「もう惨劇もクライマックスだわ。生き残るのはどっちかしら。うっふふふふふふ……。」
ゲームマスターはベルンカステルじゃない…? じゃあ、誰が。まさか、クレルが、この悪趣味な物語を……?
それとも、猫箱を弄ぶ魔女が、まだ他にもいるというのか……。
ゲストハウスは、……静寂に包まれている。
何の音もしない。誰かの気配も。生きる者の息吹も。もう、何も聞こえない……。
聞こえるものがあるとすれば。それは、床を踵で叩く、殺人者の足音だけ……。
霧江が、ゆっくりとラウンジを通り抜ける。
その右手には、銃。その左手には、ナイフ。ナイフは鮮血で染まり、今なお、その雫を滴らせ続け、……点々と、悪魔の足跡代わりに赤い破線を描いている……。
彼女の両手は、殺人の道具だけを握り締めていた。だから彼女は、殺人以外の何も出来ない。その意味で、彼女は今、紛れもなく純粋な殺人者だった。
……殺人者が、玄関に至り、その扉の前で初めて、返り血に染まった自分の両手を見る。虐殺を奏でた、死の道具を握り締める、その両手を。
そしてようやく、殺人者には、扉を開けることさえ出来ないことに気付き、その左手のナイフを放り捨てる…。そして扉に手を掛けながら、悠然と振り返り、……言った。
【霧江】「ごめんね、みんな。……でも安心してね。数日後、新聞は不幸な事故を掲載するわ。……そしてあなたたちは、事故の瞬間まで、何も知らずに楽しく過ごしていたに違いないと、新聞もニュースも、噂する人々も言うでしょうね。……それはつまり、あなたたちは、10月5日の24時まで、楽しく過ごしていたということ。」
この惨劇の、血に染まったゲストハウスにした張本人が、そう口にする。
【霧江】「この時間には、いとこ同士で楽しくはしゃいで夜更かしをしている。……そして朝が早い使用人の人は高いびき。遅番の人は日誌でも書いて、あるいはほっと一息を入れてる頃でしょうね。」
【霧江】「………そういうことなの。ここでこうしていると、いとこ部屋での大はしゃぎが聞こえてくるようだわ。……………くす。」
霧江が何を言っているのか、猫箱の外の人間たちには、永遠にわかるまい。爆発事故という猫箱で閉ざす彼女だけが、その真の意味を理解している……。
外は土砂降りの雨だった。霧江は傘を取ろうとしたが、ふと、何かを思い付いたように手を止める。そして、濡れるのも気にせず、そのまま雨の中へ歩き出す…。
殺人鬼は、銃を構えるために、片手を傘で塞ぎたくなかったのか。……あるいは、返り血を雨のシャワーで落とそうと考えたのか、……どちらかはわからない。
【霧江】「…………………………………。」
霧江は足を止める。ふと、何かを思い付いたように。しかし、今度のそれは、気紛れではなかった……。
【絵羽】「………うちの人を、……よくも殺したわね……ッ!!!」
【霧江】「あら。……絵羽姉さん。………ショックだわ。あの距離で外してたなんて。」
【絵羽】「私も驚いてるわ。まさか自分が、生きてたなんてね。」
【霧江】「……礼拝堂裏の、地下階段から戻ってきたの? ……なら、」
【絵羽】「えぇ。礼拝堂の前で、留弗夫にも会ったわ!」
【霧江】「元気そうだった?」
【絵羽】「えぇ。姉弟で久しぶりに、仲良く語り合ったわ。」
【霧江】「…………………。……そう。……目立ちたがり屋なのに、ここ一番で頼りない人ね。……やっぱり、あの人は私がいないと駄目なのね。」
それだけのやり取りで、留弗夫はもう殺されていることを、霧江は理解する。しかし、焦りも狼狽も、彼女の表情には浮かばなかった。ただ、彼女らしい淡々とした表情で静かに目を閉じ、……それから再び開いた時には、悠然とした笑みを取り戻していた。
【霧江】「………ありがとう。感謝するわ。これで、本当に私が全てを独り占めね。」
【絵羽】「その服の血は何…? あんた、ゲストハウスから出てきたわね……。……まさか……。」
【霧江】「えぇ、そうよ。……今、私、殺人事件の真っ最中なの。」
【絵羽】「殺したの?! みんな!! 真里亞ちゃんまで…?!」
【霧江】「生かして朝を迎える理由がないわ。朝になれば、騒ぎになって面倒になる。無線で島の外に連絡したり、助けを求めたりするかもしれない。……だからこれが、極めてベストなのよ。チェス盤を引っ繰り返して考えればね……?」
【絵羽】「人でなしッ!! カネに目が眩んで人の命を奪うなんて…!!」
【霧江】「あなただって、うまいことやったわ。」
【絵羽】「あれは事故よ!! 殺すつもりなんてなかった! あんたとは違うのッ!!」
【霧江】「違わないよ。……もし銃の暴発が起こらなければ、あなたたちはいつまでも口論と取っ組み合いを続けていたわ。そうすればあなたたちも、数手遅れで私と同じ答えに行きついたはず。」
【絵羽】「私は殺人鬼じゃないわ!!」
【霧江】「いいえ。成り損ねただけの、立派な殺人鬼よ。絵羽姉さんは、暴発に救われただけ。………あの幸運がなければ、そして私があなたより先に実行に移さなければ。……あなたが私の役をやっていた。それだけは、あなたがいくら否定しようとも変わらない、異なる未来の、真実なのよ。」
【絵羽】「わッ、訳のわからないことを言わないでッ!」
しかし、……絵羽も内心はそれをわかっている。あの時、自分は暴発という偶然に、救われていたかもしれない。
あのまま、口論を続けていれば、確実に自分は蔵臼たちに殺意を覚え、あるいはそれを実行していたかもしれない。……そんな、心の奥底の悪魔を、彼女は決して否定は出来ないのだ。
観劇者たちだけが知っている。彼女が殺人鬼で有り得た世界を、知っている。それを、観劇できぬはずの霧江が断言するのだから、……やはり彼女は、非凡な何かを持つのかもしれない。
だから絵羽はしばらくの間、銃を構えたまま、歯軋りをしながら沈黙するしかなかった……。
【絵羽】「……私にはわからないわ。あなたも、自分のお腹を痛めて子を生んだ経験を持つ、母のはず。命の尊さを、知らないわけがない…! そのあなたがどうして、これだけのことが出来るの…!」
【霧江】「子供なんて。寝れば勝手に出来るわ。」
【絵羽】「そういう話じゃないでしょ…!!」
【霧江】「子はかすがい、って言うわよね。」
【絵羽】「それが何?!」
【霧江】「子は、夫を繋ぎ止めておくための、かすがいなのよ。……留弗夫さんに、私のことを認めさせ、あの女から彼を取り戻すための、かすがいだった。」
【霧江】「でも、留弗夫さんはあなたが殺したわ。だったら、………わかるでしょう?」
【絵羽】「わかるって、……どういう意味!」
【霧江】「私はもう。誰かの妻でもないし、母のつもりもない、ということよ。……私は私。霧江。留弗夫さんが死んだ今、右代宮でさえないわ。私は私の、得になるように生きる。」
【絵羽】「そうね、留弗夫は死んで、あんたは妻ではなくなったかもしれない。でも、縁寿ちゃんがいるでしょう…?! あんたはまだ、母であり続けるはずよ…!」
【霧江】「言ったでしょ、かすがい、って。留弗夫さんがいなくなった今、縁寿は私にとって、必要なものじゃないわ。」
【絵羽】「……あ、……あんた……、それが、母親が子に対して言うことなのッ?!」
【霧江】「絵羽姉さん。やめましょうよ。綺麗事は。」
【絵羽】「綺麗事…?!」
【霧江】「私たちって、子供が欲しくて結婚したの? 違うでしょ? 好きな男と一緒に暮らしたいから、結婚したんでしょ? そして、結婚したんなら、その男を一生、手放したくないと思うでしょ? 子供は、そのための武器じゃない。」
【絵羽】「そんなこと考えて、子供作ったりなんかしないわよ…!!」
【霧江】「そんなこと考えて、子供を作ることも出来るのよ。」
霧江は雨に打たれるのも気にせず、淡々と続ける……。その表情は、……変わることなく、悠然とした笑みが浮かび続けていた。
【霧江】「縁寿なんて、留弗夫さんを縛り付けるための、ただの鎖。……あるいは、家族ごっこをするための、子供の役という名の駒。……私にとって縁寿は、留弗夫さんの前で良き母を演じる時に必要な駒なだけよ。」
【絵羽】「……あんたッ、……それを縁寿ちゃんの前で言える?!」
【霧江】「さすがに気の毒だから、本人には言わないわ。悪いお母さんを許してね、とでも書いて、姿を眩ますつもり。楼座さんと真里亞ちゃんを見ればわかるでしょ? 留弗夫さんがいない今、縁寿なんて私を縛る鎖なだけ。」
【霧江】「……私は元の、たった一人の霧江に戻り、のんびりと余生を楽しむつもりよ。新しい挑戦、新しい人生。ひょっとしたら、新しい恋もあるかもね? くすくす…………。」
【絵羽】「……それでも人間なの……。……それでも縁寿ちゃんの母なの?!」
【霧江】「くすくすくす。縁寿なんか知ったことじゃないわよ。あんな、クソガキ。可愛いと思ったことなんて、一度だってないわよ。」
【絵羽】「……あ、……あんたって人は……。」
【霧江】「あなただって、もう、家族ごっこから解放されたでしょう? 謳歌しましょうよ、女の自由を。感謝してほしいわ、譲治くんも、殺してあげたんだから。」
【絵羽】「こッ、……この、………人でなしがぁああぁああぁあぁ!!」
【霧江】「あっはっはははハっはヒャっはハぁあぁあああああああぁああぁあッ!!!」
二人の咆哮と、銃声が、……闇夜の薔薇庭園に轟く。
……絵羽が後ろへゆっくりと、倒れて行く。そして水溜りに打ち付けられ、……無数の水滴を散らした。
一方、霧江はぐるりと舞うように回る。
美しい、黒い薔薇の花びらを散らしながら。それは、赤黒い、薔薇の花びら。
……喉より、赤黒い花びらを巻き散らしながら、ぐるりぐるりと舞いながら、……ゆっくりと崩れ落ちていく。
そして水溜りの泥を散らしながら倒れこんだ。
二人の女が、銃を放ち合い、……倒れる…………。しかし、雷鳴に呻き、体を起こしたのは、絵羽だけだった…。
【絵羽】「………はぁ、………はぁ、…………はぁ……。」
絵羽は撃たれていない。霧江の気迫に押し倒されこそしたが、……その凶弾は再び、彼女をかすめただけで、逸れていた……。
絵羽は自分の強運を呪う。その強運が、なぜ夫と息子を救わなかったのか、呪う。
【絵羽】「…………縁寿ちゃんのためにも、……そこで死になさい。………あんたは、爆発事故で死ぬ。死ぬ直前の瞬間まで、置いてきた娘のことを心配していた。……そう、刻むわ。猫箱の蓋の上にね………。」
ベアトの死体もあるはずだが、それについて言及されていないことに注意。EP8魔法エンドとの整合性が考慮されている。
【霧江】「…………………………………。」
霧江はそれを聞き、……口から血を零しながら、ニヤリと笑って、何かを言い返したらしい。しかしその声は、喉に空いた穴から、ごぽごぽと血を零すだけで、言葉にはならなかった……。
【縁寿】「お……、……お母さん……。……お母さん……、……うううぅううぅぅ……! こんなの、嘘よ、………嘘よッ…!! ぁああぁぁぁぁあぁぁぁ…ッ!!」
【理御】「縁寿…、どうか落ち着いて…! これはゲームです…! あれが、あなたのお母さんの本心のわけがない…! こんなのゲームマスターが霧江叔母さんの駒に言わせてるだけに過ぎません…!!」
しかしそれでも、縁寿の号泣は押さえられない。無理もない。いくらゲームだとわかっていても、……母親の死ぬところだけでなく、……母親が大量殺人の犯人で、さらにその上、娘を愛していないとまで言い切られるところを見せられれば、誰だって泣き叫ぶだろう…。
【理御】「ベルンカステルさん!! もういい加減にして下さい!! 誰がゲームマスターだろうと、知ったことじゃない!! 今すぐ、この無意味なゲームを終わりにして下さいッ!!」
それを叫んだ時、突然、劇場は真っ暗になり、闇に飲み込まれる。
しかし、それくらいのことで、理御は驚かない。暗闇の中でベルンカステルの名を呼び続け、ゲームの中断を叫び続けた。
すると、一本の明かりが、舞台の上を照らし出した。
そこには、……この悪趣味なゲームが始まる直前に、一度だけ姿を見せたクレルの姿が。
【理御】「クレル…!! やはりこれは、……あなたがゲームマスターだったのですか?! ……わからないッ、どうしてッ?!」
クレルは答えない。……いや、答えるどころか、……耳に届いているのだろうか。
その眼は虚ろで、何を見ているのかもわからない。いや、それどころか、瞬きさえ、彼女は忘れている…。……その姿は、……まるで人形のようにさえ見えた……。
その時、もう一本の明かりが舞台袖を照らす。
その明かりの中には、……ベルンカステルの姿があった。それと同時に、誰の姿も見えない観覧席から、大きな拍手が湧きあがった…。
【ベルン】「……………………くすくす。」
ベルンカステルはそれに応えるように右手を上げる。拍手が鳴り止むまで、彼女はそうしていた……。
【理御】「ベルンカステルさん!! やはり、……あなたがこのゲームのマスターなんですか…!!」
【ベルン】「……理御。私はゲームマスターじゃないと、何度言えばわかるの?」
【理御】「ではクレルだと言うのですか?! そんなはずはない…!!」
【ベルン】「えぇ。そんなはずはもちろんないわ。だって。クレルは死んだもの。………私たちはその葬儀に立ち会ったはずよ。忘れた……?」
【理御】「では、そこに立っている彼女は一体……。」
【ベルン】「死体よ。剥製じゃないわ。だからもちろん、中身がある。……綺麗な姿で隠しているけれど内側には、どろどろのハラワタが詰まってる。」
ベルンカステルが右手を上げると、……そこにライトが照らされ、どこからともなく、黒光りする大鎌が現れる。誰もが死神の持つそれと想像するような、無骨で無慈悲で、そして冷酷なそれだった。
【理御】「な、……何をする気ですか………。」
【ベルン】「………生きては、その足掻きを愛でる。死んでは、ワタを掻き出して愛でる。物語は、二度楽しめるのよ。……それが、観劇の魔女というもの。」
ベルンカステルは、その死神の鎌の切っ先を、クレルの下腹に押し当て、すぅっと縦になぞって見せる。
そして、なぞられた線に沿って、クレルのドレスがすぅっと、切り開かれる。
彼女の持つ鎌が、演劇用の紛い物でないことは、もはや明白。……そして彼女が、その浮かべた残忍な笑みに相応しい、どのような行為に及ぼうとしているかも、もはや明白だった。
【ベルン】「縁寿。私の声が聞こえる?」
【縁寿】「………聞こえてるわ…。私を屑肉にしたり、本を読ませてみたり! 今度は何?! この最悪の物語を見せ付けて、私を苦しめるわけね?! 楽しいッ?! えぇ、楽しいでしょうね。私も楽しませてもらったわよ…! これくらいで、……私が根を上げると思った?! あんたの悪趣味なゲームに、……これ以上、泣き叫んでなんかやるもんですかッ!!」
【ベルン】「……あんたも、そして理御も。二人とも勘違いをしているわ。私は、ゲームマスターなんかじゃない。この物語も、私が紡いだものなんかじゃない。」
【縁寿】「じゃあ、そこのドレスの女がゲームマスター?!」
【理御】「いいえ、違います…! そんなはずはないんです! ならゲームマスターは誰です?! 誰がこの悪趣味な物語を紡いでいるんですか!!」
【ベルン】「まだ、わからないの?」
【縁寿】「何がわからないと言うのよッ!!」
【ベルン】「縁寿。あなたは、わずかな奇跡に全てを賭けて、身を投げ出して見せたわ。……私はその勇気に敬意を表して、1986年10月4日からの2日間の世界に招いてあげた。」
【ベルン】「……あなたの目的は何だった? 家族を連れ戻すこと。……それはとても難しいことで、奇跡に愛されなければ到底ありえないことだった。それは覚悟していたわね?」
【縁寿】「覚悟の上よ…!! そして私はまだ、お兄ちゃんもお母さんもお父さんも諦めていないッ!」
【ベルン】「諦めないのは勝手。それはあなたのゲームだもの。私は応援しないし、観賞もしない。あなたという駒を使ったゲームを、私はすでに充分楽しんだし、あなたはもう、私にとって用のない存在。」
【縁寿】「清々するわね。ならどうして私はここにいるの? 招待したのはあんたじゃないの?!」
【ベルン】「えぇ、そうよ。招待したのは私。……私の駒としてひと時を楽しませてくれた、そのお礼にね。」
【縁寿】「お礼?! はッ、魔女式のってわけね!! 楽しませてもらったわよ、この外道がッ! よくもお父さんやお母さんを、……こんな、………こんなゲームにッ!!」
【ベルン】「縁寿。あなたは家族を連れ戻すことを願った。でも、もう一つ願っていたわ。覚えてる?」
【縁寿】「覚えてないわよッ!!」
【ベルン】「あの日、何があったかを、知ることよ。」
1986年10月4日から5日の二日間に、六軒島で何があったのか。縁寿はそれを渇望し、天草と旅をしたのではなかったか。
【縁寿】「そうだったわね……。それが何ッ?!」
【理御】「……そんな、…………馬鹿な……。」
理御は、ベルンカステルが何を言っているのか、察してしまう。察してしまったからこそ、……その先の言葉を、絶句してしまう……。
ゲームマスターは、ベルンカステルでなければ、クレルでもない。ならば、誰……?
霧江の狙いは、自分が死んだ場合、生き残った絵羽の恨みが縁寿に向かわないようにすることだったと考えられる。
違う。ゲームマスターは、………いないのだ。それが意味することは、ただ一つ……。
【ベルン】「縁寿。まだわからないの?」
【縁寿】「……何がよ……。」
【ベルン】「これが、真実なのよ。1986年10月4日からの二日間の、猫箱の中身よ。この後、絵羽は九羽鳥庵で爆発を逃れて生き残るわ。……そして、猫箱の中身を欲するあなたに、最後の瞬間まで沈黙を貫くことで、この真実を、永遠に猫箱に閉ざした。」
【縁寿】「何を、……言ってるの……。」
【ベルン】「絵羽一人が生還する。いくら警察が事故だと断定しても、世間は納得しようとしなかったわ。そして、亡き夫に代わり会社を切り盛りしようと張り切れば張り切るほどに敵を作り、彼女が壮大な陰謀の女王であるかのようなイメージを作り上げていった。」
【ベルン】「……彼女は真実を語りたかったでしょうね。語ったとて証拠もなく、誰も信じない真実を。………絵羽の心は次第に壊れていった。あなたも絵羽を拒絶し、絵羽もあなたを拒絶するようになった。歪みきった最後の肉親同士の関係。愛息子の面影をあなたに重ねては苦悩し、ますますに歪んで壊れて。」
そんな中、おかしなメッセージボトルが漂着し、話題になっていた。六軒島で黄金を巡る、奇怪な連続殺人事件があったことを疑わせる怪文書。
誰もが爆発事故を否定し、陰謀説に傾いた。そんな中、絵羽を犯人だと名指しする説までが生み出され、ますますに彼女を苛んだ。
しかし、絵羽はそれでも、それらすらも、猫箱に利用した。そして、死ぬ最後の瞬間まで、彼女は守りきったのだ。その猫箱を開く、錠前を。
だから、猫箱の中の真実は、ニンゲンの誰にも至れない。カケラの海を渡る魔女が、錠前を開かない限り……。
【ベルン】「これが、真実よ。」
【縁寿】「……………嘘よ……。……嘘よ……、嘘よ…ッ!! これが本当に真実だって言うなら、言えるはずだわッ、赤き真実でッ!! 言えるわけないッ、言えるわけがないのよッ!! ぅあああぁああああああああぁあああぁああッ!!!」
【理御】「縁寿…!! 縁寿、落ち着いて…!! う、……ぁ…?!」
両手両足の鎖を引き千切らんばかりの力で、縁寿は激しく身悶えする。その縁寿の全身から、……みるみる、真っ赤などろりとした液体が湧き出していく。
まるで、全身にひびが入って、そこから血が溢れ出しているかのようだった。
ベルンはEP5から悪役になってしまっているが、真実を追求する立場であることに変わりはない。縁寿は受け入れないが、読者としては、ここでベルンが語っている内容を文字通りに受け取って構わない。
【ベルン】「何? 赤き真実ではっきり宣言してあげた方がいいの? なら言ってあげるわ、赤き真実で。“これは全て真実
【縁寿】「嫌ぁあああああああああぁああああああぁああああああああああああああああぁああぁあああぁぁッ!!!」
縁寿の絶叫が、ベルンの赤き真実を塗り潰す。
【ベルン】「くすくすくすくす、あっはははははははははは…!! 馬鹿な子。私にそれを言わせなければ、猫箱の中に封じ込めておけたのに。でも、あなたはそう言うわよねぇ? わかってたわ、もちろん。そして、その絶叫に歪む顔が見たかった。………百年は思い出すだけで笑えるような、素敵な形相だったわよ。……くすくすくすくす、くっすくすくすくすくすくすくすくすくすくすッ!!! 戻りなさい、屑肉に。あっははははははははははははははははははッ!!!」
【縁寿】「うああぁああああああああああああああぁ、ぎやぁあああああああああああぁああ!! 母さん、父さんッ、……こんなの嘘よね?! 嘘ッ、……嘘ッ……、……ぎああぁああぁあああああああああああぁぁぁぁ………、」
【理御】「え、縁寿……! 縁寿……?!」
頭を抱え絶叫していた縁寿の体から、だらだらと垂れていた血は、とうとう、辺りに撒き散らすほどになる。
そして、体がぐずぐずに、……溶けて、いや、崩れていく。そして彼女は座席の上にぐちゃぐちゃと積もる、……内臓と屑肉の山に成り果ててしまう……。
【ベルン】「あっははははははははは、あーっはっはっはははははははははははは!! 真実ってそんなにも尊いものなの? 馬鹿らしい、愚かしい!! どうしてニンゲンは真実を自在に出来ないのかしら。馬鹿みたいにそれだけを追い求め、そして目の当たりにして堪えられず、自ら屑肉と成り果てる!!」
【ベルン】「ねぇ、見えてる? クレル? ………あなたもまた、この真実を隠したかったのよね? あなたは戯れに、憧れる推理小説のラストのように、メッセージボトルに封じるつもりで、猫箱の物語をいくつも書いていた。それをあなたは、海に投じたわ。この真実を知ったら苦しむだろう者を救うためにね…!!」
【ベルン】「あなたが猫箱で閉ざし、絵羽がそれを錠前で閉じた。くすくすくす!! その箱を、私が切り裂いてあげたわ…!! あっははははははははははッ、あんたが隠した全てが無駄ッ!! あんたが死んで隠した真実を、全て暴き出してやったわッ!! あっはははははははっはっはっはっはっはッ!!」
【理御】「それが、……あなたの目的だったと言うのですか?! あなたは、……クレルの死を、辱めるためだけに、このようなことをしたというのですか!! そしてそれを、……縁寿に見せて苦しめて…! やはりあなたは、……邪悪な魔女だった!!」
【ベルン】「私は最初から魔女よ。退屈から逃れることだけが目的の旅人。……生きては愛でて、死しては喰らって二度愛でる。それが魔女の生き様よッ!」
【理御】「私には、あなたが許せない…!! 縁寿を苦しめ、クレルの、……異なる世界の私を辱めた…!! 私はあなたが許せない…!!」
【ベルン】「理御。それでも、クレルにとってあなたは希望なのよ。死してなおね。」
【理御】「………………!」
【ベルン】「クレルは崖より投じられた時、すでに運命の袋小路に閉じ込められていた。そんな彼女にとって、あなたというもう一人の自分が、異なる世界では幸せに生きていたことを知れたのは、さぞや救いになったでしょうね。」
【理御】「……そうです。私は、彼女の救いなんです…! だから、彼女の分まで一生懸命に、幸せに生きなければならないんです…!」
【ベルン】「理御。……もう少しだけ、この真実の物語を見せてあげるわ。」
【理御】「興味はありませんッ!」
【ベルン】「いいえ、きっと面白いはずよ。……絵羽と霧江の決闘が終わり、静寂に包まれるゲストハウス。その頃の客間へ、あなたを招待するわ。」
【理御】「客間……? 屋敷の?」
ベルンカステルが指を鳴らすと、屋敷の客間の風景が広がる。
先ほどまで見せられた悪趣味な物語で、客間は特別な意味を持たなかったはず。朱志香は客間に呼び出されはしたが、すぐに食堂に連れて行かれ、そこで殺された。
だから、客間には何もない。そして実際に、理御の前に広がる客間にも、何もなかった。
【理御】「ここに、一体何があるというのですか。」
【ベルン】「くすくす。……見ての通り、何もないわ。でも見ていて。面白いものを、今から見せてあげるから。」
【理御】「あなたが言う面白いものが、言葉通りの意味のわけがない。」
【ベルン】「くすくすくす。………ほら、御覧なさい。……そっちよ。そっちの部屋の隅。」
ベルンカステルが指を指すのは、………本当にただの部屋の隅だった。
そこには、何もない。魔女がそこを見ろというのだから、さぞやおぞましいものがあるに違いないと覚悟するのだが、……そこには本当に、何もなかった。
【理御】「…………………………??」
【ベルン】「……そうね、何もないわ。この世界ではね。でも、隣り合うカケラを覗くと、どうかしらね……?」
【理御】「…………………?!」
何もないはずの白い壁に、……じわり、じわりと、……血の飛沫が浮き出していく。
そして、そこには、………死体が現れる。でも、……そんなはずは………、
【理御】「こ、……これは、………。……わ、…………私……?!」
そこには、壁に寄り掛かって死んでいる、……自分の姿が……。右代宮理御が、そこに死体を晒していた……。
【理御】「ど、どういうことですか、これは……。どうして私がここに…。……この世界は、私でなく、クレルの世界のはず…! 私とクレルは、同時に存在できないはずです…!」
【ベルン】「えぇ、そうよ。だから今、世界を、カケラを移ったの。あなたの世界にね。」
【理御】「……意味がわかりませんっ。」
【ベルン】「つまりはこういうことよ。同じ末路を辿るということよ。………くすくすくすくす!!」
【理御】「意味がわかりませんっ!! どうして私が、ここで死んでいなければならないんですか!!」
【ベルン】「あなたの世界で。1986年10月4日。親族会議に先立ち、ベアトリーチェの葬儀が催されたわ。」
【理御】「えぇ、知っています。それが私にとっての今日であり、ついさっきです!」
【ベルン】「それから、その晩までの間に、何があるかしら…?」
【理御】「何もありません!! いとこたちと楽しく過ごし、親族一同で晩餐を過ごし!」
【ベルン】「そして、夜には親族会議だわ。………あなたは二十歳になったら、当主を継承するのだったわね? それは親族たちの間でも、円満に決まってることなのかしら…?」
【理御】「………円満かどうかは知りませんが、そういうことになっているはずです。……当主様が決めたことですから。」
【ベルン】「さすがに円満だとは信じてないようね。そういうことよ。……金蔵があなたを目に入れても痛くないほどに可愛がり、特例的に当主の座をあなたに直接、継承しようとしている。そのことを、親族兄弟たちが面白く思っているわけもない。」
理御に当主を継承することに、親族兄弟たちは異を唱えていた。まだ若過ぎると、蔵臼さえもそれに同調していた。そこで金蔵は今夜の親族会議で、ある難題を吹っ掛けるつもりだった……。
【理御】「まさか、………それは……………。」
【ベルン】「そうよ。碑文の謎よ。………礼拝堂の仕掛けを見ればわかる通り、金蔵は碑文の仕掛けを、六軒島に屋敷を築いたその当初から考えていたわ。……いつか、次期当主を選ぶ試練に使えるかもしれないなんて、ロマンチックなことを考えながらね。」
金蔵はその謎を、親族会議で出題することにした。それが解けた者に、次期当主の座を譲るのか。あるいは、理御の次期当主を考え直すことを約束するのか。
いずれにせよ、金蔵には自信があった。自分が練り上げたこの難解な謎が、絶対に解かれるわけはないという自信があった。
【ベルン】「あとは、すでに見た真実とまったく同じ展開よ。あっさりと兄弟たちに解かれ、黄金の山を巡ってひと悶着。くすくす……。そして、霧江と留弗夫は、翌朝の事件発覚と、それに伴う騒ぎを未然に防ぐため、深夜に殺人を決行する。………いとこ部屋に集まっている子供たちを一人ずつ、電話で呼び出して殺したわ。」
【ベルン】「……いとこの筆頭のあなたは、一番最初に呼び出された。そして客間で、霧江に撃たれて殺されたの。」
【ベルン】「………うぅん、違うわね。あなたは1986年10月4日の夕方の右代宮理御だものね。だからこう言うわ。……あなたは今日の深夜に、客間で霧江に撃たれて殺されるのよ。」
【理御】「そんな、…………馬鹿な…………。それは、……そうだ、確率だ! クレルから理御という奇跡が低い確率で生まれるように、霧江叔母さんがそのような凶行に及ぶのだって、限りなくゼロに近い、わずかの確率に違いないッ! あなたは、そのわずかの確率の世界を見つけることが出来る魔女ではありませんか!!」
【ベルン】「如何にもその通りよ。あなたという奇跡の存在を見つけ出すために、257万8917の中のたった1つのカケラを見つけ出してきた。……でもね。あなたのこの末路はね、とてもとても簡単に見つけられたのよ。だって、確率など、ないのだもの。………私は、わずかの奇跡があれば、それを見つけ出せる魔女。」
【ベルン】「でもね、ないものは見つけられないの。……私とて、絶対の魔女に、本当に絶対を保証されたら、勝てないんだから。」
【理御】「そんな、………では、……私は………………、」
【ベルン】「257万8917分の257万8916の確率で。あなたはクレルとしての世界に生き、逃れ得ぬ運命に翻弄され、気の毒な最期を遂げる。そして、257万8917分の1の確率で右代宮理御として生き。今夜、霧江に殺されるの。」
【ベルン】「………つまりあなたの、いいえ、あなたたちの運命は、257万8917分の257万8917の確率で、………つまり如何なる奇跡も許されない絶対の運命で、逃れ得ぬ袋小路に、運命の牢獄に囚われているということなのよ! くすくす、うっふふふふふふふふふふ!! 残念だったわね、クレル。いいえ、ベアトリーチェ。」
眩しい光に世界が真っ白に染まったかと思うと、次の瞬間には再び、あの劇場に戻っていた。
舞台の上で、ベルンカステルは死神の鎌の切っ先で、立ち尽くすクレルの亡骸の下腹をなぞる。
ドレスが裂けて露になった白い肌に、赤い線がなぞられ、そこから黒い血が滲み出す……。
【ベルン】「ベアトリーチェ。閉ざされた、逃げ得ぬ絶対の二日間に閉じ込められたあなたは、その二日間の猫箱の中で無限を生み出せる魔女となったわ。……絶対に救われない、報われないことと引き換えにね。しかしあなたは夢を見たわ。……それが右代宮理御という夢。………自分がクレルとならずに済み、幸せに暮らせていたかもしれない奇跡の世界を夢見て自らを慰めていた!」
【ベルン】「………理御を見つけるのは本当に苦労したわよ。その存在は、ベアトが夢見た通り、本当に奇跡だったんだから。そして、葬儀の最後に見せ付けてやりたかったのよ。………その奇跡をもってしても、あんたは惨劇を逃れられやしないってね!!」
決して出られぬ牢獄の鉄格子の先に見えるわずかな空に、ベアトリーチェという魔女は、幸せになれたかもしれない世界を夢想した…。しかし、その鉄格子の先の空は、…………またしても、牢獄の中だったのだ……。
【理御】「私には、………あなたという人が、ますますにわからない……! あなたは、……なぜこんなことをするのですか…!」
【ベルン】「ベアトにゲームで負けたから、腹いせで。……くすくすくすくす!! あぁ、これで少しは負けたムカツキも晴れてきたわ…! ねぇ、ベアト、見てる? 見えてる?! そして覚えてる?! あなたには、絶対に奇跡は起きないって、私、約束したわよね?!」
【ベルン】「あっはははははは、あはははっはっははははははははははッ!! さぁ、理御! ベアトの目の前で、あなたを元の世界へ戻してあげる!! 観劇の魔女たちは、だるい一家団欒のシーンはもう食傷気味だそうよ? だからあなたが、霧江に撃たれる直前の瞬間へ送ってあげる! そして、その瞬間をベアトに見せ付けてあげる!!」
【ベルン】「あっははははっはっはっはっははッ!! 死ねや、ゲロカス理御ッ、ゲロカスベアトの最後の希望ッ、うひゃっはっはァびゃっはぁああアぁああああァ!!!」
ベルンカステルは死神の鎌を振り上げ、………それを思い切り振るい、……クレルの下腹部に深々と突き立てる……。
【ベルン】「綺麗に死ねたつもりだった? くっひひひひひひ!! 死骸をハラワタ引き摺り出して辱めるのが、私の一番得意なことだってのに…!!」
突き立てた大鎌を、無慈悲に無残に残酷に、……天へ振り上げる。………クレルの体に、下腹部から胸部にかけて縦一文字に、……深々と刃が走り、………開腹する。そしてその赤黒い中身が、……どろりとはみ出し、それから堰を切ったかのようにどっと溢れ出して、世界を赤黒い臓物で埋めた……。
EP8にて「これは全て真実、“とは限らない”と続けようとした」として、一旦ひっくり返されることになる。しかし結局は、やはりこれが真実である。
【山本】「イ、イタリア人の黄金を奪うだと? 卑怯者め、右代宮、貴様、それでも帝国軍人かぁあああぁ?!」
【ベアト】「………お、お父様……? わ、私はお父様のことを敬愛いたしております……。で、でも、……そのお父様の気持ちには、その……。」
「どうして…!! どうしてあなたたちは私を助けたんですか?! どうして死なせてくれなかったんですか?! 私はあの時の大怪我で、……こんな体で生きさせられている!! こんな体で、生きていたくなんかなかった!! こんな、恋をすることも出来ない体で……!! そんなの、そんなの、生きる価値がないんじゃないですか?! そんなのニンゲンじゃない…!! 家具じゃないですか!!」
「そう、私は、家具……!! 家具なんだ…!! どうして、………私をあの時に死なせてくれなかったんですかッ!! ぅわぁああああぁあああああぁああぁああ……!!!」
【理御】「………………え、」
我に帰った時。……そこは屋敷の、客間だった。
いつのまに自分はここに。
……後ろで物音がして、私はゆっくりと振り返る……。そこには……………。
【霧江】「ごめんね、悪く思わないでね。」
【理御】「………………え、」
霧江叔母さんの向ける、冷え切った銃口が、その奥底を覗かせる。
そして、………彼女はゆっくりと、………引き金を引いた……。
剃刀のように鋭利な風が、自分の体を切断するかのように通り抜けるのを、理御は感じた。……死を覚悟し、自らの運命を見届けるために、ゆっくりと目を開く…。
すると、………世界は切断されていた。霧江は冷酷な笑みを浮かべて銃を構えた、石像のように硬直し、……腰の部分から斜めに切断され、ゆっくりとずれ落ちていく。
いや、少し違う。大きく違う。霧江だけじゃない。世界が丸ごと、斜めに切断され、ゆっくりずれ落ちていくのだ。そして亀裂が入ったと思った瞬間、世界は砕け散った。
【理御】「………………?! ……あ、……あなたは……!」
【ウィル】「……猫を飼ってると、飼い主も似るもんさ。」
世界を切断した漆黒の刀の切っ先を、ベルンカステルに向け直し、睨む。
【ベルン】「くすくすくす……。……なぁに? 戻ってきたのは気紛れだって言いたいの…?」
【ウィル】「……お前が、いい話で終わらせるわけがねェ。そこまでベアトリーチェが憎いか。」
【ベルン】「私が勝ち逃げなんて許すと思う…? 私に敗北の屈辱を味わわせてくれた分、たっぷりとお返しをしないとね。私、根に持つと百年は忘れないわよ。」
【ウィル】「根の暗ぇヤツだ。」
【ベルン】「私の心を蔑ろにしないで欲しいわね。……くっすくすくすくすくす!!」
【ウィル】「大丈夫か、理御。………どうした、おいっ。」
いつの間にか、理御は胸を押さえて俯き、呻いていた。
【理御】「………胸が、…………痛いんです………。……これは……。」
胸を押さえる手を、ウィルは乱暴に掴んで剥がす。
そこには、じわりと血が浮き出していた。……そこは、霧江に撃たれたなら、弾丸が貫いたはずの場所。
【ベルン】「くすくす。……理御の体が、受け容れ掛かっているのよ。自分の運命をね。」
【ウィル】「理御、しっかりしろッ。……くそ、鎖か…!」
理御の体を抱きかかえようとして初めて、両手両足が拘束されていることに気付く。
【ベルン】「なぁに? 連れて逃げる気? 逃がさないわよ。理御が血を吐いて、数多の世界全てに希望がないことを絶望して、悶えながら死ぬところを今からみんなで観賞して楽しむんだから。」
【ウィル】「理御は見世物じゃねェ。」
ウィルは漆黒の刃を突き立て、理御を縛り付ける鎖を破壊する。
鎖と枷は、まるでガラスのように、粉々に砕け散って消えた。
【ベルン】「私の遊びを邪魔するの……?」
【ウィル】「てめぇは神じゃねぇ。出来るのは運命を嘲笑うことだけだ。………理御の運命は理御が決める。人間の運命を、玩具にするんじゃねェ。」
【ベルン】「………くすくすくす、はっはははははははははは…!! 元老院の魔女、この大ベルンカステルによくそれだけのことを言えたわ! 理御だけじゃなく、あんたも用済みなのよ…?」
【ベルン】「ベアトのファンタジーをミステリーだと断言してぶった切ってくれた。あんたの役目はそれでおしまい。大人しく帰っていれば、それで見逃してやったのに。のこのこと戻ってきたからには、私の玩具にされても文句は言えないわね?」
【ベルン】「おいでなさい、私の可愛い子猫たち。……みんなでガリガリと引っ掻いて、綺麗に生皮を剥いてあげてちょうだい。葡萄の皮をつるんとひん剥くみたいにね…!」
ベルンカステルが手を二度叩くと、劇場全体から、ぎろりと睨む宝石が2つずつ、あちこちから無数に増えてウィルたちを取り囲んでいく。それは紛れもなく猫の目だが、その口から漏れているらしい吐息は、猫のそれとは到底思えない、おぞましいものだった…。
【理御】「……ウィル………。………ううぅ……ッ。」
【ウィル】「任せろ。猫の爪切りなら慣れてる。」
ウィルたちを取り囲む宝石の数は、すでに千にも至ろうとしている。漆黒の刃を四方に向け、ウィルは取り囲む猫たちを牽制する……。
【ウィル】「理御、しっかりしろッ。お前は撃たれてなんかいねェ。撃たれたことを、……いや、撃たれることを、認めるんじゃねェ…!」
【理御】「………………………うぐぐ……。」
理御は胸の激痛と戦っている。いや、……ベルンカステルに見せられた、約束された未来と戦っている。
しかし、奇跡の魔女が、絶対に奇跡はないと保証したその未来の楔は、あまりに強固にして無慈悲……。理御の胸を、わずかずつ、そして確実に貫いていく……。
【ウィル】「……いいか。……俺が一瞬だけ包囲を破る。そしたら全力で走れ。どこまでも真っ直ぐな。方向は大事じゃない。ここから遠ざかることだけを意識して、ただひたすらにどこまでも走れ。」
【理御】「……………可能な限り……、努力します……。……無理な時は、……許して下さい………。」
【ウィル】「……無理な時? 弱音を吐くな。俺が許さねェ。クレルも許さねェ。……お前はクレルの、257万8917分の1の希望だろうが。お前が諦めたら、お前は無数の世界のお前たちを裏切るんだ……!! だから挫けるんじゃねぇ、足掻いて足掻くんだよ…!! 奇跡を探すんじゃねぇ、お前が奇跡になるんだッ!!」
【理御】「……私が、………奇跡に………。」
【ウィル】「お前は幸せな未来へ辿り着くんだよ。挫けるんじゃねェ、弱音を吐くんじゃねェ。もう一度弱音を言ってみろ。今度は俺がお前の尻を抓ってやる…!」
【理御】「…………は、………はい……。」
【ベルン】「くすくすくす。あっははははっはっはっはっはっは!! この奇跡の魔女の前で、奇跡になれとよくも言えたものだわ…! 奇跡など所詮はファンタジー! ミステリーで断罪されたこの世界で這いつくばって、無慈悲に虫けらのように死になさいッ! 観劇の魔女たちは、それを見届けたくて心待ちにしているのよッ!!」
【ウィル】「……へっ。何がミステリーだ。心のねぇミステリーなんざ、俺が認めると思うか。……三味線になりてぇ猫から掛かってきな。」
【ウィル】「あぁ、面倒臭ェ。まとめて掛かって来いよ! SSVD主席異端審問官、ウィラード・H・ライト。これが最後の刃だ…!」
【ベルン】「ブチ殺れ、子猫たち。」
猫たちの瞳が一斉に見開き、それらがうねって渦となり、一斉にウィルを飲み込む。
しかし、ウィルたちは飲み込まれない。彼らを中心に、風船が膨らんで爆ぜるかのように、飛び掛ったはずの猫の群は、四方に弾け飛ぶ。
【ベルン】「……あら、やるじゃない。」
【ウィル】「子猫に用はねェ。親猫しか眼中にねぇんでな。………奇跡の魔女、ベルンカステル!! 伸び過ぎた爪を研いでやらぁッ!!」
再び黒き刃を一閃すると、黒い竜巻が起こり、猫の群たちをさらに散らす。理御はそれがウィルの作った隙だと理解し、胸を押さえながら、全力で走り出す。
【理御】「……ウィル、……走りますッ。」
【ウィル】「ダイアナはすぐ腹を壊す。ミルクは温めてから頼む。」
【理御】「え?」
問い直そうとした時、すでにウィルの姿は跳躍し、舞台の上でベルンカステルと対峙していた。
それがまるで、この舞台のクライマックスだとでも言うように。……漆黒の観客席から大きな歓声が沸き起こる。
内臓をぶちまけて倒れているクレルを挟んで。……漆黒の刃のウィルと、運命より奇跡を刈り取る鎌を構えたベルンカステルが対峙する。
【ウィル】「霧江と留弗夫が犯人で、島の人間を皆殺しにした? 理御を客間に呼び出して射殺した? 悪ぃな、そんな“真実”とやらを、ミステリーが認めるわけには行かねェ。こいつは全て、ファンタジーだ。」
【ベルン】「ファンタジー? そういうことにして、理御の運命を逃れさせるつもり? やってご覧なさいな。くっくくくくく、くっすくすくすくすくす!! あっはははっははっははははははは、ひぃヤっはぁああぁっはァあああアぁああぁッ!!!」
金蔵はEP4にて、「悪魔の問い」に対して「それ以外の全員の命」と答えたことを仄めかしている。それと合わせて考えると、本当は金蔵が日本人もイタリア人も皆殺しにしたのではないかと推測できる。
3番目は、紗音が黄金を発見した日の会話。「恋をすることも出来ない体」とは、女性としても男性としても機能が果たせないという意味。
【ウィル】「第1則、手掛り全ての揃わぬ事件を禁ず。」
……ウィルの黒い刃は確かにベルンカステルの体を、斜めに切断したはず。しかしまるで、水面に映る月を斬るかのように、……それは意味を為さない。
【ベルン】「なぁに? 手掛りって?」
【ウィル】「霧江と留弗夫が犯人だとする、お前の“ミステリー”を、認めない。……霧江たちが犯人であることを示す手掛りは、何れのゲーム中にも存在しない。」
【ベルン】「あるわけないじゃない。あったとしても、島は丸ごと吹っ飛んだんだし。」
【ウィル】「つまり手掛りなしってわけだな。ならばそれはミステリーじゃねぇ。ファンタジーだ。」
【ベルン】「……はぁ…?」
立証できない真実は、ニンゲンの世界では真実と成り得ない。即ち、真実さえも、猫箱の外には出られないのだ。
【ベルン】「あっははははははははははッ!! 真実を猫箱に閉じ込めようというの? くすくすくす、それがミステリーの戦い方なの? あっはっはっはっはははははははッ! ひぃやっはっははははっはっはァあああぁアあああッ!!」
ベルンカステルは、まるで猛獣の咆哮のように笑うと、ぞんざいに鎌を投げ捨てる。
【ベルン】「戦うのさえも馬鹿らしい。おいで、ゲロカス。好きなだけ、私を斬ってご覧なさい。あんたの言い分、全部、聞いてあげるわ。」
【ウィル】「………貴様の、心を蔑ろにしたミステリーを全て貫く、二十の楔。くれてやらぁ。」
【ベルン】「二十の楔で私を倒せなかった時は、………覚悟することね? くすくす、さぁ、おいで。遊んであげるわ、……二十の楔とやら!」
【ウィル】「はぁああああああああああぁああああぁああッ!!!」
理御は胸の激痛を堪えながら、……足を止めることなく、いつまでも走り続けていた。
観劇の魔女たちの劇場を抜け出し、真っ暗なわけのわからない世界を走り抜け。気付けば、まるで星の海を思わせるような、……あるいは、星を散らした深海のようなところを駆け抜けていた。
気を許せば、転びそうになる。いや、気を許せば、走っているのか、それとも、自分は走っているつもりになっているだけで、実は自由落下しているのか、……星の海をどこまでも沈んでいるだけなのではないか、わからなくなる。
どこを目指すわけでもなく、ただただ、理御は走った。足を止めるわけには行かない。ここで倒れるわけには行かない。自分が倒れれば、……無数の世界の自分たちの希望を、潰えさせることになる…。
ベアトリーチェたちが望んだ、幸せな世界。自分だけが、……その世界へ辿り着くことが出来る、最後の希望なのだ…。……それが、わかっていても、…………奇跡を司る魔女に、奇跡はないと宣告されて突きつけられた“真実”は、あまりに冷酷に、……理御の胸を抉る……。
【理御】「……………………………。……ごめん、………ウィル………。……もう、……体が…………。」
理御はとうとう、……激痛に、……自分の運命に屈して倒れる……。
その体が、乱暴に後ろから抱えられ、担ぎ上げられる。
【理御】「…………ッ!! ……ウィ、……ウィル……!! 無事で………!」
【ウィル】「割とそうでもねェ。……挫けるんじゃねェ、尻を抓るぞと言ったはずだ。」
【理御】「……ごめんなさい、……本当にごめんなさい……。……でも、……私はあの日、あそこで、殺される運命だった……。」
【ウィル】「そうだな。人は誰だって、最後には死ぬ運命だ。なら、その人生は全て無意味なのか? 違うだろ。人生の意味も、価値も、人生そのものすらも、人が自分で描くんだ。……押し付けられた運命が何だってんだ。受け容れるな。世界はお前が紡げ、自らで…!」
【理御】「………ウィル、……あなたの、左腕……!」
【ウィル】「あぁ、……忘れてきちまった。取りに帰るのも億劫だ。」
ウィルの全身はズタズタに引き裂かれていた。そして、左肘から先は無残に引き千切られ、服もぼろぼろで、……まるで血塗れのかかしのようだった…。
そして気付く。空も足元も、満点の星の海だと思っていたのに、……その星々がいつの間にか群れて集まり、自分たちを取り囲んでいる…。それらの星は、皆、偶数個ずつ並んで二人を睨みつけていた…。
片腕で理御を抱え上げている。刀は抜けない。しかしウィルは理御を下ろさない。……絶対に理御を、ここから逃げ延びさせ、ベアトリーチェたちが夢見た、幸せな物語に辿り着かせる。
虚無の闇に瞳を輝かせる猫たちの群の向こうに、奇跡を許さぬ猫の女王が姿を現す……。
【ベルン】「………ウィラード。理御を下ろしなさい。そしたら、あなただけは見逃してあげるわ。」
【ウィル】「書面で大法院に出せ。審議してやるぜ。」
【理御】「………ウィル、……私を、…………。」
【ウィル】「置いては行かねぇぜ。……お前に教えてやる。どうして俺が、SSVDを辞めるのかをな。」
【ベルン】「……そう言えば、私も知らないわ、それ。……どうして?」
【ウィル】「クソッタレな、お涙頂戴のミステリーばっかりに飽きたからだよ。………ハッピーエンド上等、逃げ延びてやるぜ。」
【ウィル】「俺が教えてやるんだよ。バッドエンドしかないと絶望して死んだベアトリーチェに、ハッピーエンドもありえるんだって教えてやるんだ。だから絶対にお前を、下ろさねェ。」
【理御】「………………ウィル……。」
【ウィル】「猫ども、左の二の腕もくれてやるぜ。欲しけりゃ両足もくれてやる。……だがな、絶対ェに理御だけは放さねェ。……俺が、這ってでもこいつを、お前というバッドエンドから逃してやる……!」
【ベルン】「いいの、理御? ウィルは、あんたを庇って死ぬ気よ? 嫌でしょう? 私なんか放って逃げて下さいって、お言いなさいよ。」
【理御】「……………ウィル……。」
【ウィル】「おう。」
【理御】「……私を、…………放さないで下さい……ッ。……逃げ延びます、絶対に! そして、あなたも…!!」
【ウィル】「それでいい。」
その言葉に、ウィルは理御は力強く抱きかかえる。
【ウィル】「というわけだ。足掻くぜ、ベルンカステル。」
【理御】「私たちは、奇跡を諦めない…!!」
【ベルン】「絶対に奇跡は訪れないと奇跡の魔女が約束したのに、それをよくも口に出来たこと。………くすくすくす、うっふふふっはっはっはっははははははッ!! さよなら、二人とも。忘却の深遠で死すら迎えられずに、埃に降り積もられて消え去りなさい!!」
【ベルン】「さぁ、子猫たち。殺せとは命じないわ。その出番の終わった駒2つを、お片付けなさい。」
億、兆、京にも届く無数の猫たちが、一斉に牙を剥く。猫の目の星空が一斉に、肉色の口腔を開いて牙を並べる。
……世界は、肉と血と牙で、包まれた。
ゲーム外の真実なのだから手掛りなどない。ウィル自身、無理のある理屈だと自覚しているはずだが、駒の立場で理御を救いたいなら、そうとでも言うしかない。